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「死ね」
殺意と共に、黒翼の刃をルシファーが振るう。
鋼鉄の客車を容易く切り裂く威力は、まさしく必殺。
触れれば首を斬り飛ばす一撃を――
ギンッ!
化蛇の刃が受け止めた。
「なっ!」
ルシファーは驚愕に声を上げ、化蛇を振るった『タオ・リンファ』に視線を向ける。
(俺の能力から逃れたのかっ!)
ルシファーの能力は、声を用いた精神干渉。
人間や生物の傲慢な気持ちを増幅させ、浄化師相手であればアウェイクニング・ベリアルを発症させる手前まで陥れることが可能だ。
(オヤジならともかく、こんな奴が跳ね除けられるわけが――!)
ルシファーの見立ては間違っていない。
(こいつ、能力から自由になった訳じゃねぇ)
未だにリンファは、剥き出しの情欲を曝け出し、ヨセフを逃さないと言わんばかりに抑えつけている。
それを見て、ルシファーは気付く。
今の一撃をリンファが防いだのは、傲慢な愛だと。
ヨセフの何もかも、死すら全て自分ものだという様に、ルシファーの刃を弾いたのだ。
正気を失い、それでも無意識にヨセフを庇ったリンファに、ルシファーの胸にかきむしるような苛立ちが湧きおこる。
それは自分には与えられなかったもの――愛してくれる、誰か。けれど――
(ふざけんな!)
ルシファーは決して認めない。
傲慢であるが故に。そして、壊れてしまわないために。
「お前ら2人とも、死ね!」
ルシファーは、唯一自身を保つことの出来る傲慢さを支えに、怒りを露わにする。
余裕の全てを投げ捨て、両腕に黒翼を生成。
形も残さず微塵にするべく刃を振るおうとし――
粉微塵に頭部を吹き飛ばされた。
「――!」
頭部を吹き飛ばされた衝撃で、ルシファーは床に叩きつけられる。
叩きつけられた勢いは止まらず、何度かバウントして客車の壁にぶち当たった。
それを成し遂げたのは、巨大な戦鎚の一撃。
客車の扉を破壊して飛んで来た戦鎚が、その勢いのままルシファーの頭部を粉砕したのだ。
「――誰だ!」
失った頭部を高速再生させながら、ルシファーは怒りの声を上げる。
しかし応えは返らず、代わりに――
「あー! なんでお前マーに抱きついてんだ!?」
戦鎚を回収した『ステラ・ノーチェイン』が、リンファに組み敷かれたヨセフに噛み付くような勢いで言った。
「早く離れーろー!」
これにヨセフは――
「先頭車両に他の浄化師が待機している! 呼んで来てくれ!」
リンファに殺されないように抵抗しながら、ルシファーに聞こえるように大きく声を上げた。
「ちっ!」
ヨセフの言葉に、頭部を再生し終えたルシファーは苛立たしげに舌打ちする。
「時間切れか」
そう言うとリンファ達から距離を取り、客車の壁を黒翼で切り裂き出口を作る。
「殺せなかったが、まぁいいさ。どうせこの列車の終点は地獄だ」
笑みを浮かべながら、高速で走る機関車から跳び降りる。
そのまま地面に叩きつけられるかと思えたが――
バサリ!
客車の壁を切り裂いた黒翼が、その本来の役目を果たす。
羽ばたかせながら風に乗り、そのまま飛翔し、どこかに消え去った。
「武器じゃなくて、あれは羽だったのか」
物珍しさに、思わず見ていたステラだったが、すぐにリンファに駆け寄る。
「マー、だいじょうぶか!?」
「……ぁ」
ルシファーが居なくなったことで能力から逃れたリンファは、一瞬意識が遠くなり崩れ落ちそうになったが――
「――っ!」
倒れそうになった所をヨセフに抱き止められ、一気に意識がクリアになる。
「――ょ、ヨセフ、室長」
「あー! やっぱり抱きついてんじゃないか! 離れろー!」
「ああ」
ヨセフはステラに静かに返すと、リンファの頬に手を当て上向かせると、確認するように顔を見詰める。
「大事は無いか?」
「ぇ、ぁ、だ、大丈夫、です……」
頬に寄せるヨセフの手の感触に、リンファは僅かに声を震わせるが、現状を確認するように言った。
「私……一体どうして……?」
「ルシファーの能力に影響を受けたようだ。あれは、人の精神に干渉する能力を持っている」
ヨセフの説明に、リンファは自身の不甲斐なさで目が眩みそうになる。
「すみません、かえって足を引っ張ってしまうなんて……」
悔みながら、けれど普段の彼女に戻ったリンファに、ヨセフは一瞬安堵するような表情を見せたが、すぐに指揮者としての役割に意識を切り替える。
「今は気にしなくても良い。それより、ルシファーが逃げる前に言った言葉が気になる」
ヨセフは、切り裂かれ風が吹き込む客車の壁の外に視線を向け、流れていく景色を確認して言った。
「速度が速すぎる。このままだとブレーキも効かずに脱線するぞ」
「それは!」
リンファも確認し、明らかに異常な速さなのを見てとった。
「早く速度を落とさないと。機関車両に行きましょう」
先頭車両に向かおうとするリンファを、ヨセフが止める。
「万が一だが、車内にルシファーが仕掛けをしてないとも限らない。それよりも、こちらから行こう」
そう言うと、破壊された客車の壁から外に身体を出し、そのまま車両の屋根に乗り移る。
「ステラ」
「おう! オレたちも行こう!」
リンファとステラも同じようにして車両の屋根に乗り移ると、機関車両に向かって全速疾走。
不安定な足場も危なげなく走り抜け、瞬く間に辿り着くと――
「これはっ!」
破壊された機関車両が確認できた。
「あのホムンクルスにしてやられましたか……!」
「ああ。ブレーキが破壊されている」
屋根から降り、機関室を確認してきたヨセフが言った。
「止める手段がない。このまま速度を落とさず進めば、駅に突っ込みかねん」
言いながら思案するヨセフに、ステラが力任せの案を出す。
「止まらないのか? だったら駅につく前に、先頭を壊しちゃえばいいんじゃないか? そうすれば止まると思うぞ」
「それだと止まるかもしれんが、後続車両もタダじゃすまん。一般客も多く乗っている筈だ。巻き添えになる」
ヨセフは、先頭車両と後続車両の接合部分を確認したあと、続けて言った。
「先頭車両と後続車両を切り離す事も出来ん。ルシファーの仕業かは断定できんが、切り離し部分が破壊されている」
「だったら、ハンマーで殴ってぶっ壊すぞ」
「ダメだ。破壊することは出来るだろうが、その衝撃で脱線しかねん。この速さで脱線したら、一般人はただでは済まん」
「じゃあ、どうするんだ? 他の方法無いぞ」
今にも戦鎚で破壊しに行きそうなステラを止めながら、ヨセフは思考する。
「問題は、すでに出ている速さだ。単純に破壊しただけでは、その運動エネルギーまで消せん。少しでも落とすためには、今からでも蒸気機関の火を消せればいいが……」
「火を消すのか? だったら水を掛ければ良いんじゃないか?」
「難しいな」
ヨセフは、パートナーである蒸気機関の第一人者、トーマス・ワットから聞いていた知識を思い出しながら応える。
「この速さで走らせるほどの熱量なら、すでに400度を超える熱の塊だ。生半可な水量では足らんし、下手をすると掛けた瞬間に水蒸気爆発を起こしかねん」
「よく分からないけど、水がたくさん要るのか?」
「多い方が良い」
「だったらマーが、どうにかできるぞ!」
そう言うとステラは、期待感いっぱいの眼差しでリンファと、彼女が手にする化蛇を見詰める。
「マーは、ばばーんって、一杯水出したりできるんだぞ!」
「……リンファ」
即座に頭を巡らせたヨセフが、リンファに尋ねる。
「車両全体を包み込めるほどの水量を作り出し、操ることは出来るか?」
「……真名解放し、全ての魔力を注ぎこめば……」
「出来るのなら、作り出した水で車両の外側全てを包み、同時に、車両の内部も水で満たしてくれ」
「内部も、ですか?」
「ああ。ただの水なら不可能だが、魔力で生み出した、『操作できる水』であるなら可能性はある。全体を包んで速度を落としつつ、内部の乗客を包み込んでクッションの代わりにすることで、乗客が車内に叩きつけられる危険を排除する。難しいが、出来るか?」
「……」
リンファは一瞬悩んだが、彼女に応えるように化蛇が震える。
創造神を倒した後、べリアルが素材である魔喰器は、明確な意思を持つようになっている。
やれますよ
そう言っているかのようだった。
「分かりました」
明確な意志を込め、リンファは応える。
「駅まであと数キロもありません。私の化蛇でなんとか列車を止めてみます!」
「頼む」
「マー、やっちゃえ!」
ヨセフとステラの応援を受け、リンファは魔力を高める。
「蒼天の下に正義の花束を」
真名を解放し、さらに黒炎解放。
二重の強化で膨れ上がった魔力を化蛇にリンファが注ぎ込んでいる間に、ヨセフとステラは車内に戻り、乗客達に事情説明。
全ての準備が整った所で――
「波濤に飲み干せ、化蛇!」
化蛇を振り抜き膨大な黒炎を放出。
放出された黒炎は、巨大な水の蛇へと転ずると、暴走機関車に並走。
繊細とも言える動きで暴走機関車に触れると、つぷりと全てを飲み込み包み込んだ。
巨大な水蛇に、暴走機関車が浮かぶ。
機関車内部にも侵入した水は乗客たちが窒息しないようにしながら包み込み、そのまましばらく疾走。
だが少しずつ速度を落とし、駅の手前で完全に停止することが出来た。
そうして、なんとか無事に被害を出さずに済んだのだった。
「やはり、ホムンクルスの仕業だったようですね」
駅につき、駅員や乗客達から聴取を終えたリンファは、ため息をつくように言った。
「根本の原因は、マーデナクキスにあるようですが」
発展と進歩が目覚ましいマーデナクキスだが、その反動とも言える闇の部分は深く広がっている。
具体的な理由は解らないが、そうしたマーデナクキスの事情が、影響を与えているように思えた。
「それにしても、まさかヨセフ室長を直接狙ってくるとは……」
「それよりも、こちらの動きを知っていたことが気になる。救世会や、それに人形遣い。そいつらが関わってなければ良いが」
思案するようにヨセフは言ったあと、リンファを気に掛けるように続ける。
「エア王との会談が控えているというのに……すまない、とんだ訪問になってしまったな」
「気にしないでください。悪いのはあのホムンクルスですから」
そう言ったあと、リンファは顔を赤くしながら続ける。
「……気にしないといえば、あ、あのっ……先程は大変な粗相をしてしまい、申し訳ございませんでした……!」
「……」
思い出したのか無言になるヨセフに、リンファは消え入るような声で言った。
「できることなら気にせず、忘れてください。あれをファーストキスに数えるのは……その……嫌、ですから……」
「……」
ヨセフは無言。
それを気にしつつも返せないリンファは、ヨセフの顔を見る事も出来ない。
でも、見れば良かったかもしれない。
だってヨセフも、同じように顔を赤くしていたのだから。
そんな微笑ましい一幕もありつつも、今回の件を調査するために、マーデナクキスを巡るリンファ達であった。
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重厚な鉄の塊。
機能性と共に頑丈さを求めて作られたそれは、見る者の目を惹かずにはおれないほどの存在感を醸し出している。
大陸横断用重機関車『ビッグボーイ』。
見上げるほどの大きさに、『ステラ・ノーチェイン』は感嘆するように声を上げた。
「おー、すごくデカいな」
目を輝かせ、ぴょんと跳び上がり、ビッグボーイの外装に乗り上がると、そこからさらに駆け昇り天辺に到着。
「マー、すごく高いぞ!」
「なにしてるんですかステラ!」
慌てて降りるように声を上げるのは、『タオ・リンファ』。
「迷惑になるんですから降りないとダメです!」
危ない、と言わないのは、心配してないからではなく、彼女の運動神経をよく知っているからだ。
なので問題にしているのは、純粋に迷惑を掛けてしまうこと。そして――
(目立ってはいけないというのに。任務に支障が出ます)
正直、気が気でない。すると――
「分かったぞ、マー」
リンファの呼び掛けに応えたステラは、そのままビッグボーイの天辺から跳び下りようとする。
それを見て、慌てて止めようとするリンファ。
「ちょ、待ちなさい。スカートが」
今日のステラの服装は、普段のハーフパンツでは無くフレアスカート。
上着のブラウスに合せた春の装いで、旅行先の女の子といった出で立ちだ。
それだけに、高い所から飛び降りたら風でめくれてしまうのだが――
「心配しくても大丈夫だぞ、マー」
こともなげにリンファは言うと、ぴょんと跳び下りる。
風でめくれそうになるが強引に押さえつけ見事着地。
「どうだ」
「どうだ、じゃありません」
少しばかりお説教。
「ステラ。今日の貴女はレディなんですから、下着が見えるかもしれないことをしてはいけません」
「大丈夫だぞ。下はスパッツ着て来たから」
「見せようとしなくていいです!」
スカートをめくってみせようとするステラを止めるリンファ。
2人とも似たような服装なので、傍から見ていると歳の離れた家族のようにも見える。
そんな2人を、ヨセフ・アークライトは微笑ましげに見ていた。
今日の彼の姿は、春の装いに寄せたコーディネート。
上は薄手のシャツにベストを着込み、下はスラックス。
全体の色合いをリンファたちに合せているので、一緒に居ると調和の取れた装いだ。
旅行鞄も持っているので、傍から見ただけなら、ちょっとした旅行に、この駅に来ているように見えるだろう。
プリマス駅。
ヨトゥンヘイム地方西部、外国からの船を受け入れる港湾都市として有名なプリマス随一の駅。
首都である機械都市マーデナクキスに直通の便を持っていることから、リンファ達は乗ることにしていた。
