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薔薇十字教団に一通の手紙が届いた。
「親愛なる浄化師様方。手紙の書き方なんて知らないので、用件のみお伝えさせていただきます。ルネサンス地区ヴェネリアの水上マーケットはご存知ですか? とてもいいところですよ。いろんなものが売っています。なので買い物を手伝ってください」
差出人の名前はエキュム・ムース。丸みを帯びた稚拙な字体から、少女だろうと司令部は予想した。
待ちあわせの時刻も記載されている。某日昼頃、水上マーケットの北側の入り口近く。すぐ側に串焼きの屋台があるので分かるだろう、と手紙には書かれていた。当日、エキュムは白いワンピースを着て、川を眺めているらしい。
水上マーケットと言えば、水の都とも称されるヴェネリアでも一、二を争う観光名所だ。
大小さまざまな運河を、船頭が操る小舟で渡っていく。同じく小舟に商品を並べた店がところ狭しと並んでおり、世界各国の美味しい食べ物や海産物、珍しい骨董品、貴重な品々まで取引され、常に賑わいを見せていた。
一方で、そういった品々や観光客を狙う悪党も問題になっている。
「この女の子は、水上マーケットで買い物をしたいけれど、守ってくれる人がいないと怖いか、危ないから近づいてはならないと説得されているのでしょうね。それできっと、教団を頼ったのでしょう」
指令を張り出した教団員は、近くにいた浄化師にそんな言葉をつぶやいた。
「夏の暑い時期、川風が涼しい水上マーケットで、お買い物のお手伝いをしてあげてくれませんか?」
少女の無垢な願いを、叶えるために。
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教皇国家アークソサエティ、アールプリス山脈の東端に黒々とそびえる孤城――ベルハルト城。
ロスト・アモールの時代に落城して以降、すっかり朽ち果て廃墟と化してしまっていたその城は、じつは今より数カ月前にひっそりと新たな主を迎えていた。
「ついに……完成だ………」
城の最上階、ロウソクの灯が揺れる殺風景な部屋。
青白い肌をした痩身の青年は、狂気を宿した瞳で、みずからが手にした真紅の石をじっと見つめている。
トレードマークとなる黒い外套こそ纏ってはいないが、左手の甲に埋められた十字架をみれば、この青年が『終焉の夜明け団』の信者であることはまず間違いない。
「これが……これこそが、エリクサーだよ……ルシア」
青年は背後を振り返り、壁際に佇んでいる修道服姿の女に暗い笑みを向けた。
銀髪の女は、淡い金色の眼をやさしく細めて、頷く。
「ええ……ついにやったのね……ロナーク」
「ああ……。すべて君のおかげだよ、ルシア。僕は、もう何年もパラケルススを研究してきたけど、これまではエリクサーの紛い物すらつくりだすことができなかった……。ここで君が僕に力を貸してくれなければ、僕は永遠にこれを完成させることはできなかっただろう」
「そういってもらえると、うれしいわ」
女は、聖母のような微笑みを浮かべる。
「もともとは組織の人間に命じられて始めた研究だけど、こうして本物のエリクサーを手にした以上、もう組織に戻る理由はない……。もう誰かに命令されるばかりの人生なんてまっぴらだ。僕は……いや、僕と君は、このエリクサーの力を使って、これからこの世界の王になるんだよっ!」
ロナークはそう叫ぶと、真紅の魔石を手にしたまま女の方へ近づいていき、彼女の肉感的な肢体を強く抱きしめようと腕を伸ばした――、が、
「そう簡単には、いかないみたいよ」
女は醒めた口調で呟くと、さりげなく青年の腕から逃れて窓際へと歩いていき、眼下の闇を見つめた。
「あなたは、すこし派手に動き過ぎたみたい……。ほら、教団の浄化師たちが、あなたの研究を嗅ぎつけてやってきたわ」
「なんだって!?」
