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アルフ聖樹森。
樹木が密生している森の中には、小さな集落が無数に点在している。
各集落には、氏神となる八百万の神が居り、結界が張られ守られていた。
集落に住む住民達は、八百万の神を敬い、それぞれが自由な暮らしを謳歌している。
しかし、最近、穏やかだったはずの森には、終焉の夜明け団が出入りし、不穏な空気が漂っていた。
「コルク、逃げるわよ」
「う、うん」
コルクとその母親――フィロは森の中を必死に走りながら、抑えきれない焦燥を感じていた。
帰路の途中で出会した奇妙な集団。
彼女達は、八百万の神を狩り獲ろうとしている終焉の夜明け団の集団から追われる羽目になっていた。
集落の住民が危惧した単独行動のリスクを、フィロ達はまさに一身に被る形になったのだ。
「あっ……」
その時、足がもつれて、コルクが派手に転ぶ。
幼い子供が、かれこれ集落まで全力で走り続けていたのだ。
体力が低下するのは無理もない事だった。
「コルク!」
フィロは即座に、娘を抱き上げる。
だが、終焉の夜明け団の者達は、彼女達のすぐ目の前まで迫ってきていた。
「よし、八百万の神の居場所を吐かせるために、こいつらを捕らえろ!」
リーダー格の男の指示により、フィロ達は人海戦術を駆使され、徹底的に追い込まれてしまった。
逃げなくては捕まる事は解っている。
だが、彼女達は恐怖に駆られて、彼らの方を振り向いてしまった。
目の前に迫る武器の数々。
彼女達は終わりの瞬間を覚悟する。
「危ない!」
その時、彼女達を庇うように、あなた達は咄嗟に間に入った。
窮地を救われたフィロ達がそれに気付き、あなた達を見る。
「こいつらが、指令対象の終焉の夜明け団だな」
交戦していた男の武器を打ち払い、あなた達は即座に戦闘態勢に入った。
躍動する闇と武器の光が入り乱れる森を、あなた達は凄まじい速度で駆ける。
彼らの繰り出す斬撃は早く鋭く、卓越された終焉の夜明け団の攻撃をいとも容易くいなしていく。
瞬く間に、終焉の夜明け団は捕縛されていた。
ようやく事態を把握したフィロは深謝する。
「助けて頂き、ありがとうございます」
「ありがとうございます」
彼女達からの感謝の言葉に、あなた達は安堵の表情を浮かべた。
このまま、終焉の夜明け団を連行し、フィロ達を安全な場所へと送り届けようとした時、後方に気配を感じて立ち止まる。
あなた達が視線を向けると、フシギノコ型のキメラが次々と森の奥から集まってきていた。
「ここは、俺達が食い止める!」
「うん。なら、私達はここで彼らを見張っている」
あなた達は、パートナー達にフィロ達を託すと這い寄ってきたキメラ達の方へと向かう。
だが、キメラ達は倒しても倒しても、四方八方から現れ、次々に襲い掛かってくる。
「まるで扇動されているみたい……」
「せーかい」
呆然とつぶやいたパートナーは、背後から聞こえてきた冷たい声に、完全に反応が遅れた。
「しまっーー」
振り返る間もない。
足を払われたパートナーは、一呼吸の間にうつ伏せに組み伏せられた。
慣れた手つきと、洗練された所作。
フィロは、明らかにこういった武術に精通している。
見れば、見張り役として残っていた他の浄化師達も、パートナーと同じように、捕縛が解かれた終焉の夜明け団の一団によって、うつ伏せに組み伏せられていた。
終焉の夜明け団の一団は虚ろな眼差しで、彼女達の指示に従っている。
「あれー、全然、気づかなかったんだー? 本当はあなた達が誘き出されていたことを」
コルクの白けた言葉で、パートナー達は先程の逃走劇の意図が分かった。
八百万の神を狩り獲ろうとしている終焉の夜明け団の集団に追われている集落の住民達。
あれは、浄化師達の意識をそう仕向けるための芝居だったのだ。
「ここまで上手くいくとは思いませんでした」
先程までの柔らかな調子はなりをひそめ、フィロは鬱々とした口調で続ける。
「コルク、例の薬品を」
「はい、お母様」
いつの間にか近づいて来ていたコルクは、パートナー達に向かって鱗粉を放ってくる。
「さあ、何もかも忘れて――彼らのように、私達の同胞へと生まれ変わりなさい」
「――っ」
フィロの言葉に、パートナー達は抗うこともできないまま、その場に崩れ落ちた。
鬱蒼と茂る森。
静かで吸い込まれそうな燐光。
冬の軋むような凍えが緩んだ蒼い空。
「なっ!」
キメラの大群を倒したあなた達が元の場所へと戻ると、フィロ達も、捕縛していた終焉の夜明け団の集団も、そしてパートナー達さえもその場から姿を消していた。
必死に森の中を捜索したあなた達は、森の奥にある礼拝堂の前でパートナー達の姿を発見する。
あなた達は、それぞれのパートナーの元へ向かう。
「良かった……」
あなたは、行方不明になっていたパートナーが見つかったことに安堵する。
「何があったんだ?」
核心に迫るあなたからの疑問。
しかし、パートナーは戸惑うような表情を浮かべるだけで要領を得ない。
その様子に違和感を覚えて、あなたは胸中で首を傾げる。
凍てついたような静寂が舞い降りたのは一瞬――。
「あなた、誰?」
「なっ!」
パートナーからの不可思議な問いに、あなたの胸には言いようのない不安が去来する。
「どうして、私のことを知っているの? あなたって浄化師よね。なら、私達、『サクリファイス』の敵なの?」
そして、パートナーは残酷なまでに、純粋な疑問を投げかけてきたのだった。
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夕方のムスペルヘイム地方、砂漠の街サンディスタム、タビ砂漠の入り口。
「初めまして、僕は『アバサ』! お客さんは星とか好き? 砂漠から見る星は凄く綺麗なんだよ! 特にオーアシスから見る星なんか、空だけでじゃなく水に映り込んでる星も綺麗で贅沢な気分になるよ! 流れ星も見られるはずだから、お願い事をしてもいいよ!」
15歳の地元の少年が人懐こい笑顔で、通りかかる人達に声を掛けていた。
「しかも! 今夜は『砂蛍(すなぼたる)』が飛ぶんだ。その生き物は、お尻をほのかに光らせながらちらちらと飛び回る虫だよ。小さくて、可愛いくて、危なくないよ。砂漠って凄いよね。色んな生き物がいるんだから」
アバサは、興奮気味に砂漠の素敵さを語った。
「少し前に会った浄化師さんが言っていたけど、今日はバレンタインだとか、星見にぴったりだよ! 星見を楽しんだり、食べ物とか飲み物を持ち込んでもいいし、騒いだっていいよ!」