「そろそろ出発時間だ。客室に向かうとしよう」
懐中時計を確認したヨセフが声を掛けると、ステラは嬉しそうに言った。
「乗って良いのか?」
「ああ。客室車両の場所は覚えているな?」
「おう、覚えてるぞ!」
言うが早いか、ステラはパッと客車に乗り込む。
リンファは苦笑しながら後を追おうとすると、持っていた旅行鞄をヨセフが取ってくれる。
そしてヨセフは先に乗り込むと、手を差し出した。
「ぁ……」
思わず気後れしそうになるリンファだったが――
「リンファ。今日の私達は『旅行客』だ。そうだろう?」
ヨセフが茶目っ気を込めるように言った。
彼の言葉に、状況を改めて意識したリンファは――
「……はい」
おずおずと手を差し出し、ヨセフに引っ張り上げて貰いながら、乗り込み口が高めの客車に乗り込んだ。
「さて、私達も客室に行こう」
「はい」
先を行くヨセフの後をリンファは連いて行く。
出来る限り旅行客に見えるように気を付けながら、同時に周囲の警戒も怠らずにいた。
(ヨセフ室長の護衛という大役を任されたんです。しっかりせねば)
リンファ達が今ここに居るのは、マーデナクキスの王であるエアへの謁見と視察を兼ねている。
そのため大人数の護衛は付けず、家族旅行の偽装が出来るよう、リンファ達が一緒について行くことになったのだ。
というわけで、周囲を警戒しながらヨセフの後に付いて行くと――
「マー、ふかふかだぞ」
先に客室についたステラがはしゃいでいた。
ぴょんぴょんソファの上で跳ねるステラにリンファが注意するより早く――
「ここは特等室だからな。調度品も気を使ってるんだ」
「おー、そうなのか」
感心したように声を上げるステラ。
「他の客室は違うのか?」
「ここよりは狭いな」
お忍びとはいえ警護をし易くするため、一車両丸々使った特別仕様の客室だ。
走るスイートルームといった装いに近い。
「それじゃ他の客室はどんななんだ?」
好奇心一杯なステラにヨセフは説明してあげる。
「ここよりは区切ってあるが旅行専用の車両だからな、快適だ。それに食堂車もあるぞ」
「食堂車! 見に行って来る!」
ソファから降り靴を履いて走り出すステラ。
「あっ、ステラ!」
「なんだマー」
「探検するのは構いませんが、駅に到着する前までには戻ってきてくださいね?」
「分かったぞ!」
ぴゅーと走り出したステラに、リンファは申し訳なさそうに言った。
「その、すみません……」
「気にしなくても良い。それより座ろう」
席を勧められ向かい合わせに座る。
警護役として気を張っているリンファに――
「そんなに張り詰めなくても良い」
「それは――」
「実を言うと、今回の視察は息抜きを兼ねてるんだ」
「え?」
驚いたように声を上げるリンファに、ヨセフは言った。
「休みを取る余裕は無いが、それだと効率が落ちる。だから仕事で息抜きが出来る時は、するようにしてるんだ」
「そうなんですか?」
「ああ。だから今回、リンファやステラに護衛に来て貰った。その方が心が休まるからな」
信頼する様に言われ頬が熱くなりそうになったリンファは誤魔化すように言った。
「大変ですね、室長は――」
そう言うと苦笑するヨセフに、リンファはハッと気づく。
「すみません、もう室長では……」
「いや、いい」
苦笑したままヨセフは言った。
「勢力均衡を維持するために、私は教皇の肩書を得ているだけだからな。雇われのようなものだ。それに――」
懐かしさを込めながら言った。
「君達が私を室長として支えてくれたから、今がある。今でも気持ちの上では、あの頃の、室長と呼ばれていた時の自分でありたいと思っているんだ」
「……そうなんですね」
ヨセフの言葉は、自分達を信頼し、かつて共に戦った頃を大事にしてくれているように思える。
そう思えたからこそ、自然体でリンファはヨセフと共にいることが出来た。
「――出発したな」
汽笛が響き、機関車は走り出す。
その後もステラは探検をしているのか戻らず、2人きりになるが、ヨセフが今回のマーデナクキス訪問や社会情勢を話してくれ、それに応えることでお喋りをすることが出来た。
そうしてお喋りに興じている時だった――
「切符を拝見します」
帽子を目深に被った車掌が切符を切りに車両に訪れた。
ハスキーな男性の声で、『彼』は言った
「当列車の乗り心地はいかがですか?」
これにヨセフはリラックスした声で応える。
「ああ、とても快適で落ち着く」
合わせるようにリンファも言った。
「ええ、ゆったりと過ごせています」
2人の応えに――
「冥土にいい土産話ができたじゃねーの」
車掌姿の『彼』は、殺意と共に笑みを深くした。
「――ッ!? 室長、伏せて!!」
殺意に反応したリンファがヨセフの頭を抑えて低くする。
それとほぼ同時に、鋭い風切り音が頭上を通過。
2人がかがんだ真上を黒い何かが横切り、座席と車体ごと横一文字に切り裂いた。
「今のを反応するとはな」
楽しげに言いながら、『彼』は帽子を取り、制服を引きちぎるように乱暴に着崩して正体を現した。
「貴女は、その喉の刻印……ホムンクルスですか」
「ルシファーだ」
蝙蝠のような黒翼を、服の袖を突き破って伸ばす彼女に、リンファは油断なく視線を向ける。
「最近噂になっている反社会的勢力への攻撃や人間離れした強盗事件、やはりあなた方ホムンクルスが原因だったようですね」
「だったらどうした?」
「話を聞かせて貰おう。取り押さえてからな」
「はっ!」
いつの間にか側面に移動していたヨセフが、長剣の一撃を振るう。
それをルシファーは黒翼で弾き、カウンターを食らわそうとするが――
「させません!」
口寄せ魔方陣で武装したリンファが迎撃する。
「やるじゃねぇか!」
好戦的なルシファーを、リンファとヨセフがコンビネーションで追いつめる。
しかしルシファーも、隠していた尾による刺突などでさらに勢いを増し一進一退を続ける。だが――
「さすがに閉所で二人相手じゃ分が悪いか、遊び方を変えよう」
時間を掛けることを嫌ったルシファーは、自身の『能力』を使った。
「っ! 何か仕掛けてきます、警戒を!」
リンファが注意を促すも――
『お前の愛を剥き出しにしてみせろ』
(……ぁ? 頭に……声が響いて……)
能力の向かう先はリンファ。
「リンファ!」
ルシファーを牽制しながら心配するヨセフに――
「……ヨセフ室長」
リンファはヨセフを押し倒した。
「リンファ!?」
もがくヨセフを押さえつけ、リンファは唇を押し付ける。
それはキスというにはあまりにも不器用で、噛みつくような口づけだった。
「ふぅ……っ、ふぅ……っ……ヨセフ室長、好き……好き、ですっ……」
「――! しっかりしろリンファ!」
「しっかり? ふふ、私は……正気です……」
話が通じないリンファに、ヨセフは一端身体を離そうとするが――
「ダメです。貴方も、私を置いてどこかに行くんですか?」
リンファは強引に押さえつけ、泣き笑いのような表情で言った。
「ああ、いいこと思いついた……私と一緒に、死んでくれますか?」
「リンファ……」
ヨセフの呼び掛けにリンファは応えない。
過去に縛られるように言葉を零す。
「メイファのように、また大切な人と離れ離れになったらと思うと……」
リンファは武器を、化蛇をヨセフの首元に当てながら願うように言った。
「一緒に死ねば、もうどこにも行きませんよね? そしたらずぅっと一緒です! ふふふ……」
リンファの言葉にヨセフは――
「違う!」
力強く言い切った。
「約束した筈だ。私は言った。傍に居てくれと」
「……ぁ」
ヨセフの言葉に、彼に告白した時のことを思い出す。
「はい……傍に居ます……ヨセフ室長」
その時の言葉を忘れた訳じゃない。
けれど、それでも――
「怖いんです……」
化蛇の刃を外すことが出来ない。
「ヨセフ室長……ずっと一緒に……」
「はははっ! 大変だな色男!」
ルシファーが哄笑を上げながら言った。
「滑稽だよなぁ、お前を愛してくれてる部下のせいで死ぬんだからよぉ」
これにヨセフは――
「少し黙ってくれ」
リンファだけを見詰めながら、ヨセフはルシファーに返す。
「私はリンファと話している。君の相手はあとだ」
「……はっ」
危機的な状況にあって、それでもリンファを気に掛けるヨセフに――
「……ふざけんな、クソが」
ルシファーは渇望を声に滲ませながら、ヨセフ諸共リンファを殺すべく、黒翼の刃を振り上げた――
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想い通じ合い心を重ね、言葉で形にしても、行動に移すとなると迷うのが人間というもの。
特にそれが、想い人の未来を決めてしまうようなものであれば――
◆ ◆ ◆
「それで、シリウスは、どうしたいのかな?」
「……」
笑顔を浮かべ尋ねる友人に、『シリウス・セイアッド』は言葉を返せない。
そんな彼を、眼鏡をかけた彼は『しょうがないな』とでも言いだけに、小さく苦笑した。
今シリウスは、友人達と教団の談話室に居る。
友人達が結婚し、指令も重なることも無くしばらく会う機会も無かったが、偶々指令終わりに出くわして、折角だからと引っ張られお茶をしてるのだ。
「指輪も、用意してるんだろ?」
「……」
察しの良い彼に指摘され、またもや無言で言葉を返せない。
そんなシリウスに――
「変わらないな、お前は」
苦笑するように、同席するもう1人の友人が言った。
「もう、小さく力の無かった頃のお前じゃない。自分に正直に生きても良い筈だ」
諭すように言われ、いささかバツが悪くなる。
小さい頃、半ば実験体として教団の暗部に捕らわれていた頃、何かと気に掛けてくれた彼はシリウスにとって兄のようなものだ。
とはいえ、彼が言うようにシリウスも子供じゃない。
少しぐらい言い返すことは出来るのだ。
「俺だけで、決めて良いことじゃない」
「だからプロポーズするんだろ?」
眼鏡の奥で笑みを浮かべながら、ぴしゃりと友人に言われてしまう。
「……それは」
言いよどむシリウスに――
「不安なのか?」
兄とも言える友人に、核心を突かれた。
「……ああ」
苦しげに、シリウスは思い悩む。
(本当に隣にいるのが俺で良いのか、分からない)
シリウスは、想い人である『リチェルカーレ・リモージュ』の幸せを願う。だから――
(もっとリチェには相応しい人間がいるんじゃないか)
その思いを振り払うことが出来ずにいた。
もしシリウス独りなら、その想いに囚われたままだったかもしれない。
けれど、友人達が背中を押してくれる。
「分かったよ、シリウス。それじゃ、こうしよう」
にこにこ笑顔で、けれど逃げ道を封じるように言った。
「10日以内に自分でプロポーズしないのなら、場所も台詞も全部おぜん立てして公開プロポーズをさせてやる」
「……っ」
思わず絶句するシリウス。
何か言おうとするが、押し切られる。
「リチェちゃんが俺達の結婚式でブーケを受け取ってから、どれだけ経ったか覚えてる?」
「それ、は……」
「あの時、時間が欲しいって言ってたから、みんな今まで待ってたんだ。言っとくけど、俺達だけじゃないからね」
そう言って、彼は一緒に合同結婚式を挙げた、もう一組の友人達のことも伝えた。
「この前、指令で偶々会ったけど、2人とも気にしてたよ」
合同結婚式の後、各地を巡っている友人夫婦だが、浄化師なので指令で協力することもあり、その時にシリウス達の話になったのだ。
「とにかく、これはもう、シリウス1人だけの問題じゃないんだ。なにより、リチェちゃんをこれ以上待たせちゃダメだ」
「…………」
発破を掛ける友人に、無言で応えられないシリウスだった。
それでも、友人達に背中を押された成果は確かにあった。
(……どうする……)
結婚指輪を携えてから、数日が経っていた。
それは『約束の石』で作って貰ったもの。
自分の想いをリチェルカーレに伝えるために用意した物だ。
けれど――
「シリウス、どうしたの?」
何も言えずに数日過ごした挙句、リチェルカーレに気遣われる始末である。
「最近顔色が悪くない? 疲れでもたまっているの?」
小首を傾げ、心配そうに言う。
「大丈夫だ、問題ない」
言い訳するように応えるシリウスに、心配しつつも、それ以上は思い詰めそうになるので言わないリチェルカーレ。
実際、問題があるわけじゃない。
ただただ、シリウスが1人で思い悩んでいるだけだ。
大切で、放したくなくて。
ずっと側にいてほしい、と。
それが伝えたいだけなのに。
「……」
どうしても言葉に出せず、行動にも出れずにいた。そんな、ある日――
「シリウス」
友人から宣言された期限の最終日に、ルシオに呼び掛けられた。
「……ルシオ」
穏やかな表情で見詰める彼に、シリウスは小さく応える。
「どうかしたのか……?」
「大華への渡航許可を貰いに来たんだ。向こうには、こちらにいない魔獣がいるというからね」
「そうか……」
そこで話を止めてしまうのが、シリウスらしい。
ルシオは小さく笑みを浮かべると、やわらかな声で言った。
「聞いたよ。今日、リチェちゃんにプロポーズするんでしょ」
「っ、それ、は……」
不意打ちのような言葉に、たじろぐシリウス。
「なんで、それを……」
「教えて貰ったんだ。みんなに」
穏やかにシリウスを見詰めながら、ルシオは力付けるように言った。
「幸せになって良いんだよ、シリウス」
「……」
無言で返せないシリウスに、ルシオは続けて言った。
「シリウスは幸せになって良いし、リチェちゃんを幸せにしてあげても良いんだ」
「幸せに……俺が……」
「自信が無い? だったら、みんなに助けて貰えばいいんだよ」
「助けて……」
「うん。そうだよ」