ロナークも慌ててそばにやってきて窓から下を覗くと、城壁の外で揺れているいくつもの松明の灯が目に入る。
「くそ、くそっ! アイツら、どうしてここがわかったんだ!?」
「あなたは、そのエリクサーを完成させるために、これまで無数の人間の命を犠牲にしてきた。そのほとんどは、ならず者や犯罪者で、本来ならあまり目立たないはずだったけど……さすがに数が多すぎたのね」
ロナークは俯き、怯えた表情で歯噛みしていたが、しばらくすると、ふたたび顔をあげ、見る者の背筋を凍らせるような恐ろしい笑みを浮かべた。
「ふ、ふふ……こんなこともあろうかと、中庭には僕が造ったゴーレムを配置してあるんだ。それに……たとえそのゴーレムを倒されたとしても、エリクサーを手にした今の僕には、教団の浄化師なんて敵じゃないよ……」
青年は震える声でそういうと、下へ降りる階段の方へふらふらと歩き出した。
「さあ、いこう、ルシア……。僕がこのエリクサーの力で、アイツらをあっさり全滅させるところを、君にみせてあげるよ……」
女は、感情の読めぬ薄い笑みを口の端に浮かべると、落ち着き払った足取りで青年の後について歩きだした。
城の中庭に侵入した途端、四体のゴーレムを目にして、浄化師たちは足を止める。
よく見ると、ゴーレムの背後には、エリクサーと思しき魔石を手にした青年と、修道服を身に纏った謎の女。
最近この地方で発生していた大量の失踪事件について調査している途中で、この古城に辿り着いたのだが――どうやら、見事にビンゴを引き当てたようだ。
「いけ、ゴーレムたち! 教団の浄化師どもを皆殺しにしろ!」
青年の命令に従って、ゴーレムたちがゆっくりと前進を開始する。
覚悟を決めた浄化師たちは、強大な敵を迎え討つ――。
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「悪いな、今回は、ある……女性が里へと帰る。その道中の護衛だ」
ロリクは憂鬱な顔をし、言いづらそうに告げた。
その里というのは山を一つ越えた、一日でつく距離にある。それに目的地は特に危険と言われる場所でもないことに集まった浄化師たちは不思議な顔をする。
「その子は、エクソシストを辞めるんだ。
パートナーがベリアルに殺されて……いろいろとあってなんとか助かったんだが、彼女は新しいパートナーを得ることを拒絶した。
そのままエクソシストを辞めて、里に帰って死ぬまでの僅かな時間を過ごすと口にした」
それが、なにを意味するのかはわかるな、とロリクは視線で問うてきた。
浄化師は二人で一つの存在だ。
教団にとっては戦力となるものを欲して――しかし、当の喰人、祓魔人からしてみればもともとの性質である、魔力回路で必要以上に生産される魔力量を、正常に安定させるため――命にかかわる問題で契約を交わす。
ゆえに契約相手に恋人同士や気の置けない相手を選ぶことが多いのが常だ。
本来、浄化師になったものは死ぬまで、その任を解かれることはない。
理由としてはヨハネの使徒に狙われる性質を持つ危険性、教団の内部を知っていること――などの危険か挙げられる。
「今回護衛するアリラのパートナーも恋人だったんだ。その恋人はアリラをかばって死亡した……彼女は自分のせいだと悔いている。
そのとき彼女は精神的ショックで、教団を裏切ろうとした行動も見受けられ、危険と判断しているから本来は身柄を拘束し続けるんだが……。
ただもう彼女は……終わりを迎えようとしているんだ」
指令のために集まった浄化師たちは口を閉ざす。
そこへ。
「暗い雰囲気だが、どうした? 我が妻と、おお、かわいい子らか!」
「ユギル、お前調査の仕事は」
ロリクが驚いた顔をする。顔に狐面をつけて、口元だけ見えるユギルだ。
――基本的に浄化師たちが赴く依頼の事前調査を引き受けている彼は、ロリクの浄化師としてのパートナーで、結婚相手だ。
「仕事は終えたので妻を迎えに来たんだが……ん、護衛の依頼か?
