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チクタク、チクタク、チクタク……チクタク。
ボーン、ボーン、ボーン。
壁に立てかけている古く大きな時計が午後三時を告げた。
ここは『エトワール』の中心街にあるリュミエールストリート。
この場所は、繁華街として多くの娯楽施設がひしめき合っているが、その一つにカフェ『チェーロ・ロッソ・デル・トラモント(夕焼け空)』がある。
名前の通り、夕焼け空の下にいるような物寂しさと懐かしさを覚えるシックな茜色を基調としており、バーカウンターのような個人席は、店主と談笑を楽しむことや些細な愚痴をこぼすことが目的で来る客がいたりもする。もちろん、恋人や仲間内でゆっくりと楽しい時間が過ごせるようなテーブル席も完備しており、リピート率は高く、ここの常連客は、親しみを込めて『茜喫茶』と呼んでいた。
この茜喫茶の店主は、店内を広く見渡した。
ダンッ!! と穏やかに過ぎる時間に間を指すようにカウンターテーブルを激しく叩く音が店内に響き渡る。
「なぜ、こんなに少ないんだっ!!!」
店の店主がそう言って、干上がった頭を掻きむしった。
「マスター!! そんなに怒ってはいけません。さらに少なくなってしまいます!」
「そ、そうなのか!? レティくん!」
ここで働くウエイトレスであるレティこと『レティシア=バンクス』は、器用で、心だてがよく、愛くるしい見た目から店の看板娘である。
この時間は、在庫整理のために食材のチェックに勤しんでいたが、店主の大きな声に反応して、一時仕事の手を休め、店主の元に来ていた。
そのレティシアは、店主の顔をまじまじと見て言った。
「はい。私の家系はそういう家系でした。でも、特に怒りっぽい人は、ストレスでさらに少なくなっていって、もう目も当てられない状況の方もいました」
「?? そうか、バンクス家は確かにそう言った家系だな。しかし、裏でないのに、この少なさはあんまりだろう」
バンクス家は、代々小料理店を営んでおり、一族揃ってそういった飲食店に着手している家系でもあった。
「そんなことはありません。表だからこそ、少ないんです! 私のおじいさまのことで申し訳ないですが、裏の方が多かったですよ?」
レティシアの言葉に今度は頭を抱えてしまった。そして、喉に物が詰まったような声をあげて言った。
「大金を払ったのに、実は、表の方が少ないなんて……。そんなことが起こるのか……。まさに悪夢だ」
レティシアは、うな垂れた店主をみて、その肩に手を置いた。
「お金は、あまり関係ありません。マスター……、何か策を講じなければ、さらに少なくなってしまいます」
「おお! レティくんもそう思うか!」
「はい! あまりにも寂しいですからね」
「はあ、そう言ってくれるな。こんな中年でも、この有様には危機感を覚えてしまう」
「す、すみません。あまりにもセンシティブな問題でしたね。配慮が足りませんでした」
「いや、気にしないでくれ。レティくんの言う通りだ。他人から言ってもらった方がやる気が起きるってものだ。尻を叩かれた気持ちになる」
店主がそう言うと、レティの顔が華やかになり、胸の前で手をパンと合わせた。
「だったら、言いますけど、マスターのその頭……、亡くなったおじいさまみたいで、私は、とってもチャーミングだと思います。お気にやむことはないと思いますよ」
「?? ん?」
店主が首を傾げた。それを見て、鏡のようにレティシアも首を傾げた。
「?? え?」
瞬間、二人の時間が停止した。そして、息を吹き返すように店主が言葉を発した。
「レティくんは、もしかして、これまで僕の頭のことを言っていたのかい?」
「え? そうですけど……、マスターは……、何のことをおっしゃっていたのですか?」
と言ったレティシアだったが、すぐに吐いた息を飲み込むように瞬発的に息を吸って、言葉を区切りながら言った。
「え、あっ……、もしかして、お店のことでしたか?」
店主は、しばらく口を開けたまま呆気らとした後に笑い声をあげた。
「うあっはっはっは。レティシアくんは、僕の頭のことを言っていたのか。そうかそうか。しかし、まあ、それは、いいとしよう」
店主は、先ほどの愉快そうな表情をパッと真剣な顔に変えると、咳払いを一つした。
「ごほん! ところでレティシアくん。頼みがあるんだが?」
レティシアは、額に汗を滲ませて背筋を伸ばした。
「は、はい!」
「この店が繁盛していないのは、僕が考えるに宣伝が少ないともう一つの理由からだと思うんだ。というのも、この場所に店を構えるのに、大金を使ったから、当時は宣伝にお金をあまり回せなかった。でも、今は事情が少し好転したんだ。だから、レティシアくんには、宣伝に関してと……それと僕のカツラのことを頼みたい」
「え? カツラですか?」
店主は、レティシアに右手の人差し指を立てて言った。
「そうカツラ。最近の子は、ウィッグというのかな? 僕は、毛が少ないから、人気(ひとけ)が少ないとわかったよ。だから、ウィッグさ! “人の毛”を増やそうってね」
と店主は得意げな顔で言った。それを聞いて、レティシアは、一瞬硬直したが、視点を遠くの方に向けて、どこか焦点が合わせずに言った。
「oh~毛~。……はあぁ」
とっさに項垂れた。
(っあ、レティくんもそういうこと言っちゃうのか)
と、レティシアはどことなく安請け合いするのだった。
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とある廃村。
打ち捨てられたそこに、魔女達が集まっていた。
魔女決闘(フェーデ)を行うためだ。
フェーデとは、元々は自力救済を意味する言葉だ。
法がまともに機能しない時代。
