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太陽が沈みかけている夕暮れ時――一組の浄化師が街に戻るべく山の中を歩いていた。
つい先ほど、とある指令を終えた二人は一秒でも早く疲れた体を癒そうと速度を速める。
雑談をしながら歩く二人は、ふと周りを見た――どうやら霧が出てきたらしい。
そこまで濃くはないが、山の中で霧というのは何やら嫌な予感がする……けれど足を止めるわけにはいかず、二人は歩き続ける。
しかし霧はそれに応えるように、その濃度を高めてきた。
そしてついに、ほんの一寸先でさえ見ることが難くなるほどの濃さになった。
濃霧のお陰で隣にいるパートナーの姿は見えず、なんとなく近くにいるということしかわからない。
それほどの濃さ……なるほど、はぐれる可能性は非常に高い。
山の中ではぐれてしまえば、再会するのにかなりの時間がかかってしまう。
そうならないために、二人は互いの名前を呼んで自分の居場所を知らせることで、前に進む。
しばらく歩き続けるが、しかし一向に霧は晴れない。
浄化師は思う――この霧はどこまで広がっているのだろうか、と。
極端に視界が悪い状況で、もし何かに襲われでもすればひとたまりもない。
一秒後には自分の命はないかもしれない……そう不安を抱く浄化師だが、首を横に振ってその考えを消し去った。悪く考えるなと。
そして再び前を向く――すると視線の先には何やら人影のようなものが浮かんでいた。
霧のせいで輪郭しかわからないが、恐らくはパートナーのものに違いない。
そう思い、近づくとやはりその人影はパートナーのもので、こちらに背を向けていた。
遅れてしまった、とパートナーに近づく浄化師に、だが突然悲劇は起きた。
目の前にいるパートナー――その体から大量の血が飛び散ったのだ。
まるで何者かに鋭利な刃物で斬られたかのような、刹那の出来事……攻撃を受けたパートナーはうめき声一つ上げることなく前から地面に倒れた。
「――――」
それは突然の、僅か一秒にも満たない一瞬の出来事。
倒れたパートナーの体からは血が流れ出て、赤い池を作り始める。
その二つを見ても思考が追い付かない浄化師は無意識にパートナーに近づき、その体を揺らす――質の悪い冗談はやめろ、とそう言いながら。
だが手から感じるのは冷たくなったパートナーの体。
その感覚を味わったことで、浄化師はようやく状況を理解し、そして口を大きく開けて叫んだ。パートナーの名を……。
■■■
――行く手を霧に阻まれたものの、何とか無事に霧から抜け出したもう一人の浄化師。
同じように霧の中に入った相方がまだ出てきていないということは、どうやら霧に遊ばれているらしいようで。
浄化師はしばらく待つことにした、が。
ようやく来たのは相方の姿ではなく、自分の名前を叫んでいる相方の声。
まるで泣き叫ぶようなその声は明らかに異常なもの。
それを聞いた瞬間、浄化師はその声がする方向に駆けだしていた。
一体何が起きたのか、それを確かめるために……。
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サンディスタム。
ナイル川や幾つかの肥沃な場所を除けば、砂漠とオアシスが点在する国だ。
その地理的条件から、オアシスがある場所に街や村が出来るのは必然である。
大規模農業を行うことが難しいことから、商業に力を入れていることも珍しくない。
そうした中には、街と街を繋ぐ経路の宿場として成り立っている所もある。
今、終焉の夜明け団が暗躍している街も、そうした宿場街だった。
「魔方陣の設置、終わりました」
街の外れにある人気のない荒地。
ナツメヤシの木ぐらいしか見る物が無い場所に、砂漠の民に服装を偽装した終焉の夜明け団の1人が報告に訪れる。
報告を受けたリーダー格の男は返した。
「ご苦労。これで、あとは魔方陣が周囲の魔力を集め、自動的にエリクサー生成の術式が発動する」
「今回の規模でしたら、2週間ほどですね。ならば、あとは」
「可能な限り多くの人間をこの街に引き寄せ、発動時期が来れば逃がさないようにするだけだ」
「では、そのように。これから他の信者に連絡をしてまいります」
そして連絡のため、この場を離れようとした時だった。
「そこまででーす!」
ナツメヤシの木の天辺に現れたカイゼル髭の男が高らかに声を響かせる。
「貴方達の悪事は、全部お見通――」
「撃て」
言い終るより先に、思いっきり炎の魔術を叩き込まれるカイゼル髭男。
「熱いでーす!」
全身を炎に包まれ木から落下。
鈍い音をさせながら地面に激突すると、ごろごろ転げまわる。
「燃える燃える燃えるー! こんがりローストでーす!」
見た目は大惨事だが、余裕のある声をあげるカイゼル髭の男、魔女メフィスト。
そこに追加で攻撃魔術を叩き込もうとした終焉の夜明け団の2人は、背後からの攻撃をまともに食らった。
「ジェノサイド・ラブビーム!」
「ブロークン・ハートアターック!」
アホなのかな? という技名と共に、ハート型の光線が終焉の夜明け団の2人に命中。
「ガハッ!」
「グフッ!」
不意を突かれ、まともに食らい、その衝撃に思わず膝をつく。
だが2人は、魔術で無理やり肉体を強化。
激痛と引き換えに手に入れた膂力を駆使し、攻撃をしてきた相手に身体を向ける。
「誰だ、貴様ら!」
見れば、そこに居たのは2人の少女。
やたらとファンシーなステッキを手に持っている。
「久しぶりだな、ゲイル」
先ほどの攻撃時の声とは違う、それでも愛らしい声で、少女の1人がリーダー格の男に呼び掛けた。
「俺だ。アラゴだ」
「……は?」
思わず聞き返すリーダー格の男、ゲイル。
そして激昂するように言った。
「ふざけるな! アイツは俺と同じ30過ぎのオッサンだぞ!」
「……その反応は当然だが、どうしようもない事実だ。この呪いのステッキのせいでな」