この娘はパートナーを失くした……ふむ。吾も、妻の前に契約を交わした相手を殺した過去がある。
浄化師は理想と平和のために、常に危険が付きまとう。いつ、なんどき、横にいる相手を失くすともわからん。
浄化師の運命とはかくも残酷よ。片割れがいなくては生きれない。まるで置いていかれることを嫌うように、な。
とはいえ、新たな未来も存在し、あがくことも出来る。……献身と依存は違う。愛にもさまざまな形がある、想う方法も。
浄化師とは二人で一つのように存在するが、所詮は自分の運命は自分でしか決められない。
この娘は自分で運命を決めたのだろうよ。哀れみも、同情もすべきではない」
淡々と語るユギルに、すぐにからからと笑い始めた。
「ふふふ、吾は今の妻と会えて幸福だ。愛することは実にすばらしい。
せっかくの指令、自分たちのことを改めて考えてみるといい。今のパートナーをどう思っているのかを、な。
この娘は決してお前たちではない、けれどお前たちかもしれない可能性もあるのだ。
妻よ、この娘の見届け役は吾がやろう。子らには護衛の任だけ与えておあげ」
「ユギル、いいのか」
「どうせ、仕事が一つ終わった。ここに集まった子らにはいい経験となるだろうが……見届け役は代わってやるくらいはしてやってもいいじゃろ。
なぁに、吾は何度かしたことがある。安心おし」
「お前がそれでいいなら、悪いが終わりの役は頼む……報酬は弾む。受けるか受けないかはお前たちが決めろ」
ロリクが静かに問いかける。
ここに集まった浄化師たちは傍らにいる相棒を見る。
迷うような、探るような、視線が合う。
● ● ●
馬車の前に黒髪のほっそりとした女性が立っていた。
白いワンピース姿の彼女は麦藁帽子をかぶり、小さなトランクを手に浄化師たちに頭をさげた。
「今日は……護衛をありがとう。短い時間だけど、よろしく……お願いします」
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「そ、それが……伝説にまで謳われた媚薬、マリスメアなのですねっ!?」
金髪碧眼の少女は、浄化師たちが手にしている紫色の花を見つめて、歓喜の声をあげた。
ここは、アークソサエティの主要都市のひとつであるルネサンスの中心地にたつ、とある大富豪の邸宅の一室だ。
まあ一室、といっても、中流家庭の住宅が三、四軒すっぽり入るほどの広さがあり、この巨大な部屋を自室の「ひとつ」にしている少女を前にして、浄化師たちは軽い眩暈をおぼえる。
金糸で美しい装飾を施した真紅のソファに腰掛けて目を輝かせている愛らしい少女の名は、アリス・バーランド。この宮殿と呼びたくなるような大豪邸の主、ドレモ・バーランドの一人娘だ。
浄化師たちは今回、このアリスの、「伝説の媚薬マリスメアが欲しい、絶対欲しい! 今すぐ!」という、純度100パーセントのワガママな依頼を受け、はるばるアールプリス山脈の険しい断崖まで出掛けて、件の花をせっせと採集してきたのだ。
「ああっ! なんとお礼をいったらいいのでしょう。本当に御苦労様でした。あなた方には、心より感謝いたします」
アリスは、長い旅から帰還した浄化師たちに、真摯な態度で礼を述べた。
なるほど、ワガママではあるが、案外、根はいい子なのかもしれない。
すっかりくたびれた浄化師たちは、マリスメアの花をアリスに渡したらすぐに帰るつもりでいたのだが、少女はこの時、まったく予想外のことを口にした。
「じつは……あなた方にもうひとつ、お願いがあるのです。その花、伝説の媚薬の効果を、ぜひとも今ここでわたくしに見せて欲しいのです」
「……………!」
浄化師たちは驚き、互いに顔を見合わせる。
「マリスメアの花を口に含むと、その瞬間、眼の前にたっている異性がどうしようもなく魅力的に見え、相手の全てが欲しくて欲しくてたまらなくなる、といわれています……。都合よく、あなた方は皆男女でペアになっていますし……ここで、わたしに、媚薬の効果を実演してみせてはくれませんか? もちろん、その分仕事の報酬はしっかり上乗せさせてもらいます」
「…………」
浄化師たちは、小さくため息をついたあと、頷く。
まあ、伝説の媚薬などといったところで、この手のモノの大部分はインチキで、効果など知れたもの、むしろまったく効果がない方が普通だ。依頼主がそれで満足するのなら、適当に余興に付き合ってやっても損はない。
