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ソレイユに流れる綺麗な小川。その源泉となる滝が、この深く生い茂る緑の先にある。
「さすがに夜は暗くて不気味ね……」
「普段は観光地として賑わっている分、余計そう感じるのかもしれないな」
男女のペアがぴったり寄り添い、ランプ一つの灯りだけを頼りに徐々に深くなる森の中をゆっくり進む……。
「――キャっ!」
「っ……大丈夫?」
「え、ええ……滑っただけみたい」
「そ、そうか……。この辺りは滑りやすくなっているから気をつけて」
不安げに腕を絡めて来る彼女の体をしっかり支えて歩くが、正直この状況は怖い。
辺りは真っ暗、自分達以外人っ子一人居ない所為か異様に静かで……。
「ねぇ……今、何か聞こえなかった?」
「!? な、何かって……?」
言葉を切れば、ザワザワと風に揺れる木の葉の音さえやたらと耳につき、要らぬ恐怖心を煽られる。
「………た、ただの風だろ……」
「そう、かなぁ? 後ろから何か聞こえた気がしたんだけど……」
「っ! 多分、次のペアが追いついてきたんだろ」
後ろを振り返ろうとする彼女の手を強引に掴み、少しペースを上げて先へ進む。
「もしかして、怖がってる?」
「俺が!?……まさかっ、肝試しなんて子供のお遊びだぞ」
「その割には……――ひゃ!」
「うわっ!? 今度は何だっ?」
「そこに白い影が……っ」
「はあ!? ――ど、どこだよ……ッ?」
「ほら! あそこに!」
「――ヒっ!」
「………あ、なぁんだ……ただの布切れじゃない」
ランプを近付けて確認すると、長く伸びた木の枝に、ゆらゆらと夜風に揺れる白い布。
仕掛け人がわざと括りつけたドッキリだ。
「こういう単純なのがやたら怖かったりするのよね。さっきの青白い火の玉だって、仕掛け人のおじさんが棒と紐で操っていただけだったし」
「…………」
「ちょっと、大丈夫?」
彼女に顔を覗き込まれ、漸く自分が尻餅をついていたことに気付いた。
「ハァ……恥ずかしいところを見られたな」
今更格好付けても仕方がない。
立ち上がってズボンについた土をぽんぽんと掃い苦笑いを零す。
「怖い事が恥ずかしいなんて思わないわよ。男でも女でも、怖いものは怖いもの」
気にしていないどころか受け入れてくれる彼女に安堵する。
「……そうだな。ありがとう」
「それじゃあ急ぎましょう? 滝の水を汲んだらゴールは直ぐよ!」
途中、幾度となく悲鳴を上げては「吃驚した~」と笑い合う二人。
そして漸く、高所から落ちる水の音が聞こえてきた。
ルール通りに水筒に滝の水を汲み、帰りは別の道を通って戻る――。
「っ!」
不意に彼女がピタッと立ち止まった。
「どうした?」
「今、何か聞こえたのよ。何かを引きずるような音が……」
「ま、まさかだろ……?」
恐る恐る振り返るが、視線の先は闇に閉ざされていて何も見えない。
「気のせいじゃないのか?」
「そんなことないわ。だって、来る時に聞こえた音と似てるもの」
「きっと仕掛け人が俺たちを怖がらせようとしてるだけだよ。ゴールは直ぐそこだ。急ごう」
また歩き出して数メートル進んだ時。
――ザザ……ザザ……。
「な、何の音だっ?」
「ね! 聞こえたでしょう? この音よ、私が聞いたのは!」
兎に角急ごうと彼女の手を引いて走り出すが……。
――ザザ……ザザザザ……。
明らかに背後の音も速度を上げたようだった。
そして、何かに肩をガシッと掴まれ、―――。
「っ!!!!??」
「きゃぁぁああああ!!」
――翌日。
怖すぎる肝試しだという噂が村中に知れ渡り、それは教団にまで届けられたのだった――……。
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「あっちーぃ」
指令受付口のロリクが顔をしかめた。汗がだらだらと流れている。
確かに、とても暑い。
だって、夏だもの。
あつい。
だるい。
やる気がでない。
「こんなのだとやる気にもならないな」
まったくです。
「ということで仕事だ」
……言ってることと、やっていることがわりとズレてませんか。ロリクさん!