そう言って、手にしたファンシーなステッキを向ける。
するとステッキが抗議した。
「呪いのステッキじゃないですー!」
「ラブリーなマジカルステッキですよー!」
先ほどハートマーク型のビームを放った時と同じ声で、ステッキ達は可愛らしい声を上げた。
これに驚愕するゲイル。
「自我を持った魔術道具だと……!」
「違う」
反論の声はゲイルのすぐ近くで。
「魔術ではなく、魔法道具だ」
声の主が誰か、ゲイルが探るより速く、重い一撃が顎を撃ち抜く。
「ゲイル隊長!」
脳震盪を起こし倒れ伏したゲイルに、残ったもう1人の終焉の夜明け団が声をあげる。
次いで襲撃者に対処しようとするが、それよりも速く放たれたハイキックが顎を撃ち抜く。
ゲイルと同じように脳震盪を起こし気絶した。
「メフィスト、気絶させたぞ。とっとと魔法で動物にしろ」
「まずは火傷の心配をして欲しいでーす」
転げまわっていたメフィストは立ち上がると、終焉の夜明け団の2人を気絶させた仮面の男の傍に近付く。
「危うくアフロになる所だったでーす」
そんなことを言いながら、焦げ目ひとつない。
「この2人は、とりあえず猫ちゃんにしときますか」
メフィストは指を鳴らし、気絶した2人に魔法を掛ける。
すると子猫になる2人。
「とりあえず、ここに入れときまーす」
そう言うとメフィストは、被っていたシルクハットに子猫姿の2人を放り込み、またシルクハットを被る。
「とりあえず、これからどうしますかー?」
メフィストの言葉に仮面の男は返す。
「エリクサー生成魔方陣を破壊する」
「出来るのですかー?」
「この術式は元々、父と兄達が作った物だからな」
そう言うと仮面の男は、跪き地面に手を当てると魔力を放出。
一定量注ぎこむと、魔力に構成式を流し込み魔方陣へと編成した。
「これで良い。このまま放っておけば、既に構築されているエリクサー生成の魔方陣に浸食して自壊させる」
「大したものでーす。エリクサー生成魔方陣といい、貴方の家族の魔方陣を作る能力はすごいでーす」
「だから、殺されたがな」
淡々と仮面の男は返す。
「表向きは不敬を咎められての暗殺だが、実際は技術欲しさに殺されただけだ」
「強欲なことでーす」
「そのお蔭で、私自身の手で父と兄達を殺さずに済んだのは……運が良かったのかもしれんがな」
仮面の男は、変わらず平坦な声で言いながら、魔法少女姿の2人に視線を向ける。
ものすごく嫌そうな顔をしていた。
「どうかしたか?」
仮面の男の問い掛けに、魔法少女姿の2人は応える。
「これ以上、裏事情を聞かされてもな」
「死後のことも含めて、もう聞きたくない」
「諦めろ、運命だ。それに――」
仮面の男は、言い含めるように言った。
「死後の負債を増やしたくなければ、善行を積むんだな」
「そうでーす。悪いことしたんだからしょうがないでーす。言っときますが、死後の苦痛は、生きてる時の比じゃないでーす」
メフィストの物言いに、魔法少女姿の2人は憎々しげに返す。
「言われなくても分かっている」
「死ねばいいのに」
「おーう。まるでマイドーターに言われたみたいでーす。ちょっと胸キュンしまーす」
「……お前、娘が居たのか?」
胡散臭そうに聞く仮面の男に、メフィストは返した。
「100年ぐらい前から『アイツ』呼ばわりされてまーす」
朗らかに言うメフィストだった。
などというやり取りがあるとは知らないアナタ達は、指令を受け、この街にやってきました。
指令内容は、終焉の夜明け団とみられる人物たちが街で活動していないか聞き込みをして調べることです。
聞き込みが出来る場所は、宿屋と市場です。
これらの場所で有効な聞き込みが出来れば、なんらかの情報が得られるかもしれません。
この指令、アナタ達は、どう動きますか?
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「逃げて」
少女の声を、2人の少年は無言で聞く。
少年の内、1人は半竜のデモン。もう1人は、黒猫のライカンスロープだった。
「今なら大丈夫。誰にも見つからないから」
元気づけるように言う少女に、デモンの少年は尋ねる。
「みんなは……」
「ごめんなさい」
即座に少女は返す。
「逃がしてあげられるのは、貴方たち2人だけなの」
少年に余計な期待をさせないよう、迷いなく応える。
すると、ライカンスロープの少年が言った。
「マリーは……行かないの?」
「出来ないの」
返事は即座に。
そして少女は、彼方を指さす。
「あちらに向って、真っ直ぐに進めば、隣の街に着くから。そうすれば安全よ」
マリーと呼ばれた少女は、少年達の背中を押し、別れの言葉を告げる。
「さようなら。もう、2度と会わないことを願っているわ」
その言葉に嘘偽りは無く、事実だけを述べているように少年達には感じ取れた。
だからこそ、少年たちは村を出る。
2人だけで、隣街を目指した。
2人の姿をマリーは、マリエル・ヴェルザンディは、見えなくなるまで見詰め続ける。
そして2人の姿が見えなくなった頃、艶やかな笑みを浮かべ呟いた。
「いけない子」
胸元に手を滑らせ、誰かに語り掛けるように続ける。
「大事な材料なのに、なんで逃がしたの?」
僅かに、間が空く。
慈しむように目を細め、彼女は再び口を開いた。
「ええ、そうね。似ていたわね、あの2人に」
くすくすと楽しげに笑い、続けて言った。
「大丈夫。怒っている訳じゃないのよ、私のマリー。ただ、不思議に思っただけ。
心配しないで。私だって、あの2人のことは覚えているもの」
そう言うと、村の中央に向け歩き出す。
そして笑みを強めながら言った。
「いいわ、あの2人は逃がしてあげる。だって材料は、まだ沢山あるんだから」
そう、彼女の言う通り材料――エリクサーにするための人間は、まだ大勢いた。
彼らは村の中央に集められている。
