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「よく来てくれた。忙しくは無かったか?」
ヨセフに呼ばれた、リチェルカーレ・リモージュとシリウス・セイアッドは返した。
「いえ、大丈夫です」
「事件でもあったのか?」
シリウスの問い掛けに、ヨセフは説明した。
「救世会のレプリカントが拠点としている廃村がある」
ヨセフの言葉に、2人は表情を引き締める。
(大華で会った、あの人も……)
少し前。大華に訪れた際、リチェルカーレ達の前に立ちはだかった青年のことを思い出す。
(世界を救う……皆で助け会う世界を作りたい。願いは同じはずなのに……)
目を伏せるリチェルカーレを、シリウスは気遣う。
2人の様子を見たヨセフは言った。
「君達には、現地調査の主要メンバーになって貰うつもりで呼んだ。だが、断ってもいい」
怪訝な顔をするシリウスに、ヨセフは続ける。
「拠点となっている廃村の名は『フィノン』。シリウス・セイアッド。君の生まれ故郷の村だ」
「――っ」
シリウスは息を飲み、血の気が引く。
「……シリウス」
心配し寄り添うリチェルカーレをシリウスは手で制し、ヨセフに言った。
「……本当なのか?」
シリウスの言葉に、ヨセフは資料を取り出す。
「以前、教団に侵入してきたレプリカントの少女から渡された資料を元に調査をしていたのだが、その内のひとつが『フィノン』だ」
ヨセフは資料を渡しながら続けた。
「セパル達の調査によれば、拠点と共に『フィノン』にある何かを求めレプリカントは駐留しているらしい。推測によれば、『フィノン』が壊滅する原因となったものだ」
「それって――」
リチェルカーレの問い掛けに、ヨセフは応える。
「恐らくは高位べリアルだ。何らかの形で封印され、そこから逃れるために仲間を呼び、同時に高密度の魔力を放出していたため、ベリアルとヨハネの使徒、その両方を引き寄せる結果となった、と推測できる」
「……」
シリウスは無言のまま、ヨセフの言葉を聞き続ける。
その顔は真っ青で、今にも倒れそうだ。けれど――
「分かった……現地に向かう……」
「シリウス」
「大丈夫だ……行かないと、いけないんだ」
決意を宿すシリウスに、ヨセフは言った。
「サポートは全力でする。連携が取り易いよう、ルシオとカミラに同行要請を出している。それとセパル達も随行する。調査などの細かい所は任せるといい」
そこまで言うと、警戒を促すように続ける。
「今回の件には、ほぼ間違いなく人形遣いが関わっている。高位べリアルを封印できる術を持っている者で、当時秘密裏に行えるのは奴ぐらいだ。奴の狙いは分からんが、ろくなものでないのは確実。気をつけてくれ」
ヨセフの言葉に、2人は頷いた。
そして今、フィノンの前にまで来ている。
「……シリウス、本当にいいの?」
顔面蒼白のまま、生まれ故郷に近付くシリウスに、リチェルカーレは言った。
「皆も心配しているわ。貴方の代わりに、わたしが……」
シリウスは、唇を震わせてリチェルカーレを見詰めたあと、決意を示すように首を振る。
「……俺は行かなきゃいけない、と思う」
その意志は固く、同時に助けを求めるような脆さを感じさせる。
だからこそ、シリウスはリチェルカーレに助けを求めた。
「区切りをつけるためにも、行かなきゃいけない……ただ――」
寄り添ってくれるリチェルカーレを求めるように、シリウスは見詰める。
想いに応えるように、リチェルカーレは手を差し出した。
「……頼む。側にいてくれ」
シリウスは震える手で、リチェルカーレが差し出してくれた手を握る。
それは縋るように、痛いぐらい強く。同時に確固たる意志を表しているかのようだった。
「逃げたくない。逃げる訳にはいかないんだ」
「もちろんよ。ずっと側にいる、シリウスが嫌だと言ったって、ずっと」
2人だからこそ、より強くなれる。
それを体現しているかのようなリチェルカーレとシリウスを護るように、前方にはセパル達が、後方をルシオ達が付いて来てくれている。
周囲が気遣ってくれていることを感じ取り、シリウスは応えるように前へと進む。
人の手が入らなくなって月日が経っているため道のりは険しかったが、やがて壊れた石畳の道へと辿り着く。
「……」
無言でシリウスは石畳の道を見詰める。
もはや遠い、幸せだった子供の頃の想い出。
そこへと通じる道だと、痛いほどに思い出す。
「行かないと……」
決意を胸に、さらに進む。
やがて見えてくる蔦の絡む建物。
ずっと帰りたいと願った、故郷の姿。
郷愁が胸を打つ。
けれどそれに溺れてしまわないよう、自らを奮い立たせていると――
「また貴様らか」
舌打ちするような声が聞こえてきた。
声の主に視線を向ければ、そこに居たのは大華で出会ったレプリカントの青年。
その傍らには、ゾンビと化した人形遣い。
「ちょろちょろと数日前から周囲を探っているのは分かっていたが、まさか貴様らだったとはな」
煩わしそうに舌打ちする青年に、はっきりとした声でリチェルカーレが言った。
「ここには沢山の人が眠っているの。荒らすような真似は止めて」
「俺に指図するつもりか。旧人類ふぜいが」
嘲笑うように青年は言った。
「身の程を知れ。我らが歩みは救世への道標。その邪魔をするというのなら、それは真に在るべき世界を創るための障害だ。来るべき世界のため、貴様ら劣等種を駆除するのに手心をくれてやる気は無い。道理を欠片でも知るなら、去れ」
「嫌よ」
リチェルカーレは即座に言い返した。
「命の大切さがわからない人たちが作る世界なんて。わたしは嫌よ」
「……身の程知らずが」
苛立たしげに青年は言うと、無数の口寄せ魔方陣を展開。
それを見て前に出ようとするシリウスを、リチェルカーレは抱きついて全力で止める。
「……忘れないで。皆一緒よ」
リチェルカーレの言葉を証明する様に、ルシオ達が連携するために近付く。
その間も召喚は続き、無数の死人兵が現れる。その内の1人を見て、シリウスの血の気がさらに引く。
シリウスの様子に、青年は嘲笑うように言った。
「人形遣いがストックしていた死人兵だ。材料は、この村の人間。お前も仲間に加えてやろう、吸血鬼」
故郷の人々の姿に、シリウスは一瞬だが喘ぐような呼吸を見せる。
彼の様子に気づいたウボーが言った。
「一端下がれ。お前が苦しむ必要はない」
だがシリウスは首を振る。すると――
「好きに動いて。シリウス」
ルシオが支えるように言った。
「俺達が支えるよ。だから、好きに動いて良いんだ」
「……すまない」
仲間に、そしてリチェルカーレに支えられ、シリウスは独りではないと実感する。
だからこそ――
「……ただいま、皆」
故郷の皆と向き合い、想いを告げた。
「解放する、から。待っていて」
シリウスの想いを強めるように、リチェルカーレは魔術真名を解放。
「黄昏と黎明、明日を紡ぐ光をここに」
全力を持って対峙する。そんな彼らの姿に――
「調子に乗るな! 劣等種と吸血鬼如きが!」
レプリカントの青年は無数の死人兵を操り攻勢に出て来る。
それを少しでも早く収めようと、シリウスは全力で前に出た。
ソードバニッシュで一気に距離を詰め青年を斬り伏せようとするが、死人兵が立ち塞がる。
(ごめん)
罪悪感を飲み込み、シリウスは刃を振るう。
シリウスの勢いは荒まじく青年を追い詰めようとするが、その度に死人兵が現れ壁となる。
「おのれ。人形遣い何をしてる! 邪魔な奴らを倒せ!」
青年はシリウスの猛攻を捌きながら、支配下にある『はず』の人形遣いに命令を出す。
人形遣いは無数の死人兵を同時に操り、シリウスに側面から襲い掛かろうとするが、それをルシオやセパル達が押し留めた。
一見すると、シリウスが猛攻で押しているように見えるが、限界が近いのはリチェルカーレ達には分かる。
(何か、何かわたしにできること……!)
皆の援護をしながら焦るリチェルカーレに、リーフィが注意を引くように鳴き声を上げた。
「ぴー! ぴぴぴ、ぴー!」
(何かあるの?)
リーフィに導かれ、大きな樹の影に向かうと、そこには1人の少女が居た。
「――あなたは、誰?」
耳の辺りに茉莉花の花群の生えた少女は、戦い続けるシリウス達に視線を向ける。それはまるで――
助けたい?
そう言っているかのようだった。
「助けたいの。解放したいの」
リチェルカーレは想いを告げる。
「聞こえる? ここに眠る人たちの声が」
村人達の安穏を願い。
「……誰より大好きな彼のためにも。お願い、力をかして!」
シリウスを想い、心をさらけ出す。
それに少女は応えた。
「その願いを持って契約の証しとしましょう」
少女の言葉と共に、リチェルカーレとの因果線が結ばれ契約が成される。
同時に少女は、花をつけた角を持つ金色の小鹿へと変わり言った。
「私は随行型補助系の宝貝。同行するだけで貴女の魔術の強化を成すわ。けれど今はそれよりも、能力解放を行いなさい」
「能力解放……?」
「貴女の願いを私が力に変える。願いなさい。今、何をどうしたいか」
宝貝の言葉に、リチェルカーレは願いを込める。
(皆の解放を――)
それがリチェルカーレの宝貝、第一の特殊能力として開花した。
リチェルカーレを中心として力場が広がり、それに触れた死人兵達は次々倒れ伏す。
「馬鹿な! 隷属の魔力線が消え失せただと!」
驚愕する青年。
そしてシリウスは、今の状態を齎したリチェルカーレに呆然とする。
シリウス1人では、この状況に辿り着くことは出来なかっただろう。
全ては、リチェルカーレを含めた皆が居てくれたから。
忘れないで。皆一緒よ。
リチェルカーレが与えてくれた言葉と共に、父と母の顔が思い浮かぶ。
独りじゃない。
それを実感として胸に抱き、一瞬目を伏せ――
「光は降魔の剣となりて、全てを切り裂く」
黒炎解放。
皆の助けを背に受けながら、全力を振り絞る。
「貴様!」
気付いた青年が近付けまいと無数の魔力弾を生み出し射出。
避け切れない。しかし――
「馬鹿な!」
青年は驚愕する。
放たれた魔力弾は、シリウスを貫こうとするが全てが通り抜ける。
『霧化』
それは体の一部を一時的に霧と化すことで、物理的干渉から逃れる真祖の技。
「上位種族の力を、吸血鬼如きが!」
喚く青年を斬り伏せる。
「ガハッ!」
傷が深いのか、青年は後退し、人形遣いに転移用の魔方陣を造り出させる。
「おのれ、覚えておくぞ、吸血鬼!」
捨て台詞を残し、青年は人形遣いと共に消え失せた。
「シリウス!」
全力を出し過ぎ、膝をつくシリウスにリチェルカーレが駆け寄る。
彼を抱きしめ、癒そうとするかのように血の滲む拳を包み込む。
「……大丈夫だ」
心配を掛けまいとするシリウスの言葉に、より強く彼を抱きしめながら、リチェルカーレは歌を奏でる。
それは鎮魂歌。
涙を流しながら、リチェルカーレは魂の安らぎを願い歌い続ける。
「……リチェ」
リチェルカーレの涙に、シリウスは茫然としながら、村人達の鎮魂を祈る。
「……これで皆、眠れるだろうか」
シリウスの想いに応えるように、歌は空へと届いていった。
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隠れ里。
人世と隔たれた、無間の神域。
そこにユラリと揺蕩う、御殿一棟。
連なる間。聞こえる声。
「何ぞやっとるなと思うたら、また妙な事を始めたもんじゃな」
「平和になりんしたらなりんしたで、どうにも退屈でありんすからぇ。道楽くらいは、自炊しんすよ?」
呆れた顔をするのは、桜柄の十二単。『桜花の麗精・珠結良之桜夜姫』。清楚な姿の彼女の前で、大翼を掲げた妖艶な花魁。『覇天の雷姫・アディティ』。共に、高位八百万の二柱。座する場は遠けれど、神に然したる意味はなく。たまにこうして言葉を交わす。
「暇を持て余した……か。しかしなぁ、いくら近しくなったとは言え、我らがやたらと人に干渉するのは如何なモンかと思うぞ?」
シレッと飛んできたブーメラン。笑って落とすアディティ。
「らしくない事をおっしゃいんすぇ。主とて、大好物でありんしょう? こなたの手の事は?」
「……ま、否定はせん」
アッサリと肯定。
「しかしな?」
杯を舐め、ニヤリと笑む桜夜姫。
「絡んどる面子が面子じゃ。表立って派手は出来まい。さて、裏で何を企んどる?」
「流石に鼻が利きんすね? いえね、そう悪い事ではありんせん。実は、少々気になる小娘がいまして……」
そう言って、ヒソヒソと耳打ち。ふむふむと頷く。
「ほう、それはそれは」
「お好きでありんしょう?」
「そうじゃな、良いモノが見れそうじゃ。一枚、噛ませてもらおうか」
「はい、毎度あり」
悪巧みの約を結び、固めの杯。漏れる妖しげな笑い声。肴を運ぶ小妖共が首を竦めた。
◆
「ここも、もうすぐ夏なのですね」
見上げた空は青く遠く。少し厳しさを増した日の光を翳した手で遮りながら、『タオ・リンファ』は流れる北国の薫風(くんぷう)に微かな安らぎを見出す。
「リンファさんは、出ないの?」
「ふぇ!?」
迂闊にも緩んでいた所に声掛けられて、思わず変な声が出た。
振り向けば、同じく警備の役についていた『カレナ・メルア』が此方を見ていた。
「な、何ですか? カレナさん」
「だから、アレ」
指差す先には、湯気を上げて広がる巨大な水面。
ノルウェンディ名物、『巨大温泉プール・アイスラグーン』。そして、白気の中に見える複数の女性達。
一様に身に纏うのは、ウェディングドレスの様な装飾を施した水着。所謂、ウェディング水着と言う代物。
先にも述べた通り、ここは樹氷群ノルウェンディ。開催されているのは五月に行われた服をテーマにした博覧会から派生した、ウェディングドレステーマの祭り事。
アイスラグーンを有するノルウェンディでは、それを利用したウェディング水着特化の催しとなっている次第。
「着ないの? リンファさん」
「な、何を言ってるんですか!?」
継いで出てきた言葉に、目を丸くする。
「私達は警備に来てるんですよ!? 参加するなんて……」
「皆、出てるよ?」
確かに、一般人に混じって浄化師達の姿もチラホラ。
「ヨセフさんも言ってたじゃない。ボク達も混ざって良いよって」
「そ、それはそうですが……」
チラリと楽しんでる同僚達を見やる。
……まあ、綺麗だなとかは思う。総じて、良いデザインだ。さぞや有能なデザイナー達が監修したのだろう。
しかし、それは良いのだが……何と言うか、その……。
「エロいよねー♪」
「ぶっ!!!」
無邪気故か確信犯か。サラリとのたまうカレナに吹く。
そう。何と言うかその、煽情的と言うか、センシティブなのである。流石に、ちょっと……。
「リンファさんカッコいいから、似合うと思うんだけどなー」
「……あのですね、女性相手にサラッとそういう事言う癖、直した方が良いですよ……?」
「何で?」
「いや、だって……」
澄んだ目で見つめられ、言葉に詰まる。
本人に全く他意がないのだから、たちが悪い事この上ない。この調子では、いつかあの『相方』に本気で刺されるのではなかろうか?