「話は最後まで聞け! 今回、お前たちに回す仕事はヴァン・ブリーズの巡回だ」
汗をだらだらかきながらロリクがにやりと笑った。
「ヴァン・ブリーズは中心部から北部にある部分で、市民階級が中心でわりと穏やかな土地だ。
ちなみに海に面しているから遊覧船や水族館などのレジャー施設、海産物が比較的多い。
まぁ、そのぶん、この季節には観光客も多いから注意はいるが、巡回中に観光の一つをしたり涼んだりしてもいいぞ~。
これは俺からのお前らのサービスだ。暑さでやる気もおきんだろう?
少し涼んで、リフレッシュしてこい。そしたらまたばりばり働け!」
にこりとロリクは笑って言ってくれた。
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ピクシー。
それは、人間のように森に集落を作って暮らしている種族である。
人里に現れて、悪戯をしたり人間と遊んだりと人懐っこい個体が多い。
「ふわふわ~ひらひら~。今日は、誰と遊んでもらおうかな?」
カノンも、そんな悪戯好きなピクシーの一人だ。
鍾乳洞の奥で、今日も人間に悪戯をしようと企んでいた。
「……困ったな」
「……はい」
その日、教団である噂を聞いたあなたとパートナーは、鍾乳洞内で途方に暮れていた。
ここは、教皇国家アークソサエティの南部に位置する大都市ルネサンスに存在するクローネ鍾乳洞。
最近、クローネ鍾乳洞の奥で不思議な現象が起きている。
その話の真相を確かめるためにクローネ鍾乳洞を訪れたあなたとパートナーは、鍾乳洞の奥で蒼く光る鍾乳石を発見した。
「何かしら?」
パートナーがそうつぶやいて、鍾乳石に触れたその時である。
ポン、とクラッカーでも鳴らしたような、どこか可愛らしい爆発音が洞窟内に響いた。
同時に二人の周りが霧に包まれる。
(何が起こったんだ?)
緊張で研ぎ澄まされた耳を、唐突に弾ける声が打つ。
「えっ? 何これ?」
それは薄暗い洞窟には不釣り合いで、可愛らしさを感じさせる声だった。
聞き覚えのあるその声に、あなたは思わず、目を見開く。
そこには、パートナーが困り果てたようにおろおろしている。
しかも、パートナーには何故か、妖精のような羽が生えていた。
――いや、パートナーだけではなかった。
自分にも、同じように羽が生えている。
しかも、まるでピクシーの大きさになってしまったように、先程までの鍾乳洞が広く感じた。
なんだ、なんだ。
何なんだ。
これは――。
驚きのあまり、悲鳴を上げることもできず、あなたは糸が切れた操り人形のようにその場に崩れ落ちるしかできなかった。
「浄化師さん達だ~」
そんな彼らの様子を、カノンが楽しそうに見つめていた。
こみ上げてくる喜びを抑えきれず、カノンはにんまりとほくそ笑む。
「浄化師さん達もまさか、これが私の仕業とは思わないわよね」
「君の仕業なのか?」
その時、やや冷めた声が上から聞こえてきた。
カノンが恐る恐る顔を上げると、カノンのいる場所まで飛んできたあなたとパートナーが目の前に降りてきた。
「あっ、ばれちゃった……」
決まりの悪さを堪えるように、カノンがおろおろとしながら口元に手を当てる。
「どうして、こんなことをしたんだ?」
「それは――」
痛いところを突かれて、カノンは言葉を詰まらせる。
「悪戯してごめんなさい! でもでも、私、友達がいなくて、誰かと一緒に遊んでほしかったの!」
あなた達が態度で疑問を表明していると、カノンは手を合わせて謝罪した。
そして、鍾乳洞内を指し示す。
「だから、その……浄化師さん達、お願いします! 私と一緒に遊んで下さい!」
「なっ!」
