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いつもの事ではあるが、『サク・ニムラサ』の提案は唐突だった。
「忘れてた!」
「なにをです?」
姿見で自分の姿を見ながら生返事で応える『キョウ・ニムラサ』。
2人が居るのはアークソサエティでも有数の賑わいを見せるリュミエールストリート。
その一店舗であるファッションショップ「パリの風」。
ネームレス・ワンを倒して一息ついて、ゆっくり休もうとしたのだけれど、サクラに引っ張られて来ているのだ。
「苦労したんだからご褒美があっても良いわよね?」
思わず頷いたのが運のつき。
あれやこれやと着せ替え人形の如く試されて、スリーピースの正装に中折れ帽のオプラビットを合わせた所で、ばしばし背中を叩かれながら言われたのだ。
「薄情ねぇ」
「だから何がです?」
キョウが視線を向ければ、サクラはイレギュラーヘムワンピースにジャケットを羽織った姿。
コンセプトは『少し高めの店にエスコート(もちろんキョウヤの奢りで)』。
(服もご飯も自分の奢りというのはどうなんでしょう?)
などと思いながらも服を試している所で、サクラに言われたのだ。
「ビャクヤ兄のことよ」
「……あ」
言われて気付く。
「居場所、分かってるんでしたよね」
「そうよ」
「……どうします?」
「会いに行くに決まってるじゃない」
「ですよねぇ……」
少しばかり重い気持ちでキョウは生返事。
(今の自分達を見たら、ヤシェロ兄様、なんて言うでしょうね)
などと思っていると、またもサクラがお着替え。
「どうしたんです?」
「せっかく会いに行くんだから、他の服も試そうと思って」
「はぁ」
「ほらほら、キョウヤも」
「まだ着替えるんですか?」
軽くため息をつきながら、再びのお着替え。
サクラはラウンドネックのグレーのニットに、ネイビーのジャケットを合わせ、ボトムはデニム。
カジュアルな服装に髪を降ろしたままだと見た目が重たいというので結い上げている。
キョウはシャツの上にニットを着込み、その上に柄物ジャケット。そこにネイビーパンツを合わせている。
「随分とラフな格好で」
「好いじゃない。実の兄に会いに行くんだから、くだけた見た目の方が良くないかしら?」
「それならいつもの慣れ親しんだ格好の方が良いと思います。気にしませんよ、ヤシェロ兄様なら」
「……そうよねぇ!」
キョウの言葉で決心がついたというように、サクラはいつもの服に着替える。
「それはそれとして、これ全部、支払お願いね」
軽くため息をつくキョウだった。
そして今、2人はニホンに来ている。
「ビャクヤ兄を探しに来たわよニホン!」
「今更ですが。まあ、甘い物があるので良いですけれど」
「なによ。誰のせいで出遅れたと思っているの」
「秘密を作るサクラが悪いですね」
「キョウヤでしょ」
「サクラです」
むむむ、と。お互い睨みあいながら、器用に前に進む。
すると、ふわりと甘い匂いが。
「屋台ですね」
「食べる?」
さっきまでの口喧嘩は放り投げ、2人は屋台に視線を向ける。
「たい焼き、だそうですよ」
「ありがとう、お願いね」
「自分が買って来るんですか」
「私食べる人。キョウヤは奢る人」
軽くため息ひとつ。
なんだかんだで買って来るのがキョウである。
「これ、どっちから食べるのかしら?」
「好きな方からで良いんじゃないですか?」
兄の居る神選組の詰め所に向かう道すがら、サクラはたい焼きを眺めていたが、尻尾の方を千切りキョウに渡す。
「半分こ」
「……それはどうも」
むしゃむしゃぱくり。
「美味しい?」
「カリカリしてます」
「そうなの? なら、頭を食べてから尻尾の順が良いわね」
そう言うとサクラは、今度は丸ごとたい焼きひとつを手渡すと、自分も1匹パクリと食べる。
「いけるわね」
「美味しいですね」
買い食いしながらぽちぽち歩き、途中で『誠』を背負った羽織姿の隊士達を何度か見る。
「見回りですかね?」
「仕事熱心ねぇ」
甘味屋さんの窓から外を見て呟いていると、お店のお姉さんが餡蜜を持って来てくれる。
そこでひとつ。
「いつも見回りされてるんですか?」
神選組に視線を向けてキョウが尋ねると、お姉さんは笑顔で返す。
「ええ、お蔭でこの辺だと、揉め事ないから助かります」
どこか誇らしげに応えるお姉さん。
「親しまれてるわね」
「好い所なんじゃないですか、神選組」
「居心地が良い所なら、好かったわぁ」
どこか安心する様に言うと、餡蜜を味わうサクラだった。
そうして寄り道を繰り返し。
ついには目的地に到着。
「怒られませんか?」
「怒られるんじゃあない?」
詰め所の前で、しばし2人は迷っていたが、いざ突撃。
戸を開けて入ると――そこには兄であるビャクヤがいた。
「……」
「……」
「……」
思わず3人で沈黙。
そこで最初に口を開いたのは、ビャクヤだった。
「おかえり」
「いや違うでしょ!」
「家じゃないんだから!」
思わずツッコミをキョウとサクラの2人が入れると、ビャクヤは心地好さそうに笑顔を浮かべる。
懐かしい、その笑顔に。
サクラとキョウは、兄妹としてビャクヤと再会することが出来た。だから――
「ビャクヤ兄ぃーキョウヤがビャクヤ兄探すのに」
「独りで動こうとするサクラが悪いからです!」
「今更とか言って乗る気じゃなかったわよ!」
「いったい誰に似たんでしょうヤシェロ兄様?」
2人同時に声を上げ、ビャクヤに言った。
そんな2人を、ビャクヤは微笑ましげに見詰めている。そこに――
「ビャクヤくん。お客様かい?」
人の好さそうな男性がやって来る。
彼はサクラとキョウを見るなり、ぱあっと表情をこれまで以上に明るくして言った。
「君達、ビャクヤくんの妹弟(きょうだい)でしょ! 話は聞いてるよ! うわ、似てるねー。君がお姉さんのサクラちゃんで、君が弟のキョウヤくんだよね」
「?」
男性の言葉にビャクヤは軽く首を傾げると――
「サクラとキョウは姉弟じゃなくて兄妹です、山南さん」
「え!? どういうこと?」
山南と呼ばれた男性は驚く。
「なんでそんなことに」
山南の疑問に犯人の2人は応える。
「面白そうだから」
「やりました」
そんな2人を見ていたビャクヤは言った。
「始めたのは、キョウなのかな?」
視線を逸らすキョウ。
それが答えだった。
くすりと、ビャクヤは笑い。山南に頼む。
「山南さん、2人を奥まで案内しても良いですか? 休ませてやりたいんです」
「ああ、もちろん好いよ」
そうしてサクラとキョウの2人は応接間まで案内される。道中、小さくキョウに尋ねるサクラ。
「神選組の人たちには様付けしたほうがいいかしら」
「どうでしょう?」
キョウが考え込んでいると、サクラが続けて問い掛ける。
「所で」
「はい」
「神選組って?」
「八百万の神に選ばれ」
「そこまでは知ってる」
「えー確か……」
応えられないでいると、山南が応えてくれる。
「各地の八百万の神様に選ばれた、ニホンを護る剣士の集まりだよ。本部はキョウトにあるけれど、必要ならニホン中を巡ることもあるんだ」
「そのお蔭で、助けて貰ったよ」
ビャクヤの言葉にキョウが聞き返そうとすると、応接間に着いたので、中に入り座ってから話の続きをする。
「それで、助けて貰ったって、どういうことです?」
これにビャクヤは、微笑みながら応えた。
「行き倒れになってる所を助けて貰ったんだ」
「行き倒れ!?」
「なんでそんなことになったの!?」
キョウとサクラの2人が驚いて聞き返すと、ビャクヤは変わらず微笑みながら説明した。
「飲まず食わずで彷徨っていたら倒れたんだ。その時、山南さんに出会えてご飯を食べさせて貰って、そのあとは神選組に居ても良いって言って貰えたんだ」
2人はビャクヤの言葉を聞いて、山南を見詰め言った。
「ビャクヤ兄のお世話を?」
「ヤシェロ兄様がお世話になりました」
「気にしないで良いよ。好い出会いだったと、思ってるんだから」
人の好さを滲ませる山南に、サクラとキョウは顔を見合わせたあと――
「つまり」
「ええ」
山南を見詰め、茶目っ気のある声で言った。
「パパ」
「お父さん」
「いや~、そんな~」
照れる山南に、2人は余計な力を抜くように笑い。
改めてビャクヤを見詰め、弟妹として言葉を交わす。
「うわー久しぶりねぇ。何年ぶり? 何十年ぶり? 百はこえたかしら?」
サクラは少しだけいつもより早口で。嬉しさと、ほんの僅かな不安を滲ませながら。
「お久しぶりです。嘘の答えを探しにここまで来ましたよ」
キョウは適当に。けれど楽しげに、かつてと変わらぬ様子で言った。
2人を心地好さげに見詰めていたビャクヤは、2人の言葉を聞き終えてから、応えを返す。
「久しぶだね。会えて嬉しいよ、2人とも」
親愛を言葉に乗せながら、離れていた時を埋めようとするかのように言葉を続ける。
「2人は、離れている間に、どうしてたんだい?」
これに2人は、嬉しそうに、そして楽しそうに、これまでの道のりをビャクヤに伝えていく。