何か揉め事があった際に、実力行使で問題の解決を図ることをフェーデと呼んでいた。
実力行使といっても、ルールがない訳ではない。
お互いの自滅を避けるために、時間と場所を示し、あらかじめ約束事をする。
それが決闘の作法として洗練され、魔女達の間では残っているのだ。
これから、この廃村で行われるのは、そうした決闘であった。
◆ ◆ ◆
「約束の刻限までには、まだ時間があるな」
廃村の入り口に1人の男性が立っている。
ウボーという人物だ。
彼の傍には女性が2人。
ウボーの相棒であるセレナと、魔女セパルだ。
この3人は、ハロウィンに合わせテロを行おうとした魔女の過激派である怨讐派を防ぐために奔走していた。
薔薇十字教団室長ヨセフ・アークライトとの密会を行い、彼の協力により浄化師達が抑止力として動いてくれたお蔭もあり、当初考えていた被害は出ていない。
怨讐派としても、今の状況で下手に動けば、ただでは済まないことは理解しているのだ。
しかも、今回の騒動で教団に保護を求める魔女が出ていることが怨讐派の動揺にも繋がっている。
中には、自分達の子供が友達を求めて出奔するなど、怨讐派の中でも心が揺らいでいる者も少なくない。
教団が、保護を求めた魔女を危害を加えることなく扱っているのも理由としては大きい。
怨讐派から逃げ出した子供を浄化師達が保護するなど、そうした結果も大きく影響していた。
だが一度振り上げた拳は、早々簡単に下ろすことはできない。
怨讐派の魔女達としても、落としどころもなく止まることはできなかった。
だからこそ、落としどころとして提案されたのが、魔女決闘だ。
廃村を舞台に、世俗派と怨讐派の魔女達が戦い、勝者の要求を聞くことになっている。
怨讐派の戦力は、魔女が30人。
その上で、悪霊達を従えて戦いを挑むことになっていた。
対する世俗派は、魔女は同じく30人。
悪霊を使役しない代わりに、魔女以外の助っ人を得ることを承諾させていた。
つまりは、浄化師達の協力である。
「来てくれると良いんだけど」
廃村の入り口で、浄化師達を待っているセレナは言った。
これにウボーが返す。
「戦力としてもだが、大義名分のためにも来て貰えないと困るな。
浄化師が、戦いの見届け人としている。
それなら対外的には教団のコントロール下にあると言い訳ができるからな」
「最悪、私たちが見届け人として動くしかないんじゃない?」
セレナの言葉に、ウボーは返す。
「最悪そうするしかないが、その時は室長に動いて貰わないといけなくなる。
それだと、今までのように隠れて動くことはできなくなるのが問題だ」
セレナとウボーの2人は、魔女であるセパルに協力するため、死亡を装って秘密裏に動いている浄化師だ。
それが生きていることになれば、教団の命令を無視する訳にはいかなくなる。
無視すれば、抹殺指令すら出かねない。
悩むウボーとセレナに、セパルは言った。
「その辺りは、室長くんに何とかして貰うしかないんじゃない?」
「……室長に借りが出来るぞ」
ウボーの言葉に、セパルは肩をすくめるようにして返す。
「それは覚悟の上だよ。どのみち浄化師の子達には、いずれボクは魔女として知らせた上で関わるつもりだったし。
だからこそ、今まで浄化師の子達と関われそうな時は、幻惑系の魔法使わずにいたんだから」
これまでセパルは、ウボー達と一緒に冒険者として浄化師達と関わることが何度かあった。
それは浄化師達と協力できるかどうかの見極めも兼ねていた。
「ま、とにかく。最悪になったら、その時はその時で考えよう。
それよりも今は、決闘に勝つことを考えなきゃ」
セパルの言葉に、ウボーは気持ちを切り替え返す。
「勝つためには、まずは相手の戦力を知らないとな。
細かい戦力は分かるか?」
ウボーの問い掛けに、セパルは返す。
その内容は、次のようなものだった。
決闘の相手となる魔女30人の内、リーダーは爆炎の魔女アルケー。
ただし、今回の怨讐派の動きには賛同していないので、本気で来ることはない。
よほど致命的に怒らせるなどしない限りは、自らが魔法を使って攻撃してくることはないだろう。
10体程度の悪霊を使役するぐらいしかしてこない。
悪霊を全て倒せば、負けを認めるだろう。
残りの魔女も、半数近くは戦意が低い。
1人当たり1体から数体の悪霊を従えており、悪霊が倒されれば戦意を喪失するだろう。
残りの10数名の魔女は戦意が高いので、使役している悪霊を倒しても戦う可能性は高い。
それぞれ悪霊達とは別に、遠距離系の攻撃魔法を使う可能性もある。
ただし、悪霊を操りながらでは、攻撃魔法の狙いは著しく落ちるだろう。
悪霊を倒せば倒すほど体力を消耗するので、拘束する場合は、最初に悪霊を倒してからが良い。
これに対してセパル達、世俗派の魔女の戦力は次の通りだった。
リーダーは幻惑の魔女セパル。
決闘の勝利による事態の鎮静化が目的なので、戦う相手となる魔女の抹殺は積極的には行わない。
どうしても止むを得ない限り、抹殺では動かない。
近接戦闘と幻惑系の魔法を使う。
幻惑系の魔法の効果範囲は、最大で数10m。セパルから離れれば離れるほど効果は薄くなる。
効果が及ぶ範囲では、相手は幻惑をみせられ命中力が落ちる。
残りの魔女達は、指示次第で様々な行動がとれる。
味方の防御や回復、あるいは動きを速くするなどの援護もできるし、直接戦うこともできる。
遠距離攻撃の魔法を使う者が多いが、数名は接近戦もできる。
全員、直接触れた相手の体力を奪い、気絶させる魔法が使える。
ただし、気絶させるほど体力を奪うには時間がかかるので、相手が弱ってからでないと使えない。
残りのウボーとセレナは近接戦闘系である。
「戦う場になる廃村の地形は、相手は詳しいのか?」
ウボーは背後の廃村を見ながら問い掛ける。
これにセパルは返した。
