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「申し訳ありません。お嬢様は今日もお会いにならないそうです」
とある屋敷の門前で、メイドが頭を下げた。
それを受けた男はがっくりと肩を落とした。
「そうですか……」
男の名前はユリウス・ワーナー。彼がこうやってメイドに頭を下げられるのは今日で10回目になる。
「では、せめてこれをマリアさんに」
ユリウスは小さなブーケをメイドに差し出した。メイドは申し訳なさそうな表情を浮かべ、それを受け取った。
「ええ。必ず、マリアお嬢様にお渡しいたします」
この屋敷の一人娘マリア・アリスティンはユリウスの婚約者だ。年はまだ16歳。ユリウスから見ると7つも年下になる。
二人の婚約は親が勝手に決めた、いわゆる政略結婚だった。そのため、ユリウスもマリアの顔を一度しか見たことがなかった。
しかし、ユリウスはそのたった一度でマリアのことが好きになってしまったのである。
「マリアさん……婚約にあまり乗り気じゃないんだろうな」
ユリウスはせめて顔だけでも見れれば、という一心でたびたび屋敷を訪ねている。
しかし、当のマリアは彼の前に姿を決して見せない。
「少しだけでも話ができればいいんだけどな……」
また数日後に訪ねてみよう、とユリウスは考え屋敷に背を向けた。
屋敷の前の長い坂を下りきり、ユリウスが夕暮れの大通りを歩いていたその時。
「お待ちください!」
女の声が背後から彼を呼び止めた。
ユリウスが振り返ると、先ほどのメイドが息を切らして走ってくる。
「どうしましたか?」
彼女の息が整うのを待ってからユリウスが尋ねると、メイドは手に持っていた封筒を彼に差し出した。
「お嬢様からのお手紙です!」
「!?」
驚いたユリウスは人目もはばからず手紙の封を切った。封筒の中には白い簡素な便せんが1枚だけ入っていた。
二つ折りになっているそれを開くと、女性らしい柔らかな文字が躍っている。
ユリウスは急いでそれに目を通した。
ユリウス・ワーナー様。
手紙越しでのご挨拶をお許しください。
あなたからの贈り物の数々、とてもうれしく思います。
私は幼い頃から屋敷の外にはあまり出たことがなかったので、あなたからの贈り物がとても新鮮に感じます。街の空気を感じられるようで、私も外に出かけているような気分です。
こんな素晴らしい贈り物をしていただいているうえに、このようなことを申し上げるのは図々しいとは思いますが、あなたにひとつお願いがございます。
私のもとに『プロレマのアロマ』『森のハーブティー』この2つの品物を持ってきていただきたいのです。
あなたが2つの品物をもってこの屋敷を訪れた際には、私は必ずあなたの前に姿を現します。
どうか、お願いいたします。
マリア・アリスティン
ユリウスは手紙を読み終えると、メイドに思わず尋ねた。
「これ、本当にマリアさんが……?」
「正真正銘、お嬢様の筆跡ですよ!」
「いや、だって……急に会ってくれるだなんて、まだ信じられなくて……。でも、これはチャンスだよな」
(マリアさんの願いをかなえて、俺の誠意を見せるチャンスだ……!失敗するわけにはいかない!)
ユリウスはもう一度手紙に書かれた品物を確認した。
(これだけじゃ味気ないな。せっかく直接会える機会なんだ。俺からも何か贈り物を贈ろう。……渡すときも、怖がられないように立ち振る舞いやセリフも工夫したいな)
ユリウスはそんな風に頭の中で考え、メイドに向き直った。
「マリアさんに伝えてください。必ず俺はあなたの元に向かいます、待っていてください、と」
そう意気込んだものの。
「これは……。一筋縄ではいかないな……」
マリアが示した2つの品物はどちらも入手が難しく、ユリウス一人ではとても手が回らなかった。
ユリウスは悩みながらもいつものように屋敷を訪ねた。もちろん、マリアは姿を現さない。
「はあ……これじゃあ、品物がそろうのはいつになるのか……」
思わずユリウスが愚痴をこぼすと、見かねたメイドが彼にひとつアドバイスをした。
「ユリウス様が無理をして倒れでもしたら、それこそお嬢様は気に病まれてしまいます。誰かの手を借りてください」
「でも、お使いも一人でこなせないのかと呆れてしまうのでは……」
ユリウスがそう言うと、メイドは首を横に振った。
「お嬢様はそのようなこと思われる方ではありません。……ただきっかけが欲しいだけなのです。ユリウス様の人柄とやさしさを知るためのきっかけが。……大切なのは、あなた様が誠心誠意にお嬢様に向き合ってくださることです」
ユリウスはその言葉に甘えることにした。本当は全部自分で用意したかったけれど……。
家に帰りユリウスはすぐに筆を取った。依頼書を書くために。
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ちらちらと雪が降っている。
星が美しく見えると評判のノルウェンディであったが、月明りさえ届かぬ今宵の闇はどこか不気味で、一抹の心細さが胸の奥で燻るようだった。
樹氷群ノルウェンディでの任務を終え、あなたたちエクソシストは帰路に着こうとした。
しかし、アークソサエティまでの道中、先で猛吹雪が発生しているとの連絡が入る。
交通手段であるトナカイぞりも、視界が悪く道に迷う可能性があり、危険であると停止。
あなたたちはノルウェンディの端の、のどかで小さな集落で足止めを食らうこととなってしまった。
トナカイぞりの中継地となっている集落とのことで、十軒にも満たない家々がぽつぽつと散見できる。
「あんたら疲れてるだろう。なんにも無い田舎だが、まあゆっくりしてってくれや」
帰還がかなわず宿もない。困り果てたあなたたちに快く一晩の宿を貸してくれた家の主人が、にかっと笑って言う。
暖かいスープに、柔らかく燃える暖炉の炎。
慣れない常冬の気候に、冷え切っていた指先が、胸が、ぬくもりを取り戻していくのを感じるだろう。
穏やかな時間を過ごしていたその時、表からこの家の奥方の声がかかる。
「ちょっとあんた、そろそろ準備が出来たよ! ああ、エクソシストのお二人もどうだい?」
「おおそうだった! あんたら運がいいなあ!良かったら外に出てきてくれ。今日はこの集落の雪祭りの日なんだ。まあ、規模は小さいし来づらいし、町の雪像作ったりなんだのするでっかいのじゃあねえんだけどな!」
外に出てみると、赤、青、白、黄色――と、地面にいくつもの色鮮やかな光が落ちている。
その光はちらちらと揺らめいて、まるで地上で波打つ、オーロラのカーテンのような景色を描き出している。
