|
「母さん……」
床一面に広がる鮮烈な赤。むせ返るような臭いに、僕はリビングから一歩も動けないでいた。
なんでこんなことになったのか。脳は必死に答えを探すが、辿りつかない。目の前の認識したくない現実が、腹の底に落ちて鉛のように重くなっていく。
「母さん、起きてよ」
言葉ではそう言っていても、実際に肩を揺らす勇気なんてない。だって、分かっている。母さんだった肉体は、きっともう冷たくなっているから。
自分に危機は起きていないはずなのに、僕の意識は勝手に自分の記憶を遡っていった。
僕の家族は決して裕福ではなかったけれど、確かに一生懸命に生きていたはず。父さんが家を出て行ってから、母さんが一人で僕を必死に育ててくれた。僕が一人で寂しくないようにって、母さんがある日子犬を連れてきてくれた。母さんが僕らのために一生懸命働いてくれているから、僕はその愛犬のベスと、母さんの支えになっていこうって意気込んで……。少なくとも、僕らは大切に毎日を生きていたのに、なんで。
ほんの一瞬だった。僕が買い物をしようと母さんを残して家を留守にしたほんの一瞬。出かける前の母さんの「行ってらっしゃい」が、まだ耳に生々しく残っている。まさか、帰ってきたら母さんの姿がこんなに無残に変わり果てているとは、思いもしなかった。
「そうだ、助けを呼ばなきゃ」
ようやく冷静になった脳が、正常な判断を僕に下す。
「た、助け……誰か、助けを呼ばなきゃ……」
外に助けを求めようとして、ハッとした。
微かにだが、家の奥の方から、ガタンッと物音がしたのだ。
もしかして、ベス?
ベスはまだ小さいし、臆病だから、母さんを襲ったやつから身を隠していたのかもしれない。
「ベス? いるの?」
おそるおそる声を出してみる。
どうか、ベスであって欲しい。お願いだから、ベスは、生きていて欲しい。
脳裏に元気に走り回るベスの姿と、それと同時に甲高い鳴き声をあげながら無残に引き裂かれるベスの姿が浮かんで、僕は急いで頭を振ってその想像を消した。
「ベス?」
その僕の声に反応するように、ガタガタンッとまた物音がした。
「ベス!? もう、誰もいないから出てきてよ! 母さんが……」
僕は、耐えきれずに大きな声を出すと、影がゆらりと揺れてこちらに近づいてきた。
そして、
「ベス……」
そこには確かにべスがいた。
体から触手を沢山生やして、ベリアルになったベスがいた。
「ヴヴヴヴヴヴ」
ベスが、僕がよく知っている声で、僕の知らない唸り声を出す。体から出ている触手と、ベスの口には真っ赤な血がこびりついていた。
「う、ああ、うああああああ!!」
僕は訳も分からないまま、必死にその場から逃げ出して。
そこに、母さんとベスを残して。
「あれから、もう10年以上経ちますが、まだあの時のことを夢に見ます。それに、最近になってベスの姿を、このアークソサエティの外れにある森の中の洞窟で見たという話も聞くんです」
男は静かにため息をついて、視線を遠くにやった。
その男の様子を見て、その男の担当をしていた教団員も思わずため息をつきそうになってしまう。
教皇国家アークソサエティの住宅街でも、こうした事件は珍しくない。ベリアルやヨハネの使徒に襲われて、心が痛むような残虐な事件は、後が絶えないのだ。そして、その度に被害者は薔薇十字教団を訪れ、その悲痛な叫びを唱えていくのだ。
「どうか僕の代わりに、母とベスの仇を取って欲しいのです。ベスの肉体と魂を、解放させてあげてください。どうか、お願いします。仇を取ってくださった暁には、お礼もしたいと思っております。どうか、お願いします!」
男はそう言うと、深々と頭を下げた。その拍子に、ポタポタと数滴の滴が落ちたのを、教団員は見逃さなかった。彼の中では、未だ事件は終わっておらず、彼の心を過去に縛り付けている。
「事情は分かりました。しかし、ご存知か分からないですが、ベス様がベリアルになってしまったということは、その……」
「分かっています。構いません。どうか、仇を」
力強く言った彼の「仇」という言葉が全てを物語っていた。一度ベリアルになってしまえば、その魂を解放すると同時に肉体は砂となって消えてしまう。つまり、彼のベスの姿形をしたベリアルは、もう二度と彼の知っているベスに戻ることはないのだ。
そのことを、男は分かっていた。そして、悔しさを胸に溜めて、拳を震わしていた。
そして、教団員もその男の覚悟をしかと受け取った。
「分かりました。それでは、こちらで、浄化師を募って、ベリアル討伐に向かいたいと思います」
|
|
|
ここは、教皇国家アークソサエティの西部に位置する、巨大都市エトワール。
エトワールの中心街にあるリュミエールストリートでは、この日も『蚤の市』とも呼ばれている、フリーマーケット、オルヴワルが賑わっていた。
フリーマーケットには、商人が持ちよった野菜、海産物類、そして珍しい骨董品の数々が並んでいた。あらゆる国々から集められたさまざまな品物が、ここでは手に入る。
だが、フリーマーケットを訪れた一組の浄化師達は、そこで商人達の悲鳴を耳にした。
「俺の商品がない!」
「私の商品もないわ!」
「俺のところもなくなっている!」
商人達の話を聞いてみると、フリーマーケットで売っていた商品が次々と姿を消しているというのだ。
しかもすべて、珍しい骨董品の数々だという。
消えた商品は、誰かに盗まれてしまったのだろうか?
