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浄化師たちがその屋敷に訪れると、無数の死人が折り重なりあい、呪いとなって怨嗟をこだましていた。
「1011ページ、魔法における基本式による世界の真理へ」
朗々と読み上げる声が聞こえてくる。
床に書かれた魔方陣と輝く魔結晶。
灯される蝋燭が揺れる。
いくつもの薬品の匂い。
「996ページ、魔法における基本的創造における、すなわち……やぁ、待っていたよ。君が生贄だね。彼を呼ぶにはまだ命が足りないんだ。
もうハロウィンなのにね。ちょうど頭の足りない子供たちがいたずらをはじめる、それにボクも参加するつもりだよ。
とびっきりの悪戯さ。ようやく彼の器になるものを見つけたから、ハッピーハロウィン」
アイボリー色の髪を揺らして、十にも満たない少女は微笑んだ。
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「今回は完全に討伐だ。捕えるのは難しいから、とりあえず見つけた瞬間に殺すつもりでいけ。じゃないと死ぬぞ」
受付口で物騒なことを口にされて浄化師たちは困惑する。
「相手は魔女だ」
ここ最近魔女たちがきな臭い動きをしているのはすでに浄化師たちの耳にはいっていた。
魔女の動きの牽制や計画を潰すことをやってきた。
その魔女の名前はアクイの魔女。
アイボリー色の髪に、真っ白いドレス、赤い頭巾を頭からすっぽりとかぶった十歳くらいの娘だそうだ。
彼女はハロウィンになると小さな村を一つ、必ず潰す。一人残らず殺し、その近隣の山に住む生き物も殺し尽くしてしまう。
「なんでも儀式なんだそうだ。この魔女は、毎年、ハロウィンの季節に儀式を行う。本人が言うには異界の門を開くための儀式だそうだ」
彼女の痕跡を辿れば、彼の魔女の研究は――異界へと至る門を開くこと。
その魔女曰く、ハロウィンの時期は死者と生者境目が曖昧となるらしい。
この時期に膨大なる死人を作り出し、呪いと悪霊を使役し、さらには動物の骨を媒介になにかを召喚としているそうだ。
しかし、それが成功したためしは今のところない。
そもそも、異界などというのは子供の信じる夢物語ともいえる。なぜ魔女がその妄執に囚われ、毎年、毎年、繰り返すのかは不明だが。
事前にアクイの魔女の目撃情報を元に数名の浄化師がその屋敷を訪れ――殺害された――体の一部だけが残されていた。
そのあと調査を行いに数名で屋敷に訪れ、いくつかの資料を見つけ出した。
「今年はこの魔女は教団の料理長を狙っている」
彼女の残したいくつもの研究資料にはギヨーム・フエールの写真やどこからどこからか採取したらしい毛があった。
狼の牙 999個
魔結晶 68個
アシッド 浄化師16体分
人間の半分 ×××個
――ギヨーム・フエール
器を使い、異界×××を×××。
待っていて、待っていて、待っていて、銀狼、銀狼×××、ボクが必ず。
君を×××!
魔法における基本的創造概念における。
すなわち。アーク。演算a??a-?a???。
君の名をボクが。
「この魔女は自分の妄執に囚われ、そのためだけにしか動けない。
……ギヨーム氏には、その日は安全なところにいてもらう。そしてかわりにギヨーム氏がその日、どこにいるのかの嘘の情報を流す。お前たちはそれを迎え撃つ。
一晩時間を稼げばいい。そうしたら魔女は来年までは大人しくなるはずだ」
●
「鉄よりも、強くしてあげよう」
口笛のような、潰れたウタを口にする。
それが彼女の魔力の具現化。
そして歌うように告げる。
「羽よりも早く」
ぶち、ぶちぶち。アイボリーをひきちぎり。
「アドレナリンの増幅による戦闘能力の向上を! 魔法とは幻想? 違うよ。科学だよ。何かを行えば必ず変化し、すべては決められてかえってくる反応。
そしてそれにおける結果。だから今度こそ成功するんだ。……ボクの愛しい銀狼、君のための器を用意しよう。
さぁ、グラディウス、スクートゥム、ウンブラ。ハッピーハロウィン。ギヨーム・フエールを殺してボクの元へと持ってきておくれ。
ボクはね、悪意の魔女。浄化師は僕のことをこう言い変えた、愛食いの魔女、と。
ギヨーム・フエール、君は銀狼となって僕のことを食べるんだ。ああ、はやく、はやくボクのことを食べておくれ、愛しい銀狼……!」
