|
それは偶然だった。
たまたま調査にやってきた浄化師たちがお昼におにぎりを食べていたのだ。
そこに現れたのはまだ若いドラゴン。
若いといっても人間よりもずっと大きく、鋭い爪を持っており、十分脅威になりうる。
「なに、食べてル?」
「えーと、おにぎりだよ?」
おずおずと新人の浄化師の二人はおにぎりを差し出した。
ぱく。
もぐ。
ごっくん。
「おいしいっ!」
その若いドラゴンは目をきらきら輝かせた。
さて、ドラゴンの味覚とはこれいかに。彼らは基本的に牛などの家畜を丸のみ、もぐ、ごっくん。ごちそうさま。である。
その若いドラゴンが特殊だったのか、それとも実はドラゴンの味覚が人に近いのかはわからないが。
おにぎりを大層気に入った若いドラゴンは浄化師たちにおかわりをご所望した。
しかし。
「ごめん。もう終わっちゃった」
なんたる絶望。
なんたる悲しみ。
その若いドラゴンは尻尾をたれさげ、じっと浄化師を見た。
「あんなおいしいものを食べてル、もしかして、おいしい」
「おいしくないですっ!」
おいしい、を知った若いドラゴンは聞いちゃいねぇ。お口をあーん。ぱく。もぐもぐもぐ。
パートナーがもぐもぐされているのに慌てるもう片方。
「なにをしているんだ。吐き出しなさい!」
「ぺっ!」
ぺちょ。と地面に唾液どろどろの浄化師が倒れる。慌てる相棒は「舌のうえでころころされて味あわれた。もうお婿にいけない」などと嘆く相方を抱えて世界の悲しみを叫んだとか叫ばないとか。
そんな横では。
「ちょ、正座! 反省! なんてことを!」
「あたち、ドラゴンだから座るしかできないよ。正座無理。体のつくりからいって無理ー。んとね、おにぎりおいしかったの」
「……」
「人間ずるいー! あんなおいしいの食べるの! けど、人間ぺろぺろしたらなんかおいしかった!」
あ、これ、あかんやつ。
「あたち、もっとおいしいものたべたいの。たべたいのっ」
うーーん。
「食べさせてくれないなら、ぺろぺろしちゃうもん」
これ、あかんやつや。と二回目の悟りにて決断した。
「し、知り合いの浄化師に頼むか」
●
「えー、今回の指令はおっきい生き物にぺろんぺろんされたくなきゃ、おいしいものを作って提供しろと」
ロリクがはぁとため息をついた。
今までの話を聞いていた浄化師たちは真顔で聞く。
とりあえず、そのぺろぺろされちゃった人はどうなりました?
「あー。ほどよい舌の上でぺろぺろされて、わりと気持ちいいけど、生臭いからやっぱりトラウマになるよ。だそうだ。まぁ、今回おいしいもの食べたらぺろぺろは絶対にしないと約束したそうなので、なんとかこうおいしいものを作って提供してくれ。以上」
ロリクさん、なんか指令の出し方がすごく雑じゃないですか。
「いや、だって」
気持ちわかりますけど!
「ぺろぺろされたら骨は拾ってやれよ」
ふ、不吉……!
「満足したらある程度遊んでやれとさ」
はーい。
|
|
|
「今回の指令は、ゴブリン退治だ。といっても一匹なんだけどな」
指令を受けにくると、受付口でロリクが説明してくれた。
森に囲まれた村がある。
その村から隣町に行く道は木々に覆われた昼間でも暗い森のなかを進まなくてはいけない。
その道を通ると、ゴブリンが一匹あらわれて村人の荷物を奪っていくそうだ。
村人たちはゴブリンに襲われた、このままでは安心して隣町に行くことが出来ない、由々しき事態だと浄化師たちに退治してくれと依頼を行った。
「ゴブリンが村人を襲った、と報告されているが……現地調査したユギルがよく聞くと、村人はゴブリンが現れると驚いて荷物を置いて逃げた……というのが正しいらしい。
そういうことが三回ほどあって、このままでは危険じゃないかと村人は依頼したそうだ。
気になるのはその荷物のなかから食べ物や布切れをごくわずかにとっていったそうだ。たいした被害じゃないし、ゴブリンっていうのはお前たちも知っていると思うが、基本は群れで行動するんだ。ゴブリンは臆病な性格だからまず、一匹で動くことはない。一匹で動くとしたらよほどなにかあるんだろう。……それに、この森のなかには狩人のマドールチェがいてモンスターを狩って森の安全を図っていたそうだが、ここ数か月、その姿も見ないそうだ。狩人の家は森の奥にあるらしく、正確な位置は村人もわからないというし」
ロリクは説明しながら少し思考するように目を伏せたあと、ふぅと息を吐いた。
「さぁ、村人からはゴブリン退治……とはなっているんだが、俺から少しつけくわえよう。ゴブリンが悪さをしなければどういう方法をとっても構わん。もっといえば村人が納得すれば、この指令は成功となるだろう」