シリウスを見詰めながら、ルシオは語りかける。
「そうやって、みんなで助け合って、今があるんだ。俺やカミラが、今あるのも、そのお蔭だよ」
「……」
「俺やカミラは、シリウスやリチェちゃん、みんなに助けて貰った。だから、それを返したい。だって、いま俺達は幸せだから」
「……」
じっと見つめるシリウスに、ルシオは言葉を贈り続ける。
「いっておいで、シリウス。リチェちゃんが、待ってる」
「……でも、俺は……リチェを幸せになんか――」
「それを決めて良いのは、彼女だけだよ、シリウス」
「……」
「シリウスが出来るのは、リチェちゃんを幸せにしてあげようとすること。そして、一緒に幸せになって欲しいって、願うことだよ」
そう言ってルシオは、力付けるように背中を叩く。
「皆応援しているんだから頑張れ、シリウス」
笑顔で送り出される。
一歩踏み出し進むごとに、心臓を早鐘のように打ち鳴らし、高揚していくのが分かる。
けれど止まらず、リチェルカーレを求め歩き続ける。
それは背中をみんなに押して貰えているように感じたからだ。その背中に――
「――にリチェちゃんはいる筈だよ。いっておいで」
応援するように、ルシオは言った。
ちょうどその頃、教団で書類仕事を提出し終えたリチェルカーレは、妖精の1人と話しているカミラと出会った。
「カミラさん」
久しぶりに出会え、笑顔で声を掛けて来るリチェルカーレに、カミラは言った。
「花が好きだったな」
「? ええ、好きよ」
唐突な話に少し不思議に思いつつも笑顔で返す。
するとカミラは、なぜか重大ミッションを遂行しようとしているかのような緊張感を漂わせながら言った。
「あちらの中庭に、妖精が世話する珍しい花が咲いたそうだ。見に行ってはどうだ」
カミラの提案に、リチェルカーレは嬉しそうに目を輝かせる。
「素敵。カミラさんも、見に行きましょう」
「え、いや、私は……」
予想外だったのか慌てるカミラに、傍に居た妖精――オベロンが笑顔で言った。
「残念。その子は用事があるんだ。だから先に見に行ってきなよ」
「そうなんですか? なら、先に見に行って来ます」
笑顔でリチェルカーレは応え、花を見に行った。
それを見送るカミラに――
「御膳立ての準備は出来たけど、キミって不器用だね」
「……自覚はしている」
「正直だね。まぁ、いいんじゃない。それより見に行かない?」
「やめろ」
「え? なんで?」
「そんなの、分かるだろ」
「えー。あの子の友達も心配してるみたいだし、教えてあげるために見学しつつ映像も記録して――」
「絶対にやめろ!」
全力で止めるカミラだった。
そんなやり取りがあったとは知らないリチェルカーレは、沢山の花であふれる教団の庭を、弾む足取りで歩く。
春になり色取り取りの花が咲いているが、その奥に珍しい花の群生があるというのだ。
「わぁ……」
かわいらしく、そして鮮やかな花が広がっている。
「綺麗」
光の加減で七色に変わるその花々は、まるで――
「虹の花だわ……とても綺麗」
近付くと腰を落とし、傷付けないよう、そっと花に触れる。
見惚れながら観察していると――
「リチェ」
「シリウス?」
翡翠の瞳の縁を、少し赤くしたシリウスに呼び掛けられた。
「なあに? シリウス」
屈託のない笑顔を向けるリチェルカーレに、シリウスの鼓動は強く跳ねる。
彼女の笑顔に、友人の結婚式でブーケをもらい、頬を染めていたのを思い出す。
(あの時の、約束を)
シリウスはポケットに入れていた指輪を取り出しながら、覚悟を決める。
(自信は今でも無いけれど)
それでも、あの時の約束を果たしたかった。
「リチェ」
いつもと違う、少し訥々とした話し方で。
「……お前の隣にいてもいいのかとずっと思っていた」
悩みながら辿り着いた決意を口にする。
「本当は今でも、わからない。だけど、俺は、お前がいい」
指輪を差し出しながら、共に生きていこうと願った。
「こんな俺でよければ、これからも、ずっと側にいてくれないか」
頬を赤く染め、緊張で震えるリチェルカーレの手を取って、小さな指輪を渡した。
「……っ、変なシリウス」
溢れる感情と共に心を震わせながら、リチェルカーレはシリウスを求める。
「わたし、ずっと言ってたじゃない」
喜びを伝えたくて、精一杯の笑顔を浮かべる。
「あなたが側にいてくれないと嫌だって」
嬉しいのに涙が零れてしまう。
「わたしだって、あなたがいい」
大切に指輪を受け取りながら、リチェルカーレはシリウスに応えた。
「これからもずっとずっと、側にいて」
シリウスは、リチェルカーレの零れる涙に息を飲む。
数秒置いて返事が頭に入り、詰めていた息を吐くと――
「……お前が、望んでくれるなら ずっと側に」
リチェルカーレが受け取ったくれた指輪を着けてあげると、そっと抱き寄せる。
「シリウス!」
リチェルカーレは、精一杯の笑顔で彼の腕に飛び込んだ。
シリウスは、リチェルカーレを抱きしめながら――
「ありがとう」
小さく、彼女だけに聞こえるように、感謝の言葉を贈った。
その言葉に応えるように、ぎゅっと抱きしめるリチェルカーレだった。
苦しみと痛みを乗り越えて、2人は未来を共に歩む約束を果たす。
そんな2人を祝福するように、虹の花が鮮やかに咲いていた。
2人で好き日々を――
そう思えるような、2人だった。
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創造神を倒してから300年後。
その日も、いつもと変わらず巡っていた。
「何だか今日は、皆どこか浮かれているような気がする」
全界連盟(ワールドオーダー)の施設内を『シィラ・セレート』と一緒に歩いていたアプスルシアは、不思議そうに言った。
これにシィラは、小さく笑みを浮かべ応える。
「今の時期は、バレンタインだものね。気になる子も多いんでしょ」
「バレンタイン……」
「気になる?」
「あ、いや……こちらの世界でもあるのだな、と思って」
小さく呟きながら、どこか遠い表情になる。
それは望郷の念なのか、それとも戻らなくてはならないという焦りなのか?
(それ以外も、ある気がするけれど)
アプスルシアの愁いを帯びたような表情に、シィラは『エフェメラ・トリキュミア』のことが思い浮かぶ。
(エフェメラ様は……まぁ、エフェメラ様だから、今のままでしょうけど。ルシアは……)
ルシアが、エフェメラと偶に一緒にいる時の嬉しそうな顔が浮かんでくる。
(少なくとも、好意は抱いてるわよね?)
それは男女の色恋という程には生々しい物ではないが、アプスルシアがエフェメラを気に掛けているのは間違いない。
(ルシアが、この世界に来てからそれなりに時間は経ってるけど、まだ馴染みきってるって程じゃないし)
異世界から煉界に訪れたらしいアプスルシアを保護してから、それなりの月日が経っている。
いつか元の世界にアプスルシアは戻ると解っているが、それまでは、こちらの世界で心健やかに過ごして欲しいとシィラは思っていた。
(そのためには、エフェメラ様にも協力して欲しいんだけど……)
願ってはいるが期待はしてない。
なにしろエフェメラだ。
超絶人見知りのひきこもりの上に、筋金入りの草食系。
おまけに生きてきた年月だけは長いので、色々と枯れている。
(……気の利いた言葉でルシアをデートに誘うぐらいの甲斐性を見せてくれても良いんだけど……無理よね、エフェメラ様だし)
シィラは、エフェメラのことを尊敬しているし敬愛もしているが、それはそれとして長年一緒にいたので、ダメな所も理解していた。
(せめて一緒に散歩するぐらいはさせてあげたいんだけど)
そう思っているので、シィラはアプスルシアに声を掛けて一緒に施設内を歩いている。
なぜなら、エフェメラが仕事の報告をするために訪れているのを知っているからだ。
(このまま進めば、エフェメラ様と出会えるはず)
家神なシィラは、施設内のことを知ろうと思えば知ることが出来る。
普段は個人のプライバシーもあるので重要区画や侵入者以外の探知は行っていないが、今回は特別だ。
(あと数分もすれば……って、この気配は――)
アプスルシアと一緒に歩いていたシィラは、よーく知っている騒々しい気配に気付き身体を向ける。
「あーっ! いたーっ!」
バカでかい斧を持った赤髪の娘が猪突猛進な勢いで走って来る。
「リホちゃん、どうしたの?」
シィラは走ってくる赤毛の娘、リホリィに声を掛ける。
「やーん! 聞いてよー!」
バカでかい斧を持ったまま突進してきたリホリィは、シィラをぎゅっと抱きしめると言った。
「師匠酷いのーっ! もっとまじめに訓練しろってーっ! でねでね、ルシアを見習えっていうんだよーっ! 誰よルシアってー!」
「ラギアに絞られたのね」
小さくため息をつくシィラ。
いま抱き着いているリホリィは、全界連盟の戦闘教官であるラギアの娘であり弟子でもある子だ。
ラギアは、シィラにとって大切な人の1人でもあり、その縁もあってリホリィの事もよく知っていた。
それもあって甘えて来ることもあるのだが、ことある毎に慰めて貰いに来るのは、どうしたものかとも思っている。
(とはいえ、ついつい甘やかしちゃうのよね)
そんな自分を律するように、あえてシィラは厳格な声で言った。
「リホちゃん、ラギアが、そういうことを言うのは、貴女のことを思ってのことなの。ラギアが厳しいことを言うのは、貴女が苦労しないように――」
「きゃーっ! 怒ってるシィラもかわいいー!」
なぜか、もっとぎゅむぎゅむされた。
それを見かねたのか、アプスルシアが声を掛ける。
「誰かは知らないが、やめろ」
「えー、なによー」
不満げに言いながら、リホリィはアプスルシアに視線を向ける。その途端――
「きゃーっ♪ なになにっ、すっごいタイプー!」
「は? なに?」
思わず後ずさるアプスルシアに、リホリィは獲物を見つけた仔猫のように飛び掛かった。
「ぎゅっとしてあげるー!」
「何を言ってる!」
当然のように避けるアプスルシア。
しかしリホリィは諦めず、追い駆け回す。
「待ってー♪」
「意味が解らん!」
全力で逃げ回るアプスルシアと、笑顔で追い続けるリホリィ。
「ちょっとだけ、ちょっとだけだから~♪」
「何をする気だ!」
そのまま鬼ごっこにも似た逃走劇が繰り広げられていると――
「ルシア?」
報告書を届け終ったらしいエフェメラの姿が。
「エフェメラ様っ」
気付いたアプスルシアは、エフェメラの元にまで駆け寄ると、助けてと言わんばかりに抱き着いた。
「ど、どうしたのだ!?」
ぎゅっと抱き着かれ、驚いて抱きしめ返すエフェメラ。
それだけだと色気があるように思えるが、実際の所は、脅かされた猫がしがみ付いているようなものだ。
顔を強張らせているので、一目で違うと分かる。
そこにリホリィがやって来て、さらにややこしくさせる。
「あーっ! アタシも混ぜてよー!」
「ひっ!」
突進してくるリホリィに、ビビり散らかす大魔女なエフェメラ。すると――
「はい、そこまで」
「うひゃっ!」
リホリィの首根っこを、シィラが押さえる。
「限度が過ぎてるわよ」
「え~、なんでー」
子供のように、じたばたと暴れながらリホリィは言った。
「タイプの子だったからデートに誘おうとしただけなのに~」
「ダメよ」
「なんで?」
「それは……」
シィラは応えを返そうとして、抱き着き合っているアプスルシアとエフェメラを見て妙案を思いつく。
「ルシアには先約があるの。エフェメラ様と、デートするんだから」
「え?」
思わず聞き返そうとするエフェメラにシィラは、にっこりと笑顔を浮かべながら言った。
「デートしますよね? そんなに抱きしめてるんですから」
「そ、それは――」
言われて自覚したのか、慌てて離れるエフェメラ。
(びっくりして離れるどころかひっついてしまった、年頃の乙女になんと……!!)
謝ろうとアプスルシアに視線を向けると、どこか期待するような視線と言葉を返された。
「……エフェメラ様は、嫌ですか?」
「い、いや、そういうわけではないのだが――」
「はい、それじゃ決定ですね」
シィラがまとめる。
「今日は、もう仕事が無いでしょうから、ルシアとデートに行って来て下さい。あ、お弁当とかは私が用意しますから、そちらは心配しなくても良いですよ」
「う、うむ。別に良いのだが、どこに行けば……」
悩むエフェメラに、全てをゆだねるように応えるアプスルシア。
「エフェメラ様の行きたい場所が良いです」
「……分かった。ひとまず、歩きながら行先を決めても良いか?」
「はい」
エフェメラの応えに、アプスルシアは笑顔を浮かべ連いて行った。すると――
「やーん、アタシも一緒に行くーっ」
「ダメよ」
じたばた暴れるリホリィと、笑顔のままガッツリ捕まえるシィラ。
「リホちゃんは、ちょっとこっちいらっしゃい。怒ってないから」
「嘘だー!」
じたばた暴れるリホリィを引き摺って、ゆっくりと説教が出来る場所に向かう。その道中――
(エフェメラ様、デート大丈夫かしら……)
不安を感じるシィラだった。
もちろん的中する。
「ここで好かったのか?」
心中で首を捻りながらエフェメラが連れてきたのは、かつて隠遁していた海岸。
少し前にも色々あって逃走し、アプスルシアを見つけた場所に訪れていた。
人気のない、落ち着いているだけで、特に何も無い場所。
齢数百年を超えるエフェメラだが、デートスポットの引き出しは皆無だった。
なにしろ今まで生きて来て、一度もデートをしたことが無いので、ノープラン以前の状態なのだ。
けれど一緒に歩いているアプスルシアは、機嫌好さ気だった。
「ここに、住んでいらしたんですね」
アプスルシアは静かに砂浜と、海を見詰める。
(……よく分からんが、気に入ってくれた、のか?)