「これはな、この村で作った特製のキャンドルホルダーだ。氷でできてて、中に小さなキャンドルを入れるんだ。その火の熱で真ん中からちょっとずつ溶けてく。なんで色がついてるのかって? いや、俺ぁ作ってねえから難しいことは分からねえが、魔力を込めて作っただか、魔結晶を真似ただかで、綺麗に見えるようにしてあるんだとよ。昔はこんな色じゃなくてよ、最近は魔女がきまぐれにおいてってくれんだ」
辺りに立ち込めていた全てを飲み込みそうな闇が晴れて、色を反射した白い雪が光り、視界を美しく照らし出している。
「見るだけでもいいがな~、これだけじゃねえんだ。この紙に願い事を書いて、キャンドルの火で燃やすんだ。最後まで燃えきったら、願い事が叶うって言い伝えだそうでな!」
そう言って、主人は小さな紙を1枚ずつ、あなたたちに手渡してきた。
幻想的な雰囲気に、あなたたちは息を呑むかもしれないし、目を瞠るかもしれない。
向こうでは、甘そうなココアと、フルーツが豪快に入ったグロッグワインを振る舞う住民の姿が見える。
人は少なく、雪があらゆる音を吸収して、まったりとした空気が流れていた。
飲み物を片手に談笑する住民に、お願い事をひねりだそうと唸る子供たち。
皆それぞれにこの空間を楽しんでいて、あなたたちを歓迎しているものの、このひと時の邪魔する者はいないだろう。
サクリファイスとの戦いを越えたり、日々の任務を真摯にこなしたり、その中で葛藤が生まれたりしたこともあった。
少し足を止めて、二人で語らうにはもってこいの場ではないだろうか。
『――少し、話をしませんか』
穏やかな雰囲気にのまれて、つい、そんな言葉が口をついて出てしまうかもしれない。
いつも通りの二人の、ちょっとだけ特別な夜が始まる――そんな予感がする。
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●教会にて
陽光は彩を橙黄色へと変えていく。まるでこの世界が黄昏に向かっていく未来を象徴するかのようだ。
そう思えば自然とカタリナ・ヴァルプルギスの口元に笑みが浮かぶ。
力を増してゆく魔方陣を前に、カタリナは讃美歌を歌い出した。
斜陽が礼拝堂の床にステンドグラス越しの光を落とす。魔方陣に光で描かれた神が重なる。
カタリナの歌声は一層高らかに。歌いながらも、魔方陣に魔力を注ぎ続ける。
左右に並ぶようにして膝をつきこうべを垂れて控えていたサクリファイスの信者たちは、その奇跡のような魔力と魔術の才能に心酔し、崇め敬う。彼らの背後にも、それぞれ魔方陣が描かれていた。
この場所にだけ、特別ゆったりとした時間が流れているような錯覚すら覚えるが、それを外から届く多数の足音と話し声が搔き消した。
カタリナは雑音に歌を止めるが、その表情は無粋者たちに怒るでもなく苛立つでもなく、むしろ笑みが深まったようにすら見えた。
「あちらから来てくださるなんて、好都合というものですわ。きっとこれも、主の思し召し……」
けたたましい音を立て、反動で蝶番が外れるほど荒々しく礼拝堂の扉が開かれ武装した人々が堂内に雪崩れ込む。
「カタリナ・ヴァルプルギス! これ以上お前の好きにはさせない!」
先頭に立つ男が叫ぶ。
だがカタリナは動じず、憐憫に満ちた目で彼らを見る。
「レヴェナント……」
レヴェナントとは、薔薇十字教団司令部の管轄下で世界各地でサクリファイスを追っている組織である。
彼らは日常生活では偽名を使用し書類上では死亡している扱いであるため、時に死神や亡霊と揶揄される。
「可哀想な人たち。間違った観念を植え付けられ、名を奪われ過去を消され生を弄ばれ……。けれど喜ぶと良いわ。あなたたちの魂はベリアルに分け与えられ、主が世界を救済するための礎となるのですから」
カタリナがすっと手を挙げるとレヴェナントたちの目前に魔方陣が光りはじめる。
予め床下に描いていたのだろう、そこにカタリナが魔力を注いだため光りを増し、視認できるようになったのだ。
「ヘルヘイム・ボマーか」
レヴェナントのうち魔術の心得のある者がそこに土気の魔力を注ぎ無力化しようとするが、それより早く控えていたサクリファイスの1人が自らヘルヘイム・ボマーの魔方陣へと飛び込んだ。
「っ!!」
避ける間もなく、魔術は発動し爆炎が発動する。
「うぁぁぁ……っ」
身を投げたサクリファイスは虫の息で横たわり、巻き込まれたレヴェナントたちは重傷を負いのたうち回る。
礼拝堂への延焼は免れたが出入り口付近の壁が崩れる。
しかし残ったサクリファイスたちは冷静に、自分たちの背後に描いた口寄魔方陣からベリアルを出現させると、カタリナが高笑いしながらサクリファイス・タナトスを発動させた。
その場にいたレヴェナント数名の魂が抜き取られ、ベリアルを進化させた。
さすがに疲弊したのか、カタリナはふらつき背を壁につけ呼吸を乱している。
この隙に一気に攻め込みたかったが、レヴェナントにはサクリファイスと進化したベリアルとが襲いかかる。
カタリナの魔力が回復すれば、再度魔術が発動されてしまうだろう。
このままでは、礼拝堂に踏み込んだレヴェナント全員がサクリファイス・タナトスの餌食となってしまうーー。
が、レヴェナントとて無策で押し入ったわけではない。
非常時の通信役を担うレヴェナントはすでに薔薇十字教団に向かい走り出していた。
●本部
「緊急事態だ」
そう言うヨセフ・アークライトは両脇にエノク・アゼルとフォー・トゥーナを従えていた。
聞かずとも、この三人が司令室に揃っているというだけで尋常じゃない事態だとわかる。
「カタリナの魔力があれほどとは……」
レヴェナントの男性が唇を噛む。
しかし、サクリファイス・タナトスの魔方陣に魔力を注ぎつつもヘルヘイム・ボマーも保ち、さらにはサクリファイス・タナトスを連続発動させることが出来るとは誰が想像しただろう。
「我々の突入は時期尚早だったのだろうか」
「そんなことはない。遅らせれば遅らせるほど住民への被害も拡大していただろう」
ヨセフはレヴェナントの男性を宥める。
しかし、その表情は強張ったままだ。
「聞いての通り、カタリナ、そして出現したベリアルは強力だ。自信のない者、体調に不安のある者は無理に行けとは言わない」
ヨセフが浄化師たちを見回す。パートナーと互いに顔を見合わせ、申し訳なさそうに部屋を出る者もいた。
だが……あなたたちはその場に残る。
これまで、存在を隠しサクリファイス殲滅のため全てを捧げた、歴史に名を残すことのない戦士たち、レヴェナント。教団員として、彼らに報いたい。
「行ってくれるか」
ヨセフの言葉に、あなたたちは頷く。
「ありがとう……!」
レヴェナントの男性は深く頭を下げた。それから、彼は言う。
