弔花
とても簡単 | すべて
8/8名
弔花 情報
担当 久木 士 GM
タイプ EX
ジャンル シリアス
条件 すべて
難易度 とても簡単
報酬 なし
相談期間 3 日
公開日 2018-08-22 00:00:00
出発日 2018-08-28 00:00:00
帰還日 2018-09-08



~ プロローグ ~

 久方ぶりの雨が降った翌日。白い造花を手にした教団員が一人、エントランスホールを歩いていた。彼はゆっくりとした足取りでホールの奥へ向かう。その先には、いつの間にか設置されていた小さな祭壇があった。首都内での任務を終えて本部へ戻ってきたあなたたちはそれを不思議に思い、その教団員の後を追う。彼は祭壇の前で足を止め、そして振り向く。どうやらあなたたちに気づいたらしい。軽く会釈をする彼に、あなたたちは造花や祭壇について尋ねる。彼は口を開いて、低く落ち着いた声で話し始めた。


 彼は教団本部の病棟地下にある大聖堂で勤めている教団員で、普段は教団のために命を捧げた死者に祈りを捧げているのだという。そんな彼がエントランスホールまで赴いてきた理由は、どうやらこの祭壇にあるらしかった。
 毎年8月頃になると、アークソサエティ各地では慰霊祭などが多く営まれる。それは『ロスト・アモール』に始まる一連の大災厄や、その後の混乱によって失われた人命を弔うためのもので、華々しい復興を遂げたここ首都エルドラドとてそれは例外ではない。首都では主に貴族階級・支配階級の者が、大戦で散った祖先や親族・友人などのため、合同で慰霊祭を開くケースが多い。薔薇十字教団に所属する軍事階級の者たちもそうした慰霊祭を執り行ってはいるが、彼らは長期の任務や緊急の出動などで本部に居ないこともままあり、数日ある慰霊祭に参加できない者も少なくない。そんな彼らのために設けられたのが、この小さな祭壇だという。

「これは本来ならば、病棟に設置すべきものであるかもしれません。ですが病院にお越しになる方々――特に入院中の方々は、『死』というものについて非常にデリケートになっておられます。それを強く想起させるものを置くべきではないという判断により、ここへ設置されたのです。例え、病棟地下に火葬場と霊安室が設置されていようとも、です」
 彼の言葉に、あなたたちは病棟の構造を思い出す。地上は治療室や病室などばかりだが、病棟は地下へ行くにつれて死の気配が濃厚になる。解剖用の手術室の下には研究室があり、その下層には火葬場、霊安室と続く。そして彼が働いているのは、最下層付近にある大聖堂。薔薇十字教団本部で、最も冥界に近い場所だ。
 浄化師は死した後も、自らの運命と教団に縛られ続ける。彼らの遺したものが、故郷や親しい者たちの手に渡ることはない。遺体の状況や遺品からは教団内部の情報が漏洩するおそれがあり、死者の家族構成を知られれば、遺された者たちが報復などの悪意に晒される危険性がある。そのため教団員の遺体や遺品は全て持ち帰ることが絶対となっており、遺体は病棟地下で火葬された後、霊安室に埋葬される。薔薇十字教団に入り、世界救済の為に命を捧げるとは、こういうことでもあった。

 霊安室や礼拝堂には勿論、普段から祭壇が設置されている。だが、ここを訪れる者は少ない。そこがあまりにも、死を想起させる場所であるがために。
「ここへ仮の祭壇を設置すれば、多くの方の目に留まるでしょう。そしてこのエントランスホールは何よりも、地上1階にある。天国に近くもなければ、地獄に近くもない。花を捧げれば、すぐ太陽の下へと戻って行ける。魂が天上へ惹かれることも、地獄へ手招きされることも、ここでは無いのですから」
 彼はあなたたちをちらと見、そしてまた祭壇へ目を落とした。
「かつて私はここへ赴任する際、浄化師に命を救われています。一人の『喰人』の命と引き換えに」
 遠い過去を見遣るように、彼は僅かに顔を上げる。表情は変わっていないが、瞳だけは僅かに悲しそうな色をしていた。


 彼は十年前、病棟地下聖堂の聖職者として教団に職を得、故郷からはるばるアークソサエティへと旅をしていた。当時は『ヴェルンド・ガロウ』の手により『魔喰器』が生み出されたばかりで、大半の浄化師たちの装備は今よりずっと悪いものだった。そんな状態で戦っていた当時の浄化師たちの死亡率は、やはりかなり高かったらしい。
 交通の整備されていない片田舎の町から、彼は歩いて旅をしていた。最寄の駅までは山を一つ越え、それから歩いて数時間を要する旅程だ。そしてそんな山中で、彼はベリアルの群れと、それを討伐すべく派遣された浄化師に遭遇した。戦闘は激しく、彼は大木の傍で頭を抱えて震えることしかできなかった。そしてその戦闘で、一人の命が失われた。

 そもそも通常の民間人は、ベリアルなどと戦う術を持っていないことがほとんどだ。彼がこれについて気に病む必要は無いのだが、生真面目で優しい彼はそうではなかった。彼を守って若い命を散らした喰人は、当時の彼より十歳も若い女性だったのだから。過去の出来事について淡々と語る教団員は、白百合の造花を手でくるりと回した。
「命からがら教団本部へ赴いた私が初めて行った仕事は、私を守って命を落とした浄化師の葬儀だったのです」
 そう言って彼は、手にした造花を魔方陣の描かれた小さな台座の上へ置いた。透き通るように白い紙でできたその花は、しばらくすると花弁の先端に僅かに色をつけ、そして間もなく青い炎に包まれて消えた。灰のようなものは見当たらず、どうやら跡形もなく燃えてしまったらしい。
「彼女は白百合のブローチを左胸につけていました。それが彼女の好きな花であったのかどうか、私は知りません。それでも私は、毎年これを捧げているのです。彼女と引き換えに生き延びたことの意味や、彼女の犠牲に報いるために自分ができることについて、忘れないように」
 言い終わると彼は瞑目する。祈りを捧げ、誓いを新たにするかのように。そして彼は胸につけられた団章を優しく撫で、あなたたちに向き直って頭を下げた。
「その、縁起でもない話をお聞かせしてしまいまして申し訳ありません。花はエントランスや司令部の受付にありますから、祈りを捧げる際はご自由にお持ちになってください。先に行ってしまった親しい人々や、ロスト・アモール以来の全ての犠牲者を悼むのでも結構です。ご自身の決意を新たにされるのも良いかもしれません。あなたがたのお持ちになっている祈りのかたちを、どうか捧げてください」
 彼は説明を終えると、あなたたちに会釈してから去った。静かなエントランスホールを、規則正しい靴音が過ぎて行った。