街で仕入れたらしい情報も使ってアバサは、砂漠観光に興味を持って貰おうとする。
「でも、夜の砂漠はすごく寒いから対策してね。一応僕の方でも毛布とか持っては行くけど」
大事な注意事項で、砂漠観光をおしまいにした。
「興味があるなら案内するよ? どうする?」
改めて、アバサは訊ねた。
そして日没後、興味を抱いた者達を連れて、オーアシスへ向かった。
夜の空とオーアシスの水面に満天の星が輝き、時に流れ星が駆けるだろう。
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●
凄絶な量の魔力が、弾丸のような速度で近づいてくる。
花畑でまどろんでいた燐光の妖精ディアは泡を食って起き上がった。ぽっかりと開けた空の彼方に目を凝らす。
「……あれは……、ファラステロ?」
空精アリバが操る、魔法を動力とした蒸気機関車ファラステロ。それが急接近して――幻のように消えた。
眼前で暴風が吹き、ディアは反射的に目を閉じる。慌てて目蓋を押し上げた先、舞い散る花々の中に彼はいた。
「やぁ、久しぶりだねぇ、ディア」
「……アリバ……」
にこにこと、長身の青年の姿をとったアリバが言う。
口振りこそ親しげだったが、声は鼓膜が裂けそうなほど冷たかった。目も笑っていない。
じり、とディアは半歩下がる。だが逃げられないことは本能的に分かっていた。
頭の中で警鐘が鳴る。八百万の神に、妖精に、人々に愛されて育った美しき妖精の顔が恐怖で青ざめる。
この感覚を味わうのは、二度目だった。
「相変わらず綺麗な声だね」
「……こ、れは」
「ぼくの妹の声だ」
「が……っ!」
予備動作などない。木々の根が伸びディアを締めつけ、吊るす。
気管を圧迫され、ディアは反射的に魔力の塊に姿を戻そうとして――できなかった。
「あ、なた……っ!」
「逃げられると思ったのかなぁ?」
出来の悪い子どもを見るような目で、アリバはディアを――かつて彼の妹、地精ティターニアから声を強奪した妖精を見上げる。
木々がざわめいていた。ここは小人の森。ピクシーたちの憩いの地だ。本来ならば、このような事態に陥ればすぐにピクシーが攻撃を仕掛けにくる。彼らもまた、美しいディアが好きなのだから。
だが今、動く者はいなかった。
誰もがアリバを、彼からあふれる八百万の神にも等しい量の魔力を、恐れていた。
「さすがアマツカミの涙だねぇ。生まれたときと同じくらいの魔力があるよぉ」
ディアが所有していた、すり減る一方の妖精の魔力を回復させる神薬『アマツカミの涙』は数日前、浄化師の手に譲渡され、さらに浄化師に依頼したアリバの手に渡っている。
薄れゆく意識の中、ディアは彼の怒りがまるで収まっていなかったことを身をもって知り、ひとつの『脅迫』を吐き出した。
「こんな、ことをして……、アリアンス、は、終わりますわ、よ……っ」
妖精と人類による叛神同盟、アリアンス。
ディアは妖精に愛される存在であり、アリバはアリアンスの中核にいる。
もしアリバがディアを殺したことが知れ渡れば、妖精の間で騒ぎが起き同盟どころではなくなるだろう。
「いいんだよぉ」
穏やかすぎるほど穏やかな声でそう言って、アリバは眉尻を下げて笑った。
「今度こそきみはぼくに裁かれて、ぼくはあの子たちに裁かれるんだから」
●
「燐光の妖精ディアは美しい魔力塊だった。人の姿をとるときも、ひときわ美しくあることに心血を注いだ。……だが」
教団本部、会議室のひとつ。
春精オベロンが苦い顔になる。
「声だけが醜かった。低くしわがれた声しか出なかったのだ」
「逆に、ティターニアの声はとても綺麗だった。ディアはそれを妬んだんだよ」
彼の左隣で氷精グラースが吐き捨てた。
椅子に座っているティターニアは深くうつむいている。冷え切った彼女の手を、浄化師のひとりが握っていた。
「やがてディアは数名の妖精と共謀し、ティターニアから声を奪った。奪われた声は最早どうあがいても、ティターニアには戻らぬ」
「アリバはそのことに怒った。怒って――当時、ディアが住んでいた森を更地に変えた」
「そんな……」
呆然と浄化師が声をもらす。オベロンが苦笑した。
「普段の温和なアリバからは想像もできぬだろう。だが事実だ。アリバはディアと自分に公正な裁きを、妖精たちに求めた」
「でもね、こういうときに決定を下してくれる年長の妖精たちは、こぞって目を背けたんだ。ディアを罰しない。代わりに、アリバも罰しない。それを他の妖精たちにも徹底させた」
「ディアはその後、住処を変えた。アリバは――」
恐らく、ずっと復讐の機会をうかがっていたのだ。
先ほど教団本部に小人の森にて膨大な量の魔力が観測されたとの報せが入った。
それがなにを意味するのか、妖精たちはよく知っている。
「頼む、人の子らよ。我らでは奴をとめられぬ」
「だって、僕たちもディアに怒っているんだ。大切な友だちの声を奪った彼女を、許せないのは同じなんだ」
オベロンも、グラースも。
現場に向かえば、アリバの味方をしてしまう。
ティターニアは兄の思いを知ればこそ、手を出せない。
他の妖精たちはこの内乱に介入する覚悟ができていない。それどころか、アリアンスに対し不信感を募らせている。
今、アリバに立ち向かえるのは浄化師だけだ。
「ですが、八百万の神に等しい魔力を持った妖精相手に、どうしろと……」
険しい顔つきになる浄化師に向け、ティターニアが手鏡を差し出した。
「アドナイの鏡。これでアリバを映せば、刹那とはいえ完全に無力化できる」
硬い口調でオベロンが説明する。
「魔力を吸収、保持する鏡だ。限界を超えるほど魔力を吸えば割れ、保持されていた魔力は持ち主に還る。持ち主が死んでおらぬ限りな」
持ち主がすでにこの世を去っている場合は、魔力は空気中に放たれるらしい。
「僕たちは魔力でできてる。魔力の残量が著しく減っているときに攻撃を受ければ、それが針で刺すようなものでも消滅するよ」
「吸いこまなくてはならない魔力の量はあまりに多い。神宝のひとつとはいえ、さほど持つまい。……ゆえに、奴が無力化されているうちに決着をつけてくれ」
空精アリバの願いは。
燐光の妖精ディアと自分が、正当な裁きを受けること。
「……頼んだぞ、人の子らよ」
「最後にひとつ」
手を挙げた浄化師に視線が集まる。
「私たちは空精アリバに、騙されたのかな?」
違う、と妖精たちは揃って否定した。
「アリバは本当に消滅寸前だった。恐らく、だからこそ最後の賭けに出たのだ。人の子らに助けられたなら、自らの想いを果たして消滅の道を行く。そうでないなら――それまでのことだと」
