~ プロローグ ~ |
東方島国ニホンの北東部。 |
~ 解説 ~ |
神社の境内で、クモトカガミの破片を集めてください。 |
~ ゲームマスターより ~ |
はじめまして、あるいはお久しぶりです。あいきとうかと申します。 |
◇◆◇ アクションプラン ◇◆◇ |
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泣かないで 大丈夫 神様は怒ったりなさらないわ クモトと名乗った男の子に笑いかけ 少年の涙を拭う …どうしたの? 破片を拾い上げたまま 動きを止めたシリウスの傍らに 黒い髪 灰色がかった緑の目 シリウスによく似た もう少し年上に見える男の人 父さん、と 掠れた声に驚いて見上げた先に 真っ青になったシリウスの顔を見つけ息を呑む 『帰ろう、シリウス』 優しい声で 鏡の中の人が言う 伸ばされる手に シリウスの呼吸が止まったのがわかった シリウス! 叫んで 彼の頬を挟んで顔を無理やり自分へ向ける 見たことの無い ひどく怯えた彼の顔 リチェ と 音にならない声で自分を呼んで 崩れ落ちる体を支えようとして 一緒に倒れる シリウス 目を開けて…! 動かない彼を何度も呼ぶ |
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破片に触れ過去を見る 私の家がベリアルに襲われる少し前のこと ソファに座る女の人 ニホン人らしい黒い髪、大きなお腹… 間違いない、あの時のママだわ ママ、私よ!ララよ! 思わず破片に呼びかけても答えはなく 「男の子ならリヒト、女の子ならカノン…」 あの時と同じママの声が聞こえる ついに会うことがなかった双子の弟と妹 無意識にママのお腹の方に手を伸ばしたところで魔力を吸われ、気を失う 部屋で目を覚まし …トール? ここまで運んできてくれたのね 昔のことを思い出したの 一人で抱えるのは少し重いから…お話聞いてくれる? 破片で見た過去のことを話し 教団にも名乗ってなかった、捨てたはずの本当の名前… ありがとう、トールになら構わないわ |
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10歳位のヨナ イレイス実用化に向けての研究が佳境だった頃 夫婦で研究者であり教団員でもある両親も例外ではなく忙殺の日々 お世話役は居たけれど 寂しさに押し潰されそうになってたあの頃の私 鏡の前 一人で髪の毛を梳かしてる 鏡の中から見ている私には気が付かないみたい 小さな私が大きな溜息をつき鏡に向かって独り言 パパもママ今日もかえってこない もうずっとだけれど みんなを助けるためのおしごとだもん がまんしなくちゃ でも わたしの事はどうでもいいのかしら …だったらどうしよう やだな 潤む瞳を必死に堪え 傍らに置いていた大きなくまのぬいぐるみを抱き寄せて もし、わたしがもっと大人になって、パパ達のお手伝いが出来たら 喜んでくれるかな? |
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大切な鏡を割ってしまったのですか? わかりました、お手伝い、させて下さい いいですよね?クリス? はい、怪我しないように、気をつけます 草の中に見つけた大きめのひとかけら 気をつければ拾っても大丈夫だろうと手を伸ばし触れた瞬間見えた人 長い黒髪、12~3歳くらいの少女 こちらに向かって優しく笑いかけてくる 昔の私?いえ、違う 私はこの頃、こんな風に笑えなかった でもこの気持ちは…懐かしくて、切なくて そう、私、この人が大好きだった、はず… 何か話をと思っても言葉が出てこず その人が消える直前に思わず出た言葉 お姉ちゃん、待って…! 気がついたらクリスに覗き込まれてて 私…姉がいたんです… 姉は…まだ生きててくれてるでしょうか… |