この場にいる浄化師の半分が、多少気まずさを覚えつつパートナーの顔を見つめながら紫色の花弁を口に含む。
「………………」
ほら、やっぱり何も起こらない……。
浄化師たちが、醒めた表情で肩の力を抜いたとき――、
「………………!?」
突然、媚薬を口にした浄化師たちに異変が起こった。
頬を紅く染め、眼を見開き、パートナーを恍惚の表情で見つめて荒い息を吐きながら、ふらり、ふらりと近づいていく。
オイオイオイ……どうやら、この『伝説の媚薬』とやらの効果は、本物であったらしい。
「っ…………」
相棒の豹変ぶりに、残りの浄化師たちが戸惑いの表情を浮かべたとき、
「あら、たいへん……」
アリスが首を傾げて、困ったような声を出した。
彼女の手の中には、開かれた一冊の本。タイトルは『決定版 世界の秘薬』。
「どうしましょう。マリスメアはとても強い効果を持つので、媚薬として使用するときはその匂いを相手に嗅がせるだけで十分だとあります。間違っても、花弁を口に入れたりしてはならない、と……。もし、花そのものを口に入れてしまうと、効果が強すぎて、脈拍が激しく上昇し、その者はやがて死に至る、と書いてあります……」
「…………っ!?」
浄化師たちは驚愕し、絶望する――自分の相棒が、もうすぐ、死ぬ……。
しかし、その時、アリスが本のページをめくって、明るい声をあげた。
「……あ、でも、花を口に入れた人間をどうにかして正気に戻すことができたら、媚薬の効果も消えて、命が助かる、と書いてありますね!」
少女の言葉に、浄化師たちの瞳が希望の光に輝く。
なんとかしてパートナーを正気に戻し、その命を救わねばならない――。
浄化師たちの困難な挑戦がはじまった。
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「ふはははは! ついに、ついにできたぞ! ポルテ君!」
「フォルテです。何が出来たんですか?」
ここは教皇国家アークソサエティ、首都エルドラド。薔薇十字教団本部病棟地下2階第一研究室。
女性の哄笑が響き渡った時に周りの研究員達の注目を集めたが、それがいつもの人間であると分かるとすぐにそれぞれの研究に戻った。
「聞いてくれ、トルテ君! この薬は対象の精神に作用し、沈静させる効果と高揚させる効果、二つの側面を持っているんだ」
「フォルテです。それは凄いと思いますが……そんな事可能なんですか?」
助手のフォルテは彼女が手に持っている試験管に入ったいかにも毒々しい液体を胡散臭げに見つめた。
「あぁ、この薬はだね。生物が持つ精神の平均値を判断してくれるものなんだ。つまり、怒っている者には沈静させて、やる気が出ない者にはやる気を起こすという風にね」
得意気に試験管を振り回しながら歌うように語る。
この人物こそ奇才と呼ばれる薬学者であり、教団員でもあるクラレット・オリンズだ。最も悪評の方が多いが……。
曰く、楽しい薬を作る者。薬学狂い、略してヤクルイ。実験の墓標、教団の闇鍋などなど……。
「それって副作用がかなり多いのでは? その説明を聞く限り、民間で伝わっていた脳の手術を彷彿とさせますが」
フォルテはクラレットの手で踊る試験管の中の液体から机の上にある書類を守るように脇にどかしながら聞いた。
「良い所に目を付けたね、ソルテ君。確かに脳の手術は数百年前から存在している。それについては私は特に否定も肯定もしない。だが、凶暴性や無気力、両方の感情が劇的に高まる例もあるし、感情が全く平坦になった例もある。これらの実験結果から凡そ治療とは言えないのではないかと思ったんだ」
「……フォルテです。では開発された薬は治療が出来ると?」
「そうだね。まずは見た方が早いか。ここに二匹のモルモット、セサミとサラミが居る。この子達は恋人同士だが、わざと引き離して反応を見るとしよう。ん? 七夕? 私は天邪鬼でね、私が好きな物の名前を付けているんだ」
クククと笑いながらクラレットは檻に入っている一匹のモルモットを抱き上げると、隣の檻に入れて柵を閉めてしまった。
当然、離れ離れになったモルモット達は物悲しい声でキューキューと鳴き始める。
「そして一匹に興奮剤を与えると……」
クラレットは液体が入った針の無い小さな注射器を手に取ると、片方のモルモットの口に運んだ。最初警戒していたが、糖蜜が入っているのだろう。甘い香りに誘われる様に飲み始めた。