「第一の目的はカタリナの殺害だ。そのためならば、我々レヴェナントは見捨ててもらって構わない」
きっぱりと言い放たれた言葉に、浄化師たちは動揺を隠せなかった。
レヴェナントの多くはサクリファイスに深い恨みを持ち志願した者だという。サクリファイス撲滅のためには命すら惜しくないのだろう。
その気持ちはわかるが、やはり彼らを捨て駒にするようなことはしたくない。
浄化師たちは窺うようにヨセフに視線を向ける。
「彼の言う通りだ。サクリファイス殲滅に徹するんだ」
しかしヨセフの表情は言葉とは裏腹に苦々しいものであった。立場上そう言わざるを得ないが本心は違っている。浄化師たちもそれが分からぬわけではなかった。
重い空気を背負い、あなたたちは任務に就いた。
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「久々の来客だね。さて、お手なみ拝見といこうか」
淡く輝く琥珀の中で、彼女は楽しそうに。酷く楽しそうにそう言った。
場所は、教皇国家・アークソサエティはルネサンスの南。その一角に広がる、スラム街。奴隷も混じる貧困層が暮らす場所。事件は、そこで起こった。
それは、月のない夜の事。人気(ひとけ)が失せた街の外れに佇む一つの人影があった。見れば、それは黒いローブを羽織った痩身の男。彼は街を見回しながら、くぐもった声で言う。
「……哀れだな」
闇色のローブが、夜風に揺れる。
「同じ人でありながら、かくも虐げられ、辛酸を強いられるか……」
そんな言葉と共に、男の手がスルリとローブの中から滑り出る。その手に握られていたのは、一本の小瓶。
「だが、それも今宵まで。これで、全ての苦しみは終わる」
すると、男は小瓶の蓋を開けると逆さに返した。開け放たれた口からサラサラとこぼれ落ちるのは、青白く光る粉。それは夜風に乗り、スラム中に広がっていく。
それを見届けると、男は囁く様に言った。
「全ては我が主と、カタリナ様の御名の元に……」
男の名は、『アラン・アビー』。人の世の滅びを願う宗教組織、『サクリファイス』の幹部の一人だった。
次の日、いつもの朝はスラムに来なかった。
昨夜眠りに着いたスラムの住人達が、目覚める事はなかった。日が高く登っても、彼らは、昏々と眠り続けた。寝返りも打たず、寝息さえも立てず。その様はまるで、生き物として、大切な何かが抜け落ちている様にも見えた。
元より、治安の悪い地域。他所から訪れる者もおらず、事が発覚するのに丸一日を要した。
クリスマスが近づいた深夜、アランの姿はスラム街の一角にあった。
「あと、一つ」
彼はそう言うと、手にしていたナイフで自分の手首を切り裂く。飛び散った朱い雫が、彼の顔を濡らす。アランはそれを気にする様子もなく、その身を屈める。伸びる血染めの指。それが、地面の上に複雑な紋様を刻む。ブツブツと紡がれる、言の葉。すると、描かれた紋様が朱い光を放ち、地面に染み込む様に消え去った。
それを見届けると、アランはゆっくりと立ち上がり、背後へ向き直った。
「来たか。邪教の使徒よ」
いつの間に現れたのだろう。4人の人物が、彼を取り囲んでいた。身にまとう礼装。手にした魔喰器。浄化師だった。
無言で自分に刃を向ける浄化師達に向き直ると、アランは全てを受け入れる様に両手を広げる。
「来るがいい。私の役目は終わった」
次の瞬間、真っ赤な血飛沫が彼のローブを染めた。
「もう……遅いのだよ……」
言い遺す事はないかと訊かれ、アランは血溜りの中で薄笑みを浮かべた。
「術式の設置は、すでに終わった……。後は、時が来れば『サクリファイス・タナトス』は自動的に発動する……。贄は、このスラムの住人全てだ……。避難させる事は……かなうまい……。これだけの数……。さぞや多くのベリアルの、糧となろう……」
青ざめた浄化師が、止める方法を問い詰める。しかし、返るのは勝ち誇った嘲りの言葉。
「無駄だ……。術式は、止まらない……。スラム(ここ)の者達は、目覚めぬ……。為す術はない……。お前達は、ただその時を待てば良い……」
響く笑いが、溢れる鮮血で濡れる。
「主よ……。今、お側に……」
最期にそう呟いて、アランは息絶えた。
その後の調査で判明したのは、驚くべき事実だった。
昏睡するスラムの住人達全ての魂が、抜けていたのだ。
おそらくは、かのサクリファイスの男が何らかの魔術的手段を持って、住人達の魂を抜き出したのだろう。
教団の上層部は、頭を抱えた。
抜き出された魂は擬似的に幽霊と化しており、離れた肉体との関係を断ち切れないままスラム街を漂っている。もし、このままサクリファイス・タナトスが発動すれば、幽霊状態となっている住民全てが生贄となる。そうなれば、大量の高スケールベリアルが発生し、街の中心部に雪崩込む事が予想された。
彷徨っている幽霊達をサクリファイス・タナトスが発動する前に肉体に戻し、住民を避難させれば、件の魔術は不発に終わる。けれど、肝心の方法が見つからない。
スラム街の住人の数は数百人。それだけの数の魂を操作するのは、容易ではない。
浄化師の中には悪霊を浄化する術を持った者もいる。しかし、幽霊とは言え、擬似的なもの。肉体は生きている。浄化してしまえば、間接的に全ての住民達を殺害する事になってしまう。そんな事が、認められる筈もない。
サクリファイス・タナトス自体を解除する案も上がったが、時限設置された術式は発動するまでその所在地はおろか、数すらも看過する事が不可能だった。
想定されるタイムリミットは、クリスマスの夜。
教団内に、手詰まり感が漂い始めたその時――
『レヴェナント』の捜査員から、一つの報告が飛び込んできた。
彼曰く、アークソサエティの東南に位置するアールプリス山脈の奥に、『琥珀の墓』と呼ばれる化石木の森がある。そこに、『琥珀姫』と呼ばれる魔女が住んでいるらしい。かの者は世界最古の魔女の一人で、特に霊魂の扱いに精通しているという。
彼女ならば、乖離した大量の魂を元に戻す術を知っているかもしれないと言うのだ。
しかし、件の魔女の元に行くのは容易くはない。彼女は多くの悪霊を使役しており、それを利用して琥珀の墓全体に呪いをかけている。それは、『魂縛り』と言う呪い。目標とした者の魂を束縛し、術者の手駒としてしまうと言うもの。極めて強力な呪いで、あらゆる生物をその支配下に置いてしまう。そして、その存在が殺されると呪いは殺した者に乗り移り、新たな手駒にしてしまう。琥珀の墓にはそうやって琥珀姫の手駒にされた生物が、番犬代わりにうろついている。彼女は、そんな森の奥でひっそりと暮らしているのだ。