浄化師たちがその言葉にきょとんとする。
「ゴブリンの退治ならお前たちでも十分安全に行える。そのゴブリンが現れる道におびき出して退治してしまえばいい。
この依頼をしてきている村人たちがほしいのは安全だ。それさえこなせば俺はお前たちがどういう方法を使い、解決してもいいと思ってる。ただ重要なことを一ついっておけば、ゴブリンは会話出来ないからな。その点は注意するように」
にっとロリクは微笑んだ。
「浄化師らしい判断と方法をとるように」
|
|
|
今まさに夕日が沈まんとする時刻。
ブリテンにある屋外劇場エクリヴァン観劇場の舞台が、昨日までの喧噪が嘘のような静けさに包まれ、舞台袖に置かれた椅子にご婦人が一人静けさに溶け込んでいる。
夕日が姿を消すと、その風景もしばし闇に消え、今度は月明りに照らされる。
ブリテンの裏路地にある、マウロの探偵事務所。
探偵と言っても、暇なご婦人の悩み相談であったり、迷子のペットの捜索などが仕事の大半を占めているが、それでも生活すらままならなかった以前に比べれば良い方だ。
そして今もマウロの前には、その裕福さを体現するような豊かな身体をしたご婦人が、事務所の来客用ソファにどっしりと座り、そのふくよかな指でティーカップを優雅に口元に運んでいる。
「お茶菓子をどうぞ」
以前、誘拐事件でエクソシストとマウロに助け出された名家ジョンソン家の一人娘ライリーが、探偵の助手を気取ってご婦人に茶菓子を出す。
「まぁ、かわいらしい助手さんね。ライリー何歳になったの? 随分綺麗になったわね」
どうやらこのご婦人、ライリーの事を知っている様だ。
「16歳になりました。モニカさん」
ライリーにモニカと呼ばれたこのご婦人。
大の芝居好きで、年に一度、仲間と実行員を組織し、実行員主催の演劇をエクリヴァン観劇場で行っている。
「で、去年あんな事があったのに、今年もあの劇団を呼ぶ、と言うのですね」
マウロの言葉に、モニカの指が少しもじもじと動く。
「あら、あれは劇団とは無関係。それに、もう明日には、みなさん到着されますし」
どうやらライリーも、その劇団を気に入っているようで、
「そうよ、無関係よ」
と、心外とばかりにマウロを睨みつける。
モニカがティーカップをソーサーに戻し、テーブルへと置いた。
そのソーサーの隣には、一通の手紙が。
芝居は行うな。
また死人がでるぞ。
「こんな物、到着の前日に送って来るなんて」
モニカが、ため息をつく。
「芝居を中止にする事は、出来ないのですか?」
マウロは手紙を手に取り、透かし裏返し確認するが、特段変わった様子はない。
「だって、もうチケットは売れてしまっているのよ? それに教団にだって劇場使用料とかなんとか、お支払いしてしまったもの」
今にも泣き出しそうなモニカの肩を、そっとライリーが抱く。
「大丈夫よ、モニカさん。この探偵マウロが何とかしてくれるわ! 困難な状況から、私を助け出したんですもの、覚えてないけど」
そうね、そうね、とモニカも大きく頷く。
マウロの思惑とは無関係に、また仕事が一つ決まってしまったようだ。
エクリヴァン観劇場近くのレストランの一室。
到着したばかりのアラン劇団一行と、依頼人であるモニカを含む実行委員のご婦人四名、そしてマウロが集まった。
実行委員の一人は、やけに若い。
ライリーとそれほど変わらないのではないだろうか。
「やぁ、君が名探偵マウロか」
爽やかな笑顔で、マウロに手を差し伸べるアラン。
モニカの目が、アランをうっとりと捉えている。
確かに、良いオトコ、である。
「今年も呼んでいただけて、ありがとうございます」
和やかな雰囲気で始まった打合せではあるが、そこに渦巻く何かをマウロは感じ取っているようだ。
マウロの手帳より
・フロリアの死
1年前アラン劇団が公演を行った翌日、実行員の一人フロリアが劇場舞台袖にて遺体で発見された。
死因は服毒自殺とされている。
夫ドニスは、相当な富豪。
フロリアは、アランとのキス現場を劇団看板女優リズに見られ、噂になった事を気に病んでいた。
ドニスはフロリアの死後、リズと結婚。
娘ローズは、母の死を「ママはアランへの愛を貫いたのよ」とお気楽に捉えている。
誰よりもフロリアの死にショックを受けたのは親友ナディア。
リズは相当な美女だが、妻の自殺から一年も経たずにリズと結婚をしたドニスの心情が理解できない。
フロリアは本当に自殺なのか?