「この国ではない八百万の神様に矢を飛ばしたわぁ。アディティ様っていうんだけれど」
「すごいね。どうなったの?」
「矢は落とされちゃったわぁ。でもその後、背に乗せて貰って飛んでいったのよぉ」
「すごい経験をしたね。どんな感じだったの?」
楽しそうに聞き返すビャクヤに、嬉しそうにサクラは説明する。
サクラが終れば、次はキョウの番。
「あの世に行って、お茶会をしてきました」
「そうなの? なんでそんなことに?」
興味津々といったように聞き返すビャクヤに、キョウヤは楽しげに、その時のことを話していった。
それは離れていた時を埋めるような。そして、かつて一緒に居た時が戻ってきたような、楽しくて嬉しいひとときだった。
十二分に話を終る頃には、サクラからは不安がきれいに吹き飛んでいる。
そしてキョウは、いつもより楽しそうだった。
一息ついて、キョウとサクラは言った。
「それにしても、教団員として指令をこなしてきましたけれど、神選組との仕事では一度も会えませんでしたね」
「そうよねぇ。もっと早くに会えれば良かったわぁ」
かつての3兄妹のように、3人の間には近しい空気が流れる。
けれどビャクヤの言葉で、それは緊張をはらんだ物へと変わった。
「そうだね。もっと早く会えていれば、好かったと思うよ。きっと――」
その次にビャクヤが口にした『名前』を聞いて、サクラとキョウは言葉を無くした。
「……」
「……」
それは虚を突かれ茫然としたからであり、怒りのあまり声が出ないからでもある。
「なんで……」
ありえない、というようにサクラは呟く。
親友で、自分を殺そうとした彼女。
それを知るキョウは、表情を強張らせている。
そんな2人に、ビャクヤは言った。
「またおいで。その時は、一緒に居るから」
そこまで言うと、くすりと小さく笑って続ける。
「ああ、でも、サクラ達が会いに来るって言ったら、逃げちゃうかな? その時は、一緒に追い駆けよう」
穏やかな表情を浮かべ、ビャクヤは言った。
それを聞いた2人の心の中は、大きくざわめく。
そのざわめきを落ち着かせるように、サクラとキョウの2人は、その日は戻ることにした。
いずれ再会する、その時を想いながら。
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そこは、あの世とこの世を繋ぐ塔だった。
奇跡の塔。
本質的に相が異なる煉界と天界を繋ぐ場所。
その最上階。
純白の大地が果て無く広がるその場所で、人化したネームレス・ワンは自身の肉体を構築した。
「メフィストめ。やってくれるなぁ」
二十歳ほどの黒髪黒目。ニホンでよく見られるヒューマンの青年のような姿で、ネームレス・ワンは自身の肉体を確認する。
「うっわ。全く力でないじゃん」
魔力回路を起動させ、魔力を生成。
そのあまりの弱さに、楽しげに笑った。
「うんうん。そうそう、こんな感じだったな。人間の身体って」
「楽しいでしょー?」
能天気な声に、ネームレス・ワンは視線を向ける。
「楽しいよ。それはそうとして、一発殴らせろ」
「嫌でーす」
一瞬で間合いを詰めて殴り掛かってきたネームレス・ワンからメフィストは逃げ出す。
「捕まえてごらんなさーい」
「ヤだよ。なんでお前みたいなジジィと鬼ごっこしなきゃいけないんだか」
「ノリが悪いでーす」
「無駄に時間稼ぎしようとするヤツに付き合う気はないっての」
そう言うとネームレス・ワンは、周囲に存在する魔力をごっそりと飲み干す。
魔法。
ヒューマンになった筈のネームレス・ワンは、魔術では無く魔法を行使した。
「おーう。やっぱり神化個体になりましたかー」
「お前がエレメンツになって、魔女が生まれたみたいにな」
魂の格が強大過ぎるため、人間に転生したネームレス・ワンの肉体は強制的に進化していた。
「真人だな、この身体」
「仙人ってヤツですねー」
「種族間の共鳴で、これからヒューマンから仙人が生まれて来るぞ。どうすんだ」
「別に良いじゃないですかー。どのみちこれから、全ての種族で神化個体は生まれて来るんですからー」
「おい、ちょっと待て。お前何した」
聞き捨てならないメフィストの言葉にネームレス・ワンが聞き返すと、平然と応えは返ってきた。
「貴方が人間に転生したのでー、残った創造神の力をー、この世界の全ての生き物の魂と繋げましたー」
さらっと言ったがそれは、全ての生き物が創造神の力を使えるようにしたということだ。
「お前何してくれてんだー!」
本気で殴り掛かるネームレス・ワン。
ひょいっと避けるメフィスト。
「そんなに怒らないでも、良いじゃないですかー」
「怒るわー! お前なー、創造神の力に魂を接続したってことは、この世界に生きてる子供達が世界の滅びを願ったらそうなっちゃうんだぞ!」
「そうそうなりませんよー。あくまでも魂を創造神の力と接続してるだけで、創造神になれるわけじゃないですしー。それぞれの力量に応じて、創造神の力を汲み取れるようになっただけでーす」
「可能性があるだけでも危ないってんだよ! えーい、他の管理神(やつら)は何してたんだ!」
「私達も賛同しました。ネームレス・ワン」
苛立たしげに声を上げるネームレス・ワンに返したのは、地獄の神であるハデス。
世界を創り上げた神々が、この場に来ていた。
「いい加減、観念してください、ネームレス・ワン」
穏やかな声で言ったのは、天界の神であるオシリス。
そこに続けて、地上たる煉界の神であるノーデンが言った。
「往生際が悪い。そもそも、お前も全ての生き物を殺した後は、全ての生き物の魂を創造神の力と繋げるつもりだっただろう」
「管理は僕がするつもりだったよ。じゃないと危ないじゃないか」
「そういうのが過保護だというのですよー」
ため息をつくようにメフィストが言った。
「貴方のそれはー、三輪車に補助輪を付けた挙句にー、こけそうになっても助けられるよう付きっ切りでいるようなものでーす」
「別に良いじゃんかー」
「善くありません」
「駄目に決まってるでしょ」
「却下だ」
創造神仲間にぼろくそに言われるネームレス・ワン。
「むっきー! なんだよー! お前ら薄情すぎだろー!」
「貴方の愛が重すぎるだけでーす。子供達が成長できるよう、適度に自由にさせるのが創造神ってものですよー。世界が壊れたらー、そのあとの尻拭いで苦労すれば良いだけでーす」
「いや、それはどうかと思うんですが、先輩」
「貴方は貴方で過激過ぎます」
「なんでお前らはそう極端なんだ」
ため息をつく三神。
そこにネームレス・ワンは、地団駄を踏みながら言った。
「とにかく! そんな話を聞いたら、余計にこのままにしておけない! さっさと創造神に戻って、みんな生まれ変わらせる!」
「それは無理ですねー」
メフィストが言うと同時に、アナタ達はこの場に転移しました。
転移の魔導書アネモイの力で、アナタ達はこの場に訪れています。
目的はもちろん、神殺し。
今この場での状況を全て聞いていた上で、アナタ達はこの場に居ます。
神殺しを成し遂げ、過保護な神の手から離れられるかどうかは、この一戦に掛かっています。
もし負ければ、全ての生き物は殺され、新しい生き物として転生させられるでしょう。
アナタ達が、アナタ達である為に。
今の世界を、無くさないために。
創造神との最後の戦いが始まりました。
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昏い夜天に、真っ赤な真円が浮かぶ。
注ぐ月光。岩の台地が並ぶ、荒野。一際高い大地の上、光の舞台に佇む人影二つ。
一つは小さな少女。黒い洋装を纏った黄金の長髪。名を、『最操のコッペリア』。滅びの戦種、ベリアルの首魁。『三強』の一柱。
一つは巨魁。強さと情けを併せ持つ、剃髪の武人。名を、『最硬のギガス』。同じく、『三強』の一柱。
向かい合う二人。コッペリアが、ギガスに向かって手を翳す。何やら、唱える声。微動だにしない、ギガス。やがて、彼を包む様に浮かぶ多重魔方陣。遊具の様に回転しながら、ギガスの周りを踊る。読み取り。写し取り。記録する。
『最硬のギガス』と言う、一つの至高存在。それを組む、理(ことわり)の全てを。
回転が止まる。多重魔方陣は解け、銀に輝く呪言の帯へと変わる。それを手の上で躍らせながら、コッペリアは微笑む。
「『石皇呪帯』、確かに」
「……すまぬな」
ギガスの言葉。
「何がですの?」
「あの御方の理想の手前にも関わらず、御主に全てを負わせる事だ。誠に、すまぬ」
『何を今更』と、コロコロ笑うコッペリア。
「想定済みですの。わたくし達が、『心』を持つに至った時点で。彼は高みへの踏み台となって殉じ、貴方は仁義の為に刃を収めると。だから……」
翳す、手の上の呪帯。
「『写存受胎』(この術)を生み出したのですから」
「それで、成るか?」
「ええ。完璧ではないけれど、子羊相手なら十分」
「そうか……」
少しの沈黙。月を仰ぎ、ギガスは呟く。
「アルテラとアルメナが、至ったそうだな」