「ええっ!」
さらりと告げられたカノンの衝撃発言に、あなた達は輪をかけて動揺した。
どうやら、しばらくは、このままの状態が続くようだ。
しかもその間、カノンと一緒に遊ばないといけないらしい――。
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「お前たちは東方島国ニホンの文化を知っているか?」
唐突に指令受付口でロリクが聞いてきた。
「ロスト・アモールが開戦直前から鎖国していたが、それを解いて浄化師がやってきたり、支部ができたりしたんで、まだ完全にわからないことも多いんだよ。
エド? キョウトとか、セップク? ハラキリ? テンプラはおいしいらしい。なんでも高熱でいろんなものをあげるとか……怖い文化だな」
ロリクはとりあえず、ニホンの知っている単語をぽんぽんとあげていく。彼自身は異文化に大変興味があるらしく、あれこれと手をつかって調べているらしい。
「ん、ああ、いきなり、その話題を出したのは……ヴァン・ブリーズにジンジャがあるそうなんだ!」
ヴァン・ブリーズは中心部から北部に位置し、海面よりも低い土地に存在する地区だ。
海に面しているため、海産物が比較的多く存在している。
「いや、なんでも旅好きの貴族どもがニホンの神事を執り行う社をたてようなんてほざいてたてたらしい。
現在はハツモウデ、擬似結婚式とか体験できる場所らしい。巫女服や十二単などの貸衣装もあるらしくてなぁ……。
ただこう、見様見真似のせいで間違っているところもわりとあるらしい」
ロリクは苦笑いをこぼした。
「で、お前たちにそのジンジャの一つに行ってきてほしいんだ、ジンジャらしいイベントを体験してきてほしいんだよ。
実は……今回の依頼のジンジャをたてた貴族っていうのが俺のダチでな。ニホンの文化をもっと広めたいとかのたまわってな。
確か、浄化師のなかにはニホンの者もいるだろうから、よろしくーとか言い始めて……とりあえずジンジャのイベントを楽しんでくるといい。
もしイベントでこういうのがあればいいと思えばまとめて出してくれ。あとテンプラ……油であげる拷問なのか本当に……お土産よろしく」
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「お前ら、猫は好きか?」
指令書の発行を行うロリクはいつものいかめしい顔をでれでれに溶かしてそんなこと聞いてきた。
え、やだ、なに、これ、こわい。
そう思った浄化師たちの返事なんぞ、彼は聞かない。
「そうか、そうか、好きか? 俺も好きだ。仕事が忙しすぎてついうっかりネコカフェに通えなくて軽くストレスフル過ぎて暴れそうになるくらいに」
はい?
「ということで! 今回は! 猫だ!」
はい?
意味がわからない。そう言おうとした瞬間、
にゃあん!
猫である。
真っ黒い毛の猫がロリクの横に現れる。黒猫はにゃんと鳴いた。――しっかし、このネコ。でかい。だいたい二頭身くらいあるデブネコ。それがいきなり現れてびっくりした。
「にゃんこはにゃんこなのだー! えらいのだぞ! えっへん」
しゃべった。
ネコといわれる種族は九つの命を持っているといわれ、四つ目以降からはしゃべることができる……とは聞いた。聞いたが……。
でっぷりとした黒猫はえっへんとしゃべりだす。
「くろにゃんこといいますにゃあ。今回はおまえたちの力、にゃあん! ツルツルどもはじめまし」
「ああん、もふもふもふもふもふ」
「やめろにゃあ、わぁん、なんだなゃあ、このツルツル! おまえたち、助けるにゃあ!」
仕事に疲れたロリクがご乱心してる!