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~ リザルトノベル ~ |
● 泣きじゃくりならが事情を説明したクモトの頭を、『リチェルカーレ・リモージュ』はそっと撫でた。 「大丈夫、神様は怒ったりなさらないわ」 他の浄化師たちも穏やかに頷く。 銀青の髪の少女はクモトの涙を拭って、少年を助けるために立ち上がった。 「……これか」 茂みに引っかかるように落ちていた破片を見つけ、『シリウス・セイアッド』は手を伸ばす。陽の光を受け、どこか神々しい輝きを宿したそれを拾い上げて――違和感を覚えた。 割れた鏡の一部に映る自分が、自分ではないような。見直してもやはりしっくりこない。 これは、この人は。 「シリウス? どうしたの?」 破片を手にして固まるシリウスに気づき、リチェルカーレが小走りで寄る。表情の変化に乏しいシリウスが、微かに目を見開いてクモトカガミを見つめていた。 自然と、リチェルカーレの視線も破片に向く。 そこに映るのは二人ではなく、黒い髪に灰色がかった緑の目の、シリウスによく似た顔立ちの男性だった。年齢は彼より少し上だろうか。 「……とう、さん」 掠れた声で放たれた言葉に驚き、思わず顔を上げたリチェルカーレは息をのむ。破片を凝視するシリウスの顔は、真っ青になっていた。 彼の魂が遠くに行ってしまいそうな、茫漠とした恐怖がリチェルカーレの背を冷たく走る。反射的に「シリウス」と呼ぼうとした少女の視界の端で、動きがあった。 ここならざるどこかを映す鏡の中。彼に似た誰かが、こちらに向かって手を伸ばす。 帰ろう。 鏡面の男性の唇は、確かにそう動いた。優しい声だと、その顔を見ればわかる。きっとシリウスに似た、聞いていると落ち着く声だ。 凍ったように動かないシリウスが、呼吸をとめたのがリチェルカーレにも分かった。 ――ずいぶん探したぞ。こんなところまできていたのか。 現実でもクモトカガミの破片の内側でもない、記憶の奥底で、彼が、父が、小さく笑う。 暖かな陽光を背に受ける父は、腰を少し折ってシリウスに手を伸ばしていた。まだ幼かった彼はその姿に安堵して、土のついた手を払ってから、父の指を握る。 「母さんが呼んでいる。家に帰ろう」 うん、と頷いた。吹く風が緑の匂いを遠くまで広げようとする。 父が昼食の話をしていた。母の得意料理のひとつが食卓に並ぶらしい。嬉しくなって、記憶の中のシリウスは目を細める。 終わることなんて考えてもいなかった、穏やかな日々。慈愛に満ちた声。温かな生活。 幸福は一転して、惨劇に変わる。 破壊された家。立ち上がる炎。赤く染まった、原形をとどめない父の――。 「シリウス・セイアッド」 黒と赤の制服の上に白衣をまとう大人が、どこか苦い顔で呼んだ。 白い病棟。火炎の熱に涙すら涸らされたのか、シリウスは虚ろに呟く。 「帰りたい」 家に帰りたい。教団なんて知らない。浄化師になんてなりたくない。何度も思った。何度も言った。誰も聞き届けてはくれなかった。聞いてくれるはずなどなかった。 自分は喰人だから。 村を、家を、家族を失う原因を作ったのは、災厄を招いたのはシリウスだったから。 「喰人である君は、このままでは更なる災いを巻き起こす」 白衣の大人は冷たく言い放つ。シリウスはその言葉を拒絶するように、力なく首を左右に振って、しかし一方で理解していた。 あの凄惨な光景が、何度も頭の中で鮮やかによみがえる。音もにおいも熱も伴って、繰り返しシリウスを責め立てる。 失いたくなかった。抱き締められるほど近くに、ずっとあってほしかった。大事な人々。陽だまりのような場所。 ただそれだけだったのに。 