 祭壇に造花を燃やして捧げるのは、火葬された教団員たちに届くようにとの願いを込めて。それが紙製であるのは、今の命も仮初のものにすぎないからと再認識するためだという説があるが、その由来は不明だ。遠い昔に誰かが始め、いつの間にか習慣になっただけかもしれない。
 大聖堂に勤めるあの教団員も、今このホールを行き交っている人々も、死後は皆灰となって病棟地下に埋葬される。彼らが故郷へ帰って安息を得る日は、二度と訪れない。それはあなたたちも同じだった。だがそれが明日なのか、来年なのか、あるいはもっと先の事なのか。それを知っている者は、誰一人として居ないのだから。
 振り向くと、エントランス脇のテーブルに造花が置かれているのが見えた。あなたたちはそれを目指して歩き出す。白い弔いの花を誰に、あるいは何に捧げ、何を祈り、何を誓うのか。短く鮮烈な生の中で何を求め、避けられぬ終わりの時までに何を為すのか。死と隣り合わせの日々を生きる浄化師であれば、この機会にそれを見つめ直すのも、悪くないだろう。


~ 解説 ~

●指令の概要
浄化師たちの「これまで」を振り返ったり、「これから」に向けた決意を新たにしたりすることが目的です。
こちらは浄化師個別のエピソードとなりますので、他の浄化師との面識は発生いたしません。


●提出プランについて
必ずお書きいただきたいのは、「PCたちの想い」と「捧げる造花の種類」の2点のみ。
それ以外は何を書かれても結構です。
あなたの浄化師たちは、かつて失ったものを悼み、決意を新たにするのでしょうか。
それともふたりは未来だけを見つめ、弔意ではなく決意の証として白い造花を捧げるのでしょうか。

PCの過去や設定など、キャラクターの深部に切り込むプランをご提出いただいても結構です。
ふたりの関係、共有する想い、あるいは決して共有することのできない記憶。
夏も終わりに近づいたこの時に、浄化師のふたりは何を思い、何を誓うのか。
皆さまの想いの丈を詰め込んで、どうぞプランをご提出ください。
PCたちのこれまでの道のりを、本エピソードで記録できれば幸いです。


~ ゲームマスターより ~

PCの皆さま、PLの皆さま、こんにちは。久木です。

前回のエピソードは思い切って軽めの味わいのものにしたせいか、
今回は普段通りの仄暗いプロローグとなりました。


お盆の期間は過ぎてしまいましたが、本エピソードはそれに合わせ、
浄化師たちが生と死を見つめる内容となっております。

薔薇十字教団の教団員は、死した後であっても、故郷や思い出の地で安らかに眠ることは許されません。
生きている限り戦うことを運命づけられた浄化師にとっては、死は日常のすぐ傍にあるのかもしれません。
それを見つめることによって、彼らの生きる意味もよりはっきりと見えてくるのではないでしょうか。


これまで歩いてきた道のりのために、そしてこれから進む未来のために。
このエピソードが、PCの皆さまの道しるべの一つとなれば幸いです。

皆さまのご参加を、お待ちしております。





◇◆◇ アクションプラン ◇◆◇

朱輝・神南 碧希・生田
女性 / 人間 / 魔性憑き 男性 / ヴァンピール / 占星術師
★花
白の曼珠沙華

★決意
二度と、誰も、目の前の人を死なせない

★献花
……ここのは白だけど
うちの家では誰かが死ぬと
その遺骨を沢山の赤い曼珠沙華と一緒に埋めてた……
ような、気がする、うろ覚えだけど

(曼珠沙華を火にくべる
白い花がぱっと燃える

――記憶の中の眼前が、炎に包まれる――)

……い
いやああああああ!!(突然泣き叫び)
行かないで、置いていかないで!!
お父様、お母様――お兄様!!
あ、ああああああ……!!

(崩れ落ちそうになる前に碧希に支えられ
彼に引き寄せられるまま外へ出る)

(外に出た瞬間へたり込み、譫言のように)
……お願い、もう誰も死なないで
私が弱かったから、守れなかった
強くなるから、お願い
お願いよ……
鈴理・あおい イザーク・デューラー
女性 / 人間 / 人形遣い 男性 / 生成 / 魔性憑き
あおい:
死んでも父の元へは帰れないんですね…

以前イザークさんの身体に傷や火傷があるのを見ました
その…命に関わりそうほどの。


私は、怖い…いえ悲しかったです

雪の日でした
空腹と寒さで道に倒れました
遠くに街の明かりが見えるのに、私は誰にも知られずに独りで死ぬんだと
(…頑張ったって…無意味だったんだ)

指切り?子供みたいですね(つい笑みがこぼれる
もうひとつのイーザ(共に)ですね※魔術真名
苦難を共に・安らぎを共に・運命を共に、そして逝くときも、共に

(家族でも恋人でもないのに一緒に逝こうと約束してくれた、それだけで充分です)

逝く時は独りではないと思うと、少し楽になりました
いつかその時まで、共に行きましょう
ルーノ・クロード ナツキ・ヤクト
男性 / ヴァンピール / 陰陽師 男性 / ライカンスロープ / 断罪者
■捧げる花
ガーベラ
育った孤児院の庭に植えられていた事を思い出してナツキが手に取る
ルーノも同じ花を選ぶ

■想い・決意
ルーノは、先日亡くなったアリラ達(11話、16話)の安寧を祈り
ナツキの長い祈りを見て誰の為に祈ったのか尋ねる

「孤児院の皆と指令で関わった人…アリラ達とか、だな。
浄化師になれば皆助けられると思ってたけど、簡単にはいかねぇな」

「私達も人間だ、限度はある。
そうして他人の為に傷付くより、自分の為に生きてはどうだい?」

「…傷付いてもいい。誰かの為に戦いたくて、俺は浄化師になったんだ!」

「…そうか。君がそうするなら付き合おう、私は君の相棒だからね」

ルーノが拳を突き出し、ナツキも頷いて拳を合わせる
ショーン・ハイド レオノル・ペリエ
男性 / アンデッド / 悪魔祓い 女性 / エレメンツ / 狂信者
供える花:ホタルブクロ

今から1年前、私はある任務につきました
内容はある人物を教団で保護すること
傭兵の警備を掻い潜り、私はその人を保護した
魔力回路の暴走で死ぬ前でよかったと私は思っていました
それから後のこと
私はその人が教団に属したくないから抵抗していたことを知りました
ドクターペリエ。貴女の事です

拉致した当時はそれが分かっても正しいことをしたと思っていたでしょう
死から人を救い、才能のある人物を得たからと
今は違う。貴女に会い、多くのことを知り、そして疑問が芽生えています

私は貴女の言う差別に手を貸し、呪縛を深めてしまった
私は…間違ったことをしたのかもしれません

一緒に…?
それで貴女はいいのですか…?
リチェルカーレ・リモージュ シリウス・セイアッド
女性 / 人間 / 陰陽師 男性 / ヴァンピール / 断罪者
数年前に亡くなった父へ 
お父さん わたし達は皆元気よ
だから心配しないでね