まぁ、そんなこんなで。
「実は……仲間を探してほしいにゃあ。にゃんこの仲間、何人かいるにゃあ。けど、最近、仲間の姿が見なくなったにゃあ」
くろにゃんこがめそめそと、ひげを震わせて、大きな目から涙をこぼして鳴いている。よほどに仲間のことが心配なのだろう。
そこに。
「許せないだろう! こんな人類の宝に対して! お前ら、全力で探して、この件にかかわっているだろう敵を特定、必ずや捕獲し、俺の前に引きずり出してこい。大丈夫だ。殺すようなことはしない。地獄は見せる。あ、もちろん、助けたにゃんこはもふるぞ! 連れてきてくれ」
あー、ロリクがご乱心してるー。
落ち着いて? 落ち着いて。ねぇ、落ち着こう? だめだ、こいつ、どうにかしないと。
「にゃんこたち、普段はリュミエールストリートにいるにゃん。夜のお店でごはんもらってるにゃん。そこを一緒に探してほしいにゃん。
うう、にゃんこの友達も、夜にいつも酒場にごはんをもらいにいったにゃん。いつもみたいにごはんをもらっていたのにゃ。
そしたら黒い服をきたツルツルと、お酒の匂いをさせたツルツルたちが三人いて路地から出てきて袋に仲間をつめたにゃあ! 今日までににゃんこの仲間、五匹ぐらいいなくなったにゃあ」
先ほどからツルツルといっているのは人間のことらしい。まぁ、ネコと違って毛がないもんなぁ、人間は。
「にゃんこの話を聞く限りだと、野良猫だけを狙った犯行のようだ。そのうえ、数匹ほどいなくなったという証言を信じるとしたらどこの建物のなかに捕えているんだろう」
もふもふもしながら、真面目な話をしないで、ロリク。あなた、疲れてるのよ。
「ああ、いやされるぅ~。……で、真面目な話、『四つ目以降の命』を持つネコは魔術道具の材料になる。話しから察して、終焉の夜明け団……または協力者もかかわっているみたいだな。
生物捕獲をするやつは、わりと戦闘能力が高い魔術師である可能性があるから、注意しろ。あー、もふもふもふもふ」
「もういいかげんにするにゃあ! こいつ、どうにかするにゃあ!」
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夏の大きな雲が、広い青空に浮かんでいる。手入れをされた冬服はクローゼットに仕舞い込まれて久しく、洗濯物は半日ですっかり乾くようになった。家々の窓からは物干し竿が突き出し、色とりどりのタオルやシャツをはためかせている。野山の緑は今を盛りと眩く輝き、強い日差しは石畳の白と影の黒との美しいコントラストをあちこちで生み出していた。
あなたたちが訪れたのは、ソレイユ地区アールプリス山脈のふもとにある小さな町。任務を終えたあなたたちは、久々の休暇を利用して遠出していた。町を歩いていると、街路樹で日差しを遮られたテラスのあるカフェを見つける。そこに空席があることを確認したあなたたちは、そのまま席に座って給仕を呼んだ。彼はライムを絞った水をあなたたちにサーブし、メニューを置いて店内へと戻る。穏やかな葉擦れと、近くの広場で演奏される音楽を聴きながら、あなたたちは注文を考える。穏やかな夏の一日だ。あなたたちはメニューから一旦顔を上げ、店の雰囲気を知るためにテラス席を眺めていると、この場所にあるはずのないものが視界に飛び込んできた。あなたたちは目をぱちくりさせ、互いに顔を見合わせてもう一度「それ」を見る。間違いなかった。はす向かいの席で一人座っているのは、普段司令部で受付をしている教団員だった。
「あー、浄化師さんですかあ。どうしてこんなところに……」
普段は溌剌としているはずの彼女が、今日は海岸に打ち上げられた海月のようにぐったりとしている。それはこちらの台詞だと言わんばかりに、あなたたちは同じ質問を返した。
「私は早めの夏休みです。司令部の人間が同じ時期に休暇に入ったら、皆さん困っちゃいますからね。でもそれが、どうしてこんなことに……」
彼女はすっかり温くなったレモネードのグラスを握って、遠くをぼんやりと眺めている。どうやら彼女には深刻な問題がありそうだった。しかし、彼女は何故休暇中に制服を着ているのだろう。彼女はそこまで仕事熱心なのだろうか。そう考えたあなたたちは、席を移動して彼女の話を聞くことにした。注文はとりあえず、シャーベットを二つにした。
「せっかくのお休み中にすいません。なんか邪魔しちゃったみたいですよね……」