彼女に会うには、そんな番犬達を打ち倒した上、その後に襲い来る呪いに打ち勝たねばならない。
悩む時間はなかった。時が来れば、時限設置されたサクリファイス・タナトスが発動する。阻まねばならない。どうあっても。
数に任せれば、幾ばくかの犠牲の上でかの魔女の元にたどり着く事は出来るだろう。しかし、届いているテロの情報は一つだけではなかった。手勢を無駄に分ける事は出来ない。
選ばれたのは、数組の浄化師達。
得体の知れない魔女に対する恐怖はある。けれど、それを振り切って彼らは歩み出す。
その肩に数多の人々の、命を背負って。
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世界が、朱に染まろうとしていた。
現人類世界の始祖の誕生祭たる、クリスマス。祝福と歓喜が世界に満ちる日。そして、今宵は歴史に残る聖夜になる事を、この地の全ての人々が確信した。ただし、その歴史を象るのは清き星の光ではない。それは、禍しくぬめる血の香り。
人類の滅びを望みとする、『サクリファイス』。其が企てしは、死の祭典。アークソサエティ各地で起こる大規模テロ。
『口寄魔方陣』、『ヘルヘイム・ボマー』、そして、『サクリファイス・タナトス』。次々と開く、禁忌の華。響き渡るベリアルの咆哮。夜闇を震わす爆音。贄として喰われゆく人々の悲鳴。
それらが奏でる狂躁曲の中、浄化師達は戦いに身を投じていく。湧き上がる絶望と、心を蝕まれる恐怖に耐えながら。
その地獄の様な光景を眼前に、そびえる建物が一棟。
薔薇十字教団本部。いつもは、大勢で賑わっている場所。けれど今は、ひっそりと静まり返っている。本来、守りについている筈の浄化師の姿もない。ひょっとしたら、その殆どが外での戦いに駆り出されているのかもしれない。
そんな本部建物の前に、幾つかの人影があった。
黒衣を纏い、目深にフードを被ったその数、6人。彼らは無言で頷き合うと、洗練された動きで本部の敷地内に入っていく。それぞれが素早く庭木の間に身を潜め、様子を伺う。やはり、誰かが咎めに来る様子はない。そのまま、入口へと走り込もうとしたその時、
甲高い音を立てて、門が閉じた。6人の内5人が足を止め、振り返る。残る1人はその場で立ち止まり、正面の入口を見据える。時を置かず、その中から飛び出してくる数人の人影。
浄化師。
理解する前に、6人は完全に包囲されていた。
同胞の舌打ちを耳にしながら、中心に立つ人物が声を上げる。まだ若い、女性の声。
「これはこれは。浄化師の皆様方、御手も薄い時でしょうに。ご歓迎、感謝いたします」
言いながら、被っていたフードを脱ぐ。現れたのは、肩まで伸ばした銀髪を揺らす少女の顔。けれど、それを前にしても浄化師達に安堵の様子は浮かばない。それを見て、少女は困った様に笑う。
「そんなに、怖い顔をしないでくださいな。これでは、お話も出来ません」
小首を傾げる彼女に、浄化師の1人が誰かと問う。少女は「これは、失礼しました」と言うと、スカートの両端を摘んで優雅にお辞儀をした。
「わたしは、サクリファイスが幹部の1人、『アルマ・アクロイド』と申します。どうぞ、よしなに」
唱えられた名に、浄化師達は頷き合う。伝えられた情報の中にあった名だった。
その様を見たアルマが、可憐に笑う。
「そのご様子ですと、わたし達の計画は既に掌握済みだった様ですね。その上で、本部そのものを囮として誘うとは。『ヨセフ・アークライト』ですか? この様な愚策とスレスレの奇策を用意したのは?」
返事は、ない。肯定と受け取ったアルマはやれやれと溜息をつく。
「噂通り、食えない方の様ですね。この機に乗じて、邪教徒の巣を滅茶苦茶にしてやろうと思ったのですが」
そう言うアルマ達に向かって、浄化師達は無言で武器を向ける。その目に、命を屠る痛みの色はあっても、慈悲の色はない。けれど、それを見てもアルマの顔に焦燥や絶望の色が浮かぶ事はなかった。
「問答は無用ですか? 邪教徒らしい事です。ですが、わたし達がただ辱めを受けるとは思わない事です」
その言葉を合図に、他の5人が一斉に短剣を取り出した。
浄化師達は言う。抵抗は無駄だと。大人しく贖罪を受け入れれば、苦痛は与えないと。しかし、それを聞いたアルマは嘲る様に破顔する。
「贖罪? 何を償えと? 人の滅びは主の御意志! それを阻むあなた達こそ、裁かれるべき存在!」
途端、彼女の眼前に展開する蛍緑の魔方陣。
「!」
口寄魔方陣。物体や生物の遠距離移動を瞬時に行う、禁忌魔術。
「この事態、わたし達が予想していないとでも?」
叫びにも似た嬌声。
事態を察した浄化師達が身構える。答える様に、魔方陣からまろび出る大きなモノ。床に落ちたそれが、ゆっくりと身を起こす。サララと流れ落ちる、黒く長い髪。中から現れるのは、可愛らしい少女の顔と一糸纏わぬ肢体。細い手が床を掴み、華奢な身体が艶かしい曲を描く。けれど、晒された彼女の全貌を見て劣情を抱く者はそうはいないだろう。何故なら、美しい少女であるのは上半身だけ。その下で蠢くのは、無数の緑鱗に被われた長大な蛇の身体そのもの。
見た浄化師達は、瞬時にその正体を把握する。
『メデューサ』。
長き刻を経た蛇性が集まり、変化した生物。人を魅了し、思考力を奪い、餌食とする危険な存在。
しかし、場の浄化師達を警戒させしはそんな事ではない。
彼らの目の前で身を揺らす、メデューサ。その身体を覆うのは、血の色に明滅する無数のひび割れ。淡い胸のふくらみの間で鼓動するのは、地獄の様に朱い魔方陣。
意味する事は、ただ一つ。そう、このメデューサは『ベリアル』。外見から察するに、スケールは2。
紅く濁った双眼を揺らし、ベリアルが身を屈める。喉の奥から響く、威嚇音。攻撃態勢。囲む浄化師達が、迎撃態勢をとる。見つめる彼らの目に、警戒はあれど恐怖はない。スケール2は、確かに危険。けれど、経験を積んだ浄化師であれば倒せるレベル。まして、相手は一体。こちらは複数。後れを取る理由は、なかった。迎え撃つべく、武器を構えたその時――
「お待ちを」
凛とした声が、夜闇を揺らす。
声の主は、アルマ。話しかける相手。仲間でもなければ、浄化師達でもない。見つめるのは、ただ一体。
「ベリアルよ。気高くも猛々しき、主の御子よ」
まるで、想い人に囁く様に声がけながら、アルマはベリアルに近づいていく。
「貴女は強い。けれど、世の汚れを祓うには。主の勅を果たすには。足りない。まだ、足りない。だから」
その声に応じる様に、ベリアルが振り向く。その目に宿る光は親愛のものではない。殺戮の衝動だけに輝く、邪悪な光。けれど、アルマは構わず近づく。恋する、少女の様に。ベリアルが、血臭のする呼気を吐く。事態を察した誰かが、叫んだ。それに応じて、躍りかかる一人の喰人。けれど、その身をアルマが放った不可視の力が弾く。迫るベリアル。彼女は、受け止める様に両手を広げる。広げて、歌う。