安堵しつつ、アプスルシアに応える。
「300年ほど前のことだがな。あの頃、ラスとラニが会いに来てくれてな」
想い出を語っていく。
それを熱心に聞いていくアプスルシア。
彼女は、『貴方のことを知ることが出来て嬉しい』、という素直な表情を浮かべていた。
もっともエフェメラは、そこまで察しは良くない。
けれどアプスルシアが喜んでくれているのは分かった。
だから彼女をもっと喜ばせるため話をしていく。
するとアプスルシアは、返礼するように自分のことを語っていった。
「そうか。色々と、あったのだな」
「はい」
アプスルシアは話していく。
元の世界のこと、そしてこちらの世界での出会いと日々を。
その全てをエフェメラは聞いていき、返事をしていく。
(他に良い応えが思いつかぬな……)
そっけない返事しか出来ず、エフェメラが申し訳なく思っていると、アプスルシアは尋ねた。
「エフェメラ様も、長く生きていると聞きました」
「うむ。それなりに生きておるよ。アプスルシアは、どうだ?」
「私は……どうでしょう、私の種族は長命が多いですが……」
「覚えておらぬのか?」
「……はい。アプスルシアという名前は、憶えているのですが」
「そうか。名前は大事だからな。アプスルシアは良い名だ」
「……」
エフェメラの言葉に、しばし沈黙したあと、アプスルシアは意を決する様に言った。
「アプスルシアは戦士としての名。これも私ですが、もうひとつの名があるのです」
聞いて欲しいという彼女に寄り添うように、エフェメラは言葉を待つ。
そしてアプスルシアは言った。
「私の名前、シィーラというのです」
「……ん、ん!?」
一瞬、シィラのことが頭に浮かび、2人で苦笑する。
そしてアプスルシアは――シィーラは言った。
「一番最初に出会った時、少し私は狼狽えていたでしょう」
「うむ」
「ほぼ同じ名前の者がいるとは思わなくて」
「そうか」
真面目に頷くエフェメラに、シィーラは小さく微笑むと視線を合わせ、ねだった。
「これからも、変わらずルシアと呼んでほしい」
そして想いを告げた。
「でも、エフェメラ様には、シィーラという名も、知ってほしかったのです」
それに応えるように、エフェメラは名を呼ぶ。
「分かった。ルシア」
それが何よりの贈り物だというように、花咲くような笑顔を浮かべるアプスルシアだった。
彼女の笑顔を受けとり、エフェメラは思う。
(……我は彼女に、何が出来るだろうか)
その答えは、今は見つけられず。
けれど寄り添うように、2人で海岸を散歩した。
その後、シィラが用意してくれたお弁当を食べ、一息ついたあと、アプスルシアは言った。
「歌を、聞いて貰えませんか?」
「うむ。聞かせてくれ」
海岸で、アプスルシアは歌う。
それはシィラに教えて貰った歌。
心地好さ気にエフェメラは聞いていた。
こうして想い出となるデートの1日を、静かに過ごした、アプスルシアとエフェメラだった。
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「村の復興、ですか?」
聞き返す『リチェルカーレ・リモージュ』に、ヨセフは応えた。
「ああ。場所はフィノン。君達にとって縁のある場所だ」
「……」
ヨセフの言葉に、『シリウス・セイアッド』は驚くように息を飲んだ。
「無理にとは言わない。だが、可能であれば頼みたい」
「……シリウス」
心配そうに見つめるリチェルカーレに、シリウスは強張った体から力を抜くと、静かな声で応えた。
「……新しく生まれ変わる道があるなら」
シリウスの応えに、喜ぶリチェルカーレだった。
その後は、目まぐるしく忙しかった。
種々様々な書類仕事はヨセフが肩代わりしてくれたが、実際の計画立案と必要な物の手配はしなくてはならない。
その一環として、ニホンの万物学園にある薬草魔法植物園に訪れていた。
「村に根付き易い植物を用意すれば良いのね?」
「はい。お願いできますか?」
リチェルカーレの頼みに、植物園の園長であるリリエラは快く触諾する。
「ええ、もちろんよ。貴女に、渡しておきたい物もあったし、ちょうど好いわ」
「渡したい物、ですか?」
小首を傾げるリチェルカーレに、リリエラは植物園の一角を案内する。
「なんじゃもんじゃ様を通じて、大華の芙蓉様と竜樹様から貴女達に贈り物があるの。守り木のお礼みたいね」
そう言ってリリエラが示したのは、砂地に広げられ乾燥させられた薬草の根だった。
「これは?」
「地黄よ。血を増やしたり強壮効果があるの。芙蓉様と竜樹様が生み出したものだから、普通の物より効果は高いわ」
「薬草なんですね」
「ええ。村の特産品になれば良いと思って」
リリエラの言葉にリチェルカーレは、ぱぁっと表情を明るくして応える。
「ありがとうございます! 村の収入源になりますね!」
「好かった。喜んで貰えて」
リリエラは笑顔で応える。
「私も、何か出来ないかと思っていたから。村に、魔女の移住を考えてくれているんでしょう?」
「はい。魔女さん達や、ベリアルや使徒に家族を奪われた子供達に住んで貰える村にしようって、シリウスと相談して決めたんです」
行き場のない者や、独りになってしまった子供達。
その寄る辺となるような、救護院を兼ねた新しい村にしたいと思っていた。
「協力するわ」
リリエラは、村に植える果樹などを選びながら言った。
「必要なことがあったら言ってね。出来るだけのことをしたいから」
「ありがとうございます。なら、村に植える物の育て方を教えて貰えますか?」
リチェルカーレの頼みに、リリエラは快く応えた。
用意を行い、村へと訪れる。
「……」
言葉無く、シリウスは無人の故郷を見詰める。
かつての人々の息吹は無く、けれど確かに居たのだと主張する様に、広場や教会、そして幾つかの家が残っていた。
(……父さん、母さん)
胸を打つのは、幼き日々。
もはや記憶としては遠く、けれど想い出として深く刻まれている。
以前ならば、思うことさえ苦痛で出来なかったが、今は違う。なぜなら――
「シリウス」
リチェルカーレが居てくれるからだ。
「みんなが待ってるわ。行きましょう」
笑顔を浮かべながら手を繋ぎ、リチェルカーレが連れて行ってくれる。
繋いだ手のか細い感触に、恐れるような想いと共に、求めるような気持ちを込め、そっと力を込めた。
そのまま2人で向ったのは、村の移住者たちの元。
「お姉ちゃん!」
幼い声に迎えられる。
それは小さい女の子。
「ここに住めるんだよね!?」
「ええ、そうよ」
笑顔で応えるリチェルカーレ。
女の子は、村の移住者を募る中で孤児院を巡り出会ったのだが、話をしている内に懐いてくれていた。
「みんなが住める家を作って、これから来てくれる人達を迎えられるような家も作るの。みんなで、一緒に作りましょう」
「うん!」
にこにこ笑顔を浮かべる女の子。
それを大人達――魔女達が微笑ましげに見ている。
リリエラの伝手で集まってくれた魔女達は物を作るのが得意らしく、村の再建には大いに力になってくれるだろう。
リチェルカーレはシリウスと共に、皆を前にして想いを口にする。
「この村が、皆さんの新しい故郷になって貰えるようにしたいと思います。そのために、どうか力を貸して下さい」
「よろしく、頼む」
シリウスも不器用に頼み、皆は明るく応えた。
そして村の再建が始まる。
魔女達が魔法を使ってくれるお蔭で、驚くほどの速さで進む。
細かな場所は魔女以外の大人が大いに働き、シリウスも積極的に手伝っていた。
一方、子供達は、リチェルカーレが中心となって植物を植えていく。
「お姉ちゃん、ここ? ここに植えるの?」
「ええ。少しずつ間隔を空けて植えていってね」
植物園で貰った地黄を子供達が植えていく。
守り木や果樹などの重い物もあったが、そちらは助っ人が手伝ってくれる。
「ぴー、ぴぴー」
「ここに植えるの?」
リチェルカーレの契約魔獣であるリーフィが誘導しながら、契約宝貝であるカリンが重い苗木を植える。
「ぴー」
どんなもんだい、というように、カリンの頭上に乗って胸を逸らすリーフィ。
それを、むんずと捕まえて、ふにふにな頬を揉むカリン。
ついでに集まって来て、リーフィの頬を揉む子供達。
子供達が笑顔を浮かべているのを見て、同じように笑顔を浮かべるリチェルカーレ。
和やかに、村の再建はされていった。
魔女達の助けもあり、予定よりも早く村の整備は終わり余裕が出来た。だから――
「クリスマスをしましょう」
リチェルカーレの言葉に、子供達を中心に歓声が上がる。
クリスマスリースを作り、家を飾りたて、少し早いプレゼントを配っていく。
「あったかーい!」
子供達が、贈り物の防寒着を着て走り回る。
遊び道具になりそうなボールや、寒い日に室内で楽しめるようボードゲームも贈っていた。
「ありがとー!」
にこにこ笑顔で子供達は礼を言い、早速みんなで遊ぶ。
ちらほらと雪が降る中、温かな防寒着を着た子供達は、ボール遊びに夢中になっていた。
それを見守る様に、守り木が村の中央に植えられている。
子供達の成長と共に育って行き、きっと村のシンボルになってくれるだろう。
そうなれば良いと、リチェルカーレは思っていた。
(悲しい思い出がいつか、少しでも懐かしく振り返ることができるように)
祈らずにはいられないリチェルカーレだった。
そうして村の再建が進み、何度も通ったリチェルカーレ達は、クリスマス当日も村の手伝いをしていた。
「できたー!」
大きな雪だるまを作った子供達に、リチェルカーレは笑顔で言った。
「ほら、そろそろお家に入りましょう。ケーキが焼けるころよ」
歓声を上げ子供達は家に向かおうとするが、女の子の1人が気に掛けるように言った。
「お姉ちゃんも」
これにリチェルカーレは、安心させるような笑顔で応える。
「すぐ行くわ」
その言葉に安心したのか、子供達は賑やかに家に戻っていく。
子供達の楽しそうな様子を、少し離れた場所でシリウスは、ぼんやりと見つめていた。
「……」
言葉は無く、表情も凪いでいる。
故郷で遊ぶ子供達を見詰めながら、平静でいられる自分を、シリウスは遠く感じていた。
「……大丈夫だ」
心配気に揺れるアステリオスに囁くように応え、その場を後にする。
湧き上がる想いを満たそうとするかのように、かつて家のあった場所に自然と足が向いていた。
そこには茉莉花の枝と、鈴蘭の苗。
骨の欠片も、見つからなかったシリウスの両親。
せめてもと、庭であった場所にあった花と木の苗を墓の周りに植えられるよう、リチェルカーレが丁寧にまとめてくれたものだ。
「……父さん、母さん」
(ふたりは……苦しくは、ないのかな)
問い掛けるように、茉莉花の枝と鈴蘭の苗に視線を落とす。すると――
「……大丈夫?」
リチェルカーレに声を掛けられた。
視線を上げ、安心させるように小さく頷くシリウス。
気遣ってくれるシリウスに、リチェルカーレは眉を下げ、冷えた手をそっと繋ぐ。
(シリウス……)
かつて両親と共に過ごした場所を見詰める彼は、以前よりも苦し気ではないけれど、まだ悲しい色が濃い。
だから思わず手を繋ぎ、瞬く翡翠の瞳に笑いかける。
「……ここで、暮らしていたのね」
感情を出すのが苦手で、人に触れるのが苦手な、それでも、誰よりも優しいシリウス。
もっともっと笑ってほしいと、彼を知るほどに思うリチェルカーレは、想い出を繋ぐように言った。
「小さなシリウスと、お父さんとお母さん。その頃のシリウス、きっと可愛かったんだろうな」
「……可愛い、とは」
困ったような感情が浮かぶシリウスに――
(ああ、いつものシリウスだ)
安堵と共に、彼が過去と寄り添える事を願って、ひとつの問い掛けをした。
「……お父さんやお母さんのお墓は、ここに?」
やっと整った霊園を見つめながら問うと、シリウスは少し考えたあと応える。
「いや」
小さく首を振り、前に進もうとするように言った。
「……前、言ってくれただろう。お前の故郷に……俺の両親の墓も作ってはどうかと」
リチェルカーレと、彼女の家族のことも思いながら言った。
「お母さんも、シンティたちも、花を届けに行くと言ってくれたし……お言葉に、甘えようかと思うんだ」
シリウスの小さな声にリチェルカーレは、ぱっと笑顔を浮かべる。
「……うん! わたしの家族も、喜ぶわ」
リチェルカーレの笑顔と、彼女の細い指の感触にシリウスは、知らず詰めていた息を吐く。
表情が和らいだシリウスに、楽しげにリチェルカーレは尋ねる。
「ふふ。ねえ、シリウス」
視線を合わせ言った。
「今年のプレゼントは何がいい?」
(答えてくれるかしら? また困ったような沈黙、かも?)