そんな事を思いながら視線を向けた先では件の相方、『セルシア・スカーレル』が『ステラ・ノーチェイン』と顔付き合わせて唸っている。何と言うか、今だにステラを『泥棒猫候補』として警戒しているらしい。確かに、ヤバイ。
「ヨセフさんも来てるんだから、好機じゃないかな?」
「ぶふっ!?」
またサラッととんでもない事を言う。
「な! ななな!! 言うに事欠いて何て事を言いやがるんでございますか貴女様は!!?」
呂律がおかしい。
「好きなんでしょ? ヨセフさんの事」
「そ……それはその……モニョモニョ……」
ガンガン責めてくるカレナ。どうにもいけない。前々から思っていたが、清純面して根は黒いらしい。やっぱ『アレ』の相方である。
「そ、そこまで言うのなら、貴女こそ参加すれば良いのでは!? セルシアさんというパートナーもいるのですし!!?」
このままでは、勢いで更にとんでもない事に誘導されてしまいかねない。せめてもの反撃を試みる。けれど。
「ボク達は、ダメかなぁ……」
「!」
返ってきたのは、とても透明な声と思いもよらない言葉。
「ボク達には、あの光はちょっと眩し過ぎるから」
「そんな……」
「ヨセフさんと、結婚するの?」
「ふぇ!?」
馬鹿な事を言うなと言いかけた口を塞ぐ様に、カレナが問う。
言葉も出ずにアワアワするリンファ。そんな彼女に、無垢の小悪魔はクスリと笑う。
「困らないで。言って見ただけ。それは、リンファさんが決める事。ただ……」
流れる視線が、想う相手を見る。大好きな盟友と戯れる、愛しき人。
「ボクもボクのセルシアも、家族の事が分からない。作り方も、愛し方も分からない。だから、皆を見たい。皆の未来を、導にしたい。だから……」
再び向けられた瞳は、真っ直ぐに。
「もしも許してくれるなら。貴女の光も、ちょっとだけ」
「……!」
遠くで、彼女達が呼ぶ声。返事を返して走っていくカレナ。揺れる赤いポニーテールを、ただ見送る。
確かに、だけど形に出来なかった言葉。
自分は、何と答えようとしたのだろう。
◆
「何とか、無事に終わりましたね……」
日も傾いた頃合い、警備の任を終えたリンファは当てがわれたホテルの一室で、ホッと息を吐いた。
「くろくろコゲコゲだな。マー」
日焼けした肌を晒しながら、ニパリと笑うステラ。
「日差しが強かったですからね。随分と汗もかきましたし、シャワーでも浴びますか」
などと言いながら制服に手をかけようとしたその時。
「そんな貴女にご朗報―!」
やたら黄色い声と共に、天井の羽目板をバーンとぶち抜いて降ってくる何者か。
「ぎゃー!!!?」
吃驚した。しない奴がいたらソイツがおかしい。で、鍛えた体は当然の様に反応。反射で振り抜いた蹴脚が、過たず侵入者の鳩尾を捕らえる。
「げぼぁー!!?」
断末魔を纏って吹っ飛ぶ狼藉者。そのまんまベッドやら鏡台やらを巻き込んで沈黙する。
「おお、ハニーだゾ。どした?」
「む……むぅう……流石は我が同志にして宿敵……見事な、功夫……ごふっ!」
「しっかりしろ! キズは深いゾ!?」
瓦礫の中からゴソゴソ這い出す蜂蜜色。引っ張り出すステラ。露骨に嫌な顔するリンファ。
「……何しに来たんですか? ハニーさん……」
「いや、シャワー浴びたいって聞いたから。良い事教えようと思って……」
等と言いながらパタパタ埃を掃う『養蜂の魔女 ハニー・リリカル』。と言うか、聞いたっていつから居たのだろう。天井裏に……。
怖くて突っ込めないリンファを他所に、話を続けるストーカー疑惑浮上魔女。
「ロロ様からの御好意でさ、今夜はアイスラグーンを一晩中皆に開放するから、好きに使ってくれて良いってさ」
「おお、ほんとうかー!?」
目を輝かせて喜ぶステラ。対して、ちょっと困った顔のリンファ。
「それは有り難いお話ですが……。生憎、私達は水着が……」
「心配無用! こんな事もあろうかと……」
ポンと取り出す、包みが二つ。
「用意してきたよ! お二人さんの『特製』水着!」
「おお! きがきくなー!」
「いつの間に……」
あまりの手際の良さに胡散臭い気配を感じなくもないが、ステラが喜んでいる手前追及するのも野暮な気がする。
「マー、はやく行こう!」
「わ、分かりました。では、有り難く……」
お礼を言って包みを受け取り、部屋を出ていく二人。
実際、疲れていたのだろう。いつものリンファであれば、気づかない筈がないのだから。見送るハニーの顔に、邪な笑みが浮かんでいる事を。
◆
「……ロリオタ魔女が……」
思わず漏れる、憤怒の呻き。果たして、リンファの身を包んでいたのは可憐なウェディング水着。上品かつ麗美な造りが、彼女の均整の取れた肢体を見事に彩る。養蜂の魔女の手腕、恐るべし(まあ、腕が無けりゃコスプレ衣装なぞ作れんし)
しかし、そんな事は問題ではない。昼間の件以来、カレナの言葉が巡っていた事もあって。コレ自体は何となく答えられた気がしないでもなかったりする。……彼女の真意が、そんな事ではないと分かっていつつも。
「マー、きれいだな」
スクール水着姿のステラが、羨望の眼差しで言う。正しく。素敵だな、とか思っているのも事実。
そう。だから、此れ自体は問題ではないのだ。真の問題は……。
「何ですか……この状況は……」
訪れたアイスラグーンは、人っ子一人いなかった。ハニーの言い様なら、他にも同僚達が来ていても良い筈なのに。
不信に思った瞬間、気づいてしまった。
離れた湯気の向こう。そこに立つ人影。
間違える筈など、なかった。同様に気づいたステラが、彼の名を呼んで走っていく。呼び止める事も出来なかった。声を発せば、気づかれてしまうから。見られたくなかった。こんな、勝手な想いを曝け出した姿など。
たまらず背を向けたその時。
「おや、逃げるのでありんすか?」
上から降って来た声に、ギクリとした。
見上げた先には、淡く輝く虹の大翼。岩壁に腰かけ、見下ろす艶美な笑顔。
「アディティ様……」
「折角、場を設えてあげんしたのに」
「……仕組んだのは、貴女ですか……」
フワリと降りて来た女神に、食ってかかる。
「どう言うつもりですか!? 私は……」
「人は、儚いでありんすからねぇ」
笑んだアディティが、煙管でリンファの顎をクイと上げる。
「大事にするのも自由。蹈鞴を踏むのも自由。けど、そうしていんす間に時は流れんす 。逸してしまうかもしれんせんよ? あまり、臆病ですと」
「貴女に、何が……」
「分かりんせんよ。でありんすから、知りたいんでありす」
金の眼差し。酷く、優しげ。
「ぬし達は、古き創造を崩しんした。想いを持って。ならば、今度は見せて欲しいのでありんすぇ。同じ想いが成す、創造の形を」
ふと過ぎる、友の願い。
「何、そう急かしはしんせん。ただ、歩む様だけは魅せてくんなましな」
途端、朱染めの大気に別の彩。
季節外れの桜と知るに、時は要らず。
「ま、其れを肴に美味い酒が飲みたいだけじゃ。大事には捉えるな」
覚えのある声に『勝手な事を』とむくれれば、バツが悪そうに笑う。
「用意したのは、僅かでありんすぇ。じきに他の方々も来んすから」
「少しばかり、愛でて貰え。今日の駄賃にな」
今日の駄賃。まあ、それくらいなら。
ステラが呼ぶ声が聞こえる。
さて、この姿。あの人は、何と言うだろうか。
いつしか、怯えは消えて。
そう、ほんのちょっとだけ。
踏み出した先。揺れる水面。桜が誘う。
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●幕間 ベルヴァ
「まったく。期待外れもいい所です」
1人の少女が、リュミエールストリートを歩いていた。
「少しは役に立つかと思いましたのに。やはり劣等種達の集まりでしかありませんね」
不機嫌そうに呟く彼女の名は、ベルヴァ。
レプリカントと呼ばれる強化人間であり、自身を生み出した救世会を見限った少女でもある。
「救世会と事を構える様子もありませんし、ワタシが渡した資料をまともに分析することも出来ないんでしょうか」
苛立たしげに呟く彼女に、往来の人々は視線を向けない。
なぜならベルヴァは魔術を展開し、周囲から意識されないようにしていたからだ。
誰にも気づかれないまま、ベルヴァは歩く。
「このまま教団が何もしないなら、ワタシ自ら――」
その先の言葉は擦れて消えた。
自身を生み出した救世会を壊滅させる。
それがベルヴァの当面の目的だ。
出来ないとは思わない。
なぜなら自分こそがレプリカントの完成形。
誰よりも優れ、全ての人間を導くことが出来る者。
たとえ1人だとしても、望むことは何でもできる。
そう、独りで、十分なのだ。
「……」
堪えるように、ベルヴァは歯を噛みしめる。
独り。
最良であるからこその当然。
独りで全て出来るなら、他の誰も必要としない。でも――
(にいさま……ねえさま)
気付けば2人のことが心に浮かんできた。
それが何故なのか、解らない。
けれど今、リュミエールストリートに居るのは、2人のことを想ってしまったからだ。
「――ふふ」
自嘲を浮かべ、ベルヴァは笑う。
それはまるで、迷子が見せる不安な表情(かお)。
けれどそれは、誰にも気づかれない。
魔術で隠し、誰にも見つからないようにしているのは彼女自身なのだから。
彼女は独り、孤高に在り続ける。それが宿命だと、言わんばかりに。
けれど時に運命の類は狂うもの。
「どうしたの? 迷子?」
気付かれない筈の彼女を呼ぶ声が、まさにそれ。
運命の出会いというヤツは、意外なほどに転がっている物なのだ。
●第二章 運命の出会い
リュミエールストリートを、『ラニ・シェルロワ』は独り歩いていた。
(結局、分かんないものは分かんないのよねー)
屋台で買ったチュロスを食べ歩きしながら、ラニは整理する様に考えていた。
(そもそも情報が足らないのよ。レプリカントって言われても、何なの? って感じだし)
いま彼女が悩んでいるのは、レプリカントについてだ。
少し前、パートナーである『ラス・シェルレイ』の実家が襲撃され、そこでラスの師匠だというレインから『レプリカント』という言葉を告げられた。
ラニとしては、『何それ?』といった程度でしかなかったが、ラスの方が思い悩んでいる。
そんな彼を見て、どうにか出来ないものかと思い、レプリカントについて考えていたのだが、推論を立てようにもヒントになりそうな情報の断片すら持ってないのだ。
一言でいえば、お手上げである。
それでも考えてはいたのだが、気分転換も兼ねてリュミエールストリートに訪れていた。
つらつら散策し、気付く。
(……いつもより賑やかじゃない?)
普段よりも人通りが多く、出店の類も数多い。
覗いてみれば、軽食の他に、衣料品や装飾品の類が多い。
(――あ、そういえば、博覧会してたんだっけ)
なんでも、服をテーマとした博覧会が各国で行われているらしく、その賑わいがリュミエールストリートにも来ているようだ。
(服かー。この前、ひめちゃんの所で着物を勧められたけど)
それはニホンの八百万、珠結良之桜夜姫に、宴に誘われた時のこと。
あの時は、神露を飲んで酔い潰れて眠ってしまったけれど、いま思うと少し勿体なかったかなとも思う。
(ニホンの物も並べられてるみたいだけど……1人で見てもねー)
ラスを連れて来れば、色々と服を見繕う楽しみもあったかもしれないが、独りでは気分が乗り切らない。
(どーしよっかなー)
決めかねている、その時だった。
(あれ?)
独りの少女に気付く。
(迷子?)
少女は、歳の頃は十代半ば。黄昏を連想させる橙色の瞳に、白に近い薄い水色の髪をボーイッシュなショートヘアで纏めている。
快活そうな子だったが、独り当てもなく不安そうにしているように見えた。
彼女を見つけたラニは、何故だか声をかけなきゃという思いが湧き――
「どうしたの? 迷子?」
「……え」
声を掛けられた少女は、信じられない物を見たとでも言うような、完全に惚けた表情を返してきた。
(……あれ?)
