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深い森の奥深く。年老いた巨木のうろが、わたくしの住まいです。
わたくしはそこで膝を抱え、眠っているとも目覚めているともつかないまま、朝と夜を繰り返します。
ここには動物たちさえ寄りつきません。
ときおり吹く風が奏でる枝葉がこすれる音。それだけが、息をひそめて生きるわたくしの世界の音色のすべて。
ええ、これでいいのです。
ロスト・アモールが起こるまで、わたくしは他の妖精たちと同じく、人に紛れて生活をすることもありました。
ですが、あの事件で知ってしまったのです。
人は、人類は、もはや愛も絆も喪ってしまったのだと。
あれほど眩く尊かった心のすべては、砂糖菓子のようにもろく崩れたのだと。
人の世を見守っていた妖精たちは、あの事件以後――正確にはその後のラグナロク以後、完全に中立の立場となりました。
人類の味方ではなく。
さりとて神の味方でもない。
そうすることで自分たちを守ろうとしたのです。
わたくしは、もうどうでもよかった。
人類も妖精も神も、お好きに生きてくださればいいのです。
わたくしはここで誰に知られることもなく、誰に会うこともなく、漫然と日々を過ごし、消滅の日を待ちますから。
自死さえできない妖精の身の、なんと嘆かわしいことでしょう。
「おはようティターニア! 朝だぞ!」
言うが早いか、木のうろに上半身を入れたオベロンがわたくしの手を引きました。
抵抗する暇などありません。
わたくしはつまずきながら外に引きずり出されます。
ああ、朝日が眩しい。
「もうすぐ我らの婚儀だというのに、相変わらず暗い顔でこんなところにこもっているのだな! 不健康だぞ!」
オベロン、声が大きいです。うるさいです。
ですがあなたが元気だということは、もう春がきていたのですね。
「ここにいては分かるまい。なにせ年中、草と木と葉しかないからな。なにゆえ花のひとつも咲かせないのだ?」
不思議そうに首を傾けたオベロンが指を鳴らすと、周囲に花々が咲き乱れました。
色とりどりの光景に、わたくしは目を細めます。
「まだ人類に失望しているのか?」
絶望、とは、オベロンは言いませんでした。
わたくしは顎を上げ、彼の整った顔を見つめます。
薄紅の瞳はひどく優しく、静かに、わたくしを見下ろしていました。
ここに引きこもったわたくしを、決して孤独にはしてくれなかった春精オベロン。
声を封じられたわたくしを、妻にしようと言う物好きな殿方。視線を交わらせるだけで、わたくしの考えをたいてい読みとってしまう、愉快で恐ろしい変わり者。
「ティターニアは諦めが早すぎるのだ」
わたくしはうつむいて沈黙します。
早くなどありません。わたくしはしっかりとこの目で、争いの数々を見ました。
「いいや、早い。なにせ人類はすでに愛と絆をとり戻している。あの宝石のような感情は今、確かにあの者たちの心にあるというのに」
……。
「顔を背けるな。目を見開け。森の奥深くにこもっていてはなにも分かるまい。認めよ、ティターニア。人類の歴史はまだ終わっておらん」
オベロンは、人類が好きです。
彼だけではありません。表向きは中立でありながら、裏で人の生活に手を貸す妖精がいることくらい、わたくしも知っています。
たとえばオベロンの旧友、氷精グラース。わたくしの兄である空精アリバ。
他にも複数の妖精たち。
「竜の渓谷が今一度、人とともに歩むと誓った。魔女と称され迫害されていた者たちの一派が和解を求め、互いに歩み寄った。常夜の国は長く閉ざしていた門を開き、人類は今、手をとりあって、己たちよりはるかに強い神に牙を剥いておる」
オベロンがもたらした嘘のような情報に、わたくしは動揺しました。
ええ、ですがよく分かっています。彼はわたくしに嘘をつかない。本当に――人の世は、変わっているのです。
「場所は我が設ける。ティターニア。今一度、汝自身で見極めよ」
春風が森を吹き抜けました。
厚く重なった枝葉が揺れ、明るい日差しが一瞬だけ、地表までなににも遮られずに届きます。
その眩しいこと。空の青いこと。花の香り。
人の側にあったときには、意識せずとも感じていた春の気配。
かつて人類の心から失われた陽だまりのような感情を、わたくしは想わずにはいられませんでした。
『教団司令部より、浄化師の皆様に発令します。
本日未明、教団本部の片隅で梅の花の異常な開花を確認しました。
近くで研究用に植えられていた【おばけヒマワリ】が関係していると思われますが、そこは専門家たちに任せるとして。
皆様には梅の木を媒介として生じた魔法空間の攻略をお願いいたします。』
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4月1日はエイプリルフール。
4月2日はトゥルーエイプリルフール。
この違いを分かりますか?
エイプリルフールは「嘘をついても良い日」です。
ですが、教皇国家アークソサエティでは、嘘をつける期限は正午までという風習があります。
まあ……今は多国籍化したために、終日嘘をついても問題視はされませんが。
そしてトゥルーエイプリルフールは「真実の日」です。
前日とは反対に、真実しか話してはいけないとされています。
そのため、嘘偽りのない愛の告白……プロポーズをする者が多いとも言われています。
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「嘘をついて真実を語る?」
この話を聞いて『ジャン・クリストフ』は、疑問に思う。
さんざん嘘をついた次の日に真実を語れとは、まるで前日の懺悔だろうと。
「そんなものだと思えばいいのよ。エイプリルフールもトゥルーエイプリルフールも風習なんだから」
考えるジャンに声をかけたのは『神代マユカ(コウシロ・マユカ)』、ジャンのパートナーである。
「風習でも誰かが嘘をつくわけなんだし」
「でも、つかないかも知れない。絶対にやらなくちゃダメという風習でもないもの。……でもトゥルーエイプリルフールは、ちょっと気になるかしら?」
真実の日だもの、なにかを語ってくれるわよねジャン?などと言って、ジャンにモーションをかけてみるマユカ。
本音を言えば、マユカはジャンのことが好きなのだけど、当のジャンはのらりくらりと、マユカの気持ちをはぐらかし中。
積極的なマユカに、ジャンはなかなか応えられないだけなのだが、はっきりと返答をしていないのは確か。
(もう!ここまで言っても……。ジャンの真面目で堅物っ!)
