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リザルトノベル『夜霧のスケープゴート』
『ルート1』 参加者一覧
『ルート2』 参加者一覧
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『ルート3』 参加者一覧
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リザルトノベル
初め、人類は愛に包まれていた。
それは創造主からの愛であり、あらゆる種族からの愛であり、この世界そのものからの愛でもあった。
つまるところ原初の世界は、愛で満たされていたのかもしれない。
――だが、『ロスト・アモール』で、人類はその愛の全てを失った。
神からの恩寵は既に無く、種族間の信頼は揺らぎ、世界は今もなお人類を責め続けている。
もうお前たちなど愛してはいないと、強く拒絶するかのように。
失った種族間の愛と信頼は、ようやく取り戻されたかのように見える。だが傷跡は未だ生々しく、時折熱を持って疼き出す。
殊に、受けた迫害が『ロスト・アモール』の発端ともなった、ヴァンピール達においては。
「愛するには、お互いの痛みを知らなければ。それならば『ロスト・アモール』を経験した私達が、教えましょう。あの時と同じ、痛みを……ね」
屋根の上に立ったウラドは、眼下で幻影と戦うエクソシストたちを見下ろして呟く。ぞっとするほど美しい容貌だが、彼の瞳には月光よりもなお冷たい光が宿っていた。
「皆さんが物言わぬ屍になったら、私が調べてあげますよ。私たちと同じ恐怖や絶望、憤りを、皆さんが感じてくれたかどうか。人間は嘘を吐きますが、血は嘘を吐きませんから」
シャドウ・ガルテンの代表――『ブラフミン』であり、この事態の元凶、『ウラド・ツェペシェ』。
教団を裏切った男の真意は、未だ知れない。
●
黒い霧のような魔力を生み出す植物、『ダーク・ミスト・ミント』。
シャドウ・ガルテン固有の種であるそれらは地下茎で個体を増やし、棘や毒を持たない代わりに、自らの持つ多くの魔力を使って襲撃者を欺く。
それは、「その場に居る最も強い存在」を模した幻影を生み出すこと。
同じ根で繋がっている株は連鎖的に反応するため、黒い幻影は続けざまに出現する。
ウラドはこの性質を利用して、定式陣によらない広範囲型のトラップ構築を可能とした。
本来であればミントの魔力はウラドの姿を取るはずで、彼がそれを操って浄化師を攻撃することが最も合理的だろう。だが霧は、浄化師たちの姿を写した。
ウラドがこの場や樹に何か細工を施したのだろうが、まともな考えで行われたものとは到底考えられない。
今この場にあるダーク・ミスト・ミントは一本のみ。しかし樹齢はかなりのもののようで、保有している魔力も膨大だろう。であればウラドは、当初からこれを計画していたのだろうか。
薔薇十字教団が設立された頃から、ずっと。
「こういう仕事がおいらには向いてるんだ。おいらたちがやらなきゃ、誰がやるんだ!」
幻影戦で真っ先に飛び出したのは、『スミン・テージャ』と『エリュシオ・アイン』の二人だった。彼らは浄化師となってまだ日が浅いが、囮になるため幻影へ果敢に戦いを挑む。
エリュシオは先行しがちなスミンを的確に援護するが、彼の動きに引き付けられた敵の数が予想以上に多い。
スミンが攻撃を受けそうになったところで、一発の弾丸が幻影の膝を撃ち抜いた。『リロード・カーマイン』の援護射撃だった。
物陰に隠れた彼女は素早く再充填を行い、他の幻影の足を止める。その隙を突いて一体の幻影が迫ってきたが、背の低いエレメンツの少年がそれを阻む。リロードのパートナー、『スコア・オラトリオ』だ。
「リロードに手を出せると思わないでよね。君たちの攻撃なんか通じないよ?」
彼は杖を操って牽制し、パートナーの方へ幻影を寄せ付けない。体勢を崩したその敵に、一組の浄化師が追撃を試みた。
『クリル・驚堂院』と『エロス・リーコン』だった。二人は倒れた幻影の頭めがけて、同時に武器を振り下ろす。
「幻影は幻影、形だけだぜ。こういうのはな、物理で殴りゃいいんだよ!」
クリルはにやりと笑って、霧のように消滅する幻影を見下ろした。
エロスはどこからともなくパンとミルクを取り出して一息ついていたが、後を追ってきた自分たちの幻影を見つけると素早く武器を構え直す。
その少し向こう側では、『ラニ・シェルロワ』と『ラス・シェルレイ』が戦っていた。
「ラス、そっち大丈夫!? それにしてもこんな所で、属性を意識するなんてね!」
二人は互いに声を掛け合い、常に最適の距離で戦いを続けていた。敵の正面を取るラスが存分に戦えるよう、陽気の魔力を秘めた魔喰器を持つラニが攻撃を引き受ける。
彼女は巧みに攻撃を回避し、自身の能力を強化しながら危なげなく戦う。