少女の表情に少し違和感を感じたものの、放っておけないので声を掛けていくと、彼女は事情を説明してくれた。
「博覧会の商品がここで見られると聞いて来たんです。この街に来るのは初めてだったけど、興味があってどうしても来たくて――」
どうやら初めての街に1人で来て迷ってしまい、不安だったらしい。
「へぇ、そりゃ大変だったわねぇ……」
不安そうに『みえる』少女にラニは、どうにかしてあげたいと思い提案した。
「暇? あたし案内したげよっか?」
「いいんですか!?」
「いいのよ! あたしも暇だし」
ラニの言葉に、少女は嬉しそうに喜ぶ。
そして2人は、一緒に回っていく。
「これ、似合うんじゃない?」
「いいですね! あの、これ、どうですか?」
お互い服を選び合い、屋台で揚げ立てのポテトを買い2人で摘まみながら歩いていた。
2人が楽しんでいる頃、教団の食堂でラスは悩んでいた。
(どうしてレイン(師匠)が、レプリカントのことを知っていたんだ)
あの時以来、ラスの頭からそのことは離れないでいた。
(レインは、あの時『お前達』と言っていた)
それはつまり、ラスだけでなくラニも関わっているかもしれないということ。
だからこそ悩みは深くなっていたのだが、答えは見えず陰鬱とした気持ちに沈んでいた。
そんな彼に――
「平気? ラス」
シィラが声を掛けてくれた。
「? あ、あぁ、平気だよシィラ」
「本当に?」
応えに一瞬詰まる。
そんな彼を待ってくれているのか、静かに見つめて来るシィラに、ラスは息を抜いてから応えた。
「……いや、半分嘘ついた。正直怖い」
「……そうなんだ……ちょっと待ってて」
シィラは紅茶とケーキを持って来て言った。
「ティーブレイクしましょう。ラニは、どこかに行ってるの?」
「ラニなら1人で出かけたよ」
「そうなの? 何かあったの?」
「いや、そういうのじゃないよ。たまにやるんだ、オレが1人で出かけることもあるし」
「そうなんだ……独りにして、心配じゃない?」
茶目っ気を込めて尋ねるシィラに、ラスは遠い目をして応えた。
「心配……そうだな……変なことに巻き込まれてないかだけ心配だな……」
ラスの応えに、くすりと笑みを浮かべるシィラだった。
その後、他愛ないお喋りを2人は続けた。
シィラは教団本部のシルキーなので、周囲に声が漏れないようにすることも出来る。
だから周囲を気にすることなくお喋りを続けていたのだが、核心に迫る話をしても良いのかシィラが迷っていると、気付いたラスが応えた。
「……レプリカント、無関係じゃないんだろ。オレ達にとっても」
「……ラス」
心配そうな表情をするシィラに、ラスは正直な気持ちを口にする。
「オレはやっぱり、オレのことが知りたいよ」
ラスの想いに返すように、シィラは自らが知り得ることを口にした。
「貴方達2人は、ひょっとするとレプリカントかもしれない」
「オレ達が、レプリカントかもしれない?」
真剣に見つめるラスに視線を合わせ、シィラは説明する。
「レプリカントに関わった中枢は、枢機卿も含めた貴族達なの。ヨセフ教皇の勅命で調査が進んでるそうなんだけど、調査対象になっている貴族のひとつが、ラス……貴方の実家と深く関わっていたみたい」
「それって……」
繋がりが見え考え込むラスに、シィラは続けて言った。
「レプリカントの素体や、母体となる人材を集めたり、レプリカントに戸籍を与えるために赤ん坊を引き取らせたり……色々とやっていたみたいなんだけど、それに関わる家のひとつが、貴方の実家だったみたい」
「……そうか」
シィラの話を聞いて、何ともいえない顔になるラス。
「……ラス」
心配して声を掛けるシィラに、ラスは落ち着いた声で返した。
「ショックを受けてる訳じゃないんだ。ただ、納得いっただけというか」
「納得?」
「いや、それなら父と母がオレに興味がなさそうだったのも頷けるから」
「……」
気遣うように見詰めて来るシィラに、ラスは安心させるように返す。
「大丈夫。それより、ヨセフ教皇の勅命で調査が進んでるってことだけど、どうなってるんだ?」
「調査対象が多くて大変みたい」
シィラは説明してくれる。
「アレイスターが死んで、元々あった組織は、今は救世会という形で幾つかに分裂しているから。もし、何か気になることがあればヨセフ教皇に訊いてみる?」
「……そうだな。考えてみるよ」
シィラに応えながら、ラスは思う。
(……ラニ遅いな、本当に大丈夫か?)
そんな彼の心配を余所に、ラニは楽しんでいた。
「よし、じゃ次はフリーマーケットに行こー」
「はい!」
にこにこ笑顔な少女を連れてリュミエールストリート巡りを楽しんでいたラニは、フリーマーケットに。
「これ、良いと思わない?」
「似合います!」
小物や装飾品を見て回り、とある出店の前を通りかかると、ラニは少女に言った。
「折角だから何か買えば?」
(懐と相談だけど……)
内心は笑顔で飲み込みながら、ラニは少女に奢ろうとする。
すると少女は目を輝かせ――
「嬉しいです!」
真剣な表情で商品を吟味する。
普段使いの装飾品が並べられたテーブルを見詰め、やがて選ぶ。
「これ、三つで一セットですよね」
「はい。縁寿の指輪と言って、大切な人同志で持つと縁起が良いと言われてます」
何やら店主と話していたようだが、他の商品を見ていたラニは気付かない。
その間に、少女は支払いを済ませ――
「これ、あげます」
指輪をふたつ、ラニに手渡す。
「え? って、支払いは?」
「済ませました。気にせず貰って下さい。今日一緒に居てくれたお礼です」
「へ? お礼だなんてそんな……」
「嫌ですか……?」
しゅんと気落ちした彼女に慌ててラニは返す。
「嫌じゃないわよ! でも、一緒に見て回っただけだし……」
「そんなことないです! お蔭で、とっても楽しい一日になりました。それにこの指輪、三つで一セットだったんです。1人で三つも付けるのも変ですし、貰って貰えたら嬉しいです」
笑顔の少女に、ラニも笑顔で応え、指輪を受け取る。
「そうね、あいつにあげるか」
受け取ったラニに少女は、自然な口調で言った。
「貰ってくれて嬉しいです。ねえさま」
「ねえさま!?」
「はい。ワタシ、あなたみたいな姉が欲しかったんです。ねえさまって呼んでもいいですか?」
甘えるような視線を向ける少女に、ラニは笑顔で応えた。
「見る目あるじゃない! いいわよ!」
「ありがとうございます。ねえさま」
笑顔を浮かべる2人だった。
その後、夕暮れになるまで2人は一緒に見て回り、一日を楽しく過ごした。
一方ラスは、帰りの遅いラニのことを気に掛けて過ごす一日となるのであった。
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創造神との戦いが終わり月日が経った。
決戦の熱は消え、けれど記憶が薄れるほどには過ぎてない、そんな日々。
これまでのように直接的な危機を感じないで済むだけ、人の心は穏やかだ。
各地で復興も始まり、平和を人々は実感し始めている。
皆は日常という贅沢を、当たり前のように消費し始めていた。
とはいえ、だからといって何も起こらないという訳もなく――
「こらー! 待ちなさい!」
「ひーっ!」
リュミエールストリートを逃げ回る元終焉の夜明け団を、『相楽・冬子(さがら・とうこ)』は追い駆ける。
「大人しく捕まりなさい! 悪いようにはしないから!」
「信じれるかー!」
振り向く事さえなく、すたこらさっさ。
魔術を使ってインチキ博打をしていると通報を受けて来てみれば、相手は元終焉の夜明け団。
捕まえようとしたらすぐさま逃げ出し、追い駆けっこの真っ最中。
「本当に、悪いようにはしないって!」
冬子は追い駆けながら必死に声を掛ける。
終焉の夜明け団は元は敵対組織だが、今となっては大元も居なくなり解散状態。
中には地下に潜ってあくどい事をしている者もいるが、今逃げているような相手なら、ちょっと厳重注意をするぐらいだ。
なのではあるが――
「殺されてたまるか!」
必死に逃げる元夜明け団。
「だから大丈夫なの! 昔の教団とは違うんだから!」
事実を言われても信じられないのが人の常。
変わらず男は逃げ回り――
「もう逃がさないです!」
先回りしていた『メルツェル・アイン』が立ち塞がって、挟み撃ちで捕まえた。
「はい、捕まえた」
後ろ手に縛り教団に連れて行くことに。
「ちくしょう……」
うなだれる男に、メルツェルは元気付けるように言った。
「心配しなくても、酷いことはしないのです」
「……ホントか?」
「本当よ。でも厳重注意は覚悟してね」
「……うぅ」
どこか気が抜けるように安堵する男に、メルツェルと冬子は目を合わせ苦笑すると教団に連行した。
男を引き渡し、2人は一仕事を終える。
「小競り合いはありましたけど、今日も平和でしたわね」
リュミエールストリートでの騒動も終わり、報告書を提出したメルツェルは笑みを浮かべた。
屈託のない彼女の笑顔を見ていると、冬子は心が軽やかになる。
冬子はメルツェルに応えるように笑みを浮かべ、明るい声で返した。
「うん。あの魔術師も絞られたみたいだし、これで今日もいつも通り、異常なし」
軽く背伸びをひとつ。
メルツェルと出会った始めの頃なら、こんな風に自然体で居られることなんてなかったけれど、今は違う。
笑顔だって、かつては力が入って硬くなってしまっていたが、今は意識せずに浮かべることが出来る。
これも世界が平和になったから。
それ以上に、なりよりもメルツェルと共に過ごすことが出来たからだと、冬子は思う。
(このまま平和が続きますように)
言葉には出さず、願うように冬子は胸中で呟く。
未来に希望を。
それは現在(いま)を共に生きてくれるメルツェルが傍に居てくれるからこそ、想える祈り。
きっと今、自分は幸せなんだと冬子は思う。
ずっとずっと、こんな日が続く筈だと、信じていた。
けれど――
過去が現在に浮かび上がり、未来への暗雲を導き始める。
「トーコ。遠征組の人達が帰って来たみたいです」
ざわめきが聞こえ視線を向けると、ヒューマンで構成された浄化師のパーティが、何かを手に雑談をしながら歩いていた。
彼らのうち何人かは、指令で同行したこともあるので声を掛けに行く。
「お疲れさま。依頼から戻って来たの?」
冬子が声を掛けると、見知った顔の青年が応えを返してくれる。
「やぁ、2人とも。ちょうど今、ニホンから帰って来た所だよ」
「あら、ニホンから帰ってこられましたの? お帰りなさい!」
メルツェルは人懐っこい笑顔を浮かべ、するりと皆の輪に入る。
屈託のないメルツェルに、皆も自然と受け入れるように笑顔を返す。
彼女の様子に苦笑しながら、冬子も話に加わった。
「えっと……ニホンから帰ってきた、んですね。お帰りなさい。あっちも、平和だと聞きました……」
僅かに、想いに浸るように目を伏せる。
「どうした?」
冬子の様子に、青年が気遣うように聞き返す。
これに冬子は、少しだけ懐かしむような響きを声に滲ませ、応えた。
「ニホンは、私の故郷のような……ものだし」
「そっか」
冬子の応えに、あえて青年は明るい声で言った。
「なら、今度一緒にニホンに行くチームに加わるかい? まだ何度か行く必要があるから、2人が来てくれると助かる」
青年の提案に賛同する様に、青年のパートナーである女性が続ける。
「良いわね。人手が多い方が助かるし。仕事が終わったあとは、しばらく向こうで自由に過ごしても良いみたいだから、旅行に行くつもりで参加してみるのも良いんじゃない?」
「そうだな。仕事がてら、ちょっとした帰省ってのも、悪くないと思う」
「そう、ね……」
2人の提案に、冬子は曖昧な笑みで応えた。
申し出はありがたいと思うが、どこか二の足を踏んでしまう。
アンデッドである冬子は、記憶の一部が欠けている。
それは自らの死因も含めた、多くの過去。
欠けていることは、実感している。
けれど積極的に取り戻そうとしていたかといえば、そうではない。
どこか目を逸らすように意識せず、記憶を取り戻そうとはしなかった。
それはまるで、過去と向き合うことを恐れているかのように。
「……っ」
浮かび上がった気付きに、冬子は息を飲むと軽く目を伏せる。
けれど誰にも気づかれないよう、自分自身を抑える。
無言になる冬子。
すると彼女の代わりになるというように、メルツェルが口を開いた。
「それは……一体何かしら? 見たこともありませんわ」
ヒューマンの浄化師が手にした物に興味を示し尋ねると、彼女は見え易いよう、軽く掲げてくれる。
「今回の指令での押収資料よ。終焉の夜明け団の残党が持ってたみたいなんだけど、向こうでも見たことが無い物だって言うから、こっちに持って帰って調査して貰うことにしたの」
「ニホンでも見覚えがない? なるほど、調査ですのね」
視線を向ければ、そこにあったのは片手で摘まめるような大きさのもの。
「とはいえ、見た目はただの……平べったい……板……? 一体、何なんでしょう?」
「さて、俺達にはさっぱりだ。謎だねぇ」
(……? 謎の物質を見つけた?)
冬子は嫌な予感がして、伏していた視線を上げる。
すると謎の板を手に取ろうとするメルツェルの姿が目に入り――
「それは……――それに触るな!!!!」
「トーコ……!?」
突然、大声をあげる冬子に驚き、メルツェルが手をひっこめると、冬子は彼女を庇うように前に立つ。
あまりの急変に皆は驚き、けれど冬子を信じるメルツェルは、冬子の意図を汲むように言った。
「……解りましたわ、ワタクシだけ? 他の方は?」
「他の皆もダメ! とにかくそれを渡して! 早く!!」
「……皆様、少しの間冬子に預けてくださいまし」
冬子の必死さと、メルツェルの懸命な頼みに、浄化師達は板を手渡す。
「危険な物なのか?」
「ええ、きっと危険です。だから名乗り出た……と……思いたいのですが……」
メルツェルは冬子に事情を聞きたいと思うも、これでもかと目を見開きながら、謎の物質を手にする冬子に何も言えなくなる。
(冬子……)
顔面蒼白になりながら、焦りを飲み込み謎の物質を調べる冬子をメルツェルが心配して見詰めているが、冬子にはメルツェルの心配に返す余裕はない。
(これはだめ、何でこれがニホンにあったの)
手触りと質感。外見と重さ。その全てが、記憶の奥底から浮かび上がってくる。
人外爆殺符。
かつて大華を支配した文明圏が造り出した、文字通り人外を殺すための兵器。
ヒューマン以外を人間と認めなかった文明が作ったそれは、ヒューマン以外が手にすることで発動準備に入る。
(起動経路は……ダメ、これじゃない)
ゆっくり魔力を流し、機能を封殺する魔力経路を探る。
(おかしい、これは、これは……ああ、ああ)
知っている。その筈なのに、何かが違う。
(記憶を無くしているから? 違う! そうじゃない!)
