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ルネサンスのヴェネリア地区、ベレニーチェ海岸にセイレーンが現れる。
セイレーンの歌声は美しく、人々の心をとろけさせ、魅了し眠りへといざなうとされる。
指令斡旋をするロリクが渋い顔で告げたのは、セイレーンの伝説だ。
歌声で人々を惑わせ、魅了によって眠りにつかせ、海へといざなってしまう。
「まぁ、この海にいざなわれたら一巻の終わりなんだよなぁ。ここ最近、漁師が魚を捕えようとするタイミングで現れる。漁師たちは一同に幸せな顔をして眠り、そして……目覚めない」
憂鬱な顔で、ロリクはため息をついた。
ここ数日で漁師のほとんどは眠り、目覚めないそうだ。ごく一部――僅かな人数だけが目覚めた。
「目覚めた者には共通点があった。心から信頼する相手に起こされることだ。たとえば親友、恋人、相棒といった心をきつく結んだ相手の切実な言葉と物理的な……んまぁ、殴るわけだよ。それで目覚めているらしい。
まぁセイレーンは魅了持ちだからな。今回は魅了されている相手をそれ以上の魅力でたたき起こすってことだ。もちろん、殴らなくてもなにかしら衝撃があればいいわけだ」
そのあと、というようにセイレーンに対して説明がつけくわえられた。
「このセイレーンの歌、聞くとどうしても眠ってしまう。保有している魔力が多いほど効果が強く、祓魔人は眠りにつきやすいから注意が必要だ。
起きたものがいうには、過去の……なくしたものがなくなっていなかった、正したいと思っていた過去の過ちがなかったことになった未来の夢を、それはとても幸せな夢を見るそうだ。
つまり、今回はセイレーンと戦うが、まず、確実に祓魔人は眠る羽目になる。その間、喰人は海へと引きずり込もうとするセイレーンを制しながら、相棒である祓魔人を起こすんだ。
思わず起きちまうくらいに情熱的な告白をして、相手になにかしら衝撃を与えるんだ。殴ってもいいし、揺さぶるのもいいし、キスしてもいいんじゃないのか?
で、二人そろっていれば難なくセイレーンを倒せるだろう? そうすれば今眠っている人々は起きるだろう。浄化師らしい仕事だろう? がんばれ」
● ● ●
ざ、ざ、ざ……ほの暗い闇の広がりを照らすのは満月。
海の満ち引きのなか、悲しく、美しい声が響く。
その声に誰もが眠りへといざなわれていく。
眠りのなかへ、そして、それは深い眠りへと。
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夕方、海の見える丘にたつ丸太小屋で貧しい夕食をとった後、丘を下って、人影のない海岸をひとりのんびりと散歩するのが、その老人――ガレインの日課だった。
ガレインは孤独であり、また、その孤独を彼自身愛してもいたが、彼とて生涯ずっと寂しい独り身だったわけではない。
老人が、その人生でただ一度本気で愛し、永遠を誓い合った女――エメリアが、流行り病で亡くなって、もう五年になる。月日の流れるのは早いものだ。
ガレインは、エメリアが愛した海のそばに彼女の墓をたて、その墓のそばに小屋を建てて、それを終の棲家とした。
小屋に住み始めた頃、一度犬を飼おうかと思ったこともあるが、結局やめた。
相棒は、こいつだけで十分だ――老人は、腰に下げた長剣をじっと見下ろす。
それは、今より数十年前、老人がルネサンスのコロッセウムで剣闘士をしていた時からずっと使っている愛剣で、彼が剣闘士の身分から解放された時、新たな門出を祝う品として当時の主人から与えられたものだった。
『我が盟友にして、最高の男――騎士ガレインへ』
鞘に納まっている鋼鉄の刃には、そう刻まれている。
剣闘士時代の彼は、その洗練された剣技と、紳士的な戦いぶりから、彼を愛する観客たちから「騎士(ナイト)」の愛称を与えられていたのだ。
ガレインは、剣闘士をやめ、街で大工として働くようになってからも、その武骨で実用的な愛剣を自身の分身のように感じて、いつも肌身離さず持っていた。
「風が、重いな……明け方までに嵐になるか……」
湿った南風の吹きつける夕暮れの砂浜を歩きながら、ガレインが剣に語りかけた、その時――彼の視界の隅で突然黒い影が膨れ上がった。
「………っ!」
瞬時に身の危険を察知した老人は、影の正体を確かめる前にさっとその場から退き、腰の剣に手をやる。
「……コイツは……!?」
夕陽の残り火で紫色に染まった海からのっそりと姿を現したのは、巨大な怪物――紅い眼をもつ青黒いカニのような姿のベリアルだった。
ガレインは、咄嗟に腰から剣を引き抜き、身構えるが、カニ型ベリアルは老いて干からびたちっぽけな人間のことなど気にも留めず、砂浜をのそのそと横歩きしはじめる。
「まずいな……」
ガレインは、ベリアルが向かう先に、かつて彼がエメリアとともに暮らした町があることに気がつき、口元を歪めた。
「そちらに行かせるわけにはいかん……」
ガレインは、素早く剣を振るい、鋭い斬撃をベリアルの脚に打ち下ろす――、が、
ガキンッ……!