「モルモットは大切に扱ってください。食用にする地方もあるとは聞きますが、愛玩動物としての地位も確立しているので」
「解っているよ。何、無体な事はしないさ。マウスでの実験は成功だったんだから」
フォルテに苦言を呈されるが、特に気にした風も無く返すクラレット。
やがて直ぐに興奮剤を与えられたモルモットに変化が起こった。檻に自分の体を当てて何とか破ろうとし、ガシャリガシャリと耳障りな音が研究室に響き渡る。
その一方で引き離されたモルモットはキーキーと心配する様に鳴いている。
「……少し可哀想ですが」
「そうだね。じゃあこの薬を経口投与してみよう。本来なら皮下注射にした方が良いかもしれないが、安全の為だね」
フォルテの声に悪びれる様子も無く、クラレットは暴れるモルモットを押さえつけて怪しい液体の入った針の無い注射器を口に運ぶ。
すると先程まで暴れていたのが嘘のように大人しくなると、再び檻にすがって物悲しい声で鳴き始めた。
「とりあえず元の檻に戻しますね。……ほぉら、ごめんな。恋人と離れ離れにさせてしまって」
フォルテはモルモットをヒョイと抱き上げると元の檻に戻してやる。すぐに一匹が寄り添って薬を投与されたモルモットを心配するように、においを嗅いでいた。
「凄いですね。今のがこの薬の効果ですか?」
「あぁ、そうだね。ただ、一つだけ問題があるんだ」
感心するフォルテだったが、珍しく歯切れの悪いクラレットの言葉に何か裏があるのではないかと勘繰ってしまう。
「……実はまだ人間では試した事が無くてね。これから治験を募集しようかと思っているところなんだ。できれば健康体であり、色々な種族を集めたいね」
「そうなると、ある程度の報酬が必要ですね」
フォルテはポケットからメモを取り出すと、幾つか書き込む。
「流石はカルテ君。キミ、良いお嫁さんになるよ!」
クラレットにパシパシと肩を叩かれ、嫌そうな顔をするフォルテだったが、我慢のできない文言があったので訂正をする。
「……僕の名前はフォルテです。それから女顔ですが、男です」
その言葉に何かを閃いたクラレット。瞳の奥に輝きが見て取れる。こういう時は碌な事が無いのでフォルテは研究室から出て行こうとするが、肩を強い力で掴まれた。不機嫌さを隠す事も無く、振り向いて肩に置かれた手をそっと外す。
「何ですか」
「良いアイディアを思いついたんだ、ピアノ君。女の子の身体になれる薬って興味ないかな?」
ニイと笑みを深くしたクラレットにフォルテは溜息を一つ吐く。
「……わざとやっているでしょう。僕の名前間違えるの。それから僕はあなたの玩具じゃありませんよ」
「うむ、ばれていたか。だが、そういう事は私の家に借金を返してから言うべきだね」
「ハァ……」
フォルテ・スロウリッド、とある没落貴族の三男でクラレットの家にほぼ金で買われたと言っても過言では無い。が、彼女の近くに居られる事でその状況に満足している自分に今日何度目かの溜息を吐くのだった。
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冒険者ギルド「シエスタ」は鑑定士や情報屋、酒場の店主が同業者組合として組織化されたことが始まりだ。今では冒険者が集う酒場兼情報交換の場として、冒険者に依頼書を出したり、発見した財宝の換金をしたりしている。
冒険者にとっては欠かせない場所。
ここの酒場もまた冒険者ギルドに加盟している店の一つだ。
リュミエールストリートの片隅にぽつんと佇む酒場。仕事に疲れた人々を暖かくも賑やかに迎えてくれる。酒場は濃密な夜の気配を含んだように適度に暗く、乱雑とした空気が漂う。
店長であるヨルンダ・ビュランは世の中の酸いも甘い噛み分けたといった気っ風のいい妙齢の女性である。酒とつまみ以外には拘らないあっさりとしたヨルンダの性格が店の雰囲気に投影されているように、どんな人間でも受け入れるような懐深さがあった。
ここの酒場は冒険者の常連客も多く、無事帰ってこられたことを喜び、酒で疲れを癒す人々で詰め合っていた。酔っぱらいの笑い声や徒労に終わった依頼の愚痴で今日も酒場は騒がしい。
今夜もヨルンダは忙しなくカウンター内で働きながら、客の話を快闊に受け止める。その日は珍しい顔がバーカウンターの止まり木に腰を下ろした。
