はじめに          
下記『プロローグ』にて、掲載されている世界観用語については、
『基本情報』ページ『●用語集●』欄にごく簡単な註釈があります。あわせてご覧ください!

また、さらに『煉界のディスメソロジア』の世界観が知りたい!
という場合には、『●ワールドガイド●』をご確認ください!

プロローグ          

●侵入 ベリアル「スケール2」


 地中海は、教皇国家アークソサエティ国内に存在する海洋だ。
 透明度の高い、澄んだターコイズの海は泳ぐ魚達を肉眼で見る事も可能なほどに、綺麗な水質を誇っている。
 中でも、ベレニーチェ海岸は特に有名な海岸であり、国内の住民が海水浴と言えば足を運ぶ場所で、夏は多くの海水浴客が賑わっている。
 しかし、今年のベレニーチェ海岸には、例年の賑わいとはうって変わり、閑散とした空気が漂っていた。
「メデューズ。こちらの状況はどうだ」
 司令部司令官兼元帥「エノク・アゼル」が、問いかける。
 通常、司令官が自ら現場に向かい、事態の収束に向かうことはほぼない。現場の連絡を受け、その情報から対応方針などを打ち出すのが基本だ。
 つまりは、今回の地中海に起こっている異変が、それほどまでに緊急性の高いものであることを意味していた。
 アゼルに問いかけられた女性は、頭頂部の両耳を海洋に向けた後、神妙な顔で向き直る。
「先日、侵入ルートの封鎖をした後、地中海へのベリアルや生物の侵入は無いけど、まだ嫌な気配がするな」
 彼女の名は、「セレスト・メデューズ」。ライカンスロープ・半獣であり、地中海の管理を任されている教団員だ。
 管理を任されている責任者である以上、事態の責任は彼女に起因するというのが組織的な考えではあるが、アゼルはそうは考えていなかった。
 セレストは、かつて貴族階級として名を馳せていた「メデューズ一族」の一人娘であり、教皇国家アークソサエティだけでなく世界的に見ても、彼女以上の航海士は居ないといわれているほど海洋についての見識は深い。
 彼女が管理していた防衛ラインを突破されたということが問題であり、彼女が対応できない状況を他の人間に対応できるとは思えない。
 そういった側面からも判断した上で、今回アゼルは現場で直接状況の確認をするに至ったのだった。
 判断は結果的に正しく、現場の状況は予想を上回る壊滅的な状態であった。
 元々、海洋はアシッドレインの影響を強く受けており、強力な水棲生物が生息することもあってからか、化け物じみたベリアルが存在している。
 教皇国家アークソサエティの国土内に存在する地中海は、危険な水棲生物やベリアルをすべて駆除した上で、面した海洋からの侵入が無いようにバリケードを作成し、常にエクソシストや魔術師が臨戦態勢で監視している。
 そのバリケードが半壊状態まで破壊され、監視に当たっていたエクソシストと魔術師が対応しきれない状態となっていたのだ。
 セレストが的確な指示でベリアルとの交戦を行っていたこと、またアゼルが実際に現場に向かったことでバリケードの修復も最低限行うことができたが、少しでも対応が遅れていればさらに状況は悪化していただろう。
「今までも強いベリアルや生物が、バリケード近くに来ることは珍しくなかったけど、討伐はそれほど難しくなかった。
 だけど、最近になって、現れるベリアルの強さも上がっているように見えるなぁ」
 ベリアルは、人間や生物の魂を拘束し続けることで力を増して行き、進化をしていく。はじめてベリアルが確認されてから約100年。その間にベリアルは着々と進化を繰り返していたのだろう。
 イレイスが完成してから、10年程度しか経過していないのだ。未だ確認されていない強力なベリアルが存在するのは確かだろう。