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拝啓 時下ますますご清栄のこととお喜び申し上げます。
我が君が大変お世話になり、ありがとうございました。
つきましては日ごろの感謝をいたしましてささやかなパーティを企画しております。にぎやかなパーティにする予定でございます。
いくらか寒さもゆるみ、この度のおかしなパーティを後押してくれるかのようで幸先良く感じます。是非とも万障お繰り会わせの上、ご参加下さいますようお願い申しあげます。 敬具
ここはアルフ聖樹森の片隅。深い森の中に獣道が細々と続いている。鬱蒼とした森には様々な植物が生い茂る。さらに無造作に伸びた枝が折り重なり、その隙間から青空が見えた。
ひしめき群がる樹木の海を深く進めば、ひっそりと隠れるように家があった。それはまるでおとぎ話に出てくるような魔女の家だ――それも本物の。魔女の家は古めかしく壁には蔦が無秩序に這いまわっているせいか、森に溶け込んでいた。
招待状の送り主はここにいる筈だと、呼び鈴を鳴らすが、うんともすんとも言わない。まさか留守なのだろうか? 招待状の日付を確認するが間違っておらず安堵する。
ドアを開けようにも鍵がかかっており、浄化師達は扉の前に立ち尽くす。その様子を見ていたかのように頭上から青い小鳥が白いメッセージカードを落とす。
メッセージカードには、「どうぞ、4回ノックしてお入り下さい」と綺麗な筆跡で書かれていた。
その通りに行動すると、がちゃりと音を立てて木の扉が開いた。
浄化師達は唖然とする。
深紅の間。壁も天井も椅子すらも薔薇のように赤かったが、不思議と品がある。中央には大きな長方形のテーブルがどんとあり、その上には様々な軽食とお菓子に加えてお酒やジュースなど各種飲み物が揃っていた。
こじんまりとした家だった筈だ。こんな豪奢な大広間など家の広さ的にも可笑しい筈なのに、魔女の魔法だろうか。まるでアークソサエティにあるポーポロ宮殿のようだ。それなのに人っ子一人いないのが逆に奇妙だった。
よく見れば入り口で落とされたメッセージカードと同じものがテーブルの上に置かれている。手に取ってみると、カードには次のような文章が浮かび上がった。
『魔女特製のおかしなお菓子です。食べたら身体が小さくなったり大きくなったりするかもしれません。時には頭に花が咲いたりすることもあるでしょう』
暫くすると、また別の文章が浮かび上がってきた。
『この日の為に用意させていただきました。おかしなお菓子とはいえ味にもこだわっております。是非食べてみて下さい』
確かににぎやかなパーティだった。お菓子が皿の上で動き回っているのだ。
飴細工で作られた蝶がテーブルの上を一斉に飛び回り、ホワイトチョコで作られた骸骨が歌い出す。鉱石を模した美しいお菓子が甘い誘惑をし、モンスターの焼き菓子が「Eat me!」と目を引きつける。
どれもとびっきり美味しそうなのに不思議な魔法がかかっているのだ!
なるほど、文字通り魔女のおかしなパーティということだ。
当の魔女は姿を現さず、目的も分からない。メッセージカードに書かれている文面は「是非食べて下さい」から変わらない……「どうぞ食べて下さい? え? 食べないの? Eat me! Drink me!」に変わっていた。
誰も手を付けないでいると、メッセージカードはぶるぶると震え、「満腹になるまで部屋からは出れません」と書かれている。
ドアノブをがちゃがちゃと回しても、ドアに魔喰器で攻撃してもびくともしない。どうやらテーブルにあるお菓子や軽食を食べなければ出さないと意志がひしひしと伝わってくる。
魔女はどうしても目の前の菓子を食べさせたいようだ。
さあ、何を食べる? 輸血パック入りのゼリーは疲労回復とラベルが張ってあり、効果が分かるものもあれば、食べられる花束のお菓子は美しく可愛らしいがどんな効果があるのか分からない。さらには入れ歯や目玉を模したお菓子は食べられるのだろうか。
カードを読む限り効能は3日から10分までとまちまちだ。美肌効果や眼精疲労に有効なものもあれば、語尾に「にゃ」がつくようになるという罰ゲームに近いものもある。何の効果もないものはハズレらしい。
お腹も空いている。ここから出るためにもあなたたちは魔女のおかしを食べるしかないようだ。
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教団本部室長室。
これまでと同じく、浄化師に関連する人物についての話し合いがされていた。
「――以上が、現時点での報告書の概要をまとめたものです」
「巧くいっているようだな」
ウボーから報告を聞いたヨセフは返していく。
「可能な限り、浄化師の家族や関係者については便宜を図っていきたい。これからも、この調子で頼む」
ヨセフは、部屋に居る皆に頭を下げる。そして改めて言った。
「それで、話を戻して悪いが、オクトに関する情報収集は、現時点で集められる範囲で頭打ちか?」
「はい」
ヨセフの言葉に、ウボーは返していく。
「今の所、ある時期を境にして、規模が大きくなったことが分かっています。そして恐らくは、3つの派閥に分かれていると思われます」
「銀朱のヴァーミリオンを首領とした元々のメンバーと、規模が大きくなったことで発生した残りのふたつ。その内のひとつが――」
「人形遣いが関わっている終焉の夜明け団ね。集められた資料を私の方で確認したけど、間違いないわ」
鋭い声でマリエルが応えた。
人形遣いと因縁のある彼女としては、討ち取っておきたい相手である。声に熱を帯びるのも仕方あるまい。
「出来れば、私も前に出て戦いたい所だけど――」
「まだ早い」
ヨセフは返す。
「より情報を集めてからだ。現時点では、推測できる程度でしかないからな」
「……推測といっても、目星を付けているんじゃないの?」
「推測だ。確実な物じゃない。だが――」
ヨセフは慧眼鋭く言った。
「俺の勘では、ナハトが関わっている」
ナハト。
それは教皇護衛隊のことだ。
表向きは教皇の右腕として動く、護衛隊である。
だがその実態は、暗殺などの暗部を行う秘密組織だ。
名目は教皇護衛隊ではあるが、その実、アークソサエティの実質的支配者層である枢機卿の命令で、命を捨ててでも任務を達成する組織でもある。
命令を受ければ、命を省みず行動する。
以前、浄化師達がニホンに船で渡る際、浄化師達を殺すべくべリアルに情報を渡し、関わったナハトのメンバーは殺されているが、そういったことを平気で行えるよう、洗脳じみた教育が行われているらしい。