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「親方! ついにできました!」
「おおお! これでオレの夢が叶う!」
ここは教皇国家アークソサエティ・ソレイユ地区、見通しの良い麦畑が広がるのどかな地。その一介にある小さな工場。
そこに二人の人間が感極まったように肩を叩きあっている。
「これは大ニュースになるぞ! 今までの気球は蒸気機関で空気やガスを温めなければいけなかったが、火を扱う以上事故も多かった。だが、これなら……」
親方と呼ばれた男性は大きな布の塊と人が三人は優に乗ることができそうなゴンドラを見やる。
「はい、この材質には苦労しました。ニホンからワシと呼ばれる丈夫な紙、そしてカキという果物から取れた果汁と糊を組み合わせたものを布の内部に貼りあわせて……」
「ああ、ニホンから来たって言う刀鍛冶師が教えてくれたんだったな。だが、まずは試験飛行が必要だ。だが……オレとお前ではいかんせん人手が足りん。なので教団を巻き込もうと思う」
刈り込んだヒゲを撫でながら親方は教団本部がある首都エルドラドの方向に顔を向ける。その顔と腕は小さな工場を自分一人で育て、守ってきた貫禄が感じられた。
「……そうですね。飛行型ベリアルの危険性が無いとは言い切れません。オレもベリアルに家族を殺されて……。親方がオレを庇って逃げてくれなかったら今頃……イデッ!」
「バーカ。めでてえ時に湿っぽい話すんな! お前の父には借りがあるんだ。それにお前が来てからオレの仕事場がしっちゃかめっちゃかで気の休まる暇も無かったんだからな!」
ガハハと笑いながら弟子の頭を軽く小突く親方。その拍子に弟子の帽子がずれ、まだ少年と言っても過言では無いあどけなさを残した顔が露になった。
「……ありがとうございます。オレ頑張ります!」
「おうよ! んで、中に入れるガスは用意してあるな? 水素でも良かったんだが、あれは爆発するととんでもないからな」
「はい! 親方に言われた全く新しい気体です。……でも良かったんですか? これ、まだ市場にも出回っていないものですが。その為に親方は奥さんの形見を……」
そう言うと弟子の少年は横に置いてある鉄製の大きなボンベを見る。厳重に封がされており、蓋も溶接されている。
「……良いんだ。アイツも気球の完成を心待ちにしていたからな。それにこれでニュースになれば簡単に買い戻せる! 失敗はできねえから気合入れろや!」
親方もどこか遠い目で萎んでいる気球と物々しいボンベを交互に見た。
「はい! じゃあ教団に護衛を頼むんですか?」
「いや、どうせならお祭り騒ぎにしてしまおうと思ってな。希望する奴らを乗せてやれば皆も笑顔になるんじゃねえか?」
「……と、言うと?」
「コイツには三人乗れるがエクソシストをパートナーと二人で乗せれば楽しんで貰えるんじゃねえかなと思ってな。幸いここは見通しの良い麦畑だ。危険は少ないと思うし、ベリアルが来ればすぐに迎撃できる。地面は比較的柔らかいし、もし落ちても怪我は少ないだろう。んで、教団の人員で見張りを頼んで俺達は気球に結んだロープが外れないように、いや、事故が起きない様に万全の体制で当たる。どうだ?」
ゴンドラの様子を確かめながら親方が話す。
「良いですね! 空の旅……とまではいきませんが、普段と違う景色で風や景色を楽しんで貰えればオレも楽しいです!」
「ああ! オレ達二人で新しい時代と忘れられない思い出を作ってやろうじゃねえか!」
少年と親方は拳をトンと打ちつけ合うと、笑いあった。
ここは小さな村の小さな工場。厳しい男だがとても温かく愛情に溢れている親方と、よく学び、よく働く少年が暮らす家。
二人の期待を一身に受けた気球と共に夜は更けていく。
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肥沃な農業地帯ソレイユ、その片隅にある小さな農村モワソンでは一年で最も晴れがましい祝祭がはじまろうとしていた。
小さな噴水のある広場には、橙や紫のガーラントで飾り付けられた屋台が賑々しく立ち並ぶ。葡萄に梨、真っ赤な林檎。よく肥えた鹿や野兎の肉。秋の実りをふんだんに使った料理の数々――そして忘れてはならないこの時季の定番、かぼちゃのおばけがそこかしこで笑っている。