・実行員について(4名)
モニカ 最古参の実行員。ただただ芝居好きの気の良いご婦人。
ブリジット 実行員の中では一番庶民に近い家の婦人。少々他のお仲間には気後れしているようだが、家柄のせいか?
ローズ 死んだフロリアの娘。実行委員の中で一番若い20歳。母親が死んだと言うのに、実行員を引き受けるとは理解しがたい。
ナディア フロリアの幼馴染で親友だった。フロリアと二人で、随分とアランに熱を上げていた。最近はふさぎ込んでいる様子。
・アラン劇団
アラン 劇団の代表で演出家。ご婦人に対しての態度は不快な程軽率。よってライリーには近づかないようにしなければ。
ニーナ 劇団の看板女優。モニカによると派手なタイプではないが、演技は素晴らしい。
リズ 元劇団の看板女優。ドニスとの結婚を機に引退している。
|
|
|
「書籍の貸出促進を図りたいと思います」
ここは薔薇十字教団の魔術学院3階、人気のなくなった深夜である今、教室の1つを会議室として書籍管理に関わる面々が集まっていた。
「教団に集められた膨大な数の書籍。それらが存分に活用されないなんて本が可愛そう」
本会議の議長を務める女性が嘆く。その隣で彼女の同期男性が「あまり利用者が少ないと予算カットされちゃうからね」と本音をずばり。一般書籍ならまだしも、魔術の専門書などは高値なのだ。予算の確保は切実な問題だ。
「折しも季節は秋。読書の秋ということで、書籍の貸出を勧めるにはうってつけ。皆にドーンと本を読んでもらえるような、何かいい案はありませんか?」
一同、フゥむと考えてから。
「はいっ」
ミミリアという名の年若い書籍管理係の女性が手を挙げた。
「読書の秋、ナイトライブラリーなんていかがでしょう!」
彼女は立ち上がると教室前面の黒板の前までつかつかと歩み寄る。
そして、カッカッと文字を書きつつ話す。
「魔術学院の書籍関連エリアを一晩中解放するんです。2階一般書籍、歴史、事件などの書庫、3階魔術関連書籍の書庫がそれに該当しますね。本を読むスペースとして1階カフェテリアも解放しましょう」
「それだけじゃ面白味がないよなぁ」
という声がちらほらと聞こえる。
ミミリアは「その通りです」と深く頷く。
「折角のナイトライブラリーです、雰囲気を作らねば意味がありません。そこで私が考えましたのはーー」
1階から3階にかけて、穏やかな音楽を流す。
読者にぴったりの飲み物、コーヒーや紅茶をカフェテリア以外でも飲むことを許可する。
夜の雰囲気を壊さないように、照明は抑えめにする。
本を読みながら眠れるように、ふかふかソファーコーナーも用意する。
「などなどです! パートナーとお気に入りの本の話をしながら朝まで過ごす……ちょっと素敵じゃないですか?」
ミミリアはうっとりと手を組んだ。
「ああ、私にもそんなパートナーがいれば……朝まで毒草全百科について語り合うのに」
それは果たして素敵なのかな? という疑問は誰もが口に出さずにいてあげた。その代わり、そんなことを語り合えるパートナーが現れると良いね、という生暖かい視線がミミリアに注がれた。
「でも、夜の雰囲気を感じながらの読書はちょっと惹かれるね」
「音楽を流すのも雰囲気作りに良いと思うわ」
他のメンバーからも活発に意見が出てきた。
「灯りが抑えめだと、本を探すとき困らないかな」
「利用者にはカンテラを渡せば良いんじゃない? 本を探す時にも読む時にもそれを使ってもらうんだ」
「いいね、それ」
「ふかふかソファーは魅力的だけど、寝顔を人に見られるのはな~」