休暇中の教団員は、追加のバニラアイスをスプーンの先でつつきながら話す。やはり今日の彼女は精彩を欠いている。少しずつ、しかし着実に溶けていく彼女のアイスを見ながら、あなたたちは考えた。給仕の男性がシャーベットを二皿運んでくると、あなたたちはそれを一口食べる。滑らかで程よく甘い氷が口から喉へするりと落ち、体を内側から冷やしてくれるようだった。
「先ほどもご説明しましたけど、私は休暇でここに来ていました。でも今、ちょっとした仕事に巻き込まれてまして……」
消え入るような声で彼女は言う。アイスクリームのてっぺんに乗ったチェリーが、皿の上にぼとりと落ちた。旅行先で仕事に巻き込まれるとは、これ以上ない災難と言っていい。休暇中と言った割には制服を着用していることについても、これで腑に落ちた。あなたたちは彼女に深く同情する。地元産の果物を使ったシャーベットは、後味がすっきりとしていておいしかった。次は店主こだわりのブレンドという触れ込みのアイスコーヒーでも頼むべきだろうか。あなたたちはメニューを開きつつ、彼女の話に耳を傾けた。
「実は今、町の周辺である生物が大量発生してるんです。カリュウモドキって言うんですけど」
彼女は鞄から一枚の紙を取り出し、あなたたちに見せる。そこには一般的に「ニセサラマンダー」と呼ばれる生物のスケッチと、その生物の特徴が印刷してあった。そういえばテラスの掲示板にも、同じ紙が貼られている。彼女の口にしたカリュウモドキというのは、正式な名前なのだろう。
「全ての生物には魔力回路があって、魔力(マナ)を生成する器官があることはもうご存知ですよね」
いつもの調子を少しだけ取り戻した彼女は、受付をしている時と変わらぬ口調で説明を続ける。
カリュウモドキはその名の通り、火気の魔力を多く持つ、トカゲのような姿の生物だ。体長は5~8センチほど、くすんだ赤煉瓦のような体色で、噴出孔と呼ばれる部分は燃えるような赤色をしている。カリュウモドキは一般的な生物で、日当たりの良く乾燥した場所に多く生息するが、数が多くなりすぎると山火事や森林火災の原因になることもある。そのためアークソサエティでは、カリュウモドキを見かけることが多くなった場合、教団へ連絡を入れるよう通達されていた。
町でカリュウモドキが増えたという連絡が入ったのは三日前。教団は捕獲班を編成して現地へ派遣し、彼らと共に現地や周辺に居る教団員が捕獲を行うことになっている。一週間前から休暇でここへ来ていた彼女も、それに巻き込まれたというわけだ。
「皆さんにお手伝いいただきたいのは、このカリュウモドキの捕獲です。道具はこちらで貸し出しますので……」
声の調子が次第に下がる彼女に、あなたたちはいくつか質問をする。
「これは休暇中の任務ということになりますので、教団から申し訳程度の手当てが支給されます。滞在中はデザートを一品増やせるくらいですね……。お手伝いいただける場合、書面での手続きは私のほうでしておきます」
彼女はすっかり溶けたアイスをスプーンに掬い、ぼんやりと口に運ぶ。長期休暇を邪魔された彼女の消沈ぶりは、見ているだけでも辛かった。あなたたちは注文したアイスコーヒーを飲む。夏にふさわしいすっきりとした味わいで、フルーティーな芳香が口の中に広がっていく。店主こだわりという触れ込みも頷ける。ところで、捕獲したカリュウモドキはどうなるのだろうか。あなたたちはそれを尋ねると、彼女はどこか遠くを眺めて言った。
「さあ……。そこまでは聞いてないですけど、調査した後は魔術道具とかの材料にでもなるんじゃないんですか……」
うわの空の彼女は、アイスのトッピングだったはずのチェリーをスプーンの先でころころと転がす。シロップ漬けのその果物は今や、かつて氷菓子だった乳白色の水たまりの中に沈んでいる。魔術道具は用途に合わせて様々な種類があるが、機密扱いのため製造方法は公表されていない。カリュウモドキは特殊なポーションの材料に使われているという噂もあり、彼女はその事を言っているのだろう。あるいは彼女は暑さと休暇を失ったショックでうわ言を口にしたのかもしれないが、今このことはどうでもいいはずだ。
あなたたちはコーヒーを飲み干すと、彼女に協力を申し出た。薔薇十字教団に所属する者は皆、世界救済のために昼夜を問わず連日働いている。だからこそ、教団員の休暇は守られなくてはならない。彼女は涙ぐみながら何度も感謝し、捕獲班本部が設置されている町役場に午後から来るようあなたたちに伝えた。行動開始は明日以降だが、手続きに自筆のサインが必要らしい。