日頃は知った顔ばかりの静かな村ではあるけれど、収穫祭で華やぐこの季節だけは観光客の姿もある。
それだから、今年で十二歳になる果樹園の娘ポレット・トーは、屋台を順繰りに眺めている見慣れぬ二人組を見ても、何の警戒心も抱かなかった。ひときわ艶の良い林檎を選び取って、声を掛ける。
「こんにちは、お姉さんたち。モワソンへ、ようこそ! わたしのお父さんが育てた林檎はいかが? 甘酸っぱくてとってもおいしいの」
「あら」
「可愛い売り子さんね」
幼い客引きに、二人の女性は愛想よく微笑んだ。
向き合って初めてはっきりと見て取れたその顔がそっくり同じなので、ポレットは心の中で密かにびっくりした。
癖のない、長く伸ばされたプラチナブロンド。一人はゆるく三つ編みにしてリボンを結び、もう一人は顔のサイドに雫型の赤い石が揺れる髪飾りをつけてあとは背中に流している。長い睫毛に縁どられた双眸は切れ長で、プラムみたいな淡紫色の瞳。よく見れば着ている服もそっくり同じ、お揃いだった。黒葡萄色のマーメイドドレスはところどころに銀の糸で刺繍が施されて、きらきらと輝いている。つんと尖った耳からすると、エレメンツなのだろう。
(きれいな人たち……夜の女王さまみたい)
こんな農村ではお伽噺の中でしか見ることのない煌めいた雰囲気に、ポレットは思わず見惚れて顔を赤くした。
「美味しそうね」
「ええ、とっても。あなたの好きな梨もあるかしら」
女性たちは林檎を受け取って、楽しそうに笑う。子供であるポレットが相手では無視されてしまうことも多いが、これなら買ってもらえそうだ。
「あ、あのっ、梨もあります。今年は、すごく甘い実がなって……」
ポレットが言うと、双子は揃って目を輝かせた。
「素敵!」
「収穫しなくちゃ!」
「え?」
ポレットが訝しく首を傾げた矢先――どごんっ、と凄まじい衝撃音がした。動揺した男女の怒声と悲鳴が交錯する。不意に足元が不確かになった。
「な、何が起きたの?!」
「隕石でも降ってきやがったのか」
「お、おい、地震だッ」
「違う……うそだろ、地面が……浮いて……!」
呆然とするポレットの目の前で、双子は少女のような仕種で口元に手を当て、くすくすと笑っている。
「さあ、収穫しましょう」
「お仕事の時間よ、可愛いゴーストたち!」
その声を契機に、地面が唸った。
石畳がひび割れ、裂け目から暗紫色の靄が毒ガスのように噴出して渦巻く。靄は錯綜する人々の間をびゅんびゅんと飛び回ると、あっという間に広場にいた村人たちを幾つかの塊に拘束してしまった。
靄には触れないのに、逃げられない。怖気がぶるぶると背筋を震わせる。
おぉぉぉおおおぉおぉぉ……。
瞬く間に、広場はゴーストの慟哭に包まれていた。剥がれた大地がさながら巨人のお盆の如く、料理や果物の屋台を乗せたまま空中に浮かび上がっている。
「ま、魔女だ……!」
叫んだ声は、この村の教会を管理する司祭のものだ。
魔女――本来、竜やピクシーといった存在のみが扱えるはずの魔法を使う突然変異の種。かつては魔法使いと呼ばれ敬われていたが、アレイスター・エリファスが考案した魔術の普及と入れ替わるようにしてその存在は次第に貶められ、最終的には魔女狩りなる大迫害にまで至った。非難、困窮、飢え。追い詰められた魔法使いたちは、当初は大半が謂れなき風評であった悪い噂を裏づけるように行状を悪化させ、弾劾に拍車をかける。
一度はじまった負の連鎖は、そうそう止まらない。
そうしてある時、ひとつの村が魔法使いによって滅ぼされ、住人たちはただ殺されたのではなく魔法使いによって『食べられた』のだということが判明する――その瞬間に、人々の畏敬を集めていた魔法使い像は完全に消滅し、人を喰らう邪悪なる魔女像が確立したのだった。
まじょ、と繰り返したポレットの目の前で、どこからともなく降ってきたオレンジ色のもの――南瓜が司祭の脳天に直撃した。司祭の頭部ががくりと落ち、こめかみを赤いものが伝う。
「そう呼ばれるのは好きじゃあないの。ごめんなさいね」
「わたしはジゼル」
「あたしはクロエ」
「ちゃんと名前があるのよ」
双子の魔女は同じ声で交互に喋る。
「わ、わたしたち、食べられちゃうの……?」