相変わらずのジャンに、少々イライラがつのるマユカだった。
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「――というわけなのよー!」
恒例の体当たりも玉砕し、教団寮の食堂で仲間に愚痴をこぼすマユカだが。
いつもと言えば、いつもの光景なので、仲間たちは苦笑い。
「今年のトゥルーエイプリルフールはと思ったのに残念」
そんなマユカを見かねて、仲間の1人が口を開いた。
「じゃエイプリルフールに、嘘をつかせればいいのではないか?」
そしてまた1人。
「なるほど。嫌いは好きの裏返し、そんな手もあるわね」
マユカを囲んでいた仲間たちは、悩めるマユカを助けるべく、色々な提案をしていきます。
「素直にトゥルーエイプリルフールに言わせるのもアリじゃん」
「あの堅物ジャンが素直に言うか?」
みんなは知っているんです。ジャンの性格は、真面目で堅物で……そして不器用だと。
本当はマユカのことが好きなのに、告白のしかたすら分からない不器用さん。……それをジャンとマユカと仲がいい人たちは、みんな知っている話とはマユカに言えず、毎日こうして付きあっている。
「言わないなら、言うようにしむけようか?」
「え!?」
仲間の1人が言った言葉に、ビクッと驚くマユカ。しむけると言っても、ここにいる仲間たちでは、ジャンは耳を貸さない。
マユカがこうして愚痴を言っているのを、ジャンは知っているから。
「……無理よ。ジャンに知られてしまっているもの」
それもそうかと思う気持ちと、まだ手段はある気持ちが、仲間たちの中で交錯する。
「私たちじゃなければ?教団にどれだけの浄化師がいると思っているの?手を借りたっていいじゃん」
確かにこの薔薇十字教団本部には、浄化師、教団員など合わせれば、星の数ほどいるのではないか。そう思うほど人は沢山いるわけで……。
仲間を頼れば、ジャンが知らない浄化師から手伝って貰えるかも知れない。そう思ったマユカは、この話に賭けてみることにした。
マユカと仲良くしている仲間たちは、四方八方に手を伸ばし、あなたたちもマユカの手伝いに参加することにはなったけど。
自分たちだって、エイプリルフールやトゥルーエイプリルフールは楽しみたい。
だから、2人を手伝いながらも、この2日間をパートナーと一緒に楽しんでみることにした。
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――さて、今日は何をしようか。
最近はこれと言った指令もなく、平和な時間が続いている。
浄化師がこんな平和ボケをしていても構わないのか、と職業病特有の悩みに襲われるが、そもそもの話。
いくら浄化師とは言え、働き過ぎては疲れてしまうものだ。
それが時には命がけのことであるのならば尚更のこと。
その現実を、疲れを――忘れる為には平和な時間は必要なものだ。
こう、なにもせずにただただ時間が過ぎていくだけの日があっても罰は当たらないだろう。
それに、今日は珍しく天気が快晴だ。雲一つない青い空が一面に広がっている。
遮るものがなく、太陽の光はここぞとばかりにその暖かい光を世界に照らしてくれている。
――うむ、まさに『平和』と言う文字しか見当たらない。
ではその平和な一時を時間が流れるだけで過ごす――否だ。
せっかくの一時なのだ、たまには目的もなくぶらぶらしても構わないだろう。
そう思い、外の世界で、さあ素晴らしき時間を満喫しようではないかッ!
と、外に出てしばらくした後に、
「お母さ~ん!」
遠くから少女の声らしき声が聴こえた。
――ふむ、少女が自分の母親の元に行こうとしているのか。
想像すると、何とも微笑ましい光景が浮かぶ。
それに、声から察するに特に事件性は無さそうなので、そのまま平和を満喫しようとする……が。
「ねえねえ、お母さん?」
その声は……先ほどよりも近いところから聴こえた。
だがまあ、少女とその母親が向かっている方向が、自分達と同じなだけだろう。
そう思い、気を取り直して――さあ! と。
「……お母さん? お母さん!」
……明らかに、間違いなく。
その声は遠くに行くことも、距離を維持することもなく。
徐々に、しかし確実に――自分達の方に近づいている!
まさか……そんなことがあるわけない。
そうだ、これはただの勘違いだ。きっと疲れすぎているからだろう。
だから、声が聴こえた方向に、それはないはずで――
「――あ、ようやくこっち見てくれた! ねえ、お母さんッ!」
…………、
……………………勘違い、ではなかった……
声が聴こえた方向に視線を向けると、そこには見知らぬ少女が。
「ねえねえお母さん、あそぼ? いい天気だから、あそぼ?」
その少女は『祓魔人』を「お母さん」と言いながら、その袖を引っ張って。
その光景を、パートナーである『喰人』は不審そうな目で睨んでいる。
……いやいや、知りませんよ? これっぽっちも記憶にないんですが?
そう訴える祓魔人に、だが喰人の視線は先ほどよりも鋭く、痛いものに変わる。
ああ……あらぬ誤解が深まりつつある……!
自分とこの少女には何の接点もないと言うのに――ッ!
そう絶望する祓魔人に、しかしその少女は喰人の方を見て。
「――そっちのお母さんもあそぼ?」
――ッ!?