元々は、幾つかの家屋があった場所が破壊され更地となり、そこに村人達は集められていた。
全員の意識がない。それはとある魔術道具の効果だ。
魔力防御の低い相手を仮死状態にし保存する。
それを実行した魔術師の男は、近付いてきたマリエルに気付き声を掛ける。
「野暮用は終わりですか? 同志マリエル」
「ええ。気にしなくても大丈夫よ、人形遣い」
人形遣いと呼ばれた男は、ぎょろりと目を動かす。
奇妙な男だった。生気という物がまるでなく、どこを見ているのか視点が定かではない。
だというのに、異様な輝きを目に宿している。
彼は、どこか意趣返しといった皮肉げな響きを込め言った。
「気にはしていませんよ、放浪者のお嬢さん」
「……死にたいの? 私を、その名で呼ぶということは」
「まさか。むしろ、畏敬の念を込めているのですがね。貴女『達』のようなケースは稀ですから。
さすがは、ヴォイド・ヴェルザンディの最高傑作だと、常々思っているのですよ」
「……そこまで言うほどかしら? 実験材料にした実の娘に、殺されるような男が」
「不幸な結末ですね。ですが、彼の御業は貴女の内にある。見事ですよ、この魔術道具。実に良い」
そう言うと、人形遣いは手にした短剣を掲げてみせる。
それは今、村の中央で仮死状態にされている村人達。彼らに掛けた魔術の触媒となった物。
魔力を込め、軽く掠り傷でもつければ、一定期間仮死状態に出来る魔術道具。
「実に素晴らしい。貴女でなければ作れないでしょうね」
「ただ、運が良かっただけよ」
謙遜するのではなく、事実を語るようにマリエルは言った。
「陰気の魔結石。サンディスタムの裏マーケットで出回っていたそれを手に入れられたから、作れただけ」
「材料があっても、才覚が無ければこれほどの物は作れません。その気になれば、量産も出来るのでしょう?」
「材料があればね。でも無理よ。材料となる陰気の魔結石を作れたという坊やは、教団に捕まったみたいだし。どうせ、殺されたんじゃない?」
「生きてますよ。浄化師の才能があったらしく、今では浄化師として所属しています」
「あら、そうなの? じゃあ、捕まえたら、いじってみようかしら」
楽しげに笑みを浮かべながら呟く。
「ご随意に。ですが今はそれよりも、この場での実験に集中しましょう」
「ええ、分かっているわ。私にとっても、必要なことですもの」
「心が踊ります。エリクサー生成魔方陣の起動まで時間は掛かりますが、この術式なら今までにない精度のエリクサーが作れるでしょう。
魔術開祖アレイスター・エリファスに、我らはまた一歩近づけるのです」
「そうかもね。どうでもいいけど」
「相変わらずですね。聞く者が聞けば、不敬と取られますよ」
「なら良いでしょ。私は貴方ほど、嘘をつくのは巧くないの」
「はははっ、誰が聞いているか分かりませんからね。それにしても貴女は、やはり正直な方だ。そしてお優しい。
エリクサーの材料になる人間が苦しまないで済むよう、仮死状態に出来る魔術道具まで作るのですから」
人形遣いの言葉に、マリエルは淡々と応える。
「別に。不要なことはしたくないだけ。材料になって貰う必要はあるけど、苦しめる必要はないもの。そんなのは、非効率よ」
「それは、体験談から得たものですかね?」
にちゃりと、いやらしげに見詰める人形遣いに、マリエルは静かに返す。
「ええ、そうよ。同じ実験台になるなら、苦しまずに済むのが一番よ」
そう言うと、その場を後にする。
彼女の姿を目にしながら、人形遣いは心の中で呟いた。
(死別を恐れるお嬢さん。心配しなくても、いずれ私が2人一緒に、宝石にしてあげますよ。だから――)
「この実験、失敗させるのもひとつの手ですかね」
誰にも聞こえないほど小さく呟くと、くつくつと喉の奥を鳴らすように笑った。
そんなことがあった2日後。
急遽、ひとつの指令が出されました。
内容は、とある村で行われようとしている実験の阻止です。
村から逃げ出すことの出来た2人の少年の証言を受け、即座に斥候が現地調査。
村の周囲を囲むように魔方陣が設置されているのを確認しています。
魔方陣の構成から、エリクサー生成のための物と断定。
魔方陣を構成する要は8か所あり、特殊な魔結晶が、その役割を果たしています。
その内、4か所を破壊すれば、魔方陣は機能しなくなるとの調査結果が出ています。
これを受け、指令内容は次の通りです。
魔方陣発動を防ぐため、要となる箇所に設置してある、特殊な魔結晶を4つ破壊する。
村人達の保護。
終焉の夜明け団の討伐。
可能であれば捕獲。
ただし、魔方陣の破壊と村人の保護が優先されますので、逃げる者まで追う必要はありません。
作戦開始は、午前4時。
これは敵からの発見を可能な限り防ぐためです。
夜明け前の行動になりますが、同行する魔女セパルが暗視の魔法を掛けるので、視認不良の心配はありません。
要となる特殊な魔結晶の傍には、2人1組の終焉の夜明け団が警護に当たっています。
その他の終焉の夜明け団の正確な人数は分かっていませんが、30人程度とみられます。
この指令、アナタ達は、どう動きますか?
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冒険者ギルドニホン支部。
浄化師達による博打により、今ではニホンのセンダイ藩に置かれている。
とはいえ、許可を貰ったというだけ。
諸々に必要な物の手配はしなければならない。
という訳で、色々とあって冒険者ギルドニホン支部の長に就任した吉次郎は、執務室で忙しく書類仕事をこなしていた。
(支部長と言っても、丁稚働きと大して変わりやしませんね)
書類の種類と重要度で仕分けしながら、吉次郎は心の中で呟く。
(こき使われましたが、旦那様の所での働きが役に立つとは。皮肉です)
当時を思い出しながらも手は止めない。
(薬草魔法植物園は……珍しい魔法の植物を手に入れてくれ?