「ええ。今頃、主の元で見ていますの。わたくし達と、『お友達』の両方を心配しながら」
なぞる様に、見上げる。
「そちらは、ブリジッタが残ったそうで」
「うむ……。儂と同様、人の心によってな」
自分を慕う従者の顔を思い浮かべ、ギガスは目を細める。
穏やかさを増した同胞の顔を見つめ、コッペリアは伸びをする。
とても、清々しそうに。
「さてさて。哀れな救世主様も片付きましたし、残るは有象無象。ちゃっちゃと片付けますの」
「コッペリアよ」
ギガスが、問う。
「今も、思っているか? 人は、滅ぶべきと」
「……世界は、優しさだけでは継げませんの」
遠い月を眺めながら、答える。
「どんなに優しさを伝えても、悪意は必ず存在しますの。消えない。絶えない。それが、今の世界の摂理。だからこそ、主は創り直すと決めたですの。そんなモノが、一切存在しない理想郷へ。それを拒んで此の世界の存続を望むなら……」
向ける視線。かの者達の、世界。
「継ぐ者は、持たなければなりませんの。抱く腕と、穿つ牙。その、両方を」
「見定めるか……」
「わたくし達程度の悪意、乗り越えられなければお話になりませんの。その時はすっぱり滅ぼして、永久の揺り籠に押し込むまで」
「厳しい事だ」
「親の手を振り切って巣立つと言うのは、そう言う事」
「かの者らは、我侭だからな……」
「それに、酷く欲張り」
「違いない」
笑い合う、二人。
「さあ、行って。そして、見届けて。あの子らと共に、地に残る者として。そして……」
月下の顔は、女神の様に美しく。
「ベリアルと言う種の、存在と意義を伝える語り部に……」
「承知した。怖ろしくも気高き、我が同胞よ」
展開する魔方陣。その中に消えゆく彼を見送り、コッペリアはまた空を見上げる。
「さあ、主よ。ご覧あれ。我らの最後の舞台を。その在り様を」
昏い大地に、光が灯る。
◆
「……『群魔の軍勢(レギオン・アーミー)』……。アレイスターが恐れていたのは、ソレか……」
「ああ。先にお前達が下したデイムズの軍なぞ、これに比べたら蟻の隊列の様なモノだ」
夜の薔薇十字教団本部。薄明りの灯る室長室の中、卓の上のチェス台を挟んで向き合う二人の人物。若い男性と、見た目幼女の女性。
本部室長『ヨセフ・アークライト』と『麗石の魔女・琥珀姫』。
琥珀の駒を一つ進め、琥珀姫が綴る。
「最操が最強と最硬の力を接続し、『操る能力』を強化。百体の将を召喚して強化。将(そいつら)がさらに10体前後の中位を召喚。そして、さらに中位(そいつら)が……。幾度も連鎖し、最終的に到達する規模は数千。それが、統一意思を持って動く。もはや、『群』ではない。最強最悪の、正しく『魔軍』だ」
「トールは、いないぞ?」
「最硬もだ。奴の性格上、もう出てこないだろう。しかし……」
騎士を動かし、兵士を弾く。
「それでも最操は宣言した。埋める手があると考えるのが、妥当だろう」
『ゾッとしない』と、苦笑するヨセフ。
「アレイスターの片をつけたんだ。もう少し、手心があっても良いだろうに」
呟いて、駒を一つ退かせる。
「だからさ」
追う様に進め、琥珀姫は言う。
「アレイスターを倒した事で、ベリアルの人への認識は決まった。もう、獲物ではない。破滅をもたらす脅威。そして……」
細い指が、追い詰めた駒を弾く。
「親に逆らう、不出来な『兄弟』だ」
「…………」
「覚悟を、決めろ」
沈黙するヨセフに、告げる。
「これは、試練だ。人と言う種が、この世界を神に代わって担うに足るかを確かめる為の」
進めた駒。ヨセフの駒を削る。
「負ければ、今の世界は全て塗り替えられる。神の慈愛と言う揺り籠の中、永遠に微睡み続ける箱庭となる」
王を下げるヨセフ。
「幸福だぞ?」
琥珀の女王が、追う。
「奴らは、拒まない。今からでも望めば、受け入れてくれる。何の苦しみも。痛みも。悲しみもなく。抱き止めてくれる」
追い詰める。
「さぁ」
追い詰める
「どうする?」
そして――。
「願い下げだ」
待ち構えていた騎士が、琥珀の女王を弾き飛ばした。
「母の胎内で眠り続けるだけの生に、何の意味がある? 痛みがなければ、心を知る事もない。苦しみがなければ、喜びを知る事もない。死がなければ、命の意味も分からない。そんな世界こそ、終わりのない虚無……」
動く、ヨセフの駒。
次々と、琥珀の駒を返り討つ。
「煉獄と言うべきだ」
駒は、止まらない。
「人(俺達)は、愚かだ。そして、弱い。だからこそ……」
兵を弾き。
「想いを伝えた」
騎士を挫き。
「絆を結んだ」
僧正を薙ぎ。
「その全てを束ねて」
女王を堕として。
「俺達は、世界の礎となる」
チェックメイト。
討たれた己の王を前に、琥珀姫は満足気に笑む。
「結構」
言って、卓の上に頬杖をつく。
「人手は、あるのか?」
「ルイとデイムズが動く」
「ほう?」
わざとらしく、感心する。
「動くか。あの子狐と狂犬」
「一応、目指す場所は同じだ」
「一応……ね」
笑う顔は、皮肉げだけど嬉しそう。
「数は揃うか。正味、国軍はスケール3以上が相手ではいないも同義だがな。家族がいる連中は、可能な限り後衛に回す様に言っとけ。あと、向こうの解析は魔女組(こちら)に任せるといい。種も仕掛けも、抜かりなく用意してやる」
「頼む」
「八百万の連中は?」
「ダヌが約束してくれた。契約済みの神は、全て動くそうだ」
「よしよし」
頷く、琥珀姫。
「駒は揃った。後は……」
「ああ」
頷く、ヨセフ。
「決戦だ」
◆
何処かも知れない荒野。
夜天に煌めく真円を背に、神魔の姫が告げる。
「さあ、行きますの。我が輩よ」
埋め尽くす紅の光が、静かに頷く。
動き出す、無数の気配。
ただ一つの、乱れもなく。
向かう先は、アークソサエティ。
「わたくし達は、滅び。あなた達の、終わり。手加減は、致しませんの」
終焉の、歌が鳴く。
「乗り越えなさい。憎く愛しい、子羊達」
夜が明ける。
終わりが、始まる。
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木漏れ日が降り注ぐ、木立の続く森。
アルフ聖樹森には、いつもと変わらぬ風景がそこにあった。
だが、ハロウィンが近いという事もあり、集落やその周辺を見渡せば、様々な催しがされている。
浄化師達も招かれ、森は穏やかな賑わいを見せつつあった。
(現実と夢を分け隔てるものは何やろか)
日の光が差し込む森で、ブリジッタは途方に暮れたように彷徨う。
ギガスと別れた後、ブリジッタは再び、アルフ聖樹森へと戻って来ていた。
(論理的な連関の有無? だけど、論理的な連関の存在する夢もあるやろ)
心中で噛み締めるように呟いて、ブリジッタは瞼を閉じる。
(夢は泡沫の存在や)
ブリジッタの目の前に浮かぶ心象は、終焉の世界。
過去の贖罪、悲劇の遠因。
希望は望み薄く、絶望は濃く。
しかし、夕暮れは近い。
(……変な感じやけん)
今までと違う起伏を秘めた心象が、ブリジッタの心をざわつかせる。
夕暮れ――。
それは、今まで彼女が視る事のなかった光明の心象。
その答えを求めて、目を開けたブリジッタは道行く集落の住民達に視線を走らせる。
その時、一人の少女の姿が目に止まった。
「私は人と、人の想いの行く末に、この世界の未来はあると思うの」
『ヴァルプルギス』一族の氏神となっている、八百万の神『リシェ』が発した想い。
途切れ途切れの覚束ない思考の中でも、その言葉はじんわりと染み込んできた。
(うちは、絶望の世界は嫌や。世界を守りたいけん。でも――)
寂しさを重ね合わせるように、ブリジッタはそっと集落の住民達の様子を窺う。
それは自分の心境を直視するための、ささやかな試みだった。
(人間はよく分からん。変な感じや)
人が抱える孤独感、哀愁、不安。
それとは別に感じた、確固たる希望の光。
まだ少し、頭の芯にぼんやりとした感覚が残っている。
ブリジッタの脳裏には先程、見た心象の名残が沁みていた。
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夜中に、目が覚めた。
光が、あった。
朱い。
朱い。
光が、あった。
わたしのソレと、同じ色。
朱の、陰陽。
光が、言う。
「……時が、満ちました……」
優しい声。けど、怖い声。
人じゃ、無い声。
虚ろな、声。
「参りましょう……」
伸びてくる、枯れ枝の様な手。
抱き上げられる、感覚。
突然、部屋の扉が開いた。
「ディアナ!」
レムの、声。
ちゃんと、呼んでくれた。
少し、嬉しい。
「テメェ!」
刃を取り出して、駆けてくる。真っ直ぐに。そして、突き刺した。
微笑む。刃は、脇腹。でも、死なない。痛がりも、しない。ただ、嬉しそうに微笑んで。レムを、見下ろす。
「ああ、覚えたのですね。築いたの、ですね。『愛』を。『絆』を」
笑う声。とても、とても嬉しそう。
「……何、言ってんだ……?」
「分かりませんか? 自覚、出来ませんか? 大丈夫ですよ。それらはもう、確かに貴女様の中にありますから。だから……」
漂う、硫黄。
黒い光が、閃く。