細かな仕様が違う。
冬子が知っている物に比べれば、これは作りが雑な上に込められた魔力も低い。
例えるなら、オリジナルを元にした質の悪いレプリカ。
安価な大量生産品のような物だと理解する。
だがそれでも、今ここで発動してしまえば、この場に居る皆は無傷では済まない。
「トーコ……」
冬子を心配するメルツェルの声。
それが冬子に力をくれる。
諦めなんかぶっ飛ばし、迫りくる悪意をねじ伏せる。
(この――)
「メル、アブソリュートスペルを!」
手を伸ばす冬子に、メルツェルは手を重ね魔術真名解放。
「貴女の為に、最善を」
今まさに、それを成す時。
詠唱と共に解放された魔力回路は、封印時の数倍の魔力を精製。
生み出した膨大な魔力を、爆殺符に流し込む。
(――ここだ!)
強力な魔力を流された符は主要回路に負荷が掛かり、発動経路を露わにさせる。
(込められてる魔力の属性は火。私の魔力属性は水だから、相克で無力化できる!)
全身の魔力を振り絞り、爆殺符の主要回路に流し込む。
相克現象により込められた魔力は消え失せ、流し込んだ魔力により主要回路を焼き切った。
ビキッ!
爆殺符に罅が入り、無力化される。
「……もう、大丈夫」
ぐったりとした声で、力なく冬子は、その場に座り込む。
「終わりましたの? よかった……」
安堵の声を上げるメルツェルに、張り詰めていた冬子は息をつく。
そんな彼女に、爆殺符を持って来ていた浄化師が尋ねる。
「それは、結局なんだったんだ?」
「これは、爆弾。ヒューマン以外に反応する……でも、発掘された本物とは違う……きっと、オリジナルを元にした模造品……」
「冬子……まさか記憶が?」
メルツェルの問い掛けに、力なく笑いながら冬子は応える。
「知ってる、だって私、これを使ったことがある」
「……っ」
冬子の応えに、メルツェルは思わず息を飲む。
なぜならそれはきっと、冬子がアンデッドとして蘇る前の、生前の出来事だからだ。
(冬子……)
あまりのことに何を言えば良いのか分からないメルツェルの代わりに、浄化師達のリーダーが言った。
「詳しい事情を話す必要があるだろう。これからヨセフ教皇の元に報告に行く。2人とも、一緒に来てくれるな?」
「……ええ」
よろりと力なく立ち上がる冬子に、メルツェルは寄り添い手を繋ぐ。そして――
「トーコ。一緒に行きましょう。ワタクシも一緒です」
「……ありがとう」
繋いだ手を握り返し、冬子はメルツェルと共に、皆とヨセフの元に向かうことにした。
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「……」
室長室から退室した『シリウス・セイアッド』は、親しい者でなければ分からないほど小さく、少し疲れた顔をしていた。
「どうしたの?」
シリウスの様子に気づいた『リチェルカーレ・リモージュ』が尋ねると、彼は応えた。
「……教皇にまで『周りを頼れ』だの『自分を大事に』だの、言われると思わなかった……」
それはお説教ではなく、純粋にシリウスのことを気に掛けての言葉だったが、それだけに余計に堪えたようだ。
「誰だわざわざ報告したのは」
小さな声で文句を言うシリウスに、くすりとリチェルカーレは笑う。
「皆心配してるのよ。シリウスはすぐ怪我をするんだもの」
「……騒がれるほどでは……」
「この前、起き上がれないくらい酷い怪我をしたのは誰でしたっけ?」
もう、とリチェルカーレが膨れて見せると、きまり悪げにシリウスは視線を逸らした。
シリウスは、リチェルカーレの前であれば、こうして弱さを見せてくれることもあるが、そうでなければ自分の気持ちを表に出すことすらしない。
心配されること、自分を大切にすること。
シリウスのことを大事に思ってくれる人達がいることは理解しているが、それ以上に自分のせいで誰かが傷つくことを恐れている。
仲間のことは当然のように気にするくせに、自分のことになると完全に意識の外になるシリウスに、リチェルカーレは小さくため息をつく。
(困ったような顔を見せてくれるだけ、頼ってくれてるのかもしれないけど……)
リチェルカーレに見せてくれる弱さに、少しだけ嬉しさを覚えるものの、それ以上に彼のことが大切で心配なのだ。
だから、少しでも彼が自分のことを大事にしてくれるように。
リチェルカーレはシリウスに声を掛け続ける。
「お天気もいいし、今日はゆっくりしましょうね」
「……そうだな」
頷くも、何をどうすれば良いのか、シリウスは思いつかない。
ゆっくりすれば良いのだから、それこそのんびりしたり遊んだりすれば良いのだが、頭に浮かばない。
指令や鍛錬で疲れ果て、そのまま倒れ伏すように寝込むような生活なら簡単だが、自由な一日なんて物は想像の外だ。
なので、どうすれば良いのか真剣に悩むシリウスに、くすりとリチェルカーレは小さく笑みを浮かべると手を繋ぎ言った。
「中庭に行きましょう。綺麗な花が咲いたって、みんなが言ってたの」
リチェルカーレに引っ張られながら、シリウスは眼差しを柔らかくしながら連いて行く。
「花か……知らなかったが、評判になるほどだったんだな」
手を繋いだままシリウスは連れ立って歩きながら、ふと気になったので訊いてみる。
「前から、中庭に植えられていたのか?」
シリウスの記憶だと、確かに幾らか花が植えられていたが、人の目を惹くほどではなかった筈だ。
(花の中には年を経ないと咲かないものもあると言うが……それとも、より多く花を植えられる余裕が出来たということだろうか?)
そうであれば良いと、シリウスは思う。
創造神を倒し、世界は今までよりも平和になった筈だ。
穏やかな世界でリチェルカーレや、そして仲間達が何の危険もなく過ごせるようになっていると良い。
そう願いながら尋ねたシリウスに、リチェルカーレは笑顔で応えた。
「メフィストさんが、たくさん花を植えてくれたみたいなの」
「ちょっと待てリチェ」
いつもより早い口調でシリウスは言った。
「あいつがまた何かしでかしたのか」
「何もしてないわよ? 花を植えてくれただけだもの」
屈託のない笑顔で、素直な声が返ってくる。
花が好きな彼女にとって、見たこともない花が咲いているのは純粋に嬉しいのだろう。
とはいえ植えたのはメフィスト。
致命的なことは起らないだろうが、精神的に致命傷なことは平気でする。
というより進んでする。
(止めるべきか?)
メフィストに関わりたくないのでシリウスだけなら絶対に近付かないが、今はリチェルカーレがいる。
花を見るのを楽しみにしている彼女の笑顔を曇らせたくない。
(どうする?)
悩んでいる内に、いつの間にか中庭に辿り着いてしまっていた。
「わぁ……見て、シリウス」
弾んだリチェルカーレの声に誘われて、シリウスも中庭に視線を向ける。
息を飲むほど、多くの花が咲き誇っていた。
色取り取りに様々で、それでいて調和している。
「とても綺麗」
花を見詰めるリチェルカーレに、ふわりと笑顔が浮かぶ。
その笑顔に、シリウスの表情が柔らかくなる。
メフィストが関わっているのは心底不穏さしか感じないが、リチェルカーレが笑ってくれるなら、それで好い。
だからリチェルカーレに静かに寄り添いながら、一緒に花を見て回る。
「チューリップにネモフィラ、スズランとマリーゴールド。春の花も一杯あるけれど、他の花も咲いてる」
大きな花だけでなく、小さく可憐な花も。
幾つもの花を見て回り、一際興味を引く花を見つける。
「あら? これは見たことがないわ」
実家が花屋であるリチェルカーレですら知らない花を見つける。
貝の断面を思わせる虹色の花弁は、日の光を受けて煌めいて。
誘うような甘い香りをひときわ強く匂わせていた。
「何ていう――」
花をもっとよく見たくて近付くと、濃い匂いに包まれる。
(――あれ?)
強い香りに包まれた途端、強い目眩を感じ目を閉じた。
「リチェっ」
気付いたシリウスが支えるように近付くが、そこで同じように匂いに包まれ目眩を感じる。
一瞬、目を閉じたあと――
「リチェ、平気………」
聞き慣れた、けれど自分ではない声が聞こえて来て、異常を察した。
それはリチェルカーレも同じだった。
「……うん、大丈夫。なんともな………?」
いつもなら、自分に掛けられる声。
それを口にしたのが自分だと気づき、驚いて目の前の『自分』の顔を、お互い驚きと共に見詰めた。
(身体が入れ替わってる?)
状況を把握したリチェルカーレは、不思議そうに小首を傾げながら呟く。
「この花のせいかしら?」
「……リチェ。頼むから、その顔でその言葉使いは……」
自分の身体で小首を傾げるリチェルカーレに、シリウスは頭を抱える。
するとリチェルカーレは、明るい笑顔を浮かべながら応えた。
「大丈夫! すぐに治るわ……じゃなくて、治るよ。セパルさんかメフィストさんを探しましょう。それと――」
にっこり満面の笑顔を浮かべ、胸を張るように言った。
「シリウスのイメージは壊さないからね!」
「……そうしてくれ」
ぐったりと疲れた声で、シリウスは返した。
そしてシリウスは必死に、リチェルカーレはおっとりと、元に戻るためにセパルかメフィストを探し始める。
(シリウスの視線って、こんなに高いんだ)
メフィストを探しながら、リチェルカーレは現状を楽しんでいた。
普段よく見た景色も、シリウスの高い視線だと変わって見える。
いつもとは違う場所を巡っているようで、これはこれで面白い。
それもあって、シリウスなリチェルカーレは、ころころと表情を変えている。
一方、シリウスと言えば――
「……」
終始無言で無表情。
気を抜くと眉をひそめてしまいそうになるが、リチェルカーレの身体だと思うと出来はしない。
(早く元に戻らないと)
怯えにも似た気持ちで思う。
ほっそりとした指先に、華奢な体。
ちょっとしたことで傷付けてしまいそうで恐ろしい。
なのでシリウスは必死に、けれど無表情なので感情の色は見えず。
一方、リチェルカーレは豊かな表情に感情を滲ませて。
2人は元に戻るために探し続けていた。そこに――
「あ、居た!」
医務室の看護師さんが駆け寄ってくる。
「シリウスくん、今日こそは検査を受けて貰――」
「こんにちは」
にっこり笑顔で応える、シリウス姿のリチェルカーレ。
思わず看護士は、ビクッと身体を震わせ――
「ど、どうしたの、一体」
「なにがですか?」
小首を傾げるシリウス姿のリチェルカーレ。
それを見て看護師は、わなわなと体を震わせると、強い口調で言った。
「待ってなさい! 先生を呼んで来てきちんと見て貰うから! 大丈夫! 心配しなくても良いからね!」
全力で心配され、医者を呼びに全力ダッシュされた。
「……」
当然、無言のまま急いで、リチェルカーレを連れてその場から逃走するシリウスだった。
その後も、似たようなことが続き、シリウスは決意した。
(メフィストを締めよう)
しかし残念ながら見つからない。
途中でセパルを見つけ――
「分かった。アイツ見つけて来るか、今の状況どうにか出来るようにするから」
と言って貰えたが、だからといって探すのをやめる気はない。
(絶対に締める)
最早元に戻ることよりもメフィストに思い知らせてやることに重点が行きそうになってるシリウスだった。
そうして教団内を探し回っていると、ルシオとカミラを見つける。
2人は少し前、大華に一緒に行ってくれたこともあり、報告書に協力してくれていたのだ。
そんな2人を見つけ――
「ルシオさん! カミラちゃん!」
シリウスが止める暇もなく、リチェルカーレは無邪気な笑顔を浮かべ走り寄る。
「……!」
在り得ぬものを見たというように固まるカミラ。
彼女の隣で、不思議そうに見つめるルシオ。
(……終わった)
この世の終りのような表情をするシリウス。
そんな、リチェルカーレ姿なシリウスを見詰めていたルシオは、興味深げに見詰めながら呼び掛けた。
「……シリウス?」
「……!」
驚くシリウスに、くすりとルシオは笑みを零す。
「やっぱり中身はシリウスなんだ。どうしたの、一体?」
これにリチェルカーレが事情を説明すると、ルシオは笑みを深めた。
笑いの止まらないルシオとフリーズしているカミラから、シリウスが疲れた様子で目を逸らしていると、真剣な声が聞こえる。
「カミラちゃん、お願いがあるの」
「……なんだ?」
リチェルカーレの声に込められた想いの強さに気付いたカミラは、視線を合わせ尋ねる。
するとまっすぐな目でリチェルカーレは告げた。
「カミラちゃんやエミリアちゃん、それにヴァーミリオンさんが使っていた双剣術を教えて欲しいの」
リチェルカーレの言葉にシリウスは目を丸くする。
(なんで知っているんだ)
思っていても口には出さなかった気持ちを代弁してくれるリチェルカーレに驚くシリウス。
するとカミラは言った。
「分かった。剣を召喚してみろ」
(出来るかしら?)