老人の必殺の一撃は、カニの恐ろしく硬い甲殻にあっさりと弾かれる。
「くっ……」
しかし、カニ型ベリアルは、ダメージこそ負わなかったものの、、町へ向かうのをやめて、ちっぽけな老人と向かい合った。
(よし……)
ガレインは、小さく笑みを浮かべる。
(ここ数日、このあたりの海岸は、教団の浄化師たちが警戒にあたっている……。ここでコイツをしばらく足止めしておけば、そのうち、彼らが駈けつけて来てくれるだろう……)
カニ型ベリアルの巨大なハサミによる攻撃を左右に躱しながら、ガレインがそう考えたとき――、彼の視界の中にさらなる悪夢のような光景が広がった。
「ばかな……っ!」
彼が相手にしているベリアルの背後に、もう一体、同じカニ型のベリアルが出現したのだ。
バシャバシャと飛沫をあげて海から上ってきたベリアルは、真っ直ぐに町へ向かって悠々と横歩きの前進を開始する。
ガレインは、目の前の敵の相手をするのに精一杯で、もう一体のベリアルはただ黙って見送ることしかできない。
「おのれっ……」
老人が、口惜しげなつぶやきを洩らした時、ふいに、砂浜を遠くからこちらに駈けて来る一団の人影が目に入った。
その瞬間、老人の瞳に希望の光が灯る。
「ようやく来たかっ!」
強力な武器を手に砂浜を一直線に疾走してくる教団の浄化師たちに向かって、老人は大声で叫ぶ。
「コイツの相手は、ワシひとりで十分だ! お前たちは、町に向かったヤツを止めろっ!」
その言葉に、浄化師たちは一瞬戸惑う。
老人の身のこなしからして、相当な剣の達人であることは一目でわかる。しかし、どれほどの達人であっても、魔喰器を持たない者がベリアルを倒すことは絶対にできない。
長期戦になれば、老人はいずれ力尽き、ベリアルに無残に殺されてしまうだろう。
この場で老人とともに戦うか、それとも、ただちに町へ向かったベリアルを追うか――浄化師たちは、苛酷な選択を迫られた。
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七夕祭りが行われているセーヌ川にヨハネの使徒が一体出現。観光客や住民を襲っているという情報が薔薇十字教団に入る。ヨハネの使徒を殲滅せよ。
「ヨハネの使徒だぁー!」
穏やかな雰囲気が漂っていた七夕祭りのセーヌ川の畔に、人々の絶叫が轟く。
観光客や近隣の住民たちで賑わっているセーヌ川にヨハネの使徒が現れたのである。
男集が協力し合い、ヨハネの使徒と交戦するが、全く歯が立たない。ヨハネの使徒は、人々を襲うために、突進を武器にして攻撃を繰り出してくる。必死に交戦する住民たちであるが、徐々に追い詰められていく。やはり、戦闘経験がほとんどないため、このままでは敗北してしまうだろう。
事態を重く見た七夕祭りの運営委員長であるハンス老人は、薔薇十字教団に助けを求める。
このままでは祭りは、滅茶苦茶になってしまう。人々の安全を考えるのなら、ここはエクソシストたちに頼るのが一番効果的である。そのようにハンス老人は考えた。
「薔薇十字教団に助けを求めよう」
と、ハンス老人は提案する。
すると、近くにいた商人が声を大にして言った。
「私が薔薇十字教団に助けを求めに行きましょう。こう見ても足には自信があるんです」
「うむ。では我々は何とかこれ以上被害が出ないように、ヨハネの使徒を食い止めよう。なるべく早く頼む」
「わかりました。では行ってまいります」
そう言うと、商人は韋駄天走りで走り始めた。
商人の足は速く、すぐに薔薇十字教団の門を叩いた。
「助けてください! 大変なんです」
商人の苦しむ声に、教団にいたエクソシストたちが反応する。
すぐさま事情を聴き、対策が立てられる。至急、セーヌ川に向かわなければならない。
一方、エクソシストたちが駆け付けるまで、セーヌ川では有志による戦闘が行われていた。対するヨハネの使徒は一体であるが、やはり戦力差は否めない。じりじりと追い詰められていく。
「ぐぅ。もはやこれまでか……」
ハンス老人が諦めかけた時、とうとう、エクソシストたちがやってくる
ハンスは彼らに駆け寄り、助けを請うた。
「このままでは七夕祭りが滅茶苦茶になります。どうかヨハネの使徒を倒してください」
エクソシストたちは頷くと、ヨハネの使徒との交戦を開始した。
情報が早く伝えられたため、それほど人的被害はないものの、ヨハネの使徒を食い止める必要がある。