期待を浮かべ、じっと見つめていると――
(プレゼント……)
シリウスは首を振ろうとして、この時期、母がよく歌っていたのを思い出す。
大切な人に歌うのよ
今でも鮮やかに、想い出は浮かんでくれる。
(子ども心にも、あの笑顔と声が、大好きだった)
「……歌が聞きたい」
「……歌?」
じっと見つめられ、リチェルカーレは頬を染めて聞き返す。
シリウスは、見詰めながら想いを告げた。
「お前の歌が好きだ」
囁くような、けれど想いを込めた精一杯の言葉。
シリウスからの贈り物に、リチェルカーレは花咲く笑顔を浮かべてくれる。
「――じゃあ、今日はあなたのためだけに」
花咲く笑顔と、リチェルカーレの清涼なる歌声に、シリウスも頬を染めながら思う。
(大丈夫だ)
父と母にも、リチェルカーレの歌が届けば好いと空を見上げながら――
(息ができない夜があっても、リチェがいたら)
リチェルカーレを想い、シリウスは彼女を見詰めながら、歌声に心をゆだねていた。
2人の時間を過ごし、村の皆が待つクリスマス会場に向かう。
「メリークリスマス!」
「ハッピークリスマス!」
皆でクリスマスを祝い、楽しく過ごす。
それは賑やかで、温かなひとときだった。
雪の降り積もる中、皆の心は温かで、これからの未来を明るく歩もうとしている。
それは土の中で眠り、春を待つ植物のように。
きっとそれは訪れる。
リチェルカーレが子供達と一緒に植えた地黄が芽吹く頃には。
春の訪れを告げる佐保姫に知らせるように、皆は未来を夢見ているのだった。
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沈みゆく太陽はまるでブラッドオレンジ、朱(あか)というには黄色すぎ、橙(だいだい)というには赤すぎた。
陽を背負う『桃山・令花』の影はすうっと長い。
視線で影を追いながら、令花は機械的に左右の足を前に進めていた。やや前傾姿勢だ。意思をもつのは令花ではなく影で、彼女は影にひきずられているかのようだった。
まなざしも安定しない。令花が見ているのは足元ではないからだ。
耳に聞いているのも、暮れる街のざわめきではなかった。
《困ったことになっています》
四半時ほど前に彼女が聞いた言葉だ。声の主は『タスク・ジム』、令花とは不思議な因縁で結ばれた少年である。
タスクのいる世界は令花の世界とは異なる。ここでいう『世界』は比喩ではない。物理法則すら異なる文字通りの異世界だ。科学のレベルは中世なみで、内燃機関すら実用化されていない。政体も王制や部族制が主流である。しかし魔法の存在はこちらの世界を圧倒的に上まわっており、天変地異すら発生させられる規模だ。秩序も渾沌も魔力の多寡が左右するという。ドラゴンや妖精(エリアル)、その他想像もつかないような幻想生物も当然のように存在している。令花の好むファンタジー小説のような世界といえよう。
タスクは令花にとって、ある種の鏡像のような存在だ。生い立ちはもちろん年齢も性別も異なるが、令花は彼に強い共感をおぼえている。
タスクは、令花が書いているファンタジー小説の主人公そっくりだった。令花が考えそうなことを考え、令花であれば言うであろうことを口にする。もしかしたらタスクは、自分の創造物ではないのかとすら思ったこともあった。
けれどおなじことはタスクにも言えるのではないか。令花は考える。タスクが夜ごとに見る夢、目覚めとともに蜃気楼のように消えてしまう物語の主人公は自分なのかもしれないと。
それだけに、彼の語る言葉は令花の胸に切実に伝わった。
《対魔王陣営……つまり僕たちのあいだで内紛が発生しているんです》
この世界と彼の世界をつなぐポイントは特異点と呼ばれている。特異点をつらぬく手鏡を通し、タスクは令花にうちあけたのである。
タスクの世界を闇で支配せんとする勢力を魔王軍という。現在魔王軍は複数の勢力に分裂しているらしい。しかし、同様の事態は対魔王陣営にもあてはまる。
泡麗(ローレライ)、天遣(アークライト)と呼ばれるふたつの同盟勢力が最近、タスク属する魔法学園フトゥールム・スクエアの主導に異を唱え、あろうことか学園に対し妨害工作を開始するようになった。つい先日も、学園の受けた依頼に泡麗族のグループが介入するという事件があったばかりだという。介入の場にはタスクも居合わせた。相当なショックだったらしい。
魔王軍は少しずつ、着実に力をたくわえている。幹部らしき存在も顔を見せるようになった。無益な主導権争いをしている場合ではない。だというのに傍観しているしかない自身を、タスクは歯がゆく感じているのだ。
《……すみません、愚痴っぽくなってしまって》
タスクの言葉に苦渋がにじんでいる。
うちあけてくれたことを感謝しこそすれ、迷惑とは令花は思わなかった。できるなら協力したいとすら願った。
しかし、令花が自分の気持ちを言葉にしようとしたところで、
「はい今日はここまででーす。ごめんなさいねー」
両世界の仲介者『メフィスト』の宣言とともに、ふたりの交信はぶつりと終了したのである。タスクの世界とはまた別の、未知の世界と混線しそうになったためだという。
そのときがきたら連絡しますよー、と特徴的な口ひげをひねりつつメフィストは請け負ってくれたものの、次回またタスクと話せるのは、いつになるか予測もつかないらしい。
令花は教団施設を後にして帰路を歩いている。
影にひきずられているように感じるのも仕方ないだろう。令花はまだ、心をあの手鏡の前に残したままだったから。
なので左右からステレオで、
「ねーちゃんってば!」
「ママー!」
同時に大きな声をだされ叶花は飛び上がった。だしぬけに意識をつかまれ成層圏まで引っ張り上げられたみたいだ。
「え!? な、なに!?」
「やっぱ聞いてなかったなー」
明るい煉瓦色の前髪を手で直しながら、『桃山・和樹』はあきれたような口調で言う。
「オレら何度も呼びかけてたんだぞ」
和樹は教団の制服姿、そろそろ寒い季節だが詰め襟は開いている。
「ママぼんやりしてたの~」
人化した魔導書『叶花』が言う。人形のように愛らしい幼子で、鈴を転がすような声をしていた。大きな瞳で令花を見上げている。無視されたと怒ってもよさそうなものだが、叶花はむしろ心配そうに、
「もしかしてママ、おなやみあった?」
と眉を曇らせた。
「……さすがね」
令花は口元をほころばせた。
叶花にはお見通しだったらしい。
近くの公園に場所を移した。
公園は無人だ。ジャングルジムにも遊ぶ子の姿はなく、滑り台のぴかぴかした表面も、冷えて久しいように見えた。
乾いた落葉を踏みしだき、片隅のベンチに腰を下ろす。
座ったとたん令花の膝に、ひらりとイチョウの葉が舞い降りてきた。きれいな扇形だ。べっ甲のような黄金色をしている。
「きれい!」
と言う叶花にどうぞとイチョウを手渡して、令花は今日あったことを語った。
「さっきまで、メフィスト様に随行して異世界間通信をしていたの。『鏡』を通して」
タスクが種族間の断絶に悩んでいると知ったこと、彼の悩みを自分の悩みのように感じていることもすべて明かした。
「そうか……」
難題だな、と和樹は腕組みする。
羊を守るシェパード犬のように、姉にかかわる男には自動的に敵意を抱いてしまう和樹だが、タスクに対してだけは例外的にそのような感情はなかった。そればかりか彼には、令花に通底する親しみすら感じている。理由はわからないのだが、ときとしてタスクを姉と錯覚してしまうほどに。
「無意味に対抗心を剥き出しにしてくる連中ってことか。だいたい、こっちの世界にもそんなやつはいっぱいるからなあ」
「みんななかよし、どうしてできないの?」
当然といえば当然な叶花の問いかけに、浮かぬ顔で令花はこたえる。
「そうね、争う必要なんてないのに」
「争う……か」
和樹は唇に指をあて、しばし考えこむように秋空を見上げた。令花の言葉にヒントを見出したらしい。
「どうしたの?」
弟は姉に向き直る。
「ローレライと、アークライト……だったか? ふたつの種族集団はなにも、フトゥールム・スクエアと殺し合いたいってわけじゃないんだよな?」
「ええ。あくまで敵は魔王軍よ。学園としては不本意なことながら、二種族の代表はどちらも、フトゥールム・スクエアを競争相手とみなしているようね」
「オレさ、スポーツ好きなんだ。特にバスケな」
「パパはバスケットボールが大好き!」
叶花が嬉しそうに合いの手を入れる。
どうしたの急に? と、令花は怪訝な顔をする。
「というか、何を今さらって話じゃない?」
和樹は下手をすれば三度の食事よりスポーツを好むタイプの少年だ。ひとたび没し、アンデッドの身となりよみがえってからも変わらない。むしろ『生前』より拍車がかかったといっていい。自他共に認めるスポーツ馬鹿なのである。馬鹿は死ななきゃ治らないと俗に言うけどな――和樹はよく言っていたものだ――オレのスポーツ馬鹿は、死んでも治らなかったってことだな。
「まあ最後まで聞いてくれ。そんなオレがふと思ったんだ」
「何を?」
「スポーツに似てないか? ってな」
つまりだ、と和樹はまず右手を上げる。
「二種族はどっちも、学園を妨害しようとしてる。でも殺し合う気はなくて、学園の手柄を奪って自分たちの威を示そうってだけなんだろ? だから堂々と宣言してから仕掛けてきたってわけだ」
今度は左手を上げた。
「つまり、これは戦争じゃない。ルールのある競い合いだ。それって……」
「スポーツに似てないか? ってことね」
「そういうこと!」
左右の手をパンと合わせ和樹は笑った。
「さすがオレの姉ちゃんだ。話が早い」
「わかったっ」
叶花もバンザイするように両手を上げた。
「それって、かけっことか、玉入れみたいな。楽しい競技っていう感じだね!?」
叶花の頭に和樹は手をおく。
「叶花もさすがだな。しかもいいヒントをくれた。オレも『楽しい』ってのがキーワードだと思う。スポーツだと考えりゃ、たとえ一時火花を散らすことはあっても、殺し合うよかずっといい。オレがバスケやるのも究極的にはそこに理由があるんだよな。どうせなら、敵チームとだって楽しみたい。敵味方なんて関係ない。スポーツってのは楽しむためにやるもんだろ? 同じさ」
だってそうじゃないか、と和樹は言うのだ。
「学園と彼らだって、平和を守るという目的は一緒のはずなんだから」
和樹の考えを、お花畑だと嘲う人もいるかもしれない。
ただの理想論だと非難する人も。
でも令花は胸を打たれた。
戦争と競い合いをわかつものを、見出すことができたから。
「たしかに、これまで私たち教団だって、たくさんの対立を乗り越えてきた。もちろん戦うこともあったけど、話し合いで合意したことだってあったよね。だからわかる……目的さえ同じなら戦いは避けられるはず」
令花は立ち上がっていた。体が勝手に、内側から突き動かされるようにして。
「学園、ローレライ、アークライトこの三つ巴の競い合いだって、一緒に楽しめばいいじゃない!」
雨降って地固まるのたとえもあるよね、と令花は歌うように言うのである。
「競い合いが、三勢力の融和とさらなる団結につながる可能性だってあるはずよ。私はそれを望みたい!」
雲間が割れ光が射しこんできたような気持ちだ。
この気付きがある限り、令花は……タスクは、きっと絶望しないだろう。
このとき一陣の風が吹き、令花の足元から、あるいは和樹の背後から、叶花の目の前から、無数のイチョウを舞い上がらせた。
吹き上がった葉にあらたな落葉がくわわって、黄金(きん)の吹雪のように降りそそぐ。
「わあー!」
期せずして生じた光景に、叶花はくるくると回転して喜びを表現した。
「これって、きっとうまくいくってしるしだよ!」
ええ、とうなずくと令花は弟に言う。
「ありがとう和樹。私、今度タスクさんと交信できたとき、今日の想いを伝える」
その弟は、照れくさげに鼻の頭をかいた。
「オレはヒントを出しただけ、きっかけをくれたのは叶花だし、結論を出したのは姉ちゃんだよ」
そういえば、と令花は言った。
「タスクさんには幼い妹がいるそうよ」
「何歳くらいの?」
「ちょうど、叶花とおなじくらいの」
えっ、とさっそく叶花は興味をひかれたらしく、おしえておしえてと令花にせがんだ。
「どんな子?」
「それは会ってのお楽しみ、ってのはどうかしら?」
ふふっと令花は、いたずらっぽい笑みを浮かべた。
「今度メフィスト様から、あの世界につながったと連絡が入ったら、きっと叶花も、もちろん和樹も連れて行くよ。そしてタスクさんには妹さんを紹介してもらおう」
「マジ?」
とのばした和樹の手と、
「やくそくだよっ」
とのばした叶花の手、その両方を握って、
「もちろん。約束よ」
とほほえむ叶花の頭には、一枚のイチョウの葉が乗っている。
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●第三章 運命の出会い、再び
「ん~、やっと終わったー」
晴れ晴れとした声で背伸びをする『ラニ・シェルロワ』に、『ラス・シェルレイ』は苦笑しながら同意する。
「大した組織じゃなかったけど、手間が掛かったからな」
「そうよねー」
うんうんと、ラニが頷く。
2人は指令で、とある小規模組織を調べることになったのだが、それは終焉の夜明け団の元構成員で作られた組織だった。
それゆえ細心の注意を払って調べていたのだが、やっている事といえば小さな詐欺めいたことばかり。
だというのに能力だけはやたらと高く、追い詰めて捕まえるのに時間と手間を取られたのだ。
「面倒だったけど、これで後はお休みだー」
「まだだ」
「え、なんで?」
「調書が残ってるだろ?」
「う~、書類仕事するぐらいなら、身体動かしてた方が気楽で良いのに」
「そう言うなって」
「やる気が出ない」
「……仕事終わりにご褒美出すから、やる気出せ」
「え、ほんとに? なになに?」
「それは、あれだ。昼飯奢ってやるから、やる気出せ」
「んー、なら、リュミエールストリート行ってみる? この前行った時、良い所見つけたの」
そう言いながら、普段武器を持つ利き手ではない左手に嵌めている指輪を見て、嬉しそうに笑みを浮かべる。
「その指輪、お気に入りなんだな」
「うん。あ、ラスも、ちゃんとつけてる?」
「身に着けてるよ、ちゃんと」
そう言って、服の下に収めていた、ネックレスに通した指輪を見せる。
それは少し前、ラニに貰った指輪だ。
詳細は聞いていないが、誰かから貰ったらしい。
出会いの想い出をお裾分けするようなラニに、苦笑しながらも受け取ったラスは、戦闘の際に支障が出ないよう、ネックレスにして身に着けていた。
「さて、それじゃ書類仕事、頑張りますか」
ラニが気合を入れるように言った時だった――
「あ、居た居た」
魔女であるセパルが声を掛けて来る。
「セパルさん?」
ラスが、何の用事かと視線を向けると、セパルが説明する。
「ラスくん、規定の定期休暇取ってないでしょ? ヨセフくんが気にしてたよ。というわけで、キミ今日はもう仕事お休みね。折角だから、どっか行って来たら?」
これに声を上げたのは、ラニだった。
「いいなー! あたしも行きたーい」
「……なら早く調書を終わらせて――」
「冗談。ダメよ、ラス」
ラニは、茶目っ気を込めた声で言った。
「仕事ばっかりじゃ、息が詰まるわよ」
「……そうか?」
「そうよ。良いから、行って来なさいって。そうだ。どうせなら、仕事が終わった後のご褒美に連れて行ってくれるお店を探して来て」
「ご褒美のことは、忘れてないんだな」
「もっちろん。楽しみにしてるからね、ラス」
「……分かったよ」
苦笑するラスに、2人の様子を微笑ましげに見ていたセパルが言った。
「良いんじゃない、行っておいでよ。ひょっとしたら、思いがけない出会いがあるかもしれないからね」
そう言って、教団の出入口を、少しだけ見詰めた。
2人に勧められ、ラスは休暇を受け入れる。
「分かった。それじゃ、行って来る」
教団の出入り口に向かうラスをラニは見送ると、ご褒美を楽しみに書類仕事に向かう。
「さて、書類仕事しますか……でも、やっぱりいいなー、ラス。あたしも今度またお出かけしようっと!」
そして思い浮かぶのは、少し前に、とある少女と見て回ったリュミエールストリートでの想い出。
(あの子まだこの辺にいるのかなー?)