「大事な人に不幸を撒くくらいなら、誰ともかかわらない」 心を寄せる存在など、作らない。 過去を記憶の底に沈めて、シリウスは誓う。 「シリウス!」 悲鳴に近い声にシリウスの意識が現実に引き戻される。水にくぐらせた宝石のような青と碧に、彼は緩慢に瞬いた。 意思の光がシリウスの翡翠の双眸に宿ったのを見て、リチェルカーレは小さく安堵する。彼の頬を両手で挟み、鏡の破片ではなく自分に、強引に顔を向けさせていた。 鏡面にはもう、あの男性は映っていない。ごく普通の鏡のように、現実を映し出している。 「少し休みましょう」 不安を押し殺して、リチェルカーレはシリウスの冷え切った手を握る。少しでも温めたくて、きゅっと力をこめた。 リチェ、とシリウスはほとんど音にならない声で彼女を呼ぶ。 暖かな日差しのような少女を。 (俺の罪を知っても、お前は……、側にいて、くれるだろうか) 「シリウス……っ!」 がくんとシリウスが崩れるように脱力する。とっさに支えようとしたリチェルカーレは堪えきれず、一緒に倒れた。 「シリウス、目を開けて……!」 こぼれそうなほど目に涙をためて、リチェルカーレは彼に何度も呼びかける。 「お願い、シリウス……っ」 彼がなにを見たのかは知らない。その過去も恐怖も知らない。それでも、なにかあるということは分かっていて、力になりたい、彼のためになにかしたい思いは確かで。 受けとめる、という覚悟は嵐の中で咲く花よりなお強い。 だがそれらはすべて、シリウス・セイアッドがいてこそのものだ。 「いなくならないで」 震える声で少女は願う。氷のような彼の肌が、どうしようもなく切なかった。 固く目蓋を閉ざしたまま、シリウスは微動だにしない。 「シリウス、ねぇ……っ」 目を覚ましてほしい。いつものように応えてほしい。 少女の白い頬を涙が伝う。しずくはぱたりと、シリウスの指先に落ちた。 騒ぎを聞きつけたクモトが走ってくる。神より与えられた鏡の破片はシリウスの手を離れ、石畳に滑り落ちていた。 ● ソファに女性が座っている。 見慣れた家具、見慣れた雰囲気。その中で女性は愛しそうに自らの膨らんだお腹を撫でていた。ニホン人に多い黒い髪が、肩から胸に流れる。 思わず、『リコリス・ラディアータ』は叫んだ。 「ママ、私よ! ララよ!」 手が切れてしまいそうなほど強く、鏡の破片を握る。あちら側から返る声はなく、女性が、リコリスの母が気づく様子もない。 口の中に苦さがにじんで、冷静になった。ここはニホンの神社。リコリスはパートナーと手分けして、他の浄化師たちと同じように割れた鏡の破片を探している。 あった、と思って拾い上げたら、鏡面にリコリスではなく、母とあの家が――幸福だったころの家が、映ったのだ。 「男の子ならリヒト、女の子ならカノン……」 まだベリアルになっていない母の唇が動く。彼女がなんと言っていたのか、リコリスは今でも覚えていた。 ついに会うことのなかった、双子の弟と妹の名前。 ――ララ、お姉ちゃんになるのよ。 「……ええ」 ――お腹を蹴ったわ。元気な子たちね。 「……ええ」 ひとつひとつ、思い出しては頷く。二つの命が宿った母のお腹は温かかった。リコリスはときおりそこに耳をあて、弟妹の存在を確かめた。誕生の瞬間を心待ちにして。 父と協力して、母を手伝った。たまに失敗して笑われてしまったこともあった。平凡で、手放しがたい幸福の日々だ。 「ママ……」 脳裏に赤色がちらつく。吹き上がる父の血潮、ベリアルとなった母。破片の中は、そんな未来は訪れないと信じてしまいそうになるほど、穏やかだった。 無意識のうちにリコリスは母のお腹を撫でようとした。 「あ……」 視界が明滅する。体に力が入らなくなって、崩れるように倒れた。手からクモトカガミの破片が離れる。 (待って、ママ) もっと見ていたい。たとえうたかたの幻影であったとしても。