セーヌ川では、恒例の七夕祭りが行われており、人の数が多い。まずは、人々の安全を確保するために、ヨハネの使徒と交戦しながら、人々を避難させる必要がある。幸いなことに、ヨハネの使徒は一体のみなので、協力し合えば、人々を避難させ、戦闘を行うのは容易である。
勇気ある人間たちが戦っていたため、今のところ甚大な被害は出ていない。首尾よくヨハネの使徒を倒せれば、再び七夕祭りが催されるだろう。そのためにも、エクソシストたちが速やかにヨハネの使徒を倒す必要がある。
人々を安全な場所に避難させ、同時にヨハネの使徒を殲滅する。それがエクソシストたちに課せられた使命である。健闘を祈る。
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ヴェネリアの青い海辺に面したベレニーチェ海岸。
地中海にベリアルが進入してしまっていると情報が入り、目撃情報からエクソシストたちにも警備の依頼が舞い込んできた。
白い砂浜に面しているだけあって、新鮮なフルーツ、色とりどりの花が咲き乱れている。
現在は警戒されているため、街はいつもよりもずっと人の数は少ないが、普段命がけの指令と向き合っているエクソシストたちには物珍しく、興味をそそられるものばかりだ。
そのなかでも、この地の観光名所として名高いのが【幸福の鐘】だ。
砂浜を進み丘に上がった所へ、恋人達が鳴らすと幸せが訪れるとされる『幸福の鐘』が存在する。
鐘を鳴らすのが別に同性であっても構わないし、友人同士で鐘を鳴らし、友情を深め合う目的で訪れる者も多いといわれているのだから。訪れるものがどんな気持ちで、そこへと赴き、どんなことを語り、どんな経験から、その鐘をとどろかせるのかも自由だ。
現在は警備中だが、その休み時間の合間を縫って、ささやかな観光と幸福の鐘へと向かうことは難しくはない。
どんな音を、どんな気持ちをこめて、鳴らすだろう。
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天高く昇った7月の太陽から燦々と降り注ぐ光を浴びてきらきら揺らぎ輝く、澄んだターコイズブルーの海。海底まで見える透明度の高い海水を無数の魚達が優雅に泳いでいる。真っ白な砂浜が広がるビーチに打ち寄せるさざ波は海水浴客を歓迎しているかのようだ。
ここは『教皇国家アークソサエティ』首都エルドラドより南部に位置するルネサンスの地中海に面した、世界でも有数の美しい海岸『ヴェネリア』のベレニーチェ海岸だ。その有名なはずのベレニーチェ海岸には何故か殆ど人がいない。まるでプライベートビーチのような空間が広がっていた。
その原因は、ここ最近海にベリアルが現れるようになったという報せがあったからだ。人々は不安がり、寄りつかなくなってしまった。現状を改善すべく、浄化師たちは薔薇十字教団より「人々の安全・海水浴場の管理」を命じられ派遣された。市民や海水浴客に安全をアピールすることが今回の狙いであるため、浄化師たちは海の安全を監視しつつ、率先して海で遊ぶこととなった。薔薇十字教団の指令というのは名ばかりで、実際のところは一つの休暇である。日頃より指令を頑張っている浄化師たちへのささやかなプレゼントというわけだ。
浄化師たちは「人々の安全・海水浴場の管理」という大義名分を掲げ、各々行動する。
水着に着替えて眼前に広がるターコイズブルーの海に飛び込む者、浮き輪を浮かべてゆらゆらと流れに身を任してくつろぐ者。砂浜では砂のお城を作ろうと頑張る者、日焼けしないようパラソルの下、椅子を並べて寝そべったり本を読んだりする者もいる。
そんな中、砂浜を進み丘に上がった所へ向かう者もいる。そこには恋人たちが鳴らすと幸せが訪れるとされる『幸福の鐘』がある。友人同士で鐘を鳴らし、友情を深め合う目的で訪れる者も多い有名なスポットだ。稀に隣にある教会で結婚式が行われていることがあるようだ。その光景を見た者は幸せになれるという噂がアークソサエティの若い女性たちの間でまことしやかに囁かれている。
あなたたちに与えられた夏のひと時。海に入ったり砂浜で遊んだりするのも良い気晴らしになるだろうし、パラソルの下でひと休みしつつ丘の上の『幸福の鐘』を鳴らしに行くのも良いだろう。2人の会話も弾むかもしれないし、距離が近付いたりするかもしれない。
素敵な1日になることを祈っています。
最高な夏の思い出を作ってください!