悲鳴を上げて、弾かれるレム。
笑って、言う。
「だから、追ってきてくださいませね。この方を。やつがれを。皆様を、連れて」
蝶が、舞う。沢山の、黒い蝶。
「おもてなしの場は、整えておきますので」
青い燐が、世界を覆う。
レムの声。遠くて。
そして――。
◆
枢機卿『デオン・ヴェルナ』は野心家だった。
後に起きる創造神との戦いにおいて天人・アレイスターに取り入り、新世界に置いて支配層の頂点に立つ事を企んでいた。
その為に、息のかかった貴族達を使って富を増やし、その富を繰って密かに軍事的な力を蓄えていた。その手は教団内部にも及び、一部の班長や大元師にも与する者がいた。
あの、『ゴドメス・エルヴィス』や『デニファス・マモン』の様に。
そして、彼は狡猾で用心深くもあった。
そも、自分の暗躍が立ち位置的に対立者である『ヨセフ・アークライト』や邪魔者である『サー・デイムズ・ラスプーチン』に感づかれていない筈はないと、彼は自覚している。
自分は、知恵と人望においてヨセフには及ばない。
自分は、武力と謀略においてデイムズには敵わない。
だから、伏した。徹底的に、伏した。
決して派手な事はせず。
ボロを出しそうな手下(てか)は、容赦なく口を塞ぎ。
決して掬われない様に、ピッタリと。地に。まるで、獅子の隙を狙う野犴の様に。
そして、機は訪れた。
先に起きた、ヨセフ陣営とデイムズ陣営との戦争。しかも有難い事に、教皇『ルイ・ジョゼフ』まで絡んでくれた。
絶好の好機だった。
如何に勇猛な獅子であろうと、獅子同士で争えば傷つき、疲弊する。さすれば、群れ成す野犴で十分に臓腑を抉れよう。
返す刀を、地盤を欠いたルイの喉元に突き付けてもいい。上手くすれば、予定よりも上等な権力が手に入る。
寝首を掻く手筈は上々。よしんば、しくじったとしても奥の手がある。それで、全てを無に帰してしまえばいい。
どのみち、自分の手に入らない世界に、意味などないのだから。
決起の前夜。デオンは一人、祝杯をあげた。
◆
「……などと言った所でございましたでしょうか? 貴方様の思っていらした事は」
「あ……天姫……貴様……」
夜闇が降りる、新月の夜。妖しく舞う黒蝶と、降り落ちる青い燐。死臭と血臭の満ちるその場所で、デオンは自分を見下ろす『光帝・天姫(みつかど・あき)』を呪う。
「随分と、ご苦心なされましたね。無事、事は済みました。どうぞ、御降壇を」
「…………!」
歯噛みしながら視線を向けるのは、天姫の背後。己が吐き出した血泥に浮かぶ、無数の躯。傭兵。浄化師。国兵。果ては、キメラ。
全て、この日の為にデオンが取り込み、組織した反乱軍の構成員達。欲に眩み、彼になびいた貴族や教団の幹部達も、残す事なくその地獄に沈んでいる。
「何故ざます! 何故、今になって裏切るざます!? お前には、望む環境を与えてやった筈ざます!」
「ええ。感謝しております。教団への入信と、暗殺と銘打っての掃除役……。御陰様で、苦難なく駆除が叶いました。ヨセフ様と愛しい方々の枷も、幾ばくかは……」
紡がれた名に、歪むデオンの顔。
「ヨセフに……就くざますか……?」
「ヨセフ様と愛しい方々は、『人』でございます。紛う事無き……。そして……」
憎々しげな呟きも、空風の如く。
「やつがれが想い信ずるは『人』。それだけでございます」
――お前は、人ではない――。
暗に込められた意味に、唇を噛む。
「なら……何故、デイムズを放っておくざます……? 奴はヨセフの敵……いや、正真正銘の外道ざます!」
「あの方は、砥石でございます」
あっさりと返る、答え。
「砥石、だと……?」
「ええ。ヨセフ様始めとする愛しい方々を研ぎ上げ、より高みに昇華する為の試金石……。御強いあの方は、うってつけでございます」
笑う顔は、とても綺麗。人とは、思えない程に。
「貴方様は『予備』としてとっておいたのですけれど、役不足は否めませんで。デイムズ様には、感謝しております。かの方との戦いを経て、愛しい方々は見事……。喜ばしい限りでございます」
「貴様は……神にでもなったつもりざますか……?」
「神? いいえ、やつがれは……」
微笑みながら、否定する。長い髪が揺れ、足元から舞い上がる黒蝶の群れ。
鮮やかな青の燐。その彩炎の中で、彼女は言う。
――『化け物で、ございます』――と。
「う、うぉおおおおお、ざます!」
叫びとも悲鳴ともつかない声を上げ、デオンが腰へ手を回す。
抜き取ったモノ。やたらと銃身が太い、無骨な銃の様なモノ。
魔力小砲(ミニマ・カノン)。
高密度の魔力弾を撃ち出す、小型砲。接近戦用の高威力殺傷兵器。
「死ぬざますぅ!」
撃ち出された魔力弾が、近距離で天姫の胸元に炸裂する。けれど。
「……駄目でございます。それでは」
何の痛痒も感じさせない、平坦な声。散りゆく魔力残滓の向こうから現れる、天姫。教団の制服だけが弾け飛び、露わになる白い肌。膨らみ。浮かび上がるのは、朱い陰陽。
「やはり貴方様では、足りませぬ様で……」
舞い飛ぶ蝶。天姫を抱く様に、ゆっくりと立ち上がる。影。
「ま、待って! 待つざます!!」
最期の足掻きの様に、懇願する。
「ひ、人ざます! 私は、間違いなく人ざます! 今までの事が罪だと言うのなら、償うざます! 改めて、刑に服すざます! だから……だから!」
這いつくばって額を地面に擦り付ける、デオン。見下ろして、呟く。
「……先のお話、お聞きになられましたでしょうか?」
「……へ?」
「心が、あったそうでございます。ベリアルにも……」
まるで、うわ言。戸惑う、デオン。
「どうした、ものでございましょう……」
困った様に。本当に、困った様に。
「やつがれには、かのモノ達が人に見えて仕方ないのでございます。貴方様よりも。そして……」
青燐の中、ゆっくりと持ち上がる白痴の面。象る、燐火。
「やつがれも」
輝く、単眼。邪視。
悲鳴は、なかった。
◆
教団本部に、連絡が入る。
デオン枢機卿及び複数の貴族。彼らが雇っていた兵。そして、彼らと繋がりがあったと思われる複数の教団幹部。その部下である、浄化師達。
全員の死亡が、確認された。
被害者の状態。現場の様子。誰の仕業かは、明白。否。恐らくは、誘い。
地獄で情報を得て以来、監視下にあった筈の『彼女』は行方不明。
『アレ』に魅入られた『彼女』も、消えて。
開く会議室の戸。
立っていたのは、『レム・ティエレン』。
「行こうぜ」
彼女は、言う。
「オレの中の、『死』が呼んでる」
蝶が、舞う。
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ヴェルサイユ宮殿。
そこは教皇国家アークソサエティの支配者である教皇の居城。
世界の中心とも言えるその場所が、崩壊した。
まさに一瞬。
影が強い光で散るような唐突さで、ヴェルサイユ宮殿は崩壊し、即座に再構成される。
全ては、アレイスター・エリファスの御業だった。
「時は来た」
静かにアレイスターは宣言した。
「神殺しを成し遂げよう。そのために、お前達の力を借りる」
声を向けるは、7人のホムンクルス達。
彼女達は体を結晶化され、国土魔方陣を発動するための生贄にされていた。
彼女達の顔に浮かぶ表情は、ひとつとして同じものは無い。
怒りと悲しみ、諦めと歓喜。あるいは嘆きと恐怖。そして――
「私達は、貴方の役に立てましたか?」
原初のホムンクルスであるアナスタシスが浮かべる、愛だった。
アレイスターは応える。
「役に立った」
その言葉を喜びと共に受け取りながら、アナスタシスは最も欲しい言葉をねだる。
「これで、私達を、愛してくれますか?」
アレイスターは、応えなかった。
「……そうですか」
笑顔を浮かべたまま、はらはらとアナスタシスは涙を零す。
決して自分達が愛されないことを知りながら、それでもアナスタシスは言った。
「愛しています」
その言葉を最後に、アナスタシスは他のホムンクルス達と同じように結晶へと変わった。
あとに残るは無音。
「ルイは逃げたか。鼻が利く事だ」
アレイスターは、ヴェルサイユ宮殿を代償に造り上げた聖殿の最奥に向かう。
彼に付き従うのは、守護天使のみ。
口と目を封じられ、四肢を束縛の鎖で拘束されている。
「あと少しだ」
その声には、僅かだが喜びが感じられた。
「アーデル。あと少しで、また逢える」
その言葉は空虚に響き、耳にした守護天使は、言葉もなく涙を流した。
願いを掴むためアレイスターは歩き続け、聖殿の最奥に辿り着く。
そこは広々とした講堂に見える。
けれど厳かな空気に満ちており、まるで世界の中心であるかのような錯覚を覚えるような場所だった。
「起動せよ」
アレイスターは国土魔方陣を呼び起こす。
万を優に超える無数の魂により造り上げられた国土魔方陣は、創造神に干渉し得る力場を造り出す。だが――
「……どういうことだ?」
アレイスターは訝しげに眉をひそめる。
「国土魔方陣の容量が、分割されている……これは、セキュリティホールが作られているのか……何者だ、この期に及んで」
