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「今回は、ブリテンの巡回の仕事がまわってきてるぞー」
ロリクがにこやかに微笑んで浄化師たちに声をかけてきた。
ブリテン……中心部から北西、海を挟んだ先にある島だ。工業技術が発達しており、蒸気機関車、魔人形など様々な技術を生産している特別区に指定されている場所だ。
技術者が多く存在し、貴族と市民階級が混ざるように暮らすここは大変活気がある。
「まぁ、ここはそういう技術職が多いから、一定のベリアルやヨハネの使徒を撃退できる程度には自衛は出来ているんだが、
いかんせん人が多いからな。浄化師が定期的にまわって治安維持に努めてるんだよ。
巡回といってもお前たちはいるだけで十分治安維持になっているから、せっかくだし、観光の一つもしてきていいぞ~。
技術関係のものを見るいいチャンスだ。ここは派手っつーか、豪華なところが多いからなぁ」
ロリクの言葉に思い浮かぶのは豪華なお城である。むろん、それ以外もあれこれと素晴らしいものが多かったはず。
「レポート提出するとき、楽しい思い出、聞かせてくれよ?」
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「お前らにしてほしいのは、今回はスカウトだ」
ロリクが口にしたスカウト、という言葉に浄化師たちはきょとんとする。
「ああ、お前ら、自分たちが浄化師になったときのあれだよ、あれ」
あれ、といわれても。
浄化師たちは顔を見合わせる。
「そうか。浄化師になるのは人それぞれだからなぁ」
教団から迎えがきたのを快く受け入れる者、抵抗に抵抗を重ねて観念して連れてこられた者、大切なものを奪われた者、地位や名誉のために自ら門をくぐる者……浄化師になる理由は人それぞれだ。
「今回はヨハネの使徒、ベリアルの周囲への出現率やら考えて、そこに浄化師となる者……つまりは、多くの魔力を抱えている人間を見つけた。
調査結果でわかったのが、こちらの人物だ」
書類が差し出される。
名前はリネリ・サターシャ。
年齢は十六歳。
生まれは農家で、よく働くと評判の娘だ。父と母は健在で、弟をかわいがっている。ごくごく普通の娘。
「この娘を教団にスカウトしたいってことだ。簡単だろう? 出来るだけはやくこの娘を教団に連れてきてほしい」
理由……浄化師となる者はヨハネの使徒やベリアルに狙われる性質を持っている。このままでは、この娘の住む村はベリアルか、ヨハネの使徒の被害を受けるかもしれない。
それに契約をしなければ、魔力パンクで、この子の命はそう長くは持たない。
「ここ最近、この村では先ほどもいったようにベリアルやヨハネの使徒が多く目撃され、被害を広げている。
村近くの森では蜘蛛型のベリアルが目撃された。スケール1だが、十分な脅威だ。さらにヨハネの使徒も三体ほどが、この近辺の山間を走り回っている。
そうした脅威のせいで村は逼迫し、村人はこの子のせいじゃないかと噂が広がり始めている。ただリネリは両親、そして弟のこともあって村を離れたくないようだ……恋人もいるようだ。その恋人は残念なことに適合者じゃない、ただの人間だ」
そこまで口にしたあとロリクはため息をついた。
「まぁ護衛の必要性もあるからこの子の説得をお前たちに頼みたい。自分たちがどうして浄化師になったのかも踏まえて、きちんと説得するんだぞ。あと、脅威についても油断しないように。お前たちが赴けば、否応なく反応して動き出すだろう」
ロリクは浄化師たちを一人ひとり見て口にした。
「ただお前たちがこの村に行くということは、この娘の運命はいやおうなく動き出すということだ。そのことをよく考えてるんだな」
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のどかな村は連日のヨハネの使徒に対する警戒やベリアルのため飢えのせいでぴりぴりとした空気に覆われていた。
そんななかでもいつもの毎日をリネリは繰り返す。これが自分の選んだものだから。それでも村のなかを出歩ければ、誰もが視線を逸らしていく。
「リネリのせいだろう」
「災いの子だ」
「あいつのせいで村が狙われてるのかよ」
「はやくいなくなればいいのに」
村の囁きが聞こえる。
けど、優しいパパ、ママ……弟のヨーシャは、ここにいてもいいといってくれる。家族と離れたくない。だって、大切だから。
それに。
「ネリネ」
ヨハン!