と、第二のお母さん発言を投下した。
……待て待て、一旦状況を整理しよう、と浄化師の二人は急遽、会議を開く。
まず最初に、見知らぬ少女がいきなり自分達のことを『お母さん』と呼んできた。
――うむ、全くわからない。
「ねえねえ、あそぼ? わたし、お母さん達とあそべなくてずっとたいくつだったの」
二人で会議をしていることに、少女は不満を持ったのか、二人の間に入って来た。
……まあ、とりあえずは名前を訊くことから始めるか。
何事も名前を知ることが大切だ。
それに、もしかしたら名前を知ることで、少女の事情を知ることが出来るかもしれない。
そうと決まれば、少女の名前を訊こうと、膝を曲げて目線を合わして、名を問う。
「わたし? ――エリーゼだよ」
ふむ……エリーゼ、とな。
今の発言からするに、この少女の認識では、自分達とは『初対面』であることがわかった。
となれば、見知らぬ少女エリーゼは迷子なのかもしれない。
「でねでね、なにしてあそぶ!?」
……とりあえず、先ほどから不審な視線をぶつけてくる周りが非常に気になって仕方がない。
もし浄化師という立場でなければ、間違いなく世間的に危ない人種として見られていただろう。
抱かれたその不審を解く為に、ここはエリーゼと遊ぶことが適切だ。
だが……しかしながら、先ほどから奇妙な違和感がある。
今日の天気は快晴だ、太陽の光がこれでもかと世界を照らしている。
にも関わらず、エリーゼの足……足元に在るべきはずのモノがない。
――そう、『影』が。
エリーゼには影がないのだ。
この世界の全ての物質には影がなければいけない。
影がないということは、それはつまり――物質ではないということ。
生き物も物質に当てはまる……となれば。
影がないということは、物質ではない――生き物でもなく、この世のモノではないということだ。
なら……この少女『エリーゼ』は――――……
「ねえねえ、なにしてあそぶ!?」
……とりあえずは、遊ぶことにしよう。
遊んでいる内に、何かわかるかもしれない。
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……春に桜が香る夜は……雲雀が恋歌歌うまで……父の背に乗り眠りましょう……
……夏に蛍の灯火燃ゆる夜は……椎に空蝉止まるまで……婆の歌にて眠りましょう……
歌が聞こえる。
優しく。悲しく。
切なく。愛しく。
延々と。
絶える事なく。
歌が、聞こえる。
「……聞こえるな……」
「ああ……。気味の悪い事だ……」
茂みの中から顔を出した数人の男は、そう言い合って顔を見合わせた。
そこは、とある街の郊外にある森。その中にポツンと立った、古びた館の前。
話は、少し前に遡る。
この館には、三人の家族が住んでいた。初老の男と、その妻。そして、まだ幼い娘が一人。主の男は、とんだ偏屈者で人嫌い。人が近づき難いからと言って、獣のうろつく森の奥深くに館を建て、家族もろともに世捨て人の様な暮らしをしていた。
そんな男に、若い妻は誠心誠意尽くしていた。書斎に篭りきりの夫に代わり、館の周りに畑を作り、森に出ては狩りをして一家の生活を支えていた。
時折街に出てきては日常品を買い求めたりしていたが、夫の言いつけなのだろう。街の人々と深く関わろうとはせずに、用を済ませるとそそくさと森に帰っていくのが常だった。
そんな彼らを街の人々は気味悪がり、迫害こそしないまでも、遠く距離をおいて接していた。
そんな毎日に、異変が起こった。
件の妻が、姿を現さなくなったのだ。それまでは週に一回は街に出て来ていたものが、パッタリと絶えた。街の人々は、最初のうちこそ気にも止めなかった。しかし、それが一ヶ月二ヶ月と続くと、流石におかしいと思う様になった。興味を持った街人がコッソリと見に行った所、そこにはひっそりと静まり返った館だけが立っていた。
畑は荒れ果て、子供の玩具が散らばり、半開きになった館のドアだけがキィキィと寂しげな音を立てて揺れていた。
あまりにも不気味な雰囲気に、訪れた街人は館の中を確認する事も出来ずに逃げ帰った。
話を聞いた街の人々は、かの家族は死に絶えたのだろうと噂した。獣に襲われたか。それとも疫病でも得たか。とにかく、あの館に生きる者はもういないのだろうと。
そう結論づけたものの、それではかの家族を弔おうとする者は現れなかった。憐憫の思いよりも、得体の知れない場所への恐怖が勝ったのだ。そもそも、自分達との関わりは薄い存在。そこまでしてやる、義理もない。いずれ、自然が全てを土に返すだろう。
そして、人々はだんまりを決め込む事にした。
けれど、世の中は甘くなかった。
今度は、街の住民達に異変が起こったのだ。
標的は、子供だった。街の子供が一人。また一人と姿を消し始めた。行方を捜す街人達は、森へ迷い込んだのではないかと山狩りを始めた。
子供達の姿を探して森の中を歩いていた街人の一人が、かの館の前へと出た。前にも増して、荒れ果てた館。けれど、それとは違うモノが街人の背筋を怖気させた。
『歌』だった。
誰もいなくなった筈の館の中から、誰のものともしれない歌が流れてきていた。
優しく。悲しく。
切なく。愛しく。
か細い女性の声で紡がれるそれは、子守歌。
呆然と立ち尽くす街人。その前で、更なる異変が起こる。
彼が立っていた茂みから離れた木々の中から、一人の子供がさ迷い出て来た。
見間違える筈もない。昨日、行方をくらませた少年だった。
名を呼ぶ。
けれど、反応はない。虚ろな瞳で前を見据えながら、少年はフラフラと館に近づいていく。駆け寄って、連れ戻そうとしたその瞬間――
バン!
館の扉が、大きく開いた。中から伸びてくる、白いモノ。それが、不気味に蠢くレースのカーテンだと知れると同時に、少年に巻きつく。そのまま、蛙が虫を喰らう様に少年を館の中に引き入れる。
バタン!