アレイスターは即座に、奪われた領域を取り戻すべく国土魔方陣を操作する。
その時、上空には2人のべリアルが居た。
「ブリジッタ、ここまでで良い。よく、ここまでついて来てくれた。礼を言う」
三強の1人、ギガスの言葉を聞き、ブリジッタは小さく頷くと、その場を去って行った。
ギガスはブリジッタを見送ると、眼下の聖堂を見下ろす。
「ようやく見つけたぞ、アレイスター」
倒すべき標的の名を口にすると、ギガスは自らの身体を弾丸に、聖堂へと射出した。
衝撃波と共に、ギガスは聖堂の天井に激突。
全ての魔術的結界を破壊すると、そのまま天井を貫き内部へと侵入した。
「最早逃がさぬ」
ギガスは激突により破壊された肉体を急速再生させながらアレイスターへと近づく。
それをアレイスターが見詰めた瞬間、ギガスの周囲の空間が揺らいだ。
それにより発生した重力波がギガスを襲い、10倍近い重量がギガスに掛かる。
だというのに、ギガスの歩みは止まらない。それどころか衰えさえしない。
距離を縮めてくるギガスに、アレイスターは背後の守護天使に命じた。
「封じろ」
アレイスターの命に応じ、守護天使の翼が広がる。
その途端、ギガスの力が大きく封じられた。
動きが止まったギガスに、アレイスターは静かに言った。
「愚かなことだ。1人では、私を殺せない」
「今まで儂らから逃げ回っていた者の言葉ではない」
ギガスの応えに、アレイスターは返した。
「確かに、認めよう。お前達3強が集まれば、私を殺せたと。だがそれは、お前達が連結し軍勢で攻めてきた時の話だ。既に3強の一角は滅び、もう1人は、私を殺すことよりも浄化師達との決着に拘っている。足らぬ上に余計なことに力を割いている今のお前達なら、私を殺す事など出来ない」
「よく囀る。恐ろしいか?」
嘲るような言葉に、アレイスターは攻撃魔術で応えた。
瞬時に、魔術により作り出された100を超える大剣がギガスに襲い掛かる。
しかしその時には既に、ギガスは動いていた。
虚をつく、無拍子の動き。
予備動作の無い動きは、アレイスターの知覚を超える。
気付かれるより早く、ギガスはアレイスターの間合いに踏み込み、掌打を放つ。
だが、無駄。
アレイスターが張り巡らせている魔力障壁により阻まれる。
魔力障壁と掌打が打ち合う轟音が響く。
攻撃が届かぬと悟ったギガスが体勢を整えようとするが、その瞬間、爆炎がギガスを覆う。
炎で焼かれながらギガスは吹っ飛ばされるが、口寄せ魔方陣で自身を転移。
転移先をアレイスターは予見すると、魔力障壁を厚くして対抗。
魔力障壁で阻まれたギガスは、魔力障壁越しにアレイスターに掌打を叩き込む。
「無駄だ」
アレイスターの言葉通り、ギガスの攻撃は届かない。
そこにアレイスターがカウンターを放とうとした瞬間、ギガスの技が叩き込まれた。
最初の掌打に重ね、追撃の掌打を放つ。
魔力を込めた掌打は、魔力障壁に弾かれることなく内部に侵透。
無防備なアレイスターを撃ち据えた。
「がはっ!」
血を吐きながら吹っ飛ばされるアレイスター。
そこにギガスは追撃を掛けようとするが、突如現れた無数の人型により阻まれる。
「化け物が」
周囲に魔導書を浮かべ、その力により自身を再生させながらアレイスターは言った。
「お前に、神の下僕なんかに、負けて堪るか! 私は彼女を取り戻す。邪魔をするな!」
「愚か者が」
一瞬、守護天使に視線を向けたあと、ギガスは襲い掛かってくる人型を破壊しながら言った。
「救世主の成り損ないよ。今の世の在り様の責は、主のみには無い。だが主の過ちは、もはや還らぬ。せめて気づかぬ内に、殺してやろう」
憐れみを飲み込み、ギガスはアレイスターと戦った。
この状況に、アナタ達は訪れます。
アレイスターを打ち倒すことのできるこの絶好の機会に、アナタ達はどう動きますか?
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たかだか一万年すら持たなかった。
「無理なのですよ」
楽園で、盟友であるアンリ・マンユが言った。
「まだこの子達は、永遠に耐えられないのです。いい加減、転生させてあげましょう」
それは道理だ。解っている。
解っているからと言って、納得できるかは別だ。
「なぁ、アンリ。お前、創造種になったのは、何回生まれ変わってからだ?」
「2827無量大数5632不可思議6712那由他18阿僧祇3002恒河沙867極9206載1026正721澗4621溝2019穣82じょ6233垓7701京461兆6708億3328万6213回目ですね。貴方も、それぐらいでは無いですか? ネームレス・ワン」
「ん、まぁ、そんなもん」
前世の履歴を思い出し、僕は応えた。
生きて死んで、転生する。
その繰り返しの中で魂を鍛え、無からあらゆるものを創造できる、永遠無限に耐えられる不滅存在に成る。
それが『創造種』。
あらゆるものを創造できるんだから、世界だって創れるし生き物だって簡単だ。
だから僕達は創った。
始まりにアンリ・マンユが世界基盤を創り。
オシリスが宇宙の理を規定した。
ノーデンが世界と外界の境を創り。
ハデスが天界地上地獄の三界に分断。
最後に僕が、全ての生物の祖となる者を創り広めた。
創造神という、『世界を創り出す存在』という『力』を後進へと引き継がせ、残りは世界の維持をするための管理神になる。
創造種5人が、創造神という『力』を引き継ぎながら創り上げたこの世界は、かなり頑丈だ。
世界の外からでは、世界喰らいの腐れゴミカスクズの『悪魔』なんぞじゃ歯が立たない。
永遠無限に維持される世界。
けれど、そこで生きる子達は、それに耐えられない。
「まだ一万年しか経ってないんだけどなぁ」
目の前に居る無垢な魂の子達は、僕が最初に創り出した霊長類たる人類の子供達。
地上で生きて、死んで、楽園である天界に来た子供達。
望んだままに欲しい物が創り出される楽園で、何の苦痛も無く魂のままあり続ける。
それを一万年ほど続けた頃には、全員自我が消失しまっさらな魂になっていた。
魂は不滅だ。
けれど、そこに込められた自我や記憶は不滅というわけじゃない。
薄れて揮発し、いつのまにやら消え失せる。
一万年という歳月で、この子達は自我を維持できなかったのだ。
「転生させてあげましょう。そうすれば、新たな記憶を得て自我が目覚めます」
「転生ねぇ」
僕はアンリ・マンユに言った。
「ねぇ、いつかこの子達も、僕達と同じ創造種になれると思う?」
「分かりません。ですが信じましょう。そのために私達は世界を創り、命を創ったのですから」
アンリ・マンユの言う通り。
僕達が世界を創り、そこに住まう命を創り出したのは、自分達と同じ存在になって欲しいから。けれど――
「成れないんじゃないか? 少なくとも全員は無理だろう」
僕は確信している。きっと、アンリ・マンユや、他の創造種も。
「世界もその外も、無限にあるんだよ? なのに僕は創造種を、お前も含めて8人しか知らないよ。誰もがみんな到達できるなら、それこそ無限にいてもおかしくないのに」
世界とその外が無限だから、会えない可能性もある。
あるいは、創造種になることを諦めた『悪魔』のように、世界を食らうような存在になっているのかもしれない。
「この子達が創造種になれないなら、地上で苦しめる必要はないんじゃない?」
地上たる煉獄世界は、善も悪も混在する。
だからこそ自我も生まれ自らの意思も育つけれど、自分達で生み出した業に苦しめられる世界でもある。
「生まれ変わらせても、いずれ世界を巻き込んで自滅するし」
それは何も無ければ確定した未来。
生き物、特に霊長類としての役割を持つ人類は、それを成し得るのだ。
霊長類とは、世界を認識し観測することで、世界の在り様に干渉する者。
簡単に言えば、生きてるだけで世界の補強をしつつ、適度な柔軟性を与える者である。
だから、世界を滅ぼし得る。
本来は、世界を安定化させつつ、世界が固定化することによる熱的死を避けるための柔軟性を世界に与えるため、創り出した子供達。
けれど人類は、自分達の業で滅ぶのだ。
「もっと良い生き物に創ってやれば好かったなぁ」
ぽつりと、僕は呟く。
それにアンリ・マンユは返した。
「貴方に間違いはありません。自由意思と、神が居なくとも生きられる強さ。その2つを兼ね備えているのが、人類です」
うん、分かってる。
自由意思は必要だ。
僕達の想い通りにしかならない子供達を創ってどうする? それは単なる人形だ。何が面白いのか。
神が居なくとも生きられる強さは必要だ。
子供達には、いずれ自分の力で在り続けて欲しい。
そう思っていた。けれど――
「食べて貰えてありがとうございます!」
醜悪な未来を予測する。
ヒューマンのみが『人間』で、それ以外はただの消費物。
動物の血が混ざった生き物は動物で、家畜として食べることは許される。
だからと言って、首から上を魔術で生かしたまま自分が食べられるのを見せながら、食材に感謝の言葉を言わせるのはどうなんだ?