優しい微笑みを浮かべてくれる恋人が、リネリを村人の視線から守るように一緒に歩いてくれる。
「私、ここを離れたくない。たとえ、死んでも、教団なんかにいきたくない。だって、私はここで生まれて、ここで育った、ただの村娘なんだもの」
ぎゅっとヨハンの手を握りしめる。
「私は私の運命に抗い続けてやる」
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ここは教皇国家アークソサエティ「芸術の街オートアリス」。
「解散だなんて……そんな!」
その一角に佇む小劇場に、悲痛な男の叫びが響いた。
ヨレヨレのシャツを着て、無精ひげを生やした、見るからに貧乏そうなこの男は、とある劇団の舞台監督だった。
「当たり前だ。ここのところ、お前の作る舞台の評判は最悪。客はこれっぽっちも入りゃしねぇ。お陰で劇団は赤字まみれ……むしろここまで我慢してやったことに感謝してほしいね」
その舞台監督に呆れたように言うのは、この劇団のパトロンだ。
彼は、劇団の解散を告げにやって来たのだった。
舞台監督はパトロンの前に膝をつき、懇願した。
「お願いします! 次の舞台は……絶対に成功させますから! そのための脚本ももう完成しています!」
舞台監督はそう言うと、パトロンに台本を一冊差し出した。
パトロンはそれを受け取ると、さっと中に目を通す。
脚本のタイトルは『鏡の天使』。
歌手を目指すヒロインの前に現れた謎の男、そしてヒロインの幼馴染との三角関係を描いた物語だ。
やがて、パトロンは台本を閉じ、はあ、とため息をつき舞台監督に告げた。
「……分かった。もう一度チャンスをやる」
「ありがとうございます!」
「この舞台で劇団の評判を上げろ。結果次第で、解散を考え直しても良い」
パトロンは舞台監督にそう言うと、劇場を出ていった。
残された舞台監督は考えた。
「といっても……さっさと劇団を見限って、止めてしまったメンバーもいるし人手が足りないな……」
困った舞台監督は、薔薇十字教団に助っ人の依頼をすることにしたのだった。
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――そこかしこで焚かれた篝火が、天を焦がすようにあかあかと燃えている。
頭上に重くのしかかる暗夜を祓う為に。或いは闇に乗じて忍び寄る、冷たい死の腕を振り払う為に。
(ああ、どうかこれ以上、大切なひとを連れていかないで)
毒蜘蛛にも例えられた疫病を、ひとびとは踊ることで鎮めようとした。踊って踊って踊り狂って、毒にその身が侵されてもなお、苦しみながら踊り続けた。
(……運命に逆らえぬのなら、せめて最期まで共にいさせて)
切ないまでの激情を抱いて、踊り続けた恋人たち――そんな彼らの想いが奇跡を生んで、病は街から姿を消したと言われている。
タランテラの舞踏と語り継がれるそれは、今は賑やかな舞踏祭となって、ひとびとに希望を与えているのだ。
「場所はルネサンス南部、農業が盛んな街になりますね」
教皇国家アークソサエティにある、薔薇十字教団本部に持ち込まれた依頼のひとつを、ゆっくりと教団員が読み上げる。
――タランテラの舞踏祭。そう呼ばれる祭りが近々開催されるので、是非エクソシスト達の力を借りたいと言うのが依頼の内容だった。
「篝火を焚き、夜を徹して祭りが行われて。街は音楽に包まれ、ひとびとは踊り、歌い、隣人と語り合う……とても賑やかな雰囲気のようですね」