「おや、ランス。アンタいつこっちに戻ったんだい?」
「ついさっきだ」
ランスと呼ばれた冒険者は憮然とした顔で返事する。この男は自分の名前が嫌いだ。自分のような凡庸な男にランスロットのような仰々しい名前は似合わないと常々愚痴っている程だ。
「どうせ用事を済ませたら出て行くつもりだろ?」
「……お生憎様、暫くここに滞在するつもりだ」
男は肩をすくめる。思わぬ返答にヨルンダが瞠目する。
「アンタはソレイユが根城だろう。何かあったのかい?」
「樹梢湖の件だよ。あのジェルモンスターが大量発生してるとこだ」
「ああ……そういえばアンタが発見者だったっけ。本当に巻き込まれやすい奴だねえ、アンタは」
「……今回は巻き込まれてねえ」
ヨルンダは腑に落ちたように頷く。男は言い訳するように呟くと、やけ酒を煽る。
冒険者ギルドは横の繋がりが強い。ソレイユにある樹梢湖での異常事態の情報は冒険者ギルドでも噂になっていた。
そう強いものもおらず、新人でも行ける樹梢湖は冒険者ギルドにとっても貴重なダンジョンだ。
さらに樹梢湖では水気の魔結晶が発見されやすい。元々水気の魔力が強く、蓄積しやすい土地の為、湖の底に魔結晶ができやすいのだ。
魔結晶が得られるというのは、冒険者ギルドにとっても得られる利益が大きい。それは冒険者にとってもだ。売れば金になる上に、魔術をかじっているなら魔術の威力を増幅できるため、いざというとき持っておく者も多い。
魔結晶は魔力が結晶化したもののことを指す。魔術に関するあらゆる分野で重宝される宝石の為、魔術師だけじゃなく様々な人間が買い取っていく。
魔結晶は六つの属性に分かれており、形状と魔力量から等級がつけられている。
等級が高ければ高いほど高値で取り引きされ、内包された魔力は濃縮されたものほど、形状も美しい宝石のような輝きを放つ。
慣れた者でないと湖の底に魔結晶を取りに行くのは無理だが、新人に場数を踏ませるのにはいいダンジョンだった。
ジェルモンスターを倒すのは簡単だが、消滅させるのは少々手こずる。
核である魔結晶を壊さない限り、消滅したように見えてまだ生きている。実にしぶとい。
核である魔結晶を破壊しないと、水気の魔力と水分を長い時間をかけ、吸収することで、水の塊となり、ジェルモンスターとして戻ってくる。
ジェルモンスターが消滅するには周辺の水が全てなくなってしまうか、核となる魔結晶を破壊されるかしかない。
だが、ジェルモンスターの核である魔結晶は水と同化していてエレメンツの「魔力探知」などでなければ、見つけるのは容易ではない。
だからこそ、水気の魔力で溢れる樹梢湖はジェルモンスターにとって生息しやすい場なのだ。それでも今回の復活の早さは異常といえた。
「魔結晶が手には入らないのはアンタとしても痛手ってことかい」
「……そうだな。新人はジェルモンスターからは屑結晶しか手には入らねえって言うけどな。俺にとってはいい穴場だ。運が良けりゃあシーズエレメントに出くわすこともあるしな」
ジェルモンスターからも魔結晶を得られるが、小さく質も悪いので流通されることはない。
逆にシーズエレメントからは等級の高い魔結晶が得られる。シーズエレメントは透き通った青色のクリスタルのような生物で、冒険者からは宝箱扱いされている。
「そういやあの時、いつもより湖に魔力が集まってた気が……いってっ! 何すんだ!?」
ヨルンダが冒険者の頭を叩く。
「そういう情報は早くお言い! だから、アンタはうだつが上がらないんだよ!」
「……そんなに重要なことか、これ?」
「勘は鋭いくせに、もう少し頭を働かせな。そうすりゃ、もっと上にいけるだろうにねえ……」
残念なものを見る視線から気まずげに顔を逸らし冒険者の男は頭を掻く。
「これ以上、上を目指す気はないんでね。俺は食い扶持が稼げりゃ、それでいい」
「……まっ、アンタはそれでいいんだろうさ。冒険者として慎重なのは悪いことでじゃあない。命あっての物種だ。慎重すぎるほど慎重でいい」
「俺が新人の時によく聞かせてたなあんた……懐かしい」
「アタシは、アンタの引き際を見抜く眼は信頼してるよ。だから、今樹梢湖はマズいことになってんだろうさ」
冒険者は利に敏い。目の前の男のように人助けをするお人好しもいないわけではないが、儲けのでない仕事はしたがらない。