家畜で奴隷で臓器のパーツ。幾らでも作り出せる生体機械。ヒューマン以外の人類は、それが常識の未来。
7兆7777億7777万7777回予測演算した未来のひとつは、他と変わらぬ醜悪さを見せつける。
「転生させても、苦しませるだけじゃね?」
「それを選ぶのは、この子達自身です」
アンリ・マンユの言葉に、その時は賛同した。
けれど人類が増え、文明と文化を発展させ、醜悪な未来が近付いていく。
それを変えたくて、新たな人類を創り出す。
ヴァンピール。
ヒューマンとは違う、けれど寄り添い生きることのできる者達。
新たな種族が居れば、先に生まれた人類は兄として、あるいは姉として、より良く生きてくれる。
まぁ、そんなことは無かったのだけれど。
「神は我らを見捨てたのですか!」
「何故あんな者達を創り出したのです!」
「私達だけを愛してください!」
なに言ってんの?
未来予測をしてはいたけれど、実際にそんなことを言われた時は目が点になった。
そうならない未来の可能性もあって、信じていたけれど、その未来を選ばなかった。
「ああ、そうか。ごめん」
僕が間違っていた。
「もっと良い生き物に創ってあげるべきだったね」
だから全ての生き物を殺しつくし、魂を回収した上でより良い生き物にして転生させてあげることにした。
例外は無いよ。
仲間外れは可哀そうだ。
そしてべリアル達を世界に放った。
この子達も、役割が終われば、転生させてあげる。
死んだ後に永遠に耐えられず、転生させ続けないといけないなら、何も苦しまずに居続けられる方が良いに決まってる。
けれど、なのに、抗う子達が居る。
「気になるな」
ちょっとした好奇心。
僕は、僕を殺そうとする子供達を、天界に招待することにした。
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アルフ聖樹森の集落は、既に戦乱の予感でざわめいていた。
ドッペル達の避難誘導によって、集落の人々は速やかに有事に備えて動き出す。
「皆……」
空を仰いだドッペル達は、離れた地に居るあなた達に想いを馳せる。
燃え盛る屋敷から助け出してくれた浄化師達。
行く当てのなかった自分達を温かく迎え入れてくれた教団の人々。
あの日、断たれたはずの未来を接いで貰った事で、ドッペル達は夢を持つという願いを継ぐ事が出来た。
しかし、この世界に住む者達の行く末を決める戦いが、まもなく始まろうとしている。
その一端となる戦乱が巻き起こる森で、ドッペル達は決意を新たに走り出した。
●
中天に昇りつめた日差しが、ゆっくりと輝きを弱めながら下り始めていた。
人気のない平原の只中に、プリムローズ達の姿はあった。
サクリファイスの残党達は、彼女の指示で周辺の森の哨戒を行っている。
「うちには分からん。アルフ聖樹森は、守護天使と八百万の神の2重の結界により、大きく力を削がれてしまうやん。ギガス様、どうしてあの人間の誘いに応じたんやろ?」
「ギガス様には、あの方に感じるものがあったのかもしれません」
ブリジッタの懸念に応えるように、プリムローズは揺るぎない覚悟を語る。
「リシェ様を夢の中に捉えて安楽死させる事は出来ませんでした。なら、リシェ様が逆らえないほど、強大な一撃を与えて殺す方法に切り替えてみようと思います」
「……プリムローズ、下がるっちゃ!」
突如、ブリジッタが強大な魔力を感じ取って警告を発する。
「ブリジッタ様?」
「ばり、やばい魔力ばい! 守護天使どもやん!」
ブリジッタは彼女達――ベリアルにとって、危険な魔力を感知した。
身に覚えのある魔力は、リシェの集落を訪れた時に肌で感じた警鐘。
「むっ!」
その瞬間、ギガスを中心に、空を覆う巨大な魔方陣が現れる。
それは、アルフ聖樹森の守護天使『カチーナ』と、アルフ聖樹森に居る八百万の神のまとめ役である『テスカトリポカ』と『ケツァコアトル』による結界だった。
「ギガス様に手を出す事は、うちが許さないっちゃ!」
ブリジッタは発作的に動いた。
甲高い咆哮と共に、カチーナの頭上で虹色の閃光が弾ける。
たまりかねたブリジッタが、ギガスの窮地を救いたい一心で攻撃を放ったのだ。
だが、それはカチーナが張り巡らした魔力の障壁によって虚しく弾き返される。
「あんたのこと、そーと、すかん! ぶちくらす!」
自分の中にある負い目を追い払うように、ブリジッタは憤った。
純白の大剣が凍てつくような魔力を発しつつ、情け容赦なく振り上げられた時――。
突如として、地上から激しく渦巻く兇嵐の魔力光がブリジッタめがけて叩きつけられる。
「ブリジッタ様!」
「……力が出ないけん」
落下したブリジッタに付き添う形で、プリムローズは懸命に癒しの魔術を掛ける。
ブリジッタの攻撃を食い止めたのは、ドッペル達が呼び寄せた魔女とコルク達だった。
「……まだや」
「そこまで」
一矢報いようと立ち上がったブリジッタを制したのは、ギガスだった。
「ギガス様?」
「ブリジッタ、アルフ聖樹森の守護天使が現れる事は想定内だったであろう」
「……うち、ギガス様の――あの御方の力になりとーと。世界を守りたいけん。でも、あの守護天使は何故か、ギガス様達の邪魔をするやろ。うちは、その事が気に入らないんや」
ブリジッタが生じた疑問の答えは、遅滞する事なく、ギガスによって示される。
「うむ。善き哉。その苦悩、必ずやあの御方に届こう」
打ち震える様子で漏らしたその嘆きに、ギガスは応えた。
「儂の力も結界で衰えている。ならば、暫しの間、お主の力を借りるとしよう」
「……ま、任せるっちゃ!」
大剣を翻したブリジッタは感極まる気持ちで心を高ぶらせる。
先程の奇襲はブラフ。
そして、この一撃こそが本命。
敢えてそう思考する彼女の想いに応えるように、大剣が唸りを上げて、爆炎という赤い軌跡を空に描いた。
大剣の切っ先が今、全てを貫徹する威力を秘めて激発の時を待つ。
「むっ!」
ギガスもまた、火気と陽気、2つの魔術を組み合わせる。
火気と陽気が幾重にも絡まり合い、圧倒的な輝きと共にひとつの形を織り成した。
ギガス達から発せられる強大な魔力に、コルクは瞬時に事態を察した。
「おにーちゃん、お姉ちゃん、そこから離れてーー!!」
「は、はい――っ!」
「――っ!」
コルクのあらん限りの叫びを聞いた浄化師と魔女達はその場から離れる。
瞬刻、浄化師と魔女達は爆風に吹き飛ばされ、コルクの警告の意味を悟った。
浄化師と魔女達が目にしたのは、周囲の平原を焦土と化して灰燼と帰してしまう程の圧倒的な強さを持つ敵。
全身に激痛が走る。
彼らは戦慄し、恐慌状態に陥ってしまう。
不可視の一撃を邪魔されたギガスは、特に気に留めずに問い掛けた。
「汝は、コルクという者だな」
「コルクの事を、知っているの?」
ぞくりとした悪寒に突き動かされて、コルクは思わず、訊ねる。
「コルクさん、私がお答えします」
プリムローズが優しい眼差しを湛えて、ギガスの代わりに答えた。
「私は、全ての人々を夢の世界に導いて、苦しませずに安楽死させてあげたいのです。ですが、私の力では他人の夢に干渉し、囁く事しか出来ない。だからこそ、私は自身の力を向上させて、人々を夢の世界――光の檻の中に導く事を思い立ちました」
「あっ……」
慈悲深く、そして偽りなく囁かれる真実。
不吉な予感に苛まれ、陰鬱な感情だけがコルクを支配する。
「魔結晶を要に設置し、光の檻を発生させたその同時期、私は何度か予言をしたレヴェナントの方から、あなたの噂を耳にしました」
「コルクの噂……」
プリムローズの言は、コルクの心の機微を穿つ。
「あなたが、浄化師達と一緒に記憶改竄を受けた人々を元に戻しているという噂です」
「――っ」
明かされた事実に、コルクは思わず、泣き出したい衝動に駆られる。