そのすぐ傍では、『フラッグ・デス』が悲鳴にも似た叫びを上げながら戦っていた。彼は必死に攻撃を受け流し、幻影の頭を執拗に狙い続ける。
人間の姿をしているのならば、頭が弱点だろうと判断した結果だった。頭部への強打を受けた幻影は、霧のように消えた。
「しかしウラドも、何を考えておるのか。我らヴァンピールの事を想うなら、これは一番してはいけない行為だろうに」
自身の幻影を消滅させた後、『キャロル・クトゥルフ』が呟いた。この作戦にはヴァンピールの教団員も多く参加していたが、全員何かしら、思うところがあるようだった。
それは『ミナ・ハルカワ』に関しても、同じだった。彼女の魔喰器は調整中だったため、護身に使えるものは何もなかった。
彼女はパートナーの『エル・ドラド』と共に、近くで戦う仲間たちに合流する。
「対話は試みましたが、無理のようです。やはり幻影は、私たちの姿だけを模しているようです」
「そのようですわね。ならばこちらも、容赦はしませんわ!」
ミナの分析を聞くと、『メルツェル・アイン』が武器を構えて躍り出た。
『相良・冬子』は自分たちと同じ姿の幻影に戸惑っていたが、メルツェルを援護するために魔力の矢をつがえる。
攻撃を当てられずにいたところで、即席の松明を持った『アン・ヘルメス』が冬子に敵の位置を伝達する。
彼女は落ちていた木の枝を集めてくくり、樽の中に入っているワインを染み込ませていた。簡易的なもののため、おそらくあと数分で効果は消え失せるだろう。
アンは続けて『レイ・ヘルメス』にも伝え、彼を援護するように幻影の目を狙う。
「俺が躍らされんのはむかつくけど、幻影だからって手加減しねぇよ?」
レイは敵との距離を取り、魔術による攻撃を冷静に加える。敵の体力を削ってはいたが、致命傷は与えられなかった。するとその幻影めがけて、眩い光弾の雨が降り注いだ。
自らの幻影との戦闘を終えて仲間の援護に回った『エリィ・ブロッサム』と、パートナーの『レイ・アクトリス』だった。
「禁忌魔術……とても魅力的な言葉デス。詳しく話を聞きたいデスが、そうも言ってられないデスネ」
エリィとアクトリスは武器を取り直し、まだ霧消していない幻影に向き直る。少し数が多いが、やらなければならない。幻影の一体が両手剣を構え、二人を標的に定めて駆け出した。
そこへ幻影と同じ姿をした、一人のヒューマンが割って入った。彼は両手剣で攻撃を受け止める。よろけた幻影の胸を、狙撃手の弾丸が貫いた。『テオドア・バークリー』と『ハルト・ワーグナー』だ。
「幻影如きが、テオ君の姿を真似るな」
ハルトの容赦の無い射撃が、次々と幻影を打ち抜く。彼は戦闘から離れた場所に居たが、それでも忍び寄る敵は多い。
援護を終えたテオドアは無防備なパートナーのほうへ走るが、ハルトの背後に居る敵の攻撃には間に合いそうもない。
大声で注意を促そうとしたところで、その幻影の後頭部に痛烈な打撃が加えられた。幻影が消えた所に現れたのは『ラシャ・アイオライト』だった。
「僕等は他の人より小さいから、懐に潜り込むのも簡単だ。早く他の人も助けなきゃ。こっちだよ、ミカゲちゃん」
少年は猫のライカンスロープを伴って、苦戦している仲間を助けて回っていた。『ミカゲ・ユウヤ』は少年の後にぴったりとくっつき、拳の射程外に居る敵を呪符で牽制する。
近くでは『アリス・スプラウト』と『ウィリアム・ジャバウォック』が、ダーク・ミスト・ミントに対処する仲間たちへの攻撃を引き付けていた。
「こんな時は皆で協力しなければいけませんわ。皆さん、早く樹のほうへ!」
幻影の脚を狙い、敵の動きを止めるアリス。ウィリアムはその幻影に人形で止めを刺す。浄化師たちの活躍により消えた幻影の数も多かったが、周囲を覆う霧は、尚も晴れない。
●
黒い霧を晴らすため、ダーク・ミスト・ミントの大樹に向かう浄化師たち。
彼らの移動を仲間が援護する。『ユーベル・シュテアネ』と『灯火・鴇色』もそのうちの一組だった。ユーベルが盾で攻撃を受け止めると、金属的な甲高い音が響いた。
「サクリファイスは神様信じてるの? そんなもの、居ないのにね」
ユーベルは過去の記憶を呪うように言った。彼女が怯ませた敵に、鴇色が追撃を加える。
二人が対処しきれない敵は、『Eva・Schneid(エファ・シュナイダー)』と『クルハ・リヴァルツェ』が引き受ける。エファは自らの幻影と対峙していた。
「未熟者の姿を取るとは、笑止! 自らの姿に似た者を倒すなど……平和の為には、容易いことです!」
決意を滲ませて短剣を構える彼女を、クルハが穏やかに窘める。そんな無理した考え方を続けていれば、いずれ心が死んでしまうと。
ともあれ二人には、幻影と戦うことに躊躇いはないようだった。
その隣では『ヨナ・ミューエ』と『ベルトルド・レーヴェ』が、樹に群がろうとする幻影を押し止めている。ベルトルドの拳が幻影を捉えると、ヨナが光弾を放って倒す。