富士樹海迷宮とやらに行けば良いらしいですが、これは浄化師さんに頼まないと)
いま仕分けしているのは、ギルドに舞い込んでいる依頼の束だ。
(他には……万物学園は、講師のスカウトに制服のデザイン依頼。
レストランのメニュー制作のために、海のべリアルを全滅させて欲しい、てのもありますね。
これも浄化師さんに頼みますか)
次々仕分けを進める。
(こいつは……ドリーマーズフェスですか)
要望書の1枚に目を止めた時だった。
「おう! 入るぜ!」
けたたましい声と共に、1組の男女が部屋に入って来た。
「どちらさまで?」
吉次郎は、緊急時用の呼び出し符に手を伸ばしながら尋ねる。
すると、鋭い美貌の女性が返す。
「本日、面会の予約を入れていた、室生マチ子です」
「ああ……ドリーマーズフェスの企画持ち込みを希望された」
呼び出し符に伸ばした手を戻し、マチ子では無く、もう1人の青年に視線を向け続けて尋ねた。
「そちらの方は?」
「鎌倉源だ!」
「……予約をいただいたのは、室生さん御一人だったかと」
これにマチ子は、駄犬を見るような目で源に視線を向けながら言った。
「すみません。連いて来ると煩くって」
「たりめーだ! アイツにばっか、活躍させて堪るかってんだよ! ここは生涯のライバルたる、オレ様の出番だろ!」
「はぁ……」
生返事で吉次郎は返しながら、いま目の前に居る2人の名前を思い出す。
(確か、クロアのジジィが送って寄こした情報に、名前があったな)
それは、ニホンに投資を行ったひとりであるクロア・クロニクル。
彼の伝手である魔女セパルが、昔馴染みだという狸の妖怪達から得たものだ。
(西ニホンで興行をしながら探って得た情報らしいですが……さてさて、こちらから仕掛けてみますか)
吉次郎は笑顔を浮かべながら言った。
「貴方たちは、桂先生と懇意だそうですね」
「テメェ!」
源は、吉次郎の言葉を聞いて詰め寄る。
「なんで桂先生のことを知ってやがんだ! さては先生の命を――」
「落ち着きなさい。駄犬」
スパンっ! と小気味良い音をさせ、マチ子は口寄せ魔方陣で呼び寄せたハリセンで源の頭を叩く。
「なにすんだ! このツリ目女!」
「うっさい駄犬。口で言っても聞かないからでしょ。鞭で打たないだけ喜びなさいな」
源の抗議をさらりと流し、マチ子は吉次郎に言った。
「よくこちらのことを調べていますね」
これに吉次郎は、肩を竦めるようにして返す。
「昨今は危ない情勢ですからね。私みたいなのは情報が命です」
「そうですか。なら私達が、今日ここに来た理由も既に知っているので?」
「推測ですがね」
吉次郎は、部屋に備え付けのソファを勧めながら続けて言った。
「西ニホンの反政府軍2大拠点のひとつ、チョウシュウ藩。
その出身であり、反政府軍とも関わり合いのある桂大五郎。
彼が講師を務める私塾の生徒だった貴方達は、ドリーマーズフェスに反政府軍の人間を参加させたい。
間違っていますか?」
「ええ、その通りです」
マチ子は、隠すことなく素直に応える。
「目的は、反政府軍活動を抑えることです」
「おう! そうだぜ!」
マチ子の言葉を引き継ぐようにして源が続ける。
「反政府軍にはよ、俺らみたいな若いのも居るんだ。そいつらはよ、言っちまえば腐ってやがるんだ。
ヨハネの使徒だのべリアルだの、わけの分かんねぇムカつく奴らのせいで、故郷は荒らされてよ。
夢のひとつも見る余裕もなくて、先がねぇって思ってやがるんだ。
だけどよ、ドリーマーズフェスってのは、夢を叶えるための祭りって言うじゃねぇか。
だったら、そこに参加して、夢のひとつも見せてやりてぇじゃねぇか!」
「要はガス抜きです」
熱く語る源の言葉を続けるようにして、マチ子は言った。
「反政府軍活動なんてものに熱をあげるなら、その情熱を少しでも他に向けたい、ということです。
さらに言えば、東ニホンで投資活動が行われている実例を知らせることで、牽制にしたいという理由もあります」
「そう巧くいきますかね?」
吉次郎の疑念に、マチ子は返す。
「そうなるための第一歩です。少なくとも、東ニホンでアークソサエティからの投資が行われている。
その事実を知らせるのは意味があります」
「……東ニホンの反政府軍と協力して、なんて考えは起こし辛くなる、ってことですか」
「ええ、そういうことです。それに、東ニホンで投資が行われるなら、西ニホンでも行われるのでは?
そう思わせることもできれば、さらに牽制になります」
(それに、あの子みたいに、一度夢を諦めた子にも、夢をみせることの出来る場になれば良いし)
心の中でマチ子は、教団に入る前、編集者だった頃にジュニア文学賞に導いた1人の女性を想いながら呟く。
(夢を諦めたり止めたりしても、また見れるってことを教えてあげたいわね。
文筆一本じゃなきゃ、ダメって訳じゃないのよ。兼業だって趣味だって、夢の形のひとつなんだから)
そう思っていると、吉次郎は苦笑するように言った。
「誰か、親しい人のことでも、思い出されましたか?」
これにマチ子は、少し恥ずかしそうに返す。
「……表情に出てました?」
「ええ、少し」
吉次郎の応えを聞いて、感心したように返したのは源だった。
「すっげー! アンタすげーな! 見ただけで分かるんだ! マチ子みてー!」
「いえいえ、とてもとても。マチ子さんは、森羅万象人間心理を物語として読み解く『人心看破』と呼ばれているそうじゃないですか」
「やめて下さい! その呼ばれ方恥ずかしいですから!」
顔を赤くして返すマチ子。
「支部長が勝手に名づけたんです!」
「んだよ。なんでそんなに嫌がってんだ」
不思議そうに聞き返す源に、呆れたようにマチ子は応える。
「狂犬疾狗って呼ばれて喜んでるアンタと一緒にしないで!」
「はぁ? なんで恥ずかしいんだよ。カッケーじゃんか。マッドドックだぞ、マッドドッグ」
「そんなんだから駄犬なのよアンタは……」
ワイワイガヤガヤ賑やかな2人に苦笑しながら、吉次郎は言った。
「事情は分かりました。では、浄化師さんにも協力を願うとしましょう」
依頼書を取り出しながら続ける。
「ニホンの反政府活動は、原因の一つに海外勢力への不信がありますからね。
直接関わる場を用意すれば、それが緩和される切っ掛けになるかもしれません」
かくして、ひとつの指令が出されることになりました。
内容は、スポーツと芸術の祭典『ドリーマーズフェス』に参加して欲しいというものです。
この指令に、アナタ達は――?