「ソファースペースはパーテーションで区切りましょうか」
皆が乗り気になってくれて、ミミリアはちょっと誇らしげな顔である。
「それじゃあ、ナイトライブラリーの開催ということで、皆さん異議はないようですね」
議長が一同の顔を見回して確認する。
「ありませーん」
満場一致で答えが帰ってくる。
こうして、薔薇十字教団魔術学院におけるナイトライブラリー開催が決定した。
|
|
|
「アーブル、この子が今日からお前の妹になるんだよ」
そう父から紹介された女の子の第一印象は、触れれば壊れてしまいそうだと感じた。僕が小さい頃からの宝物、『雪の妖精に約束を』という絵本に描いてある登場人物みたいだと。
「は、はじめまして。今日からここでお世話になります。ティージュと申します……」
頬を朱に染めて、たどたどしく挨拶をした妹となる女の子に、僕の心はわしづかみにされた。
ここは教皇国家アークソサエティ、首都エルドラド。その一画にある貴族街。代々魔力が強い人間を輩出して教団に貢献してきたペタジット子爵の屋敷。
世界に色がある事を知らなかった少年の心に暖かい光が射すお話。
◆
「ティージュ、調子はどうだい?」
妹の世話をしていたメイドに取り次いで貰い、入室する。妹は体が弱く、ベッドからあまり離れられない。祓魔人や喰人になろうにも、この状態では難しいと判断して今は様子見と教団のスカウトを先延ばしにしてもらっていると父から聞いた。
「アーブルお兄様、おはようございます。今日はとても調子がいい気がするんです。だからお日様と風を感じたくて、アンヌさんに窓を開けて貰ったんですよ」
ベッドの上で体を起こして少し照れながらも緑の瞳を向け、微笑みかけてくれる義妹。
父が教えてくれた事だが、ティージュは赤ん坊の頃、竜の渓谷に捨てられていたらしい。それを知性の高い竜が拾い、今まで育てていたと。
首をゆっくりと傾ける様子に、腰近くまである白く長い絹糸の様な髪がサラサラと流れた。余談だが、ティージュを育てた竜はどうやら偏った知識しか持っておらず、古い貴族の礼儀と言葉遣いを教えたらしい。その為にどこか頓珍漢な受け答えに戸惑うことがしばしばある。人慣れしていなくて直ぐに赤面するのはご愛嬌だ。
「ティージュ様、使用人にさん付けは要りませんよ」
傍に控えていたメイドのアンヌが苦笑しながら話す。
「ハハ、立場を傘に着て威張り散らすよりはよっぽど良いじゃないか」
僕はそれを諌める。この妹には屋敷の人間、誰もが甘い。
「だけど体の調子が良いからって、この間みたいに庭に出て倒れないでくれよ。流石に肝が冷える」
「ごめんなさい。でも、小鳥がとても綺麗な声で歌っていたの。ついついそこを離れるのが惜しくて」
少しだけ顔を曇らせて、悲しそうな瞳を組みあわせた手に落とすティージュ。
「ああ、ごめんごめん。責めるつもりは無いんだ。調子が良いのは何よりだ。この屋敷に来てから意識を失う頻度も少なくなったと聞いたよ。それでね、父がささやかだけれどティージュの歓迎パーティを僕達と招待した浄化師達とで行うそうだよ。いつか僕も浄化師になるし、ティージュもどんな人達が教団で働いているか知って貰いたいんだ」
僕は妹の顔を曇らせたくなくて直ぐに謝ると、立て続けに本題を話した。
「浄化師様……ですか? わ、私……うまくご挨拶できるでしょうか」
屋敷外の人間を招くのはティージュにとってこれが初めてだ。モジモジと指を絡め合わせる妹の手がどんどん複雑になっていく。……やめなさい、陰陽師が組むような印になってるから。駄目だって、ああ! その印の組み合わせはまずいって!