だが、誰も商品が盗まれるところを見ていないと言う。
不可解な現象に、浄化師達が悩んでいると、足元から不思議な歌声のような鳴き声が聞こえてきた。
「にゃにゃー、にゃーにゃー」
浄化師達が視線を落とすと、そこには何やら綺麗な石をくわえた白猫がそそくさとその場から立ち去ろうとしていた。
浄化師達と同じように、白猫に気づいた商人の一人が叫んだ。
「あれは、俺の商品だ!」
「何だって……あっ!」
「にゃん」
すかさず、捕まえようと手を伸ばした商人達だったが、白猫は商人達の隙をついて身を翻し、フリーマーケットから立ち去ろうとしてしまう。
「待て!」
「待ちなさい!」
「――にゃ!? にゃあ、にゃあ!」
しかし、行く手を拒むようにして立ち塞がった浄化師達によって、白猫は呆気なく捕まってしまった。
女性の商人は、白猫を捕まえた浄化師達に視線を向けると顔を曇らせて言った。
「この猫が盗んだの?」
女性商人の疑問を受けて、別の商人が感情を抑えた声で淡々と続ける。
「誰かが、この猫に手引きして盗ませていたかもしれないな」
「すべては、この猫が鍵を握っているのか」
これ見よがしにその商人が言うのを聞いて、浄化師の一人、祓魔人の男性は静かにそう告げると、顎に手を当てて真剣な表情で思案し始める。
「とにかく、このまま野放しにはできないな。盗んだ商品の在り処を突き止めるためにも、しばらく、この猫を預からせてもらおう」
後日、教団本部に、白猫を手引きした男が捕まったという連絡が入った。
だが、盗まれた商品は見つかっておらず、男も盗んだ商品に関しては一切、話そうとしない。
「盗んだ商品はどこにあるんだ?」
「にゃー」
祓魔人の男性が聞いても、白猫は知らんぷり。
「どうしたら教えてくれるんだ?」
「にゃ~ん」
白猫は悩むように視線を泳がせ、やがて部屋の机に飛び乗った。そして、置いてある羽ペンを取ると、浄化師達の方へと向ける。
「もしかして、一緒に歌ってほしいのか?」
「にゃーにゃーにゃー」
そういえば、白猫と初めて出会った時、歌のようなものを歌っていたような気がする。
マイクのように差し出されたペンの先端をじっと見つめながら、祓魔人の男性とパートナーの喰人の女性は少し照れくさそうに歌を歌ってあげた。
だが、白猫はまだ歌いたいとねだるように、両手を広げて喰人の女性の顔を見上げる。
「えっ? まだ、歌いたいの?」
「にゃー」
「ねえ、さすがにずっと付き合うわけにもいかないし、他のみんなにも声をかけてみましょう」
白猫と一緒に歌ってあげたら、盗んだ商品の在り処が分かるかもしれない。
|
|
|
教皇国家アークソサエティの中心部から、西に位置する大都市エトワール。
そのメインストリートであるリュミエールストリートは、いつも多くの人でにぎわっていた。
しかし笑い声に満ちたカフェの一角に、ため息をつく女性が一人。
「つまらないわ……毎日、同じことの繰り返しばかり!」
彼女はドン! と机を叩いた。
「昨日はお財布を落としたし、今日は靴のかかとが壊れたし! ああ、楽しいことはないのかしら」
そこで彼女は顔を上げ――ちょうどその場にいた、あなたをじいと見る。
「あなた、ひょっとしてエクソシスト?」
「えっ……? は、はい」
見知らぬ相手からの突然の問いかけに、緊張しながら答えるあなた。
女性はひらひらと手を振って、あなたとパートナーを招き寄せた。
「だったら、きっといろいろな体験してきてるわよね。ねえ、見せてくれない? あなたの過去……。ああ、未来でもいいわ」
「過去と未来? どういうことだ?」
あなたのパートナーが問いかける。
女性はうふふ、と真っ赤な唇で微笑み、言った。
「わたし、人の過去や未来が見えるのよ。ああ、やり方は簡単だから、大丈夫。あなたの手に触れるだけでいいの……」
この女性が、本当のことを言っているのか。
それとも単に、からかわれているのか。
さて、答えはいかに?