とは言え、祭りの発祥は哀しいものだ。嘗て流行り病が街を襲い、次々にひとびとが命を落としていった。蜘蛛の毒に例えられたその疫病を鎮める為に、皆で踊り続けたのがそもそもの始まりだと言う。
――しかし、病の勢いは止まらなかった。そうして病魔に蝕まれた恋人たちが、最期まで共に居たいと夜を徹して踊り続けた。
「その互いを想う気持ちが、奇跡を生んだと言われています。夜が明けた時、ふたりの身体からは病魔が去り、以降『蜘蛛の毒』で倒れる者は出なかった、と」
あくまで伝承に過ぎないが、この逸話を元にして、疫病を鎮める為に祭りが行われるようになり――そして今は、恋人たちの絆を深める意味も込められるようになったのだとか。
「大切なひとと一晩中踊り続ければ、ふたりの絆は確かなものになるとかで。この祭りで意中の相手に告白したりする方も、居るようですね」
ヨハネの使徒にベリアルと、ひとびとを襲う脅威も大きい昨今――世界の救済を遂行する浄化師の皆に、是非とも祭りに参加して希望をもたらして欲しい。要約すると依頼は、そんな感じのもののようだった。
「契約によって結ばれた、喰人と祓魔人……。そこに、運命的なものを感じずにはいられないでしょうし、ね」
舞踏祭に参加するにあたっては、蜘蛛の意匠があしらわれた装束を纏って踊ること。そして、ふたりの絆を現わすような演出を加えて欲しい、とのことだ。
「例えば、ヴァンピールの方でしたら、毒を吸い出すような口づけを。デモンの方なら身体能力を活かして、パートナーを抱えて華麗に跳躍してみたりだとか。色々工夫してみるのも良いと思います」
――何より一番大切なのは、心から祭りを楽しむこと。最後にそう言って、教団員は依頼の説明を終えたのだった。
(踊る、踊る)
ああ、死がふたりを分かつまで。どうかあなたは、この手を離さないでいて――。
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例えば、朝早くに目が覚めた時。寝具の温もりを名残惜しく思うようになっていた、とか。
例えば、家を出ようという時。あれほど大音響で暑苦しく夏を謳っていた蝉の合唱が聴こえなくなっていた、とか。
例えば、ふと青空を見上げた時。うずたかく湧き上がる入道雲の代わりに、柔らかく薄く広がる鱗雲を見つけた、とか。
例えば、窓から道行く人の装いを眺めた時。いつの間にか長袖を多く見かけるようになり、彼らの纏う色合いも移り変わっていた、とか。
例えば、夕餉を何にするか考えながら影長く延びる帰路を急いでいた時。ふと、きのこシチューの匂いが鼻についてメニューが決まった、とか。
例えば、灼けつくような夕陽に胸を衝かれた時。ああこの時間にもう日が暮れるのだ、と時計に告げられた、とか。
例えば、夜空の月を二人で眺めた時。冷えた夜風に身を寄せ合って、ふと静けさが通り過ぎた時、響く虫の唄声が周囲を包んでいた、とか。
色々なきっかけがあるだろう。様々な光景が、音が、味わいが、香りが、肌に触れる涼やかさが、一つの事実をそれぞれのやり方で告げている。
秋の到来だ。
まだ紅葉には早く、夏の名残はまだまだ残っている。それでも日を重ねるごとに、確実に薄れていくだろう。
この夏はあなたたちにとってどんな夏だっただろうか。やり残した事はないだろうか。
この秋はあなたたちにとってどんな秋になるだろうか。やりたいことはなんだろうか。
少し、考えてみるのも悪くない。