幻影に感情が無いことは、この場の誰もが薄々感じていたことだった。だが『鳳舞・理』は、少し違ったことを考えているようだった。
「珠水ちゃんの幻影……倒したい……。触れ合えるならいっそ幻影でも……」
鳳舞の呟きを聞きながら、『海埜・珠水』は冷めた瞳で戦闘を続ける。戦う手を止めない相棒の姿勢は評価に値するが、やはり彼は「残念な人」だと、彼女は頭の片隅で考えていた。
その頃上空では、『ヴァレリアーノ・アレンスキー』と『アレクサンドル・スミルノフ』が戦っていた。
生成のアレクサンドルが相棒を抱え、同じく飛び上がっていた自分の幻影の真上で相棒を放す。
「――サーシャと同じ顔が二人も居ると、胸糞悪い」
ヴァレリアーノは落下の勢いを剣に乗せ、木剣の切れ味の悪さを補う。翼を失った幻影は地面に叩きつけられ、そのまま消えた。
アレクサンドルはそのまま滞空し、愉快そうにクロスボウを構えると相棒の幻影に狙いを定めた。
下方では『ショーン・ハイド』と『レオノル・ペリエ』が戦っている。ショーンは片手にランタンを持ち、もう片方の手でクロスボウを巧みに操る。
「幻影がどんな姿を取ろうと、知ったことではない。真に大切なのは、現実の仲間だ」
ショーンが攻撃した相手に、レオノルは続けて光弾を放つ。そしてショーンの放った矢が、いくつかの幻影に痛手を与えた。
その機に乗じて『杜郷・唯月』と『泉世・瞬』が、自分たちの幻影に止めを刺す。
自分自身の幻影と戦うことにはかなりの戸惑いがあった。このような「心を惑わす敵」は、今後もきっと現れるだろう。ならば今回の経験を、無駄にするわけにはいかない。
「俺の幻影だったから躊躇はなかったけど、 いづのは倒せる自信無いなぁ……」
瞬は困ったように零し、それから再び攻撃魔術の詠唱を始め、二人は味方のサポートを再開した。しかし先ほどの戦闘が堪えたのか、思うように攻撃が当たらない。
そんな彼女たちを『ジエン・ロウ』と『吉備・綾音』が援護する。
「傷が思わしくないようです。ジエンさんが治療を行う間、私が護衛をさせていただきます」
半龍の青年が二人を治療する時間を稼ぐため、綾音が躍り出る。普段の姿からは想像もできないような好戦的な構えで、彼女は大鎌を振るう。夜闇よりもなお黒い長髪が、美しく靡く。
彼女のカバーしきれない範囲には『リューイ・ウィンダリア』と『セシリア・ブルー』が入り、ダーク・ミスト・ミントの対応をする仲間へ敵を近づけなかった。
「自分たちの痛みを伝えるために生贄を求める。その行為が同胞を苦しめる可能性は、考えないのかしら」
セシリアとリューイは常解魔術で常に能力を高め、危なげなく幻影との戦闘を繰り広げる。ヴァンピールたちの迫害には、余りある同情の余地がある。
しかし今のウラドのようなやり方では、他の種族が彼らに歩み寄ることなど不可能だ。
リューイは手際よく自分たちの幻影を倒すと、魔力探知を行って魔力のない葉を探し、情報を伝えた。それを聞いた『リチェルカーレ・リモージュ』は力強く頷く。
「壊す為じゃなく、守る為の力もあること。この木や町を守ることで、私は伝えたいんです」
彼女は大きく跳躍して、ダーク・ミスト・ミントの樹上へ登る。彼女は魔力を持たない葉を避け、鋏で丁寧に、そして素早く剪定していく。
その下では『シリウス・セイアッド』が敵を近づけまいと必死に戦っている。リチェルカーレは剪定済みの葉や高所にある葉を小咒で燃やそうと試みるが、慣れない場所での詠唱で体勢を崩した。
そこに、『アリシア・ムーンライト』が手を差し伸べた。
「この木は何も悪くないので……切らずに済ませたいです……」
彼女はリチェルカーレを引き上げると、同じように剪定を始めた。届く範囲の剪定が終わるとアリシアは地面に飛び降り、落とした葉を集めて小咒で燃やした。
陽気の魔力を持つ『クリストフ・フォンシラー』はその間、二人に攻撃が届かないよう敵を引き付けては剣を振るうが、彼の死角に幻影が二体入る。
そこを『クロエ・ガットフェレス』と『アリア・トリルビイ』が、そして少し離れた位置からは『ロゼッタ・ラクローン』が援護した。
アリアは短剣で幻影の剣を弾くと、華麗なステップでその後の攻撃を躱す。
「キミもオレも明かりを持っていてよかった。でも、野戦になるなんてな」
パートナーのアリアが戦っている間、ライカンスロープの『コナー・アヴェリン』は大樹の枝を剪定していたが、アリアからの魔術通信で常に状況を把握していた。
もっとも彼の場合、普段からこの方法でしか会話してもらえないのだが。彼は種族特有の身軽さで、ヒューマンの二人が届かない枝も対応する。
そこへ自分たちの幻影への対処を終えた『ニコラ・トロワ』と『ヴィオラ・ペール』が合流した。
「足場の悪い上部で葉を選んでいる余裕は無い。枝ごと切り落とすことになるが、勘弁してくれよ」
ニコラはその背の高さからは想像できないほどの身軽さで、枝から枝へと飛び移り、高所まで登る。