悪い子は魔女に食べられちゃうわよ――この村では誰しもが皆、一度は言われたことのある言葉だ。
ゴーストに拘束され顔を真っ青にしたポレットの呟きを、意外にも双子は否定した。ポレットの父が育てた林檎にキスをする。
「うん、良い香り……安心して、お嬢ちゃん。わたしたち、人間なんて食べたことないわ」
「あたしたち、美味しいものや綺麗なものが好きなの」
「他のみんなは、どうして人間を食べようなんて思ったのかしら」
「人間なんて食べなくたって、食べ物はこんなに沢山あるじゃない」
「それを奪えばいいのよ!」
最後はふたつの声がぴったり重なった。
「わたしたちだって、魔法が使えると言うだけで沢山奪われてきたんだもの」
「だから、今度はあたしたちが奪う番」
「これでおあいこね!」
「おあいこよ!」
そこらじゅうを埋め尽くす禍々しい悪霊とは裏腹に、双子はどこまでも無邪気で、それがかえって恐ろしい。
しらずしらず、ポレットは懇願していた。
「ころさないで、おねがい」
楽しいお祭りのはずだった。みんなで美味しいものを食べて、歌って、踊って、そして一日が終わってしまうのを惜しみながらベッドで暖かな眠りにつくはずだった。そんな幸福な日々はもう永遠に戻ってこないのかもしれない。悲しみがひたひたと押し寄せてくる。
泣きはじめたポレットの頭を、ジゼルは尖った爪の先でさらりと撫でた。
「泣くことは無いのよ、可愛いりんご娘ちゃん」
「あたしたち、壊すのは得意でも作るのは苦手なのよね」
「だから、素敵なものを作ってくれるあなたたちが必要だし、あなたたちのことが大好きよ!」
「今ここにあるものは全部あたしたちが貰っていくけど、またがんばって作ってね」
離れたところから、何か大きなものが倒れたり壊れたりする音が聞こえてくる。広場から四方八方に飛んで行った悪霊が、他の村人たちをも拘束しようと襲っているらしい。教団に救援を、と誰かの叫ぶ声が聞こえ、そして途切れた。
「教団は怨讐派の相手で忙しいと思うけど……」
「もし来られたら、ちょっぴり厄介ね」
急いで収穫しましょう、と魔女は頷き合う。
「ジゼル、あたし、ドレスを見繕ってくるわ」
「クロエ、わたしの分もお願いね。新しい髪飾りが欲しいの」
魔女の一人が、悪霊の波に乗ってふわりと宙を移動する。それを見送ってポレットたちの前に残った魔女ジゼルは、真っ赤な林檎をひとくち齧った。
「ふふ……可愛い小さなお嬢ちゃん、あなたのお父さまが作った林檎、とってもおいしいわ!」
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ここは、教皇国家アークソサエティの西部に位置する、巨大都市エトワール。
エトワールの中心街にあるリュミエールストリートから少し外れた場所にある公園では、一つのイベントが開催されようとしていた。
多くの人々で賑わうその場所のあちらこちらに、一際目を引く『秋のファッションショー』のチラシが踊っている。
しかし、大手ファッションショップ「パリの風」の近くにある貸衣装店では、想像を絶する噂が語られていた。
『ファッションショー』に出演依頼を頼んでいたモデル達の中に、魔女がいるという噂が流れたからだ。
魔女はエレメンツと変わらない容姿を持ち、人では使うことができない魔法を行使し、また、人を喰らう存在として人々から恐れられている。
だが、モデル達はエレメンツが多く、魔女であるのかは判別することが難しかった。
秋の結婚式をテーマしたファッションショーの開催の一報は、結婚式に憧れている、これから結婚式を迎える貴族や市民達から大いに歓迎された。
また、ファッションモデルが、観客に向けて投げる秋の花のブーケを目当てに訪れる来訪者達も多く見受けられる。
既に、エトワール以外の各方面にも宣伝しており、予約チケットは完売していた。
「これだけ盛り上がっているのに、中止にするわけには……」
悲壮感を漂わせてつぶやくのは、イベントの運営責任者だ。
「教団に、ファッションモデルについて相談してみませんか?」
進退極まった店内で、イベントの進行スタッフが運営責任者に提案したのは、なりふり構わない直接的な手段だった。
「浄化師にお願いするのか?」
「はい。浄化師が出演していると聞けば、魔女も迂闊に行動を起こさないはずです」
運営責任者の疑問に対して、スタッフが冷静に分析する。