一人でに閉まる、館の扉。
全ては一瞬。
そして、館は何事もなかった様に再び歌を奏で始めた。
逃げ帰った街人の話を聞いた人々は、確信した。
原因は、あの館。
行方を晦ました子供達は、何者かによってあの館に囚われているのだ。
直ちに、街の男達によって捜索隊が組織された。掻き集めた得物で武装し、彼らは館に向かった。
しばし後、館の前に着いた彼らは様子を伺いながら、先の会話を交わしていた。
「……ここでこうしていても、仕方がない……」
「そうだな……。行くか……」
恐怖に震える足を叱咤し、男達が立ち上がろうとしたその瞬間――
バキバキッ!
少し離れた場所の木々が、大きな音を立てて倒れた。
「な、何だ!?」
「お、おい!! 見ろ!!」
幾人かが指さした先で、何かが蠢いた。
キリキリキリキリ……。
不気味に響く、機械音。それと共に現れたのは、白い攻殻と、その内に赤い光を内包する巨体。
認めた男達が、悲鳴を上げる。
「ヨ……ヨハネの使徒だー!!」
そう。現れたのは、忌むべき神託の具現者。『ヨハネの使徒』。その数、4体。昆虫の節足の様な脚を回しながら、館に向かって移動していく。
「あ、あいつら、館を狙っているのか!?」
「いかん!! あの中には、子供達が!!」
駆け出そうとした若者を、別の男が止める。
「駄目だ!! ヨハネの使徒(あれ)は、俺達でどうにか出来る代物じゃない!!」
「しかし……」
「浄化師だ!! 誰か、教団に連絡しろ!! 浄化師を呼ぶんだ!!」
その声に弾かれる様に、幾人かが森の外に向かって走り出す。
「頼む……。間に合ってくれ……」
祈る男達の前で、ヨハネの使徒が館の外壁に脚をかける。
……秋に雁が渡る夜は……サルナシの実が熟れるまで……爺の語りで眠りましょう……。
……冬に雪虫舞う夜は……雪が星に変わるまで……母に抱かれて眠りましょう……。
歌は、途絶えない。
まるで、何かを守る様に。
歌はいつまでも流れ続けていた。
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教皇国家アークソサエティ、その中に存在する薔薇十字教団本部。更に東部にある教団寮の共有部分で、1人の浄化師が飲み物が入ったコップを持ち、頭を抱えながら歩いていた。
「参ったなぁ、こんな物を貰っても、使えないだろう」
コップをユラユラと揺らし、中身の液体をため息混じりに見つめるのは、ライカンスロープの祓魔人【シモン・ルベ】である。
事の始まりは、シモンが偶々食堂を通りかかった時に、偶々一緒になった教団員から、この飲み物を少々強引に押し付けられて、断り切れずに貰ってしまったため。
どう考えても、あれはカレッジの研究員さんだ。そんな人が渡す飲み物と言えば魔術絡みと相場は決まっている。だからこそと困っているシモン。
下手に捨てれば二次被害ということも考えられ、捨てるに捨てられず、こうして当てもなく寮内を歩いているんだが、どうすれば良いんだと悩みまくり中。
(思いっきり爆弾を持たされた気分だ)
見た目はレモネードと言ったか?そんな飲み物に見えるが、どう考えても中身は別物だと判断出来る。
いっそのこと本部から飛び出し、差し障りの無い場所に捨てる。そうだそれが良い!
心が決まったシモンは、密かに教団寮から抜け出そうとしたが、それは突然現れたシモンのパートナーによって、あっさりと失敗に終ってしまった。
「シモン?そんなに慌ててどうしたのよ」
「いや、別に慌ててなどいないが、いきなりだなリリー?」
「なに言っているのよ、次の指令の話がしたくてシモンを探してたのよ。それなのにシモンったらどこにも居なくって、漸く見つけたんですからね!」
彼女はシモンのパートナーで、ヴァンピールの【リリー・ロゼ】、勝ち気な性格で、毎回振り回されるのはシモンの方になる。
だからリリーに見つかる前に処分したかったとは、シモンでもリリーには言えない……反論が怖い為に。
「??その手に持っている飲み物はなあに?シモンあなた甘い飲み物は苦手でしょう」
「これはだな……そう貰ったんだ、俺は要らんから捨てようとしていた」
「氷も入っていて、美味しそうなレモネードなのに、捨てるなんて勿体ないじゃない!」
「あっおいっリリー!?」
シモンが持っていたコップをリリーは奪い取り、中身が分からない飲み物を、美味しそうに飲んでしまった!?
「リ……リリー?」
「んー美味しい、レモネードは清涼感があって良いわよね…………あ、あれ?」
「!?」
あれ?とリリーが言った後、リリーの体がみるみると小さくなっていく。
シモンは幻でも見るかのように、縮むリリーを茫然と見ていることしか出来ず、最後には子供の姿になってしまったリリーを、穴が開くほど見つめてしまっていた。
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「……おじさんは誰?ここはどこ??ママ?パパ?あたし、こんな場所知らないよぉ」
「……はぁ!?」
小さな子供の姿になってしまったリリー。しかもシモンのことを、知らないおじさんと言うところを見れば、記憶も子供にまで戻ってしまっているじゃないか!
(なんで服まで縮むんだ? いやいや、問題はそれじゃないだろ!)