上から指令を受けたらこなさなければならない浄化師とは違い、冒険者は誰の命令にも従わない。自由である反面、衣食住が保証されることはない。一旦怪我をしたら、再起するのにも金と時間がかかる。全ては運と己の実力次第。
「このことはアタシから報告しとくよ。教団にも情報が行くだろうねえ……」
「助かる。怒られんのは御免だからな。でも、あんた冒険者ギルドに情報を売るつもりだろ」
「何聞いてんだい、報告だよ。売るなんて真似はしないさ、信頼を買うだけだよ」
「ものは言いようだな」
ヨルンダがにやりと悪ガキのような笑みを浮かべると、冒険者は苦笑いする。
「それにしても全部、教団任せか?」
「そうだよ、治安維持は向こうの仕事だ。ダンジョンは誰のものでもないからねえ……」
含みのある笑みを浮かべるヨルンダに冒険者は呆れた顔をする。
浄化師のみしか行けない封印の魔宮などのダンジョンとは違い、樹梢湖はどこの所有のものではない。
「溢れ出したジェルモンスターで近隣の村からも被害が出てるって話だしな……」
「そっちは自警団が対処しているようだよ。近々原因を探るために教団の方から調査団が派遣されるそうさ」
冒険者が殆ど常連だけあってさすが耳聡いと男は感心する。
「……どんなに弱いやつだって徒党を組めば厄介なものさ」
独りごちるヨルンダに男は感じ入るものがあったのか深く相槌を打つ。
ヨルンダは他の客に呼ばれ話は中断し、男はピクルスをつまみながら酒を存分に味わい始める。酒場の夜はこれからなのだ。
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正義
とても簡単|すべて
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つい最近のことだ。
教皇国家アークソサエティ薔薇十字教団本部に身柄を拘束された、終焉の夜明け団に属しているジルド・タッツー・トリデカ、およびマダム・タッツーの極刑が決定した。
彼らはアールプリス山脈の根本にある小さな村に住んでいた村人――おおよそ20名を殺害。
浄化師により調査の末、捕えられた後、危険である報告のもと詰問を行い、すべてにおいて黙秘を貫いた。
マダム・タッツーの手がけたと思われる、すべてのマドールチェは速やかに討伐が行われた。
正義は遂行されなくてはいけない。
今回、マダム・タッツー、ジルド・タッツー・トリデカの極刑における、それを阻止しようとする魔術師の襲撃などの警戒をして、教団近辺を対象とした警備を行う指令が発令された。
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「マダム・タッツー……ごめんなさい。俺が我儘を口にしたから、俺が、アリラを……救いたいと思ったから……浄化師たちとの闘いを途中放棄してしまったから。けど、彼らのことを殺したくないとも俺は思ったから……本物になれなくて、弱いからあなたからこんな目に合わせてしまって……あなたは俺に涙もくれたんですね。……ごめんなさい。ごめんなさい、マダム……母さん」
ジルド・タッツー・トリデカは泣きながらそれだけ告げると、極刑を受けた。
彼の罪は裁かれるべきものだ。
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正義は遂行されなくてはいけない。
薔薇十字教団――浄化師たちと共に、世界の救済を遂行する存在だ。
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それはひと夏の怪奇譚。
ソレイユ地区、チェルシー植物園から少し離れたところに、お化けヒマワリは咲いている。見た目は普通にヒマワリだ。だいたい百メートル四方くらいの範囲に、二メートル前後のヒマワリが密集して咲いている。その一画を、近隣の人々はお化けヒマワリと呼ぶ。
いつ咲き始めたのか。誰が管理しているのか。誰も知らない。
ただ、ひとつ。実に夏らしく、薄ら寒くなるような噂が広まっていた。
曰く。
お化けヒマワリに入ると、出てこられない。
おかしな話だ。ヒマワリは百メートル四方にしか咲いていない。確かに背は高いが、まっすぐ歩けばすぐに出られてしまうだろう。それなのに、出られない。
上から覗きこめばいい?