うん 少し前に病気で…
最期まで言ってくれた 
いつも側にいるよ
リチェができる範囲でいい 困っている人を助けてあげなさいって

そういえば 聴いたことがなかった
シリウスのご家族は…?
凍りつく表情に息を飲む
シリウス?大丈夫?
…ごめんなさい
それ以上言葉をかけられず

わたし思うの
魂は自由にどこへでも行けるって
晴れない彼の顔に ぎゅっとその腕を掴む
わたしと一緒は嫌?
これからも 死んでからも
わたしはあなたと一緒よ
彼の言葉に ぱっと笑顔
じゃあ シリウスも死なない
一緒に生きるよう

白いマーガレットを祭壇に捧げる
大切な人たちの鎮魂と
見守ってくださいという願いをこめ
シュリ・スチュアート ロウハ・カデッサ
女性 / マドールチェ / 占星術師 男性 / 生成 / 断罪者
◆シュリ
ここに、あの人たちもいるはず
お父様を命を懸けて守ってくれた、名前も知らない浄化師たち

造花を置いて祈りを捧げる
お父様のために戦ってくれて、ありがとう
どうか、安らかに眠ってください

…わたしたちも、いずれここに眠ることになるのね
お父様の家に残してきたもの、整理しなきゃいけないかしら

そうね…少し感傷的になってしまったわ
わたしたち、もっと生きなきゃいけないわよね

◆ロウハ
ユベール様が生前親しくしていた浄化師
俺も会ったことはないが、ユベール様と運命を共にしたと聞く

お嬢に続き花を置き、祈る

おいおい、身辺整理とかまだ早いだろ?
まあ、いつかは死ぬが…当分その時は来ねーよ
そのつもりで生きてるんだ、そうだろ?
リームス・カプセラ カロル・アンゼリカ
男性 / マドールチェ / 墓守 女性 / マドールチェ / 拷問官
◆リームス

花を捧げるつもりはなく
でも素通りも如何かと思案して
一礼し引き返そうとしたら。

……捧げる対象も僕自身の気持ちも
曖昧で中途半端だから。
失礼ではないかと考えてしまって。

カロルから手渡された花。
以前花について調べたことがあるから
その花の名も花言葉も知ってる
「誰に捧げる花なの?」

誰でもよかったらカロルは薔薇を選んだだろう?
花を選ぶ彼女の指が迷っていたのを見た
特定の誰かを思い浮かべていたのだと思う

いや、かわいいとかいう問題では。
……答えたくないみたいだ

祭壇に花を捧ぐ
「うん。カロルはかわいいよ」
なぜそんなことを訊くのだろう
彼女の表情は見たことがないもので
微かに聞こえた祈りの宛先はやはり聞けなかった
ラウル・イースト ララエル・エリーゼ
男性 / 人間 / 悪魔祓い 女性 / アンデッド / 人形遣い
※捧げる花…白い彼岸花
※双方30話のアリラの死を引きずっている
※アドリブ歓迎します

アリラさんも、ここで灰になったのですね…
(目を閉じて祈りを捧げる)

ララ、僕達は生きよう。この世界で、二人で。

(泣き喚くララエルに口づけをする)
僕は諦めない。ララエルはベリアルなんかにならない。
最期まで僕と一緒に生きる。
何故かって? 僕がそう決めたから。
そう決まっているから。

最期まで僕と一緒に生きて生き抜いて、一緒に
ここに埋葬されるんだ。

諦めないで、足掻いてみせよう。
それがこの残酷な世界に出来る、唯一の反抗だから。

(ララエルに深く口づけし、抱き締める)
もしララがベリアルになったら、僕も一緒に死ぬから
大丈夫だよ。


~ リザルトノベル ~

 8月半ばからエントランスホールに設置された祭壇には、今日もぽつりぽつりと人々が訪れ、そして去って行く。祈りを捧げる人々がそこを通るたび、長机の上では白い造花がかさりと揺れる。簡素ながらも特徴をよく表しているそれらは、いかにも死者へ手向けるためのものに見えた。それは墓前に捧げる哀悼の花であり、棺の中で眠る死者への慰めの花であり、葬儀すらできなかった同胞たちへの弔花でもある。そして、あるいはそれは、将来の自分へ捧げる手向けの花であるのかもしれなかった。
 薔薇十字教団の教団員たちは、一人ずつ、あるいは一組ずつ、そこを訪れる。誰に見せるともない手記に、文字を、記憶を、ゆっくりと書き残すかのように。



「曼珠沙華って赤しかないのかと思ってたけど、白いのもあるんだね」
 パートナーが手にした華奢な花弁をいくつも持つ造花を見て、喰人の『碧希・生田』はそう呟いた。ここにあるものは、全て実際にある白い花を模して造られている。彼は長机に置かれた花瓶から、白菊の造花を一本抜き取る。
「ここのは白い種類がモチーフね、ポピュラーなものは赤色だけど」
 碧希が花を選んだのを見計らい、『朱輝・神南』は祭壇のほうへ歩き出す。中央に置かれた小さな台座には、魔方陣が描かれている。彼女は遠い昔を見つめるように、ぼんやりとそれを見ていた。
「うちの家では誰かが死ぬと、その遺骨を沢山の赤い曼珠沙華と一緒に埋めてた……ような気がする」
 朱輝の話を黙って聞いていた碧希は、僅かに表情を曇らせる。出会った頃は、自分の名前と年齢相応の教養以外は何も覚えていなかった朱輝。そんな彼女が、ぽつりと家族に関する話を口にしたのだ。断片的にでも記憶が戻るのは、二人にとっても喜ばしいことのはずだった。
(でも、どうしてだろう。胸騒ぎがする)
 心に過った奇妙な直感。全く得体の知れないそれは、気味の悪い肌触りで碧希の中を駆け抜けていく。彼はその感触を振り払ように頭を振ると、白菊を台座に置いた。花弁の先が僅かに色づき、そして青い炎に包まれる。後には灰も塵も残らず、微細な魔力の結晶だけがきらきらと輝いていたが、やがてその光も消えた。それを見届け、朱輝は手にした造花を捧げる。白い曼珠沙華は同じようにほんのりと色づき、ぱっと燃えた。彼女の頭の奥底で眠っていた記憶が、炎に包まれ燃え上がる。父の顔、母の顔、兄の顔。赤い曼珠沙華。白い骨。遠い日に葬られた、昏い記憶。
 ――朱輝の悲鳴が、ホール内に響いた。

「朱輝? 朱輝!! どうしたの!?」
 パートナーの絶叫を聞き、碧希は飛び上がる。普段なら明るく輝いているはずの朱輝の瞳から、涙がとめどなく溢れていた。彼女は両腕を固く抱きかかえ、碧希の声などまるで聞こえていないように泣きじゃくる。
「行かないで、置いて行かないで! お父様、お母様――お兄様!! あ、ああああああ……!!」
 おどおどするばかりだった碧希は、彼女のその言葉に凍り付く。胸騒ぎの正体。失った記憶、探し求めている過去は、必ずしも幸福なものではない。暗闇の中、手探りで求める記憶は、愛おしいものすら棘となり得る。それが指先に刺さって、忘れていた古傷を抉ることも、ままあるのだ。
「――あ、ごめんなさい、出ます! 俺たちもう出ます!!」
 ふと顔を上げた碧希は、自分たちに向けられている視線に気付く。驚いた顔、訝しむ顔、怯えた顔。いくつもの視線が二人に注がれていた。彼は朱輝が崩れ落ちそうになる瞬間、彼女を半ば強引に引き寄せて支え、そのまま外へ出た。