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ローレント・ディーレは夏のある日、森で幸せを探していた。
それは白くてふわふわ。たんぽぽの綿毛のようで、見ると幸せになるらしい。幸運を呼ぶ生き物の名前は、ケセランパセラン。
「いると思うんだよなぁ。だから入っちゃダメなんだろ、分かんないけど」
ソレイユ地区、ピストーラ狩猟場からいくばくか離れた森林の、立ち入り禁止区画だ。狩猟場は今日も盛況だが、その楽しげな声もここまでは響いてこない。
狩猟場の監視員という仕事をこっそりと放棄して、ローレントはケセランパセランを探しているのだった。
「あれが見つかればきっと今年こそ彼女ができて、一緒に海に行ったり、水族館に行ったりできるから……」
誰が保証したわけでもないが、綿毛のような生物の伝承を耳にして根拠もなく確信してしまった素晴らしい未来を胸に、男は意気揚々と邪魔な枝葉を掻き分けて進む。
仕事を放棄した報いだろうか。努力のひとつもせず、他力本願に恋人を欲しがってしまった罪へのさばきだろうか。それとも、ただの不運か。
「……え……?」
開けた場所に出たローレントの前に、化け物が現れた。
「えぇぇ!?」
「ゴゲエエエ!」
けたたましい叫び声を上げ、このあたりを根城としている四体のコカトリスがローレントに殺到する。男は反射的に近くの大樹にのぼった。
オス鳥の上半身に蛇とトカゲの下半身と尾をつけた、全体的に鶏に似た化け物は飛翔することができないらしく、大樹をくちばしでつついたり、ローレンスを威嚇したりしている。
「助けてー! 浄化師様ー!」
情けない悲鳴が森林にこだました。
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ざあざあと、寄せては返す波の音を聞きながら、あなた達はベレニーチェ海岸を歩いていた。
吹く風は、昼の暑さを忘れたような、涼やかさ。
ベリアルが現れるどころか、人の気配もまったくなく。
見上げる空には、黄金色に輝く月。
しかし。
「綺麗だな」
「そうだね」
二人がそう口にした、直後。
「うおっ!」
「えっ!?」
なんと、あなた達は、海岸片隅に掘られていた落とし穴に、すっぽり落ちてしまった。
「くそ、誰がこんなところに……!」
「ちょっと! 今変なとこ触らなかった?」
「は? ちょ、お前こそ今俺の足、蹴っただろ!」
「あ、やめてよ、こんな狭いところで暴れたら……って揉まないで、それお腹だからっ!」
「えっ、胸かと思った……」
「まったく、デリカシーの欠片もないっ!」
「わ、悪い! 待て、落ち着け! 叫ぶな殴るな、暴れるなあああっ!」
狭い落とし穴に、どうやって落ちたのか。
団服を着た二人の体は、すっかり絡み合っている。
落ち着けばあっさり手足をほどいて起き上がれるだろう。
ただ薄闇と、手に触れるあれこれのせいで、なかなか冷静になるのは難しく――。
「あっ、ホントに待って、スカートがめくれっ……」
「おま、そいういうこと言うなよ、言わなきゃわかんねえんだからっ」
強制的に、狭い場所で二人きり。
さあ、どうなるでしょうか。
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良く晴れた日のことだった。
