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トントン。
ノックをすると、『どうぞー』と招く声。戸を開けると、フワリと香る薬草の匂い。
「いらっしゃい」
嬉し気な声と共に踊る、白銀の髪。
「ようこそ、親友。わたしの自室兼秘密の研究室(ラボ)へ」
そう言って、『セルシア・スカーレル』はニコリと笑んだ。
◆
部屋の中。自分の部屋と同じ間取りの筈なのに、随分と派手に手が加えられている。
主に、怪しい方向で。
……寮長さんに怒られないのだろうか。添え付けられた数々の怪しい実験器具や、得体の知れない鉢植え植物の群れ。山と積まれた謎の書籍を眺めながら、そんな事を思う。
「どうぞ」
声と共に卓に置かれるティーカップ。見慣れない色。香りから察するに、薬茶(くすちゃ)だろうか。
「ふふ、大丈夫。変な成分は入ってないから」
抱いた不安は想定済みだったらしい。自覚してるのだろう。してるなら少し、自重して欲しかったりはする。
そんな事を思いながら、一口。甘く、ほろ苦い。美味しいな、とか感心していると、床に置かれた旅行鞄が目に入った。見つめていると、気付いたセルシアが言う。
「そう。明後日の夜明け前に、出発。オーディン様のスレイプニルが、迎えに来る」
彼女達が担う役目については、知らされている。一応、極秘扱いらしいけど、自分含め親しい団員達には周知の事実。
「はは、そんな顔しないで。安全……とは言わないけど、死にに行くつもりはないから。カレナ(あの娘)と同じ。拾ってもらえた命は、無駄にしない。それに……」
悪戯っぽく、微笑む顔。
「ヤバい事態になったら、SOS出す様に言われてるから……」
『来てね』。
ニコリと言う言葉。心が、凪ぐ。強がる事なく、頼ってくれる。確かな信頼と、絆の証。
共に含む薬茶。染む様に、甘い。
◆
「さて。では、お呼びした用件ですが……」
そう言って、何やらゴソゴソ。取り出したモノを、卓に置く。
綺麗な装飾をされた、硝子の小瓶。
手に取ってみる。六角形の硝子。施されたステンドグラスが、綺羅綺羅光る。
「あげようと思って。ソレ」
何? と聞くと。
「媚薬。どぎついの」
普通に返ってきた。
ブフッ!!!
思わず吹き出しそうになって。堪えて。むせた。
ゲホゲホ苦しむ背中を、セルシアが『おー、よしよし。ブレイクブレイク』なんて言いながら撫でる。誰のせいかと。涙目で睨みつけると、悪びれもなく笑う。
「冗談冗談、そんなんじゃないから。欲しかったら、あげるけど?」
いらない! って言うか、あるんかい!!
「これはね、『フローライト・シロップ』って言うの。まあ、勝手につけた名前だけど」
渾身のツッコミを無視して説明を続けるセルシア。小瓶を取って、一滴小皿に落とす。蜂蜜の様な、トロリとした滴。
「ええと、想い黄金の蜜に、月華聖者の花粉、孔雀白檀の樹液に……」
ブツブツと唱える謎の名詞。花粉とか樹液とか言ってるから、多分植物なのだろうけど。
「それらを目分量で調合して、大まかな時間で煮出して、適当な期間熟成させたモノがこちらになります」
目分量とか適当とか、危険物扱う研究者が言っちゃいけない単語がポロポロ出てくる。この娘、いつか重大なケミカル・ハザード起こしそうな気がして、怖い。
そう言えば、前に『未来永劫、決めた人以外好きになったら精神ボン! する薬』を作るのが目標とか言ってたが、アレはどうなったのだろう。頓挫してくれてたら、嬉しいのだけど。
「ん? ああ。あれ、ヤメた」
え? ホント?
「後で、某氏に怒られちゃって。『他人を好きになったら精神崩壊? そんなのしちゃったら、話も出来ないじゃん』って。まー、考えてみりゃ、それもそうかなって」
某氏、グッジョブ。
「だから、『世界の終わりまで、幾度生まれ変わっても離れられない概念因果に魂を固定する薬』に切り替えた」
壮大に悪化した! 某氏、何て事をしてくれた!!
コロコロ変わる某氏の評価に頭を抱えていると、セルシアが小皿に落としていた雫を指で掬う。
「これはね、含んだ者の心を溢れさせるの」
心。
「そう。その人の、心の上層。一番大きくて、溢れそうな想いが溢れ出す。例えば……」
薄い唇が、ポソリと囁く。
「好きな人の、事とか」
!!
一瞬、高鳴る心臓。見透かしたのか。小悪魔の様に笑む、深緑の瞳。
「ねえ?」
スルリと乗り出してくる、身。耳元で、囁く。
「聞いてみたくない? 『あの人』の、想い」
トクン。
また、鼓動が鳴る。
想いを、引き出す?
『コレ』を、使って?
馬鹿な。そんな事。
彼女が、見ている。透き通った目で。答えを、待っている。
断ればいい。
突っ返せばいい。
何だったら、怒ったっていい。
けれど。
だけど。
声が、出ない。
動けない。
まるで、自分の心に縛られた様に。
何を、望んでいるのだろうか。
何を、求めているのだろう。
自分は。自分は。
頭が、混乱しかけたその時。
「プッ」
吹き出す、声。
「アハハハハ。やだなぁ、そんな深刻にならないでよ」
ケラケラと笑う、セルシア。ポカンとしていると、目尻の涙を拭きながら言う。
「そんな深刻なモンじゃないよ。コレ。溢れるのは、本当に上っ面。好きな人の事じゃなくても、そん時一番考えてる事が、出る。例えば、それが夕食の事なら、『今晩はサーモンのムニエルが食べたいなー』とかがね」
あ、何だ。ちょっと、ホッとする。
「ちなみに、変な副作用とかもないから。確認済み」
確認? どうやって?
「カレナに飲ませた」
ちょ! 最愛の恋人にサラッと何してんの!? そう言うトコだよ!? そう言うトコなんだよ!? アンタは!
「大丈夫大丈夫。ほら」
そう言って、指に乗せていた蜜をペロリと舐める。
「ね」
笑う顔に、溜息。全く、この娘は。
「という訳で、コレ」
ドサッと、卓に置かれるバスケット。中には、同じ小瓶がいっぱい。何じゃ、こりゃ。
「あはは。これ、精製するのに大量に煮込まなきゃいけなくてさぁ。こんだけ出来ちゃって。部屋空けるのに、保存しとく場所もないから。他の皆に配るとかして、さばいちゃって」
……要するに、在庫処分じゃないか。全く、調子がいい。
面倒だったら、捨ててもいいとの事。困ってる様だし、引き受ける。帰ろうとした所で、ふと興味が沸いた。
さっき、カレナに飲ませたと言ったけど。彼女、何を漏らしたのだろう。下世話の様な気もするけど、まあ手間賃と言う事で。
訊いた途端、セルシアの顔から色が消えた。持っていたカップが、ピキリと軋む。
「……推し……」
え?