リコリスの記憶を切りとっただけのものだとしても。 願ううちに、意識は途切れた。 「ないなー」 玉砂利に目を凝らしていた『トール・フォルクス』は立ち上がり、背中を伸ばす。 鏡の破片は広範囲に飛び散ったらしいとクモトが言っていたので、少し離れた場所で探していたのだが、ここはハズレらしい。 「リコと合流するか」 どのあたりにいるかは、事前に相談している。トールはリコリスがいるあたりに向かい、 「リコ!?」 ざっと音を立てて血の気が引くのが分かった。 奇襲を受けたように倒れているリコリスにトールは駆け寄る。慌てて抱き起して、心臓がとまりかけた。 少女の顔は蒼白く、小柄な体は少し冷たい。呼吸は安定しているが眉根が苦し気に寄せられていた。 「しっかりしろ、リコ!」 なにが起こったのが、呼びかけながら周囲を見回して、理解した。 「これか……!」 クモトカガミの破片がちょうど、だらりと下がったリコリスの手の先あたりに落ちている。外傷がない以上、これが原因としか思えなかった。 「クモト!」 「はいっ」 呼び声に少年はすぐに応じ、すっ飛んでくる。リコリスの様子にびくりと身を震わせ、申し訳なさそうに眉尻を下げた。 「鏡に魔力を吸われたのですね……。宿で休めばよくなるかと……」 「やっぱり……。分かった、悪いけど俺たちはここまでだ」 「はい。お大事になさってください」 すでに破片は大半が集まりつつあるらしく、クモトは深く一礼して二人を見送った。 ゆっくりとリコリスの目が開く。 「……トール?」 「リコ、よかった……」 ベッドの側に椅子を置き、祈るようにうなだれていたトールが顔を上げて相好を崩す。 どうやら、宿まで彼が運んでくれたらしい。 起き上がろうとしたリコリスを、トールは片手で制した。まだ気だるい少女は、おとなしく横になる。 「クモトカガミを発動させたんだな。ゆっくり休めば大丈夫だって」 「そう……」 恐らく魔力を吸われたのだろう。吐息のような返事をして、リコリスはぼんやりとトールを見た。 「昔のことを、思い出したの」 ほんの少しだけトールが目を見開く。 「ひとりで抱えるのは少し重いから……、お話、聞いてくれる?」 「……話?」 浅く頷いて、リコリスは鏡面に映った光景のことをぽつりぽつりと伝えた。 母のこと。生まれてこなかった弟妹のこと。 すべてを聞いたトールが、考えるような間をあけて、口を開く。 「前に、リコが子どもになってしまった事件があっただろ?」 疲労による眠気を覚えながら、リコリスは首肯する。 「あの時にも思ったんだ。この過去は、小さな子どもひとりで背負うには重いだろう、って。だから、話してくれて嬉しい」 真っ直ぐに思いを届けるため、トールはじっくりと言葉を選びつつ続けた。 「それで、お願いがあるんだけど」 「なに?」 「二人きりのときは、ララって呼んでも構わないか?」 誰かひとりでも、ララ・ホルツフェラーという女の子がいたことを、覚えている人がいればいい。 そんな願いをこめて、トールは真剣な表情で告げる。 睡魔が消えるほど驚いたリコリスは、瞬きも忘れてトールを見つめた。 それは教団にすら名乗っていなかった、家族を失った日に捨てたはずの、本当の名前だ。 「……ありがとう」 沈黙の末に、リコリスは目を閉じて言う。 「トールになら、構わないわ」 彼が息をのむ気配がする。再来したリコリスの眠気は強く、もう目蓋を押し上げることも億劫だった。 「少し、眠るわ」 「……ああ。おやすみ、ララ」 「おやすみなさい、トール」 額にかかったリコリスの髪を、トールがそっと払う。 体温が下がった体に彼の手の温もりは心地よくて、リコリスは力を抜いた。 この眠りだけは、きっと悪いものにならない。 ● 十年ほど前、薔薇十字教団はある武器の研究開発、及びその実用化に向けてひとつの佳境にあった。 