僕は慌てて妹の手を取り、印だか何だか分からない動作をさせるのを止めた。
「お、お兄様……?」
驚いて僕を見上げるティージュの顔は手と手が触れているせいか真っ赤になっている。うう、やめてくれ。その表情は心臓に来る。
「と、とにかくだ。屋敷の皆がサポートをするから」
心臓の鼓動が部屋中に響くんじゃないかと錯覚するほど僕の鼓膜を打っている。何とか表面上だけ取り繕うと妹に微笑みかける。
「はい、ありがとうございます。お兄様」
「グッ!」
ティージュがはにかみながら僕に返すが、それは僕の仮面なんてボロボロと崩れ落ちる。まるで春の陽射しのように。
「お、お兄様?」
「な、なんでもないよ。じゃ、じゃあ僕は用事があるから!」
戸惑うティージュに僕は自分の熱くなった頬を見られまいと早口で告げて足早に部屋を去る。
扉をゆっくりと閉め、背をもたれて一息つくとドア越しにアンヌのクスクス笑う声が聞こえてきた。おのれアンヌ、クッキーを盗み食いしていた事をメイド長に会ったら告げ口してやる。でも今度だ、今はやる事がある。僕は最近出来た友人に相談する為、妹の部屋を去った。
◆
「と、言う事があるんだ。妹が驚いて喜ぶような事をしたい」
「ふぅむ。それは難問だニャ。アーブルじゃ悩んで悩んで日干し魚みたいになってしまうニャ」
庭師が暮らしていた小さな小屋の外、窓の下に僕は座り込んで、この不思議な喋り方をする友人と話をしている。
高齢だった前の庭師が引退して、新しく清掃も剪定も出来る従僕を雇ったので今はこの小屋に誰も住んでいない。が、友人に相談がある時はいつもここだ。いつだったか姿を見たくて窓から中を覗き込んだけれど、暗くて何も見えなかった。その時とても怒られたので、以来僕は壁越しに話をしている。何でも人に姿を見られるとヒゲが生えてくる奇病に罹っているらしい。……冗談だろうけど。
……初めて出来た友人と言える存在を失いたくないと感じたのもある。人に姿を見られたくない理由があるんだと結論付けて。
「頼むよノーラ。君の考えはいつも僕の上を行く。悔しいけどね」
「ふっふっふ、頼られると悪い気はしないニャ。ふぅむ……」
友人が過去に自分で名乗った名前はノーラ。歳も知らないけど、いつも僕に的確な助言をしてくれるこの存在は妹と同じくかけがえの無い宝物だと思う。調子に乗るから本人には言わないけど。
ノーラはしばらく考え込むと、やがて何かを思いついたようだ。
「そういえば浄化師達が来るニャ? 我輩正直言ってアイツ等苦手だけどニャ。ああ、アーブルは特別ニャ。……話を戻すニャ。やはり人間の知恵に勝るものは無いニャ。だから招待した浄化師達に妹にあげるプレゼントを持ってきて貰えば良いニャ」
浄化師が苦手だと聞いて、ちょっとだけ落ち込む僕を空気で察したのか、僕の事は特別だと言ってくれた。何だか解らないけど胸が温かくなる。そしてノーラの提案に僕はなるほどと思った。
「アーブルは今まで父親の書類整理を手伝ったりしてかなりお小遣いを貯めている事は知っているニャ。恐らく宝石の一つや二つ楽に買えるくらいニャ」
「よく知ってるね。使う事も無かったからさ。うーん、そうだ! 妹はとても綺麗だから高価な宝石を使ったアクセサリーとかどうかな?」
「ハァ~。アーブルは馬鹿ニャ? 幼い妹がバカ高いプレゼントを貰っても困るだけニャ。10歳の女の子が貰って喜ぶ物をもっとよく考えるニャ」
僕の提案にノーラは大きな溜息をつくと馬鹿にバカを繋げる。落ち込んだ僕にノーラはさっきとはうって変わって優しい声で語りかける。
「あくまで一例としてだニャ、妹は体が弱い。激しく運動する物はやめた方が良いニャ。お菓子もゴハンが食べられなくなるから同じ理由ニャ」
「なるほど、ありがとうノーラ。じゃあ早速知り合いの教団の人に相談してくる。ティージュへのプレゼントは父に内緒にしたいんだ」
「父親がライバルなのかニャ? アーブルも男の子だニャ。応援してるニャ」
姿を決して見せてくれない壁越しの友人にまたねと別れを告げて、小屋を後にする。プレゼントを受け取ったティージュの喜ぶ顔を想像して自然に僕の頬は緩むのだった。
|
|
|
エントランスに指令をもらいにくると、ロリクが神妙な面持ちで書類と格闘していた。いつものことだが、いつも以上にこう困っている、ぽい。
どうしたんですか?
声をかけると、ロリクは顔をあげて、ああと沈んだ声を漏らした。
「実は……今から浄化師になる人に、どういう流れで契約するかといった簡単な説明や先輩の体験談をまとめているんだ」
うむうむ。
「契約のところで行き詰った」
契約というと……あ、あの!
思い出した浄化師たちは照れ顔である。
「そう、あれだよ。あれ。……まぁやり方はみんなほぼ同じなんだが、こう、気持ちとか心構えとかをな」
ああ~。
ちなみにロリクさんはどうだったんですか? あの契約のとき。
「……俺とユギルな。あの頃、俺はちょっといろいろとあって荒れていて、ユギルは精神的に不安定だったし」
はい?
「契約のとき俺が手首切りすぎて動脈までいったのはいい思い出だ」
え、えええええ!
「契約の際、ユギルがキレて殴り掛かってきたのもいい思い出だ。あのときのクロスカウンター、いまだに忘れん」
ふぁ!