試しに召喚すると、蒼剣アステリオスがシリウス姿のリチェルカーレの手に。
しかし召喚された剣は、戸惑うように振るえている。そこに――
「おーう。やっぱ自我持ってますかー」
にょきっとメフィストが生えた。
「ネームレス・ワンが死んでべリアルの業も消えてますからねー。なんだったら宝貝にしますよー」
「おい……」
シリウスがメフィストの言葉を止め言った。
「それよりも早く元に戻せ」
「いいですよー。でーわ、捕まえてごらんなさーい」
ひょいっと走り出すメフィストと必死に追いかけるシリウス。
そこからたっぷり鬼ごっこをさせられてから、セパルにメフィストはボコられ元に戻ることになった。
その間に、双剣術をシリウスに教えて貰えるよう、カミラから皆に伝えて貰う約束をしたリチェルカーレ。
騒々しくも、次へと繋がる実りもあった一日だった。
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青空に浮かぶ小さなクジラ達。
見つけた『リチェルカーレ・リモージュ』は歓声をあげる。
「シリウス! 見て!」
「ぴぃ」
はしゃぐリチェルカーレに、彼女の回りをふわふわ浮かぶドライアードのリーフィ。
彼女達を見て、『シリウス・セイアッド』の表情は柔らかな物になる。
今シリウス達は、大華に来ていた。
それというのも、大華にいる原初の巨木、扶桑と竜樹に会いに行くためだ。
ニホンに訪れ、万物学園でリーフィと契約して。
そのあと富士樹海迷宮に訪れたのだが、そこでなんじゃもんじゃに頼まれた。
「最近、あちらで魔獣の密猟者が出るみたいなのです。様子を見て貰えないかしら」
彼女の話によると、扶桑と竜樹の張った結界を破壊されることもあるらしい。
「引き受けて貰えますか?」
なんじゃもんじゃの頼みに、すぐにリチェルカーレは頷いて。
現場に向かう前に本部に連絡すると、応援が来てくれるというのでニホンでしばし滞在し、いま大華に訪れている。
「あの子達、降りて来てくれないかしら?」
空を見上げ、クジラ達を見て首を傾げるリチェルカーレ。
彼女を真似て、リーフィも首を傾げる。
2人の様子に、微笑ましげに笑みを浮かべながら、同行者の1人であるセパルが言った。
「今はご飯食べてるみたいだから、終わったら降りて来るかもね」
「あんなに高い所で、食べる物があるんですか?」
不思議そうにリチェルカーレが尋ねると、セパルは応えた。
「空を流れてる魔力を食べてるみたい」
魔眼で魔力の流れを見ながらセパルは説明する。
「空くじらは実体のある物も食べるけど、魔力も好物みたいだから。確かそうだよね?」
「ああ。文献通りなら、そうだな」
セパルの問い掛けに、少し後ろで野生動物を観察していたウボーが応える。
「アークソサエティだと絶滅した種だと言われていたが、こちらだと生き残ってるみたいだな」
ウボーの話に続けて、ルシオが語る。
「ブリテンだと、今でも少し生き残ってるみたいです。妖精郷に隠れ住んでいるって、父さんが言ってましたから」
ルシオの話に耳を傾けていると、斥候として先に進んでいたカミラとセレナが戻ってきた。
「この先の草原まで見てきたけど、特に警戒するものは無かったから、このまま進みましょう」
「……」
セレナが説明し、カミラは無言で乗っていた大狼の背から降りる。
2人は巨大な狼の背に、それぞれ乗っていた。
今回の件で、教団と共に八百万の神も力を貸してくれることになり、富士樹海迷宮に居る狼の八百万の神、大口真神の眷属も連いて来てくれている。
足場が悪い場所や、疲れた時などに乗っても良いと言ってくれていたのだ。
「途中に、珍しい生き物は居た?」
話すこともなく手持無沙汰にしていたカミラにルシオが尋ねると、静かな声で返ってくる。
「まるっこくて、黄色い、もこもこしてるのが居た」
「どれぐらいの大きさなんですか?」
カミラの話に、リチェルカーレが興味深げに訊いてくる。
するとカミラは表情を柔らかくしながら応えた。
「これぐらいの、小さくは無いが抱き抱えられるぐらいの大きさだ。兎みたいな耳をしてた」
「兎、ですか?」
「かわいらしい見た目してたわね。ぬいぐるみにしたら人気が出そうな見た目だったわ」
セレナも一緒になって説明してくれる。
「見てみたいです!」
目を輝かせるリチェルカーレに、彼女を喜ばせようとするようにカミラは言った。
「まだ、居ると思う。草の上で、何匹も一緒になって寝てたから。見たいなら、案内する」
「はい! 行きましょう、カミラさん」
「……ああ」
カミラは応えると、大狼の背に乗りリチェルカーレを引き上げ乗せてやる。
温かな大狼の背に乗って、先に進む。
そこに居たのは、カミラが言っていたのと同じ、黄色くて丸っこくふわふわした、耳が兎に似た生き物。
「玉兎だな。大人しいらしいが、危険を感じると雷を放つらしいから、気をつけてくれ」
ウボーの話を聞いて、注意しながら近づくと、のほほんと日向ぼっこをしていた玉兎達は警戒することもなく、お蔭で撫でることも出来た。
彼女の様子にシリウスは目を細めながらも、心配する様に言う。
「……頼むから迷子にだけはなるなよ」
「大丈夫。みんなと一緒だもの」
笑顔を浮かべるリチェルカーレに、皆も笑みを浮かべた。
大華の生き物と触れ合いつつ、目的である扶桑と竜樹に会いに向かう。
「まずは扶桑様と竜樹様にお会いしないと」
「ぴぃ」
リチェルカーレの言葉に賛同する様に、リーフィは鳴くと頭にちょんっと乗る。
まだ魔力生命体としての側面が強く、物質面が希薄なリーフィは軽い。
リンゴ1個分の重さも無いので、負担は無かった。
「あなたもちゃんとご挨拶するのよ?」
「ぴっ」
すぐに応えるリーフィに、皆は微笑ましげに笑う。その時だった。
爆音。
距離は近い。即座に向かうと――
(何かしらあの子。……怪我をしてるの?)
鹿に似た生き物が、身体をよろめかせていた。
傷が無いか確認しようと近付くリチェルカーレに、シリウスは駆け寄る。
そして怪我をしているらしい生き物を確認した。
(獣……いや、魔獣、か?)
並の獣とは違う気配に警戒していると、さらに泡立つような気配を感じ取った。
「なんだ、お前達は」
尊大な声に視線を向ければ、そこに居たのはヒューマンに見える青年。
彼は、リチェルカーレが天恩天賜を掛けている獣に視線を向け言った。
「それを寄こせ」
「この子を渡す? なぜ?」
獣を庇うリチェルカーレに、青年は変わらぬ尊大な口調で言った。
「人を救うためだ。それは麒麟。真なる神を、この世界に御呼びする為の触媒」
「……触媒」
青年の応えに、リチェルカーレは麒麟を護るように抱きしめながら返した。
「嫌よ。ここは狩場にしていい場所じゃないの」
宣言するように続ける。
「この子たちが安心して暮らせる場所にするために、わたし達は来たのだもの」
「邪魔する気か? 旧人類風情が」
青年が殺意を吹きあがらせた瞬間、セパルとウボーが挟み撃ちをする形で斬撃。
しかし次の瞬間、後方へと転移した。
「気をつけて。レプリカントだ」
以前、教団本部に侵入したレプリカントを魔眼で確認したことのあるセパルは言った。
「一芸特化タイプだね。何か特殊能力あると思うから気をつけて」
「……貴様、何故知っている」
警戒する青年を無視し、ウボーがシリウス達に説明する。
「救世会が造り出した改造ヒューマンだ」
「救世会……?」
訝しむシリウスにウボーが説明してくれた。
「人を救う神を手に入れるために何でもする組織だ」
「まだいるのかそんな連中」
シリウスは呆れたようにぼそりと呟くと、低く告げた。
「……ここは魔獣たちの生活圏だ。守護神に睨まれる前に出ていけ」
「調子に乗るなよ、吸血鬼如きが」
苛立たしげに青年は言うと、魔力を励起。
戦いの予兆を感じ取り、皆は戦闘体勢に。
「黄昏と黎明、明日を紡ぐ光をここに」
魔術真名を唱え制圧に動く。その瞬間――
「死士操葬」
青年は十体の特殊なゾンビを召喚し操る。
「何で人形遣いの技を使えるの!?」
セパルが情報を引き出すため、わざと驚愕する。
それを見下すように見ながら、青年は言った。
「アレを知ってるのか? なら、会わせてやろう」
そう言って新たにゾンビを召喚。
「これが、そうだ。もっとも、今ではただの道具だがな」
ゾンビを操り戦いながら、続けて言った。
「これが死霊術の極致を操る俺の力だ!」
明らかに自分の力に酔った声を青年は上げる。
「我ら救世会が! 俺たち新人類が! 世界を救ってやる! 邪魔をするなら死ね!」
狂信的な言葉を吐き続ける青年に、シリウスは眉をひそめる。
(危険だ……少しでも早く倒さないと)
リチェルカーレが傷つかないよう、自身の負傷を無視して前に出る。
「シリウス! 独りで前に出ちゃダメだ!」
「陣形が崩れる! 連携しろ!」
ルシオとウボーに呼び掛けられるが、構わず前に突っ込む。
(シリウス!)
傷付くシリウスを回復させようと、リチェルカーレも知らず前に出過ぎてしまう。
結果として陣形が崩れ隙が生まれる。
そこを突いて、ゾンビの1体が魔力弾を麒麟に向け放つ。
「ぴぃっ!」
護ろうとするかのように前に飛び出すリーフィ。
「ダメ!」
反射的に盾になるように動くリチェルカーレ。
そして爆発。
「リチェ!」
シリウスの脳裏に、最終決戦で傷付いたリチェルカーレの姿が甦り、思考は朱く染まった。
「――よくも……!」
瞳が真紅に染まり、赤き文様が頬に浮かぶ。
アウェイキング・べリアル。
正気を犠牲にしたブーストで敵を斬り裂いていく。
敵の攻勢が抑えられた隙に、ルシオ達がリチェルカーレの元に。
「傷は?」
「――っ平気です、このくらい……」
爆発の割に怪我は無い。
「ぴぃ」
へにょりと、ぐったりしているリーフィ。
どうやらリーフィが魔力障壁を張ったようだ。
そのことに礼を言う余裕もなく、暴走したシリウスをリチェルカーレは止めに走る。
「っシリウス、駄目!」
しがみ付き必死に呼び掛ける。
「リ、チェ……」
背後から抱きつくリチェルカーレの温もりで正気に戻るシリウス。
瞳の色が翡翠に戻るのを見て、リチェルカーレは安堵の息を漏らした。
しかし安心する暇はない。
今も戦いは続き、2人を護るように皆は動いてくれている。
「援護しないと」
リチェルカーレが焦るように呟いた時だった。
膨大な神気と共に、2人の女性が現れようとする。
「ちっ、芙蓉と竜樹が来たか」
レプリカントの青年は舌打ちすると、人形遣いのゾンビに命じ転移の魔方陣を作らせ、一足先に消え失せる。
そして残った人形遣いのゾンビも――
「さようなら。いずれまた、縁があれば」
亀裂のような笑みを浮かべ消え失せた。そして――
「シリウス。ちょっとそこに座って」
ルシオを始めとした皆に、シリウスは説教されていた。
「シリウスがリチェちゃんのことが大切なように、リチェちゃんもシリウスのことが大事なんだ。俺や、みんなだって同じだよ。だからシリウスが無茶して傷付いて欲しくないんだ」
「……」
何も返せないシリウス。
芙蓉と竜樹にも窘められ、思わず目を逸らす。
さらに、彼の武器である蒼剣アステリオスも、嗜めるように震えていた。
「……」
アステリオスにすら説教されているような気がして、さすがにへこむシリウス。
そんな彼に、リチェルカーレは安心させるように言った。
「知ってるでしょう? わたし結構頑丈なのよ。そんな顔しないで」
額を合わせる彼女に、すまなそうに目を伏せるシリウスだった。
シリウスへの説教とフォローも終わらせ、改めて芙蓉と竜樹に、この地に訪れた理由を告げた。
「魔獣保護への協力を約束しに来ました。どうか、人のこれからを見ていてください」
「信じましょう」
リチェルカーレが持って来ていた守り木の苗を受け取りながら、芙蓉と竜樹は応えた。
「お父さまとの最後の戦いの時、私達は貴女の歌声に惹かれ力を貸しました」
「過去ではなく、貴女達との未来を信じて。人がこの地に訪れることを望みます。共に、明日を歩んでくれますか」
芙蓉と竜樹の願いに――
「はい、喜んで」
花咲くような笑顔を浮かべ、心から応えるリチェルカーレだった。
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歌声が聴こえた――。
それは、まるで天使の羽毛を思わせるような、柔らかい声音。
夕暮れに包まれた教団本部、その声楽部。
その柔らかな歌声に惹かれて、教団の人々が集まってくる。
声楽部では、黒髪の少女が一人で懸命に歌っていた。
まるで声楽部という空間を突き抜けて、空に、世界に、その歌声が響くのを願うように歌を紡いでいく。
「いいな、アルエットの歌……」
艶やかな黒髪を靡かせた少女――アルエットの澄んだ歌声に、青い髪のエレメンツの少年は聞き惚れていた。
少年は彼女の歌が大好きだった。
心惹かれるその歌声に浸りながら、少年は――シエルは胸の中で想いを口ずさむ。
(いつか、彼女と一緒にステージに立つことができるといいな)
やがて、シエルはアルエットと一緒にステージに立つために楽器の練習を始める。
その努力は実を結び、彼女とともに音楽ユニットを結成するまでに至った。
●
「アルエットとシエルに会うのは久しぶりね」
「きっと、元気でやっていると思うよ」
『リコリス・ラディアータ』の言葉に、『トール・フォルクス』は応える。
世界を巡る旅に出ていた二人は、お忍びでアークソサエティに戻り、ドッペル――アルエット達に会いに来ていた。
「ここに来るのも懐かしいわ」
リコリス達は教団内のドッペルを保護している場所へ向かう。
二人が部屋に入ると、見慣れた光景が広がっていた。
譜面が置かれた部屋の中で、和気藹々と語り合うアルエット達。
リコリス達が入ってきて幾何もしないうちに、アルエットとシエルが嬉々として駆け寄ってきた。
「久しぶりね、二人とも!」
「お久しぶりです」
アルエットはリコリス達の姿を目の当たりにして笑顔を咲き誇させる。
「あれからどうしていたんだ?」
「ああ。実は――」
トールの問いかけに、シエルはアルエットと二人で音楽ユニットを組んだことを説明する。
そして、近々、教団内で小さなコンサートを開こうとしていることを明かした。
二人が教団内で行う――小さなコンサート。
それを聞いたリコリスは顔を輝かせる。
「アルエットとシエルのコンサート、ぜひ、私達もお手伝いしたいわ」
リコリスはそこまで告げると、少し表情を引き締めた。
「あ、でも、私達がここにいることは秘密にしておいてね。世界をめぐる遠い旅に出ていることになっているから」
「一応、室長とかには許可をもらって会いに来てるから」