 教団本部の敷地を出た瞬間、朱輝は石畳の上にへたり込む。碧希が機転を利かせて通りの少ない道に面した門から出たのは、どうやら正解だったようだ。彼女はそれから、目をぎゅっと瞑っていた。悪い夢を追い払おうとするかのように。
「……い、お願い、もう誰も死なないで。私が弱かったから守れなかった。強くなるから、お願い、お願いよ……」
 碧希は彼女の傍にしゃがむと、震える小さな肩を抱き寄せる。
「(朱輝が、俺や仲間を守りたいって思ってるのって……)」
 二度と、誰も、目の前の人を死なせない。彼女が花と共に誓った決意の源流は、ほぼ間違いなく彼女の記憶の中にある。でも仮に、本当にそうであったとするならば。
(そうしたら朱輝は、誰が守るの……?)
 碧希は肩を抱き寄せた腕に、少しだけ力を込める。白い造花に込めた決意を、より一層強くして。
 ――愛しくも危ういこの隣人を、守る。夏の終わりの細い雨が、ぽつりぽつりと降り出した。



 白くほっそりとした指が、ガラスの花瓶から一本の造花を抜き取る。彼女はそれを手にすると、何とはなしに傍のベンチに腰掛けた。青白い翼を持つ彼女のパートナーも、それに従い隣に座る。彼は長い尻尾を器用にしならせ、自分の横へ落ち着かせた。そして彼女――『鈴理・あおい』は、ぽつりと呟いた。
「死んでも、父の元へは帰れないんですね……」
 彼女はエントランスの床を見つめていた。教団員は愛しい故郷の風に抱かれて永い夢に微睡むこともなければ、親しい人々や偉大なる祖先と同じ場所へ葬られることもない。入団時に聞かされていたことではあったが、いざ意識するとそれは重く心にのしかかった。彼女は一つため息を吐く。
「以前イザークさんの身体に、傷や火傷があるのを見ました。その、命に関わりそうなほどの」
 あおいはじっと床を見つめる。教団内は美しく磨かれているが、ここにある現実は必ずしもそうとは限らない。道行く人々が思わず目を止めるような制服を纏う彼らが、常に暗澹たる死と背中合わせで生きているように。傍らの『イザーク・デューラー』もどこを見るでもなく、ホールを行き交う人々を眺めていたが、パートナーの言葉を聞くと口を開く。
「痕は残ったが、後遺症は無いから大丈夫だ。それに、そうだな。君の想像通り、死にかけたことはある」
 彼は僅かに翼を広げ、すぐに畳む。ヒューマンがほんの少しだけ姿勢を変えるように。
「俺は剣が交わるのが日常で、死はすぐ近くにあった」
 紫色の瞳は、遥か遠い場所を見ていた。


 イザークはその日、弟を連れて『遠くへ』逃げた。先の事など何一つ分からない。だが、弟だけは守らなければならないと思っていた。身体も、羽も、武器さえも、何もかもがぼろぼろで、それでも死ぬわけには行かないと必死に走り続けた。彼は詳細についてはぐらかすばかりだったが、その末に辿り着いたのがここ、教皇国家アークソサエティだったのだという。
 故郷へは二度と戻れなくとも、胸の内にある誇りは、陰りはしない。それが、彼の王族としての在り様だった。とはいえ「王族」というのは彼の自称で、どこまで真実なのかは分からない。

「――私は、怖い……いえ、悲しかったです」
 長い沈黙の後、あおいは少しずつ話し出す。彼に話したことのない、かつてのことを。


 雪の日だった。あおいは、空腹と寒さで道に倒れていた。遠くに街の明かりが見えるのに、体がもう動かない。このまま誰にも知られず、独りで死ぬ。そんなことが頭を過る。吹雪は冷たく彼女に囁く。どれだけ頑張ろうとも、全ては無意味なのだと。
 その日の出来事は、彼女を芯まで凍えさせた。今でもふとした瞬間に、その寒気が足元から忍び寄る気さえする。

 それは意外な話だったと、イザークは驚いていた。その当時の状況や、その後のことは分からないが、彼女が雪の中一人寂しく埋もれている姿を想像すると、酷く胸が痛んだ。
「……ならば約束をしようか、逝くときは共に行こうと。指切りでもしようか?」
 至って真面目な顔で彼は告げた。表情と「指切り」という言葉はいかにも不似合いで、あおいはつい笑みを零す。
「指切り、なんだか子供みたいですね。もうひとつの『イーザ』……共に、ですね」
 笑って右手を差し出すと、イザークもそれに応じる。苦難を共に、安らぎを共に、運命を共に、そして逝くときも、共に。それは魔術真名に新たに込める、もうひとつの願い。二人は互いの手を二度上下に振り、そして指を切る。誓いは再び交わされた。あの日と同じように。
(家族でも恋人でもないのに、一緒に逝こうと約束してくれた。それだけで十分です)
 あおいは唇をきゅっと結んで立ち上がり、それから微笑んだ。肩の力が、ほんの僅かだが抜けたような気がした。
「逝く時は独りではない、そう思うと少し楽になりました。いつかその時まで、共に行きましょう」
 彼女は右手に造花を握り、背筋をぴんと伸ばすと、確かな足取りで祭壇へ歩いていく。イザークもまたその後を追う。

 捧げる花は二人で一本。カモミールの花言葉は「あなたを癒す」、そして「逆境に負けぬ強さ」。先に逝った人々への鎮魂の祈りと、二人の新たな決意を込める花。白い造花は炎に包まれ、消えた。
 いずれ自分達も、花を供えられる立場になるだろう。だがそれまでは、共にこの道を。遠い異境でも、吹雪の中でも、もう独りではないのだから。



 ガーベラ。幼い日の優しい思い出と共に刻まれた花。ここにある造花は全て白い紙で作られているが、その姿形は紛れもなく、あの日孤児院の庭で揺れていたものと同じだ。思わず、『ナツキ・ヤクト』は手を伸ばした。
「君はそれを選ぶんだね。では、私も同じものを。どうしてこれなのか、良ければ教えてくれるかい?」
 花を手に取って『ルーノ・クロード』は話しかけた。ナツキはルーノのほうを向いて笑う。
「孤児院の庭に植えられてたやつ、思い出してさ。それで、気付いたら持ってた」
 彼はスタンドに入れられた紙のガーベラたちを愛おしそうに眺めた。彼らは祭壇で祈りを捧げた後、白い造花を献花台に載せる。ルーノが顔を上げると、ナツキはまだ目を閉じていた。それからずいぶん長い間、ライカンスロープの青年は祈っていた。