な、なんかすごい殺伐としてますね。
「だってなぁ、ほぼ初対面のあとのはじめての共同作業だぞ。緊張やら不安やらあるだろう? ちゃんと二人で魔術真名唱えたが、そのときも噛んだし!」
え、ええ。まぁ。ちなみにお二人はなんて唱えたんですか?
「メンチカツ」
はい?
「唯一二人が、そのとき共通して好きだって判明したものでな。だから今後二人でわかっていくためにも、ってことで、メンチカツ……あ、いや、今はちゃんとしたものに変えてるんだが、あはははは」
だからって、メンチカツはねーよ。さすがにねーよ。あんたら!
魔術真名をなんだと思ってるんだ! これは「絶対」に何に変えてもそれをやり通すという信念を表すやつですよっ!
「あの頃の俺らはメンチカツにそういういろんな思いをこめてたんだよ! うん。そういうわけで、いい例になれなくて困ってるんだ。お前ら、せっかくだから契約時のことを教えてくれないか?」
|
|
|
朝露に湿る緑の海原へ、小さな白い点が散らばっている。空を渡る雲よりもずっとゆるやかに、もぞもぞと動くそれらを視線の果てに捉えて、オットマー・ゲーラーはほっと息を吐いた。
「いたぞ。……おい、アントン?」
同行者であるアントン・ロイッカネンの返事が来ない。すぐ隣を歩いていたはずの姿が後方にあることに気が付き、オットマーはやれやれと首を振る。
「アントン!」
「あ、ああ……」
大声で呼びかけると、漸く気が付いたアントンはのろのろと顔をあげて、ぎこちない足取りでオットマーの横に並んだ。
「あのなぁ、気持ちはわかるけどよ。いったん、忘れておけよ」
「……そうだな」
頷きながらも、アントンは未だ上の空だ。
揃いの黒い額当てをする二人は、此処、竜の渓谷を護るワインド・リントヴルムと志を同じくするデモンの警備隊員だった。
サタンと名乗るホムンクルス率いる終焉の夜明け団が竜の拉致を試み、ワインドおよび救援に訪れた浄化師と苛烈な戦闘を繰り広げた事件は記憶に新しい。人も竜も最善を尽くして難敵を退けたものの、竜のケアに侵入経路の調査にと、忙しい日々が続いていた。
アントンの懊悩も、その事件に端を発する。
「俺ァ、まだ信じられねェんだ。アートスの野郎が裏切っただなんて……」
「口を慎めよ。まだ決まったわけじゃねぇ」
竜の渓谷内部に、終焉の夜明け団を引き入れた者がいるのではないか――慎重なワインドが隊員の前で迂闊な発言をするはずもないが、教団と共に調査を進めていくうちにどうしたってその可能性に勘付かないわけにはいかなかった。
確信に至る証拠は見つかっていない。けれども、事件があったその日から、ひとりの隊員が姿を消していることが後に解った。
アートス・ホーカナ――元はルネサンスのあたりに暮らしていたらしいが、五年ほど前に病で家族を失い、己のルーツに関わる仕事がしたいと言って渓谷に身を寄せたデモンの青年だった。ワインドよりも年若い彼はいささか落ち着きが無く、すれた雰囲気をまとってはいたが、酒と音楽が好きな陽気な一面もあり、ほどなく渓谷での暮らしに馴染んだ。
事件があった日、アートスは非番だった。それだから、襲撃の対応に追われる隊員たちは彼の姿が見えないのに暫く気が付かなかった。
ワインドが発見する以前に終焉の夜明け団と遭遇し、犠牲となったのではないか? 或いは、渓谷内を散歩でもしていて何らかの事故にあい、身動きが取れなくなっているのではないか? はたまた、すでに出奔しているのでは――。
さまざまな憶測が飛び交い、隊員たちは調査の片手間に敷地内の捜索を行ったが、数週間経った今もなお行方知れずのままだ。
「何があろうと、俺達にとって重要なのは竜を護ることだ。そうだろ? で、今やるべきなのは、竜を護るのに力を貸してくれる浄化師のもてなしだ」
アートスのことは忘れろ、と重ねて言う。その声が荒っぽいのはオットマー自身釈然としない思いを抱えている証左であったが、アントンは従順に頷き、二人は黙々と歩を進めた。
竜の渓谷には多くの鳥や野兎などといった野生動物が生息しているが、巨躯を持つ竜の食糧には少々心許ない。不足を補うべく、定期的に牛や羊、山羊などの群れを連れて来て放牧するのもワインドたちの仕事だった。転移に用いる魔方陣が整ったこともあって往来の増えた浄化師を歓迎するため、今日は人もそのおこぼれに預かろうという手筈になったのである。