「推しの同人作家の新刊と、推しの造型師の新作フィギュアと、推しの漫画と絵劇の話、丸一日聞かされた……」
……ブレないな……。あの娘……。
「……覚えているがいいわ、カレナ……。このわたしより推しなんぞを優先させた罪、今度ベッドの上でガッツリ教えてあげる……ハッ!」
我に返ったらしい。真っ赤になって、沈黙する。そう言えば、さっき一滴舐めてたっけ。
「……忘れて。ね?」
目を泳がせながら、懇願。うん、忘れる。親友の夜の秘め事なんて、知りたかない。
寮を後にして、中庭を歩く。摘んだ小瓶。日にかざすと、キラキラ光る。
さて、どうしようか。言われた通り、捨ててしまうのが簡単なのだけど。
考えていると、後ろから声が聞こえた。
心臓が、跳ねる。
揺れる小瓶。中の蜜が、妖しく揺れる。
ああ。
自分は何を、求めているのだろう……。
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●
私は夜。私は闇。
そのように創られた。そうあれかしと定義された。
異議はない。異和もない。
それでいい。
大陸の一部を任された。私が住処と定めた其処に、二度と陽は昇らなかった。
それでいい。
この暗さを頼りとする者はいる。眩い陽射しではなく、星月の幽かな明りに縋る者がいる。私はその者たちのためにある。その者たちを守るために存在する。
長いときが流れた。
雲ひとつない真冬の夜空のように澄んでいた精神が、徐々に濁っていくのを感じていた。
これがなにか、私は『識って』いる。
人の心。ここに身を寄せる者たちの感情。
憎悪があった。
憤怒があった。
悲嘆があった。
哀切があった。
孤独があった。
嫉妬があった。
負の感情が私を穢す。
それでもいい。
私がなすべきことは変わらない。私はこの地の守護天使。お父様にかくあれかしと定義された、翼と光輪を持つ神の使徒。
常闇に手を伸ばした、すべての人類に希望あれ。
そこに至るまでに負う瑕疵は、私が担う。
「天使様?」
陽光を退けたがゆえに、一年を通してひんやりとしたこの場所が、ひと際冷えるようになる冬のある日。
丘に佇む私を見て、その者は問うた。
いつもならその時点で姿を消すのだが、真ん丸に見開かれた目が今宵の月を想わせて、気づけば頷いていた。
「わ、すっごい。初めまして!」
「……初めまして」
最近やってきた移民のうちの誰か。
蝙蝠の羽のような耳の先まで興奮で紅潮させて、まだ幼子に見える人類は一歩、私に近づいた。
逃げよう。
思った矢先、袖を握られた。
「行かないで! もうちょっとだけお話ししよ!」
「話すことなどない」
「天使様に会ったこと、誰にも言わないから!」
だからと幼子は必死に願う。
少し前から私の体の内側では闇よりも黒く粘ついたなにかがぐるぐるしていて、いつも頭にかすみがかかっているようだった。
そうでなければ、人類と向きあうなどという酔狂な真似はしなかっただろう。
「やった!」
浮かべられた笑顔が眩しくて、目を伏せる。
「この地がずっと夜なのは、天使様の力?」
「力ではなく、性質」
「僕たち、ヴァンピールっていうんだ」
「そうか」
「ずっと遠い土地からやってきたんだよ」
「そうか」
「国を作るんだって」
「そうか」
「天使様、守ってくれる?」
「お父様がそれを望まれるなら」
「僕の名前はセレナーデ。天使様は? 名前ある?」
「……ニュクス」
「ニュクス様!」
セレナーデが笑う。
土産だと渡された焼き菓子の包みを膝に置いたまま、私は不思議な思いで幼子を見る。
内側の暗黒は今にもあふれそうだった。
あふれれば、衝動のままにこの子どもを殺し親族を殺し友を殺すだろう。
それで――いい、はずが、ない。
「ニュクス様、お花って知ってる?」
「知識として」
「ここには太陽がないから、咲かせるのは難しいんだって」
「そうか」
「……見たい? お花」
答えられなかった。
なのにセレナーデは自身に満ちた微笑を浮かべて、勢いよく立ち上がる。
「じゃあ、僕が作ってプレゼントするよ。常夜の国で咲く、とってもきれいなお花!」
時間が流れる。
私という存在が塗りつぶされていく。
お父様。お父様。一緒に創られたきょうだいたち。
私は――なぜ――つくられ――ひとが、にくい。
にくい。ころしてしまおう。すべてのこらず。こんなせかいいらない。しっぱいだ。げーむはおしまい。
それで、いいのか?
「久しぶり、ニュクス様」
――お前は誰だ?
「やっとできたんだ。見て」
――男。やつれた顔をしている。もう先は長くないのだろう。
手には小瓶。私の視線がそちらに向く。白い花。
「月輝花。陽の光の下ではすぐに枯れてしまう、夜の花。月と星の光で開く、この国だけの、貴女だけの花」
――手に持っていた袋の中身を、男があたりにまき散らす。恐らく、この花の種だ。
「じきに芽吹くよ。これと同じ花が咲く。貴女の土地で、僕たちのこの丘で、花は開く」
――私は、お前を、知って、いる。
「種をとることはできるだろう。町中に植えることもできるだろう。でも決して摘めない。貴女がここから離れられないように、この花もどこにも行けない」
――笑う。男が笑う。愛しそうに笑う。切なそうに笑う。月のない夜の中でそれはあまりに眩しくて。
「貴女に全て、捧げます」
感情があった。
あらゆる感情が私の中にあった。
邪念だった。
絶望だった。
猜疑だった。
自尊だった。
驕慢だった。
無垢な愛だった。
瞬く。風が吹く。
眼前の塵をさらっていく。それの元の形を私は知らない。
それでいい。
●
『毒の王』カチーナに感化されたわけではないでしょうけど、と断った上で美貌の妖精は言葉を続けた。
「シャドウ・ガルテンに守護天使が現れましたわ」
教団本部、作戦会議室。
集められた浄化師の表情は様々だ。妖精は傍らに立つ同族にちらりと視線を投げてから、
「『闇の王』ニュクス。月輝花の丘をご存知の方はいらっしゃるかしら? そこに、現れたり消えたりしていますの」
月輝花。
常夜の国シャドウ・ガルテンにのみ咲く花だ。
夜闇の中、月と星の光を浴び続けなくては開かず、陽の光にあてるとすぐに枯れる。
摘もうとしてもすぐに朽ちるという性質から、土産にもできない。ただし種は運べるため、シャドウ・ガルテン内の花壇などにはよく植えられている。
別名を『セレナーデ』。
月輝花の丘はそれなりの範囲にわたり、件の花が群生している土地の通称だ。
「協力をとりつけられれば、いい戦力になると思いますの。……ただし」
きゅっと妖精は眉根を寄せる。
「どうにも様子が変ですわ。守護天使は人の邪念に触れすぎて、精神を壊している方が多いと聞いています。向かうならくれぐれもご注意くださいませ」
――ひとがくる。
なにか明確な意思を持った人類が。
ころしてしまおう。このくにごと。このせかいごと。
記憶の裏でなにかが閃く。月のような、なにかが。
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教団本部、室長室。