リコリスの言葉を追随するように、トールが補足する。
「上層部にはバレてるけどな」
重々承知していたことだが、トールは複雑な表情を浮かべた。
「秘密に、ですか?」
それは、秘密裏に動いていることへのアルエットの素朴な疑問。
トールはそんな彼女の気持ちを汲み取ったのか、照れくさそうに応える。
「ほら……旅に出ますっていったのに教団にいるのを見られるのは何となく気恥ずかしいし」
トールの気まずそうな口調に、二人は事情を察した。
「本来なら、イヴル様とカタリナ様もコンサートにお呼びしたかったのですが……」
アルエットは名残惜しそうに口にする。
開催するコンサートには、イヴル達も招きたかったのだが、彼らは捕縛されている身のため、招待することはできなかった。
それに今は、アルフ聖樹森のリシェの集落の復興へと出向いている。
「イヴルやカタリナ達の分まで、私達が協力するわ」
リコリスはアルエット達の望みを叶えるように、コンサートへの協力を申し出た。
●
アルエット達のコンサート開催までの期間、リコリス達は裏方として開催の手伝いを行った。
リコリスはステージを借りて会場内のセッティングをし、知人に招待状を出していった。
トールは力仕事や食事等を担当し、二人のサポートに回る。
本番に向けての練習は、主に声楽部で行われた。
まず、シエルが楽器を構え、弦に指先を走らせる。
研ぎ澄まされた表情で迅速に、かつ的確にコードポジションを変えていく。
それに合わせるように、アルエットは歌を紡ぎ始めた。
アルエットの澄んだ歌声とシエルの音色が作り出した演奏が声楽部を満たしていく。
開催の準備をしていたトールは、奏でられる演奏に耳を傾ける。
「シエルは弦楽器が得意なんだな」
「アルエットの話では、ドラムも出来るみたいね。きっと、シエルはアルエットと一緒にステージに立つために努力したのだと思うわ」
二人を見守るリコリスの胸には微笑ましい感情が芽吹いていた。
アルエット達が無事に晴れの舞台に立てるように、リコリス達は開催に向けて様々な手助けをしていった。
そして、向かえたコンサート当日――。
コンサート会場には、多くの観客で賑わっていた。
アルエット達が本番に向けて最終調整をしている中、リコリスとトールは舞台袖でこっそりと見守っている。
「あ……」
だが、大勢の観客を目の前にして緊張しているせいか、アルエットの表情は晴れない。
「待って、アルエット」
それでも勇気を振り絞ってステージに向かおうとするアルエットに対して、リコリスはペンダントを差し出した。
本物の雲雀の羽のような意匠をこらしたペンダント。
(あのペンダントは……)
トールの記憶を刺激する――リコリスが差し出したペンダント、『レルヒェ・ヒンメル』。
それはハロウィンの時に、トールがリコリスに贈ったものだった。
「これは歌う時に緊張しないお守りよ」
「お守り……?」
リコリスは秘密を分け与えるように、アルエットにペンダントを付けてあげる。
「空を越えて、歌声を遠くまで届けてくれるの。あなたに貸してあげる。来られなかったイヴルやカタリナ達にも聴かせてあげて」
確かな想いを抱きながら、リコリスは願うようにアルエットを見つめた。
「はい、ありがとうございます」
ペンダントを身につけたアルエットは、その言葉の意味する所を身に沁みて理解する。
「今だよ。きっと、二人の演奏は気に入ってもらえる、頑張れ」
「はい」
トールの声援に、アルエットとシエルは意を決してステージへと向かった。
それぞれの立ち位置についた二人に、溢れるほどの歓声が沸き起こる。
「皆、今日は来てくれてありがとう!」
「私達の演奏を聞いて下さい!」
シエルとアルエットの挨拶を合図に、まるで魂を揺さぶるような歓声が響いた。
初めは戸惑っていたアルエットも、徐々に熱が伝播する。
アルエットの澄んだ歌声とシエルが弾く音色。
互いが互いを引き立て合うように奏でられていった。
その演奏は、観客の心に響き、胸を躍らせる。
(まるで、今のアルエットの気持ちみたいね)
舞台袖で見守っていたリコリスは、その歌声に耳を傾ける。
歌に刻まれたアルエットの想いを、一滴も零してしまわないように――。
二人が演奏を終えた瞬間、歓声が爆発した。
割れんばかりの拍手が巻き起こる。
「二人とも素敵だったわ」
「ありがとうございます」
演奏後、舞台袖に戻ってきたアルエット達は、リコリス達の盛大な拍手に迎えられた。
トールは二人を労い、提案を持ち掛ける。
「なあ、もし二人が進化して、教団の外を自由に行動できるようになったら、俺達と一緒に旅に出ないか?」
「旅に?」
シエルの疑問に、トールは噛み締めるように答えた。
「世界中の人にも聴かせてあげたいな」
トールは信頼するように、アルエット達の答えを待っている。
それは、世界中の人々に二人の演奏を届けたい、というトールの願い。
言葉に出来ない温かさが、アルエット達の胸に広がる。
それでも散らばった言葉の欠片を探すように、アルエットは想いを口にした。
「はい、私達も一緒に旅に出たいです……!」
「なら、決まりだな」
アルエット達の顔は、トールの頬が緩むくらい、期待に満ち溢れている。
アルエット達はずっと、教団の外を自由に行動できるようになりたいと願っていた。
しかし、アルエット達が自由に外に出て行くと、人間種族になったことへの反発で襲われたり、魔術の研究のために浚われたりする可能性がある。
そのため、アルエット達が進化――上位種族に一時的になれるまでは教団本部で保護する形になっていた。
「私達の演奏を、世界中の人達に届けたいです」
「そうだな」
アルエットとシエルは進化するという目標を抱き、決意を固めた。
その時、舞台袖に入ってきた少女を見て、トールはリコリスへと視線を向ける。
「ところで、リコにお客さんだよ。お忍びだけど、会いたかったんじゃないかと思って」
トールはとっておきの秘密を披露するように、招き入れた少女――コルクを紹介した。
「コルクのこと、ずっと気にかけてただろ? 少し話でもしたらどうかな」
「えっ……コルクが? 嬉しいわ……会いたかったの」
「コルクもずっと、おにーちゃんとお姉ちゃん達に会いたかったの」
久しぶりの再会を前にして、リコリスとコルクの表情は喜びに満ちていた。
「私も、コルクに会いたかったわ。でも、どうしてここにコルクがいるの?」
「実は、コルクの招待状に、コンサートの後に来てくれるように書いていたんだ」
リコリスの問いかけに、トールは種明かしをするように応える。
トールは開催準備をする合間を縫って、リコリスには内緒で、こっそりコルクの招待状にコンサートの後に来てくれるように書いておいたのだ。
「そうだったの」
トールの説明を聞いて、リコリスは優し気に微笑む。
「コルクは、あれからどうしていたの?」
「コルク、前に同行した浄化師のおにーちゃん達と一緒に、お母様に操られていた人達を元に戻したりしていたの」
リコリスの疑問に、コルクは今までの顛末を説明する。
「フィロ達に操られていた人達ね」
リコリスは過去の記憶を掘り起こす。
事の発端は、サクリファイスの幹部である義母――フィロ達が、サクリファイスの信者にする為に、魔力蓄積量が高い者達を浚って集めていた事に繋がる。
その際、抵抗出来ないように、薬品によってフィロ達の命令を遂行するだけの存在に変えられていた。
その状況は、創造神ネームレス・ワンとの最後の戦いが終わった後も続いていた。
だからこそ、コルクは今も利用されている人達を救いたいと願ったのだ。
その話を聞いたリコリスは確かな想いを伝える。
「なら、旅をしている途中で、コルク達に会えるかもしれないのね」
「また、会えるかな?」
コルクの願いを込めた呟きを聞いて、リコリスは小さく笑った。
「また、会えるわ」
コルクの不安を払拭するように、リコリスはきっぱりと断言する。
「自分から行動することって勇気がいることですもの。それだけでもコルクはすごいわ」
「……お姉ちゃん、ありがとう」
リコリスの言葉に、コルクは花が綻ぶように無垢な笑顔を浮かべた。
「洗脳された人達を助けたいという願いは、今も変わらないコルクの願いだと思う。それも手助けしてあげたい」
「ああ、そうだな」
真摯な祈りを込めて告げられた言葉に、トールは双眸に強い意志を宿らせる。
「旅の途中で見かけたら、元に戻してやろうな」
トールは決意を胸に、誓いを口にした。
胸に沁みる静寂の中、コンサート会場で聴いたアルエットの歌声がリコリスの耳の奥で蘇る。
夢見た外の世界は、どんな日も奇跡が溢れている。
永遠に変わらない想いを胸に、いつの日も輝く明日へ――。
心地よい震えを齎すそれは、楽譜(スコア)を描いて二人の旅路を祝福していた。
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それは創造神ネームレス・ワンとの最後の戦いが終わり、一息ついた頃。
薔薇十字教団本部の地下にある監獄内。
そこに、カタリナと縁の深いエレメンツの青年が収容されていた。
『イヴル、また、会いに来てほしいの』
牢獄に居たエレメンツの青年――イヴルの脳裏を掠めた、あの日のリシェの懇願。
イヴルはリシェとの約束を果たすために、ヨセフに願い出ていた。
「許されぬことかもしれないが、私はカタリナとともに、リシェの集落の復興を手伝いたい。私達にとって特別な場所である――あの場所を元の集落に戻したいんだ……」
心から発したイヴルの切願。
感情が濁流のように押し寄せてきて、思考はまるで纏まらない。
だからこそ、それは言葉足らずの不恰好な申し出だったのかもしれない。
リシェの願いを叶えたい――。
けれど、たった一つ、自分達がやるべきことだけは分かった気がした。
見張りの者達が事の次第を伝えると、ヨセフは快く許可を出した。
「聖樹森に行くのなら手配しよう」
ヨセフはそう告げると、イヴル達がアルフ聖樹森に向かうための御膳立てを整えてくれた。
捕縛された者達を、アルフ聖樹森へと向かわせる手筈。
そこには様々な苦労があったはずだ。
ヨセフの計らいに、イヴルとドッペル――カタリナは感謝してもしきれなかった。
●
アルフ聖樹森には、森に溶け込んだ集落の数々が点在している。
穏やかに凪いだ空の下で、各地の集落の人々が銘々の時間を謳歌していた。
『リチェルカーレ・リモージュ』は、『シリウス・セイアッド』とドッペル――カノンとともにそのうちの一つの集落へと赴いていた。
かっては凄惨な残骸のみを残していたその集落は、徐々に復興への兆しを見せ始めている。
とはいえ、農地などの整地が進んできているという段階で、まだ建物の損傷は激しく、修繕が必要な箇所が多々あった。
「集落の復興にはまだ、時間がかかりそうね。お手伝いを頑張らなくちゃ」
思いを強めるリチェルカーレの言葉に、シリウスは僅かに瞳を細める。
木材や道具などを運んで集落を行き交う人々と森のざわめき。
やがて、幼い少女が集落の住民達とともに、復興に向けて話し合っている姿を見掛けた。
「リシェ様、お久しぶりです」
リチェルカーレの声に呼応するように、少女が嬉々として手を振る。
少女は、『ヴァルプルギス』一族の氏神となっている、八百万の神『リシェ』だ。
リチェルカーレ達は、彼女が氏神として祭られていた集落へと訪れていた。
最終決戦への助力のお礼も兼ね、集落の復興のために農作業と建物の補修などのお手伝いをするためだ。
「リシェ様、お力を貸して下さって本当にありがとうございました。お怪我など、なさいませんでしたか?」
「うん。大丈夫だよ」
リシェの屈託のない笑みに、リチェルカーレはほっとした笑顔を浮かべる。
「今日は、集落のお手伝いをしにきたんです。薬草も沢山持ってきました。何か必要なものがあったら教えてください」
「集落の……?」
リチェルカーレの申し出に、リシェは目を瞬かせた。
荒廃した集落を見て、リチェルカーレの胸に悲しみが広がる。
「この集落の人たちも、沢山辛い目にあってきた。カタリナさんのことを考えると、教団に複雑な思いを持つ人もきっといると思う」
リチェルカーレは瞼を閉じる。
無音の暗闇の中に、過去の出来事が泡のように浮かんでは消えていった。
「だけど、少しずつでも関係改善を、悲しみの連鎖は終わりにしたい。そのためのお手伝いがしたいんです」
リチェルカーレが再び、目を開けた時、その明眸には確かな決意が宿っていた。
彼女の想いが込められた言葉に合わせ、シリウスはリシェへ頭を下げる。
「……助力に感謝を。室長――いや、教皇もできるだけ支援をすると言付かっている。不便があったら言って欲しいと」
「……うん、ありがとう」
真剣な光を双眸に乗せて告げるシリウスの姿に、リシェは嬉しそうにはにかんだ。
●
「カノンちゃん、行きましょう」
「ええ」
リチェルカーレはカノンと一緒に、農地へと向かおうとする。
シリウスもまた、建物の屋根や壁の補修をしている者達に加わるために踵を返した。
その時、ふと感じた一途な眼差し。
振り返ったシリウスは、こちらを窺い見るカノンの姿に少し表情を緩めた。
「……リチェのこと、頼む。さすがに迷子にはならないだろうけれど」
「分かったわ」
カノンはシリウスの思いを汲み取る。
そして、リチェルカーレとともに農地へと歩を進めた。
「ここに薬草園を作るのね」
リチェルカーレ達が訪れたその場所は、既に整地が終わり、土も耕されていた。
集落の人の話では、この場所は元々、多くの薬草が生えていた場所だという。
それは、リシェのお気に入りの場所の一つだった薬草園。
今では見る影もないが、いずれは昔のような緑豊かな園にしたい。
そう願った集落の人々が集まって、農地を整備していた。
「カノンちゃんは、この苗をお願い」
リチェルカーレはカノンに持ってきた薬草の苗を渡す。
「ここに薬草園ができたら素敵よね。カノンちゃん、頑張ろうね」
「リシェ様、喜んでくれるかしら」
「大丈夫よ」
カノンの揺れる眼差しに、リチェルカーレは包み込むように肯定する。
「俺達も手伝うよ」
「ありがとうございます」
リチェルカーレ達は集落の人々と協力し合いながら、苗と種を植えていく。
雲一つない、抜けるような青空。
冬の寒さが残る中、陽射しには微かな春の匂いがした。
シリウスは黙々と建物の屋根や壁の補修を行い、集落の人々の要望を叶えていった。
作業を終えたシリウスは一息つくように、農地を行き来する人々に視線を走らせる。
その時、よく見知った二人の姿が目に止まった。
(イヴルとカタリナ……?)