「貴女に、力を捧げます。世界の汚れを。歪みを。偽りを。全て消し去るための力を」
瞬間、真っ赤な飛沫が弾ける。呆然と見守る浄化師達の視線の先で、ベリアルがアルマの肩に喰らいついていた。長い蛇の身体がうねり、華奢な身体に巻きつく。その苦痛の全てを受け止めながら、アルマは例えなき恍惚の中でベリアルの身を抱きしめる。血に塗れた顔に凄絶な笑みを浮かべ、その言葉を紡ぐ。
「さあ、受け入れたまへ!」
瞬間、他の5人が持っていた短剣を一閃させる。朱く飛沫を上げるのは、各々自身の手首。
ボタボタと落ちる、血の雫。描く、真円。魔方陣。輝く。真っ赤に。夜空を、染めて。同時に倒れ伏す、5人。
――禁忌魔術・『サクリファイス・タナトス』――
光の中、絡み合う影。その様は、睦み合う恋人同士の様に美しく、気高く見えた。
空へと昇る光。その中から、ゆっくりと現れる。
其を前にした浄化師の1人が、十字を切った。それは、これから起こる惨劇に身を投じる同胞の無事を祈るものか。はたまた、教示に殉じた彼女達に捧ぐものか。
そんな彼らを睥睨し、『ベリアル・スケール3』はおぞましい咆哮を上げた。
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ミズガルズ地方の北に位置し、一年を通して、国土全体に雪氷が覆う国、樹氷群ノルウェンディ。
海賊王ヴァイキングの血を引くという王の治めるこの国。
元を辿れば海賊に行きつくためか、一般市民に至るまで豪快な豪傑揃いだというが――。
この地には豊かな自然がありのままの姿で残されていることで有名な、トゥーネという地域がある。『竜の渓谷』の成立以前は、ドラゴンたちの住処でもあったという。
「ここトゥーネじゃ、林業やトナカイの放牧が行われてるってのは教団の人なら知ってんだろ?」
「ええ、もちろん。観光に次いで、大切な産業の一つでらっしゃると存じていますが」
「そうだ、それから星だな! この辺は強い灯りもないしな、綺麗だぞ! 空気が乾いてるからだか何だかで、そらあキラキラ光ってよお、どこの国、どこの土地にも負ける気がしねえな!」
主人は上機嫌に、歌うように続ける。
「オーロラもいいぞ、これぐらい寒いとこじゃねえと見られねえから、暇があったらいい場所教えてやるぜ」
「そうですね、機会があれば――それで、今回はどのようなご用件だったか、お聞きしても?」
依頼者である、とあるトナカイ牧場の主人は、教団員を見て口をまごつかせる。
「それがさあ、まあこの辺の産業であるとおり、うちもトナカイを飼ってるわけだが……」
「トナカイに何か、異変が?」
司令部教団員に緊張が走る。
ベリアルの魔の手がすぐそこに伸びているというのならば、早急に対処しなくてはならない。
「いや、そうでなくてな。立派だってのが認められて、今度王族の方々に献上することになっててよ」
「それはそれは、素晴らしいことではありませんか」
司令部教団員は安どのため息を漏らした。めでたい報告だというのに、何が問題なのか、主人はちらちらと様子を伺うように教団員を見ている。
「ああ、もちろん誇りに思ってらあ! でも最近、テロだのベリアルが出ただのって騒いでるだろう? 大事なトナカイに何かあったらと思うとそわそわしちまう」
なるほど、と司令部教団員は合点がいった。この男性は思いのほか心配性らしい。まあ敬愛する王に献上する品なのだから、気にかかってしまうのも仕方のないことなのだろう。
「我々に、トナカイの警備をしてほしいというご依頼なのですね」
「ああ、そういうこった! いやすまねえ! 自分でも小心者で情けねえってのは自覚してるんだが、俺も献上品になるなんて思ってもみなくて緊張しちまってな」
主人は苦笑を浮かべながらがしがしと頭を掻いた。
「いえ、忠誠心に厚いノルウェンディの方らしいかと」
「忠誠……ってのとは違うかもしれねえが、そうだなあ! 王族の皆さんには先祖から世話になってるからよ、いいものを差し上げたいし、がっかりさせたくねえわけだ」
安堵したような表情で言った主人に、司令部教団員は力強く頷いて見せた。
特に危険な任務というわけではないようだが、おそらく警備する範囲が広い。多くの教団員を配置した方がいいかもしれない。
「いてくれるだけで心強いんだ! よろしく頼んだ! まあ、近くに居てくれさえしたら、何してくれても構わねえしな。
近所の食堂の女将がトナカイ料理教室なんてのもやってるから、夕飯の時間に寄ってみるといいんじゃねえかな。
あとは運が良けりゃあ綺麗なオーロラが見えるし、星でも見て暇をつぶしてくれ。
どっかの小屋でゲーム大会があるかもしれねえしな。あいつら身内ばっかでやってるからよ、刺激が足りなくて調子乗ってやがる。
お灸を据えてやってくれ。……それから、悪ガキどもが遊べ遊べって騒ぐかもしれねえが、教団の方々が珍しいんだろうな、許してやってくれ」
ドアの隙間からじいっとこちらを見つめている子供たちの姿を見つけて、主人がため息をついた。司令部教団員は思わず頬を緩ませて「なるほど、色々とありがとうございます」と頷きを返す。
そして思案する。今回の任務は、任務というより――浄化師たちの息抜きと成り得る案件のようだ。
難しい顔をした司令部教団員に、主人が右手を差し出して「まああれだ」と豪快に笑う。
「トゥーネはいいとこだ、せっかくだしな、満喫していってくれよな! 今後ともよろしく頼むぜ!」
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少女は泣いていた。
終焉の夜明け団の信者の青年は、魔導書の調査に赴いた廃墟の片隅で、薄汚れた銀色の髪の少女がしょんぼりとうなだれている姿を見かけた。
青年は少し警戒するように言った。
「…‥…‥こんな場所で何をしている?」
「お父様とお母様が、わ……私を神様の生贄にするって言うの」
言葉に詰まった少女は顔を真っ赤に染めてぽつりと俯いた。
少女の瞳からは、涙がぽろぽろとこぼれ落ちる。
話を聞いてみると、少女はサクリファイスに属する貴族の者だったが、両親の手によって神の生贄として捧げられたという。
(なるほどな。この屋敷が何者かに爆破されたと聞いていたが、サクリファイスの仕業だったか。だが、爆発に巻き込まれたのにも関わらず、生贄として差し出されていたこいつは生きている)
青年は無言のまま、しばし逡巡する。