あなたたちは彼女を励まし、決意を胸に再びメニューを開く。そうと決まれば腹ごしらえが必要だ。今日の昼は何を食べようか。ソレイユ地区での休暇は、まだ始まったばかりだった。
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無事に指令を終え、報告のため教団に戻ったあなたとパートナーに声をかける男がいた。
「ごくろうさん。なぁ、小腹すいてないか?」
コック服に身を包んだその人物は、薔薇十字教団の教団寮で腕を振るう料理人だ。
「氷菓子、食わねぇ?」
よく見れば、彼は一般的に普及している魔術道具、多目的発氷符で作った氷をつめた、保冷効果の高い箱を両手で持っていた。中には氷の他に、氷菓子らしきものが入っている。
「暑い夏を乗り切るために、新作の氷菓子を考えろって料理長に言われてさ。今、試行錯誤の最中なんだ。これは失敗作。でも味の保証はするぜ?」
片手で保冷箱を持ち直し、見習いらしき料理人は無造作にひとつ、氷の中から引き抜いた。
横に少し長い長方形の、透明の氷菓子だ。ひと口大に切られた干した果物が、ただの氷にも見える冷たい菓子に彩を添えていた。
木の棒が二本刺さっており、半分に割れるよう真ん中に真っ直ぐ溝が作られている。涼やかでおいしそうな見た目だった。
「砂糖水の中に干した果物を混ぜて、凍らせてあるんだよ。面白いかなって思って、二人で分けられる形にしたんだけど、評価はイマイチって感じでさぁ」
よほど自信があったのか、まだ二十代半ばに見える料理人は肩を落とす。
「ってわけで、好きなの持ってけ」
時刻は夕暮れ、夏の最中。
パキンと二つに割れる氷菓子を、浄化師は押しつけられるような形で手にすることになった。
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「そうか、もう七夕か」
ふと聞こえて来たのは、道行く人々の話し声。
そう。今日は――七夕。
織姫と彦星の二人のように願い事が叶うよう、短冊に各々の願い事を書いて、笹や竹の葉に飾り付ける行事だ。
広場や公園には沢山の人が集まっている。
老夫婦に新婚さん、幼い兄弟に姉妹、家族で、と。
皆それぞれの大切な人たちとのひと時を楽しもうと、普段は見られない程の人々で賑わっている。
そんな七夕祭りに訪れるのは、まだまだ恋愛には初々しい男女のパートナー。
折しも教団の仕事がないということで、「楽しそうだから、せっかくなら」と参加することを決めたのだ。
ただ。
『ずっと一緒にいられますように』
『どうかあの人と結ばれますように』
『世界平和!』
ちらと目をやった、もう既にくくりつけてある願い事の数々。
他の人たちのそれらを見た後だと、いざ自分たちのお願い事をしたためんとしても、具体的にどうとは、少しばかり恥ずかしくて書きにくい。
かと言って、それぞれが抱くことならあるにはある。
もう少しあれを――もう少しそれを――と思う程度のことなら、口に出したことはないけれども感じていた。
だから願うのは、あまり贅沢はしない、二人分の手で足りる願い事。
今すぐにでも叶うような『ちょっとしたお願い事』を考えるのだった。
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夏。
老若男女、種別も問わず、太陽の下で肌を輝かせて水と戯れる観光客たちの姿で、ベレニーチェ海岸は今日も盛況である。
しかし、
『きゃー! 誰か! 誰か助けてっ!』
『“ゲリアル”よ! ゲリアルが出たわっ』
人々の平和な時間を破壊しに、恐るべき“ゲリアル”たちが次々に現れたではないか。
『ふっふっふ、オレ様は大事に取っておいたアイスをおふくろに食われた恨みで魔物となったゲリアル! 今すぐ貴様らから全てのアイスクリームを奪ってやる』
『わたくしは夏だというのに恋人も出来ずに、目の前で暑苦しくイチャイチャイチャイチャしやがる不届き者を滅却する為に生まれし魔物! 覚悟しなさい、愚かな生き物たち。爆発しなさい!』
まるで花の蜜に吸い寄せられる虫のように。
人々が砂浜で放っていた幸福感たっぷりのオーラに釣られたのか、わらわらと出現し、そして卑怯にも人質をとるゲリアル。