「ひとつの組織に、教団の上位組織といえるナハトと、終焉の夜明け団が関わっている。以前なら、敵対関係にあると考えられたところだが――」
「繋がっていると思うわよ。たぶん」
マリエルは続ける。
「私が知ってるだけでも、教団関係者と思える奴らと、人形遣いは関わっていたから。それぞれの名前までは分からなかったけど、それは確実ね」
「敵対組織と思ったら、裏では手を組んでいる仲という訳だ。随分と複雑な状況になっているようだな、オクトは。それでいて、確実に民衆の支持を得始めている」
「はい。それもどうやら、ヨハネの使徒やべリアルを討伐することで、支持を得ているようです」
ウボーは詳細を語る。
「集めた情報では、ヨハネの使徒については、力のある幽霊が破壊しているようです」
「10代前半の少女に見えるエレメンツの幽霊だったな?」
「はい。3人の人物と共に行動しているようです。その彼女が、オクトの指示により、ヨハネの使徒に襲撃されている村々を助けて回っているようです」
「教団の手が回り辛い地方を回って支持を得ている、か……撒き餌だろうな」
ヨセフは、ため息をつくように言った。
「支持を得て、そのあと食い物にしていく。下手をすると、その幽霊や3人の人物は利用されているだけの可能性もあるな」
「あり得ますね……それとべリアルについては、魔喰器(イレイス)が使われている可能性が高いです。これについては――」
「……教団から逃走した研究者が関わっている可能性が高い、というわけか。しかも資料が事実なら、俺が実験廃止を決めて行方をくらませた研究者も居るようだ」
当時を思い出し、心が熱くなる。その熱を無理やり飲み干しヨセフは続ける。
「とにかく、ナハトについてはこれからも情報を集めてくれ。それと、他についてはどうなっている?」
「ニホンを中心に調べてるよ」
セパルが返す。
「人を探して欲しいって頼まれたんだけど、どうもニホンに居るっぽいんだよね。しかも、お家騒動が起ってるっぽい、ムサシの国に居るかもしれないし……」
「……そうか。分かった、必要ならニホンに渡ってくれ。必要な手続きはこちらで全て済ませる」
そこまで言うと、ヨセフは改めて頼んだ。
「これからも労力を費やさねばならないことは多いと思う。だが、浄化師のために、よろしく頼む」
ヨセフの言葉に、皆は頷いた。
そんなやり取りがあった後、ある指令が出されました。
それは浄化師が家族に会えるよう、指令の形で便宜を図るので、希望者は申請して欲しいというものです。
それだけでなく、離れ離れになってしまった家族が居るのなら、その家族を探す手助けをしてくれます。
また、記憶を無くしたりなどで、家族のことが分からない場合は、その記憶を手繰ることから協力してくれるとの事でした。
他にも、今まで関連する指令に参加した者については、そこからさらに何かあれば尽力するとの事でした。
縁と絆を手繰る、この指令。
アナタ達は、どう動きますか?
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『ロイヤルビー』と言う蜂がいる。
所謂ミツバチの一種なのだが、些か変わった習性を持っている。何の拘りかは知らないが、一種類の花の蜜しか吸わない。ただひたすらに、決まった花の蜜だけをせっせと集める。
花の名は、『ジュエルドロップ』。世界で最も上質と言われる華蜜を生み出す、玉虫色の花。そんな花の蜜を、ロイヤルビーは自身が分泌する特殊な体液を混ぜて巣に蓄える。
その成分には防腐の効果がある事が分かっているが、重要なのはもう一つ。この体液を混ぜられた蜜は不可思議な変質を起こし、七色の結晶へと姿を変える。
『夢魔の誘惑(サキュバス・ペイン)』。
砂糖の10倍の甘味を誇りつつ、一切の雑味・嫌味・癖を持たない透麗な味わい。まだ、加工技術が未熟であった頃。小指の爪程の結晶をそのまま食していた時分には、強烈な習慣性に囚われる者が続出した。一時は何かしらの麻薬成分が含まれているのではと疑われたが、後の研究によって可能性は消滅。如何わしい成分は何一つ検出されなかった。逆に言えば、単純な味わいだけで麻薬並の習慣性を招いていた訳で、それはそれで問題がありそうな話ではある。
その後、加工技術の向上と商業研究が躍進。水溶させて希釈した後、規定量を守る事で安全な運用が出来る事が判明。現在では極上の甘味料として少数が流通している。
◆
で、時は現在。節は2月。バレンタイン。
ご存知の通りこの催し、甘味の需要が爆上がりする。夢魔の誘惑も例外ではない。元となるジュエルドロップがシャドウ・ガルデンの高原地域にしか育たない上に、ロイヤルビーも繁殖力が強くない。生産量が少なく、高価なコレ。菓子の中に一欠片入るだけで、味の位はグンと上がる。ついでに、値段も上がる。近年では、これが入っているか否かで送る相手への想いの強さが決まるとかで、恋に戦う皆様は懐具合とも熾烈な争いを繰り広げている。
恋って、そういうモンじゃないと思うの。
ちなみに、元から希少品。需要が上がれば、供給は追い付かなくなる。と言う事は……。
「何ですって~!? ですの~!!」
街中に響いた悲痛な叫びに、道行く人々は足を止めた。場所は、高級喫茶『スイートドリーム』本店前。黒いゴスロリ衣装を纏った少女……と言うか女児……と言うか幼女が綺麗な黄金(こがね)のツインテールをワナワナと振るわせていた。尚、知ってる者が見たら、引き付け起こして引っ繰り返るだろう。
神が世に放ちし滅びの災禍。破壊と殺戮の権化にして実行者。至高のベリアル3強が一柱。『最操のコッペリア』。
それが、彼女の真名。
「バレンタイン商戦における材料不足のため、『特性夢魔の誘惑プリン』はしばらくお休みさせていただきますぅう~!!??」
視線の先には、店の戸に貼られた紙。
「そ、そんな……。わたくしの月一回の楽しみが……。至福の一時が……。最大の存在理由が……」
しれっと常連らしい。聞いたら薔薇十字教会幹部達も、ついでに与えた使命よりもプリンを優先されたネームレス・ワンも、心に深い傷を負いそうだが。
「く……これも全てはバレンタインのせい……。おのれ、『バレンタインの乙女』……」
濡れ衣である。
「しかし、こんな事でわたくしの野望を挫けるとは思わない事ですの……」
何と戦っているのか。
「要はアレですの。夢魔の誘惑の生産量が増えれば良いですの。ならば……」
ひっそりと展開する魔方陣。誰の目に止まる事もなく、小さな姿は街から消えた。
◆
所変わって、シャドウ・ガルデン。数少ない夢魔の誘惑の生産地、『ドリムズ高原』。居を構える養蜂家の方々は、『さ、今日も頑張んべぇ』と出てきた所で腰を抜かした。