そこでヨセフは、秘密裏に招いたウラド・ツェペシェと話をしていた。
「つまり、教団員家族の保護をして欲しい、と」
「そうだ」
ヨセフは蜂蜜たっぷりの紅茶を飲み、応える。
「本格的に、上層部と敵対するからな。その影響が、教団員の家族に出ないようにしたい。もちろん、浄化師の家族もだ」
「ええ、賛成します」
ウラドは血のように赤いワインを飲み干し、ヨセフに返す。
「シャドウ・ガルテンが今のような状況に成れたのは浄化師のお蔭です。恩を返すためにも、そしてこれからのためにも、苦労は惜しみません。ただ――」
「分かっている。サー・デイムズ・ラスプーチンのことだな」
静かな声で、敵となる相手の名を口にした。
サー・デイムズ・ラスプーチン。
国境や一部地域の支部を担当するヒューマンの室長であり、各地の紛争で功を成した英雄として成り上がった準男爵でもある。
現在は、シャドウ・ガルテンの教団支部の室長として就いている。
カリスマ性があり、普段は物腰柔らかく、すでに60代だというのに卓越した剣技は衰えを見せない。
現代最強の剣士はクロートであるが、彼が名を響かせる前は、最強の座についていた人物。
実力と爵位を以てすれば大元帥も望めるものの、あえて長年室長で収まっている。
それは自らの欲望を満たす為だ。
魔術による臓器再生や他種族の研究、果ては紛争で失った左目への魔女の眼の移植など禁忌的かつ非人道的な手段を平然と行っている。
そのため、ひとつの場所に留まることで、自らの研究の促進と、不法入国者など身寄りのない者を捕らえ実験材料の確保としていた。
「調べれば調べるほど度し難い。もっと早く調べられなかったのが悔やまれる」
「仕方ありません。私の国は、今までが今まででしたから。他国の排斥と隔絶主義。かつての差別の記憶故とはいえ、良いことではなかった。なによりブラフミンである私が――」
ウラドの言葉をヨセフは手で制し、言った。
「今は懺悔の時間じゃない。贖罪がしたいなら未来のために働け。そのために――」
「ええ、分かっています。我が国の教団員及びその家族の安全は任せて下さい。そしてラスプーチンについても、可能な限り協力しましょう。もちろん、貴方が教皇となるための苦労も厭いません」
ツェペシェの言葉に、ヨセフは苦い表情をする。
そんなヨセフに、ウラドは微笑する。
「嫌そうですね」
「当たり前だ。趣味じゃない。だが、そんなことも言ってられん。既に各国の代表者による推薦は目処が立っている」
「ノルウェンディにサンディスタム、そしてシャドウ・ガルテン。聖樹森やニホンも、根回しは済んでいるのでしたね?」
「ああ。聖樹森は、代表者であるアルフ・レイティアとの話が進んでいる。ニホンも、このまま何も無ければ賛同してくれる筈だ。そしてマーデナクキスも、いま起こっている騒動を解決できれば、賛同してくれるだろう。失敗すれば、最悪無政府状態になりかねんが」
言いながら、胃痛を堪えるように眉をしかめる。
「ご苦労が多いようですね」
「そう思うなら、お前もしっかり働け。近い内にアークソサエティ内の大貴族と今後の話し合いをする。お前にも出て貰うぞ」
「構いません。良いワインを手土産に、話をするとしましょう」
くすくすとウラドは笑いながら、グラスに新たなワインを注ぐ。そして言った。
「では、これまで通り、私は動いていきます。もちろん、今回提案された教団員とその家族の保護は、最優先で行います。それで、他の地域は?」
「そちらも大丈夫だ。それぞれ使者を送っている」
ヨセフの言葉通り、各地で話し合いは進んでいた。
「では、オジキ。頼みます」
ノルウェンディ王宮で、ウボーは伯父である国王、ロロ・ヴァイキングに頼む。
「おう、任せぇ。浄化師にゃ、この前のアジ・ダハーカの件もあるけぇの。余計なちょっかい出す奴がおったら、ぶっとばしちゃるわ」
ガハハと笑い、ロロは引き受ける。
「働き場ぁは、アイスラグーンを用意しちょるけぇ。他にも出来るだけ、用意しちょくわ」
「頼みます、オジキ」
こうした話し合いは、他でも。
「分かりました。ヨセフ殿には、承知したとお伝えください」
サンディスタム王宮。王であるメンカウラーは、使者であるセレナに応えた。
「教団員としての席を持つ魔喰器の研究者達や、他にも、国のために働いてくれる者達が居ます。彼らにも協力を頼み、安全な場所を作ります」
「ありがとうございます。ヨセフ室長に代わり、お礼を申し上げます」
「いえ、良いのですよ。浄化師のお蔭で、サンディスタムは好い方向に向かって行けているのです。王宮内の統制も終わりましたし、周辺部族については、貴方達が紹介してくれた青衣の民を窓口にして、連絡網が出来つつあります。もし彼らの元に身を寄せたいなら、そちらに関しても力に成ります」
「重ねて、お礼を申し上げます。そのお考えが、きっと良い未来に繋がるでしょう」
セレナの応えに、頷くメンカウラーだった。
そしてニホンでも、話がついている。
「うむ。構わんぞ」
センダイ藩主の娘であり、現地での投資関係を取り仕切る五郎八は、使者として来たセパルに返す。
「ちょうど、投資で賑やかになって来た所じゃからのぅ。人手が足らぬゆえ、むしろ助かるぞ」
「まったくで」
五郎八に賛同したのは、冒険者ギルドのマスターである吉次郎。
「ヨハネの使徒が金になるんで、色々と人が集まって来てますから。荒くれの冒険者が集まったは良いですが、基本身の回りのことが出来ない人ばっかりですからね。食事処や、他にも生活必需品を商う店の店員は足りないんですよ。むしろ来て欲しいですね」
「人手は、あると助かるわ」
おっとりとした声で言うのは、魔法薬草植物園の園長であるリリエラ。
「浄化師の子達が持って帰ってくれた魔法の植物だけじゃなくて、他にも、色々と育てたい植物があるの。でも、そのためには人手が要るし。身元が確かな人達ばかりだろうし、来てくれると嬉しいわ」
「私の所も、歓迎するわよ」
艶のある声で言ったのは、万物学園の学園長であるナディア。
「ニホンを巡って、見どころのある研究員を捕まえてきたのは良いんだけど、全員生活破綻者なのよね。3食ご飯を食べさせてくれる人がいないと、ダメダメだわ」
軽くため息をつくナディア。
そんなナディアに苦笑しながらセパルは礼を言った。
「ありがとう。みんなが受け入れてくれるなら助かるよ。それじゃ、必要な時があったら、よろしくね」
セパルの頼みに皆は応えるのだった。
こうして根回しも終わり、浄化師の家族を受け入れる下地は整った。
それを受け、ヨセフは指令を発令した。
内容は、危険が見込まれる浄化師の家族を安全な場所に移送し、そこでの生活が巧く行くよう、現地で連絡をつけるというもの。
引っ越し費用については、ヨセフが色々と工作して、教団の費用から出すので心配しなくても良いとのこと。
他にも、現時点でも秘密裏に浄化師の家族は護衛しているのだが、そのことを家族に話し、より護衛の安全性を整えるという内容。
この指令、アナタは、どうしますか?