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竜の渓谷とは、ドラゴンたちにとっての楽園だ。
管理者たちによって守られるその地では、様々な年齢のドラゴンたちが優雅に暮らしている。
そう。幼体のドラゴンも、数多くいるのだ。
「あれらもどうやら、ヒトの子とさして違わぬらしいのう」
疲れがにじむ声で、浄化師ユギルは言う。
「なにはなくとも知恵熱を出す。幼体と言うても、もうずいぶん生きておるはずじゃが、それはそれ」
明確な理由のひとつもなく、幼いドラゴン数体が一斉に知恵熱を出した。
とはいえ管理者たちもこの程度のことで慌てたりしない。なにせ祖先の代から幾度も発生してきた、よくある幼体ドラゴンの体調不良だ。成体のドラゴンでも、たまに風邪をひいたいりするのである。
慌てず騒がず、改良に改良を重ねた薬を管理者たちは知恵熱を出した幼体ドラゴンらに与えようとして、拒絶された。
「これまではそのようなこと、なかったそうじゃが。ほれ、事情が変わったからのぉ」
幼体ドラゴンは、浄化師を知ったのだ。
例の事件以後、薔薇十字教団と竜の渓谷の結びつきは一層強くなり、要請があれば浄化師が現地に赴くようになっている。
同族と管理者しか知らない幼体のドラゴンたちは、箱庭でもある楽園の外からやってくる人々に、興味津々なのだ。
「そういうわけで、吾らが赴いたのじゃが……。油断しておった。幼体と言えど、竜は竜じゃ」
ユギルのパートナーであるロリクは、幼体ドラゴンの歓喜の突進を食らって全治五日の負傷。
同行していた他の浄化師たちも、それぞれ知恵熱を出している幼体ドラゴンたちの歓待を受けて、即座に病棟送りになった。
かろうじてユギルだけが五体満足で逃げ帰れたのだ。
「よいか、可愛い子らよ。くれぐれも気をつけて、仔竜どもに薬を飲ませるのじゃ。でなければ間抜なロリクの二の舞……ぷ、くすくす。おっといかん、本音が……。あれは、管理者らの手からはどうしても飲まぬと駄々をこねておる。吾らに構うてほしいのじゃろう」
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おんなのこはなんでできているの?
それはね、甘い、甘い砂糖菓子で出来ているの!
●
今回の指令は女子限定なんだ、とロリクが口にした。
え、俺らいますけど……とパートナーと一緒にきた男性陣は困惑した。
「まぁ聞け。今回お前らに行ってほしいのは、とある屋敷だ。
その屋敷の前の持ち主はさる貴族で、一人娘がいたんだが、病弱な少女は病であっけなくなくなった」
病弱である少女は一度も屋敷の外と出たことがなく、広い世界を自分の部屋の窓から眺めて過ごしていた。
少女が知るのは窓からの変わる季節と本で得た知識、たまに聞こえる外の楽しそうな音ばかり……。
「その貴族は娘がなくなった悲しみに屋敷を手放した。その屋敷は多くの人の手に渡ったが……そこから問題が起こった。
その屋敷には少女の呪いがかかっていたんだ。呪いといっても些細なものだ。
ときどき少女の笑い声や歌声、ものが移動していたりとかわいらしいものだが、このままでは不気味がって屋敷に持ち手がつかなくなる。
で、お前らの出番だ。今回、お前らにしてほしいのは、ずばり! 女子会だ」
はい?
真面目に聞いていた浄化師たちは目をぱちぱちさせる。
「つまりな、この女の子は友達がほしかったのさ。その友達と遊んだり、甘いお菓子を食べたりしてみたかったのさ」
けど、どうして女子会?