(無意識に、魔力障壁で爆発から身を守ったのか? 確かに、魔力蓄積量が尋常じゃないな)
青年は五感を研ぎ澄まして、前方の少女へと視線を向ける。
(サクリファイスが屋敷を爆破したことで、魔導書の調査にも行き詰まってしまっている。こいつには戦力、そして情報源としても利用価値があるかもしれないな)
青年はアジトまでの方角を見定めると、少女の手を強引に引っ張った。
「ついて来い!」
「……っ」
立ち上がった少女はよろめきながらも、空を仰ぎ見る。
何もかも現実味が欠けた世界で、黒い外套に身を包んだ青年の笑顔だけが確かだった。
廃墟を背景に、雪が真っ暗な空を白く染めていたーー。
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「お願いします! 浄化師さん、この村を救って下さい!」
それは、一人の少女のそんな言葉から始まった。
シャドウ・ガルテン。
常に深い霧に国の周囲が覆われており、国内はいつも真っ暗な夜の世界が広がっている。
だが、閉鎖的な国であるため、娯楽がかなり少なく、特に若者は暇を持て余していた。
そんな中、ルナリス村では、娯楽の一環として観覧車がアトラクションとして機能している。
のどかな村の奥では、魔結晶を中心にした魔力の供給を施された観覧車がゆっくりと動いていた。
村起こしのために教皇国家アークソサエティの技術を元にして作られた観覧車は、またたく間にヴァンピールの若者達から大いに歓迎された。
また、観覧車のイルミネーションを見ることができるため、それを目当てに訪れる来訪者達も多く見受けられる。
だが、ルナリス村の何処かに、サクリファイスの信者と終焉の夜明け団の信者が隠れ潜んでいる。
その噂は否応もなく、村人達を震撼させた。
最近のサクリファイスの過激な動向は、この平穏だった村の中でも目に余るものがあったからだ。
それに浄化師達が、サクリファイスの信者と終焉の夜明け団の信者を捜索することで、『彼ら』のことが教団にバレる可能性がある。
「この村に入り込んだサクリファイスの信者は、観覧車の方に逃げ込んだようだ。しかし、浄化師達もすぐにこの村を訪れるだろう」
村人達からの報告を聞いたルナリス村の村長が目を細め、更なる思考に耽る。
「このままでは、私達が終焉の夜明け団の信者の関係者であることが教団にバレてしまう可能性がある。こうなったら仕方ない」
そう吐露する村長の表情は、どこか苦しげで悲しげだった。
『ルナリス村の何処かに、サクリファイスの信者と終焉の夜明け団の信者が隠れ潜んでいる』
『レヴェナント』がもたらした情報を頼りに、ルナリス村を訪れたあなた達はそこで意外な人物と対面した。
「君は?」
「申し遅れました。私、リーファと言います」
あなた達の目の前で丁重に一礼してきたのは、鞄一つを手に持った銀色の髪の少女だった。
少女は両手に手袋をはめて、髪に赤い大きなリボンをつけていた。
艶やかな銀髪は肩を過ぎ、腰のあたりまで伸びている。
着ているのはレースとフリルをこれでもかと多用したドレスで、桜色のその布地に銀糸のような髪が零れるさまは、眩しいくらい鮮烈なインパクトがあった。
どこかの貴族の令嬢だろうか――。
あなた達が思い悩んでいると、リーファは居住まいを正してさらに言い募った。
「少し前に、村の観覧車を訪れた人が言っていたんです。神の生贄とするために、この村を爆破するって」
「爆破!?」
その言葉を聞いて、あなた達は驚愕する。
「この村は、私達にとって大切な思い出の場所なんです。お願いします! 浄化師さん、この村を救って下さい!」
「分かった」
リーファの懇願に、あなた達はため息を吐いて、了承の言葉を口にした。
「漆黒の闇、現実と夢を分け隔てる世界」
灯りに照らされた村で、ドレスに身を包んだリーファが想いを奏でる。
「現実は夢へと変わり、夢は現実になり得るかもしれない」
リーファは手袋をはめた左手の甲をかざすと、一重咲の白いクリスマスローズの花畑に彩られた村の一画を見据えた。
「ルークスお兄様はそう思わない?」
「リーファは相変わらず、言葉遊びが好きなようだな」
かって自分を救ってくれた終焉の夜明け団の信者の青年――ルークスの言葉に、リーファは寂しげに微笑んだ。
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シャドウ・ガルテンは歴史的なヴァンピールの迫害もあり閉鎖的な国家であったが、ある事件をきっかけに徐々に国交が開きつつある。
その為、観光の一つとなるものがないか調査していたところだった。
「照明専門店?」
「そうです。シャドウ・ガルテンは常に夜が明けませんから、光源の確保は大事なことなんです。だから、どの町にもそういったお店があるんですよ」
ヴァンピールの教団員女性が頷きながら、「こっちに来てそういったお店が少ないことにびっくりしたんですよ」と穏やかに笑う。
常夜の国。そう呼ばれるだけあって、シャドウ・ガルテンは常に深い霧に国の周囲が覆われており、国内は真っ暗な夜の世界が広がっている。
だからか『モーンガータ』のような照明専門店はシャドウ・ガルテンではよく見かけられる。
人口の多いメインストリートでは街灯があるが、わき道に入れば街灯の光が届かない場所も当然存在する。シャドウ・ガルテンに住む者ならば外出の際には、常にランタンを身につけているのは当たり前だった。
「そのお店には様々な照明はもちろん照明に関するものなら何でも売ってあるんですよ」
そう言ってヴァンピールの後輩が先輩に説明する。
『モーンガータ』の店内は照明専門店というだけあって、ランタンやランプ、シャンデリア、デスクランプなどの様々な照明を取り扱っている。
それだけでなく、蜜蝋の蝋燭やオイル、高価ではあるが火気や陽気の魔結晶なども売られている。
ランプシェードやシャンデリアの飾りになるドロップやビーズの飾りなども個別に売られており、古くなった照明の手入れや修繕などもしてくれるのだ。
シャドウ・ガルテンに住む者たちにとって照明は光る彫刻であり、インテリアでもあり、時には美術品でもあった。
「そのお店ではランプシェードやアロマキャンドルの体験教室が開かれてて私も小さい頃、よく遊びに行ったんです」
どこか郷愁を滲ませ思い出すように言葉を紡ぐ。
「ランプシェードの作り方は、子供でもできる簡単なもので風船で作るんです。風船にぐるぐると麻紐を巻き付けるだけなんですけど、なんだか楽しくって。風船の形にも色々あって丸いのから、星形に、ピラミッドの形をしたものやツリーの形、ウサギの形をしたものもあったなあ……」