神ならぬラニは知らなかった。
ラニの思い浮かべる『あの子』が、割とすぐ近くにいたことを。
(にいさまだ!)
教団の出入り口で待っていたベルヴァは、1人で教団から出てきたラスを見つけ、ぱぁっと表情を明るくする。
ちなみに、認識阻害の魔術を掛けているので『周囲には』気付かれていない。
(にいさま、どこに行くんだろう?)
のんびりとした足取りで進むラニのあとを、ベルヴァは連いて行く。
(周りに余計な人間は居ないし、ここで話をして……でも、それだとすぐ終わっちゃうし)
はやる心を抑えながら、ベルヴァはラニを見詰めながら連いて行く。
彼女が教団の出入り口でラスを待っていたのは、忠告するため。
ある情報を手に入れ、知らせておかねばと思ったのだ。
もっともそれならば、教団内部に侵入するという手もあったが、今回はそれをしていない。
なぜなら前回侵入し、ミステリアスな雰囲気を出して去って行ったあとで、また何事も無かったかのように再度訪れるというのは、色々と心に引っかかる。
人はそれを、気まずい、と呼ぶのだが、ベルヴァとしては違うと思っている。
(折角、資料まで渡して救世会を潰すチャンスを与えてあげたというのに、何も出来てない。ねえさまとにいさまの所属している組織だから期待してあげたのに。無能な場所に何度も助言を与えてあげるほど、ワタシは情け深くは無いです)
ベルヴァの考えを言葉にすると、こんな感じである。
とはいえ、教団はどうでもいいが、ラニとラスのことは大切なベルヴァは、忠告しておきたいと思っていた。
しかし教団内部に侵入するのはためらっていたので、出入り口でわざわざ待って、ラスが出てきたので、にこにこ笑顔で後に連いて来ているというわけである。
もちろん認識阻害魔術で、周囲には気付かれないようにしながら。
そうとは知らないラスは、リュミエールストリートにやって来ると、ラニの仕事明けのご褒美に連れて行く場所を探していく。
「どこが良いかな?」
(同じ行くなら、目新しい所が良いか?)
探していると、オープンしたばかりらしいカフェを見つける。
人の入りも良く、外から見ていても、お客さんが笑顔なのが印象的だ。
「ここにするか」
店員に案内され、店に入る。
落ち着いた内装と、何らかの魔術による物か、静かな音楽が流れている。
人の入りは多いが、席を広く取っているので、ゆったりとした雰囲気に浸れるカフェだった。
(さて、何にするかな?)
メニューを広げて見ていると――
「お客さま、申し訳ありません」
店員に呼び掛けられる。
「店内大変込み合っておりまして、相席をお願いしてもよろしいでしょうか?」
「相席? あぁ、オレは大丈夫」
ラスが同意すると、店員と入れ替わるようにして、1人の少女が前の席に座る。
その少女は、可愛らしいのだが、何故だか印象に残らない少女だった。
特徴を覚えることが出来ないかのような、微妙な違和感を纏っている。
だがラスは、その違和感に気付けずメニューを見ていると、自分に向けられた視線に気づく。
それは相席した少女の物だった。
「? あ、すまない。メニュー、見るか?」
手にしていたメニューを渡すと、少女は笑顔で受け取り、しばらくメニューを見詰めたあと、再びラスに視線を向ける。
ラスが不思議に思っていると、少女は言った。
「あの、どれが良いか、教えて貰っても良いですか?」
「?」
「その、このお店に来るの初めてで」
「ああ、そういうことか。いや、オレも初めてなんだ。新しくオープンした店らしいんだけど――」
「そうなんですか? やっぱり、人の多い所はお店が次々出来るんですね」
「この辺りに来るのは初めてか?」
「はい。というより、リュミエールストリートに来るのも初めてで。今日は、観光に来たんです。にいさまは、よく来られるんですか?」
(にいさま?)
呼ばれ方に違和感を覚えるも、それを言及する気は起きない。
まるで、警戒すること自体が出来なくなっているかのようだったが、ラスは気付かぬまま少女とのお喋りを重ねる。
「オレは……息抜きに」
「忙しいんですね」
感心と心配が入り混じったような声で少女は返す。
それにラスは、苦笑するように応えた。
「最近、色々と仕事が……増えてはないんだが、ちょっと忙しくなりそうな気配で……」
最終決戦が終ったあとも、人の本質が変わることはない。
ラスやラニと関わりのある救世会の動きも頻発している。
「平和なのが一番だがな……」
思わずため息をついてしまうと、少女はメニューを差し出して言った。
「疲れた時には、甘いものが良いです。甘いもの食べましょう」
世話を焼いてくれるように言う少女に、ラスはラニを思わず思い浮かべる。
(似てる、のかな?)
見た目はそうでもない筈なのだが、何となく、そんな気持ちになる。
「そうだな。せっかく来たんだし、甘い物でも――」
そう言ってメニューを受け取ろうとした時だった。
少女の指に嵌められた、ひとつの指輪に気付く。
「つかぬ事を聞くけど、その指輪はどこで?」
見覚えのある指輪に尋ねると、少女はラスの顔をじっと見つめたあと、今までとは違う薄い笑みを浮かべ言った。
「気になりますか?」
「オレの相方がよく似たものを持っててだな」
それは間違いなく、ラニが指に嵌め、ラスがネックレスとして身に着けている物と同じ指輪だった。
「……もしかして、オレと目の色が逆の赤髪の女と会わなかったか?」
問い掛けをはぐらかすようなら、今も身に着けているネックレスの指輪を見せようかと思ったが、その必要は無かった。
「にいさまはよく見てるんですね」
少女――ベルヴァは、憧憬するような眼差しを見せながら、零れるように小さく呟く。
「二人の絆が羨ましいなぁ」
その呟きと同時に、認識阻害魔術が解除された。
途端、一気に押し寄せてくる違和感に、ラスは警戒する。
「アンタ、いやお前……ッ」
周囲のお客さんのことを考え、声を潜めながら続ける。
「何が目的だ?」
「お話したかったのと、忠告です」
「忠告?」
「よろしいですか、にいさま。救世会のことは、にいさまとねえさまは、あんまり関わらないでくださいね」
「どういうことだ!?」
「ワタシ達には、すべて些事ですから」
微笑むベルヴァに、ラスは眉を顰める。
「……お前は何を知っている」
応えるベルヴァは微笑みを崩さない。
「知らなくていいこと、たくさんあります。それにほら、知っちゃったら――」
視線を合わせ、微笑みを消し、警告を口にした。
「―――あの狂人がまた来ますよ」
「は?」
ラニは聞き返そうとするが、それより早く、ベルヴァは笑顔を浮かべ言った。
「にいさま、今度はねえさまと、ご飯食べましょうね」
――おやつでもいいですよ。
そう言いながら、何かしらの魔術を発動したのか、ベルヴァは姿を消した。
「あぁくそ、何なんだ……!」
混乱するように、呟く事しか出来ないラスであった。
その様子を離れた場所から、『死神』が見ていた。
「……」
気取られないよう、幾つもの中継点を繋いだ遠距離視認魔術で、ラスとベルヴァの様子を見詰めていた死神たる男、レインは、無言のまま目を細める。
そこに、一羽の小鳥が近付き、レインは視線を向けることさえなく掴み獲ると、一気に握り潰す。
潰したあとには、魔術で作られた小鳥が変化した手紙がひとつ。
中身を確認してレインは、つまらなそうに言った。
「心配せずとも依頼は果たす」
そして笑みを浮かべると、教え子に告げるように呟いた。
「いずれ再会する。待っていろ、ラス」
幾つもの思惑が絡み合う中、不穏な気配は高まっていくのだった。
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無造作に、バトルアックスが振るわれた。
片手の薙ぎ払い。
腰の入っていない一撃であるように見えて、その実、アプスルシアを両断できるほどの威力があるのは、否応なしに実感できる。
(避ける? いや、違う!)
全身が泡立つような恐怖を飲み込み、あえてアプスルシアは一歩前に踏み込むと、手にしたバトルアックスで迎え撃つ。
鋭く重い、刃の打ち合う音が響く。
攻撃は防いだ。
だが重武器を打ち合せた衝撃は持ち手に伝わり、痺れてしまう。
ここからアプスルシアが自分で打ち込むには、痺れが取れる時間が掛かる。
当然、相手は待ってくれない。
(だったら――)
アプスルシアは、バトルアックスの斧の部分を地面に向ける。
それに合わせ柄の部分を、くるりと反転。
斧の重さで回転運動を生み出し、その勢いを利用して、相手のこめかみ目掛け柄を叩き込もうとし――
「身体が強張り過ぎだ」
あっさりと反撃を食らった。
脇腹に拳が叩き込まれ、息がつまり動きが止まった瞬間、押すような形で蹴り飛ばされる。
辛うじて受け身を取るも、鍛錬場の床に倒れ伏す。
(起きないと!)
痛みを無視し、アプスルシアは起き上がろうとするが――
ドス!
顔のすぐ横に、バトルアックスの刃が突き立った。
「これで三回。今日、お前が死んだ回数だ」
見上げれば、そこに居たのは1人の『死神』。
赤と青のオッドアイに黒髪をした男性、ラギアだ。
「死中に活を見出そうしたのは悪くない。だが、その後の組み立てがお粗末だ」
「はい」
素直な声が返ってくる。
叩きのめされたアプスルシアの眼差しに曇りは無く、強さへの渇望が爛々と輝いていた。
アプスルシアが『シィラ・セレート』と『エフェメラ・トリキュミア』に助けられてから、数週間が経っていた。
大魔女たるエフェメラと、家神であるシィラの介護の甲斐もあり元気になったアプスルシアは、礼を言うと頼んできたのだ。
「強くなりたい」
切実な眼差しに、応えたのはシィラだった。
「任せて。うってつけの相手を知ってるから。でも無理はダメよ、ルシア」
「ルシア……」
「ええ。他の呼び方が好い?」
「いや、ルシアと呼んでくれ」
少しばかりはにかむような笑顔で、アプスルシアは応えた。
その後、ワールドオーダーの戦闘教官であるラギアに面倒をみてくれるよう頼み、今も鍛錬の真っ最中という訳だ。
「お前は思い切りは好いが、戦闘の組み立てが甘い。それと、単独戦闘と集団戦闘での違いも意識して動け」
「はい!」
刃を交えながらラギアは指摘を続け、アプスルシアは必死に食らいついていく。
(うーん、容赦ないわ。スパルタね!)