ヴィオラは魔力を持たない葉を確認して仲間に伝え、幻影が近づくと遠距離からの攻撃で敵を牽制した。浄化師たちの奮戦により、幻影はその数を大きく減らしている。
黒い霧もいくらか薄まってきたように思えるが、まだ油断はできなかった。
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同刻、教皇国家アークソサエティ首都エルドラド、薔薇十字教団本部。普段であれば静かなエントランスホールで、激しい戦闘が繰り広げられていた。
浄化師の多くがシャドウ・ガルテンに張り付けられている隙を狙って、『終焉の夜明け団』のホムンクルス『サタン』と『アナスタシス』の二名が『法の書』奪取を目論んで教団本部を急襲。
転移方舟の機能停止とウラドからの連絡の途絶を受けた『ヨセフ・アークライト』はこの事態を想定し、エントランスを主戦場に据えて手練れの浄化師の大半を配置していた。
法の書が保管してある学院では、医療班長兼院長の『ナイチンゲール・アスクラピア』と学院管理局局長の『ロノウェ』が守護にあたり、監獄では混乱に乗じた襲撃を防止するため、探索班長『アーサー・エクス』と総合管理班長『マリン・ネクタール』、教団所属浄化師の『ミスリード』こと『チャーリー・オスカー』と、『プレパラシオン』こと『レオ・リューカ』の二組が配置されていた。
そしてエントランスを守る浄化師は、司令官及び元帥『エノク・アゼル』と副司令官『フォー・トゥーナ』、通信班長『ヒポライト・デンジ』と寮母『ロードピース・シンデレラ』、そして室長ヨセフ・アークライトと技術班長『トーマス・ワット』の三組だった。
「竜の渓谷じゃ世話になったな! 脳がトンじまうくらいムカついたからよォ、全員グチャグチャにブッ殺してやるぜ!」
サタンの力任せな雷を、アゼルとトゥーナが代わる代わる受け止めては攻撃を叩き込む。
サタンの体は戦闘中でも再生を止めず、小さな傷はすぐ修復される。それを理解した上で、サタンは守りを捨てていた。そのぶん攻撃は苛烈で、思うように致命傷を与えられない。
『ホムンクルスの主』アナスタシスはヨセフとトーマスが止めていたが、アナスタシスは実力の半分も出していないように思えた。
「未来を見据える頭脳の持ち主、ヨセフ・アークライト。どれほどのものかと思いましたが、ウラドの叛意も見抜けないとは。少し、失望しました」
アナスタシスは微笑を湛えたまま、間断なく攻撃を繰り出す。ヨセフは漆黒の長剣を軽々と操って受け流し、斬撃を加える。
トーマスの的確な援護もあってか、攻撃に対するヨセフの反応速度は次第に上がっていた。
「その言葉、お前にそのまま返してやろう。ホムンクルスの主とやらは、部下の制御もできない無能のようだな」
ヨセフの挑発に、ホムンクルスは口角を僅かに下げた。そして更に激しく魔術を叩き付けるも、彼はそれを軽々と躱して剣を振う。
乗せられたアナスタシスは斬撃を躱せず、初めて防御魔術を使用した。相手のペースが、乱れ始めていた。
「――サタン、許可します。全力で行きなさい」
鋭い一閃を受けたアナスタシスは後じさり、部下に命じる。
サタンはそれを聞くと、狂気じみた笑みを満面に浮かべて、長く恐ろしい叫びを上げた。彼女の周囲にばちばちと電気が起こる。
そしてアゼルとトゥーナ二人では凌ぎ切れないほどの攻撃を、間断なく繰り出してきた。
二人の形勢が不利になってきたところで、ヒポライト、ロードピース、トーマスが援護に入った。
「一対一とは、舐められたものです」
アナスタシスの笑みは、最早消えていた。彼女は氷のような眼差しでヨセフを見る。
「私はホムンクルスの主、アナスタシス。脆弱な人間よ、身の程をわきまえなさい」
彼女の周囲に強大な魔力が満ちる。ヨセフは息を整え、間合いを取る。次に来る攻撃こそが最も大きく強いものだろう。
その隙に、仕掛ける。彼はアナスタシス目がけて駆け出し、距離を詰めた。
「――目を瞑りなさい、サタン!」
アナスタシスの声が響く。そして、魔力が弾けた。ヨセフは魔術をぎりぎりまで引き付けたところで躱すつもりでいた。
そのため予測よりも遠い位置で炸裂した閃光の影響を、彼は十分すぎるほど受けた。
彼は左手で目を抑え、敵の気配を探る。近くには居ないようだが、油断はできない。だが次の瞬間、エントランスホール全体に流れる魔力が、軋んだ。
ヨセフははっとして、視力も回復しきらないうちから駆け出す。空間の軋みは更に強くなり、今や吐き気を催すほどになっている。
そして、何か強い魔力の塊が壊れた。ヨセフが指の隙間からその方向を見る。崩壊した転移方舟の残骸の上で、酷薄そうな笑みを浮かべたホムンクルスの主が立っていた。
「転移方舟、でしたか。膨大な資金と気の遠くなるような時間をかけて整備されたのでしょうけれど、今はもう、ばらばら」