残念なことに、どれほど背伸びをしても、どれほど背の高い人でも、お化けヒマワリに入るとヒマワリより高い位置に顔を持ってくることはできない。
もっとも、お化けヒマワリに捕まるには条件がある。二人で入ること。ひとりだったら大丈夫。
二人で入ると、いつの間にかひとりきりになっている。これがお化けヒマワリに捕まった証。
すぐそばにいた人の声は聞こえず、姿は見えない。ヒマワリの中、ひとりでさ迷い歩くことになる。
脱出?
簡単だとも。二人で入って、どちらかが秘密を告白すればいい。どのような内容でも構わない。昨日のお菓子、こっそり食べたのは私です、とか。もちろんもっと重い内容でもいい。
相手が知らないことを口に出す、というのが大切なのだ。
以上がお化けヒマワリの噂であるわけだが。
さて、これが真実なのかどうか。ぜひ確かめてきてほしい。
夏が暮れて花が枯れれば自然と掻き消える怪奇譚の真相を、夏の最中に暴くことはきっとできないだろうけれど。
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暑い夏。僕は阿鼻叫喚を聞いていた。
もう少し具体的に言うと、怪我をしたパートナーを迎えに病棟を訪れていた。
教団の医療機関――病棟は、様々な怪我人が運ばれてくる場所だ。
小さな怪我から、戦闘での重傷まで。対応できる治療は幅広い。
多くの医療スタッフがせわしなく、患者の対応に追われていのはいつものこと。
浄化師であれば遅かれ早かれ、一度は来る所と言えた。
その中の一角から、聞きなれた叫び声。
「いやぁああああ! やめてぇええ!」
「注射はいやだぁああああ!!」
「帰る、かえるぅ……ぎゃぁあああああ!」
僕のパートナーの声だ。
結構な怪我であったはずだけれど、思っていたよりは無事らしい。
治療室の壁越しにでも、彼女のいつも通りの声がはっきり聞こえる。ちょっと元気すぎるほどに。
ああ、無事ならよかった。指令で子供を庇って怪我をした時はどうなる事かと思ったけど。
……とはいえ。医療機関ではお静かに。
「僕の連れが、すみません……」
待合室で彼女の治療処置を待つ僕は、冷たい目線をひやりと感じていた。
けど。それ以上に、君を待つ心は温かい。
「お待ちのパートナーさん。怪我の処置が終わりましたから、今日のうちに帰れますよ」
と、医療スタッフが教えてくれた。胸を撫で下ろすと周囲にも似たような人たちが居た事に気がついた。
恐らく新米の浄化師だろうか。
僕と同じで、パートナーの治療を待っているように見える。
最近は海でひと悶着あったらしいし、そうでなくても浄化師が怪我することは珍しくはない。
自ら来たのか、パートナーに連行されたのか……はたまた、僕のパートナーのようにナイチンゲール・アスクラピアに見つかって連行されたのかはわからないけど。
もうじき治療室の扉が開く。
大嫌いな注射を乗り越えたパートナーはどんな顔をしているだろうか。
幸い、今日は休暇をとっている。頑張った彼女をねぎらって、甘やかすのも良いかもしれない。
そういえば、街にオムライスとパフェが美味しいレストランが出来たと言っていたっけ。連れて行ったら喜んでくれるだろうか。
そして周りの浄化師達は、どう過ごすのだろうか。
パートナーの傍にいるのも、いないのも、きっと浄化師ごとに違うのだろう。
けど、出来る事ならば。
ただでさえパートナーが怪我するなんて不幸があったんだ。
これからの時間くらい、互いに良い日になったらいいな、とこっそり思っている。
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