波も穏やかで、風も弱い。深くまで見通せる澄んだ海の輝く地中海。ベレニーチェ海岸の岩場で、男は釣りを楽しんでいた。海水浴場と呼ばれる範囲からは若干外れた、浄化師の目が届きにくい場所で1人海に近づくというのは褒められたことではないだろうが、真昼間、地中海という場所、海水浴場のすぐ近くであれば大丈夫だろうと軽い気持ちで糸を垂らす。釣果が良いとは言えなかったが、男は久しぶりの趣味に興じた。
そして、太陽も傾きそろそろ空は赤くなるかといった時刻。暗くなる前に切り上げようと、男は片付けを始めた。投げていた竿を回収しようとした時。何かに引っかかったように、竿が引かれる。どこかに引っかかったのとも違うようだったが、どうにも回収できない。何とかならないものかと、男は海を覗き込みながら色々と試し、それから諦めて渋々糸を切ろうとした。
その時だ。深い海水の濁りの奥に、糸を掴む白が見えたのは。男によれば、それは「手」に見えたという。青白い、また黒く変色したような手。海の底からいくつか伸びた「手」は縋るように、招くように釣り糸を掴み、ゆらゆらと揺らぎ、ゆっくりと近づくようにも見えた。水底からは何か囁くようにこぽこぽと大小の気泡がのぼって来る。
ぐい、と強く糸が引かれ、竿がしなる。それを持つ男を手繰り寄せるように。彼は釣竿を放り出して逃げ、その足で浄化師へ依頼を持って来た。幸いにも、被害は持参していた釣り具だけだったようだが。
依頼に来た男は動揺しつつ「幽霊を見た」と述べた。良くある怪談話だ。美しいマリンブルーの底へ沈んだ誰かが、まだ「此方」にいる誰かを手招く話。浄化師諸君には、その白い「手」の正体を確かめ、ベリアルかそれに準ずる何かなら討伐してもらいたい。
健闘を祈る。
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可憐な星々が、夜空に踊る。
街は七夕で賑わっていた。
出歩けば家族からカップル、あるいはそんな仲を羨む人まで。様々な人がこのイベントを楽しんでいる。
七夕。ズラミスとサラミという仲睦まじい夫婦が亡くなって尚巡り合う為に、星屑を集めた物語。星で出来た橋によって、2人は再び出会い、結ばれるのだ。
その文化に、ニホンから笹と竹に短冊を飾る催しが入ってきたことにより、現在のスタイルが確立したといわれている。
ある公園では、七夕に合わせて願い事を書いた短冊を笹に飾る催しが行われていた。
参加はもちろん無料で、後日、笹を飾りごと川へ流すのだと言う。
屋台なども出ており、星にちなんだお菓子や料理が振舞われていた。
楽しい時間に、大勢の人の顔がほころぶ。
しかし、雑多な人並みの中に、浮かない顔をした少女の姿がまぎれていた。
「一緒に七夕のお祭り来ようって言うたやん……」
涼しい夜風に、彼女の髪がなびく。寂しげに呟く少女は、どうも彼氏に約束をすっぽかされたらしい。
折角お洒落してきた洋服も、頑張って結った髪も、彼がいないとなれば台無しに思えた。
いや、もしかしたら、約束を守らなかったのは今回だけではないのかもしれない。
悔しくて、寂しい。彼女の表情によく現われていた。
これなら友人と出かければよかったか。
いや、それともまた別の人と……?