そこにあったのは、巨大な黄土色の塊。何だこれ。昨日まで何ともなかったのに。パニくる皆様。しかし、そこは専門家。鍛え上げられた蜂に関する知識は、件の塊が蜂の巣である事をすぐに看破する。巨大化した巣本体が養蜂箱からはみ出し、飲み込んでしまったのだ。かつてなかった事態。原因を調べようと近寄って、また腰を抜かした。蜂達が、異様に猛っている。殺る気満々である。大人しい筈のロイヤルビー。おかしい。しかも、刺された時の症状がもっとおかしい。色々、おかしい。幾人かの尊い犠牲の上でやっと一匹の蜂を捕獲して、ルーペで見てみる。見えたのは、蜂の体を縦横に飾る赤紋と、胸部に刻まれた魔方陣。
……あれ? ……これって……。
長~い沈黙の後、到達した真実に養蜂家皆様は三度腰を抜かした。
◆
「……誤算でしたの……」
空から下の騒ぎを観察していたコッペリア。あちゃ~、と言った顔。
「蜂を疲れ知らずのベリアルにして、蜜の収穫量を増やすつもりでしたのに……」
眼下で繰り広げられるのは、ベリアル化した蜂と養蜂家皆様が繰り広げる地獄絵図。
「ベリアルの殺戮本能の事、すっかり忘れてましたの」
おい。
「にしても、人間も人間ですの。あの程度、制圧出来なくて世の中やっていけると思ってますの?」
勝手な事言うな。
「仕方ありませんの。わたくしが使役して……」
言いかけて、騒ぐ蜂の数を見る。当たり前だが、とんでもない数。
「めんどくせーですわね……。これ……」
こら。
「そうですの。『アイツラ』がいましたの」
ポンと手を打つと、何処からか紙とペンを取り出して何やら書く。書き終わると、口笛一つ。飛んできた小鳥(当たり前の様に、ベリアル)に紙を渡す。
紙を持って飛んでいく鳥を見送り、溜息一つ。
「全く。世話が焼けますの」
そろそろ、誰か殴って欲しい。
◆
次の日、薔薇十字教団のご意見箱に一通の手紙が投函された。差出人は、『匿名美少女』。内容は、養蜂場で起こった異変の事。何とかしろ。じゃないと世界中の甘党が暴動起こすぞと。
ほぼモンスタークレーマーのそれなのだが、世界規模の暴動と言われるとほっとく訳にも行かない。手配する教団。
後日、養蜂専門の魔女(何だそれ)である『ハニー・リリカル』と共に現場に到着した浄化師達。待っていた養蜂家皆様に、『お手伝いが先に着いてますよ』と言われ、何の事かと横を見る。
居たのは、羽根を模した鎧で身を固めたお方一人と、何か獣と人の中間みたいな恰好のお方二人。で、お三方の胸に漏れなく刻まれる赤い魔方陣。
どう見てもベリアル(それも、スケール4と3)です。本当にありがとうございました。
慌てて戦闘準備する浄化師達に、『待たれよ』と声かけるスケール4。曰く。
「我ら、『虫狩り三獣士』と申します。此度は最操の御方様の命により、貴殿らの助力になるべく参りました。敵意はございませんので、どうぞご安心を」
何か、凄い紳士。
「そうデござイます。刃ヲお納めクダさいませ。今ハ、争っている場合デハありませンわ」
「チョイ見まシたケンどなぁ。イヤ、此れハ骨でっせ。協力シまひょ」
続くスケール3、二名。とても、朗らか。
は? 何言ってんの、この人(?)達。
混乱の極みたる浄化師を他所に、ハニーがポンと手を打つ。
「ああ、プロの方ですか? 助かります。未経験のこの方達だけでは、荷が重いと心配してましたので」
え? ちょっと待って。
「いやいや、此方としても浄化師が味方とあれば心強い事この上ない。当てにさせていただきます」
置いてかないで。お願いだから。
狼狽しまくる浄化師達を他所に、がっしりと握手を交わすハニーとスケール4。
かくて、恐怖と狂気とカオスに満ちた戦いが幕を開けた。
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機械都市マーデナクキスについての話し合いが、室長室で行われていた。
「マーデナクキスは、大きく分けて3つの層から出来ています」
「貴族、資本家、市民、だな」
室長室でヨセフは、ウボーに応えた。
いま室長室に居るのは4人。
ヨセフと、彼に頼まれ調査資料などをまとめたウボーとセレナ、そしてセパルである。
「権力、というか権威を持ってるのが貴族で、お金を持ってるのが資本家。数が一番多いのが市民ってことだね」
セパルの言葉にヨセフは返す。
「あそこは名目は王制だが、実質的には形骸化している。元々、第1期移民として渡ったエアが王として宣言した後、アークソサエティから渡った貴族の縁者が渡りをつけ各国が認めたという経緯があるせいで、貴族の意見を無視できん状況になっている」
「その上、国の成り立ちに必要なお金は、アークソサエティの商人が出資したので、こちらの意見も無視できません」
セレナの言葉にヨセフは返す。
「ああ、そうだな。国債の形で借り受けている大借金国家という訳だ」
そこまで言うと、続けてマーデナクキスの歴史を語る。
「マーデナクキスは、マドールチェが独立した種族であることを主張するために創り出された国だ。
だから移民第1期は、マドールチェだけで構成されている。
当初アークソサエティとしては、反乱分子が遠く離れた地で野垂れ死にするなら手間が省ける、ぐらいに考えていたようだな。
だが、彼らは生き延びた。そしてそこで、莫大な魔結晶が産出される場所を見つけた」
「魔結晶ラッシュ、ですね」
ため息をつくようにウボーは言った。
「うちの家も関わったので知っています。うちの家が移民に必要な船とかの用意をしていた時は、さんざん笑いものにしてたくせに、魔結晶が出ると分かった途端に、有象無象が群がって来ましたから。そこで巧く立ち回って、国として認めさせた国王のエア氏の実力が凄いと思ったのが記憶に残っています」
「複数の勢力に関わらせることで拮抗状況を作り出し、国を創った。確かに大した実力だ。だが、それでもその時の歪さが、今の状況を作っている」
「猛烈な格差社会、ですね」
ため息をつくように言ったセレナに、ヨセフは返す。
「そうだ。主要産業が魔結晶の産出ということもあって、あそこは富の偏りが極端だ。それによる格差社会と、極端な個人主義が問題だ。
自由を奪われていたマドールチェが建国した国だけあって自由主義が主流だが、それが格差社会と組み合わさって悪い意味での個人主義になっている。
その状況で、アークソサエティとの戦争準備や、神格爆弾を作ろうとしているとか……どうなってるのか、まったく」
ヨセフも気だるげにため息をつくと、気を取り直すような間を空けて言った。