教団にいるはずのイヴルとカタリナが集落の復興の支援をしている。
意外な遭遇を前にして、シリウスは軽く瞬いた。
作業をこなしているイヴルとカタリナの表情は、前よりも穏やかで希望に満ち溢れているようだった。
シリウスはそんな二人を見て、少し安心したように目を眇める。
「イヴルさんとカタリナさん」
シリウスと同様に、リチェルカーレもまた、イヴル達の存在に気付く。
「カタリナ様に会うのは久しぶりだわ」
苗を植えていたカノンは、膨れ上がる期待と緊張を抑えながら心情を吐露する。
「イヴル様とカタリナ様とともに、リシェ様の集落のお手伝いなんてどきどきする。一緒に頑張れたら嬉しいな」
思い悩むカノンの気持ちを察したように、リチェルカーレは応えた。
「ねえ、カノンちゃん」
リチェルカーレは優しく語りかける。
「わたしだったら、大切な人が近くに来ているなら嬉しいな」
「……わたしも嬉しいわ」
カノンのその声は切実と不安に満ちている。
リチェルカーレはそんなカノンの心の迷いを一蹴するように微笑んだ。
「なら、難しく考えなくてもいいと思うの。ここの作業が終わったら、一緒に会いに行きましょう」
「ええ、ありがとう」
リチェルカーレの柔らかい声音に、カノンは花が綻ぶように笑った。
リチェルカーレ達が加わったことで、集落の復興は進んでいく。
リチェルカーレとカノンは、今度は別の場所に苗と種を植えるためにイヴル達の手伝いに回る。
「イヴルさん、カタリナさん」
「イヴル様、カタリナ様」
駆け寄ってきたリチェルカーレとカノンを見て、作業を行っていたイヴルとカタリナは驚きを滲ませた。
「お久しぶりです」
「お久しぶりですわ」
リチェルカーレとカタリナは再会を喜び合う。
「どうしてここに?」
「実は――」
リチェルカーレの疑問に、カタリナはここにいる顛末を説明する。
そんな二人の様子を見守っていたイヴルは、襲撃を受けて傷んだ建物の修復の手伝いをしていたシリウスのもとに足を運ぶ。
「久しぶりだな」
「……そうだな」
イヴルの呼びかけに、建物の修繕を行っていたシリウスは応える。
「ねえ、皆で一緒に作業したら、きっと楽しいわ」
「素敵ですわ」
リチェルカーレの誘いに、カタリナは顔を輝かせた。
「私達も、一緒に作業しても構わないか?」
「……ああ、構わない」
シリウスの言葉に、イヴルは強張っていた表情を緩める。
イヴルとカタリナは、リチェルカーレにサポートして貰いながら植え付けを続けた。
シリウスのおかげで集落の復旧は進み、リチェルカーレ達はイヴル達とともに農地の作業をこなしていく。
「カノンちゃんは、これからどうしていくの?」
リチェルカーレは種を植えながら、カノンに尋ねる。
「これから?」
「挑戦したいことをどんどんやればいいと思う。わたしはそれを応援するわ」
カノンの躊躇いを意識して、リチェルカーレは語りかけた。
「過去はなかったことにできないけれど……、世界も教団も昔と違う。皆で支え合える世界にするために、がんばるの」
リチェルカーレの眼差しは、胸のつかえが取れたようにまっすぐだった。
「カノンちゃんは? 何かしてみたいことはある?」
「わたしがしたいこと……」
戸惑うように揺れるその瞳に、リチェルカーレは優しく微笑んだ。
「あなたの願いのため、夢のために、いろいろ挑戦すればいいと思うの」
「わたしの願いと夢……」
カノンは胸に刻むように、リチェルカーレの言葉を反芻する。
「カノンちゃんのやりたいことなら、わたしもシリウスも応援するわ」
リチェルカーレはカノンを導くように、誓いを口にした。
溢れるほどの感情が、カノンの胸にこみ上げてくる。
しかし、どれ一つとして言葉にならない。
「ね?」
リチェルカーレはそんなカノンを後押しするように、シリウスと目を合わせる。
それはカノンの頭を撫でるように、優しい声音だった。
(わたし――)
カノンの中で、沸き上がる願いが口を突いて出る。
「花が好き。イヴルの役に立ちたい」
懸命に紡いだカノンの想いに、シリウスは僅かに笑う。
「……いいんじゃないか? それがお前の意思なら、やってみればいい」
「……ええ。わたし、花が好き。イヴルの――イヴル様の役に立ちたい」
シリウスが静かな声で伝えると、カノンは朝の光のような微笑みを浮かべる。
「……イヴルでいい。カノン、ありがとう」
心から発したカノンの願いに応えたのは、イヴルの微笑。
カノンを見つめるイヴルの穏やかな表情、優しい眼差しが全てを物語っていた。
(……っ)
その瞬間、涙の気配がカノンの瞳の奥に生まれる。
それでも涙が零れなかったのは、何物にも代えがたいリチェルカーレの温かい声援があったから――。
「人もドッペルも同じよ、カノンちゃん。一緒に願いを夢を叶えましょう」
リチェルカーレがそう発した瞬間、カノンの中で漲る力が全身を駆け巡った。
カノンの周囲を踊り狂う光の粒子。
やがて、その光が勢いよくカノンに伝播していく。
「これは上位種族への進化か……?」
「進化……?」
イヴルが口にした進化という発言に、シリウスは目を僅かに瞬かせた。
(この手に宿るのはきっと……守りの力。わたしはそう思ってる)
不可思議な力の到来が過ぎ去った後、カノンは胸中で決意を固める。
それは、カノンが自然系統の進化を得て、上位種族への成長の一歩を踏み出した日。
祝福を奏でる葉音に委ね、カノンは皆の視線を受け止める。
彼女の瞳に映る世界は、いつの間にか素晴らしい色に彩られていた。
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親友が長兄であるビャクヤと共に居ると聞かされてから、とっくに月日は過ぎていた。
「何をするか考えましたか?」
兄である『キョウ・ニムラサ』に尋ねられ、妹である『サク・ニムラサ』は、にっこり笑顔で返した。
「しっかり考えたわぁ」
サクラの応えと笑顔で、キョウは察する。
「ははは性格が悪い」
笑顔のキョウに、サクラは笑顔で威圧。
同じくキョウも、笑顔で威圧。
「は?」
「は?」
仲の好い兄妹だ。
そして同行している山南は気をもんでいる。
(ああ、なんでこんなことに)
それはサクラとキョウが本気だったからである。
ビャクヤからサクラの親友が共に居ることを聞かされたあと、真実を確かめるためにすぐに会いに行く――
わけが無かった。
2人は心の準備のために、一週間以上完全放置。
それはサクラの親友であるメアリー・シェリーに解らせてやるためでもあるし、自分達の心を落ち着かせるためでもあった。
(そりゃぁね、混乱しましたよ。怒りだったり驚きだったり)
キョウでも、そうなのだ。
殺されかけたサクラとしては、キョウ以上に心穏やかではなかっただろう。
なので自分達は落ち着く余裕を手に入れられるまで待機して、メアリーはやきもきさせるべく完全放置。
そこからすぐに会いに行くかと言えば、もちろん違う。
「ビャクヤ兄ぃが教えてくれたわね」
「ええ。ヤシェロ兄様が教えてくれましたね。逃げちゃうかもって」
逃がすか!!
サクラとキョウの気持ちがシンクロした瞬間だった。
なので型にはめることに決定。
最初に情報収集。
情報源は山南だ。
「友達のことが知りたいんだね」
状況が読めてなかった山南は、最初は笑顔で話してくれた。
「あの子は最近だと、よくキョウトの街並みを見て歩いてるよ」
「どういうルートで動くか分かりますか?」
「逃走ルートは事前に潰さないとダメよねぇ」
「え、ちょっと待って??」
困惑する山南。
そこからさらに情報収集。
これなら絶対に逃がさん!!
という所まで準備をして、ようやく会いに行くことに。
そこに到って山南は大慌て。
「ちょっと待って君達どうする気なの!?」
「大丈夫です」
「落とし前をつけに行くだけだから」
2人とも笑顔だった。
放ってはおけない!
ということで、当日は山南も付いて行くことに。
「久々の再開ですから内緒ごととか」
「3人だけで会いたいの」
キョウとサクラには言われたが、そこは山南は意地でも付いて行く。
「心配だから付いて行くからね!」
決意は固いようだったので、そこは折れる。
ただし、代わりにメアリーとの再会を手伝って貰うことに。
「場所を誘導して貰えませんか?」
「分かったよ。どこが良い?」
山南の問い掛けに、2人は少し考えたあと応えた。
「サクは桜が好きです」
「キョウヤは面白そうな所が好、今サクって言ったわね?」
「いえ。聞き間違えじゃ、って湯呑投げないで!」
そんなこんなでドタバタがあった後、メアリーに会いに向かっている。
(うぅ、こういう時にビャクヤ君が居ないなんて)
少し前、八百万の神である、なんじゃもんじゃからの呼び出しを受け、彼は富士樹海迷宮に向かっている。
(なんじゃもんじゃ様、直々の呼び出しだから止められなかったけど、なんの用だったんだろう?)
詳しいことは現地に就いてから話すとのことだったので、事情を知ることが出来るのはビャクヤだけだ。
(時間的にそろそろ帰って来ても良い頃だけど、間に合うと良いな)
神選組の屯所に事情をしたためた手紙を言づけているので、ビャクヤが帰ってくれば来てくれるだろう。
けれど、間に合うことは無かった。
「……」
「……」
サクラとキョウは無言で、彼女を見つけた。
みごとな枝ぶりの桜の木の下で。
蕾がほころび始めるこの時期では珍しい、満開の花を見上げていた。
それは何かを、そして誰かを想い出しているかのように。
儚げで、酷く目を惹く姿だった。
風が吹く。
枝が揺れ、花が揺らめき、桜の花を見ていたメアリーは、過去から今へと想いを戻すように視線を移す。
その先で、自分を見詰めるサクラとキョウに気付いた。
息を飲む。
思ってもいなかった。そして桜の花を見ながら想っていた相手に、メアリーは身体を強張らせる。
そして逃げ出す――よりも早く、サクラは再会へと向かった。
まっすぐに迷い無く。
ゆっくりと、そして逃がさないというように余裕を持って距離を詰める。
メアリーは、もう逃げられない。
だから彼女は、真っ直ぐにサクラを見つめ返した。
見詰め合いながらサクラは思う。
(あなたに同じことをすればあの痛みも悲しみも忘れることができるのかしら)
のんびりと、過去を思いながら近づいていく。
不思議と、心は静かだ。
けれど何かをしなければ、という気持ちはある。
(過去は消えないから、かしらね……)
無かったことになんかできない。
それは事実。けれどだからといって、どうすれば良いというのか――
「殺されそうになっても、友達に戻れるってこと」
ふと、かつて聞いた話を思い出す。
(あーセパルが喧嘩しろって言ってたわね)
笑みが浮かぶ。
吹っ切れた。いつもの彼女らしい笑顔。
(それじゃあ喧嘩しましょうか)
艶やかに、それでいて剣呑な。
(とっても痛いのをあげるわぁ)
楽しげで愉しそうな、サクラの笑顔。
その笑顔に、メアリーは見惚れたように見詰めて来る。そこで――
「あら、初めまして」
「……!」
サクラの言葉と笑顔に、メアリーは一瞬で理解する。
ああ、目の前の彼女は、サクラだと。
そして意図を読み取り、応じるように臨戦態勢。
さらに、サクラの笑顔は深まる。
「ここに私の親友がいると聞いたのだけど知らない?」
「……っ」
メアリーは応えようとするが苦悩する様に眉を寄せ、けれどサクラは、そんなこと知ったことじゃないと言わんばかりに話し続ける。
「これが桜……本物は初めて見た」
以前、蜃の幻影の中で見た幻想を思い出す。
突き落とされて死に掛けた。
月明かりに照らされ舞う桜の花びら。
けれど日の光の中で見るそれは、命の輝きをしていた。
「親友が見せてくれたものと違う」
メアリーを見て、小首を傾げ。
「どうして?」
問うと同時に――
パンッ!
勢い良く頬をはたかれた。
「殺しに来たんでしょ。殺しなさいよ!」
睨むメアリーに、サクラは頬を赤くしたまま、にっこりと微笑み――
ガツッ!
握り拳で思いっきり殴った。
ついでにもう一発。今度は腰を入れて反対の頬を殴る。そこで――
「なにすんのよ!」
メアリーがお返しのビンタ。
ガツッ! パンッ! ガツッ! パンッ! ガツッ! パンッ!