もし楽しい経験やそんな雰囲気を出すなら男性がいてもいいんじゃないの? と当然の疑問。
そして男性陣たちもそうだそうだと視線を向けてくるのにロリクはため息をついた。
「それがな、どうもその死んだ少女はシャイらしいんだよ。男がいる、とかそういう気配があると物音も笑い声も一切聞こえないんだ。
そら、まぁ、死ぬまで狭い部屋にいて外を眺めていたんだから知らない男がいたらびっくりしちまうだろう。
つまり、この女の子は同性のお友達と過ごしてみたいっていう気持ちがあったのさ」
ああ、そういうことか。
「今回お前たちはこの屋敷に泊まり込んで、女子会をする。ここに集まったメンツで好きなように遊べばいい。
ときどき笑い声や歌声やいたずらがあっても、それは女の子が一緒に楽しんでいるのだと受け止めてやれ。
楽しい思い出があれば、この子の呪いも消えるだろう。で、ここに集まった男性たちは昼間に女性陣がある女子会の準備の手伝いがメインだな。
あとは邪魔にならないように、端っこで男子会でもするか? うわ、むんむんしてそうだな」
失礼なー。いや、むんむんしたくない。男同士だって楽しいんだぞ。きっと、たぶん。
「はいはい。じゃあ、女性陣はどんなパーティをするのか計画して、買い出しやら準備をしてくれ。で、残った野郎ども、お前たちには別件がある」
なんですか、もう男同士、むんむんした男子会の準備でもしますよっ!
「男子会ってのは方便だ。女性陣に気付かれたらいけないからな。お前たちにはこっそりと屋敷の外で護衛をしてほしい」
護衛?
「実は、この屋敷に目をつけた終焉の夜明け団の魔術師がいる。そいつはこの屋敷の呪いを悪意で染め、利用しようとしているようだ。
たぶん、女子会を邪魔してくるだろう。お前たちはそんな悪党を陰ながら退治してほしいんだよ。
今回、女性陣は女子会……武器なんかは持たずに楽しむことで、浄化することに専念してもらう。だからこの護衛のことは内緒な?
だって、護衛されてるって知ったら、心から楽しむどころじゃないだろう?
それだと、たぶん、女の子の呪いは浄化できない。嘘偽りのない幸せな一夜が必要なんだ」
真剣に言われて男性陣たちは顔を見合わせる。なんか思った以上にこれってすごく重要な立ち位置じゃ?
「パートナーには内緒の任務、まぁ、せいぜい頑張って隠し通して指令を遂行してくれよ?」
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埃をかぶった屋敷のなかで女の子の声がする。
おんなのこってなんでできているの?
それはね、すてきなすてきなものでできているの!
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今日も今日とて指令を受けにエントランスへと行くと、いつもは指令発行受付口にいるロリクと、調査員のユギルを見つけた。
この二人は浄化師兼夫婦だ。現在は第一線をひいて仕事がそれぞれ異なるため、一緒にいないことが多い。
そのため、こうして二人で一緒にいるところを見るのは稀だ。珍しい。
「ほら、お前の好物のおにぎりにおかかいれといたからな。腹が減ったら食えよ」
「うむ。うむ。うむ!」
ロリクが差し出す包みをユギルが嬉しそうに受け取っている。
あー、お仕事で遠方に行くユギルさんの見送りかぁ。
お弁当を渡していていいなぁ。
浄化師たちが微笑ましく見ていると。
「む。子らか。……指令を受けにきたか? 精進するとよい。……この弁当は吾のぞ」
「誰もとらねぇよ。お前ら、ちょうど、護衛の指令があるんだ。それをまわしたい。今日中には終わる依頼だから、そこまで張り詰めなくていい。ただ昼までかかるから弁当もっていけよ?