アナスタシスは転移方舟の残骸を魔術でふわりと持ち上げ、そして叩き付ける。
彼女は美しい容姿をしていたが、その奥には隠し切れない残虐性が潜んでいる。ヨセフは、再び剣を構えた。
「こちらの急襲を察知したことについては、褒めてあげましょう。そのせいで私は『法の書』を諦めなければならなかった。でも、これは読めなかったでしょう?」
アナスタシスはにやりと笑う。――乗せられた。ヨセフは歯をぎりりと食いしばる。あのホムンクルスは、何一つ躊躇うことなく部下を囮にした。
おそらくサタンはそれに気付いてもいない。これが、ホムンクルスの主の戦い方。
一方のサタンは、手練れの浄化師たちに押されていた。じりじりと形勢が変わり、傷の修復は目に見えて遅くなっていた。
ホムンクルスの持つ魔力は膨大だが、生成されるものである以上無尽蔵ではない。
戦闘が始まった時から彼女と対峙し続けていたアゼルとトゥーナには、相手の疲弊が手に取るように分かった。好機は、今しかなかった。
二人は息を合わせ、全身全霊の攻撃を放つ。サタンは叫び、彼女は壁際まで大きく吹き飛ばされた。アゼルたちは強く床を蹴って一気に間合いを詰める。
二人を援護していた三人の浄化師が、一瞬だけ遠くなった。そして。
「――っぜえ、うっぜえうっぜえうっぜえ! うっぜえんだよ、テメエら!!」
サタンが帯電し、髪がふわりと浮き上がる。彼女は右手に雷を纏わせて壁を蹴り、折れて剥き出しになった上腕骨を剣のように突き出した。
魔喰器がアゼルの手から弾き飛ばされる。腹部に、鋭い痛みが走った。
サタンは大笑いしてアゼルを蹴り、その勢いで骨を抜く。瞬間、灼けるような強い痛みが襲う。アゼルは大声で叫び、傷口を抑えた。
腹部からぼたぼたと垂れる血が、磨き抜かれたフロアに広がっていく。
「嫌、嫌よそんなの……。アっくん、アっくん……! 嫌あああああああ!!」
トゥーナの目が瞬く間に黒く染まり、顔に禍々しい紋様が浮かび上がる。『覚醒』と呼ばれる症状だった。
「下がれトゥーナ! そのままベリアルになりてぇのか! アゼルはナイチンゲールがなんとかするが、テメェがベリアルになったらアイツはどうなる!」
パートナーを護れずに取り乱し、魔喰器を振り回す彼女を、ロードピースが叱責する。
それを聞いたトゥーナはようやく自我を取り戻し、アゼルを守るように退いた。
追撃を試みるサタンだったが、ヒポライトはその僅かな隙を見逃さなかった。
彼はただの一撃で、サタンの動きを止めた。敵の闘志は尚も衰えていなかったが、間もなく身体的な限界を迎えるはずだった。
これまでの傷に加え、心臓近くへの射撃はサタンから多くの血液を奪っている。
ヒポライトはおどけたように肩を竦めるが、急所への攻撃を僅かにずらしたサタンの身体能力に舌を巻いていた。
「アンタの心臓、狙い違わず射貫いたつもりだったんだけどねえ。やれやれ、歳は取りたくないもんさね」
二体のホムンクルスはじりじりとエントランスから後退し、本部の傍にある裏路地まで追い詰められる。二体を追撃したのは、ヨセフたちとヒポライト。
ロードピースはアゼルの応急処置とトゥーナの保護のため、エントランスに残った。
「今日はこれくらいでお暇しましょう。はじめましてのご挨拶は、これで十分でしょう。――帰りますよ、サタン」
「るっせえ……。アタシは……まだ戦える……」
彼女が言い切らないうちに、アナスタシスは魔術を発動させる。
血まみれのサタンは糸の切れた人形のようにぱたりと倒れ、その直後、彼女の頭部を狙って放たれたヒポライトの弾丸が、何もない空間を掠めていった。
「私はホムンクルスの主、アナスタシス。旧き生物に終焉の夜明けを運ぶ、ヒトより優れた新しい存在。愚かなヒトの子らよ、絶望なさい。そして――滅びを受け入れなさい」
彼女が詠唱すると、それまで何もなかった石畳が突然光を放った。ヨセフは考えるよりも早く、ホムンクルスめがけて飛び出していた。
『室長! あれは口寄魔方陣ダ、生きた人間が巻き込まれたら死ヌゼ!』
人形の口から発されたトーマスの静止を聞き、ヨセフは剣の間合いまであと数歩という所で止まった。彼の鋭い視線は、今もなお眼前の敵に向けられていた。アナスタシスがにやりと笑う。
そして、魔術が発動した。二体のホムンクルスと口寄魔方陣の痕跡は、跡形もなく消え失せた。夜風が空しく、ヨセフの頬を撫でていった。
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一方その頃、ウラドとの対話を目指す浄化師たちは、様々なルートから接近を試みていた。『ノグリエ・オルト』は家の屋根を伝い、物陰になる場所を選んで進む。
地上から離れたこの場所では霧が薄く、月明かりも多少差し込んでいる。そのため、足場の悪いここで発見されると厄介だった。
「ボクは世間を嫌っていました。種族差別もその一つです。ボクはシャルルに出逢いましたが……貴方はどうでしょう?」