「とにかく、現地で情報収集をする必要があるな。そちらの準備は出来ているか?」
「なんとか。うちの家の伝手を最大限に使って、どうにか潜り込めるようにしました」
ウボーは資料を手渡しながら続ける。
「ひとつ目は貴族社会のサロンです。アークソサエティ貴族の関係者ということで潜り込めます。
ふたつ目は資本家のサロンです。うちの家も国債の20%程度を保有しているので、そちら経由で潜り込めます。
みっつ目は、現地の酒場などの、市民階級がよく出入りする場所で情報収集をして貰う予定です」
「ふむ……」
ウボーから資料を受けとり、ヨセフは詳細を確認する。
情報収集に当たる地は、ロスト・エンジェルス。
天使が去った地という逸話がある場所だ。
そこで情報収集するみっつの箇所は、次のようになっている。
ひとつ目は、貴族サロン。
アークソサエティの貴族の末弟に当たる人物達が、故郷では飼い殺しにされると思い、マーデナクキスに渡った経緯を持つ者達によって開かれている。
とある屋敷で行われる、紹介状がなければ参加できない、落ち着いた雰囲気の場所。
ウボーの生家であるバレンタイン家の工作により、招待状を手に入れているので参加が可能。
マーデナクキスに本拠地を移そうとしている貴族、という偽装身分を用意されているので、それに基づいて情報収集をする必要がある。
ふたつ目は、資本家のサロン。
マーデナクキスの国家運営にかかる費用を国債購入で支えた商人達によって開かれている。
とある屋敷で行われている。紹介状がなければ参加できない、豪華な場所。
ウボーの生家であるバレンタイン家も国債を保有しており、その伝手で招待状を手に入れているので参加が可能。
マーデナクキスで一旗あげたい商人、という偽装身分を用意されているので、それに基づいて情報収集をする必要がある。
みっつ目は、現地の酒場などの、市民が集まりそうな場所。具体的な場所は、情報収集をする者に任せられています。
マーデナクキスに新たに移民してきた、という偽装身分を用意されているので、それに基づいて情報収集をする必要がある。
全てを確認し終えたヨセフは言った。
「浄化師の諸君には苦労を掛けるが、助けて貰う必要があるな」
そう言うと、新たな指令を指示する書類に手を伸ばした。
それから数日後。
ひとつの指令が出されました。
内容は、機械都市マーデナクキスに赴き、情報収集をして欲しいとの事です。
必要な物や身分は用意するので、対処して欲しいとの事です。
この指令に、アナタ達は――?
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アルフ聖樹森の中でも、かなり辺鄙な場所にある、とある場所。
その外れに、マザー・ピース(エンドウマメおばさん)と子供達に呼ばれている女性が住んでいる。
彼女の名前は、ナターリエ・アルシュビェタ。
なぜマザー・ピースと呼ばれているかは、彼女の庭を見れば一目瞭然。
広々としたエンドウマメの畑が広がっているからだ。
この畑でエンドウマメを育てているのは、エンドウマメが好きだから、という訳ではない。
彼女曰く「親から子に形質が受け継がれることがあるが、それは何によって支配されているのか」ということを、エンドウマメを用いて研究しているらしい。
つまり彼女は、研究者という訳だ。
そんな彼女は今、家で1人の八百万の神を迎えお茶を振るまっていた。
「美味しいだわさね」
「それは好かったです」
ナターリエは、ジャガーの獣人に見えるテペヨロトルに返す。
「最近採取した薬草をベースにしてみたんですが、美味しいなら成功ですね」
「んにゃ? 成功ってなんだわさ?」
聞き返すテペヨロトルに、ナターリエは応える。
「医食同源では無いですが、普段から摂り易く薬効のある物が作れないかと思っていたんです」
「ふにゅにゅ? 効果が強すぎるのは副作用も強いから、そうならないよう回数を重ねて摂れるのを作ったのかにゃ?」
「はい」
「それは好いにゃー。そんなのが作れるなんて、相変わらず多才だわさ」
そう言うとテペヨロトルは、お茶をぐいっと飲み干し、ここに来た理由を口にする。
「そんだけ能力があるのに、ここで独りで居るのは勿体ないのにゃ。いい加減、うちの村に戻ってくる気はないのかにゃ?」
「それは……」
ナターリエは言葉を濁す。
そんな彼女にテペヨロトルは、耳をぺたんと伏せながら言った。
「みんなも心配してるにゃ。それに勉強を教わりに子供達がここまで来るのも大変だわさ。偶に来て占いをするだけじゃにゃくて、住めば良いと思うにゃ。故郷にゃんだから、気にすることは無いんだわさ」
心配してくれるテペヨロトルに、ナターリエは済まなそうに言った。
「テペさま、ありがとう。でも、私はここに居たいんです」
故郷の村の氏神であるテペヨロトルにナターリエは、この場所を離れられない理由を口にした。
「ここが、一番よく星が見えるんです」
「……それって、娘の名前を付けるつもりだった、星のことかにゃ?」
「……はい」
懐かしむような響きを込め、ナターリエは返した。
(にゅう。そう言われると、これ以上無理に言えないだわさ)
テペヨロトルは、ナターリエの事情を知っているだけに、何も言えなくなる。
ナターリエは、テペヨロトルが氏神をしている村で生まれ、星を見る事が好きな女性だった。
研究者としての熱意と才能があった彼女は、文明が発達しているアークソサエティに訪れる。
テペヨロトルを始めとして、村の皆に祝福され送り出された彼女は、そこで精いっぱい努力した。
村でも評判だった占いで生計を立てるかたわら研究に勤しんで、天文学を同じく研究する男性と知り合い親しくなり、結婚した。
子供も身籠り、これから家族として幸せな生活を送ろうとした矢先、けれど破綻する。
それは夫であるイザクが、ナターリエの研究成果を自分の物として盗んだからだ。
ただでさえ、女性だったせいで研究者として認められなかったところに、夫の裏切り。
最初ナターリエは、子供のこともあり、親子3人で暮らすならこんなことをしなくても良い筈だと、穏便に説得する。
けれど返って来るのは、プライドを守るための言い訳ばかり。
そこでナターリエの怒りは爆発した。
結果、離婚。
子供は自分が育てるとナターリエは主張したが、嫌がらせのようにイザクが拒否。
執拗に、子供を寄こせと詰め寄った。
毎日毎日続く責苦のようなそれに、子供を産んだ後の体調を回復する余裕は奪われ、確実に精神的に追い詰められていった。
それを見かねたイザクの弟夫婦が助け舟を出す。
子供は弟夫婦が育て、イザクには口出しもさせず、子供が自分の好きなものに打ち込めるように保証すると約束してくれた。