「怨讐派の子達を率いているアルケーが、旦那さんと娘さんと一緒に暮らしていた村だからね。
彼女が伝えてる筈だから、ある程度は分かってる筈だよ」
「住んでたの? ここに?」
人気のない廃村を見詰めながら、悲しそうにセレナは言った。
これにセパルが返す。
「林業で栄えた活気のある村だったよ。それを商売敵の他所の奴らが妬んでね。
魔女を匿ってる村だって決めつけた挙句に、アルケーの旦那さんと娘さんを人質に取ってね。
逆らえないアルケーを動けなくなるまで乱暴した挙句に、石を投げながら旦那さんと娘さんを殺したことを笑ったそうだよ。
そのあとに、村人の財産を奪っていったみたいだ」
淡々とセパルは言う。
抑揚のないその声は、感情を奥底に隠しているようだった。
けれど、セパルは今までと変わらぬ明るい表情を見せながら言った。
「ま、昔話はこれぐらいにして。今は、やるべき事をしなきゃね。
浄化師の子達が来てくれたら状況を話して、指示を仰ごう。
うちの魔女の子達にもそう説明してるし、それでやっていこう」
かくしてセパル達は、アナタ達を廃村の入り口で待っています。
決闘の勝敗と、その先の結果は、アナタ達次第です。
この指令に、アナタ達は――?
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「観光地?」
きょとんとする少年の言葉に、司令部教団員は真剣な表情で頷いた。
「はい。先の一件でシャドウ・ガルデンとの国交が生じましたでしょう? 一度行ってみたい、という声を多くいただいているのですが。私を含め、多くの人々がかの国について、ほとんどなにも知らないのです」
「鎖国してたもんなぁ」
オレンジジュースを飲む少年の耳は、蝙蝠の翼に似た形をしている。
彼もまたヴァンピールであり、三年前までシャドウ・ガルデンで生活していたのだ。
浄化師としての素質を見出されなければ、今もそこで生きていただろう。
「って言ってもな」
うーん、と少年は唸る。
閉ざされていた国を出て三年。思い出せることは年々少なくなっているし、そもそも住んでいたからこそ、観光地になるような場所に心あたりがない。
どこもかしこも、彼にとってはあって当然の場所でしかなかった。
「どこでもいいんです。観光資源があれば、それをきっかけにシャドウ・ガルデンに多くの方を導けると思うんです」
「まぁ、なにがあるか分かんないけど、とりあえず興味があるなら行ってみて、って言うよりはいいかなぁ」
見知らぬ国で迷子にさせるのは、得策ではない。
一か所でも、ここ、と言える場所があれば、観光客たちの足は自然とそこに向かうだろう。
「……あ」
「なにか思い出しましたか?」
「月輝花の花畑、とか」
「ゲッキカ?」
「うん。百合っぽい白い花なんだけど、あれ、確かシャドウ・ガルデンの固有種なんだよね」
「詳しくお願いします!」
目を輝かせて食いついてきた司令部教団員に、少年は上体をそらせる。小声で謝りながら、彼女は椅子に座りなおして咳払いをした。
落ち着いたところで、少年は眉間にしわを寄せる。
「うーん、でも、あるか分かんないんだよね。なにせ三年前はあったってだけだから」
「では、浄化師様たちに見てきていただきましょう」
「そうだね。僕は……いいかな。たぶん日程、あわないし。場所だけ教えるよ」
「ありがとうございます」
懐からメモとペンをとり出した司令部教団員に、少年は月輝花の特徴と、だいたいの位置を教えた。
「でも、名前もない花畑があったとして、観光地になるのかなぁ」
「大切なのはきっかけですから」
そうかな、と少年は疑問が残る表情でオレンジジュースを飲みほした。
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気が付いたとき、浄化師たちはテーブルについていた。
唖然としていると、にこにこと笑っている可愛らしい女の子がいる。
「こんにちは。さぁ、推理をはじめましょう? さ、今回の物語を話すわね?」
誰ですか、と問いかけたり、何事かと聞く前に女の子は続けた。
「ああ、忘れないで。愛しい人。これは楽しく推理するお茶会よ? 恥ずかしがらず、自分の推理を披露してね。楽しんでいるうちはあなたを食べたりはしないわ。ただ楽しませてちょうだい。さぁ、魔女と推理のお茶会をはじめましょう」
魔女は語る。
とある小さな国がありました。
そこに大変勇敢で、聡明な、家族思いの青年がおりました。
青年は、人を食らうと噂される魔女を退治しようと森へと赴きました。
しかし、なんてことでしょうか。
青年はひと目で魔女に恋をしてしまったのです。
魔女はそれほどに美しかったのです。
また森に住まう、無垢な魔女も青年に恋をしてしまったのです。
魔女は力こそありますが、森で長く生きていたため浮世離れして世間知らずな者が多いのですが、この魔女も例外なく、世間知らずでした。青年の美貌と優しさに魅了されてしまったのです。
それから魔女は青年にいろんな知恵や魔法を授けました。青年はそれによってますます素晴らしい働きをしました。
国に害のある化け物を退治したり、困っている人の病を治したり……。
国は発展し、豊かになりました。誰もが青年を国の王様にしようと人々は言いました。
ただ一人、賛成しない者がおりました。
それは青年の幼馴染です。国一番の腕のよいパンを焼く娘は、生まれたときからずっと青年に恋をしておりました。
青年のことを強く思う彼女はなかなかに激情家でありました。
彼女は彼が森に通い続けることを不審に思い、後を付けて、森で魔女と青年の逢引を見てしまったのです。
青年は魔女に魅入られたんだ。
二人の仲睦まじい抱擁に嫉妬にかられた娘はそう思い、人々に告げました。
彼は魔女にそそのかされている!