「特に、教団には蒸気船のような大型な航海手段が無いからな。あたし達も、地中海ギリギリに来たベリアルや生物にしか対応できないんだ。
 下手に小型舟で沖に出ようものなら、そのまま殺される可能性もあるしな。人員も道具も多く搭載できる大型船があれば、沖にも罠とか用意できるだろうけど」
 薔薇十字教団には、大型の蒸気船が存在しない。
 正確には、過去には蒸気船を保有していたのだが、「十字軍遠征」で帰還した際に轟沈してしまってから、保有していない状態が続いていた。
「地中海と、面した海洋の境界線のみを防衛している状態が続いていることが、目下の課題のようだな」
 対策をするにしろ、国土外の海洋を航海するにしろ、いつかは蒸気船が必要になる時が来るとは、教団内でも話をしてはいた。
 どうやら、その「いつか」が、今この時だということだろう。
「急な話ではあるが、蒸気船の準備をした方が良いようだ。メデューズ、蒸気船の造船計画を進行しても問題ないか?」
「もちろん。あたしを誰だと思ってんだ? 船のことなら、任せておきなって。
 あ、ただ、アレだ。蒸気機関技術については、正直細部までわからないから、人形の人貸してほしくなりそう」
 人形の人とは、蒸気機関車の効率を大幅にあげ、実用まで運んだ発明家「トーマス・ワット」のことだ。
 薔薇十字教団本部技術班長を勤めており、在籍前は民間の鉄道組合「ビッグ・トーマス」を管理していたほどで、蒸気機関といえば彼といって差し支えない。
「把握した。では、彼にも声をかけておく。他に必要な人材や準備がなければ、一度教団に戻るが、何かあるか」
「そうだなぁ~。あたしを癒してくれる美少年か美少女とか――」
 相好の崩れた様子で、いつものように話すセレストだったが、言い終わるよりも早く表情が一変する。
 両耳が海洋の方に向いたが早いか、彼女の片目が鋭く射抜いた先から、水飛沫を上げて。何かが、海面から姿を覗かせた。
「これは、ただの生物の気配じゃない。ベリアルだ!」
 アゼルが「口寄魔方陣」を展開し、武器を出現させる。しかし、海中から禍々しいその身を少し見せているだけで、全体像が掴めない。
 瞬く間にセレストとアゼルの立つバリケード近くまで到達し、アゼルが攻撃を加えようと体勢を整えると同じくして、海面から何かが飛び出す。
 飛び出した何かは、アゼルによって両断されて地面に落下する。通常のベリアルであれば、体が両断されるほどのダメージを負えば、この時点で鎖が出現していただろう。
 だが、今回のベリアルには致命的なダメージにはならなかった。
 アゼルが両断したのは、ベリアル本体ではなく。ベリアルの体の一部だったのだ。
 気づくのが遅れた数瞬に、ベリアルはバリケードへ到達し、轟音と共に最低限の修復を行っただけであったバリケードを破壊した。
「くそっ!」
 ベリアルはバリケードから地中海に侵入した後、ざばん、とその全体像を海中から覗かせる。
 その姿は、巨大なイカを元にしたベリアルであり――。
「あれは、『スケール2』のベリアルか!」
 これまでの発令されていた指令で確認されていたベリアルは、スケール1のベリアルのみであった。
 1718年に入団、及び本格的に活動を開始したエクソシスト達には、まだスケール2のベリアルの討伐は厳しいという判断があったからだ。
 室長「ヨセフ・アークライト」とアゼルの方針は、彼等にはまだ危険な戦闘を行わせたくないというものではあったが、事態は一刻を争う。
「……メデューズ。俺は一度教団に戻り、緊急指令の発令を行う。バリケードの迅速な修復と、現存する戦力でのベリアルの侵入阻止をしてくれ」
「わかった。こっちはこっちで何とか持ちこたえておくから、さっさっと頼む」
 セレストの了承を受け取り、アゼルは口寄魔方陣に武器を仕舞った後、教団本部へと駆け出した。