「私は、周辺の人々を光の檻の中に閉じ込めるまでの間、あなたを捕らえ、あなたの目的を利用させて頂きました。光の檻の調査に赴こうとした浄化師達を対象に、あなたの目的でそこに行く事を引き留めさせて頂いたのです」
「それって、コルクの目的のせいで、皆は捕まったの」
プリムローズの慈愛に満ちた声が、コルクの心に突き刺さった。
コルクの澄んだ瞳から、絶望感で満たされた大粒の涙が零れていく。
「ただ、姿を変える魔術に長けた者が、私達には居なかった為、ギガス様の助力をお借りしたのです」
「うちも姿を変えたりするのは、苦手分野なんやけん」
プリムローズとブリジッタの視線は、ギガスに注がれる。
「コルクの偽物って……あ、あなただったの?」
暴かれた真実に、コルクは目の前が真っ暗になりそうだった。
悲しみが、頬を止めどなく流れていく。
その時、一陣の風がコルクの頬を伝い、涙を溶かす。
「コルク!」
「待たせてごめんね!」
「……おにーちゃん、お姉ちゃん!」
平原だった荒地で繰り広げられている凄絶な戦い。
その只中、ワイバーンに姿を変えたドッペル達が降り立つ。
あなた達はイヴルと共にドッペル達から降りると、決着への飛翔に向けてギガス達と対峙する。
頬を撫でる風。虹彩が集める日の光。
穏やかな輝きの中に、コルクはあなた達の強固な意思を感じた。
痛恨と向き合う時間は終わり、戦いが始まる。
それは過去を乗り越え、今を生きる者達の戦い――。
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見渡す限り広がる、昏い海原。アシッドが濃く混じり、魔の巣窟と化した筈の場所。けれど、この海域ではその支配は及んでいない。
それは偏に、ここに住まう高位八百万の神、『毒潮(ぶすしお)の公爵・ナックラヴィー』の加護故。
人の血肉を対価になされるそれは、猛毒と腐敗の霧による絶対領域。文字通り、毒を毒で制する危うい均衡。ピリピリと張り詰める気配の中で、住まう人々はひっそりと暮らしていた。
◆
そんな場所の渚に、佇む人影が一つ。
長い藍の髪。瑠璃の瞳。泉色の法衣。身長に比肩する巨盾を携えた、少女。
濡れた眼差しを昏い海原の果てに向け、求める様に差し伸べた手。上、凝縮する冷気。形作られるのは、透麗な氷の華。
「トール様……」
揺れる声は、氷精の囀り。
「御立派な、最期でした……」
吹き去る海風に、氷の華が舞う。送る先は海の向こう。届く事叶わなかった想いが眠る場所。
「遺されし無念は、必ずや晴らしましょう。安息の園にて、御覧ください……」
凪いでいた筈の水面が揺らぐ。少女の足元を中心に、凍てついてゆく海。大地。
「わたくしも、疾くそちらへ参ります。その時は必ずや……」
その冷たい激情を具現する様に、突き上がる無数の氷槍。その様はまるで、氷の煉獄。
「奴らの頭骨に満たした美酒を、貴方様に捧げます……!!」
軋む牙に、血の味を滲ませて。ベリアルの少女、『月影のアルテラ』は振り下ろした巨盾で凍る大地を砕いた。
◆
朝からずっと、雨が降っていた。
もっとも、雷姫が統べる空。『彼』の死を悼む筈など、ない筈だけれど。
「……全く……」
シトシトと泣く空を見上げ、三強の一角、『最操のコッペリア』は小さく息を吐く。
「あれほど、脳筋は控えろと言っていましたのに。人の話を聞かないのだから。まあ……」
消えた同胞に送る言葉。悲しみもなければ、憐憫もない。
「望み続けた強者との戦い。その果てに、逝けたのだから」
ただ、祝う。ささやかに。
「本望、でしたわね……」
雨が降る。ただ、シトシトと。
「……お姉様」
「……どうしましたの? アルテラ」
振り返りもせずに、答える。まるで、全てを察してる様に。
「トール様が討たれた背景には、ダヌを始めとする八百万の神達の助力があります……」
アルテラの声。いつもの様に冷静で。そして、らしくない激情が篭る。
「……だから?」
「これ以上、教団(彼ら)に協力する八百万を増やすのは危険です」
「それで?」
「……高位八百万の一柱、『毒潮(ぶすしお)の公爵・ナックラヴィー』が動いていません。しかし、奴が教団と接触を済ませている事は確認済みです。『儀』さえ済ませば、奴も敵に回ります」
「でしょうね」
「……その前に、ナックラヴィーを殺します」
昏く沈んだ声が、告げる。
「奴は、己の領域から離れません。居場所は、明白。だから、わたくしが行って……」
「詭弁は、おやめなさいの」
「!」
コッペリアの言葉に、ビクリと竦むアルテラ。
「分からないと思いますの? 貴女の目的はナックラヴィーではなく、奴を助けに来る浄化師達ですの」
「…………」
俯き黙る、アルテラ。彼女に向かって、コッペリアは続ける。
「トールは、誰も憎んでいませんの。彼は主の……いえ、自身の信念に従い、正々堂々とそれに殉じましたの。その矜持を、貴女は汚す気ですの?」
言葉の一つ一つが、アルテラを穿つ。言われるまでもない。分かっていた。理解していた。
けれど。
「駄目、です……」
震える唇が、紡ぐ。
「それでも、わたくしは……わたくしは……!」
明確な、反意。それが、意味する事は理解しつつも。なお。
「……群を、貸しますの」
「!」
不意の言葉に、顔を上げる。
「そも、ナックラヴィーは忌み神ですの。人の敵。奴だけの為では、教団は動きませんの。だから、群を使って周辺の居住地区を蹂躙するといいですの。そうすれば、教団は必ず動くでしょう」
「お姉様……」
「トールの矜持は彼だけのモノ。ならば、その願いは貴女だけのモノ」
喜びに綻ぶ、アルテラの顔。と、彼女を守る様に周囲に浮かぶ、朱い呪字の螺旋。
「これは……」
「想いに殉じる、貴女への手向け」
振り返りもせず、コッペリアは言う。
「その『雷帝呪帯』には、トールの力をラーニングさせてますの。纏う限り、彼の力が加護となって貴女を守りますの。彼と同様とまでは行かないけれど、相応の事は出来ますの」
「トール様の……」
自身を包む螺旋をしばし見つめ、コッペリアの背に頭を下げる。
「貴女様に仕えられた事、誇りに思います」
言葉と同時に広がる魔方陣。光に包まれて消えるアルテラ。誰もいなくなった筈の背後に、コッペリアが声をかける。
「……で、貴女も行きますのね?」
「そうっスね。姉貴とアチシは、二つで一つっスから」
いつしか立っていた影。朱髪の少女、『陽光のアルメナ』。アルテラの、双子の妹。
「……貴女達には、あの『仕掛け』が仕込んでありますの。共にいれば、互いの力になりますの」
「……そん時には、どっちかがいないっスけどね……」
苦笑いを浮かべるアルメナの前に、魔方陣が浮かぶ。それを潜ろうとして、止まった。
「おねー様」
「何ですの?」
「姉貴、泣いてたんスよ。トール様の知らせが入った時」
「…………」
「ベリアルって、泣けるんスねー……」
コッペリアは、何も言わない。少しの、間。
「……何で、主は心(こんなモン)、アチシらに付けたんスか? 低スケールん時みたいに、何にも分かんないおバカの方が楽だったのに」
少なからずの、非難がこもった声。けれど、コッペリアは咎めない。ただ、淡々と答える。
「それが、主が望む命の形だったからですの」
「……ふーん」
ほんの少し考えて、歩き出す。
「めんどくせーっスよ……。こんなモン……」
呟く声は、拗ねた子供。
魔方陣を潜りながら、アルメナが言う。
「じゃー、ちょっとぶっ殺してくるっス」
まるで、遊びに出かける少女のままに。
「夕ごはんには、帰ってくるっス」
――姉貴と、一緒に――。
遺して、消える魔方陣。
残されたコッペリアは、溜息をついて天を仰ぐ。
「ままならないモノですの……。ねぇ、トール……」
答える者は、誰もいない。
◆
濁った潮水。水底に、ポカリと開いた隔里世。その中に、何やら話し合う異形の影二つ。