2人の様子を見ていたシィラは、ため息をつくように思う。
(全く、似てほしくないヒトに似ちゃってまぁ……)
ラギアを見て、シィラは苦笑する。
それは今世ではなく前世の因縁だが、どこか受け継いでいるのだろう。
(本人に自覚は無いだろうけど)
くすりと笑みを浮かべたシィラは、ラギアからアプスルシアに視線を移す。
(大分焦りが見えてる)
自身を削るような勢いで鍛錬に励むアプスルシアを、シィラは気遣う。
一緒に過ごす内に、シィラ達と打ち解け、ワールドオーダーにも慣れてきた彼女だが、根本の部分でいつも焦っていた。
(元の世界のことが気掛かりなんでしょうけど)
アプスルシアを見つけた時、彼女は傷付いていた。
それが戦闘による物だとは分かっているが、まだ詳しくは聞いていない。
アプスルシアが話したくなれば聞こうと思ってはいるが、今はまだ、その時は来ていない。
代わりに、焦りを見せる彼女を落ち着かせるため、強くなるための手伝いをしていた。
ラギアだけでなく、魔女達の助けも借りて鍛錬を重ねている。
その成果は出ているように見えるが、だからといって限度という物はある。
「休憩にしましょ!」
シィラの呼び掛けに、ラギアは刃を降ろす。
するとアプスルシアは肩で息をしながら、言葉を返した。
「私は、まだ――」
「ここまでだ」
ラギアが、アプスルシアの言葉を止める。
「強くなりたければ、休むことも必要だ――焦りは分かるが、捕らわれる過ぎるのは良くないからさ」
戦闘から日常へと意識を切り替えたラギアは、口調が優しくなる。
(こういう所は、前世(ラス)に似てるのよね)
シィラは懐かしさを感じながらも、アプスルシアを気に掛ける。
「ルシアも根詰め過ぎたら、余計に迷うわよ」
シィラの言葉に、アプスルシアは息を飲むような間を空けて応えた。
「……そう、だな。休むのも戦士に必要なことだ」
そう言うと、ラギアに一礼。
「また、よろしくお願いします」
「ああ。強くしてやる」
師と仰ぐラギアの言葉に、少しだが、アプスルシアに安堵の表情が浮かぶ。
くすりと、シィラは小さく笑みを浮かべると、アプスルシアの手を引いて鍛錬場をあとにする。
「どうする? お茶にする?」
「いや……それよりも、少し落ち着きたい」
「落ち着きたい? そうね。鍛錬したばかりだもの。アロマもいいけど……歌なんてどう?」
「歌?」
どこか子供のように訊いてくるアプスルシアに、シィラは笑顔で応えた。
「これはずっとずっと昔の歌、歌詞もおぼろげだけど……」
それは懐かしい想い出。
(……よくあの子達に歌ってあげたわね……)
どこか母親のような表情を見せるシィラに、アプスルシアは返した。
「……教えてほしい」
「あら、いいわよ! 歌、好き?」
これにアプスルシアは、期待するような響きを滲ませながら尋ねた。
「エフェメラ様も歌は好きか?」
シィラにも懐いているアプスルシアだが、エフェメラにもよく懐いている。
長寿の存在に興味があるらしく、何かと話を聞きたがった。
「そうね、多分好きなんじゃない? うふふ!」
「そうか」
嬉しそうな笑顔を浮かべるアプスルシアに、楽しげな笑顔で返すシィラだった。
そうしてシィラが、アプスルシアに歌を教えている頃、エフェメラはメフィストを捕まえていた。
「ようやく捕まえたぞ、メフィスト殿」
「つーかまーりまーしたー」
アプスルシアのことを聞くため、メフィストに尋ねたエフェメラだったが、何故か逃げられていたのだ。
大魔女たるエフェメラなので、高度な魔法を使って捕まえようとしたのだが、その度にメフィストは変態的な複雑さの魔法で逃亡。
「幼女に変身してまで逃げるのはどうかと思うぞ」
「貴方もやってみますかー?」
「遠慮しておく」
げんなりとため息ひとつ。
人見知りの激しいエフェメラだが、メフィスト相手だと、そうでもない。
「それでメフィスト殿、何か分かったか?」
「なーにがですかー?」
「アプスルシアのことだ」
「随分、親身になってますねー」
小首を傾げるメフィストに、エフェメラは返した。
「彼女も焦っている、早く帰してあげたい」
「そーれはちょっとー。まだ時が来てないみたいですしー」
「どういうことだ?」
エフェメラは慎重に尋ねる。
「我から逃げ回っていたが、それは必要なことだったのか?」
メフィストに問い掛ける。
「メフィスト殿。貴方の行動の大半は戯れかもしれんが、それは本命の行動を隠すために必要な物なのだろう?」
原初の魔女たるメフィストは、元々は創造神の一柱だ。
しかも今では、バレンタインの時期に『死ぬ』ことで、『世界の外』から様々な世界を観測する『時間神』としての役割を担っている。
「アプスルシアに、何かあるのか? もしそうなら――」
「助けてあげたいですかー?」
「うむ。助けたい」
意志を伴うエフェメラの応えが、世界のどこかを、カチリと進ませた。
「フラグが立ちましたねー」
「どういうことだ?」
「詳しく話すと問題なので話せませーん。時間矛盾(タイムパラドクス)が発生しますからー」
「それは――」
エフェメラはメフィストの応えに、ひとつの疑念が浮かぶ。
「一つ聞きたいことがある。彼女、一度この世界に来たか?」
「以前にも会ってますよー、貴方達はー」
不可解なことを言うメフィストに、エフェメラは思わず聞き返す。
「い、いや我は初対面のはずだが……? そんなこと、あったか? うーん」
「三百年ほど前ですけどねー」
「三百年前!?」
驚くエフェメラ。
「そんな前に会ってたのか!?」
「今よりも未来の彼女でしょうけどねー」
「?? どういうことだ?」
「こちらの世界と異世界との接続の際にー、時間軸がズレてたのでーす。人形遣いがー、いらん事しましたからねー」
「人形遣いが!?」
嫌悪感を滲ませるエフェメラ。
世界を壊しその破片を食らう『外なる悪魔』である人形遣いは、今まで何度も凶悪な事件を起こしている。
それだけでなく、救世会の設立に関わっていたりと、一言で言うと諸悪の権化だ。
「一体、なにをしたんだ」
「時間矛盾を利用してー、世界の揺らぎを作り出しー、それで世界を壊そうとしたんですよー。そのせいでー、色々とひずみが出来たのでーす」
「ひずみ……まさか、それに?」
「そーでーす。この世界以外にもひずみは出来たみたいですしー、それに落ちちゃったのでしょー」
「……ひずみに落ちた? 衝突が起きていないのに!?」
「そーでーす」
「そんなことが……おのれ人形遣い!」
救世会の因縁にも関わっているので、いつになく怒りを覚えるエフェメラだったが、今のアプスルシアの状況を思い出し気持ちを落ち着かせる。
(……う、ううん。ここはいい方向に考えよう。この世界だからよかったと。下手をすれば時空の狭間で彷徨っていたかもしれないのだから)
エフェメラは気持ちを切り替えると、アプスルシアのために、前向きに尋ねた。
「メフィスト殿。これから我はどうすればいいか教えて貰えないだろうか」
「その時その時で最善をして下さーい」
軽い口調でメフィストは言った。
「過去も未来も現在もー、不変なんてものありませーん。だからー、出来ることをするだけでーす」
「その時々で最善を、か」
エフェメラは自分のためでなく、誰かのためだからこそ、前向きに決意する。
「まぁいい、我難しいことわからん」
「貴方、大魔女でしょうにー」
「そんなもの、大したものではない。メフィスト殿とて、解っているだろう」
「そですねー」
世間話をするように、エフェメラは言った。
「それよりだ。最近魔術をよく教わりたがるんだ。『強くなりたい』と」
「教えてあげても好いと思いますよー。こちらの魔法がー、向こうで起動するか分かりませんがー、選択肢は多い方がいいでしょー」
「うむ。そうであるな」
エフェメラは思う。
背伸びをしている彼女。
きっと、そうしなければならない理由があるのだろう。
なら、その理由を少しでも軽くしてやる手伝いぐらい、しても構わない筈だ。
(シィラ達と仲良くして欲しいしな)
その願いは、すでに叶っている。
このあと、シィラと一緒に歌を歌うアプスルシアを見て、実感するエフェメラであった。
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歴史は進む。
人は創造神との決戦に打ち勝ち。
神なき世界で、争いと融和を繰り返しながら生きていく。
それは賑やかで騒々しく、活力にあふれた日々。
悲しみと喜びを積み上げて、歳月は過ぎていくのだ。
残された者に、想い出を贈りながら。
(ここは変わらぬな)
のんびりと海岸線を歩きながら、『エフェメラ・トリキュミア』は想い出にふける。
心に浮かぶのは、今は亡き家族たち。
(あれから三百年か……)
大切な家族との出逢いと、その後に起ったネームレス・ワンとの戦い。
世界を創った創造神との戦いに勝利してから三百年が過ぎている。
三百年。
言葉にすれば短いが、思い返すには時間が掛かるほどには長い。
その間に家族と紡げた日々は、大切な宝物だ。
「……ふふっ」
想い出と共に笑みが浮かぶ。
色々と辛く苦しいこともあったが、思い浮かぶのは楽しいことばかり。
きっとそれは、幸せだったからだろう。
そして今も、幸せなんだと思う。
(シィラも、同じ気持ちであろうな)
しみじみと思う。
愛弟子であり娘とも言える『シィラ・セレート』は、今もシルキーとして働いている。
それはもう、バリバリと。
滅びかけの異世界がぶつかってきて同化したり、その影響で異世界と繋がり易くなったり。
あるいは、異世界からの漂流者が訪れるのが日常になっている現在。
世界間の軋轢を減らし安定を図る組織、『全界連盟(ワールドオーダー)』の一員として本部の護りや、職員の寮母さんとして頼りにされている。
そうなるまでには紆余曲折があったものの、今では前向きになり、「とりあえず頑張れるだけ頑張ろうかしら」と気軽に言えるぐらいになっていた。
変化しているのは内面だけでなく、見た目も成長している。
三百年前は、どちらかといえば幼さを残した見た目だったが、今ではすらりとのびやかに、大人の女性へと近づきつつある。
それは内面の変化も関わっているが、シルキーとしての性質も関わっているようだ。
八百万の神に見られる『信仰現象』。
他者からの観測と空想が本人に影響を与え霊格が上昇することだが、シルキーとして働く内に皆から信頼され好意を向けられることで、それが起ったらしい。
今では『家神』として、自身の領域であり器でもある連盟本部であれば、ある種の異界として支配できるぐらいの力をもっている。
「成長したなぁ……」
しみじみと思うエフェメラ。
なぜか涙ぐんでる。
エフェメラもエフェメラで、三百年分の成長をしているのだが、根っこが変わる訳もなく。
今では大魔女の1人として、有事の際には連盟に駆り出されるぐらいに強い、というより非常勤職員としていつの間にか採用されていたりするが、駆り出される度にぎゃーぎゃー叫ぶのは変わってない。
職員としては慣れた、というか慣れざるを得なかったので、今では(生)温かい視線を向けられることが多い。
力を持ったぐらいで性格変わるなら苦労はしない、という良い見本だった。
本人は、シィラが連盟本部に居るので住まいをそこに移しているが、ビビりなので基本人の目につかないようにこそこそしている。
なのに何かあれば駆り出されて力を振るう日々。
エフェメラもエフェメラで、誰かが困っている所に遭遇したら、そっと助けたりしてるので、お助け妖精みたいなノリで一部の連盟職員に噂されていた。
それが今、エフェメラが1人、浜辺で散歩している理由である。
(ふぅ、落ち着く)
のんびり1人で居るので、微妙に緩んでいる。
何人もの相手に追い駆けられていた時とは大違いだ。
エフェメラが、今1人で浜辺に居るのは、レアキャラ扱いされたからだ。
連盟本部の職員が、ちょっとした出来心でSNSに、
ワールドオーダーのレアキャラ! 会えると幸運が巡って来るらしいよ!
などと書き込みし、それがバズっちゃったのだ。
結果、一目見ようという見学者が増加。
しかも職員の中にも、会ったことが無いので見に行こうとする者まで出る始末。
当然、エフェメラはビビった。
SNS? ネット? 動画投稿ってなに!?
パニックになり、三百年前に住んでいた海岸沿いに緊急避難したという訳だ。
ちなみに、かつての家族が転生し再び縁を繋ぐことの出来た子達のお蔭で、諸々の騒動は収まりを見せている。
ついでに言うと、切っ掛けとなった職員は始末書の山と減給になっていた。
(ふぅ、落ち着く……五年ぐらいここで隠遁しても良いかもしれん)
魔女なので時間感覚がズレたことを思いながら浜辺を歩く。
プライベートビーチになっているので人は居ない筈だった。なのに――
「――っ!」
浜辺に打ち上げられた人物を、エフェメラは見つけた。
「遭難者か!?」
慌てて駆け寄る。
ビビりだが、こういう時は迷いが無い。
「大丈夫か!?」
声を掛けながら魔力探知で確認する。
(これは……――)
一目見て分かる。
彼女は、この世界の住人ではない。
透き通るような海色の髪は、それ自体が水で出来ている。
それどころか肉体自体がほぼ水で出来ており、魔力を循環させることで人の形を維持しているようだ。
(妖精? いや違うようだが、魔力生命体の類であるのは間違いない)
魔力を元に形作られる生命が魔力生命体だが、目の前の彼女は、物質化された魔力で肉体を構成している。
(八百万の化身体……とも違う。純粋に、物質化した魔力のある世界で進化した生き物のような……)
とにかく彼女は、この世界の住人ではないことは確実だった。
だからといって、このままにしておくことは出来ない。
どうにかしないといけないと思いつつ、見知らぬ相手と話すのが怖かったエフェメラは、シィラに助けを求めた。
「シィラ助けて!」
魔法を使った通信で呼び掛けると、すぐに返事が来た。
『エフェメラ様? どうしたんです?』
「細かいことは後で話す。すまんが、ちょっと転移させてくれ」
『それはいいですけど――』
シィラの返事を最後まで聞く余裕のないエフェメラは、転移門を起動。
それを通ってシィラが現れると、砂浜に横たわる彼女に気付いた。
「エフェメラ様、彼女は?」
「わからん……急に流されてきた……」
エフェメラの話を聞きながら、シィラは女性の状態を確認する。
「怪我があるみたいですね、とりあえず運びませんか?」
「うむ、分かった」
シィラに促され、エフェメラは転移門を使い、連盟本部にある自分の部屋に全員で転移する。
「ベッドで寝かせてあげましょう」
「そうだな」
シィラが指示してくれるので、エフェメラはテキパキと動く。
魔法で、ふわりと浮かばせると、そっとベッドに横たえた。
「……思った以上に怪我が多いですね」
確認すると、幾つもの傷が見える。
(この怪我は……)
海に流されたにしては怪我の仕方に違和感がある。
(何かに巻き込まれた?)
推測しながら、シィラは本部内の治療道具を召喚。
そこにエフェメラは言った。
「治療するなら回復系の魔術か魔法を使った方が良い」
「そうなんですか?」
「うむ。どうも、この世界以外の魔力生命体のようだ。魔力に直接干渉する類の術式を使った方が良い」
2人で話していると、うめくような声が聞こえる。
見れば、ベッドに横たわる彼女が意識を回復したようだ。
「好かった。目が覚めた――」
シィラが声を掛けようとすると――
「貴様ら、何者だ!!!」
勢い良く体を起こし武器を取り出すと切っ先を向けてきた。
「ひっ!」
ビビるエフェメラ。
武器が怖いわけではなく、知らない相手に怒鳴られたので怯んだのだ。
実際の所は、獅子が仔猫に鳴かれて身体を縮めているようなものである。
エフェメラの様子から、危険度は低いと察したシィラは、武器を向ける彼女を見詰める。
(震えてる)
顔は青ざめ、必死に抗おうとしているように見えた。
(無理もないわ、知らない場所は誰だって警戒する)
シィラは女性を安心させるように、優しい声で呼びかけた。
「私達は貴女に危害を加える気は無いわ。むしろ助けたのよ」
「……」
警戒しながらも、彼女は迷うような視線を向ける。
それを柔らかく受け止めながら、シィラは呼び掛け続けた。
「大丈夫、私はあなたの敵じゃない」
「……」
じっと見つめる彼女の視線を受け止めながら、ゆっくりと距離を縮める。
「大丈夫、私はあなたを傷つけない……刃を収めて」
そっと、武器を持つ震える手を両手で包んだ。
「……」
無言のまま、彼女は武器を落とす。
そんな彼女の肩を引き寄せ、安心させるように抱きしめた。
(なんとかシィラがなだめてくれた)
胸を撫で下ろすエフェメラ。
(睨まれたの久々で泣くかと思ったぞ! 我!)