「ああ、なるほど。風船でランプシェードの型を取るのね」
子供の頃の楽しかった思い出を笑顔で後輩は話す。
「巻き付け終わったら、刷毛で糊を塗りつけるんです。そこで乾かしたら、さらにファイアプルーフって耐火用液剤を塗るんです」
「ファイアプルーフって?」
「こっちには売ってないですよね。シャドウ・ガルテンだと光源を使う際に、どうしても火を取り扱うじゃないですか。その火災防止に家具やランプシェードにはそれをコーティングしたものが殆どなんです」
「便利ねえ……こっちでも作れないかしら?」
「それは無理そうですね。ファイアプルーフの原材料の一つにシャドウ・ガルテン固有種の植物が使われているんです。……確かアイアンローズの実だったかしら?」
「それは残念……それなら国交が開かれたら輸出品の一つになりそうね」
にやりと笑う先輩教団員にそうなるといいですねと後輩であるヴァンピールの女性も頷いた。
「それにしてもアイアンローズってヘマタイトって宝石の別名でしょ。でも、ローズってつくんだからバラの品種なのかしら?」
「バラに似た小さな花を咲かせますが、実もなるので違った筈ですよ。実が真っ黒で宝石みたいなんですよ」
「ああ、なるほど。そこから名前がきてるのね」
「花は不思議なことに、白とか赤とか色々な色の花が咲くんですけどね。私の家庭でも母さんが好きだったのでよく育ててました」
ミニチュアみたいなバラが可愛くて私も好きなんですと後輩は紅茶を飲みながら微笑む。
「でも、体験教室ってのがいいわよね。そこのお店のオーナーはやり手ね……大人相手に商売するだけじゃなく、子供も巻き込むなんて」
「先輩ったら、そういう夢のないこと言うの止めて下さい」
「ごめんごめん、それで体験教室ってどうなの?」
「そうですね。出来上がったランプシェードを親に見せると喜んでくれて子供ながらに嬉しかったですね。その後、暫く家でもランプシェード作りにハマってた記憶があります」
気を取り直したように後輩は話し出した。
麻紐のランプシェードはエスニック風に仕上がるが、レースや和紙でも同じ手順で作ることができるらしい。和紙を張り付ければ、繭のような光が美しいニホン風のランプシェードが、レースのものはロマンティックな仕上がりになるそうだ。
「体験教室であんたみたいにハマった人には自作できるように材料も売ってるなんて、さすがだわ」
「……先輩って商売人みたいですよね」
「実家がそうだったから、つい考えちゃうのよねー、ところでアロマキャンドルの方はやらなかったの?」
呆れた視線を向ける後輩に先輩は肩を竦め、話の矛先を変える。
「もちろんアロマキャンドルも楽しいですよ。特にボタニカルキャンドルがおすすめです!」
先輩に誘導されたことに気づかず餌に食い付いた魚のように後輩は語り出す。
ボタニカルキャンドルはドライフラワーやドライフルーツなどを容れたキャンドルのことを指す。
最初に用意した型に小さなキャンドルの芯が真ん中になるようにセットし、お好みのドライフラワーやドライフルーツを詰めていく。見せたいドライフラワーが蝋で隠れてしまわないように外側に向けて入れるのがコツだ。
そこに溶かした蝋をゆっくり流し込む。勢いよく流し込んでしまうと泡が出来てしまうので注意が必要だ。
最後に蝋が固まってしまう前に好きなアロマオイルをお好みで適量加えて、固まるのを待つだけだ。
「私はバラの花びらをたっぷり入れてローズとオレンジを組み合わせたアロマが好きなんです」
バラの花びらが蝋から透けて非常に贅沢で美しいキャンドルができるそうだ。
さて、あなたはどんなドライフラワーを選ぶだろう。王道のバラか、高貴な紫色の花が美しいニゲラやコーンフラワー。ドライフラワーの中でも人気なミモザ。脇役だが控えめで愛らしいかすみ草。アロマオイルとあわせてもいいラベンダー。オレンジやリンゴの輪切りもお洒落だ。
アロマオイルを選ぶならば、ドライフラワーと合わせてみてはどうだろうか。
柑橘系だと瑞々しくさわやかな甘い香りは性別年代問わずに楽しむことができる。フローラル系ならばローズやジャスミンなどの花の香りから抽出されているので、その華やかな香りが楽しめる。
ハーブ系だとさわやかですっきりとした香りが特徴的だ。スパイス系になるとジンジャーやシナモンなどの料理のスパイスとしておなじみの香辛料の香りがする。ウッディー系だと、まるで森の中にいるような落ち着く香りが漂うだろう。
どの香りを選んでも素敵なあなただけのキャンドルができるだろう。
ランプシェードやアロマキャンドル作りに挑戦するなら、初心者コースがおすすめだ。
もちろん買い物をしても構わない。店内に並べられている様々な美しい照明を見て回るのも楽しいだろうし、修繕や手入れをしている作業を見学させてもらうことも可能だ。これを機に日頃お世話になっているランタンの手入れを頼むのもいいかもしれない。
今回浄化師にはこの専門店が観光の目玉の一つになるのか実際に体験してレポートにまとめて欲しい。
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シャドウ・ガルテン。
ヴァンピールが住む、常闇の国。
しかし、住んでいるのはヴァンピールだけとは限らない。
ヒューマンも、国の端にひっそりと暮らしていた。
ヴァンピールが迫害を逃れて作ったシャドウ・ガルテンに、ヒューマンが住んでいるのは理由がある。
ある理由で、住んでいた場所を追い立てられたのだ。
理由が理由なので、自業自得とも言えたが。
それはアンデッドの殺害が原因だ。
まだアンデッドが迫害を受けていた頃。
死者が蘇る恐怖から、アンデッドとして蘇った者を殺した歴史があるのだ。
心臓に杭を打ち、2度と蘇らないように身体を引き裂く。
それは、その村の住人だけが行ったことではない。
けれどアンデッドの権利が確立され、その時流に乗り遅れたことで、その村の住人は追い立てられるようになったのだ。
ある者は、アンデッドを殺された恨みを晴らすために。
ある者は、自分達が迫害した歴史を隠すための生贄として。
一言で言えば、運が悪かったのだ。
それが自業自得から招いたことだったとしても。
なにしろ当時は、多かれ少なかれ、皆がそうだっのだから。
そして今、その村に彼らは居る。
先に住んでいたのは彼らだったため、あとから来たヴァンピール達は彼らを居ないものとして扱い。
村の住人も、シャドウ・ガルテンの住人と関わらないようにしてきた。
しかし、そんな関係に変化の兆しが。
全ては、浄化師達がシャドウ・ガルテンのテロを防いだことが切っ掛けだ。
これにより、それまで内向きだったシャドウ・ガルテンの住人は、外に目を向けようと動き出す。