|
|
|
ある日の早朝の出来事。アークソサエティ本部の一室に、貴方(達)は、司令部に配属されている先輩の浄化師に呼び出されました。
「君たちに重要な任務を与えよう」
薔薇十字教団に入団して間もない貴方(達)は『重要らしき』指令の発令に緊張感を隠せないでいます。
意識を集中させ、理解に努めていきます。
――極めて重要。
――要人も様子を見に来る。
――期間は一週間後に迫っている。
――将来を担う仲間がそこから生まれるかもしれない。
「――と言う訳だ」
先輩浄化師の話が終わり、貴方(達)は呆気に取られます。
どうやら首都エルドラド内の学校で行われる「職業見学」の係を任せられることとなったのです。
てっきり死地に向かうものと思っていた貴方(達)は、安堵したのか落胆したのかわかりませんが納得のいかない感じではありました。勿論、薔薇十字教団の団員として、指令には全力で挑む所存ではあるはずです。
そんな貴方(達)に釘を刺すように先輩浄化師は続けます。
「これも歴とした指令だ。パートナーや他の係のものと協力して挑むこと。エルドラドに住む貴族も我が子を見るついでに見学なさるそうだ。しっかりとした内容で挑むように。気分を害して寄付が減るのは、痛手だ」
……戦闘とは別に、苦戦を強いられることになるのでした。
|
|
|
教団員セゴール・ジュノーは、貴族ザメオヴァ男爵邸の応接室にいた。
「やぁ、セゴール。今回わざわざ足を運んでもらったのは他でもない、『リバティ戦線』の件だ」
男爵は口髭を弄りながらそう切り出す。
「奴等め、この儂に脅迫状なぞ送りつけてきおった」
セゴールの前のテーブルに、1通の手紙が男爵の手によって投げ捨てられるように置かれた。
「……」
セゴールは黙ってその封書を取り、内容を確認する。
「差出人は奴隷反対団体の『リバティ戦線』ですね。『ザメオヴァ男爵の管理する農地で労働を強いられている奴隷30人を解放せよ。さもなくば男爵に鉄槌を』……解放期限は明日いっぱい、『明後日午前0時の時点で1人でも解放されない者がいれば相応の代償を求める』ですか」
「フンッ! 綺麗事ばかりを並べる道徳団体め、儂のお陰で奴隷たちが餓死せずに済んどるというのに、まるで現実が分かってない!」
男爵は絨毯に唾を吐き捨て、テーブルを蹴った。
そして、その太い首をゆっくり左右に振ると、ソファの背もたれに身を沈める。
「……いいかねセゴール、この国では奴隷に対して賃金の支払い義務は無い、それは君も分かっているだろう? だが、儂は奴等に衣食住を提供している、それがどれ程良心的で人道的か、少し考えれば理解出来る事だと思わないか? だというのに、リバティ戦線は儂を悪の権化とでも言わんばかりの勢いだ。解放された奴隷に行き場はあるのかね? 儂の所以上に生命維持の出来る生活環境はあるのかね? そんな事も考えず自由だの平等だの……実に腹立たしい」
「……ですが、今回の一件に何故私が呼ばれたのかが分かりかねます」
セゴールの冷静な一言に、男爵は表情を曇らせた。
「分からない、だと? ならば単刀直入に言おう、儂を守れ」
「……教団も浄化師もボディーガードではありません。ベリアルやヨハネの使徒、そうした脅威から人々を守るのが……」
そこまで言いかけたセゴールの声を、男爵はピシャリと遮る。
「終焉の夜明け団」
「……はい?」
「いいかセゴール、儂はリバティ戦線の裏には終焉の夜明け団が潜んでいる、そう考えておる」
男爵の突飛過ぎる主張に、今度はセゴールの表情が淀んだ。
「そう断言されるからには、何か根拠がおありなのでしょうね?」
男爵はソファから立ち上がり窓辺に立つと、ソーセージの様に丸々と太った指で窓の外を指す。
「昨晩、見たのだよ……あの木陰で、黒い外套を羽織った薄気味悪い者共が奴隷と何かやり取りしているのをな。顔までは確認出来なかったが、恐らくその奴隷がリバティ戦線と通じていて、終焉の夜明け団と何らかの交渉をしているのかもしれん」
セゴールは怪訝そうな視線を窓辺に向ける。