精神的に追い詰められていたナターリエには、その申し出を受けるしかなかった。
そしてアルフ聖樹森の故郷に戻って来た彼女は、あたたかく迎え入れられ、疲労した精神を回復する。
けれど子供を手放したことは間違いなく、心のどこかで自分を責めていた。
(にゅう。どうにかしたいにゃ~)
生まれた頃からナターリエを知っているテペヨロトルとしては、なんとかしたい所だが、良い考えは浮かばない。
心の中で唸っていると、妙案の代わりに浮かんだのは、ひとつの言伝だった。
「そういえば、テスカトリポカさまが、今年の種を届けてくれると言っていたにゃ」
「本当ですか」
ぱっとナターリエの表情が明るくなる。
テスカトリポカは、双樹の女神と呼ばれる大木の八百万の神なのだが、毎年珍しい種を贈って貰える。
それはどれも見た事のない物ばかりで、研究者としてナターリエは心躍る贈り物なのだ。
「去年頂いた物も素晴らしかったです。エンドウマメと一緒に植えたら、育ちが良くなったんです。きっとこれは成長過程でお互いに影響し合う物質を出しているからで――」
星のことを語る時ほどではないが、研究に関わることを話す時は、いつものおっとりした口調に比べ話す速度も数も多くなる。
「にゅう。元気が出たみたいで好かったにゃ。種は、テスカトリポカさまの使いが持って来てくれるそうにゃ。にゃんでも、浄か――」
言葉の途中で、テペヨロトルの耳がぴんっと立つ。
「テペさま?」
「嫌な気配にゃ。一緒にここから離れるだわさ」
テペヨロトルはナターリエの手を引いて家の外に出る。
家を出るとすぐさま村まで連れて行こうとするが、その前に周囲を魔術による壁が覆った。
「警告する。動くな」
それは終焉の夜明け団の声だった。
ぐるりと周囲を覆う捕縛用の魔術結界。
その陣頭指揮を執る男は、結界の外からテペヨロトルに言った。
「動けば、貴様だけでなく、後ろに居る女も殺す。それが嫌なら、大人しく捕縛されろ」
それは数か月に及ぶ罠が発動した瞬間だった。
八百万の神を捕縛するべく、テペヨロトルに狙いをつけた終焉の夜明け団だが、彼女を守る戦士達の強さに叶わず。
ならばと、テペヨロトルが1人で訪れる小屋の周囲に気付かれないよう魔術を敷設し、いま機は熟したとばかりに発動したのだ。
この状況で、テペヨロトルは思った。
(にぁあああっ、これアタシが本気で暴れたら畑が無茶苦茶になるにゃー!)
ナターリエを守ってこの場を去るだけならともかく、彼女の住居や畑は守れない。
そんな風に悩んでいる時でした――
テスカトリポカに、種を届けて欲しいと頼まれたアナタ達は、この場面に出くわします。
この状況にアナタ達は、どう動きますか?
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東方島国ニホン。
土の温もりに、風の薫りに、光の眩しさに、神々の心を詠む国。
その地に暮らす人々は、生きとし生ける万物に対して敬意を払い、またその厳かな美しさを言葉の芸術として残してきたという。
降りしきる雪景色に想いを馳せた者がいれば、揺れる篝火の炎に思いを重ねた者だっていただろう。
八百万の神々が作り出した情景に人々の心が重なり、十七の音として生み出される。
そしてその十七音に込められた言葉がまた人々の心を揺さぶり、現れた涙や笑いが神々のおわす世界を彩っていく。
――その『心』を、ニホンの人々は『俳句』と呼んだ。
ときには熱い愛の灯火となり、そしてときには涼やかな風の抜ける道となる。
誰が始めたのかはわからないが、俳句はニホンの『心』と言っても過言ではないほどに根付き、馴染んでいる。
この島国を訪れた浄化師たちもまた、自らの意識していないところで、その十七音が持つ独特のリズムを耳にしていることだろう。
「何が言いたいかというとじゃな、お主らにはその『心』を、学んで欲しいのじゃ」
仙人のような長い白髭を生やした老人が語りかけてくる。
「ここニホンにはまだお主らが見たこともないような景色が溢れておる。そしてその世界を、まだ言葉に表せておらん」
これまでに経験してきた数々の思い出。
そしてこれから経験するかもしれない出来事。
見たことのない景色。
聞いたことのない音楽。
そして、愛。
自らが感じた世界の鼓動を、感動のままに終わらせず、しっかりと言葉に表したことがあっただろうか。
「たまには使命を忘れて旅に出るとよい。体いっぱいに、広い世界から神々の息吹を感じてくるのじゃ」
幸い、アークソサエティに戻るまでまだ数日の休暇が残されている。
このままニホンで過ごせば、アークソサエティ周辺の文化である『バレンタインデー』には間に合わないだろう。
例年のように甘いチョコレートを贈り合うことは、お互いの気持ちを物に込めて伝えようとするもの。
しかし今年は十七音の言葉に思いを乗せて、パートナーに伝えるのも悪くないのかもしれない。
「心は、決まったようじゃな」
老人は髭を撫でながらそのしわくちゃな顔を向けて微笑みかけてくる。
「とは言っても初めて句を詠めと言われたところで右も左も分からんじゃろうて。じゃからお主らは、この数日を好きに過ごしてくると良い。そこで感じた思いをしっかりと心に刻むのじゃ。最後にわしが、その出来事を聞いて共に句を考えてやろうぞ」
まぁ、隠居した身じゃがな――と、呟きながら振り向き、どこかに消えようとするその老人に、思い出したかのように尋ねる。
「あの、そういえばお名前を……!」
顔だけをこちらに向け、不敵な笑みを浮かべた老人が答える。
「わしの名か……?」
――芭蕉、じゃよ。忘れてもよいがな。
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夕刻、薔薇十字協会の鐘が鳴った。時告げの鐘ではない。悲しく、寂しげに響くそれは、鎮魂の音。人々は思う。ああ。かの者達が、贖罪の天道へ召されたのだと。
◆
静かな夜だった。夜半もとうに過ぎ、天は新月。深々と夜闇に沈む街の中心に、大きな庭園があった。周囲の家々を押しのける様に広がるそれのさらに、奥。そこに、酷く豪奢な邸宅が鎮座していた。周囲の街並みはすっかり寝静まっていると言うのに、邸宅の窓には明々と明かりが灯っている。中から聞こえるのは、濁った男の笑い声。
「そうか。刑は滞りなく行われたか」
上機嫌でワインを煽る小太りの男。『ゴドメス・エルヴィス』。アークソサェティ切っての名家、『エルヴィス家』の現当主。奴隷売買によって大きな資産を築き、多額の寄付によって教団との深い関係を設立当時から結んでいる。内に秘める、重き罪過もそのままに。