●緊急指令発令


 カレッジで学んでいた者、修練に励んでいた者、食堂で食事を摂っていた者、寮で休養を取っていた者、大浴場でリラックスしていた者。
 教団内に存在するエクソシスト全員に、緊急指令の発令が伝えられた。
「諸君。突然だが、緊急指令を発令した。今回は前回の歓迎会とは異なる。緊急を要する戦闘案件だ。
 話を聞く態度などは気にせず、戦闘準備を整えながら事態の把握をしてくれ」
 アゼルがそう前置きすると、司令部副司令官「フォー・トゥーナ」が事態の説明を行う。
「地中海と、面する海洋に設置されているバリケードが破壊され、地中海にイカを元にした『スケール2』のベリアルが侵入。
 完全な修復が完了していなかったとは言え、バリケードを破壊するほどの攻撃性を持ち、アゼルをかいくぐってる」
 教団内でも、指折りの戦闘能力を持つ元帥。その立場にあるアゼルが仕留め損なう敵との交戦とわかり、より一層緊張感が高まる。
「今回注意する必要があるのは、アゼルを超える戦闘能力ってことじゃなくて、多少の知能がある点。
 事実として、スケール1のベリアルと比較して、スケール2のベリアルが強いということは間違いないよ。
 ただ、特に今回厄介なのは、アゼルに攻撃をする際に、触腕で牽制攻撃をして、その後バリケードに突っ込んだことだね」
 基本的に、スケール1のベリアルは元々の動物に残っている本能と、生物への殺戮衝動のみで行動しているだけの存在だ。
 そのため、知能と呼ばれるものは無いに等しく、簡単な陽動や罠などにも引っかかる。
「スケール2のベリアルは、『人間の子供並みの知能がある』ことが確認されてる。
 今回のベリアルが、まずアゼルに攻撃をする際に触腕で牽制したのも、恐らく狙って行ったと考えるのが妥当だね。
 子供並みではあるから、複雑な思考はしないとは推測できるけど、油断は禁物だよ」
 チンパンジーの知能などを表現する際に、人間の子ども並みと表現することがあるが、まさに同様の表現と認識して相違ない。
「先行して向かった冒険者と魔術師が、ベリアルの足止めをしてくれてるから、周辺の海水浴場には影響は無いよ。
 だけど、ベリアルはイレイスを使わないと完全に倒すことができないし、早く加勢しないと、だね」
 準備を行いつつ、説明を聞いていたエクソシスト達の準備が整う。
 トゥーナは、口寄魔方陣を展開し、出現させた両手鎌を振り上げて大きく叫ぶ。
「それじゃあ、行こうか!」
 エクソシスト達はトゥーナの鼓舞を受け、地中海へと向かった。

●新たな蒸気船の造船


 アゼルは、トーマスが時折サボりを決め込む際に訪れる、薔薇十字教団駅舎に足を運んでいた。
「……『誰ダッ』!」
「そんなところに居たのか、技術班長。仕事だ、来てくれ」
「『嫌に決まってんダロッ! 働きたくねぇんダヨ!』」
 物陰から飛び出したトーマスの操る人形が、アゼルの前に躍り出て叫び散らかす。
 人形が噛み付くように話をしているように見えるが、腹話術で話しているため、人形が話しているわけではない。
 つまり、声色も言葉の意味も完全にトーマスの思考に準拠したものだということだ。
「『いっつも書類仕事ばっかやらせやがってヨ! つまんねー作業はやらねーゾ!』」
「今回の仕事は書類仕事ではない。恐らく、ここ数年で一番面白い案件だ」
 書類仕事ではない、と聞いて、ぴたりと人形の動きが止まる。
「…………『じゃあ、なんだって言うんダヨ!』」
「蒸気船の造船だ」
 聞くが早いか、トーマスは一瞬でアゼルに駆け寄り、普段の仮面のような笑顔が多少高調した様子で、人形と共に声高々に叫んだ。
「やるっ! 『やルッ!』」
 燦然と輝く星のように、キラキラとした瞳で喜ぶトーマス。
「『まずは、ヨハネの使徒の残骸を集める必要があるナ! あとは、船の構造についてあの娘っこも呼べ!』」
 娘っことは、恐らくセレスト・メデューズのことだ。記憶力も非常に良い筈なのだが、どうにも人の名前は覚えられないらしい。
「メデューズには既に話を通してある。エクソシストが地中海に着けば、こちらに向かってくるだろう」
「『そうカ! よくやっタ! あとは娘っこと、残骸さえありャ、この駅舎で造れるゼ!』」
「……そうか、では進行を頼んだ」
「『任せロ!』」
 普段聞いたこともない溌剌な声色で返事をするトーマス。
 やってほしい案件の進行が滞りなく行えることを喜ぶ反面、アゼルは彼の掌の返しっぷりに、少し辟易とするのだった。