客間は2階、木陰の周囲に外灯は無い。
男爵が嘘を吐いているとは思えないが、目撃した時間帯を考えると男爵の見た人影を終焉の夜明け団信者と決めつけるのは些か安直と言えよう。
だが、セゴールの持つ情報と知識がこの一件に終焉の夜明け団が関与している可能性を示唆していた。
(奴隷反対団体『リバティ戦線』は奴隷を使役している貴族を狙い過激な手法で金品を強奪している。だが、リバティ戦線は奴隷たちの生活を援助するでもなく、新たな稼ぎ先を紹介するでもなく、ただ自由と解放を求めているだけだ。そんな活動自体にそこまで多額の資金が必要とは思えない。逆に、終焉の夜明け団はその活動が多岐に渡りコストもかさむせいで常に資金を必要としている。名を売り正義の味方面をしたいために戦力が欲しいリバティ戦線と、キメラの開発など魔術に詳しく戦力はあるが資金が足りない終焉の夜明け団……両者の利害は一致している。リバティ戦線から終焉の夜明け団には資金が提供され、終焉の夜明け団からリバティ戦線にはキメラや魔術を使える者が戦力として提供されているとすれば……)
「……分かりました。男爵、明日のご予定は?」
一転して男爵の護衛を引き受けるという内容のセゴールの発言に、男爵は刮目し声を上ずらせる。
「さすがセゴール、話の分かる男だな! 儂は明日農地の視察に出る予定だったが、脅迫状の事もあるのでここから離れた宿に身を潜ませようかと考えておる」
セゴールは冷めた目で男爵を見上げた。
「それはお控え下さい。終焉の夜明け団には魔術の心得もあります、潜伏したところで捜し出されて身ぐるみ剥がされるのがおちです。それに、他の宿泊客も巻き添えになりかねません。男爵は事が収束するまでの間、このお邸から一歩たりとも出ないで下さい」
「何だと? 儂のこの邸で賊を迎え撃つと言うのか! あんな下賤な連中をこの邸にみすみす入れろというのかっ!」
セゴールの慇懃無礼とも言える口調に男爵は眉を吊り上げ声を荒げるが、セゴールはなおも畳み掛ける。
「いいですか、この一件に終焉の夜明け団が絡んでいるという確固たる証拠は何一つ無いのですよ。男爵がご覧になった黒外套が只のぼろきれで奴隷が世間話をしていただけだとしたら、男爵には『不確かな情報で教団を振り回した傲慢な阿呆』という不名誉なレッテルが貼られるのですよ? 男爵は果たしてそれに耐えられますか? しかし、相手が敷地内に乱入し破壊行為に及ぶという暴挙に出れば、終焉の夜明け団が絡んでいようといまいと、阿呆とまでは言われますまい。この先死ぬまで阿呆呼ばわりされる屈辱に比べれば、敷地内が戦場になるくらい大した事ではないでしょう?」
「き、貴様……っ」
「それとも、終焉の夜明け団の関与が明らかでないわけですから、護衛はお断りしましょうか? 我々も暇ではありませんのでね」
「くっ……」
男爵は遂に返す言葉を失うが、セゴールは男爵に『分かった』の一言を言わせるまで引かない。
「どうなさいますか? 宿で辱めを受けるか、阿呆男爵に成り下がるか、甘んじて我々の作戦に従い身の安全と名誉と財産を守るか」
「……分かった、分かったわい」
セゴールは立ち上がると、絞り出すような調子で了承の返事をした男爵に恭しく一礼し、退室する。
「ああ、そういえば男爵……」
退室する間際、セゴールは男爵を振り返った。
「敵の戦力が如何程か判然としないので、今回の任務は浄化師たちにとってかなりの負担と危険を強いる恐れがあります。彼らにはそれ相応の報酬をご用意下さいますね?」
「ああもう勝手にせい! 請求書でも何でも持ってこい!」
忌々しげに吐き出す男爵を尻目に、セゴールは秘かに口元を歪ませながら男爵邸を後にするのだった……。
|
|
|
春とはいえ、まだまだ肌寒い日。
教団内にある図書館に立ち寄った君たちは受付にいた女性から、ある頼みごとをされた。
「今月は人手が足りなくて資料集めまで手が回らないの。報酬も出すから、手伝ってくれないかしら」