じゅわり、と浮かぶ涙を拭うと、七夕用の短冊を配る列に加わる。
短冊を貰うと。彼女はとても悔しそうに、そして自棄を起したように短冊へ文字を書きなぐった。
『今のパートナーと違う人と結ばれたら、どうなるか知りたい』
名前を書き忘れた短冊を、彼女は笹の最上部近くへと何とか結びつける。
そして念押しするように両手を合わせお願いすると、少女は屋台の方へと消えていった。
その夜、彼女は違う恋人とデートする夢を見るのだが――――。
残念な事に。
その願い事に巻き込まれた人たちがいた。
君達、浄化師だ。
七夕の笹が飾られた公園を訪れたのが切欠で、何の因果か、あるいは偶然か、その夜に奇妙な夢を見てしまう。
「申し訳ありませんが、貴方より適性のあるパートナーが見つかりました」
と、唐突に告げられるパートナーの交代。それも強制的に。
其れは勿論、実際にはありえない話だ。
けれどもこれは夢。
君はパートナーと引き離されてしまう夢を見るわけだが……。
普段と違う人の隣を歩いて、何を思うだろう。
そして本来のパートナーは、それを見て何を思うのだろう。
一体、2人はどうなってしまうのだろうか。
全ては星のみぞ知る。
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麗しき水の都ヴェネリア、その中でも一際名を馳せるベレニーチェ海岸は、アークソサエティで安全に海水浴を楽しむことのできる場所として知られている。ルネサンス地区の代表的な観光地だ。
しかし先日、地中海に強大なベリアルが侵入したという知らせが広まって以降、客足は伸び悩んでいた。
ベリアルへの用心と対処が重要であるのは勿論だが、過剰な警戒によって経済活動が委縮しては、地域の、ひいては国力の衰退へと繋がってしまう。
現在も、ベレニーチェ海岸の安全性に揺らぎはない。そのことを広く喧伝する必要があった。
「ねえ、あなた。今年の宴には浄化師の方を招くのはどうかしら」
ベレニーチェ海岸に面する館のひとつ、通称『星彩館』では、主であるリベラトーレ・アンジェリーニとその妻アヤコ・アンジェリーニが憂い顔を向い合せていた。
リベラトーレはソレイユ地区出身で、小麦をはじめとする穀類の交易で資産を築いた男である。次第に事業を広げていく中で海産物を交易品に加えるために訪れたルネサンス――特にヴェネリアの美しさに魅了されて、十年前に妻を伴い移住してきた大商人だ。ヴェネリアを愛する気持ちは地元民に勝るとも劣らない。ヴェネリアに住む人々と、訪れる観光客へのもてなしを惜しまず、地域の活性化に貢献してきた。
その活動のひとつが、星彩館で行う『星合の宴』である。
「ふむ。そうだな、浄化師が来てくれるならば、皆にも安心してもらえるだろう」
妻の提案に、リベラトーレは顎鬚を撫でながら一考し、頷いた。
「浄化師の方にとっても、よい休養になると良いですわね」
「ああ、今年は一層、趣向を凝らさねばな」
アヤコの故郷である東方島国ニホンに伝わる彦星と織姫の伝説と、リベラトーレの故郷であるソレイユ地区に伝わるズラミスとサラミの逸話。その類似性に驚き大いに感銘を受けた二人は、ヴェネリアに移住してからも、星合、つまり七夕を祝う宴を開き、数多の客を招待して夏の一夜を楽しんできた。
宴は日没から始まる。
星彩館の広大な庭園にはニホン風の灯籠が多く設置されており、和紙を通して温かくゆらめく蝋燭の光が地上を照らす。足元では待宵草が月光を浴びて花開き、四阿の柱には朝顔の蔦が這う。
人工的に作られた小さな小川のせせらぎを聞きながら、親しく語り合うのも、静かに夜を味わうのも良い。
隅の一画には笹竹が伸び、短冊を掛けられるようになっているが、それを除けば庭の周囲に視界を遮るような背の高い木々や塀は無い。天候にさえ恵まれれば、天に輝く恋人たちを繋ぐ橋――天の川を頭上に仰ぐことが出来るだろう。
目の前にはベレニーチェ海岸が広がり、少し歩けば浜辺へ降りることが可能だ。遠くには恋人たちが鳴らすと幸せが訪れるという『幸福の鐘』の影が小さく見える。
館にほど近い一画では、リベラトーレが全国から取り寄せた食材をふんだんに使った祝いの食事が並び、特に、アヤコの生国の文化を取り入れた流しソウメンは毎年一番の注目の的だった。
「キモノも評判がよかったな。今年は種類を増やそう」
「ふふ……服の上から羽織るだけの、簡易なガウンのようなものですけれど。夜風を避けるのにも丁度よいですし、皆さま物珍しげに着てくださいますわね」
夜空を写し取ったような濃紺、凛とした桔梗柄、可愛らしい金魚柄や、涼しげな朝顔の花模様。絽や紗衣などといった夏の着物を参考にアヤコが考えたガウンは、透けるほどに薄く軽やかで、その異国情緒と品のある華やかさが殊更女性たちによく受けた。
「早速、教団へ手紙を書くとしよう」
「ええ。良い夜になりますように……」
「勿論、なるとも」
二人は見つめ合って、にっこりと笑みを交わした。
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