ノグリエは同族のウラドを見遣って、独り言のように問いかける。貴方は、一人なのかと。彼が隣の屋根に移ろうとすると、一体の幻影が現れた。
彼はとっさに誘囮糸を放つが、今はこれ以上動けそうにない。するとパートナーの『シャルル・アンデルセン』が追いついて、彼の後ろから飛び出した。
それに合わせて地上で待機していた『ディルク・ベヘタシオン』が、幻影の脚を射抜く。魔喰器の充填が終わると彼はそのままウラドを狙うが、魔力の弾丸は途中で阻まれる。
どうやら障壁のようなものを展開しているらしい。
「慢心は無いようだな。なら殺しはしねえが、逃がしもしねえ」
ウラド・ツェペシェが己の力に酔うだけの男だったのならば、今の弾はどこかに当たっていたかもしれない。だが彼は、油断なく防御魔術を展開していた。
ディルクはそれを確認すると、再び幻影へ向けて射撃を行う。『シエラ・エステス』は彼の近くで武器を構え、幻影を近寄らせないよう周囲を警戒していた。
「ウラド、あんた馬鹿なの!? こんなことしたって、ヴァンピールがまた魔女狩りに遭うだけじゃない!」
弓を構えた『ラファエラ・デル・セニオ』は、この事態の元凶に向かって叫ぶ。
浄化師を始末しても誤魔化し様があるように、ヴァンピールを再び迫害することになど、いくらでも理由がつけられる。むしろウラドの行為は、それを助長しているだけだ。
彼女が矢を放とうとすると、大鎌を振るう『エフド・ジャーファル』が窘める。ラファエラは悔しそうに、幻影めがけて矢を放った。
「霧みたいなママのスカートに隠れてないで、バッチ来なさいよね~! バールは偵察お願いね!」
これ見よがしの動作を行って、『ルーシア・ホジスン』はウラドを挑発する。この戦闘に参加している浄化師の思惑は様々で、ウラドを捕らえて名を上げることを目的とする彼女のような者も居た。
『バール・ガナフ』は上空からウラドの様子を窺ったが、今の挑発は意に介していないようだった。
「自分を愛させる為に暴力に走る? 笑わせないで頂戴、それじゃ暴力亭主と同じなのよ!」
足甲をかつんと鳴らし、『スティレッタ・オンブラ』が走る。
他の種族がヴァンピールから同じ痛みを「知らされた」からと言って、それで理解が深まるだろうか。ウラドの考えは、あまりにも都合が良すぎる。
彼女は打撃の射程圏内まで一気に距離を詰め、『バルダー・アーテル』は彼女を囮としてウラドに肉薄する。
ウラドは手を一振りして攻撃魔術を放ち、『ナツキ・ヤクト』が剣でそれを弾いた。
そして『ルーノ・クロード』が、ウラドに初めて攻撃を加えることに成功した。ルーノは油断なく距離を取り、相手の出方を窺うように言葉を投げかける。
「人は変わることができます。貴方の言う痛みが無くても、異なる存在と共存して他者を想える者も、また」
袖が少し切れただけだったとはいえ、ウラドのそれまでの柔らかい笑みは既に消えていた。
彼の顔に今ある表情は、凍り付くような微笑だった。同じヴァンピールとして彼に憧れるからこそ、ここで止めなければならない。
そしてウラドが、本当の「攻撃」を始めた。それまでの牽制とは比べ物にならないほどの威力を持った魔力が、ルーノの脇を掠める。
上空からは『イザーク・デューラー』に抱えられた『鈴理・あおい』が屋根に降り立ち、説得を試みた。痛みの共有は、双方に破滅しかもたらさない。
そして今、痛みを知らなくてもこの地と住民を守ろうとする浄化師が、ここには居る。それが、答えになるはずだ。
「築き上げた信頼が容易く崩れると言うなら、より強い信頼を何度でも築くまでだ」
イザークは滞空したまま、屋根から足を滑らせる者が居ないか警戒している。
二人も時折魔術の標的にされてはいたが、奇妙なほどに避けやすい攻撃だった。
幻影への対処を終えて追いついた『ニーナ・ルアルディ』も説得に加わる。
「いきなり沢山の人と分かり合うのは難しくても、せめて私達と、お友達から始めませんかっ!」
敵に向けられているとは思えないほどの、真っ直ぐで曇りのない瞳。彼女の言葉に従者の『グレン・カーヴェル』は息を吐いた。
過去には教団も、エクソシストの死体を実験材料扱いしていたことがある。ウラドは他種族を見下しているような口ぶりだが、彼は何か変わろうとしたのか。他種族の心へ、少しでも歩み寄ったのか。
ニーナへ攻撃が飛ぶと、彼は前に進み出て両手斧で受け止めた。地上の幻影はほぼ消滅し、術者が戦闘を開始したことによって残っているものの動きも鈍くなっている。ここからが正念場だ。
その頃、浄化師たちが戦っている屋根の下では、『空詩・雲羽』が脇目も振らずに文字を書きつけていた。彼は原稿用紙に差別撤廃のための企画を纏め、想いを綴る。
交渉を少しでも有利に運ぶためには、ウラドにこちらを信用させなければならない。