のちに魔喰器、イレイスと正式に名づけられ、現在においては浄化師の標準装備となっている特殊な武器。 生け捕りにしたベリアルの再生能力と殺戮衝動を抑え、形状を変化させることで作られ、喰人並みに魔術を本能的に理解するか祓魔人並みの魔力を以て制御する、危険と隣り合わせでそれゆえに強力な装備。 『ヨナ・ミューエ』の両親は、イレイスの研究者だった。 「私、ですね」 大人になった彼女は、手にした鏡の破片を指先でそっと撫でる。 鏡面に映るのは、見知った部屋と十歳ほどの彼女自身だった。 破片の中の過去のヨナは、もうひとりのヨナの視線に気づかない。可憐な鏡台の椅子に座り、鏡をじっと見つめながら、長く伸びた金色の髪を丁寧にブラシで梳いている。 「パパもママも、今日も帰ってこないの」 自分に言い聞かせるように、感情を殺した声で幼いヨナが鏡に告げる。 他の研究者たちがきっとそうだったのと同じように、ヨナの両親もまた多忙を極めていた。 家に帰らない日は少なくなく、帰ってきても一言二言ヨナに声をかけて荷物をまとめ、慌ただしく研究所に戻っていく。目の下に濃い隈を作っていることも多く、脱ぐ時間さえ惜しかったのか、羽織ったままの白衣の下の体が、見るたびに細くなっている気さえした。 しかし、ヨナが気遣う言葉をかける時間は与えられない。「行ってらっしゃい」と言うのがせいぜいだ。 「もうずっとだけれど、みんなを助けるためのおしごとだもん。がまんしなくちゃ」 ブラシを握る手に力をこめて、幼いヨナは背筋を伸ばす。 (ああ……。私は、そういう子でした) 家事をして面倒を見てくれるお手伝いさんはいたが、寂しくて。だがそれを誰にも言えずにいた。 「それに、けんきゅうはもうすぐ終わるから。そうしたらまたみんなで、いっしょにいられるの」 (ええ) 「せかいから、こわいことがたくさんなくなるのよ」 (だから) 「だから、わたしはがまんできるの」 あのときの思いを、今のヨナは忘れていない。 鏡の中のヨナがブラシを置いて、確かめるように両手を髪の表面に滑らせる。 室内灯の柔らかな光を吸収し、いっそう輝いて見えるそれは、黄金を溶かして作った極上の金糸のようだった。 「でも、わたしのことはどうでもいいのかしら」 (不安はいつでも、すぐ側にありました) 「……だったらどうしよう。やだな……」 幼いヨナが傍らに置いてあった大きなクマのぬいぐるみを抱き寄せる。鏡に映る幼子の瞳は、涙で潤んでいた。 彼女は決して泣くまいと、目に力を入れて耐えている。 「もし、わたしがもっとおとなになって、パパたちのお手伝いができたら。喜んでくれるかな?」 (……私が迷わず浄化師の道を選んだのは、このころの気持ちが起因していたから、でしたか) 考えることもめったになかった部分を、現在のヨナは思い出す。 彼女が祓魔人の能力に目覚めたのは、これからしばらく後のことだった。 真剣な顔をした両親にどうするか尋ねられ、「浄化師になる」と即決したのだ。 (長らく契約相手が見つからず、苦心しましたが) 小さく苦笑したヨナは、破片を持つのと逆の手で自身の髪に触れた。 ――綺麗な髪ね。 あのころのヨナも、今のヨナも、そんな何気ない父母の言葉を大事に、大事にとっている。 (本当は、側にいてほしかった。褒められることがひとつでも多ければ、もっと一緒にいてくれるのではないかと、思ったのです) 髪の手入れはいつも念入りにしていた。帰宅した両親が撫でてくれることを、心の隅で望んでいた。 大人になった今でも、その習慣は変わらない。戦闘となれば長い髪は邪魔になる。分かっていても、短く切ってしまえない。 結局、ヨナが浄化師となって両親が喜んだのかは、現在に至っても不明だった。 戦うことを選んだヨナに両親はいっそう神妙な顔をしていて、そこから厳しい修練が始まったのは覚えている。 