さて、国に青年が戻ると家へと押し掛けたのは勇敢な強い兵士たち。
お前は魔女にたぶらかされたんだ。今魔女の居場所を教えれば救える。
しかし魔女の居場所を教えなくてはお前たちを処刑しなくてはいけない、と。
青年は選びました。
「さぁ、この青年はどうしたと思う? 魔女を売り渡したのかしら? それとも家族もろとも死んでしまったのでしょうか? それとは別? どんな結末かしら? この物語だけを使って、あなたたちは考え、答えを聞かせて」
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まぶた越しにまぶしい光を感じながらうつらうつらとしていた。
「ねえ、ここどこだろう? まずいんじゃない?」
とパートナーが指で私の肩をつついた。
はっと目を開く。
私は臙脂色の対面式の列車のシートに座っていた。
狭い直角の固い座席だった。
よくもさっきまでこんな寝づらいところで眠りこけていたものだ、とあきれる。
仲間の浄化師たちはまだ夢の中だった。
ある女性は肘掛けに顔をのせている。ロングヘアーと両手をだらりとたれていた。細い指先が床にくっついている。
ある男性はふたりがけのシートに、ひとりで横たわっていた。はみだした長い足を肘掛けの上で組んでいる。雷のような大いびきだ。
窓の外を見ると、空は明るい。朝の空の下、ずらずらとまるで黒い大蛇のような蒸気機関車が、30台近く並んでいる。その下は入り組んだ線路だった。随分と大きな駅だ。
地面にじかに立っている駅名表らしき白い看板が目に入った。
順に字を読む。
「ア・ル・バ・トゥ・ル・ス」
まさか! うそだろう!?
ここはブリテンのアルバトゥルス駅舎だというのか?
それなら下りるはずだった教団の最寄り駅は、はるか昔に過ぎてしまっている。
並ぶ線路と列車の向こうのグリーンがかった白い巨大な建物に目をやる。確かにいつか絵はがきで見たアルバトゥルス駅と同じ形をしている。
「起きろ! 大変だ」
それにしても通常なら誰かが途中で目を覚ましそうなものだ。同行していた浄化師達が、皆、揃って終点まで寝過ごすなんてどうしてしまったのだろう?
昨日の指令で、皆、疲れ果てていたのだろうか?
仲間たちを叩き起こす。
目を覚ました浄化師達が身支度を始めるころになって大騒ぎになった。仲間のうちの数人の鞄がなくなっていたのだ。
寝ている間に盗まれたのだろうか?
眠りにつく前に楽しく会話をした老婆の姿が目に浮かんだ。
しわくちゃの顔で目を細めて微笑む、いかにも素朴そうな老婆だった。
同じ車両だった大荷物の老婆は、自分はノルウェンディのまだ観光化されていない自給自足の村から来たと言っていた。
夫の出稼ぎにともなって若い頃アークソサエティに移住した娘時代の親友に会いに来たそうだ。
雪のような銀髪に、色とりどりの刺繍がされたエプロンを身にまとった老婆が、片言の言葉で、
「ワタシ、ウマレタムラカラ、デルノハジメテデス」
とか言っていたから、ついつい手作りクッキーを、ごちそうになってしまった。
けれども、どの浄化師の記憶も老婆にもらったクッキーを口にしたところでとぎれているのだった。
あの身の上話は、まるっきりウソで、クッキーには睡眠薬でも、入っていたのかもしれない。
車内を端から端まで歩き回ったが、老婆は当然のようにいない。
ダメもとで、がらんとした車内に、ぽつりぽつりと残る乗客に、聞いて回った。しかし老婆について知る人は見つからなかった。
仲間の何人かの鞄は無事だから教団に帰る旅費には困らない。教団に渡さなければいけない魔結晶は身に付けていたのが不幸中の幸いだけど、盗まれた鞄には決して少なくない現金が入っていた。しばらくは落ち込んでしまいそうである。
「お客さん、終点ですよ!」
駅員に、促されて列車を降りた。
駅にはホームがなく、地面に直接降りる。
黒光りする列車が並ぶ線路の合間を、駅舎に向かって歩く。こちらに背中を向けて貨車と貨車の隙間に消えていく駅員の姿が目に入った。
慌てて追いかけて呼び止める。
事情を話し、これからどうやって帰ったらよいか、駅員に相談する。
幸いなことに駅員は親切な男だった。
持っていた時刻表と路線図を、真剣な面持ちで繰ったりじっと見つめたりした後、こう教えてくれた。
駅員によると、目的地の教団の最寄り駅に向かう特急列車は1日に1便のみだという。発車時刻は夕方らしい。
それに乗れば明日の朝には目的地の駅にたどり着くことができるそうだ。
鈍行なら午前10時頃に、出発するのもあるが、乗り継ぎに乗り継ぎを重ねなければならない。しかも、目的の駅につくのは3日がかりだという。
それなら夕方出発の特急列車に乗るしかない。
まだ、朝の8時半である。それまで、どうやって、時間をつぶそう?