今は時期尚早だろうが、いずれ他国と交流する祭典を開けば、双方の国民が包み隠さない心で交流できるようになるかもしれない。愛は痛みではなく、真心なのだから。
「私は全て失った身、痛みはもう理解済みです」
パートナーの居る建物の入口を守る『ライラ・フレイア』は、そう呟いた。外見上はそう見えなくとも、似たような痛みを知っている者は数多く居る。
差別の撤廃に本気なのも、ウラドだけではない。
「短い間でしたけど、私はこの夜の国、素敵だと思います。今は戦っていますけど、私たちは、まだ引き返せます」
入口付近の幻影を消滅させたことを確認すると、ライラと共に戦っていた『アラノア・コット』は『ガルヴァン・ヴァレンベイル』に抱えられて屋根の上に移動した。
これまで浄化師たちを屋根の上まで運んでいたのは、彼のような翼を持つデモンたちだった。デモンの翼は、本来であれば単独での飛行にのみ使用される。
他者を抱えて飛ぶことも可能だが、それには大きな制約と消耗がついて回った。屋根の上に降り立ったガルヴァンは、物陰で荒くなった息を整えてから剣を構えた。
屋根の上に残った最後の幻影を、『ロメオ・オクタード』が撃ち抜く。霧のように消える姿の向こうに、ウラドが見えた。
彼を打ち負かすか、あるいは交渉を成功させることができれば、この戦いは終わる。
『シャルローザ・マリアージュ』たちは慎重にウラドとの距離を詰め、交渉に持ち込もうと試みる。
「交渉は可能なようですが、ウラドさんは考えが読めない部分も多くあります。どうかみなさん、慎重に」
地上の最後の一体が、消える。残された敵はこの事態の元凶、ウラド・ツェペシェのみ。
彼は今、最も高い所で足を止めている。屋根に居る浄化師たちが身構えた。
しかし、事態は唐突に変化した。
「――ああ、おめでとうございます。シャドウ・ガルテン側のキングはこれでチェック。私の負け、ですね」
ウラドはぱちぱちと手を叩くと、音もなく石畳の上に飛び降りる。地上で見守っていた浄化師たちは彼を包囲するが、ウラドは微笑んだまま両手を挙げているだけだ。
屋根の上に居た浄化師たちが後を追って降下し、鈴理とルーシアが警戒しながら捕縛を試みる。やはりウラドは、動こうとしない。
反撃するつもりならもう何かしているはずの距離まで、二人は彼を追い詰める。そして、ウラドは遂に捕縛された。
黒い霧は晴れ、冴え冴えとした月光が広場を照らしている。しかしウラドの思惑は、今もなお黒い霧に覆われていた。
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それまで好戦的だったウラドの変化は、その場に居た浄化師たちを戸惑わせた。
彼は捕まった後で何かしらの行動を起こすだろうと誰もが考えていたが、彼はただ一度、『アーカシャ・リリエンタール』と『ヴァン・グリム』が保護した一匹の黒猫に何事か話しかけただけで、それ以降は一切口を開かなかった。
「作戦中の町の見回りも、無駄ではなかったようだね。ねえ、ヴァン君」
そう呼びかけられたヴァンは、ばつの悪そうな顔をして視線を逸らした。二人は作戦中、避難していない住人が居ないかどうか見回りを行っていた。
そこで見つけたのが、一匹の年老いた黒猫だった。
後になって分かったことだが、その黒猫は今回戦場になった広場に棲み付いている野良猫で、近隣に住む住民からも愛されていたようだ。
彼を救ったことが、ウラドとの交渉にも何か影響を与えたのかもしれない。ヴァンが猫を地面に下ろすと、彼はゆっくりと去っていった。
満身創痍の浄化師たちが転移方舟のある場所へ戻ると、それまで展開されていた陰気の魔方陣は消え、代わりにシャドウ・ガルテンに来た時と同じような見覚えのある定式陣が浮かんでいた。
ウラドが戦意を無くしたことによって、転移方舟にかけられた封鎖も解かれたらしかった。
浄化師たちが一人、また一人と転移していく。そして全員が薔薇十字教団本部のエントランスホールに集まると、室長ヨセフがほっとした顔で全員を出迎えた。
ベルトルドは教団へ生還したことへの安堵で崩れ落ちそうになるが、ヨナがそれを支える。ウラドはやはり微笑を湛えたまま、何も話さなかった。
11月に入った頃、ヨセフ・アークライトが直々に行ったウラド・ツェペシェへの尋問の記録が、教団上層部の限られた者と今回の一件の関係者にのみ公開された。
ウラドの供述によれば、彼は過激思想を持つ『サクリファイス』から、協力しなければ国内でテロを起こすと脅されていた。
結果として彼は、今回の行動を起こすに至ったのだという。
そのため浄化師たちを自国内に釘付けにしたが、エルドラドにある教団本部へ『終焉の夜明け団』のホムンクルスが奇襲をかけたことは知らず、おそらくサクリファイスの側でも教団本部襲撃計画については一切情報を得ていなかっただろうとも述べた。
そして彼がサクリファイスに加担したのは、何も他種族が憎くてやったものではないのだとも語った。