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何処かの国の、辺境。広い。広い。広野の果て。地図から消され。名すら奪われ。存在の証全てを失った村が、一つ。
時折、一夜の宿。一食の糧を求める旅人や放浪者が訪れる事もあるが、それは皆、夜明けも待たずに逃げて去る。
月の下、かの村は輝きに満ちる。淡く、柔らかく、冷たい輝き。其は、琥珀色。内に、万物の時を閉じ込める、有機の麗石。村の中には、幾つもの巨大な琥珀が転がる。まるで、荒れ果てた墓地に座する墓標の様に。異様な光景。奇妙な風景。
けれど、先の者達が逃げたる理由はそれではない。
彼らの恐怖を喚起したモノは、かの輝きの中にある。淡く煌くそれの奥。深い樹蜜色の奥の、奥。奇妙に歪んだ、影が一つ。目を凝らさば、夜闇の中でも見て取れる。
――人――。
恐怖に目を見開き。苦悶に身を歪め。絶望の叫びを放つ、人。
服装から察するに、恐らくは数世紀も前の人間。けれど、その肌は瑞々しく。血の色が通い。明らかに、『生きて』いた。
故に、悍ましく、恐ろしい。
神代の蠱虫をそうする様に、人を閉じ込めた琥珀の結晶。転がる。幾つも。
幾つも。
幾つも。
幾つも。
幾つも。
恐らくは、老若男女。全ての村民を幽閉せし麗石の煉獄。
識ある者は、恐れと畏敬を込めて其を唱う。
――『永世樹牢・千年琥珀』、と――。
◆
「何だか、スッキリしない表情だな。まだ気にしているのか? 慟哭龍(あの子)の事を」
琥珀製のテーブル。向い側に座った彼女が、香り良いお茶を注ぎながら言う。
「君達はよくやった。あれ以上の罪過を犯せば、あの子は来世に巡る事さえ出来なくなっただろう。それだけでも、十分な救いの筈だ」
かけられる言葉も、虚しい。立ち上る香気が鼻をくすぐるが、口をつける気にはならない。
「それに、あの子は天に昇り、息子と再会している。もう、慟哭の鎖からも解き放たれた。手配したのがメフィスト(あいつ)で、事を成したのがネームレス・ワン(アレ)と言うのが、どうにも気に入らないところではあるがな」
それでもふさぎ込むこちらを見ると、彼女はフムと息をついて座り、宙を仰いだ。
「こんな話がある」
顔を上げると、彼女は黙って聞けとでも言う様に目で促す。
「随分と昔の話だがね、ある国のある村に、一組の家族が住んでいた。男が一人に連れ合いが一人。そして、娘が一人の三人家族だ」
何かを思い出す様に、語る顔。それは、今までにない程に優しくて。まるで、話の腰を折る事は酷い罪の様に思えた。
「裕福ではなかったが、仲が良くてね。特に娘は優しい子で、将来は病理学者になってアシッドを無毒化する方法を開発するんだと息巻いていた。まあ、幸せと言って間違いのない日々だったよ。けれど……」
声の調子が変わった。
「その娘に、魔女の疑いがかかった。魔女狩りの事は、知っているだろう? 当時は、殊更激しくてね。人民の安全と言う正義の元に、魔女も、そうでない者も、沢山の無辜が殺された。覚えておくといい。正義と言うのは、最悪の毒だ。神よりも。欲よりも。深く、取り返しもなく、人を狂わせる。その正義と言う狂気に、村は呑まれてしまった」
紡ぐ声は、酷く冷えている。まるで、さっきまでの親愛が、全て幻だったのではと不安になる程に。
「弁明も、釈明も、乞う事すらも許されなかった。父親は拷問を受け、牢獄で死んだ。娘は母親を守る為に名乗り出て、村人達の手で『私刑』にされた。追いかけてきた母親が見たのは、熱狂する村人達と、屍になってなお引きずり回される娘の姿」
――殴られ。裂かれ。蹴られ。犯され。ボロくずになった、娘の姿だ――。
部屋の温度が、確実に数度下がった。身体中を走る怖気。思わず立ち上がろうとした身体が、凍る。見ていた。冷たい。冷たい。琥珀の瞳。『逃げる事は、許さない』。昏い眼差しが、告げる。
「だがね」
彼女が、言う。
「奴らは、思い違いをしていた」
声が揺れる。
「娘は、魔女じゃなかった」
啜り泣く様に。
「魔女は」
嘲笑う様に。
「母親の方だったのさ」
空気が、冷えていく。
「娘が、願っていた」
何処までも。
「殺さないでと」
何処までも。
「皆を。村人を。親しかった人達を」
何処までも。
「今は、怖がっているだけだから。明日には、皆『ごめん』と言ってくれるからと」
何処までも。
「だから、殺さなかった」
宵闇の様に。
「生きたまま、閉じ込めた」
奈落の様に。
「孤独に。苦痛に。苦悶に。絶望に」
深淵の様に。
「永久に。永遠に。永劫に。終わりなんて、来ない様に」
冷たく。
「一人残らず」
昏く。
「閉じ込めたよ」
闇の奥で、琥珀が笑んだ。
◆
――咎さ――。
最後の言葉。
――どんな理由があろうと――。
――どんな事情があろうと――。
儚く。
――『アレ』を咎とするならば――。
悲しく。
――『コレ』もまた、紛れのない咎だ――。
全てを。
――咎は、償われなければいけない――。
真理を。
――そう――。
冷たい、摂理を。
――いつか、必ず――。
恐れもなく。
――君達は、あの子をその輪廻から解き放った――。
受け入れて。
――十分なのさ。それで――。
まるで。
――『証明』して、あげるよ――。
愛しい子を慰める。
――大丈夫――。
母の様に。
――後悔は、していないから――。
彼女は、笑った。
切なく。優しく。
琥珀の姫は、笑った。
◆
「これはこれは……」
吹き荒ぶ枯れ風の中で、『最操のコッペリア』は呟いた。
「何やら妙な気配がして来てみれば……」
見晴かす先には、妖しく輝く琥珀の村。その中心。
「随分と珍しく、つまらないモノが……」
風の流れが、変わる。大気が、揺らぐ。輝く琥珀の光。その中で生まれゆく、『何か』。
「復讐の女神……その権能……」
光を纏い、広がる六翼。
「生まれ出ずるは、幾時ぶりか……」
白金の手。煌き伸びる長柄の槌。
「断罪の刃。先に見据える罪過は……?」
輝き散らして、広がる大盾。
「ああ、成程……」
見つめる朱い瞳。キュウと細む。
「琥珀の呪い……。琥珀の姫……」
細い顎に手を沿え、思案する。
「放っておけば、子羊達の角を削げますが……」
ニヤリと歪む、口角。
「それは、無粋と言うモノですわねぇ……」
『ソレ』が、六枚の翼を広げる。輝く光輪。弾けようとした瞬間。
「おっと、ですの」
軽い声と共に、浮かび上がる朱い魔方陣。六つ。飛び出した赤光の刃が、『それ』の翼に突き刺さる。
ギシリと軋む翼。次の瞬間、消え失せる。
「枷は付けましたの。時間を上げますわ。子羊達」
クスクスと笑いながら、魔の姫は言う。
「よぅく考えなさいな。目の前の宝石と、果てに実る果実と。まあ……」
歪む笑みは、何処までも愛おしく。
「どちらに転んでも、わたくし達には美味しいですの。ねえ、トール」
転がる哄笑。荒ぶ風が、怯えて震えた。
◆
次の日。教団の監視員が、短い転移を繰り返して移動する『ソレ』を発見した。
送られた映像を見た学者や魔女が、驚愕と共に看破する。
――『アダマス』――。
八百万の神が一柱。『復讐の女神 エリニュス』の権能の具現。その内に座するは、人知及ばぬ神威の産物。
上層部は目論む。神と成り代わる『かの者』に、その力を捧げる事を。失う対価は、取るに足らぬモノなれば。
賢者は信じる。培った絆。若き想いが、決してそれを離さぬ事を。
◆
かつて、『琥珀の墓』と呼ばれた地。
去りゆく巨人の従者。彼の背を見送り、彼女は遥か空を見やる。
守りの虜達は解き放った。境界を歪める結界も解いた。
全ての矛と盾を捨て、彼女は待つ。
『麗石の魔女』と呼ばれた自分。
その罪過の償いと、長き旅路の終わりの刻を。
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教団本部室長室。
これまでと同じく、浄化師に関連する人物についての話し合いがされていた。
「ニホンでの根回しは、現時点で出来る限り、ひとまず終わらせたよ」
セパルの報告を受け、ヨセフは返す。
「助かる。話をつけたのは神選組だな?」
「うん。そこに関わってる子が居るみたいだから、それについてね。あと八狗頭家周辺も、出来るだけ調査しておいたよ。それと――」
「キナ臭い動きがあったので、そちらも調べています」
ウボーの報告にヨセフは返す。
「暗殺未遂と遺体の強奪か」
資料を見ながらヨセフは続ける。
「妙な動きだな。浄化師に関係していなければ良いが……」
思案したあと、話を切り替える。
「他には、ノルウェンディの方は、巧く連絡がついてるんだな?」
「はい。王族に話をつけてありますから、何があっても全面的に協力してくれます」
「分かった。残りの、オクトについては――」
「室長に逆恨みして教団を跳び出した人物が関わっているのは確実ですね」
セレナの報告に、ヨセフは眉を寄せる。
「人数が多すぎて、心当たりがあり過ぎるな。悪いが、あとで資料を作っておいてくれ。少しでも可能性のある人物なら、全員リストアップしてくれると助かる」
セレナが頷いてくれたのを確認してからヨセフは続ける。
「聖樹林も、根回しは終わっているんだな?」
これにセパルが返す。
「うん。カチーナさん経由で、ケツァコアトル様やテスカトリポカ様に頼んで貰っているよ。だから、向こうで用事や会いたい人がいれば、都合がつくよ」
「そうか……あとは、サンディスタムは魔女に向かって貰えるんだな?」
「そっちも話をつけたよ。あと魔女の話で言うと、エフェメラも話がついたよ。大慌てで歓迎の準備してるみたい」
「受け入れてくれるなら、助かるな。となると、残るは貴族関係か――」
「室長」
ヨセフの言葉の途中で、マリエルが頼む。
「その、色々と大変だと思うけど、よくしてあげて欲しいの。手が足りないなら、私も手伝うから」
マリエルと同じようにマリーも頼む。
「お願いします、室長さん。私も、可能な限り力を貸します」
2人の様子にヨセフは苦笑しながら返す。
「心配しなくても大丈夫だ。出来ることは全てするつもりだ。だから――」
ヨセフがウボーに視線を向けると、応えが返ってくる。
「はい。うちの家も最大限動きます。ただ、うちの家は武闘派なので、その、警戒されないかが心配ですが……」
「その辺りもフォローできるように動こう。では引き続き、苦労を掛けるがよろしく頼む」
ヨセフの頼みに、皆は応えた。
そんなやり取りがあった後、ある指令が出されました。
それは浄化師が家族に会えるよう、指令の形で便宜を図るので、希望者は申請して欲しいというものです。
それだけでなく、離れ離れになってしまった家族が居るのなら、その家族を探す手助けをしてくれます。
また、記憶を無くしたりなどで、家族のことが分からない場合は、その記憶を手繰ることから協力してくれるとの事でした。
他にも、今まで関連する指令に参加した者については、そこからさらに何かあれば尽力するとの事でした。
縁と絆を手繰る、この指令。
アナタ達は、どう動きますか?