今頃、ニーベルンゲンの草原にある集落では歓迎会の準備が着々と進んでいるはずだ。薔薇十字教団と渓谷の警備隊員との親睦会であり、人と竜の親睦会でもある。竜の中でも特に好奇心旺盛な個体や、先だって教団の世話になった成竜グラナトと仔竜ヴァージャも同席する予定だ。
「……なぁ、おい」
「なんだよ」
羊の選別を行っていたオットマーは、アントンの強張った声を鬱陶しげに聞き流す。
「アートスだ」
「あ?」
まだその話題を引き摺るつもりか、と顔を顰めながら体を起こしたところで、オットマーは言葉を失った。
「うそだろ」
群れの端で、耳障りな鳴き声があがった。途端、群れ全体が緊張感に包まれ、羊たちはのろまな人を置き去りに駆け始める。
アントンは流れに逆らうように前へ一歩踏み出した。
「アートス……! おい、アートス!」
「いや、待て! あれは……」
異変の発信源にゆらめく人影――暗褐色の翼、額当てをした頭部に生える一対の角。そのシルエットこそよく見知ったものに違いなかったが、何かがおかしい。
喉が引き攣れて、声が出ない。脳裏で警鐘がわんわんと鳴り響き、指先が震える。数秒か、それとも数分か。じれったいほどの時間を掛けて、どうにかこうにか、オットマーは言葉を絞り出した。
「ベリアルだ……!」
その瞬間、遠方の人影は不気味な俊敏さで羊に飛びかかり、その首筋へ喰らいついていた。
|
|
|
突然の雷雨は、あっという間に山道を、泥の川へと変えてしまった。
馬車の車輪がぬかるみにはまり、動かなくなってしばし後。
御者は申し訳なさそうに、エクソシストたちに言った。
「今日はこれ以上は勧めません。近くに村がありますから、そこで宿をとりましょう」
とはいっても、小さな宿はすでに満杯。
指令の帰り。団服を着たエクソシストたちは、各ペアごとに別れ、村人たちの家に泊まることとなった。
馬車をおき、徒歩で村に来るまでの間に、体は濡れ、冷え切っている。
パートナーは、部屋にある暖炉と薪を見、ほっと安堵の息を吐いた。
「ああ、ありがたいな。これで濡れた体もあたたまる」
だがあなたは、部屋の片隅に座り込み、黙り込んだまま。
「なぜ黙っている? あれが、お前のミスだと思っているのか?」
――思っている。でも、言えない。
「指令は無事完了したんだ。気に病むな」
パートナーがおこした火が、暖炉の内で、ぼっと燃えた。
彼が、振り返る。
「さあ、こちらへおいで。そこでは、火のぬくもりは届かないだろう」
あなたは、いやいやと首を振った。
(だって、本当ならば、この指令はもっと早くに片がつくはずだった。私が、あんな失敗をしなければ)
ゆっくりと近付いてくるパートナー。
彼はあなたの隣にしゃがみこみ、涙に濡れた顔を覗き込んだ。
「考えるなと言っても、無理なんだろうな。何をしたら、お前は泣き止む? こうして抱きしめればいいのか? あるいは、ひとつきりのベッドで添い寝をして、寝かしつけてしまえばいい? 教えてくれ。俺は、どうしたらいいんだ?」
|
|
|
深い森の奥、かつてどこかの貴族が建てたのだろう、小さな城にも見える屋敷の前庭。
重厚な扉の前に八組十六名の浄化師が集結していた。ひとりが扉に耳をあてる。手振りで他の面々に伝達。「音がする」。
足音どころか呼吸音さえ殺して、浄化師たちは陣形を整える。もうじき標的がくる。あと五分、動きがなければ突入するつもりだった。好都合だ。
「森に魔女が住んでいる」
十月の始まりにそんな情報が薔薇十字教団にもたらされた。森の近くに住む村人たちからの、嘆願に近い要請だ。魔女を討伐してほしい。いつ住み着いたのかは分からない。場所は森の中の古屋敷。
庭は手入れされておらず、壁面には蔦が這う。野生動物や敵性生物の住処になっていないのが不思議なほどだ。いや、魔女が住んでいるから近づかないのか。
教団は直ちに討伐指令を発令。こうしてこの部隊が派遣された。
魔術真名の解放はそれぞれすんでいる。魔女は恐らくひとり。だが、油断はできない。
さん、に、いち。
扉が開く。先手必勝とばかりに前衛の浄化師たちが出てきた人物の心臓を穿とうとする。
「はえええ!?」
悲鳴。お構いなしに攻撃しようとして、ひとりが異常に気づいた。
「待て待て! 魔力が感じとれない!」