紆余曲折あり、この国に渡って『ベルトルド・レーヴェ』と契約を交わし、今があるのだ。 (……大丈夫。運命はあなたの元にきてくれます) 祈るように鏡を見つめる自分を、ヨナは心の中で励ます。 ふと少女の表情がきょとんとしたものに変わった。まるで、ヨナを認識したかのように。 「……っと」 崩れるように倒れたヨナを、ベルトルドは受けとめる。滑り落ちかけた鏡の破片もどうにか守った。 「ふむ」 鏡面に映っていたヨナの過去を、ベルトルドも隣で見ていた。声も聞こえていた。 「魔力の消耗が激しい。これに吸われたか」 自分もあまり持っているべきではないだろうと、ベルトルドは破片を地面に置く。ヨナの顔色はあまりよくないが、呼吸は安定していた。 「幼くともヨナはヨナだったな」 ひとりであるがゆえに弱い面が出ていたのだろうが、両親の前では平然と振舞っていたことは想像に難くない。 生真面目で勤勉、感情の発露が不器用そうとくれば、ベルトルドにしてみれば今も昔も大差なかった。 「最愛の娘が戦場に立つと聞いて、手放しに喜ぶ親は少ないだろう。だが、その活躍が耳に届けば、誇らしくはなるのではないか」 眠るヨナをベルトルドは抱え直す。金色の髪は、陽の光の下できらめいて見えた。 「シンクロ率は低かったが、まぁ、なんだ」 よかったんじゃないか、契約して。 声に出し切るのは面映ゆく、ベルトルドは口の中で呟いて咳払いをする。 「破片があった。回収を頼む」 「はいっ」 妖怪の少年が駆けてくる。 腕の中のヨナはどのような夢を見ているのか、心持ち口許を緩めた。 ● 神様の鏡を割ってしまったと泣きじゃくりながら助けを求める少年が、妖怪であろうと人であろうと、『アリシア・ムーンライト』は手を差し伸べる。 予想というよりも確信していたので、『クリストフ・フォンシラー』は驚きもしなかったが、ひとつ注意してほしいことがあった。 「見つけても慌てて拾おうとしないようにね? あと、小さな破片に手を伸ばしたりしないこと。いいね?」 「はい。怪我しないように、気をつけます」 「そうだね……」 頷くアリシアに、破片は危ないから触らないでほしい、と言いたかったクリストフは微苦笑を浮かべる。意外にドジなところがあるアリシアのことだ、うっかり指を切ってしまわないか、心配だった。 「見つけたら知らせてね」 せめてできるだけ自分が回収にあたれるようにしようと、クリストフは微笑む。アリシアは顎を引いて肯定し、あたりを探し始めた。 「さて」 他の浄化師たちも散らばってクモトカガミの破片を探している。クリストフも、アリシアからあまり離れないよう気をつけつつ、目を凝らした。 「……あ……」 見つけた。 草の中に大きめの、透明な板状のものを発見し、アリシアは目蓋を上下させる。知らせて、と言われたことを思い出してクリストフの方をちらりと見た。 そう遠くない場所で、彼も割れた神宝の捜索を頑張っている。 「大丈夫、ですよね……」 小さな破片ではない。ひし形に近い形の破片で、四隅こそ尖っているが他の辺は気をつけて持てば手を切りそうにない。 きっと大丈夫。怪我をしなければクリストフに心配をかけることもない。 意を決してアリシアは破片に手を伸ばした。太陽の光は暖かいのに、これはひやりと冷たい。 「え……?」 クリス、と呼ぼうとした彼女の目の端に、なにかが映った。 鏡の中だ。青い空、鎮守の森の緑、アリシア自身の顔――それらすべてが、映るはずのものが、そこに投影されていない。 代わりにいるのは、十二、三歳の、長い黒髪の少女だった。 「昔の、私……?」 違う、とすぐに否定する。 こちらに向かって優しく笑いかけてくる彼女は、過去のアリシアではない。このころのアリシアは、こんな風に笑うことができなかった。 (知ってる……。私は、この子を……。