それはウラド・ツェペシェの持つ、ある特異体質が原因だった。
他種族のあやふやな認識とは大きく異なり、ヴァンピールにとっての吸血とは非常に神聖な行為だ。彼らは愛する者に対してや、有事の際にしかそれを行わない。
そしてウラドは、血の香りから他者の思考をトレースすることができる。彼は何かしらの方法でサクリファイスの最高指導者の血液を得、そこからトレースした思考を基に組織を壊滅させるつもりでいたのだという。
実際、彼は一つの計画を知った。
それはクリスマスの前後を決行日としたサクリファイスによるテロで、この供述は教団側が掴んでいた情報を裏付けるものでもあった。
またウラドは、今回の一件について猛省しているとも語った。彼は国家の代表として今後は方針を改め、事実上の鎖国状態を解除して他国民の出入りを自由にするつもりでいるらしい。
また国情についても、代表者である彼が定期的に薔薇十字教団に赴き、包み隠さず打ち明けるとの誓約を交わしたがっているようだった。
これは教団の情報をウラドに与えることにも繋がるが、シャドウ・ガルテンを安定して統治している彼らの協力を取り付けることは、教団がアークソサエティ外で行動する橋頭保を得るという観点からも、逃すわけには行かなかった。
ウラドからのこの破格とも言うべき申し出には、戦闘中に浄化師たちが取った行動や、ヨセフが彼の独房に置いていった数枚の原稿用紙の内容が影響しているのではないかと思われた。
しかし、やはりとも言うべきか、真相は定かではない。
ともあれウラドは今回の一件を最後に、ヴァンピールに対する敵対的行動が無い限りは、教団や他種族に対する反抗は行わないだろうと考えられていた。
それは地下深くの独房で彼と一ヶ月近くもの間対話を繰り返した、ヨセフの直感だった。そして記録の最後のページには、ウラドの健康状態について短く記されていた。
ウラド・ツェペシェ。浄化師。男性、ヴァンピール、狂信者。
精神状態不安定。現在は徐々に回復中、定期的な経過観察の要あり。
今回の行動にこれが関わっていたのかどうか、窺い知ることはできない。
だがブラフミンたるウラドが、愛する同族の血から彼らの思考をトレースしていたとすれば、ウラドが国民の憎しみや悲しみ、怒りに寄り添おうとするのも不思議ではないだろう。
それが特異体質によってもたらされた彼への祝福なのか、あるいは呪いなのかは、判然としなかった。
●
ウラドへの尋問が終わった数日後、教団本部室長室。
シャドウ・ガルテンでの異変と時を同じくして実行された教団本部への襲撃について、ヨセフは考えを巡らせていた。彼のカップに注がれたコーヒーは、すっかり冷めていた。
襲撃の予測は事前にできており、実際被害も大きくはなかったものの、教団幹部のアゼルが重症を負った結果、彼のパートナーであるトゥーナはアウェイクニング・ベリアルを発症し、ベリアル化しかけた。
転移方舟についても、『アークソサエティ国内やシャドウ・ガルテン、竜の渓谷』など近郊への移動を対象とした術式は無事だったが、『東方島国ニホン、機械都市マーデナキクス、アルフ聖樹林、砂塵の街サンディスタム』といった遠方の国々を繋ぐ術式は、アナスタシスの手によって無残に破壊された。復旧の目途など、当面立ちそうにない。
近郊への移動のみを残した破壊も、意図的に見逃された可能性がある。おそらく彼女の実力は、この程度のものではない。
それに襲撃の首謀者と思しきアナスタシスに関する事柄にも、不可解な点が多かった。
彼女が強大な存在であることは間違いないが、彼女のような存在が容易く教団本部に侵入できたことが、そもそも奇妙なのだ。
教団本部の防衛体制は厳重で、通常であれば不自然な人物を敷地内に入れることなど考えられない。
あれほど膨大な魔力を体内に有する存在を、警備担当の浄化師たちや、本部内に仕掛けられた多くの定式陣が見逃すだろうか。
サタンを捕らえて可能な限り情報を引き出したかったところだが、それはアナスタシスに阻まれた。導き出される結論は、一つしかなかった。
――教団内に、ホムンクルスを手引きした者がいる。
ヨセフはそう考えを纏めると、コーヒーを飲み干して立ち上がった。
獅子身中の虫とも言うべき存在が居るのは確かだが、その人物が自らの意志でその行動を起こしたのか、あるいは魔術による強制も含めた第三者の作為なのかは、まだ断定できないだろう。
ともあれ、関係のありそうな教団員は全員洗い出す必要がある。彼らの過去から現在に至るまでの、全てを。
ヨセフは室長室のドアを開け、学院へ向けて歩き出した。冷たい音をした風が、窓をかたかたと揺らしていた。
実りの秋が終わり、季節は死と静寂の冬へと移り変わりつつある。
空に垂れ込める闇はより深く、冷たく、アースガルズの全土を覆わんとしていた。
成功判定 : 大成功
夜霧のスケープゴート | ||
(執筆:久木 士GM) |