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東方島国ニホン、トウホク地方。
その地域の雄藩であるセンダイ藩では、浄化師の協力による投資が、幾つか実を結んでいた。
冒険者ギルドニホン支部では、トウホク地方の浪人や妖怪達が冒険者となることで、効率的にヨハネの使徒やべリアルへの対処がされている。
べリアルは浄化師でなければ滅ぼせないが、一時的に無力化することは出来るので、その間に浄化師の助力を頼み駆除することが出来ている。
ヨハネの使徒に関しては、破壊した後の残骸が良い値段で売れるので、今まで災害でしかなかった相手が金脈になった。
ニホンは、ヨハネの使徒の発生源とされる奇跡の塔から地理的に近い。そのため、ヨハネの使徒が無数に来襲し荒廃していた。
だが、金になるとなれば別である。
ヨハネの使徒を倒したあと、体力や武器を回復させることが出来ずジリ貧だったところから――
ヨハネの使徒を倒す→残骸が売れる→お金一杯で飯も食えるし武器も買えて回復→結果、ヨハネ狩りヒャッハー勢発生。
というサイクルが出来たので、好景気が発生していた。
話を聞き付け、トウホク地方以外からも人々がやって来ることで、賑わいを見せると同時に情報を手に入れることもできている。
その流れを加速させるために、各地を興行している化け狸達が口コミで噂を広め、人の交流は加速。
人の流れが増えれば、それに伴い必要とされる物資を他の地域から積極的に買い付けることで、ニホン全体も少しずつではあるが、好況を見せ始めていた。
その物流を担うのが、ドリーマーズフェスで構築された地域ネットワークだ。
各地の名産を集め、あるいはスポーツや武道による交流で生まれた人脈を駆使することで、好況を支えている。
それらとは別に、目立つことは無いが、要のひとつとなるのが、全ての種族が関わることの出来る万物学園『アカデミア』だ。
アカデミアの資本を100パーセント出資した魔女ナディヤ・ドレーゼは、学園に隣接された薬草魔法植物園の園長リリエラ・ワルツと協力して辣腕を振るっている。
やる気と能力さえあれば、どんな種族だろうと拒まない、という学風で人を集めている。
学園は、自由闊達にして混沌の様相を見せていた。
ナディアに言わせると――
「子猫(キティ)達に約束したし、まずは100年、好きになさいな」
ということらしい。
そんな、万物学園理事長であるナディアは、自室の理事長室にて、魔女メフィストをぐるぐる巻きにして捕まえていた。
「ナっちゃん、ひどくないですかー」
「ごめんなさいね、おじさま」
ナディアは、身動きできないように縄で縛って椅子に座らせているメフィストに言った。
「セパルから、見つけたらとりあえず捕まえて、って頼まれたの。それに――」
ナディアはメフィストの膝の上に座りながら続ける。
「うちの保管庫から資材盗むのは、めっでしょ、おじさま」
戯れるように、メフィストのひげを引っ張りながら言った。すると――
「いやー、そりゃダメっすよねー。盗人はダメっすわー」
部屋に居るもう1人。発明家平賀源内は合いの手を入れるように言う。
何故か彼も縄で縛られていた。
「保管庫から金目の物をかっぱらおうとしたのがなに言ってんの」
「うぎゃっ!」
電撃魔法でお仕置きされる源内。
「酷いっすよ姐さん!」
「どこが。今月で何度目よ。今回は、なんで盗もうとしたわけ?」
「博打っす!」
「馬鹿なの?」
「なんでですかー! 必勝法を試そうとしただけっすよ!」
「試しに聞くけど、具体的に何?」
「勝つまで賭けるっす! ってあぎゃぎゃぎゃーっ!」
再度、電撃魔法のお仕置きを受ける源内。
「うう、酷いっす。変な性癖に目覚めたらどうしてくれるんすか」
「ゴミの日に捨てるけど」
「目がマジっすー!」
ばたばた暴れる源内を見ていたメフィストはナディアに言った。
「随分と才能があるみたいですねー」
「……おじさまも、そう思います?」
ナディアの問い掛けにメフィストは返す。
「ナっちゃんが放り出さないのですから、そうなのでしょーう。それにさっきから、探索用の魔術を、こちらに向けてますしー」
「……ひゅ、ひゅ~、ひゅひゅー」
とぼけるように口笛を吹く源内。
これにナディアは目を細め。
「新しい術式を作ったのね。周囲の魔力と同化するほど微弱な魔力で起動する術式。あいかわらず、器用ね」
ため息をつくように言うと、続ける。
「まぁ、いいわ。今回の資材窃盗は許してあげる。その代り、おじさまの手伝いをなさいな」
そう言うと、メフィストと源内を縛っていた縄は生き物のように動き、2人を解き放つ。
「手伝いって、なんすか?」
「それはおじさまに聞いて。何か用があるから、うちの保管庫漁ったんでしょ? おじさま」
これにメフィストは返す。
「ちょっとした借りを返すためでーす。この前、特殊なヨハネの使徒に襲われたのですが、浄化師の子達に助けて貰ったのでーす。そのお返しに、何かしようと思ったのですよー」
「何かって、なんすか?」
「可能なことなら、なんでもアリですねー」
「そりゃまた、雲を掴むような話で。それより、さっき特殊なヨハネの使徒って話してましたが、残骸は残ってますんで?」
「ありますよー」
口寄せ魔方陣で召喚し、源内に破片を手渡しながら続ける。
「幾らかは鎧に加工しましたけど、駆動部とか残ってる部品は多いですしー。大砲とか作っても良いかもしれませんねー」
「……それって、船に取り付けられるようなのっすか?」
「察しが良くて助かりまーす。作ってみませんかー」
考え込む源内。
その横から、ナディアは言った。
「ちょうど良いわ。前にリリエラが、浄化師の子達に頼んで、なんじゃもんじゃ様から貰って帰った植物の件もあるし、頑張りなさいね、源内」
「え~」
「嫌なら、博打の借金の証書、親分達に戻すわよ」
「それは勘弁して欲しいっす!」
土下座する源内。
一方、しれっとその場を去ろうとするメフィストに――
「おじさまも、頑張って」
しっかりと釘を刺すナディアだった。
などということがあった数日後。ひとつの指令が出されました。
内容は、万物学園で行われる研究の手伝いをして欲しいとの事です。
専門的な知識がなくても、アイデアや要望を出すだけで大丈夫との事です。
この指令に、アナタ達は――?