『……と言った風に動く事が、予想されるのである』
そう告げるのは、ペストマスクを被った黒衣の妖神。『無明の賢師・アウナス』。
『……ヴュ……予想だけで、良く余に言するもの……と言いたいがぁ゛、汝の予想は『予言』に等しき故……』
ゴボゴボと、濁った声で応ずるのは異形の怪神。毒潮(ぶすしお)の公爵・ナックラヴィー。
『どぉれ……』
『何処へ行くのである?』
重い腰を上げるナックラヴィーを、アウナスが呼び止める。ジロリと睨む、赤い単眼。
『知れた事故。この辺りの村々は、余の『畑』故。荒らすモノは、滅ぼす故』
『数が多いのである。それに、恋に狂った雌は危険である。故に、一案進ぜるのである』
『ヴュ……?』
マスクの眼孔。闇の奥が、妖しく光る。
『良い機会である。これをもって、『あれら』との『儀』とするのである』
『ほう……』
察した、怪神。赤い目が、グニャリと笑んだ。
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その日、虚栄の孤島に建国されたトゥーレに対し、宣戦布告が行われた。
布告理由は1つ。
正当王位継承者によるトゥーレ奪還である。
現在トゥーレの王は、メアリー・スチュアートが権利を主張しているが、それに異を唱えたのだ。
メアリーよりも上位の王位継承権を持つという人物が、枢機卿に対して異議を申し出ると、教皇ルイ・ジョゼフが承認。
薔薇十字教団シャドウ・ガルテン支部室長サー・デイムズ・ラスプーチンに指揮を委託。
開戦日時を通告し、その時は近付いていた。
その少し前。
ヴェルサイユ教皇宮殿に、教団本部室長ヨセフ・アークライトは訪れていた。
「どういうつもりだ。ルイ・ジョゼフ」
鋭い視線を向け尋ねるヨセフに返したのは、同席しているデイムズだった。
「口を慎むべきではないかね、ヨセフ殿。教団員として取るべき礼儀はあろう」
「礼儀を向けるべき相手なら、俺もやぶさかではない。だが貴様らのような毒蛇に、取り繕う礼儀などない」
「なるほど。お前は、そういう人間か、ヨセフ・アークライト」
興味深げに、ルイは言った。
「すでに状況を理解しているにも拘らず、少しでも情報を得るために自分の命を懸けるか。気付いているのだろう? 我らが毒蛇だというのなら、お前をいつでも殺せると」
「それこそ今さらだ」
さらりとヨセフは返す。
「俺の命の張り場はここだ。戦場に指令書ひとつで送り出す指揮官が、自分の命を惜しんでどうする」
「ふむ。それは自分の命を軽く見過ぎだろう。すでにお前の命には、多くのものが乗っている。お前が死ぬだけでは済まんぞ」
「だから命を惜しめと? それで得られるものが足りているなら、俺もそうする。だが足らん。ならば、賭けるしかないだろう」
ヨセフの言葉に、デイムズは笑みを浮かべ言った。
「つまりヨセフ殿。貴殿は『命に掛けて』ではなく、『命を賭けに』ここに来たわけだ」
「そうだ」
ヨセフの応えに、デイムズは獰猛な笑みを浮かべる。
そしてルイは静かにヨセフを見詰め、続けて言った。
「ヨセフ。お前は、良いプレイヤーになるようだ。そこまで理解しているなら、話が速い」
そう言うとルイは、世界の命運にかかわる賭けを口にした。
「ゲームをしよう、ヨセフ・アークライト。覇権闘争(グレート・ゲーム)を」
ルイの言葉と共に、ひとつの術式が走る。
それは魔力を取り込むと、この場に居る皆が囲む円卓に、ひとつの立体映像を映し出した。
「虚栄の孤島か」
「そうだ。ここを獲った者が、全てを総取りする。私が賭ける物は、教皇の地位だ」
ルイの言葉に続いて、デイムズが賭ける。
「私が賭けるのは、私の全てだ。負けたなら、その場で殺すなり粛清するなり、好きにすれば良い」
「……なら、俺が賭けるのは――」
「貴殿の命、では足らん。貴殿が統率する教団本部全て。それを賭けて貰おう」
デイムズの応えを聞き、僅かな間でヨセフは全てを理解した。
「こちらの戦力を全て奪うための代理戦争。それで手に入れた戦力で、アレイスターと戦うつもりか」
「いかにも。さすがヨセフ殿。話が速くて助かる」
機嫌好さげなデイムズに、ヨセフは忌々しげに返した。
「こちらの様子を見ていたのは、それが理由か」
「もちろんだ、ヨセフ殿」
種明かしをするようにデイムズは言った。
「ヨセフ殿。私は、人は人のままであるべきだと思う。それを壊そうとする神は不要だ」
「なら、アレイスターでも良い筈だ。なぜ、こちらを取り込もうとする」
「選択肢が出来たからだ。私がアレイスター殿に賛同していたのは、単なる消去法だ。他に選ぶべき選択肢はなかった。しかし、諸君達が現れた。お蔭で、君達とアレイスター殿。ふたつを天秤に載せることが出来るようになった」
「それで、こちらに傾いたと? アレイスターが気に食わないようだな」
「もちろんだ。創造神は世界を変えずに、全ての命を変えようとしている。だがアレイスター殿は、命は変えずに世界を変えることを選んだ。私には、これまでどちらがマシかという選択肢しかなかったのだよ。だが諸君達を取り込めば、第三の選択肢が生まれる。私は、それを掴みたいだけだ」
「……くそったれが」
ヨセフは珍しく、言葉汚く罵るように言った。
「お前の目的がそれなら、勝っても負けても目的を達成できる。結局、どう転んでも貴様の望み通りということだろうが」
「そうだが、それがどうかしたかね?」
老獪という言葉を纏い、デイムズは言った。
「勝っても負けても目的へと繋げるのが、真のゲームプレイヤーというものだ」
「……ちっ。なら、ルイ・ジョセフ。お前も同じということか」
「ふむ。そうだが?」
平然と、ルイは応えた。
「私は、アレイスターに支配されている守護天使を解放したい。そのための駒は、お前達のどちらが勝っても手に入る。いや、勝手に動いてくれる、というべきだな」
「…………」
苦虫を噛み潰したようなヨセフに、デイムズは笑顔で迎え入れるように言った。
「ようこそ、ヨセフ殿。毒蛇の坩堝に。これが政治というものだ」
勝ち負けも、生死のすべても目的のために。
どう転ぼうが、望むように進める。
人のエゴを煮詰めたような場所へと、ヨセフを招いた。
それを理解した上で、ヨセフは返す。
「好きにしろ。貴様らがそのつもりなら、こちらも好きに動く。だがその前にひとつ。貴族共はどうする? すでに何かしているようだが」
「それについては、私から説明します」
ヨセフに返したのは、枢機卿の1人にして、裏切者でもあるファウストだった。
「今は、枢機卿と関連する大貴族は、首が回らない状態です」
「どういう事だ?」
聞き返すヨセフにファウストは応えた。
「数年掛かりで価値のない債券をバラ撒き、それを彼らに価値ある物だと思わせて買わせた所で、破たんさせました。表に出ないよう押さえていますが、時間の問題です」
「……まさかとは思うが、虚栄の孤島を、その負債を埋める糧にするつもりか」
「彼らはそのつもりです。だからこそ、今回の戦争に余計な横槍を入れて来ないんです。デイムズ卿が勝てば、虚栄の孤島の全てを食い潰し、自分達の損失の穴埋めに使うつもりです」
「……ろくでもない」
「……すみません。私の方で進めていた計画では、虚栄の孤島のことは掴めていなかったので」
「いや、いい」
ファウストの言葉を手で制し、ヨセフは言った。
「状況は理解した。こちらが勝てば、教皇の地位と、デイムズの生殺与奪。こちらが負ければ、俺の生殺与奪と教団本部か」
「その通りだ、ヨセフ殿」
無邪気と言ってさえよい笑顔で、デイムズは応えた。
「楽しいゲームを始めよう」
そんなやり取りがあった数日後。
この先の命運を決める戦いが始まります。
この戦いに、アナタ達は――?
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