あ、そういえば、お前らってパートナーの食の好みとか知ってるのか?」
ロリクがなにげなく口にした言葉に、それぞれ顔を見合わせる。
食の好み……。
「その顔だとないみたいだな。まぁ、ほとんどの浄化師たちが寮生活だもんなぁ。料理長がいろいろと用意していつもおいしいもの食べられるからなぁ。……今回回す指令、実は出発まで時間の余裕があるし、今日の昼は互いに弁当作って食べさせあいしてみたらどうだ? 相手が普段どんなものを食べているのか、食の好みを知るってのはわりと大切だぞ~」
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●二度目の生
「おはようございます」
「ああ、おはよう」
一人の青年が爽やかに挨拶をし、初老の男性が手を上げてそれを返す。どこにでもある日常的で牧歌的な風景。
この青年の名はサルベル=ニルガン。
彼は通常の人間ではない。一度命を失い、そしてそこから帰還した者。いわゆる『アンデッド』である。
「今日も森へ行くのかい?」
「ええ、僕達も日銭は必要ですからね。貧乏暇なし、です」
男性の問いに笑顔で答えるサルベル。
彼はこの村で木こりの仕事をしている。森に一人で赴き、木を切り倒し月に2度来る行商人に買い取ってもらう。その繰り返し。
一人で行動するのは彼の性に合っていたし……正直言うとあまり村人たちと顔を突き合わせて行動するのは気が引けた。
アンデッドがゾンビのような死者ではなく、蘇った生者であるという認識が一般的になったのは比較的近代である。
今では大規模なお祭りが行われるほど受け入れられたその認識であるが、この村のような都会との情報の断絶のある田舎の村では未だに根強い差別が残っていることが少なくない。
サルベルも露骨に石を投げられたりといった直接的な暴力はまだ受けてはいないが、すれ違う際に避けて通られたり、店に入る事を拒否されたりという嫌がらせは度々受けていた。
それでもなお彼がこの村に留まっているのはこの村が恋人の故郷だったからである。
アンデッドは強い怨念や執念により魂が死を拒む事により生まれるという。
彼の場合は恋人の存在がそれであった。
彼女と一緒にいるときに突然ベリアルに襲われ、彼女を逃がすために犠牲になったのが、彼の一度目の死。
その後、彼女への想いから二度目の生を受け起き上がった彼だったが……しかし、間に合わなかった。
彼は生前よく話していた彼女の故郷に彼女を弔い、そしてここで暮らし彼女の墓を守っていくことを決めたのだった。
「なら、気を付けるといい。最近、森に良くないものが出るという噂がある」
その中でもこの男性はほぼ唯一と言っていい、この村でサルベルに友好的な人間である。
彼にはとてもよく助けられている。サルベルは彼には内心とても感謝していた。
「よくないもの?」
男性の忠告に耳を傾ける。日々何もないことが特徴とまで言えるようなこの村ではそういった話は滅多にない。
特に村人との交流のないサルベルには、ほとんどそういう話は入ってこない。故に非常に気になる話題だった。
「熊がね」
「熊が現れたんですか?」
「いいや、熊が――食い殺されていたらしい」
「……なるほど」
この近辺で通常気を付けるべき動物と言えば熊である。
逆にいえば熊にさえ気を付けていれば大した危険はないし、熊以上の脅威も少ない。
その熊が何者かに殺されている。
確かにそれは気を付けるべき事案であろう。
「わかりました。気を付けましょう。貴重なお話をありがとうございます」
「……サルベルくん」
ぺこりと一礼しその場を去ろうとしたサルベルの背中に男性が改めて声を掛ける。
その声音は今までのものとは違い、どこか真剣みを帯びた低いものだった。
「娘の事はもういいんだ。君は第二の生を得た。こんな狭い村など捨てて……もっと自分の生き方をしなさい」
「……僕は、この村のこと好きですよ」
そう言ってにこりと笑顔を見せて去るサルベルに、男性はもう何も声を掛けなかった。
●疑わしきは
「アンデッドが夜な夜な化け物に化けて暴れている?」
忙しい業務の中、わざわざ至急と注釈をつけて送られてきた報告書を見て教団付きのマドールチェの男は眉をひそめた。