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「皆さんにはテスターとして参加して欲しく……」
東方島国ニホンのとある場所。
『城』と呼ばれる建物の周辺をブラブラと歩いていた浄化師達に、声を掛けてきたのは一人の少女。
『看板』という文字が刺繍された着物を着ているのだが、もしやこれで看板娘とでも言いたいのか。
「私、このお城の近くの甘味処で働かせてもらっている【絶(たえ)】と言います。実は、その甘味処で一つ、やってみようという事がありまして――」
やはり看板娘らしい絶という少女の口から出てくるのは、新たなお客様を呼び込もうとする甘味処の集客の策。
「菓子を実際に作る体験をしていただいて、それをお抹茶と一緒にいただいてみよう、というものなんです」
普段行わない、和菓子作りというものを楽しく体験し、その後で作った和菓子と抹茶を堪能する。という趣旨の企画。
それのテスターになってくれとの頼みらしい。
「和菓子と言っても、比較的作るのが簡単で可愛らしいものをいくつか見繕っていますし、私どもが傍について教えるので失敗などはほとんど無いと思います」
やったことのない体験を提案され、不安の表情をしたことを読み取られたか、絶が少し慌てながら言う。
「さらには、このテスターとして参加していただけると、特典としてお城の月見台でお菓子とお抹茶を食べる事が出来るので……」
そこまでを含めてのテスターなのだろう。
「お月見という風流な行事に、ご自身の作られた和菓子を堪能する、というのはいかがでしょうか? お月見に欠かせない団子はこちらの方で用意致しますので、何卒!」
絶の指さす先にある城を見据えた浄化師達は、静かに頷くのだった。
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雲一つなく、青空が一面に広がり、太陽が地上を明るく照らす何とも気持ちが良い日。
こういう日は意味がなくとも外に出たくなる気分になってしまう。
……だが。
賑やかな街の中で、一つだけ雰囲気が違うものがあった。
それは一人の浄化師の姿――一体どのように雰囲気が違うのかと訊かれれば、それは。
「…………」
怒っている、と答えるしかない。
そう、異様な雰囲気を醸し出している浄化師は今現在、怒っているのだ。それも物凄く。
一体何があった? ――喧嘩したからだ。自分のパートナーと。
何故喧嘩した? ――些細なことがきっかけだ。
――思い返せば、喧嘩のきっかけは本当にどうでも良いことだった。
本当にどうでも良いこと……だから怒っているのはそこではない。
浄化師が怒っているのは、相手の言い分に腹が立ったからだ。
最初はいつも通りの会話だった。本当にどうでも良いことを笑いあっていた。
だが何が引き金になったのか、両者は自分の言い分を押し付け始めた。
向こうも自分も、言い方が気に食わなかったのだろう。怒りを覚え、何度も言い返し始めた。
そうして徐々に興奮していき、最後には激怒するまでになり、二人は喧嘩別れをした――顔も見たくない、と。
故に浄化師はこうして街の中を怒りながら歩いているのだ。
しかしまあ、高まった興奮は冷めるしかないもので。
外の空気で徐々に頭が冷え、冷静になった浄化師は何故喧嘩などしてしまったのか、と深いため息を吐いた。
もし、相手の怒りがまだ収まっていなかったら。
もし、こちらの怒りにまた火がついてしまったら。
もし、このまま喧嘩を続けてしまったら。
もしかしたら……もう二度とパートナーと組むことがないのだろうか、と近くにあった椅子に座り、自問自答を始める。
――確かにあの時は顔も見たくない、そう思った、しかし。
それがずっと続けばどうだ? そんなものは嫌だろう?
今まで共に行動し、危険な目に遭って、それでも互いを助けてきた、なのに!
それがこんなどうでも良いことで壊れてしまっても良いのか!?
自分はそれを望んでいるのか? 本当に? ――否、そんなわけないッ!
自分とパートナーは今までも、これからもずっと一緒にいる。何があってもだ。
なら……自分がするべきことはわかるはず。
それは――先に自分が謝ることだ。
たとえ自分が悪くなかったとしても、相手に誠心誠意謝れば、元の関係に戻れるはずだ。
だから、さあ……今すぐ謝りに行こう――っ!
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「うーん。たいくつ、たいくつなのよねぇ」
教団内であろう場所を歩く、エレメンツの女性が一人。
そう、彼女は『魔女』。名前は『クラウディア・マッカートニー』。
教団に長く在籍しており、研究に協力……しているはずだが、見た通り少し違うよう。
「このクラウディアちゃんの大魔法を教団が解明? そんなの、つまらなーい!」
クラウディアは、のんき、わがまま、自分勝手と、これがもう教団員でさえ手を焼くような、困った性格の持ち主。
だけどその魔法は本人が言うように強大……なので、教団としても無視出来なかったが本音である。
「そうよ! 大魔女クラウディアちゃんらしいことをすれば、たいくつも解消されるかしら?」
――なにやらよからぬことを閃いたよう。
思い付いたら即行動。
人間の世界で暮らしているのに、人間の常識がどこか欠如している。
それもまた魔女たちの性格の一つ。
クラウディアがまず向かったのは、なぜか図書館。
しかも見ているのは一般書籍?
「へー。こんなのもあるのね。色々あって楽しいわぁー」
手に持つ本は『アロマキャンドルの作りかた』。
どうして? それはこちらが聞きたい。
魔女の行動は理解不能。ゆえにクラウディアにも常に教団員の監視がついているのだが、知っているのにお構いなし。
自分の部屋に戻ったクラウディアがまず行ったのは、魔力の源となるピクシーの力を借りること。
「……そう。クラウディアちゃんに力を貸して。それでキャンドルを作るの。とっても楽しいキャンドル……人の記憶を呼び覚ますキャンドル」
――思いは形となる。
溶いたロウに魔力を込め、本を見て手に入れて来た、ハーブ系のアロマオイルを込め、出来上がるのは予想に反して可愛らしいアロマキャンドル。
「くすっ。これを教団内のいたるところに置いて悪戯ちゃいましょ」
沢山作ったアロマキャンドルを、教団員や浄化師たちに見つからないように、夜に置き広げるクラウディア。
……しかも。
『ご自由にどうぞ』
なんて、もっともらしいプレートまで付けて、皆が手を出しやすいように仕向ける徹底ぶり。
こういうところは普通の常識を持っているらしい、魔女って分からない生き物だ。
「くすっ。あなたたちの記憶……それは楽しいもの? 辛いもの? 悲しいもの?」
最後の一つを置き終えたクラウディアが、魔女らしく妖艶に微笑んでいる。
「思い出してどうするのかしら? 怒る? 笑う? 悲しむ?」
ツンとアロマキャンドルを動かし、クラウディアは楽しそう。
「過去の記憶は業。それをパートナーと克服出来るかしら? クラウディアちゃんはそれが見たいのよ」
アロマキャンドルを離し、また教団のどこと知れない場所へと帰ってゆくクラウディア。
残るは過去の記憶が見られるというアロマキャンドルだけ。
さぁ、あなたはこのアロマキャンドルを手にとりますか?
そして記憶を見たとき、パートナーとどうしますか?
――クラウディアの罠にかかりますか?