図書館の5階にある「事件データ室」で教皇国家アークソサエティの国境付近でここ半年間に起こったベリアルとヨハネの使徒の襲撃事件について資料を集めて欲しいそうだ。
頼み込む女性局員の目には、はっきりと隈ができており、どのくらい徹夜しているのか聞くのも怖いぐらいに顔色も悪い。疲れ切った女性局員を見ると断るのも気が引ける。
引き受けることを告げると、局員は安堵した表情で、
「本当に助かります。後日、司令部にあなたたちが指令を受けたという形で報告しておきますね」
と頭を下げて、受付に戻る。
5階の扉の前まで来ると、正門を通る際にも使う通行証をセキュリティーシステムにかざす。すると、ロックが解除されていき、室内にいた局員が顔を出す。
通行証を見せながら、「事件データの資料を集めるよう頼まれた」と短く用件を告げると、本棚のホールへと案内される。
人気がないせいか自身の吐息が聞こえるほど静かだった。
閲覧スペースは窓に囲まれた場所にあり、奥の書架のスペースは天井まで届く高さだ。本棚には年月日が記されたファイルボックスが隙間なく入れられている。
さらにファイルボックスの中に納められた事件データのその量の多さに圧倒されるかもしれない。あるいは教団が請け負う事件の多さに浄化師として気が引き締まる思いに駆られるだろう。
疲れている局員のためにも、浄化師同士で協力して事件データを集めよう。
|
|
|
「あなた、ちょっと遅くなっちゃったけど、今日も来たわ」
若草色のボンネットを被り、バスケットを手にして微笑む女の出で立ちは、いかにも若奥様風であった。だがその笑みを受け止めるのは彼女の伴侶でも、恋人でもない。
『ダミアン・バロー、此処に眠る』
まだ角の取れぬ墓石が、夕刻の赤い光を反射している。
若き未亡人、アンナ・バローの微笑みを覗く者があれば、底無しの悲しみと虚しさを見てとっただろう。
ここは豊かな自然を風物とするソレイユ地区でも特に静かな、観光客の訪れない農村の小さな墓苑だった。害獣避けの木柵が張り巡らされた内側には、掘り返された土の跡が残る新しい墓が並び、摘まれたばかりの花や瑞々しい果物などが供えられていた。
惨劇が起きたのは、ついひと月ほど前のことである。
近隣の大きな街へ作物を売りに行った一団が、その帰途、ベリアルに襲われた。村では連日弔いの鐘が鳴りやまず、人々は深い嘆きの淵に落とされた。大きな街道沿いのことであったため、すぐさま教団から浄化師が派遣され件のベリアルは討伐されたというが、失われた命が戻ってくることは無い。また別のベリアルが現れないとも限らず、憂いを拭い去ることは出来なかった。
しかし、いつまでも悲嘆に暮れてはいられないのが現実だ。うつむいている間にも季節は移ろい、春の盛りを迎えた農村ではやるべきことが山のようにある。多忙さは、ある面では、精神の救いであった。ほんのわずかな兆しではあるが、暗い地中から若葉が芽を出すように、村は悲しみから立ち直ろうとしている。
「また来るわ。今度は、あなたの好きなマグノリアの枝を貰ってきましょう」
しゃがみこんで亡き夫と対話していたアンナは、感傷を振り切るように言って立ち上がった。
この頃は日が伸びたのに油断して、家を出るのが遅くなってしまった。おかげで、普段なら他にも何人かの姿があるのに、今日は一人きりだ。日暮れがすぐそこまで迫っている。住居の立ち並ぶ区画からそう離れてないとはいえ、墓地は林の中にあり、暗くなってからでは不安があった。
その不安が恐れを招くのだろうか。林道を急ぎ帰るアンナは木々の陰から何かがこちらを伺っているような気配を感じた。冬眠から覚めた熊か、飢えた野犬か、それとも――。悪い想像はとどまるところを知らない。きっと気のせいだと自分に言い聞かせ、足早に土を踏む。
木々が途切れた先に、村の明かりが見えてくる。ほっとしたのも束の間、がさりと葉擦れの音がたった。
思わず振り返ったアンナの目に、巨大な黒い影が映った。
のどかな夕飯時を迎えていた農村は、俄かに騒然となった。