「リ……じゃない、お嬢ちゃんは俺が分からないのか。とりあえず幾つなんだ?」
「私?5才よ。これからね、パパとママと一緒に馬車に乗って、ラミアーの農場を見学にいくの。そのあとに、おいしいお料理も出してくれるって。リリーは、パパとママと一緒に食事するのが楽しみなのに、変な場所に連れてこられちゃった!あーん!パパー!ママー!リリーを1人にしないでぇー!!」
「……リリー」
リリーの家族はべリアルに襲われ、両親も兄妹も全員亡くなっている。
そう、もう居ないはずの肉親が、まだ生きていたころの記憶なんだこれは。
(俺の知らないリリー。そして一番幸せだったころのリリー。あの飲み物のせいだと分かってはいるが……今すぐ治せとも言いにくい)
先ほどの教団員を探して捕まえ、解毒薬を無理やりでも貰おうと思ったシモンだったが、リリーの行動や仕草を見ているうちに、そんな気も消えてしまった。
ただ今は、不安がるリリーの側にいてやりたい。薬が抜ける間でもいいから、幸せな時を見守ってやりたいと思うシモン。
「パパとママが見つかるまで、俺が一緒にいてやる。ここで待っていれば来るかも知れないからな」
「ほんとう?おじさんと一緒にいるよ」
(嘘だが、悪い嘘じゃ無い)
まだ浄化師になる前の、幸せそうなリリーに、己の5歳だったころを重ねるシモン。幸せだったころの思い出は捨てがたいものと、少しの間でいいから、普通の子供をあやすように、側に座ってリリーを見守ることにした。
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シモンが子供になってしまったリリーをあやして1時間ほど経ったころ、偶然通りかかったのは、よく組む仲間の【モリー】、事情を説明すれば、モリーはこの飲み物を知っていたよう。
「そりゃ初恋レモネードだ」
「初恋レモネード?」
「ああ、確か魔力を帯びた四葉のクローバーが、幼児逆行の効果を発揮する……だったか。心配するな、2時間もすれば元に戻る」
「……2時間か」
少しの間だけ、幼いリリーと接して、シモンの方が儚い幸せにほだされてしまったのは確か。自分を知らなくてもいいから、幸せな夢を見ていて欲しい。そんな考えがシモンの中にはあったが、2時間で効果が切れてしまうと聞いて、シモンの心は心境複雑になる。
「おじさん、どうしたの?」
「いや、なんでもないんだ。ほら、まだお菓子も飲み物も沢山あるぞ」
「うん、食べる!」
子供の純真な心は、日々戦いばかりの浄化師の心を癒してくれるよう。
そしてシモンとリリーの話を聞いた、あなたたちも、2人が居る場所に来てしまった。
「見せ物じゃないぞ!」
「まあまあシモン、幼児逆行なんて中々見れるもんじゃないからな」
「こんなに集まった原因はオマエかモリー!」
「……みんな癒されたいのさ」
「…………」
モリーの言葉にシモンは口を閉じる。
ここに居る全員かは知らんが、確かに癒されたい心は存在する。それを止める権利などシモンには無いと思った。
「初恋レモネードだったよな、教団員さんから貰って来るか」
「あ、私の分もお願い」
(はっ!ちょっと待て!?)
シモンは仲間たちが自分を見に来た理由が、シモンが考えていたことと違うのに気がついた。
そう、あなたたちは「もしパートナーが5歳になってしまったら」と考えて、覗きに来ていたのだ。
もしもの可能性に、あなたたちは、素知らぬ顔でパートナーに初恋レモネードをのませ、子供の姿に戻ってしまったパートナーに話かけてみた。
2時間の間、5歳程度の子供になってしまったパートナーを、あなたはどうするのか。
――それは、あなた方次第。
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休暇兼環境調査の指令を与えられた浄化師の喰人と祓魔人は蒸気機関車や馬車を使い『教皇国家アークソサエティ』から続く街道を進んで行く。目的地に近づくうちに土を踏む感触が変わる。足元の土の上にはうっすらと雪が覆っていた。先程まで木々が生い茂っていたが、気が付けば樹氷と霧氷がちらほらと見受けられる。青藍の空から舞う粉雪は緩やかに落ち、ほんのりと青色を帯びているようだった。進むに連れて徐々に厚みを増していく雪の上を歩いていくと青に染められた美しい神秘的な街が姿を現した。
一年中氷張りで雪が降っている国『ノルウェンディ』。温泉や雪と氷を扱ったレジャー施設などが栄えている国だ。
浄化師達は観光客向けのお店が多く立ち並ぶオーセベリ地区へ向かった。雪が積もっていない箇所の地面に敷かれたタイルやお店の外壁、街灯やベンチといった全てが氷でできているような青い街並みをしている。そこにはレストランや土産物店や温泉プールなどのレジャー施設といった様々なお店が営まれていた。
「休暇でノルウェンディへ行くならついでに環境調査をお願いします」と薔薇十字教団から指令はあったが、指令内容は至って容易なものだった。
気候の変化はないか。または変化による影響はないか。
観光地としての収入で経済が回っているため、温泉や雪と氷を扱ったレジャー施設などの視察。
名産品である「トロール・ブルー」の製造や、トナカイの畜産、林業の視察。
国内での食料供給が安定しているか。などだ。
指令書には全ての確認は必要ないと書かれており、休暇のついで程度に調査してほしいとの内容だった。
ノルウェンディでの休暇に心が躍る浄化師達。行きたいところ、食べたいもの、やってみたいこと、アークソサエティにはないものがたくさんある!
パートナーと知り合って間もない浄化師も仲が深まってきた浄化師もお互いをより深く知るいい機会かもしれません!
神秘的な空間で過ごす休暇はきっと癒しを与えてくれるはずです!
思いっきり冬のノルウェンディを楽しんでください!