「来てもらえるといいのだが……」
運営責任者は最近、人々から語られていた浄化師達の活躍と人気を思い返しながら深刻そうにつぶやいた。
――以下は、ファッションショーに出演する女性モデル達の間でひそかに交わされた会話である。
「魔女、本当にいるのかしら?」
「さあ、ただの噂じゃない?」
「でも、これってお客様からの情報でしょう?」
「私、プリムが怪しいと思う」
女性モデル達は興味津々で、モデルの中でも目立つ女子の名前が次々と挙がる。
女性モデル達が騒いでいる中、最初に発言した女性モデル――ローズは人差し指を立てると、きょとんとした表情で首を傾げてみせた。
「あの、そう言えば、どうしてそのお客様は、私達の中に魔女がいるって思ったのかしら?」
「――っ」
その言葉を聞いて、嫌な予感が女性モデル達の胸をよぎった。
『ファッションショーに出演するモデルの中に、魔女がいる』
その情報は、やっぱりおかしいのではないかーーと。
もしかしたら、そのお客様が魔女なのかもしれない。
ファッションショーのチラシを見つめながら、女性モデル達は漠然と消しようもない不安を感じていたのだった。
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オレンジと黒、ふたつの色に街が埋まる夜がある。
ハロウィンだ。
日没とともに喧噪がみるみる失せて、ひやりと冷たい秋風が吹く、そんなこの時期だというのに、今夜だけはそんな寒さ静けさとは無縁といえよう。
カボチャランタンのオレンジ色、コウモリと夜の黒、ふたつの色が街を惑わせる。
そんな幻惑のこの夜を、あえて惑うもいいものだ。おっかなびっくりあるいは堂々と、物見遊山しようじゃないか。
舞台はエトワールの中心、憧れのリュミエールストリート!
通行人は思い思いの仮装に身を包む。あなたとパートナーも今日は特別、一夜限りの変身を楽しんでみるのはどうだろう。
ハロウィンは無礼講、ボヌスワレ・ストリートで朝が白むまで、飲み明かし踊り明かすのだって自由だ。
裏通りスターダスト・ルージュに、アダルトな出逢いを求めてもいいだろう。きっと今夜ばかりは、恋の神もずいぶんとガードが緩くなっているにちがいない。
大衆食堂『ボ・ナ・ベティ』だって、今夜ばかりはハロウィン仕様、パンプキンパイをつつくも良し。
猫カフェ『ミネ・アンジェ』? なんとここですらハロウィンなのだ。ニャンたちの仮装が見られるかもしれない。
エクソシストだからってためらうことはない。幻惑の夜の参加には、資格も制限もないのだから。
さあ、楽しもう!
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台車にカボチャプリンをつめた小瓶を並べ、調理室から搬出しようとしていた教団寮食堂の料理人見習いは、後ろから声をかけられて振り返った。
「はぁい。それ、なに?」
「カボチャプリン。やっと納得できるものができたからな、浄化師たちに配ろうと思って。ハロウィンっぽいだろ?」
制服ではなく、ローブに身を包む彼女は果たして誰だったか。
しばらく考え、料理人見習いは思い出す。世俗派の魔女のひとりだ。よく食堂で本を読んだり、くつろいでいたりする。
確か、エイバと呼ばれていた。
「ハロウィンねぇ。これ、普通のカボチャプリン?」
「いや、厳選したカボチャ農家から仕入れた……」
「要は普通のカボチャプリンね」
「……まぁ」
手間暇かけて作った料理なのだが、言ってみればそれだけの、驚嘆するような細工もないシンプルなカボチャプリンだ。不承不承ながら青年は頷く。
「匙。ちょうだい」
「食うのか? うまいぞ?」
「私じゃなくて。ポモナ、サウィン!」
ちょうど食堂に入っていこうとした二人の少年を、エイバが呼びとめた。
つんのめるように立ちどまった二人がそれぞれ返事をしながら、小走りで駆けてくる。
「こんにちは、エイバさん。料理人さん」
「よっ」
「二人とも、このプリンを食べてみなさい。ただし、天井を見ながらね」
「は?」
「え?」
「天井?」
「いいから食べる。天井を見ながら」
蓋をとったカボチャプリン入りの小瓶と、菓子と一緒に配るために用意してあった小さな木匙を少年たちに渡し、魔女は促す。