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「だーれかぁー! たぁすけてーーー」
アルフ聖樹森に浄化師らがちらほらと姿を見せていることは、集落の住人たちにはにわかに知れ渡っている今日日昼下がり。
のっぽな円柱の小屋のそばを素通りしようとすると、情けない声で誰かが懇願しているのが聴こえる。
その声をBGMにエレメンツの少女がひとり優雅にお茶をしている。
「エクソシストの皆さんにお話があります」
話を聞きたいのはこちらである。
などと、足を止めたがためにお茶に呼ばれてしまった浄化師の心の声はさておき。
少女は皆の前に立ち、深々と頭を下げた。指先までピシリと制御したその所作からつい目を離せない。
「あらためまして、名をタトルと申します。このたびは急な招集にも関わらず、足を止めていただきありがとうございます。
私は昨日、オープニングスタッフに採用していただきました。勤務先というのはほかでもない、皆さんの目の前にある……こちらの小屋です。
この店は今日開店の予定でしたが、私が到着する10分ほど前に店内でどうやら崩落事故があった模様。森大工の手抜き仕事、本棚の崩壊、店長は下敷き。ええ、おおよそそんなところでしょう」
店内からヨヨヨヨヨと泣き声が聞こえる。
ざっくりな説明を聞いただけだが哀れだ。
「皆さんにわざわざご足労いただきましたのは、ほかでもない、この店の片付けを手伝っていただきたいのです」
タトルが入り口の暖簾をサッとくぐり、誘導する。
のっぽな木の幹の内部をごっそりくり抜いたその高さは森のなかでもなかなかのものだが、なんとその天辺近くまで本棚が作られている。
が、なぜか棚は螺旋階段のように壁にグルッと沿って本が並ぶようになっている。おそらく上のほうに置いた本が倒れ、ドミノ式に全て倒れてしまったのだろう。
床に山積みになった本が今回の『ヤマ』だ。
「なお店内の冊子の8割は店長の日記。0.5割が帳簿と事業計画書。あとは資源ゴミと見受けます」
タトルの言葉に一同が不思議そうな顔をする。
日記とは。
「……お伝えし忘れておりました。店長の日記というのは、ここの主要商品なのです」
「ボクの秘蔵しょっ……小説は捨てないでくれたまえ!」
いまサブリミナルに抗議の声がしたあたりの『ヤマ』がもぞもぞ動いている。あの辺りに『店長』……店主が埋まっているのだろう。
「この森では、皆それぞれが自由気ままに暮らしています。ところが店長はふと寂しくなったのです。『独身気ままでマジサイコーなんだけど、あまりにも孤独死予備軍では? と気づいたウン百歳の夜』。と。
ですので、店長は悩みに悩みぬき、ひとつの答えに至ったのです。『ボクの想いを、読んでもらえばひとりじゃないって気がする!』と。
つまり、店長の日記とは蔵書……読み物・資料として提供される、『貸本』なのです。
……と、この最新の日記に書いてあります」
タトルは手にしていた一冊の本を閉じる。
「ご興味があれば、ええ。皆さんも。本日はタダで読めます。しかしこんなことで時間の無駄をさせるわけにもいきませんので、私が贈り物を用意させていただきました。経費で」
タトルはアルバイト初日とは思えぬ主導権をいかんなく発揮しているが、店主の抗議がこれといって聞こえないということはそのあたりは一任したのだろう。店主の日記を置く代わりに、真新しい手帳のようなものを見せた。
「日記というものは本来多くの場合、やすやす人にお見せするものではありません。ですからこちらは本当の意味で個人の物として。鍵つきの、秘匿性を重視した日記帳です。
差し上げられるのは一冊だけなのですが、鍵は2つまでお渡しできます。パートナーの方と使うか、お一人で管理されるか、あるいは他の用途も。そのあたりは、お任せいたします。
さまざまな文化を見聞きしたエクソシストの皆さんであれば、きっと上手く使えるでしょう」
どこまでも淡々とした物言いだが、店に対しても、浄化師に対しても、彼女なりにそれぞれの筋を鑑みた一連の提案となっている。
バイト初日だというのに、働きすぎではないだろうか。
すっかり冷めてしまった紅茶に気付き、タトルはティーポットを手に立ち上がった。
「私も、まだ右も左もわからない身ではあります。ーーしかし、本日出勤してしまった以上は、日割りででもお給金をいただかないと」
こちらに背を向けた彼女の声の強かで、揺るぎないことよ。たとえこの店がこのまま潰れたとしてもなんとかなりそうだと浄化師たちは心配の矛先を変えた。
災難、もしくは試練と呼ぶべきか。
この店の命運がどちらに転んでも、この淡白で損得勘定にシビアな少女の困りごとの解決になるのであれば、十分手を貸す理由になるーーかもしれない。
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町外れにあるガゼボの前に一人、取り残されたように少女は立っていた。
「あの子、傘も差さずにどうしたのかしら?」
時折、そう言った声が聞こえてくる。
しかし、それは雨音とともに掻き消え、喧騒の中に沈んでいく。
「おかあ、さん……」
雨に霞む町の夜景を眺めながら、少女は恐怖で立ち竦んでいた。
それは目眩にも似た心の揺らめき。
足下から全てが崩れ去ってしまいそうな不安。
どこまでも転がり落ちてしまいそうな、拠り所の無さ。
夜風に吹かれ、消え入るようにつぶやかれるのは、抑揚のない言葉。
「ごめんなさい。ごめんなさい。コルク、お母様の言い付けどおり、カタリナ様の力を取り戻すための生贄になります。頑張って、お母様の役に立ちます。だから、おかあさん、生き返ってー」
少女は何度も何度も、懺悔の言葉を繰り返す。
その異様な光景を前にして、町の住民達は独りぼっちの少女に対して、手を差し出すことさえできなかった。
その時、指令帰りのあなた達は、少女に気付き、声をかける。
「どうかしたのか?」
「あ、あなた達は――」
あなたに話しかけられたことにより、少女は自分の迂闊な発言に気づいて、その場から逃げ出した。
「おい!」
「待って!」
咄嗟に、あなた達は遠くなる少女を追う。
どうして、声をかけただけで、少女は取り乱したのか。
どうして、彼女は懺悔の言葉を繰り返していたのか。
あなたの脳裏に浮かぶのは、疑問ばかり。
「ついて来ないでー」
「――っ!」
その時、少女は持っていた薬品の一つを、あなた達に向けて放り投げる。
薬品の瓶が割れた途端、あなた達の周囲は深い霧に包まれた。
靄がかかったように、視界が白く塗りつぶされていく。
身体の感覚も薄れて、まるで微睡みに落ちるようだった。
遠くなる意識の中、泣きそうな少女の声が聞こえてくる。
「カタリナ様の力が戻ったら、コルクのおかあさんは戻ってくるの。だから、あなた達は、コルク達の邪魔をしないでー」
儚く消え入りそうな声と共に、あなた達の意識は闇へと落ちていった。
●
「……っ」
「大丈夫?」
次に目が覚めたその時、幼さが残るパートナーの声が聞こえた。
意識が覚醒する微かな酩酊感は、直後に感じた違和感によって一瞬で打ち消される。
先程まで町にいたはずなのに、あなた達はいつの間にか森の中に倒れていたのだ。
「ここは?」
目覚めたあなたは身体を起こして一度、ため息を吐くと、安堵の表情を浮かべているパートナーに尋ねる。
「分からない。ただ私達、子供の姿になっているみたいなの」
「なっ!」
パートナーに指摘されて、あなたはようやく自身の身に起きた変化に気づいた。
いつの間にか、十歳くらいの年齢へと若返っている。
その時、何者かが近づいている気配を感じて、あなた達は身を固くした。
すると、静寂が舞い降りていた空間に、ほんわかと和んだ空気が流れる。