この人を) 見ているだけで胸の奥が熱を持つ。懐かしさと切なさが入り混じり、アリシアの手に少しだけ力をこめさせた。 少女はアリシアを見ている。春の陽のように暖かな感情を満面に宿して、アリシアの言葉を待つようにそこにいる。 (そう、私は、この人が大好きだった、はず……) 思い出せない。 彼女のことを知っている。それは確かなのに、そこから先が頭の中で絡まって出てこない。なにか話を、と思ったが、言葉さえ喉の奥でつかえてしまった。 それでも彼女は決して急かさない。彼女はそういう人だった。ひとつずつ、ほんの少しずつ、失われた記憶が戻ってくるような気がする。 十歳以前。教団に所属する前の日々。 (あ……っ) 必死に記憶の底を探ろうとするアリシアの眼前で、少女の姿が薄れた。あっという間のその姿はおぼろげになり、鏡面は現実を映そうとする。 「待って……!」 なにかを掴めそうなのだ。それに、彼女に消えてほしくなかった。 焦燥に突き動かされるまま、アリシアは少女を引き留めようとする。 「お姉ちゃん、待って……!」 か細い声でアリシアがなにか叫んだ気がした。 「アリシア!」 顔を上げたクリストフはぐらりと彼女の体が揺れるのを見ると同時に走る。華奢な体が崩れるように倒れるより早く、抱きとめた。 「アリシア、しっかりしてくれ……っ、クモト!」 「はいっ」 駆けつけたクモトが気絶したアリシアの姿にいっそううろたえながら、どうにか説明する。 要約すれば、アリシアはクモトカガミに魔力を吸われ、一時的に眠っているとのことだった。 「しばらく安静にすれば、目覚められるかと……」 「そういうことは先に言ってほしかったなぁ」 深く息をついたクリストフは、恐縮する少年をなだめ、破片を渡して帰した。 「ひとまず、アリシアをどこかで休ませないと」 早く目を覚ますように祈りながら、クリストフはやや青ざめているアリシアを抱き上げる。 目を開き、真っ先に認識したのは蜜のような金色だった。 なにが起こったのか、時間をかけてアリシアは思い起こす。彼女の顔を覗きこんでいたクリストフは、ころあいを見て声をかけた。 「具合はどう?」 「……大丈夫、です……」 「俺に知らせてねって言ったと思うんだけどなぁ」 「ごめんなさい……」 「無事ならいいけどね」 肩を竦め、クリストフは椅子の背もたれに体重をかける。 神社の近くの宿まで運んでくれたらしい、ということに気づいて、アリシアは申し訳なくなり、起き上がろうとした。 「しばらく安静にすること」 「はい……、ありがとう、ございます」 「うん」 やんわりと制した彼にごめんなさいと言いかけて、そうではない気がして、アリシアは言い換える。 沈黙が下りた。 「私……、姉がいたんです……」 ぽつりと放たれたアリシアの言葉に、クリストフが眉を上げる。 「姉……?」 「まだ、生きててくれてるでしょうか……」 「……きっと大丈夫だよ」 勇気づけながらクリストフが思い出すのは、アリシアに似た面影の幼馴染だった。 (いや、まさかな……) 違うだろう、と自身の思考を笑い飛ばそうとするが、どうしても胸が騒いだ。 まだ魔力が枯渇しているアリシアが、再び眠りにつく。 「君とまた、会えるのかな……」 ずっと探している。今はもう顔もはっきりしない彼女。 アリシアの肩に寝具をかけ直し、クリストフは目を伏せた。
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*** 活躍者 *** |
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[2] リチェルカーレ・リモージュ 2019/06/08-23:30
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