青年と少年たちは首を傾けた。
やがて、ポモナとサウィンはおずおずとカボチャプリンを口に入れて、
「まずい!」
声をそろえる。
料理人見習いが凍りついた。
「なんか……あじがしない……」
「口のなか、すっごいきもちわるい!」
「そんなはず!」
「黙って。落ち着いて。じゃあ今度は、互いの顔を見ながら食べなさい」
少年たちは思い切り嫌そうな顔をしたが、エイバの無言の圧力に屈し、渋々と二口目を食べた。
今度は、互いをしっかりと見て。
ぱくり、と。
ぱぁっと音が聞こえてきそうなほど、ポモナとサウィンの表情が輝く。
「おいしい!」
「でしょう?」
「あまい! カボチャのあじだ!」
「おいしい~!」
大はしゃぎする子どもたちを横目に、若き料理人見習いは眉を寄せた。
「……どういうことだ?」
「魔法をかけたの」
なんでもないことのように魔女は言う。いつの間に、と料理人見習いは頬を引きつらせた。
「別に悪い魔法じゃないわ。相手の顔を見ながら食べたら、自分が相手のことをどれくらい好きか分かるってだけよ」
「……んん?」
「つまりね」
天井を指さして、魔女は得意げに説明する。
「ポモナとサウィンは天井に対して愛情なんて抱いてないでしょう。だから味がしなかったの。でも、互いのことは大好きでしょう? だから、相手の顔を見ながら食べたら、とっても甘くておいしかったの」
エイバの白くて細い手が、カボチャプリンと木匙をとった。
蓋をとり、ぽかんとしている料理人見習いの顔を見ながら、食べる。
「少しだけど、甘いわ。私、あなたのこと嫌いじゃないみたい」
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朝食時を過ぎたころ。
薔薇十字教団本部は、ちょっとした騒ぎに包まれていた。
「……それで、どういうことです?」
司令部棟の会議室の一室。
ライカンスロープの司令部教団員は、困り切った顔で椅子に座る少年を見下ろしている。
ずいぶん長くうつむいていた彼は、やがて腹をくくったように顔を上げた。大きな目には涙がたまり、唇は震えていたが、それでもしっかりと説明する。
「ポモナがよなかに、おりょうりつくるところに、はいって、カボチャに魔法をかけました」
「はい」
ポモナというのは魔女見習いの少年の名前だ。説明をしている彼もまた、魔女見習いである。
二人の差異といえば、片や元は怨讐派だったがわけあって逃走、教団に保護を求めたこと。片や世俗派の魔女の血を引く者として、教団に保護されていたこと、だろう。
「その……魔法は、犬の耳としっぽをつける、というもので」
「どうしてそんな魔法を……。というか、犬じゃなくて狼なんですけど……」
「じょーかしのみなさんは、ハロウィンなのにあそびもしないで、はたらいてるからって……」
身を縮める少年が、ちらりと視線を逃す。
病棟の方を見たのだと、司令部教団員は気づいた。まだうまく魔法を扱えないポモナは、カボチャに悪戯をして、その反動で熱を出して朝から寝こんでいる。
「まぁ、確かに。街はお祭りムードですが、浄化師の皆様は忙しくされておられますね」
怨讐派の魔女が悪事を働こうとしているからなのだが、それを少年に告げるのは酷だろう。
自分たちが浄化師の仕事を増やしている、と罪悪感でますます落ちこみかねないし、たったひとりで友の罪の告白をしにきた少年は、もうそのことに気づいているかもしれない。
「いぬになったら……やすめるんじゃないかって……」
「私は猫になっているのですが?」
ふらりと司令部教団員の細長い尾が揺れる。
黒狐のライカンスロープであるはずの彼女は、三角の猫耳と長い猫の尾を獲得し、代わりに寝起きの際にはあった耳と尾を失っていた。
「あ、おおかみやキツネは、ねこになるらしいです」
「うーん……」
「ポモナ、ほかの魔法はぜんぜんつかえないのに、すがたを変えさせる魔法だけはとくいで……」
「そうですか……」
「たぶん、ゆうがたにはもどるんですけど……」
「夕方……」
頭を抱えた彼女は、でも、と疑問に眉を寄せた。
「どうして魔法にかかった方と、かかっていない方がいるのでしょう?」
「その件についてだが」
扉が開く。妙に楽な格好をした男の姿を視認し、司令部教団員はとっさに少年を背にかばった。