「え?」
「おーっと!?」
勢い余りかけた前衛の襟首を、別の浄化師が掴んでとめる。動揺が広がる。杖先の魔方陣が消えた。膨れ上がった殺気が困惑に塗り替えられる。
「……魔女だよな?」
「は? 違うわよ、私は仕立て屋。仕立て屋のチェルよ」
「仕立て屋?」
廃墟同然の建物に似あわない、美しいカボチャ色のドレスに身を包んだ女が薄い胸を張る。
「そーよ。ちょっといろいろあって、ここでお洋服を作っているの。見る? 着る?」
「いや……」
「っていうか見て行きなさい。着なさい。その制服、教団の浄化師でしょ? 浄化師ってなんでもやってくれるんでしょ?」
「なんでも屋ではない」
「いーじゃないの! お洋服って、着られて初めて価値が出るのよ。なのに」
ぐす、とチェルがすすり泣き始めた。突然のことに浄化師たちは慌てる。
「両親に、服なんか作ってないで後を継げって言われて。私、農家じゃなくて仕立て屋になりたいの。素敵なお洋服をたくさん作りたいの。だから、家を飛び出して」
「そ、そうか。大変だな。じゃあ、気をつけて」
「もう魔女に間違われないようにな」
「待ちなさいよ。着て行きなさいよ。全部自信作なのよ!」
一番近くにいた浄化師の腕をしっかりつかみ、チェルは一同に視線で縋りついた。
「私が作ったお洋服、着てよぉ!」
「町で服を売ればいいんじゃないか?」
「自信がないのよぉ! 着て、感想言ってくれたら、私もやれるんじゃない? って気持ちになって町に売りに行けるじゃないのよぉ!」
「そんな覚悟で家出して廃墟に住んで、魔女呼ばわりされていたのか……」
「最後のは私のせいじゃない!」
涙声で叫ぶチェルは、今にも駄々っ子のように暴れ出しそうだった。
浄化師たちは視線で短い意見交換を行う。結論が出た。
「代わりの者を派遣しよう。我々は忙しい」
「え? ほんと? やったー!」
両手を上げてチェルは喜ぶ。
面倒くさいことになったなぁ、と浄化師たちはいっせいにため息をついた。
|
|
|
私は教団寮2階にある購買部の店員である。
薔薇十字教団の教団員であるが、接客業に適正があると認められ、購買部の方へと配属された。
主なお客さんは浄化師だが、私たち教団員も利用することが多い。たまに上のお偉いさん方もここに来ることがある。滅多にないことではあるが。
購買部の一日は結構忙しい。
会計業務はもちろん、接客や店内清掃、商品の品出し・陳列、商品の発注など多岐にわたる。一度仕事を覚えてしまえば、後はパターンで作業を行うだけだが、新人が入団する時期になると一気に忙しくなる。新人浄化師が初任務に備えて、武具や防具などを買い求めに来るからだ。
後は教団員から「こんなものを買いたい」という要望が来ることもある。日用品や消耗品、服、アクセサリー、細々とした携帯品などは、上司である「ロードピース・シンデレラ」様に要望書を提出し、イレイスなどの武器や防具は魔術鍛冶職人である「ヴェルンド」さんに注文をお願いすることになっている。
購買部の品揃えとしては、頼もしい浄化師の相棒であるイレイスは全て魔術鍛冶屋で作られている。武器も大事だけれど、敵の攻撃を逸らしたり、弾くだけでなく身を守ってくれる防具もそうだ。
武器や防具は実用品重視だけれど、服や装飾品、鞄などは実用的だけでなく、デザインにこだわりを持ったものも多い。
でも、最近はダンジョンに潜りに入って自前の武器や防具などを手に入れる方も多くなってきた。まあ、事務用品も置いてあるので客足は遠のく心配がない。
それ以外にも、香水などのちょっとしたお洒落や音楽を趣味とする者の為に楽器なども用意されている。
暇をつぶすトランプやチェスセット、指令に役立ちそうな医療品にピッキングツールまである。
尚、ピッキングツールを使っての技術の悪用をした場合、購買部は責任を負いませんのでご了解下さい。こわーい人に怒られたくなかったら、悪用しないで下さいね。お姉さんとの約束だ。
他にも教団員からの要望があれば、これからも商品はどんどん増えていくだろう。
もう購買部と言うより何でも屋さんだと私は思っている。
さあて、今日も一癖も二癖もある浄化師を迎えるために開店しなければ。
私たち購買部一同、お客様の要望に応え、各種の品揃えを用意してお待ちしております。
購買部へいらっしゃいませ!
|
|