隣には、『鉄道修理工場』があるらしい。駅員が、面白いですよ、ここまで、せっかくいらしたのなら見学しないのは損ですよ、と勧める。
パートナーの目が輝く。自分はとてもそんな気分になれないのだけれど。
駅前は人が多い。
大道芸人や、人形遣い。踊っている者もいる。
自分もあれぐらいならできそうな気がする。
道端に、小さな机を置いて占いの店を出している人もいる。
みなそれぞれ人々の注目を浴びている。
拍手喝采が響き、金属のぶつかり合う音がした。人形遣いの前に置かれた、シルクハットの中には次々ときらきらと輝くコインが、投げ入れられる。
私も、ここで、特技を発揮すれば、盗まれた分を少しは取り戻せるだろうか?
駅舎のまわりには、小さな店が、たくさんある。飲食店や、マッサージ、お土産屋さん。ぶらぶらするだけでも、十分時間がつぶせそうだ。
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『Trick or treat。お菓子をくれないといたずらしちゃうぞ!!』
それはハロウィン開催時のみに通じる魔法の言葉。これを言われた人は『Happy Halloween!!』と返し、子供たちにお菓子をあげなければならない。
元々は秋の収穫を祝い、悪霊を追い出す宗教的な意味合いの強い行事だったらしいが、今では仮装をした子供たちがお菓子を求めて街を練り歩く楽しいイベントとなっていた。
この時期になると街はハロウィンムードへと包まれ、至る所でハロウィン気分が楽しめるイベントが開かれる。
薔薇十字教団でもハロウィンイベントの一貫ということで、教団寮の食堂を使ってハロウィンパーティを開催する計画を立てていた。
「ハロウィンって言ったらやっぱりかぼちゃ料理よね。今からパンプキンパイでも焼いてみようかしら」
「なぁ、せっかくだから俺たちもなんか仮装してみね? おれ吸血鬼とかやってみたい」
「私は絶対に嫌だからね。やるならあんた一人でやってれば」
「パーティー用のお菓子ってもう準備したー? 誰かテーブル運ぶの手伝ってほしいんだけど」
普段使っている食堂が会場になるということもあり、ハロウィンパーティーの準備には多くの浄化師たちが参加している。
厨房に入ってハロウィン料理を作ってくれている人や、折り紙で作った南瓜やコウモリを部屋中に貼ってハロウィン感を出している人がいたりとみんな楽しそうに準備をしている。
これまでにも何度か教団内でイベントのようなものをやってきたが、なんだかんだでお祭りごとが好きな私たちは張りきって準備をしていた。
「あの、アリサ先輩は一体何を……」
そんな中、一人だけ他の人とは一風変わった行動をしている人がいた。
装飾用にと用意されていた折り紙や布には目もくれず、ただ無心に大きな白い紙を壁に貼り付けている。
一見してハロウィンとは全く関係のないような彼女の行動に、周りにいる浄化師たちも何をしているのかと首を傾げながらその様子を見守っていた。
「ん? あぁ、私? たまたま近所の文房具屋さんに模造紙が売ってあったからついでに買ってきたの。これを壁に貼ってそこにお絵描きをしてみたら面白そうかなって」
彼女が壁に貼り付けているのは筒状に丸められた大きな模造紙。袋には業務用と書かれていて、これ一つで足長テーブルを覆えるほどの大きさがある。
すでに壁には模造紙がびっしりと貼られているが、それでも物足りなかったのか彼女の足元には未だに貼り終えていない模造紙の筒が何本も置かれていた。
「確かに面白そうではありますけど……、だからって大きすぎません? そもそもこれってハロウィンになんの関係が……」
「なに言ってんの、大いに関係ありだよ。だって今日はハロウィンなんだよ、ハロウィンパーティーなんだよ? むしろ私たちのいたずら心を満たすにはこれぐらいの模造紙では足らないと思うのだよ」
なんだかアリサ先輩にとってハロウィンはお菓子をもらうイベントじゃなくていたずらをしても怒られない日のようになっているような気もするが、そこはあまり気にしないことにする。
アリサ先輩と知り合ってもうずいぶんと経つが、こんなことにいちいち驚いていたらむしろ私の方が疲れてしまう。
どうせ私が何を言ったってアリサ先輩が止まるはずなんてないのなら、止めるのを諦めてさっさとサポートの方に回るのが一番楽だった。
「ほら、貼った貼った。模造紙はまだまだ残ってるんだし、さっさと貼りまくるよ」
「えぇ……、私もやるんですか……」
そうして私は半強制的に模造紙を壁に貼り付ける係へとまわされ、ほくほくのハロウィン料理がテーブルの上へと置かれる頃には色鉛筆やペンなどの準備を終わり、模造紙で作ったとは思えないほどの立派なキャンバスが出来上がっていたのだった。
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●ガエタン・ジラルド『魔女狩り』42-43頁
現在、魔法使いは魔女と呼ばれ、一般的には得体の知れない術を使う人喰いだと忌み嫌われている。
かつて魔女は人々の良き隣人であり、奇蹟の代行者として崇めたてられていた時代もあったのだ。