「あーはいはい警戒しないで。俺です。教団寮の料理人見習いさんです」
「……あ」
「思い出したか? あの服着てないと分からんよな。ごめんな。あれで動き回ると怒られるんだわ。あと、もうひとつ謝らせて」
きょとんとする二人に、彼は勢いよく頭を下げた。
「この事件、俺にも責任があります。ごめんなさい」
「どういうことです?」
「あんた、朝食のデザートのカボチャプリン、食べたか?」
「え? ええ、甘くておいしかったですよ。カボチャの味もしっかりしてて」
「そうか。あれ、俺が作ったんだよ。ところでプリンが入ってた容器に蓋がついてただろ? 何色だった?」
「……赤、だったような」
「あたり。もしくははずれ」
視線で詳細を求める彼女に、料理人見習いは後悔いっぱいのため息を吐き出した。
「実は今、カボチャプリンの試作してて。今朝出したのは試作品。で、実は三種類あった。カボチャを三軒の農家から仕入れてたんだ。どのカボチャが一番、プリンにあうか知りたくて」
「はぁ」
「そのうち二軒は昨日の昼間にカボチャを届けてくれたんだけど、一軒だけ、馬の調子が悪かったとかで、教団に届いたのは夜中だった」
見習いであるからこそ、料理人の朝は早い。
夜中まで待たされた彼は、涼しくなってきたし一晩くらいなら大丈夫だろう、とカボチャを調理室の隅に放置して退室した。
その直後、ポモナが侵入。目についたカボチャの山に魔法をかけ、部屋に戻って発熱。
早朝になり、料理人見習いはそれに気づかないまま、カボチャプリンを作った。
「最初に届いたカボチャで作ったプリンには青。次は緑。夜中に届いた分には赤の蓋をつけて、どれが一番おいしそうに食べられてるか、こっそり見るつもりだったんだ」
ところが。
赤い蓋がついた――変身の魔法がかかったカボチャで作られたプリンを食べた人々が、三十分ほどで姿を変えてしまった。
「俺がカボチャをきちんと仕舞うか、しっかり戸締りしてたらこんなことには」
「ちがいます! ぼくがもっとポモナを気にしてたら……!」
「……言い争っても仕方ありません。事情は分かりました。サウィンさんはポモナさんについていてあげてください。料理人さんは持ち場へ。私は、このことを上に報告してきます。被害にあわれた皆様には、念のため、教団内で待機していただきましょう」
苦笑した司令部教団員は、まぁ夕方に戻るらしいし、ちょっと黒猫になっただけだし、たまにはいいかと、事態を受け入れることにした。
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指令を終えた夕暮れ。
ようやくレポートを出して帰れる、と思ったその矢先に、ぐいっと襟首をつかまれた。
「では、ゆくぞ、可愛い子らよ」
ユギルさん!
なんですか、いきなり! も、問答無用だ。これ!
「なに、新しい指令じゃ。働け社畜」
な、なんだと!
連れてこられたのはリュミエールの通りの端っこにちょこんと位置するスナック【マリアの夜】。季節感のためか、かわいらしいかぼちゃがついている。
ドアを開ければ、そこはお面と仮装をつけた人、人、人……!
「今月まで仮装と仮面つきのお祭りでのう。客は多ければ多いといいそうじゃ。吾も仮装をして楽しむつもりじゃ」
なんと。
すると奥からむきむきの二の腕がいつも素敵なマリアママが――真っ赤なドレスに尖がり帽子のお姿で、あ。エプロンしてる。
「やだぁん、きてくれたのね。ありがとう。今月はお店でお祭りなのよん。新作のかぼちゃ関係の食べ物もあるから試食よろしくね。あ、そうそう、はい」
渡されたのはお面とカード?
「お客様はみんなお面をつけて正体を隠して遊ぶっていうのがお祭りのテーマなの。仮装衣装もあるわよぉ。かっこいいのから色気むんむんまで。素性を隠していろんな人と遊びなさい。あ、そのカードはね、最後にダンスするのよ。そのカードの相手とよ~」
「ほれ、魔女のことであれこれとある。これはその一環。指令は指令、金も出る。仕方成し、仕方なし」
そうか、魔女対応としては仕方ない。このパーティを全力で楽しむしかないのか!
「そうよぉ。そのためにママ、がんばってお料理してイベントを用意したのよぉん。ほらぁ、楽しみなさい? そうしたらおブスの魔女を牽制できるんでしょ? がんばりなさい~」
ママがわざわざ用意してくれたんだし!