森の奥から、十歳くらいの少年と少女が姿を現したからだ。
「そこに誰かいるのですね」
「――君は?」
彼女は目の前に立つあなた達を見ると、穏やかに微笑んだ。
「私はカタリナですわ。こちらはイヴル。もしよろしければ、あなた達のお名前をお伺いしたいのです」
「――っ!?」
彼女は――カタリナは両手でドレスの裾を摘まんで優雅な礼をする。
彼女に付き添っていたエレメンツの少年――イヴルは少し警戒するように、あなた達のことを見つめていた。
幼い頃のイヴルとカタリナとの邂逅――。
何もかもが理解不能のまま、全く予想外な方向に話は進んでいた。
誰もが何かを背負い、胸に抱えて戦う。
それは、他の誰にも理解されない願いなのかもしれない。
それでも、本人にとっては大事な想いに違いない。
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ヨセフは、機械都市マーデナクキスの王であるエアと内通していた教団員を呼び寄せ言った。
「マーデナクキスとのやり取りは丸投げするから頑張れ」
「……え?」
ヨセフの言葉に、内通者の1人、マリン・ネクタールは掠れた声で返した。
「本気、ですか……?」
「当たり前だ」
ヨセフは即座に返す。
そしてもう1人の内通者に向け言った。
「そういう訳だ、アーサー・エクス。パートナーと共に頑張って貰うぞ」
「……正気ですか?」
「お前、マリンより酷いぞ」
心外だと返すヨセフに、かつてブリテンで高い地位を得ていたアーサーは応える。
「僕達が今、どういう状況なのかは知っているでしょう」
「教団に嵌められて奴隷じみた扱いをされていることなら調べた」
ハッキリとヨセフは言った。
「実力と人気がありブリテンで高い地位を持っていたお前を教団上層部が危険視し、勝てる筈もない戦力差の奇跡の塔に送り込んだ挙句に、敗走の原因だと断定し責任を取らせ、何かあれば上層部の一存でいつでも処刑できるようにしている。間違いは無いな?」
「……そこまで調べたんですか……なら、僕達に関わらない方が――」
「断る」
アーサーの言葉を断ち切り、ヨセフは言った。
「お前は、クロートと一緒にディナを、妹を連れて帰ってくれた。そのお蔭で、俺はあいつの死に際に逢えたんだ。感謝している。そのお前を、放っておく気はない」
断言すると、次いでマリンにも言った。
「マリン、お前も同じだ。始まりのマドールチェ達を作り出すために、ブリテンの子供達を誘拐し材料にした。そんな他人の罪を被せられたお前を、放っておく気はない。それに――」
ヨセフは労るような声で言った。
「エアと内通していたのは、始まりのマドールチェ達を助けたかったからだろう? そんなお前を、責める気はない」
言葉を返せないでいる2人にヨセフは続ける。
「エアからの書簡で状況のあらましは理解した。解決するためには人手が居る。お前達の力が必要だ。頼む」
真摯に頼むヨセフに、2人は決意するような間を空け応えた。
「その言葉が真実なら、僕達の力の及ぶ限り力を貸します」
「命の続く限り、助力します」
「そうか。なら、まずはお前達に掛けられている死刻魔術の解除からだな」
死刻魔術。
それは相手の同意が必要になるが、いつでも掛けられた相手を殺すことが出来るようになる、条件付き発動型の魔術。
アーサーは奇跡の塔から戻り重傷が癒えていない時に、マリンはアーサーを人質にされている状況で、即時処刑を逃れる代わりの条件として、当時の教団上層部に掛けられた物。
奴隷に刻まれるスティグマと同様、直接肉体に魔術により焼き付けられるため、死亡でもしない限り消えることは無いと言われているが――
「サクッと解除しちゃうから大丈夫だよ」
同席しているセパルが言った。
「とりあえず、あとで発動防止の魔法を掛けた上で、念のためにボク以外の魔女にも協力して貰って解除するよ」
「という訳だ。だから自分達の身の安全は心配しないで良い。お前達を護るのはこちらの仕事だ」
そこまで言うと、これからのことを説明する。
「エアとの折衝の窓口は、そちらに任せる。始まりのマドールチェ達は、マリンを信頼しているからな。エアの書簡でも、お前たち2人を気に掛けて欲しいと書かれていた。お前たち2人が尽力してくれれば、マーデナクキス政府との正式な交渉が出来るようになるだろう。問題は――」
「オッペンハイマーですね」
マリンの言葉にヨセフは頷く。
「ああ、そうだ。書簡に書いてあったが、マーデナクキスでかつて叩き潰した筈の『戦闘人形計画』の残党を全滅させるためと、『戦闘人形計画』が再燃したことを知り過激な行動に出ようとする同胞を抑えるために地下組織を作り、秘密裏に活動するために姿をくらませたようだな。『戦闘人形計画』で生まれた『ドールシリーズ』と呼ばれる者達と共に行動しているらしいが」
「はい、その通りです」
マリンはヨセフに返す。
「エア達、マーデナクキス政府は、他にしなければならないことのために余力が無いんです。だから、自分達に地獄を見せた筈の教団に、助けを求めているんです」
「分かっている。その為の力を惜しむ気はない。まずは、オッペンハイマーと個人的に交流があった人物から話が聞けるよう、教団に来て貰えるよう連絡した。浄化師にも迎えに行って貰っている」
「それは――」
「シャルル・クリザンテム。マドールチェの原型となる、人体と機械の融合技術であるサイバネティック・オーガニズム。略式でサイボーグと呼ばれる物の提唱者のひとり。マドールチェの惨劇後に、生きた人間を使わずにマドールチェを生み出す技術を、オッペンハイマーと共に確立した者達のひとりでもある」
ヨセフの語ったことは事実だ。
マドールチェは本来、怪我や病気で失った人体の補完や、死を免れない者を生かすために、人体の代わりに機械を使って生存を図る技術として提唱された。
けれど過去の教団は兵器転用を目論み多数の実験を行い、成功しないことに業を煮やした研究者がブリテンから子供達を多数誘拐。
子供達を材料にし魔術と併用することで成功させ、それにより生み出したマドールチェを危険な場所に投入し、次々遣い潰した。
その後、始まりのマドールチェ達は研究員を皆殺しにして、マーデナクキスに渡り国を作ったのだ。
その事実を知り、けれど公表することは出来ずにいたシャルル・クリザンテムは、ブリテンの教団支部に向かっていた。
(ようやく、公表出来るかもしれない)
シャルルは、はやる心を抑えられず教団に向かっていた。
浄化師が迎えに来てくれることは知っていたが、とてもではないが居ても立っても居られなかったのだ。
(彼らの苦しみを、ようやく伝えられる)
シャルルは善人である。マドールチェの真実を知りながら何も出来ないでいる自分が歯がゆかった。
けれど機会が巡って来た。これを逃す気はない。
それは彼の善性ゆえである。
だが悪意はそこに食らいつく。
「こんにちは。シャルル・クリザンテムさん。私達と一緒に、来て貰えませんかねぇ」
ねとつくような声で、人形遣いは言った。
「貴方は?」
突如立ちはだかる人形遣いに、シャルルは立ち止まる。
場所はブリテンの街中。大勢の人々が居る中で人形遣いは何人もの手勢に命じる。
「捕えなさい」
20人以上の配下がシャルルを捕まえようとする。
そこに投げナイフが――
「防御陣形! 被害を出さず抑えろ!」
それは秘密裏にシャルルの護衛に就いていた冒険者集団、猛虎の牙。
20名ほどの彼らが迅速に対応する。それに――
「おやおや」
人形遣いは楽しげに笑みを浮かべ、口寄せ魔方陣で次々に低スケールベリアルを召還した。
この状況に、アナタ達は遭遇します。
現場は混乱状態です。
街中なので一般人もいます。
猛虎の牙は、シャルルの護衛をしながら被害を抑えようとしています。
この状況、アナタ達はどう動きますか?