娘の帰りが遅いことを心配して迎えに出た父親が、林道の入り口で倒れるアンナを発見したのである。肩口をざっくりと引き裂かれていた他、背にも複数の爪痕が残っていた。アンナが村の灯が届くところまで逃げたので、襲撃者は途中で引き揚げたらしい。かろうじてまだ息があった。
「先生、アンナを、アンナを助けてください……!」
弔いの記憶が、アンナの父親のみならず村中の人々を震わせる。
医者がアンナの治療に全力を尽くす一方、外の広場では村の男たちが松明と武器を手にして集合していた。観光地でもない農村に軍属が駐在する由もなく、日頃から警備を担うのは有志の村民によって結成された自警団である。
「先生の見立てでは、アンナを襲ったのは熊だろうということだ。猟銃は持ったな」
おう、と張りのある声が返る。男たちは村を再び襲った悲劇への憤りをみなぎらせている。
「どうやら、ここから飛び出してきたらしい」
隊列を成して墓地へ向かった一行は、林道脇の梢が不自然に折れているのを発見した。
さらに周囲を警戒しながら進んで行くと、墓苑を取り囲む木柵が破壊されているのが見えた。
「隊長、墓が荒らされています!」
火を掲げて中へ入った隊員が悲痛な声を上げる。
供えられた花は踏み荒らされ、果物は砕け散り、酷いものでは墓石がひっくり返されていた。
死者の安寧を妨げること、これほど非道な行いは無い。
「まだ近くにいるかもしれん、二人一組で林を探れ!」
「おう!」
墓地を中心にして、徐々に輪を広げるかたちで林の中へ分け入っていく。
だが、脅威は彼らの背後から襲いかかった。
「うわあああああ!!!!」
無防備な背に痛烈な一撃を受けた団員が、どっと前のめりに倒れる。
隣にいた団員が慌てて銃を構えるが、引き金を引く前に横から薙ぎ払われる。
「ぐぁ……っ!」
間を置かずに反対側からもう一薙ぎされ、手首が鮮血に染まった。
「大丈夫か!」
「おい、出たぞ、こっちだ!」
駆けつけた団員の前に、松明に照らされてなお黒々とした影が立ちはだかった。その顔のあたりだけが、ぼんやりと白い。
「撃て、撃て!!」
林間に銃声が響く。その鋭い音をかき消すように獣は咆哮し、地表から前肢を離して立ち上がった。
ヒグマにしては胴が狭い。
「アナグマか。随分でかいな」
そう隊長は断じたが、直後、蠢く影を見てとって呻いた。
「ベ、ベリアルだ……!」
毛皮を突き破って逆立つ触手は、災厄そのものである。
ベリアルが事実上不死身であることは、子どもでも知っている。その活動を止められるのは、浄化師が扱う特殊な武器だけだ。
戦意に満ちていたはずの自警団は、一瞬で恐慌状態に陥った。
「撃て―――ッ!!!」
「ただの銃じゃ効かねえ、逃げろっ!」
「ぎゃあああ」
「一頭じゃねえ、複数いるぞ!」
「いやだ、死にたくない……っ!」
銃声と悲鳴が交錯する。禍々しい獣は松明さえも噛み砕き、林に夜の暗さが取り戻されるに従って、恐怖と脅威は倍増していく。
「引け、引け―――っ!!」
撤退を命じる隊長の声が、虚しく響いた。
自力で村に戻ることが出来たのは、なんと、ただ一人であった。
身も世もなく泣きわめきながら村人の待つ集会所に飛び込んだその男は、名をドニ・リファールと言い、村中で評判になるほど気が弱く、臆病なたちだった。根性を叩きなおすべく自警団に入れられたが、今回も最初から逃げ出したくてたまらず、獣が出たと聞いて銃を構えもせずに真っ先に身を隠した。仲間たちの怒声と悲鳴を耳にしながら、もつれる足を急かして逃げ帰ってきたのである。
卑怯者とそしられても仕方がない。だが、ドニの激しい恐怖に彩られた声で事情を告げられた村人たちは、その臆病を罵る余裕もなく顔を蒼褪めさせた。
また、弔いの鐘が鳴る――その絶望は筆舌に尽くしがたい。
朝を待たず、教団に救援を求める使者が立った。
ドニのおかげで、ベリアルの原形がアナグマであること、少なくとも三頭はいること、内一頭が異様な大きさであることが判明していた。
窮状を訴え、どうにかして浄化師を派遣してもらわなければならない。