 その後、二人は教団寮の食堂へ足を向けた。午後3時を過ぎると食事をする教団員はまばらで、彼らはぽつん、ぽつんと席に座っては、黙々とフォークやスプーンを動かしている。ナツキたちは窓際の奥まった場所を選ぶと、それぞれのグラスに水を注いでから腰かけた。食堂は広く、朝から降り出した雨は次第に強くなっていた。
「長い祈りだったね、ナツキ。誰の為に祈ったんだい?」
「孤児院の皆と、指令で関わった人……アリラ達とか、だな。浄化師になれば皆助けられると思ってたけど、簡単にはいかねぇな」
 ナツキは悲しそうな顔で答えた。その反応を含めて、答えはルーノの予想通りだった。

 アリラ・キューブラ。最愛のパートナーだったジルドを指令で失い、次の候補者と組むことを拒否して死を選んだ浄化師。ルーノとナツキは、彼女が故郷で過ごす最後の日々のため、護衛を買って出ていた浄化師のうちの一組だった。そして彼らは、彼女の最期を見届けた。「その時」の光景は今でも脳裏に焼き付いている。そしておそらくは、ナツキの頭にも。
「私たちも人間だ、限度はある。そうして他人の為に傷付くより、自分の為に生きてはどうだい?」
 努めて穏やかにルーノは話し、パートナーの出方を窺った。相手は厳しい表情でグラスを見つめている。
「……ルーノの言う事も分かる。でも俺、助けられなかった人達のこと、たまに考えるんだ。それから、孤児院のこと。だから、俺はいくら傷ついてもいい。誰かの為に戦いたくて、俺は浄化師になったんだ!」
 彼は強い口調で言う。ルーノはグラスの水を少し飲んで、それから答えた。
「……そうか。君がそうするなら付き合おう。私は君の相棒だからね」
 それを聞くとナツキは笑った。普段からあれこれと考えを巡らすパートナーに、向こう見ずな考えを咎められたり、諭されたりするかもしれないと思っていた。だが、彼は自分の考えを認めてくれた――ような気がした。それがナツキには嬉しかったのかもしれない。
「ありがとな、相棒」
 彼はそう言って、拳を突き出した。


 教団に属しているとはいえ、浄化師となって得た力の使い道は自分自身で決める。それが契約時に二人で決めた誓いだ。ここ最近のナツキはあまりにも危なっかしく、今回はルーノもつい口を出してしまったが、パートナーが他人の為に力を揮うのは一向に構わない。
(そしてそれに付き合うことも、私はまあ――吝かではない)
 ルーノは頷き、拳をこつんと合わせる。それは二人が魔術真名を唱える時の儀式。そして今は、二人の信頼の証。
(しかし、これでしばらく楽はできそうにないな。全く、困った相棒だ)
 まんざらでもなさそうな顔でルーノは微笑む。雨は止みそうにないが、二人の気分は晴れやかだった。



 釣鐘がいくつもぶら下げられたようなその花は、もう残り少なかった。というよりはそもそも、初めに用意された数が少なかったのかもしれない。立体的な形の花は驚くほど精巧に作られており、『レオノル・ペリエ』は興味深そうにそれらを振ったり、のぞき込んだりしていた。
「薄いが強度のある紙を、糊で貼り合わせてあるようだ。僅かに魔力も感じられる。これはスクロール型の古い魔術道具の補修に使う『リペア紙』と、専用の糊かな」
 もう少し観察してもいいか尋ねる彼女に、祓魔人の『ショーン・ハイド』は頷く。二人がエントランスホールのベンチに腰掛けると、彼女は花を眺めながら、講義でも始めるような調子で話し始めた。
「さて、今日は君に昔話を聞いて貰おうと思う。理由は――そうだね。今はそんな気分なんだ」


 レオノルにはかつて、親友と呼べる存在が居た。その女性はレオノルと同じくらい才気に溢れ、望めば学者になることも難しくはなかったが、願いは叶わなかった。家族を含む周囲の社会が、「ごく普通」の考え方しか持っていなかったためだ。女は結婚し、子を産み育てることこそが義務であり、幸せであると。彼女は結局その役割を全うし、癌を患ってこの世を去った。
「では私たちはどうだろう。彼女と何か違うところはあるかな。女であるから、祓魔人であるから、喰人であるから、義務を果たせ。この三者に違いはあるだろうか?」
 生徒に尋ねるようにレオノルは言う。これは根深い問題だと。仮に人間がベリアルを根絶できたとしても、祓魔人や喰人は結局、今と同じ鎖に縛られたままだろうと。彼女の話が終わると、ショーンが初めて口を開いた。

 彼は一年前ある任務に就き、警備を掻い潜って対象の人物の保護に成功した。その人物は浄化師候補で、優秀な人材が魔力回路の暴走で命を落とす前に救えたことを、彼はよかったと思っていた。
「しかしその方は、教団に所属したくないから抵抗していたと後で知りました。ドクターペリエ、貴女の事です」
 任務を実行した時にそれを知っていたとしても、当時の彼は正しいことをしたと考えただろう。人を死から救い、才能ある人物を教団で確保することは、戦う力を持つ自分や教団の義務なのだと。だが、今は違う。ショーンは彼女に会って多くのことを知り、一つの疑問を見出した。忠実な組織人として生きてきた彼に初めて現れた、小さく、大きな変化だった。
「私は貴女の言う差別に手を貸し、その呪縛を深めてしまった。私は……間違ったことをしたのかもしれません」
 両手を固く組み、視線を落とす。だがレオノルは普段と同じ調子のまま、造花を見ながら話す。
「私が知らなかったことをわざわざ話すなんてね。君は私に許されたいの? それとも嫌われたいの?」
 少しからかうように彼女は言う。冗談を飛ばしたつもりだったが、ショーンは畏まったままだ。それを見かねて、彼女は再び口を開く。師として、悩める教え子に道を示すために。

「本音を言ってもいいけど、それは君に必要な答えじゃない。順応性の高い君が、その答えに染まるのも怖いからね」
 ショーンはあることを思い出す。それは彼女の「私を妄信しないように」という言葉。今でもその意図は掴みかねているが、彼女が自分に何かを伝えたいのは明らかだ。
「答えは教えないけれど、手助けしないとは言っていないよ。だから答えは一緒に探そう。そして君の言う呪縛を、取り払う方法もね」
 顔を上げ、彼女はショーンの瞳を見据える。それは自分を運命の矢面に立たせた相手を見る目ではなく、良き教え子を見るときのそれだった。彼は戸惑った表情で師を見た。
「一緒に……? それで貴女は、いいのですか……?」
「ふふ。それが師としての務めだよ、ショーン」
 彼女は微笑んで立ち、教え子のほうを向く。彼は促されるままに立ち上がり、師の後をついて行った。言葉の意図はまだ分からない。それでも一つ、前に進んだような気がした。

 レオノルは教団の強制には抵抗したが、彼との契約は自らの意志で臨んだ。その運命とも言うべきものが、彼のような迷える者を遣わしたのなら、それもまた悪くないだろう。彼女は造花を教鞭のように握り、懐かしそうに微笑んだ。二人で一本のこの花は、親友への鎮魂の祈り。そしてこれからの、二人の決意の証。