「交換条件ですからね。忌々しい話ではありますが」
テーブルを挟んで談を交わすのは、痩躯の男性。教団の礼服。『班長』の位を示す、階級章。『デニファス・マモン』。歳は40代後半と若いが、指令における冷酷で適切な采配から一目置かれる曲者だった。
卓上に並ぶ、豪奢な肴。それを無造作に頬張りながら、ゴドメスは言う。
「酷い出費だったよ。全く、今の教団はやり辛い。父が健在だった頃は、『この程度』の事、どうと言う事もなかったんだが」
「憎いのは『ヨセフ』です。理想論ばかりを盾にする偽善者が……」
グラスを空けて舌打ちをするデニファス。なだめる様に、笑う。
「まあ、いいじゃないか。今回の事で、奴も腹の中は私達の同類だと分かったんだ。後は他の連中みたいに、金を積んで取り込めばいい」
「そう上手く行きますかどうか……」
控えていたメイドが、新たなワインを満たす。それを一瞥もせずに飲み干すと、デニファスは酒臭い息を吐いた。
「奴は知恵が回る……。くれぐれも、下手な事はしない様に。変に尻尾を掴まれれば、寝首を掻かれますよ」
「心配いらんよ。今回の件で、奴にも後ろめたい染みが付いたんだ。下手な事が出来んのは、向こうも同じ。私らに何のお咎めもなかったのが、いい証拠じゃないか」
「あんな奸狐、信頼してはいけません」
「やれやれ……。まあ、その用心深さがあるからこそ、私もこうやって君とやっていられるのだがね」
苦笑するゴドメスの前で、アルコールと野心に濁った眼差しが剣呑に光る。
「ご覧になっていてください。いずれ、自分はヨセフ(奴)を蹴落として、室長の座に収まってみせる。その暁には、教団を以前の様な整然とした組織として立て直しましょう」
「その時には……」
「ええ、対価は当然。貴方の権威、何があろうと揺るがないものに」
「楽しみにしているよ。協力は惜しまないからね」
「感謝します」
脂ぎった唇をニヤリと歪ませて、ゴドメスは何本目かも知れない骨付き肉をガブリと食いちぎった。
「さて。今夜は泊まっていくんだろう? 先日、なかなかの『上物』を仕入れたんだ。良かったら、寝る前に相手をさせようか? まだ、『未使用』だよ?」
ナプキンで口を拭いながら、下卑た笑みを浮かべるゴドメス。好色な目をギラギラさせる彼を見ながら、デニファスは首を振る。
「遠慮しておきますよ。『そちら』の趣味はありませんので」
「おや、それは残念」
「本当に、ほどほどにしてくださいよ。いくら『消費物』とは言え、一応話す口はあるんですから。また逃げ出されでもしたら、流石に面倒です」
「何、心配無用だ。同じ失敗は、許さんさ」
そう言って、ゴドメスはゲラゲラと笑った。
◆
「……全く。人悪此処に極まれりだな……」
薄暗い部屋の中に、呆れた様な鈴音が響いた。
此処は、エルヴィス邸の地下に作られた囲い部屋。剥き出しの石煉瓦に囲まれた狭い空間は、明かりも暖気も乏しい。そんな中にあるのは、幾つもの小さな人影。それは皆、年の頃8~10程の少女達。冷たい石畳の上に放り出された彼女達は、啜り泣くか或いは忘我の体(てい)で光薄い中空を仰ぐか。
その様を、『彼女』は憐憫と確かな不快の篭った眼差しで見つめる。
「初めて……と言う訳ではないが、何度見ても気分の良いモノじゃないな。ほら、そう泣くんじゃない。喉が潰れてしまうぞ」
言いながら傍らで泣く少女の頭を撫でる『彼女』の姿もまた、少女。腰まで伸ばした、琥珀色の髪。纏う服も質素で薄汚れてはいるが、琥珀。そして、その瞳もまた琥珀。
「心配いらない。もう少しの辛抱だ」
キョトンとする少女の頭をポンポンと叩くと、『彼女』は立ち上がる。
「協力はすると言ったが、随分と因果な役を振られたものだ。ヨセフの奴め。対価は高くつくぞ」
ブツブツ言いながら、キョロキョロと辺りを見回す。
「ああ、成程。『あの子達』の情報通りか」
そんな言葉と共に近づくのは、部屋の中心に不自然に建てられた柱。手を伸ばし、触れる。
「『結界』の要の一つ。これで、隠しているつもりか? 『三下』が」
『彼女』の手から溢れる、琥珀色の光。途端、柱に浮かび上がる魔方陣。見る見る光に蝕まれ、崩れ落ちる。
「さあ、道は開いた。しっかりやれよ。子供達」
怯える少女達を宥めながら、『麗石の魔女・琥珀姫』は不敵に笑った。
「……防犯結界が消えたよ。琥珀さん、上手くやってくれたみたい」
エルヴィス邸敷地。閉じた門の前に、複数の人影が立っていた。門の格子をツンツンと啄いて言ったのは、朱い髪をポニーテールに結った少女。『カレナ・メルア』。
「で、外周(こちら)は見張りも警備も無し。相変わらず、人件費ケチってるなぁ。でも……」
格子の隙間から庭園を覗いた『セルシア・スカーレル』が、新緑の瞳を細ませる。魔力感知。感じるのは、闇の中で蠢く気配。
「……キメラが3匹。番犬代わりかな? わたし達の件で、少しは学習したか」
キメラが、番犬代わり。一般人が襲われれば、助かる見込みはほぼない。それが、当時の彼女達の様な無力な子供であれば、なおさら。明確に察せる悪意に、何人かが眉を潜める。
「でも、それだけ。本当に厄介なのは、中の連中だから」
言いながら、皆を見回す。
「手筈は、変えなくて大丈夫。言った通りに、わたしとカレナで陽動する。皆は、その間に子供達と、証拠を」
「派手にやって引き付けるから。おじさんは、よろしく」
やたらと張り切っているカレナに向かって、メンバーの一人が『行かなくていいのか?』と問う。
「あ~、それは……」
言い淀むカレナに代わる様に、セルシアが言った。
「わたし達、あいつに『囲われて』た。意味、分かるでしょう?」
「!」
言葉を失う、皆。バツが悪そうに、カレナは笑う。
「まあ、引きずってる訳じゃないつもりだけど……。流石に、面と向かっちゃうとさ……」
「自制出来る自信、ないから」
昏く光るセルシアの双眸が、その可能性を如実に示す。正しく、かの者達に下すべきは、人道に基づく正統な裁き。一瞬の苦痛で、終わらせるべき罪過ではなかった。
「そういう訳だから、アイツはお願い。その代わり……」
「見つけたら、二、三発ぶん殴ってやって」
そう言って、二人はニコリと笑った。
◆
沈黙する門を越え、敷地へ降り立つ。新月の闇の中、佇む豪邸。今宵の敵は、その内で今尚肥えて太る負の残滓。
「さ、いっちょ……」
「派手にやりますか」
澱む空気を払う様に、鋭翼の毒鳥と鉄牙の破獣が音なく駆けた。
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