村に待機していた僅かな若い男たちは、夜を徹し、決死の面持ちで林道を見張った。まだ息があるかもしれない仲間を助けに行けぬ己が憎くてたまらないが、ベリアルに対抗する術はないのだ。いざとなれば林を焼き払ってでも村への侵入を阻む覚悟だが、それが功を成すかさえ分からなかった。
老人と女子供は教会に集まり、怯える身を寄せ合って朝を待った。赤子の泣き声が、高い天井にこだまする。
「助けてください、浄化師様……! お願いです!!」
農村の悲痛な声が教団に届く頃、白々と夜が明けようとしていた。
|
|
|
「私はどうしても、あの桜が見たいのです」
その指令の依頼主は、ある老年の女性だった。
「あの人が、村の近くよりここの方が育つに決まってる、なんて言ってあんなところに植えるから、見に行くのも一苦労で」
愚痴っぽく言う彼女は、懐かし気に目を細めて柔らかく笑う。
「でも、美しい花を咲かせるんです。今頃きっと満開だと思います」
決して面倒だという様子はなく、どころかそれさえ愛おしいと言うように、老婆は語った。胸元のペンダントを、大事そうに撫でながら。
「あの人が植えた桜を、見に行きたいのです。危険があるのは十分承知していますし、そのつもりで依頼を出したんです。浄化師の方々には相応の報酬をお支払いします」
依頼主の住む村は教皇国家アークソサエティの片田舎にあったが、付近に危険な野生生物や山賊、ベリアルなどが出たという報告は今のところない。依頼主を護衛して、村からほど近い場所に植えられた桜を見に行き、また彼女を村まで送り届けるだけの単純な指令である。ちょっと真面目なお花見をするつもりで彼女に同行するのも一興かもしれない。
せっかくだからお弁当でも作って行こうか? それとも、ちょっとしたレジャーグッズでも仕入れてみる? 桜以外にも、道中の山には春らしいものが溢れている。同行者みんなで、百花花開くこの季節を楽しんだって良いのだ。
だが、油断はしない方がいいだろう。これは確かに「お花見」だが、道中何が起こるかは分からないのだから。
「私の我儘なお花見に、付き合ってはいただけませんか?」
|
|
|
人類を脅かす脅威。
その一つが、ヨハネの使徒だ。
魔力を持つ人間であれば、誰であれ死ぬまで機械的に攻撃する。
特に魔力を多く持つ者を積極的に見つけ出して攻撃するため、常人よりも魔力を多く持つ喰人や祓魔人は狙われ易い。
とはいえ薔薇十字教団に属する浄化師であれば、戦う術は持っているので対抗は出来るだろう。
しかし、ヨハネの使徒が狙うのは浄化師だけではない。
喰人や祓魔人の才能を持って生まれてはいるが、まだ自覚のない子供なども多く狙われる。
今、ヨハネの使徒に襲われている兄妹も、例外ではなかった。
「怖いよぉ……にぃちゃん」
周囲を岩盤に囲まれた小さな穴の奥で、ミィは兄であるガウにしがみつく。
「だ、大丈夫だ……あ、あんな奴なんか怖くないんだからな」
涙を滲ませながら、必死にガウはミィを慰める。
その瞬間、周囲を震わせる轟音が。
声すら出せず、ミィとガウの2人は身体を硬直させる。
音の主はヨハネの使徒。
ミィとガウが逃げ込んだ岩穴を塞ぐ形で陣取っている。
ヨハネの使徒は身体が大きいため2人を追って中には入れないが、絶対に逃がさないとでも言うように、その場から動くことはない。
時折、脅すように岩壁に体当たりし、轟音を響かせていた。
「ぅ……うぅ、ひっく……」
恐怖で我慢できずミィは泣き出す。
「な、泣くな!」
ぎゅっとミィを抱きしめながらガウは言った。
「だ、大丈夫だ! 父ちゃんたちが、きっと助けてくれる!」
「ほん……とう……?」
恐る恐るミィはガウに尋ねる。
それにガウは、零れ落ちそうになる涙を必死に我慢し、精一杯の空元気を口にする。
「あ、あったり前だ! 父ちゃんたちは強いんだからな! それに、浄化師だって、きっと来てくれる!」
「……じょうか、し?」
初めて聞く言葉に、ミィは不思議そうに聞き返す。
それにガウは、力強く答えた。
「父ちゃんが言ってた。悪い奴らをやっつけてくれるって。それにすごく強いんだぞ!」