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サンディスタム。
砂漠とオアシス、そして大河たるナール川を有する国。
魔術国家として、教皇国家アークソサエティに並び称され、神とまで崇めるファラオによる絶対王政を敷いている。
かつては、随一の大国として栄華を誇っていた。
しかし、今では陰りを見せている。
ヨハネの使徒の襲来。べリアルによる蹂躙。
魔術国家として対応するも、絶対王政による権力の偏りが災いし、国の末端まで威光は届かず。
貧民街や中枢からは縁遠い街々が次々襲われ、ゆっくりと瓦解していった。
当初、ファラオと、ファラオに仕える神官たちは事の重大さを理解できず。
所詮は、名も知らぬ下層民の事と捨て置いた。
それは致命的な失策だった。
身分の上下。貧民と権力者。
それらが成り立つのは、下の存在があるからこそ。
ピラミッドの土台が瓦解すれば、頂点など転げ落ちる石ころにも劣る。
それを理解することなく放置し続け、結果として国力は低下。
アークソサエティが教団による魔喰器(イレイス)量産を成功させた頃には、教団の支部を国内に誘致しなければならなかった。
それほどに国の威光は落ちている。
今、ファラオの弟であるメンカウラーが居る場所は、そうしたサンディスタムの凋落を象徴する場所のひとつだった。
「酷いな……」
荒廃した街の跡に視線を向け、メンカウラーは呟く。
かつては人々の息吹が感じられた無数の街並みは、至る所が破壊され、残骸として残っている。
アークソサエティとの国境に近いこの街は、その地理的条件から早い段階で国に見捨てられた場所だ。
そのため、襲来するヨハネの使徒やべリアルの脅威から守られることなく、滅び去っている。
(このような場所が、幾つもあるというのに……兄上)
歯噛みするような思いを胸にメンカウラーが佇んでいると、従者の1人が声を掛けて来る。
「王弟さま。約束の時刻が近付いてまいりました」
「……そうか。なら、約束の場所に行くとしよう」
メンカウラーは従者の言葉に返し、街の広場に向かう。
そこは、かつてはファラオからの言葉を賜る場所として作られた広場だ。
メンカウラーが中央に立ち、周囲を20人の従者が警護に当たる。
彼らが今この場で待っているのは、浄化師達だ。
サンディスタムに立ちこめる暗雲を祓うための助力を得るために、メンカウラーの独断で、この場に居る。
ファラオの弟であるメンカウラーが動くほどの暗雲。
それは、サンディスタムで暗躍する終焉の夜明け団に対処するためだ。
一体いつから、サンディスタムで暗躍していたのかは分からない。
しかし、その凶事は、見過ごすことなど出来ないほどの大きさだった。
始まりは、ひとつのオアシスの住人全てが、消え失せたことだ。
建物や、周囲の家具には傷一つなく。
人だけが消え失せた。
そして少しずつ、だが確実に。
サンディスタムの住人が消えていく怪事件。
ファラオたるカフラーは意に介さず。
けれどメンカウラーは、嘆く民の声を聴き、従者たちに調査を当たらせた。
それにより判明したのは、住人が消え失せた街では、終焉の夜明け団と思われる魔術師たちが頻繁に見られたこと。
調査結果を受け、メンカウラーはカフラーに対処を求めるも、彼は興味なさ気に返すだけだった。
「不要な民草が消えただけ。そのような物、幾らでも湧いて出る。捨て置け」
その言葉に、メンカウラーは決意した。
国外の、教団の力を借りてでも、自分達が対処せねばならぬと。
その決意の元、教団に連絡をつけ、今この場で浄化師達との接触を図るため来ている。
ファラオの弟であるメンカウラーがこの場に居るのは、それだけ本気であることを教団と浄化師達に伝えるため。
そして、せめてもの誠意を見せるためだった。
メンカウラーと彼の従者たちは、浄化師達を待つ。
約束の時は近付き、しかし先に現れたのは、終焉の夜明け団だった。
「敵襲ーっ!」
大きく声を上げるのは、外周部で周囲を警戒していた従者の1人。
彼は敵の来襲を告げると同時に、魔術による盾を展開。
終焉の夜明け団が放った炎弾を受け止める。
魔力の盾に触れ、爆発する炎弾。
それを切っ掛けとして、始まる戦い。
30名の終焉の夜明け団と、メンカウラー率いる従者達は、戦いを広げる。
それを、上空から見ている者達が。
「さて、どうする?」
「哀れねぇ」
「はよう、殺し喰ろうてやることが功徳ではないか?」
その数は、3体。
人外たる彼らの胸には、虚無の如き黒穴が。
「殺す、ねぇ。それはいつでもできる」
「そうねぇ。とりあえずは、見物でもさせて貰いましょうか?」
「ぬぅ。ぬしらがそう言うなら」
そうして、上空から人外どもは高みの見物を。
この状況で、現場に訪れたのがアナタ達です。
状況は、以下の通りです。
広場の中央に、メンカウラーと彼を守るための従者5人。
広場の西から、終焉の夜明け団30人が来襲。
遠距離大火力魔術を使う者達が一番後方にて10人。
中距離支援魔術を使う者達が、遊撃役として10人。
近距離攻撃魔術を使う者達が、最前線に10人。
それらと相対するように、メンカウラーの従者が15人戦っています。
アナタ達は、広場の東から、戦いが始まったと同時に訪れます。
広場は大きく、100人ほどが戦えるほど広さがあり、広場の周囲は、建物に囲まれています。
この状況で、アナタ達は、どう動きますか?