「そうなの~。大変そうネ~」
その内容に能天気に心配する助手の娘に男はため息を吐いた。
「そんなわけがあるか。十中八九勘違いか、何らかの悪意だ」
「え? そーなの? でも一応目撃証言もあるみたいだけど」
「ああ、あるな。人間程度の身長で大きく太った体形。そして、腐った死体のような臭いと外見。これはゴールの特徴だ」
「ゴール?」
「ゾンビの発展形だ。当然アンデッドとは違う。大方、動く死体という外見から勝手に関連性を想像したんだろう」
マドールチェの男が身長に釣り合わない大きな椅子に腰かけ息抜きの為のコーヒーをすする。
「まあ、俺の知らないところでアンデッドをゴールに変質させる大魔術があるという可能性もゼロとは言わんが……あくまでゼロとは言わないというだけの可能性だな」
「ん~、それじゃあ、どうするの? 差し戻す?」
「いや……恐らく実際に被害があるのは本当だろう。今のところまだ人的な犠牲が出ていないから収まっているが、もしこのまま放っておいて誰か犠牲者が出た場合……面倒なことになる」
わざわざ至急とまで付けてアンデッドの青年に対し、大した証拠もなしに名指しで依頼を出してきた連中である。
そこに被害者が出てきたとき、『推定有罪』の青年に対して彼らがとる行動などおおよそ想像がつくというものだ。
「事態は一刻を争う。わざわざ差し戻して書き直させる時間はない。この際、この依頼に乗ってやろう。無論、こちらとしても注釈は付けさせてもらうがな」
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枯葉によく似た色の、美しいドラゴンが憂いの息をつく。
「私はね。ヒトになりたかったのだ」
彼はもうじき寿命を迎える。ここで朽ちることも霊廟に向かうこともできたが、彼は多くのドラゴンがそうであるように、薔薇十字教団にその身を捧げることを選んでいた。
ときがくれば、自分もそうするのだろう。自分も彼も、ヒトの子らを嫌ってはいなかった。はかない一生を懸命に生きる、花のように美しい命の糧になることに、疑問はなかった。
「ヒトは魔法を扱えず、空も飛べないというのに? 百年にも満たぬうちに、死ぬというのに?」
そう、ヒトははかない。アンデッドでさえ、ドラゴンから見ればか弱い。
美しいとは思うが、そうなりたいと考えたことはなかった。
彼は笑う。
「構わぬ。ヒトになれるなら、私は魔法を捧げよう。翼を落とそう。牙も爪もくれてやろう」
その代わりに。
「ヒトの喜びを教えてくれ。短き生涯で得る美しきものを、醜きものを、苦しみを、喜びを。私も感じたい」
ニーベルンゲンの草原に風が吹く。咲く花々が舞う。ほんの少し冷たい空気が、秋であることを告げている。
「私も、ヒトのように笑って悲しんで、花のように生きたかった」
足音が聞こえた。ワインドと、彼が連れてきた浄化師たちの足音だ。
「ではな」
「……ああ。さらばだ、グレーテル」
名をねだった彼にその記号を与えたのは、ワインドだった。グレーテル。ヒトが書き記した物語に登場する、少年の名らしい。
グレーテルがいなくなった草原で、私は天を仰ぐ。青く高い空だった。
「――――」
ひとつ、声を。咆哮でも囁きでもない、音を。
ヒトになりたいと言ったドラゴンを想う。誇りを捨てたわけではなく、ただ夢を見た枯葉色のグレーテルを想う。彼はもう、あまりに長い命を全うしたころだろう。
「…………」
私に名はない。ヒトになりたかったわけでも、必要としたわけでもないから。いるか、と聞いたワインドに、いらない、と応えたのだ。
「ワインド」
息を吸う。吐く。ひやりと心地よい空気だった。
旧友が二度と吸うことのない、空気だった。
「ワインド! 浄化師をここに! 頼みがある!」
宙を舞い、私は声を張り上げる。集落の建物から出てきたワインド・リントヴルムは、何事かと驚いていた。
「弔いを。我が友のために、手向けの花を。ヒトがヒトにそうするように。――嗚呼、我が爪では叶わぬことよ」
岩を砕き肉を裂くことはできるのに。
亡き友のための花束ひとつ、私は作れない。
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