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「…………」
『祓魔人』と『喰人』のペアで構成されている浄化師――その『祓魔人』が何もせずに、ただボウっと空を見上げている。
何か自分の知らないところで悩みでもできたのかと。
そう思う『喰人』は、その傍でパートナーの顔を見る。
いつ何時も共に行動するパートナーだが、自分の知らないところで悩みを作ることは当然あるだろう。
それが一つか二つ、またはそれ以上か。まあそれはどうでもいい。
それを共に行動している自分に相談するか否か、それを決めるのは本人次第――だが。
もはや『一心同体』と言っても過言ではないパートナーの自分が傍にいるのだ。
どのような悩みであれ、相談してくれればいいではないか。
些細なことでも、話してくれればいいではないか。
そう訴える視線をぶつけても、パートナーは相変わらず空を見上げている。
話そうとしない、相談しないのは――それが、取るに足らない悩みなのか。
それとも他人には話しにくい内容なのか、と。
そう思うが、しかし――そんなものは知ったことではない。
何か悩んでいることは明白で、悩んでいるそれをパートナーの自分に相談しないのは信用してくれていないのか、と。
空を見上げているパートナーにそう言うと。
「――――」
視線を変えずに、無言で手を差し出してきた。
差し出したその手に一体何の意味があるのかはわからない、が。
握られているその手の中には、何か重要なものがあるのではないかと。
そう思い、握られている手の下に、自身の手を置く。
視線を変えないパートナーはそれを察したのか、その手を開いて握っていた――一つの小瓶を渡した。
……はて、この小瓶は一体なんだろうか?
ラベルは貼られておらず、中にはほのかに淡いピンク色をした液体が八分目まで入っている。
これは何かの薬かと――そう訊ねると。
返って来た言葉は、
――――『性別変換薬』と。
…………、
……………………。
たっぷりと、長い間を置いて。
必死に理解しようと試みたものの、それでも理解できなかった為にもう一度訊き返す――だがそれでも。
返って来た言葉は、やはり『性別変換薬』と。
ああ、これは夢なのか。
疲れが溜まり過ぎて、現実ではあり得ない妄想を見ているのかと。
それとも、自分では気づいていないだけで、実は物凄く体調が悪いので幻聴が聴こえているのではないかと。
そう思う中で、だがしかし――ようやくパートナーの『祓魔人』はこちらに視線を向けて。
「使って良い?」……と。
聞き違えか、何やら不審な言葉が聞こえた気がするが、恐らく聞き違えでも何でもないだろう。
だから、誰に使うのかと――そう訊くと。
目の前のパートナーは人差し指をこちらに指して。
……その最悪な展開に、未来に、絶望した。
つまりは、その……あれだ。
一体どこで手に入れたのかわからない『性別変換薬』とやらを、パートナーである自分に使おうとしているのだ。
どういう原理で性別が変換するのかわからないそれを、一体いつ使おうとかと悩んでいたのだ、自分のパートナーさまは。
まあ無論ながら――全力で、丁重に断るッ!
丁寧に、しかし鋭い切れ味を持った、まさに刃物の如き返答に、だが目の前のパートナーさまは。
親指をグッと立てて、何も問題ない。勝手に使う、と。
真顔でそう言った我がパートナーさまのその思考に、猛烈に頭が痛くなった。
要するに――そちらに拒否権はない。例え全力で拒否しようが、無理矢理呑ませる、と言うことらしい。
ならばそう……残された選択肢は一つだけ。
自分の手の上にある小瓶を、硬い地面にたたきつけて使い物にならなくすれば良いだけのことッ!
そう決断し、忌まわしい薬をこの世界から消し去る勢いで手に力を入れる……だが。
力を入れて握った手に、小瓶の感触はなかった。
慌てて手の中を見てみると、そこには先ほどまであった忌まわしい薬が入った小瓶がなかった。
もしかして落としてしまったのかと、周りを探してみると、
「…………」
その忌まわしい薬が入っている小瓶は、今この瞬間だけ自分の敵になったのではないかと思えてしまう――我がパートナーさまの手の中にあった。
どうやら割られることをいち早く察知して、即座に、一瞬で回収したようだ。
一体何が我がパートナーさまをそこまでさせるのか、それを訊くと。
「単に面白そう」――と。
物凄くわかりやすい願望を答えた。
もはや目的……『薬を自分に呑ませる』ことを成し遂げるまで絶対に止まらない機械と化したパートナーさまは何があろうとも決して諦める気はないようで。
自分がその『性別変換薬』を呑むことは決定事項らしい。
ならば……もう観念して、諦めるしかあるまい。
だがせめて――できれば、誰にも知られずに終わりたい。
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2月。吹く風は冷たく、けれど春の気配を滲ませる。
そんな、新たな季節の移ろいを感じさせる頃に行われるのが、梅花祭りだ。
由来は比較的新しい。
東方島国ニホンと教皇国家アークソサエティが、国交を正式に樹立した際に遡る。
友好の印として送られた無数の梅の木が根付き、花咲いたことを祝って行われるようになったのだ。
各地に梅の木は贈られたので、それぞれの土地で梅花祭りは行われている。
花見をして楽しんだり、梅の実を使った料理のコンテストをしてみたり。
それまでアークソサエティには無かった梅を、皆は親しむようになったのだ。
そんな梅の木の中で、その木は特別だった。
高さは3m。良く手入れのされた梅の木だ。
白い花を咲かせ、心地よい風に枝を揺らしている。
風は、その梅の木が吹かせているものだ。
なぜ、そんなことができるかと言えば、『彼女』は八百万の神であるからだ。
八百万の神とは、人々の信仰心が力となり『神』と呼ばれるほどの存在になったモノのことを言う。
信仰の規模は各地域に納まるモノもあれば、国単位で信仰されるほどのモノも。
今ここで、ニホンの神社を模して作られた場所に祭られている梅の木は、それほど強力な八百万の神ではない。
けれど、大元と言えるモノは、違う。
ニホンにおいて、学業成就のご利益があるという御神木、それが親なのだ。
ニホンという一つの国全体に知られるほどの八百万の神の御神木。
その御神木が実らせた種を、アークソサエティとの友好の印として送られ芽吹いたのが、今この場で咲いている梅なのだ。
彼女は今、じっと好奇心いっぱいの眼差しで、自分を祭っている神社にやって来る人々を見詰めている。
見詰めているのは、5、6才くらいの女の子。
女の子は、梅の木である風華が作り出した分身だ。
風華は、自分自身である梅の木に隠れるようにして、顔だけ覗かせ人々を見詰めている。
そわそわと、今すぐにでも近付いて行こうとするように。
けれど、邪魔をしてはいけないと、我慢していた。
いま風華の祭られている神社では、梅花祭りの準備がされている。
風華に奉納する踊りや歌だけでなく、屋台の用意がされていた。
(あそぼうって言ったら、おこられるかな?)