「さて、酒じゃ、酒。ママ、とりあえず、ニホン酒の【大魔王】と狐の衣装を頼む。む。狐では芸がない? むむ。では……少し遊ぶか。なにに化けるか? 内緒に決まっておろう?」
さて、夜もお祭りもはじまったばかりだ。
どうしよう。
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とある民家。
その窓辺に置かれたベッドの上に、少女が座っていた。
彼女の名前はエリサ。病気がちで、あまり外に出られない少女だった。
エリサは窓越しに、星の煌めく夜空を見つめ、ため息をついた。
「今日も……あの人は頑張っているのかしら」
彼女には恋人がいる。今年になってとある新聞社に勤め始めた、新米の記者だった。
新聞社に入る前は、具合の悪いエリサを心配して毎日のように顔を出してくれていた。
しかし、今は毎晩遅くまで仕事に追われているという。
エリサの元に姿を見せるのも、週に一度あるか無いかという具合だった。
エリサは枕元に置いてあった新聞を手に取る。
今日の新聞にも、彼の書いた記事がしっかりと載っていた。
「ずっとやりたい仕事だ、って言ってたものね」
エリサにとっては、彼の夢がかなった事や彼の記事が人の目に触れることが自分の事のように誇らしく思えていた。
それでも。
「……少し、寂しいわ。それに」
寂しさもそうだが、こうも連日連夜働き続けていては、彼の体調も心配だった。
具合が悪くなっていないか、ちゃんとご飯は食べているのか。そんなことを考え、エリサは不安に駆られた。
そこで、エリサは思いついた。あの人にプレゼントを作ろうと。
エリサは何か良い物が無いか、と考え『星のランプ』と呼ばれるお守りを作ることを考えた。
贈りたい人のことを思いながら、一針一針縫った小袋に、何種類かの花やハーブを詰めたお守りで、彼女が母から教わった物だった。
夜になると中に入れた花が発光することから、『星のランプ』と名前をつけた。
「意味は……『貴方の健康を祈っています』。これなら意味もぴったりだし、私にも作れるわ。……でも」
彼女には懸念点があった。
ひとつは、材料が集められないこと。
『星のランプ』を作るには、『彼の好みそうな色合い』の布と、『スターフラワー』という花が必要だった。
しかし、彼女の体ではそれらを全て集めることは難しかった。
もうひとつは、彼に届けることができないこと。
忙しい彼は、今度いつ自分の元を訪れるのか分からない。
しかし、彼の職場である新聞社に行くことも、彼女には困難だった。
困った彼女は、教団に依頼を出し、プレゼント作りを手伝ってもらうことにしたのだった。
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「今回の依頼はアークソサエティに住むエレメンツが比較的多く住んでいる森の集落に行ってのまぁ現地調査といったところだ」
指令発行を行うロリクは顎を撫でながら説明を続けた。
人間、他種族と関わることを好むエレメンツやピクシーが住むその集落には、多くの魔術に関わる者が訪れる。
そのためだろうか。いつからか不思議な現象が起こるようになったのだという。
「ここにワスレモノの湖というところがある。お前たち、会いたいのに、もう会えない相手っていうのはいるか? 浄化師だものな、いるだろう。一人や二人」
会いたい相手は死者でもいい、まだ生きている相手でもいい、もう顔から忘れてしまった相手でもいい。
ただ一つの条件は「会いたいけれど、もう会うことが叶わぬ相手」。
多くのエレメンツやピクシー、さらには魔術師や浄化師たちが訪れ続けた結果、魔力を宿らせた湖は年に一度、
月の美しく、大きく見える夜の間だけ、自分の会いたい人に会うことが出来るとされている。
それゆえ訪れる者はこの湖をこう呼ぶ――ワスレモノの湖。
「長い年月をかけて魔力をためた湖が見える幻ともいえるんだが」
心の底から望んだ相手――たとえもう顔すら忘れていても、湖は訪れた者の記憶や想いを読み取って、完璧に相手を再現してくれる。
たった一晩だけ。
君たちの切実な気持ちに応えて現れる、たった一人、忘れることのできない、会いたい相手。
「ただし、その現れた相手は言葉を口にしたりすることはないし、動くこともない。ただ会うことが出来るだけだ。
ああ、それに魔力の作用なのかカメラや絵で記録として残すことも出来ないそうだ……その土地に住むエレメンツが言うには、これは湖の慈悲なんだという。
生者は変わっていくが、どうしても心残りや吐き出したい気持ちを抱えているならば、せめて一晩、それを吐き出すチャンスを作るっていう。
今回はその湖でお前たちは会いたい相手に会う、そしてどう過ごすのも自由だ。まぁ体験レポートだな」
ふふっとロリクは笑ったあと。
「まぁ……こういう指令だ。いろいろと思うところはあるだし、どうしても、報告したくないことは報告しなくてもいいぜ」
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