 本部内を歩く人がすっかり少なくなった夕刻。街での用事を終えた『リチェルカーレ・リモージュ』と『シリウス・セイアッド』は、祈りを捧げるためにエントランスホールへ来ていた。長机に置かれている花々は全て作り物だが、実家が花屋のリチェルカーレは、それらを生花と同じように、愛おしそうに見ていた。彼女が一輪を手に取ると、シリウスは頷いて選択に同意する。そして二人は、祭壇へ向かった。


「――お父さん、わたし達は皆元気よ。だから心配しないでね」
 頭を垂れて祈るリチェルカーレが、小さく呟いた。シリウスは驚いたように顔を上げる。
「……父親、亡くなったのか?」
 彼女の家族の話はよく聞いていたし、指令の際に彼らと会ったこともある。彼女の父親が居ないのは、遠出をしているか遠方で働いているためだろうと考えていた。
 リチェルカーレの父親は数年前、病でこの世を去った。彼は最愛の家族に最期の時まで優しく語りかけた。いつも傍に居ると。そして一番年上の彼女には、できる範囲で構わないから、困っている人々を助けてあげるようにと。それを話す彼女の横顔は、今日は寂しそうだった。それでも前を見る姿は、シリウスにとってあまりにも眩しい。

「そういえば聴いたことがなかった。シリウスのご家族はどうしているの?」
 彼女はふと気付いて、パートナーに尋ねる。彼は自分のことは勿論、必要なことさえ話さない時があるほど無口だ。彼の素性について分かることは、外見的な特徴から読み取れるもの――つまり、彼がヴァンピールであるということだけだ。
 彼は何も話さない。家族という言葉が、封をしていた箱の蓋をこじ開ける。燃える故郷。鎖によって繋がれた魂たち。思い出を赤黒く塗り潰し、原型など分からぬほどに記憶を書き換える顔また顔。血の気が引く。視界が揺れる。息が詰まる。見えぬ炎が魂を灼き、亡者の手が喉を掴む。
「――ウス、シリウス? 大丈夫?」
 気付けば、リチェルカーレが心配そうに顔を覗き込んでいた。彼女の瞳で呼吸の方法を思い出したように、彼は荒い息を何度も吐き、絞り出すように一言だけ告げる。「皆、死んだから」と。リチェルカーレは謝罪の言葉を述べるが、彼は首を振る。彼女のせいではない。彼女は何も悪くないのだ。そして彼は蒼白になった顔で祭壇を睨んだ。
「……勝手、だよな。浄化師は死んだ後も教団から出られない。ずっとここに縛られる。ベリアルの鎖と、一緒じゃないか」
 シリウスが激しい感情の起伏を見せるのはとても珍しいことだ。そして、これだけ長く話すことも。それは彼が無表情の奥に隠した傷や痛みの存在を、際立たせるようだった。それ以上言葉をかけられずにいたリチェルカーレだったが、彼の表情に意を決して口を開く。
「わたし、思うの。魂は自由にどこでも行けるって」
 力の籠った彼の腕を、ぎゅっと掴む。
「わたしと一緒は嫌? これからも、死んでからも、わたしはあなたと一緒よ。だから、一緒にどこへでも行きましょう」
 彼女は嘘偽りのない眩しい想いを、まっすぐ彼に向ける。彼は魅入られたように彼女を見つめ、呟いた。
「――お前は、死なない」
 彼女の顔がぱっと明るくなる。こんな自分に愛想を尽かしもせず、暖かく優しい笑顔をいつも向けてくれるリチェルカーレ。だから、彼女だけは何があっても護ろう。彼は胸の内に呟く。二人でならどこへだって行けそうな、そんな気がし始めていた。
「じゃあ、シリウスも死なない! ずっとずっと一緒に生きるよう、祈りを込めましょう!」

 白いマーガレットを、二人で祭壇に捧げる。大切な人たちの鎮魂と、わたしたちを見守ってくださいとの願いを込めて。花は台座でかさりと揺れ、そして炎の中に消えた。きらきらと輝く細かな魔力の結晶は、しばらく宙を漂っていた。



「ここに、あの人たちもいるはず。お父様を命を懸けて守ってくれた、名前も知らない浄化師たち」
 花を手にした少女が一人、大きな祭壇の前で立ち止まる。翡翠色の透明な瞳が、祭壇をぐるりと見回す。淡い色合いの紙で作られた大小の花が、静かに佇んでいる。
 祈りを捧げた相手は、彼女の父ユベールが生前懇意にしていた一組の浄化師。二人は父の依頼で彼を護衛していたが、その任務中に何者かに襲撃され、三人とも命を落とした。彼らを襲った相手はおろか、死の間際まで父を護ろうとしてくれた浄化師の名前すらも、教団は教えてくれなかった。最愛の父と、その父を守ってくれた、今では「先輩」でもある二人。彼らの人生に報いるため、そして自分の疑問に答えるため、その事件の詳細はいつか知りたい。いや、知らなければならなかった。
「お父様のために戦ってくれて、ありがとう。どうか、安らかに眠ってください」
 あの日、三人の命を奪った者がこの世界にまだ存在しているのなら、仇は取らなければならない。パートナーにはまだ言えないが、その日まで、死ぬわけにはいかない。彼女は白いカーネーションを置き、祈る。その造花が青い炎に包まれて消えるまで、彼女は祭壇を見守っていた。

「次は俺の番だな、お嬢」
 白い花が消えてしまうと、彼女の後ろからデモンの青年が進み出た。彼は上体を少し屈め、造花を台座に置く。彼が祈る相手もまた、彼女と同じだった。
 彼をスラムから拾い上げた男、ユベール。そして公私ともに主人の良き仕事相手だった浄化師。青年も彼らと直接会ったことはないが、依頼人だった主人の護衛中に襲撃を受け、運命を共にしたと聞いていた。
 花が燃える。大恩ある主人と、主人を守る任務に殉じた二人の浄化師。ユベールの恩に報いるためにも、彼らの仇はいつか必ず、この手で討たなければならない。この思いをパートナーに打ち明けるにはまだ早いが、それまで死ぬわけにはいかなかった。