「痛いじゃない!」
「痛くしてんのよ!」
途中からサクラは、メアリーの髪を掴んで固定した上で殴りつける。
「ちょ髪は止めなさいよ!」
「うっさい! 気になるならそっちも掴めば良いでしょ!」
「嫌よ! 綺麗なのに勿体ないじゃない!」
「はああぁ!? 人を突き落として殺そうしたヤツの言う台詞じゃないでしょ! あの後怪我した所が禿げになったらどうしようかと思ったのよこっちは!」
「そ、それはしょうがないじゃない! あの時はそんな余裕なかったんだから!」
ビンタと握り拳の応酬をしながら口喧嘩。
「うぅ、見てらんない」
「止めます?」
やきもきする山南にキョウが言うと、達観したような声が返ってくる。
「無理。女同士の戦いに男が手を出したら余計に拗れるからね」
「ですよねぇ」
などと言ったのだが――
「それはそれとして面白そうなので混ざります」
キョウも参戦。
怪我した2人を天恩天賜で回復。
「何のつもり! 邪魔よ!」
混ざってくんな! と言わんばかりのメアリーに、キョウは笑顔で返す。
「嫌です。妹が死にかけて兄を誑かす者を許せるほど優しくないですから」
今までになく、辛辣だ。
サクラの兄であることを表に出したので、猫を被らなくなったとも言う。
そして思うがまま喧嘩する。
手も口も出し、腹の奥に溜まった全てを吐き出しぶつけていく。そして――
「あぁ、すっきりしたわぁ」
清々しい顔で、サクラは笑顔を浮かべた。
「もう好いんですか?」
「ええ。満足したもの。それにこれ以上は、飽きちゃうわぁ」
「……それで良いっての」
あっけらかんとしたサクラに、殴られ過ぎてまだ顔の脹れているメアリーが言った。
するとサクラは、笑顔で返す。
「あなたは加害者、私は被害者。どうするか決めるのは、私でしょ」
「……」
サクラの言葉と笑顔に、何も言えず視線を逸らすメアリー。
「泣くの我慢してません?」
「うっさいわよ!」
キョウの突っ込みに、顔を赤くして返すメアリー。そこに――
「仲直りできたみたいだね」
「ビャクヤ兄ぃ!?」
「ヤシェロ兄様!?」
ひょいっとビャクヤが現れる。
「帰って来たんですか?」
キョウに訊かれ、ビャクヤは応える。
「ああ。ここに居るって、山南さんの置き手紙で知って来たんだ。2人に、渡さないといけないものがあるからね」
そう言ってサクラとキョウの前に差し出したのは、不器用に作られた花冠。
「言伝もあるよ。『約束は守ったからね』」
その言伝に、思い出す。
創造神との最後の戦い。消え失せる直前に、キョウの言葉に返した彼。
「赤ん坊になってるから巧く作れなかったみたいだけど、なんじゃもんじゃ様の花で作られてる物だし、大事にしてあげなよ」
「赤ちゃんになってるの? アレ」
「律儀ですね」
苦笑しながら受け取るキョウ。
その様子を見詰めていたメアリーにビャクヤは言った。
「随分やられたみたいだね」
「……ビャクヤ程じゃないわよ……何本もこっちの手足斬り飛ばしたじゃない」
(ビャクヤ兄ぃは名前で呼ぶのねぇ)
拗ねたような表情を見せるサクラに気付いたキョウが、メアリーに言った。
「どうしましたかメアリー・シェリー」
名前を呼ばれ嫌そうな顔をするメアリーに構わず続ける。
「気にしてない奴だけから名前を呼ばれるってどんな気分です?」
「アンタに呼ばれるのは嫌」
「なら、誰なら良いんです?」
「……」
一瞬サクラを見そうになったメアリーに、サクラは呼び掛ける。
「そういえばあなたの事なんて呼べばよかったかしら。メアリー? シェリー?
私はサクラって呼ばれるのが好きよ。貴方は?」
「……メアリー……呼ぶならそう呼んで」
そう言うと、気まずそうに言った。
「髪、乱れてるわよ。綺麗なんだから……後で梳かせて。ちゃんと、綺麗にするから……サクラ」
名前を呼んだあと、顔を赤くするメアリーに、花咲くような笑顔で応えるサクラだった。
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●Hell
検体番号Lxxx
頭蓋骨肥大化のため脳の多重養殖を中断、溶解処分。
次頁。
検体番号Lxyy
体組織の七割が眼球化したため素材として不適、焼却処分。
次頁、次々頁。
ああ、銀狼、銀狼、銀狼!!
愛しいキミをむかえにいくよ。
夢を魅ながら南瓜の夜を待っていておくれ。
ボクのはらわたに涎を垂らしていておくれ。
解へと繋がる美しい創生式はもうすぐだ。
絡繰時掛けのお菓子の家で踊る死人と赤頭巾。
愛食いを渇望する悪意の魔女が深紅の顎をパカリとあけた。
可哀想なヘンゼルと愚かなグレーテル。
白昼夢に視るほどボクに焦がれているだなんて。
残念だけどボクは道標のパン屑を撒いてやるほどお優しい魔女じゃない。
怒りの炎で焦げながら、ゆっくりと迷妄を愉しんでおいで。
「ラファエラ?」
名を呼ばれ、黒曜の少女ははたと現実に意識を引き戻した。
暗い部屋。大量の鋸や水槽。無機質ながらもどこか粘着性を帯びた空気。
脳に棲みついた幻影を振り払うように『ラファエラ・デル・セニオ』は手元の紙をひらりと振った。
「バイオレンス作家の仕事場に最適ね、ここは」
狂人の脳にいるような、そんな錯覚を覚える。
埃とカビとカンテラ油が燃える匂いしかないと言うのに、部屋に染み憑いた死の臭いに囚われそうだ。
ラファエラは眉間をつまみ、顔に浮かんだ嫌悪感そのままに読んでいた紙をつまはじく。
「残虐なインスピレーションを刺激する物も記録する設備も満載じゃない。ついでに食欲も失せるから、ダイエットにもいいわよ」
砂埃だらけの床に落ちたそれを無骨な手が拾い上げる。潰れた蟲に似た数式は質量を伴った悪夢に似ていた。
「肝心なインスピレーションは全く沸かんがな。奴がどこに行くかとか何がしたいかとか」
情報を精査する『エフド・ジャーファル』にむかってラファエラは皮肉げな笑いを吐き捨てた。苦い怒りは未だ彼女の眉間に燻り続け、美しいかんばせをよく煮込んだ殺意で彩っている。
「なぁラファエラ」
凪いだエフドの眸がラファエラの上を一撫ですると、彼女の視線は再び、はたと過去から現在へ焦点をあわせた。
このところ、ラファエラは思考に耽溺する時間が増えている。それは掴めない手がかりへの苛立ちか、それとも精神的な疲労の蓄積か。あるいはその両方か。
エフドはさりげなさを装って言葉を続けた。
「実を言うと、取り組みたい別件があるんだ。こっちが行き詰ってることだし、……その顔はアクイの為にとっといてくれ。頼む。俺の親友絡みの事なんだ。短い仕事だし、危険でもない」
「その顔ってどんな顔よ」
柔らかな低音に、ラファエラは拗ねるように唇を尖らせた。
『アクイの魔女』とは二人が追う獲物の名である。
見た目は十かそこらの無垢な子供。しかしその狡猾さと残忍さは魔女の中でも突出した存在である。あの恩讐派でさえも距離を取っていると云う事実から如何に異端であるか分かるというものだ。
家屋敷を捜索して見つかったのは未来永劫不必要な研究だけ。
凄惨な現場に慣れている教団員を文字だけで嘔吐させた描写の正確性と筆力が判明した所で、行き先のヒントがなければ意味がない。
唯一の証言者である琥珀姫も紅茶に溶ける砂糖のようにゆらゆらと首を横に振るばかり。
手あたり次第に古い死霊術に纏わる場所や資料を調べ続けたラファエラは、悔しい事にすっかり伝説やオカルティズムに満ちた歴史に詳しくなってしまった。
「おじさんに借しを作っておくのも悪く無いわね」
「その言い方だと後で何を請求されるのか少しばかり怖いんだが」
簡素な物言いの中でチョコレート色の瞳がきらりと光っている。さり気なさを装っているのはラファエラも同じ。エフドの親友という単語に、明らかな興味を示していた。
「短い仕事なら気分転換に受けてもいいわ。ルネサンスまで来て収穫が三文小説だけって言うのも癪だし」
アクイを追いかける旅だがそう悪い事ばかりではない。
相棒の精神的な成長を見る事はエフドの密やかな楽しみの一つだった。
●o
錆びついた工場から幾筋もの黒煙が昇り、その根元は枯葉色のバラックに埋め尽くされている。
ルネサンス南部、スラム街。その一区画では木槌の音楽に子供の声が混ざっている。整備されていない剥きだしの広場には幾つものテントが張られ、港に浮かぶ帆船のようにひしめきあっていた。その中でも一際巨大な帆柱が完成した事で大きな歓声があがる。
「アマール!」
作業指示をしていた狼の耳が立ち上がり自分を呼んだ誰かの姿を探した。
「エフド!」
ライカンスロープの男が大きく破顔する。
『アマール・クースキ』は教皇国家アークソサエティを中心とする活動家だ。今回ルネサンスで開催される労働争議を発起し、エフドたちにデモの警備を頼んできた人物でもあった。
「忙しいところをすまなかった」
「お前の頼みなら時間をつくるさ」
エフドの言葉にアマールは可笑しそうに笑った。
「久しぶりに顔を見せたかと思えば行儀良くなっちまって。ヤンチャ坊主はどこへ消えたんだ?」
「此処だよ。残念ながら俺も大人になるんでな」
「違いない」
記憶よりも太くなった互いの二の腕を叩き抱擁を交わす。
「おかえり。無事で良かった」
「ただいま」
年齢を重ねても変わらない同郷人はエフドにとって土地では無い故郷の一つだった。少年のように笑うエフドにラファエラは驚いたような視線を向けている。
「紹介するよ。俺のパートナーのラファエラだ」
「来てくれて有り難う。俺はアマール、エフドとは子供の頃からの知り合いでな。今回は君にも無理を言った」
「どうも」
差し出された手をラファエラは取った。無骨で大きな、古傷まみれの手だ。細められた活動家の瞳はどこか年老いた哲学者に似ている。
「早速だが仕事の話をしたい。時間はあるか」
「勿論だ。ここは人が多い、テントに移動しよう。打ち合わせついでに会わせたい人もいる。おーい、少し抜けるぞ!」
「ついでに酒持ってきてくれー」
作業する人々に声をかけるアマールの背を見ながらラファエラは唇を開いた。
「善人みたいね」
「ああ、それは保証する。あの人以上に公正な奴を、俺は知らない」
「随分と高評価。何か恩でもあるのかしら」
軽口というより純粋な好奇心から出てしまった問いかけなのだろう。しまったという顔をしたラファエラに、エフドはそうだと答えた。
「あの頃、俺が道を誤らなかったのもあの人が居たからだ」
「着いたぞ。少し狭いが入ってくれ」
日焼けしたテントを捲ると見慣れた翠の双眸がラファエラとエフドを待っていた。
「ンだよ、やっと来たのか」
「あなたも来ていたのですか、ロードピース」
椅子に座っていたのは薔薇十字教団の寮母であり副料理長でもある『ロードピース・シンデレラ』だった。
何故を滲ませたエフドの問いにロードピースは億劫そうに舌打ちをする。
「最近、教団の連中がこういう活動しろって煩せぇンだよ。それに、今は無敵なアタシ様だが少しはコイツらの境遇も理解できっからな」
どちらかと言えば小さく付け加えられた後者の方が本音なのだろう。時と共に風化したとは言え、彼女が奴隷であった頃の記憶は消えないままだ。
「彼女には集合場所と目的地を中心に炊き出し所や露店の運営を任せている。デモ当日にも来てもらう予定だ」
「人を焚きつけておいて来ねえアゼルとトゥーナからガッポリ軍資金をブン取って来たからな。これを元手に、祭りに浮かれた能天気どもから金をむしり取ってやるぜ」
「相変わらずね、この人」
黒い笑みを浮かべるロードピースにエフドは苦笑し、ラファエラは呆れた眼差しを向けた。何だかんだ言ってロードピースの面倒見が良い事は二人ともよく知っているのだ。
「デモ隊は所定のルートを練り歩き、件の企業の本社前に到着。そして企業側代表者の前で今まで行ってきた数々の非道や法令違反を訴え、既に訴訟を起こしたことを宣言する。極めて穏便な、いつも通りの抗議活動だ」
黒板の警備ルートを消し始めたアマールに聞いていた三人は頷いた。
「打ち合わせは終わったな? おい、エフド。ラファエラ借りるぞ」
「えっ」
突然立ち上がったロードピースにラファエラは目を丸くする。
「ここ、金の計算係がいねえんだよマジで」
「そういう事なら手伝ってあげなくも無いけど」
ロードピースに手を引かれたラファエラは不安な表情を一瞬だけ見せたが、すぐさま余裕の仮面をかぶりなおした。
「気をつけてな」
テントの布がカーテンのように翻り、白と黒の背中が姿を消した。
外の喧騒が再び布一つ隔てられる。
「気を使ってくれたんだろうな」
「ラファエラもな。普段はあそこで素直に従うような奴じゃないんだ」
ことりと懐かしい安酒の瓶の色。囁くように乾杯の音頭を打ち合わせる。
「俺の言った通りになったな。麻薬の売り子なんぞになってたら、新政権の戦士になれず、可愛い相方もつかなかっただろう」
「そしてむさいチンピラごと、あいつに殺されてただろうよ」
「過激だな」
「ああ、そこがいい」
喉を灼くような刺激はお世辞にも美味いとは言えない品質だと今のエフドは知っている。けれども郷愁に浸るにはもってこいの味だった。
「今やお前が止め役とはな」
「ああ、自分でも信じられんよ」
アルコールの力を借りて軽くなった口は、長年咲かずにいた花のように次々と話題を変えた。
「追いかけている敵はまだ見つからないのか」
「まるで尻尾がつかめなくてな。正直、今はお手上げ状態だ」
笑って肩をすくめるエフドに小さな頃の面影が重なった。弱気になっている時ほど飄々と笑い、大丈夫だと強がっていたかつての子供。
「諦めるなよ。ベリアルや使徒との戦争状態とそれによる抑圧が終わりつつある今、世の中はマシになり始めているはずだ」
世界に猟奇が溢れているなら一つを見つけるのは至難の業だ。
けれども世界が穏やかになったのならば異端は必ず浮かび上がる。
「細々とでも続けることだ。道はいずれ見えてくる。創造神はそうやって倒したんだろ?」
「あんたは変わらないな。相変わらず気が長い」
「忍耐強いと言ってくれ」
笑ったアマールの口元に疲れが滲んでいる。エフドは手元の瓶に視線を落とした。
「なあ、アマール。お前、何か俺たちに隠していないか」
「ん? 何のことだ」
「いつも通りとお前は言った。だが俺たちに警備を頼むのは初めてだ」
想い出に緩んでいたテントの空気に少しばかりの隙間風が通り抜ける。
「今までは忙しそうだったからな」
「誤魔化すな。警備ルートを知らせる人物は最小限。場所を変え板書のみで済ませる。お前が何かを警戒している時の癖だ」
「相変わらずエフドに隠し事は出来ない、か」
真剣な表情のエフドに遂にアマールの耳が下がった。
「俺の気のせいかもしれない。本当にいつも通りなんだ。何がおかしいと聞かれても分からない。具体的に何かが起こる確証もない。何事もなく終われば心配が過ぎたと笑って済む話だ。だけどな、どうにも」
――嫌な予感がするんだよ。
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