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ソレイユ。
教皇国家アークソサエティにおいて農業が盛んな地区だ。
畜産や酪農、園芸農業に混合農業と、様々な形態で農業を営んでいる。
特に乳製品やソーセージ、ビールなどが有名だが、作物も例外ではない。
小麦や芋のように日常的に食べられる物だけでなく、栗のような木の実や野菜、そして果物も多く作られている。
種付けの時期を調整しているので、一年中、何かしらの作物が取れる。
秋が近付いてくる今の時期では、葡萄の収穫が盛んな場所も多い。
シャドウ・ガルテンから刺し木で増やした品種を多く育てているここも、例外ではなかった。
「今年も良く実ったな」
満足げに、30代に見えるヴァンピールの男性が、目の前に広がる葡萄畑を見て言った。
ここまで葡萄農園を広げるのに、30年以上の年月が掛かっている。
両親から葡萄畑を受け継ぎ、さらに広げたバル・エルドにとって感慨深い。
(父さんがシャドウ・ガルテンを出た時は、ここまでなるとは思ってなかったと言ってたな)
バルの父親は、シャドウ・ガルテンの出身だ。
シャドウ・ガルテンでも葡萄を育て、育てた葡萄から作ったワイン作りは当時でも一級と言われていたが、それに満足せず。
常夜の国であるシャドウ・ガルテンでは育てにくい品種に惚れ込み、陽の光の挿す外国で育ててみたいと思い出奔。
紆余曲折あり、農園の一人娘だった母と結婚し、バルが生まれる中、精一杯働いたのだ。
それを受け継ぐバルとしては、近年シャドウ・ガルテンとアークソサエティの国交が活発になったこともあり、さまざまな国と自分が作ったワインを流通させたいと思っている。
だからこそ、シャドウ・ガルテンのワイン醸造家から、遠くニホンからやって来た人物にワイン作りを教えてやって欲しいと言われ、快く引き受けたのだ。
「好い葡萄ですね!」
まだ年若いヒューマンの女性が、目を輝かせて葡萄畑を見詰めている。
彼女の名前は酒井・薫(さかい・かおる)。
コウシュウ葡萄という品種を育てている農家と懇意にしている蔵元の一人娘だ。
ニホンで行われているという投資活動の一環で、コウシュウ葡萄からワインを作るために、研修に来ている。
「褒めて貰えると嬉しいですね」
バルは笑顔で薫に返す。
「サン・ブラッドは収穫が早いですが、他の品種に負けないほど、ワインに向いているんです」
そう言って、ひと房採って手渡す。
薫は一粒とって、ぱくりと。
厚みのある皮にぷつりと噛み付き、強い甘味を感じ取る。
味わいは甘味だけでなく、皮の苦味と実の酸味が合わさり、味わい深い。
「美味しい! 甘いだけじゃなくて、皮の渋味も良いですね!」
「ええ。上質なワインには甘味は欠かせませんが、同じように皮の渋味も大事です」
「それに水気が少ない方が良いんですよね?」
「よく勉強してますね。その通りです。味を濃くするだけでなく、ワインの香りを強く保つためにも、水分は少ない方が良いんです。これについては、習いましたか?」
「はい! 肉料理に合う赤ワインには、濃い味わいと香りで負けないようにする必要があると教えて貰いました。でも、それだと、コウシュウ葡萄は、向いてないってことになるんですよね……」
少しばかりしょんぼりと、薫は言った。
コウシュウ葡萄は生食に向いた品種なので、皮は薄く、渋味や酸味なども感じられない。
単純に食べるだけならば、実の甘さを堪能できる分、コウシュウ葡萄の方が向いている部分もあるのだが、ワインなると別だ。
作り方によっては、味が薄く、深みの感じられない物になる。
それを学んだ薫が、どうしたものかと悩んでいると、バルは明るい声で返した。
「心配しなくても大丈夫。それぞれの葡萄に適したワインの作り方があるものです。それを作り出すためにも、ここで収穫から醸造まで学んでいって下さい」
「はい! お願いします!」
意気込む薫に、微笑ましげにバルは笑みを浮かべる。
そんな時だった。知らせが来たのは。
「おーい! 大変だぞ!」
葡萄畑の収穫の手配を頼んでいた男性が走って来て言った。
「収穫の人手が急に足りなくなった!」
「え、って、どういうことです!」
バルの問い掛けに男性は返す。
「山ひとつ越えた先の集落に娘を嫁に出す言うて、キュリーの家の人ら、全員行くことになったんだ」
「はっ、ちょ、それは困る! いま収穫しないと、旬が過ぎる! それに烏共もやって来るぞ!」
作物は、採る時期も大事だし、それを狙う動物との戦いも熾烈なのだ。
「しかたなかんべよ。どうする?」
「くっ。早急に人手を探すしか――」
「あの、だったら、浄化師さん達にお願いしたらどうでしょう」
薫はバル達に提案する。
「色々なことを手助けしてくれるって聞きました。私がここに来ることが出来るようになったのも浄化師さん達のお蔭ですし、今回も助けて貰えたらいいと思うんです」
これにバルは賛同し、指令が出されることになりました。
内容は、次の通りです。
葡萄の収穫を手伝って下さい。
収穫が終わったあとは、葡萄酒つくりに参加することもできるようです。
それと同時に、烏が周囲を飛びまわっているようですので、そちらの対処もお願いします。
全てが終われば、ワインをふるまってくれたり、葡萄を使った料理をふるまってくれるそうです。
この指令を受け、アナタ達は現地に向かうことになりました。
そこに、偶々本部に来ていた魔女セパルと、彼女の仲間であるウボーとセレナが同行することに。
「烏、追い払うだけだと繰り返しになっちゃうし、魔法でどうにか出来るかもしれないよ」
セパルが言うには、ファミリアという魔法があり、それを使えば動物を使い魔に出来るとの事です。
手順としては、使い魔にしたい動物を捕獲。その動物が望む代償を支払う契約をすることで、使い魔に出来ると説明されました。
そしてアナタ達は、現地に向かうことに。
この指令に、アナタ達は――?
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昏く輝く月の夜。ねっとりと絡みつく様な夜気の中で、二つの咆哮が響き渡る。
一つは、人間。
怒り。
悲しみ。
憎しみ
恐怖。
そして、願い。
ありとあらゆる想いを宿した、魂の叫び。
一つは、魔性。
飢餓。
加虐。
破壊。
殺戮。
そして、衝動。
ありとあらゆる負を纏った、深淵の慟哭。
交錯する、影。飛び散る、血漿。貫かれる。魔方陣。高らかに。断末魔。弾ける、鎖。そして、暗転――。
「セルシア!! セルシア!!」
地に伏した異形の巨体。その下に組み敷かれていたパートナー、『セルシア・スカーレル』を、『カレナ・メルア』は半狂乱の体(てい)で引きずり出した。セルシアの華奢な身体には幾つもの傷が刻まれ、正に満身創痍の有様。カレナが好きだった白銀の長髪も、今は血と泥に汚れて見る影もない。
「セルシア!! しっかりして!! セルシア!!」
「カ……レ……ゴフッ!!」
答えようとしたセルシアの口を、こみ上げた血塊が満たす。
「!!」
カレナは、咄嗟に己の口でセルシアのそれを塞ぐ。しばしの間。やがて口を離すと、啜りとった血を地面へと吐き捨てた。
「あ……ハァ……」
呼吸を妨げていた血が取り除かれ、セルシアはようやく呼気を返す。
「カレ……ナ……」
「セルシア!! ああ!! あああ!! 痛いね!! 痛いよね!! ああぁ!! セルシア!! ごめんね!! ごめんね!! ボクが……ボクがぁあ!!」
呂律の狂った声で喚くカレナ。彼女が混乱の極みにあるのは、明白だった。否。ひょっとしたら、それはもう狂気の領域と言ってもいいかもしれない。常軌を逸した狂態。その身体に薄らと浮かび上がる『模様』を認めた時、先とは別な意味でセルシアの顔から血の気が落ちる。ともすれば、闇に墜ちそうな意識。それを必死に繋ぎ留め、愛しきパートナーに呼びかける。
「だ……め……!! カレナ……!! それ、以上……は……!! それ、以上は!!」
「セルシア!! セルシア!! セルシアァアアアア!!」
「カレナ!!」
渾身の力と、魂の全てを込めて、呼びかける。
ビクン!!