その最初の一歩として、国内に居るヴァンピール以外の住人とも関わろうとしたのだ。
それが最悪を食い止める境界線となった。
ヴァンピールの住人が訪れた、その時。村には異様な気配が広がっていたからだ。
かつて行っていたアンデッドへの迫害。
それを肯定し実行するべきだという雰囲気が、出来つつあったのだ。
明らかに異様な雰囲気の中、村に訪れたヴァンピールの住人は、秘密裏に相談を受ける。
助けを求めたのは、1人の青年。
「アンデッドになった妹が殺されるかもしれないんです」
話を聞けば、事故で死に、アンデッドとして蘇った妹を、村人達が殺そうとしているというのだ。
詳しく話を聞けば、奇妙な点に気付く。
アンデッドとして妹が蘇ったのは、2年前。
その時には、むしろ村人達は喜んだのだ。
かつての因縁から自分達を解き放つように、アンデッドの少女を受け入れていた。
それが変わったのはひと月ほど前。
村を出ていった一組の男女が、戻ってからだ。
その頃から、少しずつ少しずつ、村の雰囲気は変わっていき。
いつの間にか、アンデッドは殺すべきだという風潮が広がっていた。
「神の摂理に反するアンデッドは許されません」
「神の摂理に従うことこそ、幸せなのです」
村に戻ってきた一組の男女の話を、いつの間にか真実だと思い始めていたのだ。
どう考えても、その一組の男女が怪しい。
しかし青年にそのことを話しても、不思議そうに聞き返すのだ。
「なにか、おかしなことがありますか?」
青年だけでなく、他の村人達も、一組の男女を怪しいと思っていないのだ。
だというのに、違和感だけは感じているらしい。
このことから、なんらかの精神に作用する魔術が使われている可能性が考えられた。
現在、怪しい一組の男女は村には居ない。
村の外で出会った『素晴らしい集団』の会合に出るために、一時的に離れているらしい。
しかし、数日の内に戻ってくることが分かっている。
戻って来た時に何が起こるのか?
相談を受けたシャドウ・ガルテンの住人は危機感を抱き、薔薇十字教団に助けを求めた。
この時、教団に訪れていた魔女セパルが協力を申し出、教団は承認。
これらを受け、指令が発令される。
内容は、シャドウ・ガルテン内にあるヒューマンの村で起っている異常事態の解決。
アンデッドの女性の、私刑による処刑を防ぎ、怪しい一組の男女を調べること。
場合によっては、怪しい一組の男女の処刑も許可されています。
この指令をアナタ達は受けることにしました。
怪しい一組の男女が戻ってくる日の、数時間前に村に訪れることになります。
村人達から話を聞くことができますが、彼らは今の状況に違和感を感じているのに、それを正そうという意志は希薄です。
村人を調べたシャドウ・ガルテンの住人からの報告では、魔力抵抗が高い者ほど、違和感を感じ何かをしようという意志をみせるようです。
このことから、常人よりも魔力抵抗力が高い浄化師であれば、村の異常の影響を受けることはないと推測されています。
この指令に、アナタ達は――?
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教団本部の食堂で、女はワイングラスをゆらりと回す。
香りを楽しみ、ひと口。物憂く細められていた双眸がわずかに緩む。
「エイバ!」
「騒々しいわねぇ」
ばん、と扉が勢い良く開かれた。
面倒くさそうな口調とともに女が振り返る。その表情は、声に反して実に楽しそうだ。
見つけてほしかった仕掛けを、ようやく発見してもらえた子どものよう、ともいえるだろう。
「よーし分かった。まさかとは思ってたけどやーっぱりお前が犯人だな!」
「なんのことかしら?」
「お前、浄化師たちになにを飲ませた!」
つかつかと歩み寄ってきた教団寮食堂の見習い料理人に、ついに堪えきれなくなってエイバは声を立てて笑った。
世俗派の魔女、エイバ。ハロウィンの一件以来、たびたび教団を訪れてはくつろいだり、稀に手を貸したりしている気まぐれな女だ。
「夕飯にちょっと薬を混ぜただけよ。大丈夫、死んだりしないから」
「友人が声をかけても起きないと、浄化師たちが騒ぎ出してるぞ」
エイバの隣の席に腰を下ろし、見習い料理人の青年はため息をつく。
ハロウィンでは、食べると相手のことをどれくらい好きか確認できる、という奇怪なかぼちゃのプリンを作り出した彼女は、今日この日まで実におとなしくしていた。
考えてみれば、エイバは恩讐派から逃げてきた子どもを養子として迎え入れたり、事後処理をしたり、クリスマスの一件にも教団側の戦力として一枚噛んでいたりと、忙しい日々を送っていたのだ。
年末年始はゆっくりするだろう、と気づけば彼女と接する機会が多くなっていた青年は、思っていたのだが。
「年始早々、事件を起こすな!」
「年始早々だからよ。ねぇ、初夢って知ってる?」
「は? 一月一日から一月二日にかけて見る夢か?」
「そう。一月二日から一月三日にかけて、という説もあるけど、どっちも正しいわよ」
「それがどうした」
「今日は何月何日でしょう」
「一月一日の真夜中だが? ……ってまさか」
察した青年の頬が引きつる。エイバは実に嬉しそうに笑った。
「初夢を見る薬を夕飯に混ぜたの」
「お前なぁ……」
「それもとびっきりの夢よ。自分と一番、つながりの深い人の夢を見るの。これは夢だ、って自覚しながらね」
浄化師にとって、つながりの深い人物。
すなわち、契約で結ばれたパートナーだ。
現在、揺すっても真横で叫んでも目を覚まさない彼ら彼女らは、魔女の薬を土台として築かれた明晰夢の中で、パートナーと話したり、なにかしたりしている。
「どんな初夢を見るのも自由だろ。なんでわざわざ登場人物を固定するような真似、したんだよ」
「一年の最初に、一番深くつながってる人の夢を見るって、素敵じゃない」
冗談めかすように肩をすくめ、魔女はワインを一息で飲み干す。
「それにね、夢だって分かってるからこそ、言えることもできることもあるでしょ。そういうことをしたあとの一年って、なにかが変わるかもしれないじゃない」
「そういうもんかね」
「ところでね」
すっとエイバはからになったワイングラスを青年に近づける。彼は反射的にそれを受けとった。
「このワインの中にも、同じ薬が入っていたの」
瞬く彼に、エイバは微笑みながら立ち上がった。
「私は誰とどうする夢を見るのかしらね」
朝日に溶けるうたかたの一瞬を見るため、魔女は踊るような足どりで食堂から出ていく。
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