実際涙ぐんでる。
とはいえ冷静になったので、改めて観察する。
(……傷と武器からして戦士だろうか? 戦地に赴いていたと見た。それならこの異様な警戒心にも頷ける)
エフェメラが観察している間に、シィラは回復系の魔法で傷を癒していく。
「とりあえず、上に話を……メフィスト様に聞いた方が手っ取り早いかしらねぇ」
「うむ、それなら我が探して……そういえば、動画をアップするとか言ってた者達は……」
「大丈夫です。あの子達がなんとかしてくれました」
「そうか。うむ、なら大丈夫だな」
安堵するエフェメラ。
2人の様子を見ている彼女に、シィラは問い掛ける。
「名前は?」
「………アプスルシア、わたしの名だ」
(ちょっと間が開いたが、まぁ大丈夫だろう)
アプスルシアと名乗った彼女の様子に、エフェメラは警戒心を薄れさせる。
そこに、シィラが自分の名を告げた。
「私はシィラ。あの方はエフェメラ様、震えてるけど吃驚してるだけだから大丈夫よ」
「いやこれは震えているのではなく――」
「ほらエフェメラ様、自己紹介してください!」
「エフェメラだ! 怖い者じゃないから心配するな!」
自己紹介をすると、アプスルシアはシィラを見詰めている。
「……シィラ」
「ええ。私の名前よ」
少し驚いているような表情で見詰めるアプスルシア。
見詰められたシィラは、安心させるように笑みを浮かべた。
(うむ、これなら問題あるまい)
大丈夫だと思ったエフェメラは、アプスルシアをシィラに任せることにする。
「とりあえず我はメフィスト殿を探してくるなー」
手をひらひらとさせながら部屋を後にする。
(1人で探すのか……緊張する!)
見知らぬ相手の世話をするより良いとはいえ、人探しも得意とは言えない。
けれど、アプスルシアを放置しておく訳にはいかないので、メフィストを探す。
(……それにしても――)
探しながら、浮かんでくる疑問。
(彼女、どうやってここに来た? 異界衝突? いや、なら彼女だけは不自然だが……)
それと同時に感じる、奇妙な既知感。
今日ではない、いつか。ここではない、どこかで。
それはまるで、『時間矛盾(タイムパラドクス)』のような、捉えどころの無い感覚。
(それも含めて、メフィスト殿に訊いてみるか)
今のメフィストは、バレンタインデーの時期には死んで、時間神として、煉界を含めた関連世界の時間関連の調整をしている。
(以前に我とシィラは、アプスルシアと出会ったのかどうかを、な)
ビビりだが大魔女なエフェメラは決意すると、メフィストを探すことにした。
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「私が、メフィスト様の補佐をするんですか?」
ヨセフに呼ばれた『桃山・令花』は、突然の提案に目を丸くする。
「その、私だと、力になれるか難しいと思うのですが……」
少し困ったように令花は応える。
メフィストは普段の言動がアレなので、お茶らけて見えるが、実際の所は深謀遠慮で動いている節がある。
そもそも人間に転生しているとはいえ、この世界の創造神の一柱。
ネームレス・ワンとの最終決戦でも、他の管理神と共に見届け役に就いていたことを考えると、補佐という形で何か役に立てるのかが不安だ。
そんな令花に、ヨセフは安心させるように言った。
「心配しなくても良い。魔術や戦闘ではなく、あいつとの連絡役と記録係として就いて貰いたい」
「連絡役と記録係、ですか?」
「ああ、それについては……そうだな、現状を詳しく伝えておこう」
ヨセフから詳細を聞いて、令花は好奇心に目を輝かせる。
「異世界との接触、本当にあるんですね!」
今から三百年後。
この世界には多くの異世界がぶつかって来るようになると教団の広報課から話を聞いていたが、その一端と関われるかもしれないと、期待に胸を躍らせる。
(生きてる内には関われないと思ってたのに、これは――)
物書きとしての習性というべきか。
ネタになりそうなことには目が無いのだ。とはいえ――
(いけない。冷静にならないと)
自分を落ち着かせるために居住まいを正すと、改めてヨセフに言った。
「事情は分かりました。私は、メフィスト様との連絡役と記録係に就けばいいんですね?」
「そうだ。それと、あとひとつ。こちらは可能であればの話だが、向こうの世界との交流が可能になった時、協定を結ぶ必要がある。その策定にも関わってくれ」
「協定、ですか? でもそれは……」
令花は言いよどむ。
実家で官僚としての手ほどきを受けているので、書類仕事には精通しているが、それだけに今回のことが大事なのは理解できる。
「相手方の出方や要望も分からない内に作るのは難しいと思います。まだ向こうとは、直接の交流は出来ていないんですよね?」
「ああ。向こうの世界だと『特異点』と呼ぶらしいが、世界観接続の要となる手鏡を介して言葉を交わすことが出来る程度だ。だが今こちらの世界には、向こうの世界の住人が居る」
「異世界の住人、ですか?」
「ああ。彼から話を聞いて、そこから協定の立案を幾つか作ってくれ。君以外にも、何人かに頼んでいる。複数の案を後ほど選定し進める予定だ」
つまり本格的に進めるための叩き台を作ってくれということらしい。
「分かりました。力になれるか分かりませんが、精一杯尽力します」
「すまないが頼む。メフィストは、セパルが連れて来てくれることになっている。場所と時間は――」
詳しい場所を聞いたあと、令花は拝命を受ける。
「桃山令花、勅命をお受けします」
ヨセフから任命を受けたあと、まだ時間があった令花は、しばらく遅くなるかもしれないと告げに、弟である『桃山・和樹』の元に訪れていた。
「――という訳なのよ」
「すっげぇじゃん!」
令花から話を聞いた和樹は盛り上がっている。
「異世界人と話せるかもしれないんだろ? すっげぇ面白そう!」
はしゃぐ和樹に、令花は苦笑する様に言った。
「もぅ。遊びに行くんじゃないんだから。お仕事なんだからね」
「ママ、お仕事に、いくの?」
令花の言葉に、人型魔導書である叶花が小首を傾げる。
まだまだ小さな子供姿の叶花が、そんな仕草をすると、令花は可愛さで目元が下がる。
「そうよ。ママ、お仕事に行って来るからね」
「うん、分かった」
とててっ、と叶花は駆け寄ると、ぎゅっと足元に抱き着く。
「いってらっしゃい、ママー。お仕事、がんばってね」
(ああぁぁっ、かわいいー)
「うん。行って来るね、叶花」
腰を下ろし、ぎゅ~っと抱きしめる。
すると叶花は、嬉しそうに頬を寄せた。
(子育て、頑張ってるな)
令花の様子を見て、和樹は思う。
(他にも色々とやってるのに、凄いな)
令花は創造神との最終決戦の後、実家のあるニホンとの折衝役を自分から買って出て、忙しく動いている。
それはお世話になった教団に貢献し、みんなの役に立ちたいという思いからだ。
決戦後のごたごたの調整などが出来るよう事務能力の研鑽を積み、父と連携してニホンの被害復旧やDフェスをベースにしたニホンを活気づける事業提案に力を入れていた。
(しかも仕事の合間に、小説書いてるし)
以前、Dフェスで出した小冊子『僕たち勇者候補生~ヒロイックハイスクール~』を、長編にするべくコツコツ執筆している。
時折、インスピレーションが湧かずに話が詰まることもあるようだが、主人公である少年を形にしてあげたくて、頑張っているようだ。
(それに加えて、叶花の面倒も見てるし……俺も頑張らないとな!)
「行ってきなよ、ねーちゃん」
和樹は令花を、力付けるように送り出す。
「頑張るねーちゃんに負けないよう、俺も頑張るからさ。宝貝との契約も出来るっていうし、そっちの手続きは、やっとくからさ」
そして叶花に視線を向ける。
「こっちは心配いらねぇから。ちゃんと叶花の面倒は――」
「大丈夫だよ、ママ」
和樹よりも一足早く、叶花は元気良く言った。
「パパのお世話は任せて!」
「叶花……」
安心させようとする叶花に、感極まったかのように、ぎゅ~っと抱きしめた。
そんな2人を見て、満足げに笑みを浮かべる和樹だった。
そして令花が、聞いていた場所に向かうと――
「……メフィスト様?」
何故だかメフィストは縛られて地面に転がされていた。
「おーう、ヘルプミーでーす」
「なんで縛られてるんです?」
「逃げ出さないようにしている、らしい」
令花の疑問に応えたのは、1人の男性だった。
苦労が滲み出しているように痩せているが、眼光には力がある。
「あの、貴方は?」
男は気難しそうに眉を寄せると、静かに応えた。
「ディンス・レイカー。そちらにとっては、異世界人の1人だ」
「異世界の人なんですか!?」
令花は、驚きと共に興味津々に声を掛ける。
「私、桃山・令花って言います! メフィスト様と本部の連絡役と、向こうの世界とこちらの世界の協定に関する立案に関わらせていただくことになりました!」
「協定?」
「はい! 向こうの世界との余計な軋轢を無くすために――」
話していく内に、段々と難しい顔になるディンスに、令花は恐る恐る尋ねた。
「あの、なにか気になることでも、ありましたか?」
「……」
言葉を迷うような間を空けて、ディンスは応えた。
「こちらの世界はともかく、あちらの世界で協定を結べるような、世界を代表する機関があったかと思っただけだ」
「だから学園生に関わって貰うんですよー」
にょいっと、縛られたままのメフィストが立ちあがり、会話に加わる。
「各国やー各種族ー、それにさまざまな部族とも関わりのある学園ならー、連絡役としても良いでしょー。それを見越してー、貴方も私に提案したんじゃないのですかー」
「……そうだ」
何やら2人だけで会話しているので、事情を知らない令花は尋ねる。
「あの、学園って、なんでしょう? どこかの政府機関に所属している場所なんでしょうか?」
「勇者を育てるための学校ですよー」
「勇者?」
思わず聞き返すと、メフィストが説明してくれる。
「向こうの世界にはー、魔王ってのがいたのでーす。それを倒して封印したのがー、勇者なのでーす。そんな勇者を、育てていこうというのがー、魔法学園フトゥールム・スクエアなのでーす」
話を聞いていると、最初はギルドとして設立されたらしいが、それがある人物により学校として運営されるようになったとのこと。
「凄いんですね、メメルさんって方は」
話を聞いて、令花は目を輝かせる。
すると、ディンスは苦々しい声で言った。
「凄い? 確かに力は認めるが、あの日和見主義ではな」
(……なにか、あったのかしら?)
何やら因縁がありそうなディンスに、令花が事情を聞けないでいると――
「この人ー、年甲斐もなくー、不良学生になっちゃったのでーす」
「誰がだー!」
「不良学生?」
令花が聞き返すとメフィストは説明した。
「この人も学園生だったみたいなのですがー、メメたん学長じゃ世界を救えないからボクが救うー、的なノリでテロしてー、異世界を繋げることのできる手鏡を使おうとしてー、返り討ちにされてこっちの世界に来ちゃったのでーす」
「そうなんですか?」
「……そうだ」
苦虫を噛み潰すような顔になるディンスにお構いなしにメフィストは続ける。
「それでこっちの世界に、死に掛けで来てー、そのまま放置する訳にもいかないのでー、ノーデンに仕事丸投げされた私が拾ったのでーす」
ノーデンは煉界の管理神だが、基本死んだ後に天界と地獄に行く魂の振り分けが仕事だ。
他はする気が無いようで、その分の仕事がメフィストに回ってきたようだ。
「……分かりました。ならなおのこと、向こうの世界と、学園のことを教えて下さい」
メフィスト達の話を聞いた令花は、気合を入れて言った。
「きっと向こうの世界は、いま大変なんだと思います。だから私達で力になれることがあれば、力を貸したいです。そのためにも、詳しい情報を教えて下さい」
令花の真摯な態度にディンスは思う所があったのか、学園について詳しいことを話してくれる。
それを聞けば聞くほど、令花は目を輝かせた。
「もっと聞かせて貰えませんか」
令花が、身を乗り出すような勢いで訊くのには理由がある。
それは、いま彼女が書いている小説と異世界の学園の話が似ていたからだ。
(こんなことって――)
彼女が書いている長編『僕たち勇者候補生~ヒロイックハイスクール~』は、勇者を目指し学校生活を送る主人公の少年の物語。
今は2年生の中盤、魔王復活をもくろむ複数の勢力襲来や学園を守護する世界樹の危機を多方面作戦で乗り越えるという山場を書いていた。
それとリンクしているかのような話に、物書きとして心が躍る。
そんな令花に、メフィストは言った。
「向こうの世界の光景、見てみたいですかー?」
「見れるんですか!?」
「この人とー、向こうの世界の繋がりがありますからねー。そこから手繰り寄せる形で見れますよー」
そう言うと異世界、魔法学園フトゥールム・スクエアの光景を周囲に映し出した。
そこには幾つもの種族と、学生服に身を包んだ人々の姿が。その中に――
(――っ! 嘘っ!)
令花は、自分の物語の主人公の姿を見た。
それは自分の想像の中にしか居ない筈の少年。
けれど彼は生きて、学園生として成長しようとしていた。
(どうにかして話をして小説のネタに! あ~ダメダメ私には任務が!)
物書きと、そして教団員としての板挟みに葛藤しながらも、任務を第一に考える。
(それが一番、良いことだから)
いつか向こうの世界と出会えるために。
「頑張りましょう! メフィスト様! ディンスさん!」
気合を入れる令花に、ディンスは驚き、メフィストは笑顔で返す。
「その調子でーす。頑張りましょー」
「はい! 頑張ります!」
きっとその頑張りが、好き明日へと繋がるだろう。
そう思える、令花の一日だった。
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