うずうずと、忙しそうな人々を見て風華は思う。
八百万の神である風華ではあるが、精神的にはまだまだ子供。
人の姿を取れるようになったのも、つい最近なので、なにかあれば遊ぼうと余念がない。
のではあるが、早々相手がいるかと言うと難しい。
八百万の神ということで、一歩引いた態度を取られることが多いのだ。
とはいえ、皆が皆、そういう訳でもない。
例外と言える相手は、何人か居る。
その内の一人が、風華に声を掛けた。
「風華さま」
知った声に、風華の表情がパッと明るくなる。
「あーっ、ウボーだー!」
とててててっ。
勢い良く、長身の青年にぶつかる勢いで風華は駈け寄る。
身長差があるので、足にギュッとしがみつくようにして、満面の笑顔を浮かべ見上げながら風華は言った。
「あそぶー? あそぶのー? あそんでくれるのー?」
期待感一杯な風華の眼差しに、ウボーは笑顔で返しながら抱き上げる。
「ええ、遊びましょう」
「ほんとに!」
よほど嬉しいのか、ぎゅうっと抱き着く風華。
そんな彼女に、魔女が声を掛ける。
「楽しそうだね。ボクも仲間に入れて欲しいな」
「? おねぇちゃん、だれ?」
「ウボーの友達だよ。セパルって言うんだ」
魔女セパルは名乗ると、風華のちっちゃい手を取り言った。
「風華は、ウボーの友達なんでしょ?」
「うん! ウボーね、ふうかのともだちなのー! あとねあとね、セレナも、ともだちなんだよ!」
そこまで言うと、風華は周囲をきょろきょろと見たあと、ウボーに尋ねた。
「セレナは? 今日は、きてないの?」
寂しそうな風華に、ウボーは返す。
「あとで来ますよ。今は、教団に指令の依頼をして貰いに行ってますから」
「きょーだん? しれい?」
小首を傾げ、不思議そうに聞き返す風華にウボーは返す。
「風華さまと、遊んで貰えるよう頼んでいるんです」
「あそぶの!」
嬉しそうな声を上げる風華に、ウボーは続けて言った。
「浄化師と八百万の神とのコネクション作りの一環として、風華さまと少し関わって貰おうと思っているんです」
「こねくしょん? えっと、えっと、おもち? つくるの?」
「こねこねしてお餅作ると美味しいよねー。って、そうじゃなくて」
セパルは苦笑しながら言った。
「風華達、八百万の神々と、浄化師達には仲良くなって欲しいんだ。そのために、まずは風華と一緒に遊んで貰おうってわけ」
「えっと、えっと……あそべばいいの?」
一生懸命考えて尋ねる風華に、セパルは言った。
「そうだよ。一緒に楽しく遊ぼうね」
「うん!」
嬉しそうに笑顔を浮かべ、力いっぱい応える風華だった。
そうして一つの指令が出されました。
内容は、梅の木の八百万の神である風華。彼女を祭っている神社で行われるお祭りに、風華と一緒に参加して欲しいというものです。
祭りでは、奉納の踊りや舞い。あるいは歌が披露されるとのことなので、それに参加してみても良いでしょう。
他にも、梅の実を使った料理を出す屋台をしてみても構いません。
風華は一緒に踊ったり歌ったり、あるいは屋台を手伝ったりしたがるでしょうから、一緒に参加させてあげてください。
他にも、風華が喜びそうなことであれば、何をして貰っても構いません。
この指令に、アナタ達は――?
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バレンタインデー。恋人や好意を寄せる相手、あるいは親しい友人や同僚などにチョコレートと共に手紙を渡す行事が今年もやってきた。
今では愛を伝える日だと思われがちなバレンタインだが、その起源をなんとなく知っていても、詳細を知っている者はそう多くはないだろう。
ロスト・アモール戦の終盤、異なる種族で愛を誓い合った恋人がいたが、時代の波に引き裂かれた。
当時は異なる種族で愛を誓うことなど許されない風潮だった。
そこに異を唱えたのが「バレンタインの乙女」であり、恋人達を守護したことから、愛する者に思いを伝える為にチョコと手紙を渡すことが復興以降、徐々に広がり始めた。
このことから「バレンタインの乙女」と呼ばれる、チョコや思いをしたためた手紙を本人の代わりに渡す伝統行事から現代の形へと変わっていった。
現在では多様化しており、恋人だけの行事ではなく、家族や友人とチョコを楽しんだり、同僚に日頃の感謝を込めてチョコを配ったりする。
さらには自分のご褒美として食べたことのないチョコを買ったり、普段以上に豊富な種類の出回る日でもあるのだ。
2月14日を中心としてアークソサエティではその前後の一週間はバレンタインデーなのだ。
良くも悪くも賑やかなバレンタインは、独り身だったり甘いものが苦手なものにとっては悪夢の期間と呼ばれることもある。
バレンタインデーが近づくと街のお店は活気づき、チョコレート一色に染まる。
この世の中には様々なチョコレートが存在する。
この時期だけにしか食べられないチョコレートは最早芸術品と言ってもいい。チョコレート好きならば、この時期だからこそ食べたいチョコが溢れかえっていると言ってもいい。
お店で買っても手作りでも美味しいガトーショコラ。
ちょっと高めだけれど、老舗チョコレート専門の生チョコ。
食べ応えのあるショコラバーム。
ニホン風の生チョコ大福に宇治抹茶を使用した生チョコも人気だ。
風味がぎゅっと詰まったセミドライのフルーツチョコ。特にオレンジとチョコの相性が抜群のオランジェット。
有名ショコラティエが監修した11種のセレクトチョコ。
高級品チョコレートの生チョコはいつもよりリッチに。洋酒の入った大人なショコラにウィスキーボンボン