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「ひ、ひぃい!」
闇の中に、歪んだ悲鳴が響く。
昏い。昏い。牢獄の、中。彼が、かつて虜達を縛ったそれよりも、狭く、寒い。
鉄格子の外に浮かぶのは、細く揺れる魔力灯。微かに射し込む糸屑の様な光にすがる様に、壁に張り付く。
「な……何でだ……? 何で、私を……」
答えない。
「『奴ら』か!? 『奴ら』が、自分達に手が回らない様にと……!?」
答えない。
「くそ……くそ! あいつら……散々人を利用しておいて……! そ、そうだ! どうだ!? 助けてくれ! 私をここから出してくれ! 匿ってくれ! 出来るだろう!? 君なら……君ならば!」
答えない。
「も、勿論、報酬は払う! 金も、地位も約束する! 悪くない話だろ!? 知らない仲じゃ、ないじゃないか!?」
答えない。
「………!」
引きつる表情。歪む眼差しから、大粒の涙が溢れる。
「た、頼む……頼む……! 助けてくれ……生かしてくれ……!……死にたくないんだ! まだ、やりたい事が……見たいモノがあるんだ……私は……私は……死にたくないんだ!」
手をつき、額を床に擦りつけて懇願する。硬い煉瓦に擦れた額から、血が出る。けれど、構わない。必死に。懸命に。願う。祈る。ただ、ひたすらに。
しばしの、間。そして。
『……サテ……』
「!」
初めて、『ソレ』が発した声。思わず、上げる顔。
……真っ赤な煌が、間近にあった。
『カノ子ラニ……』
「……え?」
『貴方ハ、ドウ答エタノデショウ?』
「!」
ポタリ。
何かが、床に落ちた。
雫。
赤い。赤い。赤い、雫。
落ちてくる。幾つも。幾つも幾つも幾つも幾つも。丸い、丸い、紋を描く。
流れていた。
目から。
耳から。
鼻から。
口から。
同じ、色が。
湿った音を立てて、肥えた身体が倒れ伏す。
何も、いない。
何も、ない。
深々と注ぐ糸月の中、『ゴドメス・エルヴィス』は。
静かに。静かに。
ただ、絶えた。
◆
「ねぇ、聞いた?」
薔薇十字教団、エントランス。
「何?」
若い、浄化師達が噂する。
「エルヴィス卿がね、死んだらしいよ」
「ええ!?」
流れる声音。
乗せる詩は、とても虚ろ。
「昨日の朝、独房で死んでるのが見つかったって」
「死因は?」
「解剖したら、心臓がドロドロに溶けてて。身体の中、血の海だったとか」
「何それ? 病気?」
「違うと思う」
「やだやだ! 変な病気じゃないよね? デス・ワルツの再来みたいな……」
「違うって。デス・ワルツの時の病気はペストだし。他を当たってみても、そんな症状の病気、ないよ」
「本当?」
「本当」
「じゃあ、何?」
「さあ」
答えは、出ない。
◆
パシャン。
響く、水音。
暗がりの中に、二つの人影が沈んでいる。
双子の、蛮刀使い。
ポカリと、開いた口。汚い言葉を吐いていたそこは、赤黒い血溜りで塞がれている。
もう、動かない。自分達が吐き出した濁血に浮かび、チロリチロリと仄影に揺れる。
何処かで、微かな。本当に微かな。羽の音、一つ。
◆
「なあ、知ってるか?」
「何を?」
昼の食堂。共に食事を取る浄化師達が交わす。
「例の事件、雇われてた双子が死んだってよ」
「マジで?」
料理を口に運ぶ手が、ピタリと止まる。
「一昨日、親玉が死んだばかりじゃん。って言うか、ひょっとして……」
「ああ、同じ死に方だと」
聞き手の少年が、眉を細める。
「まさか……口封じか!?」
「当然、お偉いさん達もその線は考えてるさ。けど……」
話し手の指が、下を向く。
「監獄があるのは、本部(この)『下』だぞ?」
『だよなぁ……』と頷く声。
「知ってるだろ? 地下監獄の入口には常時上級の先輩ペアが番に立ってるし、幾つもの不干渉魔術や侵入防止結界が張ってあるんだ。外部から侵入なんて、まず出来ないぜ」
「だよなぁ……」
う~むと唸りながら、フォークに刺した料理を口に運ぶ。運んだ所で、固まった。
「どうした?」
訝しげな顔をする相手に、彼はフォークを咥えたまま言う。
「なあ……」
「ん?」
「もし、犯人が教団内にいたら……?」
「え……?」
「教団の中に、手引きしてる奴がいたら……?」
「裏切り者が、いるって事か?」
「ああ……」
「………」
「………」
しばしの沈黙。引きつった笑いが漏れる。
「は、はは。まさか。ベリアルとの戦いも佳境に入ってきてんだぞ。そんな時に、いくら何でも……」
「だ、だよな。こんな時に教団が……人間同士が、そんなんじゃあ……」
は、ははは……。
いつまでも続く、乾いた笑い。
冷めた食事。
答えは、出ない。
◆
「……終わり、なんだ……」
誰もいない、冷たい部屋。横たわる、獣人の女性。
「何だった……の……? 私は、何だったの……」
泥濘の様に、ゴボリゴボリと鳴る細い喉。視界を覆う、真っ赤な闇。
「教えて……ねぇ……教え、て……よ……」
すがる手を、何かが取る。細い細い、枯れ枝の様な。
「ああ……」
赤い流れの中に、透明な雫。一筋。
優しく。愛しく。
溶けて、崩れた。
◆
「昨夜、収監されていた、『テナ・ティエレン』が殺害された」
「……ゴドメス卿のボディーガードをしていた方、ですね……?」
「そうだ。そして『デニファス・マモン』の、『共犯者』でもある」
昼過ぎの薔薇十字教団本部。その一室。班長の職務にある男性と、一人の女性が対峙していた。些か西に傾いた日差しが射し込む窓。その中で、瞬きもせずに佇む彼女に向かって、男性は言った。
「これで殺害されたのは、『ゴドメス・エルヴィス』、『デミアム兄弟』に続いて四人目。そして、当案件の当事者はデニファス一人となった」
「……『殺害』、なのですか?」
「それしか、考えられない」
悲しげに顔を伏せる女性。彼女に向ける目を細め、卓上で腕を組みながら男性は問う。
「心当りは、ないか?」
伏せられていた顔が、上がる。漆黒の瞳。けれど、それが像を結ぶ事はない。
「君は、デニファスの『パートナー』だ。何か、知っている事は?」
「……ございません。デニファスは、彼はやつがれを認めてはくれませんでした。自分に関わる事は、何も……」
悔しげな、そして悲しげな声。男性は、溜息をつく。
「分かった。戻っていい」
「……申し訳、ございません」
一礼して、扉に向かう。と、その足が止まった。
「班長」
「何かね?」
「もし……、もしやつがれが『この様』でなければ、彼はやつがれを必要としてくれたでしょうか……? やつがれは、彼を止める事が出来たでしょうか……?」
少しの間。男性は、言う。
「関係ない。ああなったのは、あくまで奴の問題だ。君に、責任はない」
「………」
また、少しの間。そして、彼女は願う。
「デニファスに、護衛を付けるのでしょう? なら、やつがれもメンバーに」
「君を、裏切った男だぞ?」
「お願い、いたします」
「……分かった」
その言葉に、安堵の息一つ。礼を言い、彼女は部屋を出て行った。
見届けた男性が、椅子に身を委ねる。煙草を、一本。深く吸い込み、吐き出す。
「これで、『五度目』か」
揺蕩う白煙を目で追いながら、呟く。
「報われないな……。『光帝・天姫(みつかど・あき)』……」
◆
退出した天姫は、廊下を歩きながら思いを馳せる。本の束の間、絆を結んだ筈の彼に。
すれ違う浄化師達。睦みあっているのだろうか。楽しげな声が聞こえる。耳を傾け、微笑む。
意識を少し、外へ。
遊ぶ子供達の声。
流れの演奏家が奏でる、樂の音。
真っ白い視界。見えない世界。確かな鼓動が、穏やかに彼女を癒す。
「ああ……」
小さく。小さく。紡ぐ。
「世界は、こんなにも、優しいのに……」
聴く者も。答えてくれる者も、いない。
光を映さない瞳。ユラリユラリと、孤独に揺れた。
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