人々は困ったことがあれば魔女の知恵や力に頼りにしていた。医療魔術がまだなく、医術が民間療法の域を出なかった時代、魔女達が医者の代わりに怪我や病気を治すことさえあった。
魔女とは、生まれたときから特殊な才能を持ち、自然に漂う魔力を行使する選ばれた存在でもあったのだ。
だが、アレイスター・エリファスの台頭により状況は一変する。
彼が開発した「魔術」は魔法とは違い、才覚の差はあれど誰にでも使える技術だった。人間の体内には魔力を内包する「魔力回路」の発見は当時驚くべき事だったのである。
新たな技術の誕生は、人々にとって福音であり、悲劇の始まりであった。
人は異質を嫌う。
敬いは畏れへと反転し、尊敬は嫉妬へとたやすく変わる。
魔術が広まれば広まるほどに、魔女は特別な者から一転し、異端者へと凋落した。
民衆が冷遇する理由は他にもあり、魔法は基本的にドラゴンやピクシーなどの生物しか行使できないことから、魔法を使う彼等は「人間ではない」という風潮が根強かったためだ。
魔女狩りが始まった経緯はいくつもの諸説があり、正確には定かではない。
魔女狩りが行われる以前に「ロスト・アモール」による差別と戦争、貧困、飢え、さらには「ラグナロク」によるヨハネの使徒とベリアルの発生。この世界的災厄によって止めを刺された。これらによって一般大衆のやり場のない苦しみや怒りの矛先が向けるスケープゴートの土壌が育っていたのかもしれない。
その人の業に薔薇十字教団も悲劇を後押しした。
教団は魔女を弾圧する世間の風潮を利用し、魔女狩りを推奨することで魔女を突き出させる意識を一般大衆に根付かせることに成功した。
昨日共に笑い会っていた隣人が次の日には裏切り、「魔女め!」と罵りの言葉を吐く。時には助けた者が金と引き替えに教団へ密告することさえあった。
教団にとって魔女を捕らえることは自らの権威を固めるのに役立てるだけではなく、研究材料としても魅力的な存在であった。魔女とは魔法を行使できる人間であると知っていた上で、何百年も生きる存在を研究し魔術の発展の礎にしようと考える一派も存在していたのだ。
教団は表向きは魔女をきちんと処刑を執り行っているパフォーマンスを見せる一方で、密かに重罪人を替え玉にしたり、研究体としては不必要になった個体を代わりに処刑していた。
魔女狩りが過激化していく一方で、魔女の報復を恐れていた人々の不安と教団の思惑は見事に一致した。
人々は魔女が起こした「人喰い事件」を切っ掛けに、実体とは異なる影に恐怖心を増大させていたのだ。
こうして魔女は「人喰いの化け物」として世間に認識されるようになった。
魔女狩りが収まった今でもお伽噺には悪いものとして登場し、親が子供に「悪い子は魔女に食べられちゃうぞ」と脅かしつけられる存在となっている。
あの異様な魔女狩りの熱狂は収まったのは、皮肉なことに魔女が世間から姿を消したおかげだった。教団の方でもヨセフ・アークライトが室長となってからはほぼ行われることはなく、現在あまりに人道を無視した研究は凍結状態となっている。
魔女達が行ったカニバリズムは、確かに人としての罪だが、彼らをそこまで追いつめたのも我々だということを忘れてはならない。
●悲劇の町 カンジョンリア
まるで古代都市遺跡のような魔女狩りの町カンジョンリアはルネサンスの外れにある最も有名なゴーストタウンだ。
今では残響の町とも魔女狩りの町とも呼ばれている。
昔は町の中央にある教会の鐘が鳴り響く、美しい町だった。
現在では町は放棄されている。老朽化し崩れた家屋は植物に覆われ、誰も訪れることはない。
ここは魔女に呪われた土地である。
滅びた原因は定かではないのは、生き証人が殆どいない為だ。
どれも推測の範囲に過ぎない。確かなのは、町で大規模な魔女狩りが行われていた最中、大きな地震と火災が起こったこと。
逃げ出そうとした人々もいたが、町全体を囲む高い防壁が徒となって逃げられず殆どの住人が亡くなった。
その際、唯一の出入り口である門は堅く閉ざされ開くことはなかったそうだ。それらは死んだ魔女の呪いだと囁かれている。
この場所は魔女達がかつて住んだ場所であり、怨讐派の魔女にとって魔女狩りを象徴する場所でもある。
大勢の魔女が亡くなり死が染み着いた町は、惨劇の日を今でも繰り返す――この町の悪夢は未だ終わっていないというように。
教団にとってこの地は負の遺産であり、怨讐派の魔女にとっては奪還すべき地なのだ。
ここには魔女の遺産があるとされ、怨讐派の手に渡れば火種になりかねない。
だからこそ、ここを利用されることがないように教団が管理している。ここに入れるのは許可を得た浄化師だけで、普段は立ち入り出来ないように町ごと封印されている。
怨讐派の動きが活発したこともあり、封印を強化する事が司令部で決定された。
新たに封印の核となる楔を町の四方に打ち込むことで封印を強化する指令が諸君等に下された。
悲劇の町で君達が何を見るのか神ではない身では分からない――ただ悪夢に呑まれないように気をつけて欲しい。
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ここは一代で財をなした豪商レイモンズ・ガネスの邸宅である。