届いたのだろうか。届いただろうか。瘧(おこり)の様に震えていたカレナの身体が、大きく揺れた。虚ろだった目に弱い光が戻り、焦点が確かにセルシアの姿を結ぶ。
「セル……シア……?」
「カレナ……。大、丈夫……だ、から……」
手を、伸ばす。救う、為に。手が、伸ばされる。救われる、為に。距離は、ほんの少し。大丈夫。もう、大丈夫。これを。この手を。掴みさえすれば。安堵の息を、吐いた時。
真っ赤な、飛沫が舞った。
夜気を切り裂いて飛来した、錆びた短剣。それが、セルシアの右目を貫いていた。崩れ落ちる、彼女。握り合う筈だった手が、虚しく空を掴む。
「ケひゃヒャヒャひャ……」
背後から響く、哄笑。壊れた絡繰人形の様に、首を回す。半分砂と化した『それ』が、濁血と共に嘲りを吐き出していた。
「ヒャヒャひゃひゃ……。ヤメなよ。やメなよォ……。抗ウのはァああア……」
サラサラと崩れゆく身体を震わせ、『それ』は笑う。
「見たよォ! 理解しタよォ!!」
ユラリ。立ち上がる。
「同胞ダネ!! 同胞なんダヨぉ!! 君ハぁ!!」
歩く。
「楽しイよぉ!! 愉快だよォ!!」
近づく。
「おいデ!! おイで!! 堕ちて、オイデぇえエ!!」
ゆっくりと。
ゆっくりと。
「モウ少し!! もウ、少しぃ!!」
一歩。
また、一歩。
「さぁ!! オイデぇエええ!!」
手にしていた刃を、『それ』の右目に突き刺す。
「ひゃヒャヒャ!! ヒャひゃひゃヒャひャひゃひゃ!!」
響き渡る哄笑。嬉しそうに。この上なく、嬉しそうに。
「来たネ!! 来タね!! お帰リぃイイイ!!」
構わない。突き刺す。
何度も。何度も。
「ヒャひャヒャ!! ヒャヒャヒャヒャ!!」
何度も。何度も。何度も。何度も。
いつまでも。
哄笑が途絶え、『それ』の形が一握の砂になっても。
いつまでも。いつまでも。
突き続けた。
いつしか胸には、消えない魔方陣。紅く。紅く。輝いていた。
その施設は、人里離れた広野の中にポツンと設置されていた。時折吹く夜風の中で、灯された外灯の炎が揺れる。
戸に、手をかける。ゆっくりと引くと、その先には広い空間が広がっていた。家具も。調度品も。一切のモノがない、仄暗い部屋。ただ、対面の壁に飾られた教団の紋章を象ったステンドグラス。それだけが、綺羅々と。ただ綺羅々と、悲しい輝きを落としていた。
「……ありがとう」
静寂の中に、細い声が響く。落ちる極彩の中、一人の女性が立っていた。
彼女は、言う。
「あの娘の……カレナの為に、来てくれて……」
話す女性は、まだ少女。長い白銀の髪が、サラリと揺れる。
「逝ってしまった……。あの娘は、逝ってしまった……。『覚醒』の、領域へ……」
『覚醒』。その単語に、ゾクリと心が泡立つ。その怖気を察する様に、少女は俯き加減だった顔を上げる。儚い光の中に浮かぶ顔。綺麗な顔。だけど、その右目は包帯とガーゼに包まれている。癒えては、いないのだろう。白い布地に、朱い色が華の様に咲いていた。
「でも……でも、まだ間に合う……。間に合う筈!!」
鈴音の様な声。それが、大きくなる。まるで、救いを求める様に。
「だから、わたしは呼びかける。カレナを、取り戻す為に」
カタン。窓が、微かに揺れる。吹き込む、風。微かに、鉄錆の匂いが香る。
「わたしは、何も出来ない。全てを賭すから。戦う事も。守る事も。出来ない」
カタカタ。窓が揺れる。ドアが、揺れる。ステンドグラスの光が、ユロゥリと歪む。
「……分かる? ねえ、分かるよね?」
問いかける言葉。分からない、筈もない。
「来てる……。『アイツ』らが……。何のつもりなのかな……? 迎えにきたのかな……? カレナを……」
少女が、包帯だらけの手を握り締める。爪が肌に食い込み、朱い滴りを落とす。
「渡さない……。渡しは、しない……」
呟く声。隠し様も、隠す気もない、憎悪がこもる。
「お願い……」
少女が、乞う。
「守って……。わたしを……カレナ(あの娘)を……」
断る道理など、ありはしない。自分達は、その為に来たのだから。魔喰器(イレイス)を構え、頷く。氷の様に強ばっていた少女の顔が、少しだけ和らぐ。
「ありがとう……」
呟く様にそう言うと、ゆっくりと身を翻す。時間はない。外に群がる気配は、その密度を増している。数は? スケールは? 考える事は、愚行だろう。今はただ、自分達の役目を果たすだけ。仲間を。その命を。そして、想いを。守るために。
武器を携え、出口のドアに向かって身を返す。ドアノブに手を伸ばした時、それが聞こえた。
「もし……もし、叶わなかったら……」
静かな、けれど、悲愴な決意を込めた声。
「カレナ(あの娘)を、取り戻せなかったその時は……」
震える鈴音が、覚悟を紡ぐ。
「わたしが……殺す……」
思わず、振り返る。見えたのは、ステンドグラスの極彩の中を歩みゆく少女――セルシア・スカーレルの姿。
「だから……」
振り向く事無く残す、最後の言の葉。
「安心して……」
瞬間、ステンドグラスの向こうが輝いた。落雷だと気づくのに遅れたのは、その眩さの中に見た美しさのせい。
壮絶な煌きの中、そそり立つ十字架。それに束縛された、一つの人影。
――カレナ・メルア――
彼女に近づいていく、セルシア。せめてもの想いを送り、ドアノブにかけた手を一気に回す。
外の世界は、いつしか嵐に包まれていた。まるで、これから始まる二つの戦い。それを鮮やかに彩る様に。荒風の向こうで、幾つもの光が瞬いた。
ただ、願う。この夜の果てに、違えた絆が交える事を。
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