「……わたしたちも、いずれここに眠ることになるのね。お父様の家に残してきたもの、整理しなきゃいけないかしら」
 彼女たちが訪れたのは、病棟地下4階にある霊安室。そこにある祭壇で二人は祈りを捧げていた。彼女の父であり、彼の主人であるユベールを護って散った浄化師たちが、ここに埋葬されているためだ。
「おいおいお嬢、身辺整理とかまだ早いだろ?」
 祈り終えたデモンの青年は呆れたように話す。死者の為に祈り、決意を新たにしたばかりだというのに、それでは急ぎすぎというものだ。彼女はそのことに気付いて、小さく溜息を吐く。
「そうね……。少し感傷的になってしまったわ。この場所は、訪れる人をそんな気持ちにさせるのね」
 日の光の差し込まぬ地下深く、石造りのどこか寒々としたその場所は、生ける者のために用意された場所ではない。そこは純然たる死者の領域。この世での戦いを終えた先達たちが眠る、最後の寝床。彼女がつい感傷的になってしまったのも、このせいかもしれない。
「わたしたち、もっと生きなきゃいけないわよね。この花に誓ったみたいに」
「ああ。まあ人間いつかは死ぬが、当分その時は来ねーよ。そのつもりで生きてるんだ、そうだろ?」
 相手には内緒の、秘めた誓い。向かう方角は一緒でも、そこへ行く理由を伝えるべき時は、まだ来ていない。二人はもう一度祈りを捧げてから、霊安室を後にした。病棟を出ると、朝以来の雨は既に止んでいて、そこかしこに水たまりができていた。雨上がりの澄んだ夜空では、星がいくつも瞬いていた。

 二人の名は、『シュリ・スチュアート』と『ロウハ・カデッサ』。
 家族のように、兄弟のように、二人はお互いを信じ、同じ道を進む。夜空に輝く紅き星を導にして。



 『リームス・カプセラ』と『カロル・アンゼリカ』が司令部から出てきたのは、その日の夜だった。二人は指令の報告のために午後からそこを訪れていたが、先方の書類の不備で手続きは思うように進まなかった。一時間が過ぎ、二時間が過ぎても、事態は一向に進展しない。そして担当者がげっそりとした顔で戻ってきたのは、つい三十分前のことだ。彼は教団内のメールボックスを全て回り、エントランス地下にある第二研究室でようやく一通の封筒を探し当てたらしく、それから手続きはあっという間に終わってしまった。リームスたちが司令部棟を出てエントランスホールに入ると、行く時には気付かなかった小さな祭壇が目に留まった。

 少年は、祭壇に花を捧げるつもりはなかった。それでも素通りはいかがなものかと考え、一礼して通り過ぎようとした。
「リームス。花は、いいの?」
 傍らを歩く少女に引き留められ、彼は立ち止まる。何を言うべきかしばらく考えたあとで、彼は口を開いた。
「……捧げる対象も僕自身の気持ちも、曖昧で中途半端だから。そんな気持ちで臨むのは、失礼ではないかと考えてしまって」
 彼にしては珍しく、歯切れの悪い返答だった。しかしそれは、彼が当初持っていなかった「疑問」や「情緒」の兆候でもある。それはマドールチェである彼にとって、良い傾向だ。
「それなら。私のかわりに花を捧げて頂戴」
 彼女は近くにあった長机へ向かう。純白の造花の中からいつもの花へ手を伸ばし、そして止めた。少し考えてから選び直し、それをリームスの手に押し付ける。その花について、彼は知っていた。名前だけでなく、花言葉も。それは以前、二人で花について調べたからで、その時彼女があれこれ教えてくれたことも覚えている。だからこそ、尋ねなければいけないと思った。

「誰に捧げる花なの?」
「誰って――別に。誰だっていいわ。どこかの誰かを想う花よ」
 カロルはそう言って顔を背ける。普段ならば彼の質問はこれで終わるのだが、今日はそうではなかった。
「誰でもよかったら、カロルは薔薇を選んだだろう?」
 薔薇は、彼女が最も愛する花だ。特定の誰かのために祈らないのであれば、きっと彼女はそれを選んだはず。だがその花に手を伸ばした直後、彼女の指が迷ったのをリームスは見ていた。特定の誰かを思い浮かべたのでなければ、そのような行動など取り得ない。そう言って食い下がる彼に、彼女は言葉を投げつける。
「リームス。あなた、かわいくないわ。そこは素直に『そう』と流すところよ」
「いや、かわいいかどうかという問題では」
 不思議そうな顔をするリームスだったが、そこで彼女の心情に気が付いた。彼女は多分、これについて答えたくないのだ。そう結論づけた彼は、祭壇のほうへ歩き出した。カロルもその後からついてくるが、表情は複雑そうだった。

 少年が祈り、花を捧げる。それは紙でできた純白のカーネーション。彼の後ろでは少女が、燃えて消える花を見ながら、スカートの裾を摘み上げて「カーテシー」の動作をする。その際少女は何か呟いたようだったが、リームスには聞き取ることができなかった。そして彼女は、吐息のような囁きで祈った。

「――ねえ、リームス。私、今ちゃんと、かわいいかしら?」
「うん。カロルはかわいいよ」
 彼女の問いに、彼は迷わず答える。それは真実なのだが、彼女の表情はこれまでに見たことがないものだった。微かに聞こえた彼女の祈りの宛先も、やはり聞き取れなかった。
「そう。――それなら、いいわ」
 マドールチェの少女はスカートの裾を翻し、歩いて行った。リームスはそれをしばらく見つめていたが、やがて彼女を追って足早にエントランスを出た。


 今日は新月の晩。秋の夜空では、いくつもの光が煌めいていた。カロルが花に込めた願いは、リームスの手によって捧げられた。それはきっとこの夜風に乗って、死者の元へと届いただろう。

 ――あなたの眠りが、どうか安らかでありますよう。



 深夜の火葬場を、一組の浄化師が訪れた。一人は金髪の少年、もう一人は銀髪の少女。二人は以前の指令で最期を看取った一人の浄化師を弔うため、病棟の地下深くまで足を運んでいた。
「アリラさんも、ここで灰になったのですね……」
 金髪の少年『ラウル・イースト』は、目を閉じて小さな祭壇に祈りを捧げる。そこは最期を迎えた浄化師たちが必ず通る、清めの場所。重い扉の向こうは誰にも公開されないが、そのぶん死の気配が濃厚に感じられるような気がした。あるいはそれは、生物が持つ死への嫌悪感なのかもしれない。
 隣の少女は、長い間祈っていた。彼女は今日もやはり悲しそうで、今にも泣きだしそうな瞳の色をしていた。二人が火葬場を去る時、不寝番をしていた教団員が会釈した。


 それから二人は地下4階の霊安室を過ぎ、その下にある大聖堂へ向かった。二人が大聖堂の大扉を開けると、そこは地下5階とは思えないほど光で溢れていた。二人は跪き、祈る。ラウルはその時、白い彼岸花の造花を捧げた。花は瞬く間に炎に包まれ、きらきらとした細かな結晶に変わって消える。
「……浄化師って、刑の執行を待つ死刑囚みたい。いつ来るか分からないその日に、毎日怯えながら生きるなんて」
 銀髪の少女が、ようやく口を開いた。彼女は『ララエル・エリーゼ』。ここ最近はパートナーへの強すぎる想いのために、精神的にも肉体的にもかなり不安定な状態が続いていた。二人がこんな時間に病棟を訪れたのも、彼女の発作が落ち着くのを待っていたためだ。ラウルは優しく声をかける。
「アリラさんの事はとても悲しかった。だからララ、僕達は生きよう。この世界で、二人で」
 しかしその言葉を聞いた途端、ララエルの瞳から涙が溢れる。彼女は両手で口を押さえ、咽び泣いた。
「私には……もう無理かもしれません。もう、手遅れです」
 彼女は床に崩れ落ちる。ラウルはすぐさましゃがみ込み、彼女の肩をしっかりと掴む。それがきっかけになったのか、ララエルは堰を切ったように話し始めた。