今宵はアークソサエティ及び近郊の縁のある商人たちを集め賑やかなダンスパーティを開催していた。招待された者たちはそれぞれ自分のパートナーを連れこのパーティーに参加していた。
談笑のざわめきに包まれた広間だが、ガネスの一人息子ザムが登場するにあたりしぃんと静まり返り、音楽だけが心細げに続けられていた。
人々の注目を集めているのはザムの隣に立つ彼の伴侶、ティリカだった。
態とらしく顔をしかめ扇で鼻を覆う婦人や、侮蔑の笑いを浮かべる者すらいた。
だが、それも数秒。人々は皆余所行きの仮面を被り、何もなかったようなふりをする。
当のザムは若干人心の機微に疎いところもあり皆の様子には気付いておらず、ティリカはティリカでだからどうしたと言わんばかりにむしろ挑発的に胸を張り顎を上げ笑顔で睥睨する。
「よく平気な顔をしてパーティーに出て来られるわよね。……使用人上がりが」
「し、聞こえるわよ」
「でも事実でしょ」
ひそひそ声が交わされる。
「だって仕方ないでしょう」
そこへ声がかかり、密談中の婦人たちは肩を跳ね上げる。
そこには仁王立ちのティリカ。
「主人が、どうしてもあたしを迎え入れたいって言うんですもの」
そしてティリカは妖艶に笑ってその場を去る。
「まあ気持ちはわかるよなぁ」
「あれだけ美人でスタイルも良けりゃ、出自なんて気にならないな」
と言う男たちを、婦人たちはぎろりと睨んだ。
「ふん、男どもったら鼻の下伸ばしてさ。あんな女、金目当てに決まってるってのに」
そうよそうよ、と周りの女性陣は同調する。
若く美しい使用人に骨抜きにされた情けない2代目。それがザムにくだされた評価であった。
いずれあの女も財産を持ち逃げして、その時に泣きを見ることだろう。いや、そうなる前にレイモンズが適当な手切れ金でティリカを追い出すだろう。
それまでせいぜい、仲間のフリをしておいてやろう。
婦人たちは、男性たちに混じって話し大口を開けて笑っているティリカを白い目で見つつも、そんなことを考えていた。
パーティーは恙無く進行していたと思われた。
音楽が途切れると、レイモンズが声をあげる。
「ここで、皆さんにお聞かせしたい音楽がある。先日素晴らしい楽師に出会ってね。彼らは諸国を旅しているらしい。彼らに出会えたのは、神の導きとすら思えるよ」
熱に浮かされたように語るレイモンズの後ろに、旅人らしき出で立ちの男女2人組が控えていた。
男性は手に弦楽器を持っている。
「それでは皆も、しばし彼らの音楽を楽しんでおくれ」
旅人2人は恭しくお辞儀をすると、男は楽器を構え、女は組んだ手を腹に当て大きく息を吸い込んだ。
物悲しい旋律は初めは緩やかに、徐々に速く。響く歌声が紡ぐのは不思議な物語。
愛しい人への募りすぎた想いは怪物となりこの身を支配する。
さあ唇を裂き牙を剥け。
愛しい人を私の血肉に。私を愛しい人の血肉に。
そして魂は溶け合う。ひとつになる。
「すごい迫力のある歌声だね」
ザムが傍のティリカに話しかける。
「そうね」
ザムに顔を向けたティリカの瞳は……爬虫類のように生気がなく、その異変にザムが驚いている間にもティリカの顔は中心からぶわりと鱗が生え口は真横に広がり赤く細い舌がちろりとザムの鼻先を突く。
「うわぁっ!?」
ザムは悲鳴を上げ、助けを求めようと周囲を見回せば、同じように怪物の姿になった者が大勢いた。
広間に旅の楽師の高笑いが反響する。
「ほうら、それがあんたたちの愛しい人の本当の姿だよ。醜い心に見合った姿になったのさ」
大蛇の怪物に変化したティリカはしゅうしゅうと不気味な呼吸とともにザムに這い寄る。
「な、なんで……ティリカ……?」
ザムは震える脚で後退する。
大蛇のティリカから不気味な笑い声が漏れた。
「そうよ、あたしよ。あたしはね、あんたみたいなお坊ちゃん本気で愛してなんかいないわ。あんたが受け継ぐだろう財産が欲しいだけ」
「嘘だ」
ザムは逃げる脚を止め大蛇を見据える。
「嘘じゃないわ」
「だって僕は、本当に愛されていると感じていた」
大蛇とザムは見つめ合う。沈黙が、ザムの自信を揺らいだ。
愛されてると思ったのは、驕りだったのか。
「バカね、どうして信じるの……」
大蛇がずるりと距離を詰める。ザムは反射的に飛び退いた。
どん、と背中に何かがぶつかる。振り返れば、そこには少し前までティリカと同様人の姿であっただろう怪物がいた。
毛むくじゃらの怪物は、ザムの姿を見とめると獲物を見つけたと言わんばかりに腕を振り上げ……。
ザムの体は宙を舞い床に叩きつけられた。
それは毛むくじゃらの怪物によるものではなく、大蛇の尻尾によるものだった。
そして大蛇は、ザムの代わりに毛むくじゃらの怪物の牙の餌食となっていた。
「ティリカーーーっ!」
ザムは叫んだ。大蛇は徐々にティリカの姿に戻り、力なく笑う。
「バカはあたし。財産だけ愛してりゃこんなことにならなかったのに。いつの間にか、あなたのこと……」
「わぁあああっ」
ザムは毛むくじゃらの怪物に立ち向かおうと立ち上がる。
が、何者かに羽交い締めにされるように止められた。
「この状況で勝ち目はありません。一旦逃げましょう。教団本部まで」
喰人としての素質を持ちながらも契約者に恵まれず、薔薇十字教団に属してはいるが未だ浄化師としての活躍をしていないユディアス・アリトニウスは母の知人が開催したパーティーに、亡き父の代わりに母のパートナーとして参加していた。