恐怖から泣き出す子どもたち。
寄り添っていた恋人と引き離されるカップル。
海岸一帯に絶望が満ちようとしたそのとき――
『待てぃ!』
観光客と同じく水着に身を包みつつも、精悍な目をした数人がゲリアルたちの前に躍り出た。
彼らからは、そのやや狭い布地の面積では覆い隠せないほどの正義感が迸っている。
『き、貴様らはまさか……』
『そうだ! こんなこともあろうかと完全に一般市民に擬態して海で遊びながら片時も油断することなく様子を窺っていたエクソシストだ!』
『く、くそ……まさかこんな場所も抜かりなく警護していたとは……! ええい! ここで決着をつけてやる!』
「――っつー感じでこのあとはちょっと派手めにアクションシーンやってもらってえ、なんなら水鉄砲とかでお客さんも濡らして盛り上がってえ、好きにアドリブもやってもらって無事に人質も解放して勝利してハッピーエンド! みたいなヒーローショーをやればさ、お客さんも安全性を再確認してまた例年通りに遊びに来てくれると思うわけよ。ど? ステージならほら、去年まで水着コンテストとかで使ってたやつをまた組み立てればいいじゃん? もちろんエクソシストの人たちには報酬も支払うしさ。まあマイクなんかはないし設備もほとんどないようなもんなんだけど」
水と戯れる観光客たちの姿がまばらにしか目視出来ない、現実のベレニーチェ海岸。
客寄せの為の案を仲間に披露して、海の家のオーナーである男性は満足げに胸を張る。
聞かされた従業員はやや困ったように眉を下げながらも、じゃあ一応教団のほうに頼んでみましょうか、と請け負った。
「来て下さるといいんですけど……」
「でももう告知しちまったからなあ」
「……、はい?」
「いやだから、もう日時も決めて告知しちまってるから。出演者にはほぼぶっつけ本番で頑張ってもらうことになっちまうんだよ」
「ええええぇぇえ?!」
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太陽の光が強くなり始めた季節。
額に滲む汗を拭いつつ、あなたは背すじを伸ばす。パートナーはとなりで恨めしく空を仰いだ。
「はー、あっつ……」
「ちょっと、だらけないでよ」
「そうは言ってもなあ」
うちわ代わりに、と手で扇いでみるものの焼け石に水だった。
今日、あなたとパートナーはベレニーチェ海岸に来ていた。と言っても、観光や海水浴目当てではない。
地中海に侵入したというベリアルの情報により、海水浴場として知られていたこの場所には人が寄り付かなくなってしまった。
そんなとき、ブリテンのエクリヴァン観劇場を中心に活動していたひとつの劇団が声を上げた。
『こんな時こそ、人には娯楽が必要なのだ!』
それは、同じく演劇や歌劇を嗜む者に深く突き刺さり。誰もが遠目で眺めるだけのこの海岸に、仮設ではあるが小さな劇場を造ったのだった。
規模は小さいが、しっかり幕もあれば観客席もそれなりに用意されている。
朝は役者や歌手を目指す学生を中心に、夜は有志で集まった劇団や急造のグループが、大粒の汗をかきながらも海辺の舞台に立った。
「ベレニーチェ海岸・夏の演劇祭」と名付けられたその噂を聞きつけ、やがて人の足も最初に比べれば増えるようになった。
「だけど、ベリアルに対する不安が無くなったわけじゃないし。だからわたしたちが、少しでも不安を取り除くために、小劇場近辺の警護にあたってるのよ?」
「わかってるってー。ただ、今日が異様に暑いなってさあ」
「いっつもギラギラの太陽みたいに元気なクセに」
「そう言うお前は――」
小劇場を背に、パートナーが口を開き、止まる。
何事かと顔を向ければ、パートナーは何か企むようにニヤリと笑った。
「……まるで水辺に佇む白鳥のように、涼やかな美しさがありますね」
「なっ……」
「あ、今グッときた?」
「バッカじゃないの、劇の受け売りだって丸わかりよ」
ちょうど聴こえてきたセリフを拝借したのだろう。それはあなたの耳にも届いていた。
だが、どうだろう。
パートナーから言われたというだけで、季節のせいとは言い難い熱を感じてしまうのは。
少しだけ背すじを伸ばしたのだって、しょうがないことなのかもしれない。
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