「私はもうベリアルになるしかないんです! ラウルだって気付いてますよね、私がおかしいって事! ベリアルになったらここに埋葬されることも許されない、私は最期まで独りぼっちなんです!」
 悲痛な叫び。彼女の存在理由はパートナーを護ることで、そのうえ彼女は、ラウルに強い恋愛感情を抱いていた。常に二人一組で行動する浄化師は、恋愛関係になることも珍しくない。しかし深い繋がりで結ばれることは、時として仇となる。今のラウルたちのように、そしてあの時のアリラたちのように。
「――ラウル。私がベリアルになったら、その時はラウルが……ラウルが私を殺してくださいね。最期はどうか、あなたの手で」
 泣き笑いの表情で彼女は告げた。彼女の肩を握る手に、力が入る。
「僕は諦めない。ララエルはベリアルなんかにならない。最期まで僕と一緒に生きる」
「でも、何故そうだと分かるんですか!」
 ララエルは泣きじゃくる。彼女の気持ちが、痛いほど伝わってくる。
「何故かって? 僕がそう決めたから。そう決まっているから。君は最期まで僕と一緒に生きて、生き抜いて、一緒にここに埋葬されるんだ。だから諦めないで、足掻いてみせよう。それがこの残酷な世界にできる、唯一の反抗だから」
 彼も同じように、パートナーへの強い恋愛感情を持っていた。これまでずっと言い出せないままだったが、彼女が自分への執着でここまで衰弱してしまったのなら、それは自分にも間違いなく責任がある。彼は顔を寄せようとして、躊躇った。この期に及んで、まだ最後の一歩が踏み出せない。だが、曖昧な関係にいつまでも甘んじるわけにはいかない。それが彼女を守り抜くと誓った自分に今できる唯一の、そして最大のことのはずだ。
 彼女が、か細い声で彼の名を呼んだ。その声がラウルの背中を押した。彼は彼女の名を呼び、そして一度だけ、優しく口づける。彼女のくぐもった声が聞こえる。永遠とも思える一瞬のあと、彼は唇を離した。彼女はその瞬間にようやく、何が起こったかを理解し、ラウルの胸に寄りかかって泣いた。
「もしララがベリアルになったら、僕も一緒に死ぬから。大丈夫だよ。もう独りじゃない」
 それが二人の、初めての口づけだった。彼は自分の胸で泣きじゃくるララエルを深く抱きしめ、自らの誓いを新たにする。ララエルはそれからしばらくの間、温かくて優しい腕の中で泣いていた。それはもはや、悲しさや辛さのために流す涙ではなかった。大きなステンドグラスを通り抜けてきた鮮やかな光が、小さな恋人たちを優しく照らしていた。



 そして、日付が変わった頃。それまで大聖堂の別室で祈っていた一人の教団員が、一日の最後の務めを終えてそこから出てきた。この晩、大聖堂で不寝番をすることになっていた彼は、床に落ちた涙の跡を見ると優しい顔でそれを拭き、祈りの動作をした。見知らぬ誰かの涙を拭ったハンカチは、浄化師たちが捧げた造花と同じように真っ白だった。
「今日は多くの方が、エントランスの祭壇で祈りを捧げてくださったと聞いています。こんな所まで来てくださった方も、いらっしゃったのですね」
 彼は片手にハンカチを握ったまま、右の脇腹を触る。そこには生きている人間ではおよそ考えられないような大きさの、虚ろな窪みがあった。

 彼は教団へ赴任する際、ベリアルの襲撃を受けて命からがら「生き延びた」。しかし教団へ送られたこの一件の初報では、当初の犠牲者は殉職した喰人と民間人の計2名。つまり彼は一度、死んでいる。
 彼が目を覚ましたのは、近くの町にあった病院の霊安室でのこと。隣には、冷たくなった一人の喰人が静かに横たわっていた。自分に起こったことが彼女にも起こるのではと彼は思っていたが、それは遂に起こらなかった。

「戦う力を持たない私が蘇ったこと、そして死者がこの聖堂で勤めていること、随分悩みもしました」
 アンデッドの教団員は、ステンドグラスに向かって語り掛ける。彼は何年もの間ひどく悩んだが、遂に自分の居るべき理由を見出した。それは、先に去っていった死者のために、そして今を生きる全ての人々のために、祈ること。彼がそれを見つけることができたのも、懸命に生き、運命に抗い続ける浄化師たちの姿を、何度も見てきたせいだろう。
「あなたたちの軌跡が、名も知らぬ誰かの希望になることもあるのです。私はあなたたちに救われた。だから、少しでも長く、生きてください。それが私にとっての希望、私の祈り。そしてこれが、私の戦いです」
 大きな祭壇の前で跪き、もう一度祈る。そして彼は、宿直室へと去って行った。


 運命に選ばれた浄化師は、ある意味では運命に縛られているとも言える。それはさながらベリアルに鎖で繋がれた、哀れな魂と同じように見えるかもしれず、あなたたちの捧げた造花も、結局は未来の自分たちへ手向けただけかもしれない。
 だがあなたたち浄化師には、運命に抗う力がある。鎖を断ち切る力がある。双肩に担わされた世界はあまりにも重く、暗闇の中へと続く道はあまりにも長い。だが、あなたたちはもう独りではない。あるいは良き相棒として、あるいは良き恋人として、あなたのパートナーはあなたの隣に立っている。一人では成し遂げられないことも、抱えきれないことも、二人でならきっとなんとかなるはずだ。
 そしてあなたたちの生きる姿は、名も知らぬ、顔も知らない人々の希望になっている。たとえ志半ばで倒れることになったとしても、あなたたちのこれまでとこれからは、決して無駄にはならない。あなたたちの捧げた花は、決して無意味ではない。

 浄化師としての戦いは、まだ始まったばかり。世界の救済を成し遂げる日まで、あなたたちの誓いを果たす日まで、あなたたちは前に進まなくてはならない。時には立ち止まることもあるだろうが、その時はきっと、傍らのパートナーがあなたの支えになるはずだ。さあ、その手に再び魔喰器を、その唇に魔術真名を。永遠の眠りの中、花を手向けられるのはまだまだ先だ。胸に秘めた目的を果たすその日まで、神への反逆を続けよう。


弔花
(執筆:久木 士 GM)



*** 活躍者 ***

  • 鈴理・あおい
    やるべき事を成す、それだけです。
  • イザーク・デューラー
    彼女の行く末に祝福があらんことを

鈴理・あおい
女性 / 人間 / 人形遣い
イザーク・デューラー
男性 / 生成 / 魔性憑き




作戦掲示板

[1] エノク・アゼル 2018/08/19-00:00

ここは、本指令の作戦会議などを行う場だ。
まずは、参加する仲間へ挨拶し、コミュニケーションを取るのが良いだろう。