その矢先、旅の楽師が起こした騒動に巻き込まれ、母を安全な場所に避難させた後、なんとか近くにいた1名だけを助け出し教団本部へと馬を急がせた。
その1名が、ザム・ガネスである。
ザムはすぐに医務室へと送られて手当を受けている。
「ぼくの見たところ、旅の楽師2人は魔女だと思う」
と、ユディアスは司令部に報告した。
「あれは変化系の魔法で、その人の心にある負の感情を怪物の姿にしているようだ」
急ぎ現場へ向かい魔女を討伐しなければならないが、任務に当たる浄化師もその魔法にかかる可能性は大きい。
「己の、そしてパートナーの心にある負の部分を知り、それをどうにかして打ち破ることができなければ、討伐は難しい」
ザムは、自分があの時一瞬でもティリカを疑わなければ、あのような事態になる前に彼女を元の姿に戻せたかもしれない、と後悔しているそうだ。
「魔女本体は、さほど強くなさそうだった。あの変化系の魔法以外は使えないんじゃないかな。魔法さえ打ち破ればなんとかなるのでは。といってももちろん、油断は禁物だけどね」
病床のザムからは、正式に討伐依頼がなされたらしい。ユディアスは言った。
「ぼくはこのとおり、浄化師としては役に立たない歯がゆい身分だ。申し訳ないが、この件の解決は皆にお願いしたい」
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「この指令は、ようは巡回だ。ただ、普通の巡回はと少し違うから、注意してほしい」
ロリクが渋面を作った。
それは魔女からカードが送られてきたそうだ。
【今宵、私は歌います。どうか、誰も邪魔しないで。ただ夢を見たければいらっしゃい】
カードには「宵夜の魔女」と名前が記されている。調べによるとこの魔女は隠遁派で、歌に乗せて魔力を放出し、幻惑を見せることを得意とするという。
ただ過去に魔女狩りで最愛の「朝焼けの魔女」を失い、ずっと隠れ続けていたそうだが今回怨讐派たちの計画に隠れて自分の魔法を使用することを決意した。
一晩中歌い続け、怨霊たちを使役し、朝を迎える、そのとき――失った彼の魔女が死ぬまえに残した魔法を完成させ、発動させる。
朝焼けの魔女が残したのは――大量の悪霊のエネルギーを消費して完成させる幻影だそうだ。
決して攻撃的なものではないが、その魔法がどんな風に作用するのかは魔法を施した、彼の魔女しかわからない。
さらに宵夜の魔女の魔法は幻惑であり、多くのハロウィンを楽しむ人々が被害にあう可能性がある。
浄化師たちにはその被害をとどめるために魔女の歌う地区を巡回するのだ。
魔女はブリテン地区のエクリヴァン観劇場の奥――既に捨てられた石作りの舞台の上で歌うという。
演目
第一幕 「歌しか知らず、けれど愛に生きた」
第二幕 「報復は煉獄の炎、我が心に宿るは奈落」
第三幕 「選びとりし命、選ばぬ道の果て」
第四幕 「貴方のいない朝と夜を、私は進む」
終幕 「沈黙。或いは踊り手は誘う」
「この魔女は、人を食らうつもりはないようだが……これによって人が惑わされて死のうが、他の魔女がそれで悪さしても知らんと思っているんだろう」
迷惑な話だとロリクはため息をついた。
「これらの演目をたった一人で歌い上げるそうだ。この歌が終われば、宵夜の魔女は朝日を浴びて死ぬと決めているそうだからお前たちが手を汚す必要はない。なんでも、朝日を浴びることができないそうだ……ただなぁ。これ、お前らも問答無用でその歌の影響を受けるってことだから、注意しろよ? つまり夢を見るのさ。どんな夢を見るんだろうな。じゃあ、がんばれよ?」
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「ぶえっくしょい!」
すれ違いざまに、派手なくしゃみの音が聞こえました。つづけて今にも呼吸困難になってしまうのではないか、と心配になるほどのせきこむ音。
だんだん肌寒くなってきた今日この頃、薔薇十字教団本部のあちこちからは、こんな風に鼻をすする音やせきこむ声が聞こえてきます。
そうです、秋は風邪の季節なのです。いくら浄化師たちといえども、病ばかりは防ぎようがありません。今週は特にみんなが風邪をひいてしまっていて、本部としても頭をかかえているような状況です。
聞くところによると、なんとあなたのパートナーも、秋のいたずらにすっかりやられてしまったそうです。
たんなる風邪だとは思いますが、少し心配ですね。
こんなことではベリアル退治もままなりませんし、パートナーの部屋まで様子を見に行ってみましょう。
普段お世話になっているお礼に、懇切丁寧な看病をする、はたまた弱っている姿を観察するだけでも構わないでしょう。
せっかくお見舞いに行くので、パートナーが喜びそうな料理やお土産を持っていくのもいいかもしれません。
いずれにせよ、風邪をもらわないように注意しながら行動しましょう。
あんまり接近してしまうと……あなたも秋風のとりこになってしまうかもしれません。
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