魅惑のザットハルテ。雪解けのようなふわとろ食感のフォンダンショコラ。
この時期のチョコレートは味も美味しいが、見た目も洗練されたものが多くてうっとりとしてしまう。
その代表格とも言える鉱石チョコは名前の通り美しい宝石を食べているようだ。
もちろんパッケージにもお店独自の拘りのあるお洒落な者が多い。
今年はダーク、ミルク、ホワイトに続くルビーチョコがトレンドだ。
このチョコレートは見た目はイチゴチョコのような色合いをしており、甘酸っぱい味わいが特徴だ。甘ったるさはなく苺とラズベリーを組み合わせた酸味と程良いフルーツ感がある。
リュミエールストリートでも売られている店は限られているが、試しに食べてみてはどうだろうか。
君達がお店でチョコを見ようものならプレミアムや限定品と名のつくおすすめのチョコの数々に目移りをし、どれを買おうか迷うことになるだろう。
休暇中である君達はバレンタインをどのように過ごすだろうか。
本来のイベントの目的である恋人に渡したり、パートナーに想いを伝えたりすることもあるだろう。
あるいはパートナーに日頃の感謝の気持ちを伝えてもいいだろうし、お世話になっている教団員や同僚に義理チョコを配って回る者もいるだろう。強かな者だと男性から3倍返しを狙っていたりするかもしれない。
時には友人同士で手作りチョコを交換して盛り上がるのも楽しいかもしれないし、バレンタインデー限定のチョコを買い占めて自分のご褒美としてもいいだろう。
もちろんバレンタインデーに興味を持たない者もいるだろう。煩わしさを感じ、そういった者は図書館で読書をして過ごしたり、自主訓練や指令に励んでいるかもしれない。
チョコを買う者もいれば、手作りする者もいる。どんなチョコを選び、どんな風に過ごすかは君達次第だ。
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「ちょっとそこの浄化師さま達ぃ、素敵なお薬はいかがですかぁ?」
教皇国家アークソサエティ「ソレイユ」を歩いていると、ふと、ある女性が呼び止めた。
声をかけてきた女性は――ああ、なるほど、と。
ソレイユでは『薬屋』として名高い――カーリンという名の女性だ。
いつもは店の中で薬を売っている彼女が、何故店の中ではなく外で薬を売っているのだろうかと。
そう疑問を投げかけると、
「そうですねぇ。強いて言えば『宣伝』でしょうかぁ」
ふむ……宣伝と。
「ほらぁ、お店って何かしらの品を買いたい、欲しいと思う方しか来ないじゃないですかぁ。
目的の品物を買ったらサッサと帰ります、っていうの、お店側としてはちょっと悲しんですよねぇ。
まあ、『薬屋』自体がそういうお店なんですけどねぇ」
確かに薬屋といえば、怪我をした、体調が悪くなった場合だけ店に向かうのが普通だ。
そもそもが『薬』を売る店なのだから。
欲しい薬以外は求めないのが当たり前だ。
だがしかし、カーリンにしてはそれが嫌なようで。
「そこでわたし、考えました! こうやって宣伝することでお店に興味を持って来てくれるお客さんを作れば良いじゃないかとッ!」
力説している彼女の行為は、所謂『呼び込み』のようなもので。
目的の品が無くても、ちょっとだけでも店に寄って行ってください――と。
「そして、その為の宣伝用のお薬をわたし、作って来たんです!
その記念すべき第一号が、偶然わたしの視界に入ったアナタ方、浄化師さま達なのです!
なにより、このお薬を一番有効活用してもらえる価値があると、わたし思うんですよねぇ」
……有効活用? 価値がある?
一体どういう意味だろうか。
「ほらぁ、浄化師さま達って、普段は『祓魔人』と『喰人』の二人一組で行動しているじゃないですかぁ。
色んな所に行って、時には危険なこともして。お互い助けたり、助けられたり。
そういうことをしていると、やっぱりパートナーの方に感謝の気持ちがあると思うんですぅ。
でもでもぉ、そういうのって言おうと思っても中々言いにくいじゃないですかぁ。ですので、ここでこのお薬の出番なのです!」
コロコロと、まるで役者のように表情を変えるカーリン。
クルっと一回転した彼女の手の中にあったのは、小さな瓶で。
その小瓶の中には、薄い青色の液体が入っていた。
「いつもお世話になっているパートナーに感謝の気持ちが言いにくいと思うその悩み! このお薬を飲むことで無事に解決です!
このお薬を飲んだ人は何の抵抗もなく、感謝の気持ちを素直に口に出せるというわけなのですッ!」
なるほど――言いにくい感謝の気持ちを、その薬を飲むことによって無理矢理口に出させているというわけか。
しかしながら、それは言い換えてしまえば。
「――あ、気付いちゃいましたぁ? そうなんですぅ、実はこれ、自白剤を改良したものなんですぅ。
でもでもぉ、それは言い換えれば『正直者になる』ってことですよねぇ? 日頃の感謝の気持ちはやっぱり言葉にするべきだと思うんですぅ。
ただの言葉でも、効果は抜群! 言葉こそ最大級の感謝の証なのですッ!」
確かにカーリンの言う通りだ。
感謝の気持ちを伝えるのには態度や贈り物などがあるが、やはり一番心に響き、尚且つわかりやすいのは『言葉』だろう。
なるほど、これはとても良い機会だ。
是非ともその薬を飲んでパートナーに感謝の気持ちを言おう。
「おお、話がわかりますねぇ。ではでは、このお薬をお渡ししますのでぇ、お試しにずずいっと!
そして是非是非、日頃の感謝の気持ちを存分にお伝えください!」
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