「……すごい、の?」
「あったり前だ! 父ちゃんが言ってたんだぞ。すぐに来て、アイツをやっつけてくれる。それまで我慢だ」
「がまん……?」
「我慢だ! それに泣くのもダメだかんな! 助けられた時に恥ずかしいだろ? だから泣くな。兄ちゃんが付いてる」
自分を抱きしめてくれるガウの力強さに、ミィは安堵し抱きしめ返す。
震えそうになる自分を必死に我慢しながら。
だが、それは一時の慰め。
ヨハネの使徒は決して離れることなく、幼い兄妹たちが岩穴の中で死に絶えるまで待ち続けるだろう。
それを分かっているからこそ、兄妹たちの父親は猟銃を手に戦おうとしていた。
「止めろ! 怪我してるのに何する気だ!」
「止めないでくれ! このままじゃミィとガウが!」
猟銃を持ってヨハネの使徒に戦いを挑もうとする、ミィとガウの父親であるボルフを仲間の猟師達が必死に止める。
彼らは危険な獣を狩り獲り、生計を立てている一団だ。
その腕っぷしを買われ、村々を巡ることがある。
ある村を訪れた彼らは、突如現れたヨハネの使徒に襲われ善戦するも、抵抗しきれずに怪我をしていた。
特にボルフは、かなり無茶をしたせいで肋骨まで折っている。
それはヨハネの使徒の目的が、自分の子供達の抹殺にあると戦いの途中で気付いたからだ。
執拗にミィとガウを追い立てるヨハネの使徒に戦いを挑んでいる間に、子供達は村の外れにある岩山へと辿り着き、そこに空いていた穴の奥に逃げ込んだのだ。
村人が食料の貯蔵庫として使うために掘っている最中だった事もあり、穴の大きさは子供が通れる程度しかない。
そのお蔭で、ヨハネの使徒は追い付くことが出来なかったのだが、代わりに子供達は逃げることが出来ないでいる。
このままでは子供達はいずれ衰弱死し、それを確認したヨハネの使徒は他の人間を殺すために動き出すだろう。
この状況で呼ばれたのが貴方達です。
猟師達がヨハネの使徒に戦いを挑んでいる間に、村人が浄化師の助けを求め、たまたま近くの他の村に居た貴方達を見つけ事情を話したのです。
貴方達がその村に居たのは、その村の近隣でヨハネの使徒の目撃情報があったからです。
調査と、場合によってはヨハネの使徒の破壊を教団から依頼されていました。
村人から話を聞いた貴方達は、早速ヨハネの使徒破壊に動きます。
ヨハネの使徒を倒すことが出来るのか?
そして子供達を助けることが出来るかは、貴方達の活躍に掛かっています。
ぜひ、ヨハネの使徒を打ち倒し、子供達を助けてあげて下さい。
|
|
|
教皇国家アークソサエティ、ソレイユ地区の山間で。
沼に落ちた子供を助けたら、その祖母という人が、感謝を述べた後に、こう言った。
「あんた達! うちの蒸し風呂に入っていきなよ!」
「えっ、でも……」
ためらったのは、そんな準備はしていないから。
でも女性は豪快に、ははは、と笑う。
「なんだい、恥ずかしいのかい? 大丈夫、あんたたちが入っている間は、貸し切りにしてあげるから」
困惑しつつも好意には逆らえず。
あなたとパートナーは、蒸し風呂に入らせてもらうことにした……のだが。
「ええええっ、貸し切りってこういうことなの?」
「ははは、これは参ったね……」
なんと、更衣室の入口は男女別れていたにもかかわらず。
あなたは、蒸し風呂の中でパートナーに出会ってしまった。
しかも二人は、生まれたままの姿である。
「都市の温泉は男女別になってるのに、ここの蒸し風呂は違うんだ……」
「しかたないよ。ここは近所の人が集まって作ったって言ってたじゃないか」
パートナーが、苦笑しつつ、あなたに背を向ける。
「君が先に入りなよ。僕は後から入るから」
気を遣ったのだろう。
しかし。
パートナーが出て行こうとするのを、あなたは「待って」と引き止めた。
「あんまり長く貸し切りにしてもらうのも悪いし……一緒に入っちゃおう、よ?」
「でも……」
「あ、あなたが! こっち見なければいいだけだから!」
あなたは顔を真っ赤にして言うと、パートナーから目をそらした。
|
|